2010年2月28日日曜日

2月28日(日)その2:教員は終身雇用の世界?











・ 「教員社会は基本的に終身雇用の世界であった」というのは大筋で間違いないだろう。教員と言うのは基本的に昇進昇格というのはない。同期が偉くなったからと言って「身を引く」様なことは無い。悪いことさえしなければ「定年まで給料が上がり続ける世界」である。少なくともいままでは。
・ 即ち「階級のない社会」なのである。戦後60年「ズゥー」とそのような状態で来たのだが、そのことの「不条理」に社会は気付き、「おかしいではないか」と騒ぎ始めたのである。それは平成12年から14年くらいからだと私は考えている。
・ 階層の無い社会にはまず経年の変化で間違いなくその「組織は重篤な病に陥る」。これだけは間違いない。20世紀の後半、共産主義は完全に敗退した。様々な要因が識者で考察され議論されているが基本的には「誰もが働かない」ことではないか。
・ 「社会保障が前面」に出て、国が何でもかんでも面倒を見るという社会は活力が失われていく。共産主義国家は「一党の独裁」「一人の独裁者」が生まれ、汚職と汚辱にまみれた社会になるというのも皮肉な構図である。
・ 私は今まで書いてきた数々の教育論文で「学校社会はコミューン化された社会」と書いてきた。学校経営や校長の方針など無視して「教員が教員の手で教員のための施策を全員の多数決で決定」していくという図柄はまさしくコミューン化社会である。
・ 大体「頑張っても頑張らなくとも処遇が同じ」というのは「人間心理」から考えれば人間の本能に対して全く合致しない思想だということではないか。階層の無い社会はまず間違いなく「組織を腐敗」させていく。階層が無いのだから誰も「叱ったり」「咎めたり」しないからである。
・ 教員社会は「叱ったり、咎められたりする社会とはほど遠い世界」であったのである。生徒の夏休みを自分の夏休みと勘違いし、サラリーマンは蒸し暑い夏を一生懸命に働いているというのに教員は「たっぷりと休み」、授業がなければ朝ゆっくりと出勤し、授業が終われば早退するといった学校社会の「甘えた構造」に社会は気付いたのである。
・ 公務員である公立の教員に対して伝家の宝刀「分限免職」を行政は使い始めた。懲戒処分による解雇ではないが「貴方は教師としての資質に欠ける」として「免職処分」をこの2ないし3年で使い始めたのである。大阪府において中学校の問題が解けなかった高校の数学の先生が「クビ」になった時は大騒ぎになったものだ。
・ 生徒の為に自分の時間を犠牲にして頑張ってくれている教員と何かと自分のことを優先させて考える教員や教師としての資質に疑問があるような「教員の給与が1円も違わない」で誰が真面目にやろうと言うのか。その対策の結論が「評価システム」の導入と言う論理である。
・ 私は行政のこれら二つの伝家の宝刀「分限免職と評価システム」を高く評価する。私立高校も仕組みを整備して早くこれらの制度を導入しなければならない。私は着任後すぐにこれらに手を付けて制度化した。
・ 公立学校では組織的には従来の校長の下に副校長制度を設けたり、教頭以外に主幹教諭とか主席教諭とかの「中間管理職」も設けるようにしてきている。又見本となる教員を「指導教諭」として遇する制度も今や一般的になってきた。
・ どれもこれも「組織のトップである校長のリーダーシップを支援する目的」であった。一人でやれないような校長も困ったものだが戦後から続く「校長は鍋蓋のつまみ」を打ち破る必要があったのである。とにかく「学校を組織化しようと躍起」だったのである。
・ しかしいずれの方策も言い換えれば「学校は学校として守り、教員の終身雇用を保証」してやろうという「温かい親心」ではないかと私は思うようになったのである。歴史が証明するだろうが果たしてそのような施策は真に学校のため、生徒のためになるのかという疑問である。
・ 今必要なことは「教員の終身雇用を見直す」ことではないかというのが私の意見である。駄目な教員はどうやっても駄目であり、今の学校社会はこれらの駄目教員に「時間もお金も、手間隙もかけ過ぎている」というのが私の意見である。
・ 「学校改革とは教員という仕事の終身雇用の形態を見直す」ということではないか。そのように思えてきた。行政は「分限処分」がある。私立高校には「就業規則」違反はあるがそれは「懲戒処分」であり、考え方が異なる。
・ 「貴方は本校には必要としていません」と法的にもクリアできて、解雇できる方策を私は探し求めているのである。しかし公立の分限免職についてもそうであるが「教員の資質がない」ことを「合理的に証明することは相当ハードルが高い」と考えておかねばならない。「経営側の覚悟」がいるのである。
・ しからば私立高校には何があるのかということであるが今のところ「早期退職優遇制度」しか思いつくことはないのである。本校でも一昨年大量の早期退職者を出した。それは「早期退職優遇制度を創設して割り増し退職金を上積み」したからなのである。
・ すべての人が「問題と評価された教員」ではない。「人それぞれに事情」があって、それら「全てを包含して退職する、転職したい教員を公明正大に支援する制度」が最も合理的である。その中に不要な教員が入っておれば「それで良し!」とするものである。
・ 大きな問題は、この制度は「財源が必要」となることである。一人当たり数百万円の上積み金が必要であるから財政に直結する問題であるが、「少なくとも本校で教員でいて欲しくない教員がいる」ことの「精神衛生上の慢性的悪さ」を考えれば、辞めて貰ったほうが学校の総合力は期待できる。
・ 教師が教師の仕事以外に興味や関心を持ち始めたら「おしまい」である。だから「教師の兼職兼業は厳しく規制」されている。一般企業でも当たり前であるが、少なくとも「この道一筋」が教員には求められている。
・ 「趣味が嵩じて」というわけにはいかないのである。趣味や関心は全く構わない。ところが趣味を超え始めると当然本業のほうがおろそかになるのである。人間の弱さである。「二束のわらじ」は履けないのである。私立学校が故に教員の資質はその道一筋の崇高さが求められると私は思うのである。
・ 大体趣味が嵩じてくると「休みが多くなる」「授業に関心が行かなくなる」「従って教材研究などがおろそかになる」となってきて「生徒に真正面に向き合わなくなる」ものである。趣味や関心のために教員をしているようなものである。
・ そういう教員には趣味を活かして第二の人生を歩むように勧め、そのための財政的支援をすることが、「その教員にも残る教員にも幸せなこと」なではないか。とにかく私立学校は生徒が来なければ教員が何を言っても始まらない。
・ 学校が生徒減少から経営難に陥り、「整理解雇」をせざるを得なくなって、「積年の不届きな言動」から整理解雇の対象者になった教員が、慌てて団体に頼り法廷闘争を持ち込んでも教員の理屈など全く意味は無い。大体教員は「経営ということが全く分かっていない。」
・「臭いものに蓋」をするのではなくて「腐りつつあるものは早期に除外する」という行為が当事者にもその学校にも意味あることではないだろうか。ある学校では駄目だとしても心機一転他校で仕事をする場面もあるとの意見には私は反論する。「駄目な者は何処に行っても駄目だろう」。教師を辞めるしかない。

2月28日(日)その1:終身雇用の幻想







・ 朝方、雨が残ったが9時前にはお日様が顔を覗かせた。少し風が冷たいがまあ良い日曜日となった。昨日の卒業式は結局雨は終日無く無事に終えた。何しろ暖かかったから体育館もそれほど寒くは無く助かったのである。例年なら冷え冷えとする卒業式であったのに、本当についている。今日はまだ「卒業式の余韻を楽しんでいる」のである。
・ 「ゆっくりとした休日」となった。ただチリの大地震で津波警報が日本列島を襲っておりテレビを付けっぱなしにして状況をおっていたのである。「明日からは北海道、東京、沖縄方面に2年生が修学旅行」に出かけるから大変気になるのである。東北方面の太平洋沿岸では津波が観測されているがどうも大きなものではなくて被害も大きなものにはならない感じで一安心である。

・ 卓越した経営者として一世を風靡した元GE社のCEO(チーフ・エグゼブティブ・オフィサー)のジャック・ウェルチ氏は「暇があれば従業員をクビにすることを考えている」と言うがこれは一つの話しだろう。
・ 日本ではすぐ「訴訟」などが起こりそうで簡単な話ではない。私は「暇があれば誰を専任教諭に採用するか考えている」と言ってよい。私はアメリカ人ではなくて典型的な「義理人情型の侍人間」だと自分では思っているから「切るより採る」だ。
・ 何時だったか忘れたが昨年の日経夕刊に「関西大学教授の竹内洋先生」のコラム記事があった。「旅の途中」という囲みなのだが中身は「日本的経営の神話」というものだ。しかし竹内先生の寄稿は何時も「頭の整理」に参考となる。
「派遣切り」とか「正社員のリストラ」「正教員の整理解雇」とか雇用問題が大きな社会問題と成っているが、その対比として「日本的経営」と言われる「終身雇用や年功序列体系」は昔からあったわけではないと先生は切り出されている。
・ 先生は一つの「データ」を持ち出されて論考を進められる。この辺がとても私は好きなのである。自分の意見ばかり言わないでデータを出してこれを読み解いたり比較したりすることで「論考に厚みを持たせるスタイル」で、どちらかと言えば「理系のスタイル」である。
・ 私は完全に「理系人間」である。他の学校に勤務している現役の先生から「とにかく私のブログは数値が多くデータがあるのが大変良い」とお褒めに預かったことがあるくらいだ。教員が理系か文系かはここでは本題からそれるから言うまい。「理科や数学の先生が理系人間」と考えて良いのか?
・ これについてもここでは論評しないでおこう。一般的に教員はデータに弱いというか避けるところがある。それはデータを出すと傷つく人がいるというのである。しかし「データは真実を語る」。
・ 話しを元に戻して「1937年の戦前のサラリーマンのアンケート調査結果」を竹内先生は持ち出して来られ、その中の質問項目に「サラリーマン最大の恐怖」というのがあると書いておられる。1位は「馘首」、すなわち首になるということであるが、2位は「病気」、3位は「仕事の失敗」と続く。
・ しかも1位の馘首は2位以下を大きく引き離しており、回答者の2人に1人は挙げているという。即ち当時もサラリーマンの大半は「何時解雇されるかも知れない」という大きな不安を抱えていたのであると先生は証明してみせる。
・ 同時に質問で「サラリーマンに必要な社会政策は?」との問いには「失業保険」が1位に来ていると言う。若しサラリーマンが「終身雇用」を信じていたらこのような回答にはならなかった筈だと先生はいわれる。
・ 実際戦前の企業においてはサラリーマンの「解雇は日常茶飯事」であり、又同時に景気がよくなればサラリーマンの方もこれまで勤め挙げてきた「会社に見切り」をつけて簡単に「転職」しているという。こういう「論旨の展開」は本当に面白いし勉強になる。何か日本の話ではなくてアメリカの話しみたいである。
・ 戦前のサラリーマンにとって「永年勤続によって昇給・昇進・昇格し定年まで企業に留まると言うのはかなりかなり稀」だったのである。「終身雇用や年功序列の日本的経営」がある程度定着したのは「戦後の高度経済成長時代になってから」に過ぎないと先生は言われる。
・ 以下からが又面白い。しかし高度経済成長を生きたサラリーマン(かく言う私もこの世代)にとっても終身雇用に当てはまる人はそれほど多いわけではない。「1991年度で見ても50歳代前半で同一企業に勤めている人は高卒で12%、大卒で22%」に過ぎないと。今はもっと低い数値だろう。
・ 大企業(1000人以上)で見ても高卒22%、大卒51%であるから戦後の高度成長期を生きてきたサラリーマンでも戦前の作り話と同じで「終身雇用など半分は神話の世界」と竹内先生は言われている。
・ 「昔は良かった」とか「昔に戻れ」とかいうがその昔とはついこの前の話であり、わざわざ「日本的経営」などと大上段に振りかざすものではないと先生は皮肉られているのである。
・ 考えてみれば私も55歳で前の会社から「退職金」を頂いた。定年まで5年を残して退職した。人事異動みたいなものであったが、民間人校長になるということは「大阪府の公務員になる」ということで「出向」とはならず、退職せざるを得なかったのであるが、とにかく定年を待たず早期退職をしたのである。
・ 私のように「大企業の大卒の半分は早期に退職」しているというデータも分かった。今問題と成っている「高級官僚の早期退職と渡り」についても考えてみれば「終身雇用」ではない。
・ そこで「一体教員の世界はどうなんだ」と話しを展開しないと面白くもなんとも無い。単なる「ああ、そうですか」に終わってしまう。そうなのである。「教職こそ唯一の終身雇用の世界」だったのである。少なくとも今までは?
・ 教員と言うのは基本的に昇進昇格というのはない。同期が偉くなったからと言って「身を引く」様なことは無い。悪いことさえしなければ「定年まで給料が上がり続ける世界」である。少なくとも今までは?               (その2に続く)

2010年2月27日土曜日

2月27日(土)卒業式













































・ 「校長式辞の一部から」:(前文略)さて皆さん、卒業式にあたり、最後の校長講話としての言葉を以下に伝えます。本校で学んだ「神社神道の精神」を再度強調しておきたいと思います。高校生活ではそれほど深く考えてはいなかったと思いますが、実はこれから、「浪速で学んだこと」が皆さんのこれからの人生でますます重要になって来るでしょう。
・ 在校中に幾度となく私はあらゆる機会を通じて皆さんに思いをお伝えして来ました。その要点は一言で言えば「今この時を一生懸命に生きる」ということでした。専門的に言うと「中今の思想」と言います。続日本紀の宣命8世紀頃の詔勅に4例ほど見える言葉ですが神道のものの考え方を良く言い表した「味わい深い思想」がそこに見られます。
・ この「中今という言葉の意味」は過去・現在・未来というおよそ存在し得る全ての時間の中で過去と未来の中間に位置する今の世に最高の価値を見出そうとする思想です。これは歴史の永遠の発展を肯定しながらも自己がそれに直接参加しうる現在という時をあらゆる時間の中で最も価値あるものとして受け止めるのです。
・ 「我々が直面する一刻一刻の時間を我が命と捉え」、それを力一杯充実せしめることによって自分の人生の中に生きる価値を見出すという思想です。(後文略)
・ 以上のように今日は話を絞って「パンチ」あるような話にした。終わった後で隣の副校長が「良かったですよ」と言ってくれたので一安心した。このようにまず私は人の感想を聞く。それも数人からである。それは次に繋がるからである。
・ 昨日来の雨が上がって「気持ちよく卒業式が実施」できた。私は本当に運が良い。雨の心配もあって結局「紋付袴を止めてモーニング」にした。早朝沖縄方面の地震報道があり、3月1日に出発する高校2年生の修学旅行が気にかかったがこれは旅行会社から電話で問題なく行けるということで一安心した。今のところ予定通り出発できる。
・ 雨が降れば体育館での「神前奉告」を考えていたが、公式に「学院神社の御前」にて挙行できた。「大太鼓」を打ち鳴らして式は始まる。これを「鼓報」という。静けさの中に太鼓の音が鳴り響いて「場に神妙な雰囲気」が出来上がるのである。私はこの音が大好きで何時も生徒には「長く打て、長く打て」と言っている。
・ 卒業生と学年団やご来賓には「カーネーション一輪」が配られる。どこの花屋さんかしらないがこの日500本近いカーネーションの花が本校には必要である。来年は650本を超える。これは何時頃から始めたものかは知らないが恐らく「母親への感謝」の気持ちを表すものかも知れない。
・ 神前奉告が終わればクラス単位で体育館に移動する。担任の先生が先頭である。会場には雅楽部が「神社神道の学校らしく雅楽」を演奏して生徒たちを迎えてくれるのである。
・ この学年は私が校長になって始めて入学を許可した学年で特別に感慨深いものがある。又Ⅲ類は男子だけの募集で4クラスあるのだが「男子校の名残を残す学年」で、ある面「壮観」である。来年度以降は完全な共学である。
・ 又担任の先生は12名全て男性教諭で女性教諭が一人も居ない。当時は女性の先生が4人しかいなかったからである。とにかく学校改革に着手し、激しく始めた時の生徒で「学校改革と同時並行で進んだ学年」であった。
・ 従って必ずしも改革の成果を享受できたとは限らないだけに私には内心「忸怩」たるものがあるのだが、生徒の答辞には「多聞尚学館」のことに多く触れてくれており私は嬉しかったのである。しかし学年主任以下一生懸命頑張ってくれたことは間違いない。
・ とにかく今日のハイライトは他校では当たり前だと思うが本校では初めて「全卒業生の名前を一人ずつ読み上げる」ことであった。保護者のお気持ちに応えたものである。大変良かったと思う。
・ 約30分程度式が長くかかるが、その程度の時間であれば得る効果は大きいものが確認されたから来年度以降もこのようにしたら良いと思う。ただ来年は600人を読み上げなければならない。まだ「やり方の工夫の余地」はある。
・ 全て終わった後で理事長室に帰ってこられたご来賓の方々は「興奮気味」で「感動した、素晴らしい式であった」と言って頂いたが嬉しかったのは「時間が長いとは感じなかった」と言って頂いたことである。
・ それにしても私は自分で言うのもなんだが「一応原稿は用意」するが、「アドリブ」も多くいかにも式辞と言うような形にならなくなっていくのに気づく。ますますその傾向が強くなる。
・ 「話し言葉」になったり、「語り口調」になったりである。それに「間が自然と取れる」ようにもなっている。「無言の時間」が入るのである。そしてその後は一気に話を続けていったりとか「変幻自在」な式辞となっていく。このようにして私にとって7回目の式辞が終わった。
・ 今日も多くの保護者に参列していただいた。これらの「保護者が最大の浪速の応援団」になってくれる方々なのである。中学の後輩やご近所、親戚などに「浪速にし、浪速ええ学校やで」と言っていただいたら何万倍の効果がある。最高の広報なのである。
・ とにかく私は「大きいものが好き」「多いほうが好き」である。生徒は多ければ多いほど幸せである。千早赤阪村の松本村長は「生徒数の多さ」に感動していた。村はおじいちゃん、おばあちゃんばかりで若い人が少なく、村立の小学校の卒業式に比べたらその規模の違いに驚かれたという。
・ 式が終了したらPTA役員から「寄贈の目録、謝辞」、そして私を入れて全担任に大きな「花束」が贈られたのである。そしてブラスバンド部の生演奏で生徒は「花道」を通って最後のホームルームに向かう。全員で拍手、拍手である。
・ 余程嬉しかったのかPTA役員が揃って校長室に来られ名前読み上げの感謝をされた。恐縮したのと、ここまで喜ばれるのであれば、もっと早くしておけば良かったと少し反省したのである。
・ 校庭ではあちこちで歓声が上がり、生徒同士で記念写真などを撮っている。野球部の生徒数名が校長室に来て「ツーショット」を要望された。そのときに「校長、今日の話は良かった」と言ってくれたのである。「今を大切に」「今を生きろ」としつこいくらいに言ったことが「生徒に届いた」と思えば大変に嬉しくなったのである。
・ 全てが終わった時分に「全教職員が職員室に集合」し、3年生の学年団が前に勢ぞろいして「3年間の総括を学年主任が行う」のも本校の慣わしである。そして私が慰労と感謝の言葉を述べ「全員で拍手」をして今日一日の作業が終わったのである。
・ 実に淡々として、実に心のこもった、実に華やかな卒業式であった。しかしこれで学校は終わりとはならない。「来週は2年生の修学旅行」、そして1年生の期末試験、その後終業式と続く。
・ そして3月23日の公立高校の合格発表を受けて「新年度の具体的な準備作業」と私立高校は休む暇もなく「次から次へと仕事がエンドレスに続く」。しかしこれは日本全国全ての私立高校とて同じことである。「好きでなければ出来ない仕事」であろう。全教職員と共に頑張っていかねばならない。

2010年2月26日金曜日

2月26日(金)その2:浅田真央銀メダル




・ 「浅田真央選手が銀メダル」を取った。「おめでとう」と言いたい。大阪府神社庁に出張して心斎橋を歩いて帰る途中に高島屋の前でスポニチの「号外」が配られていた。この浅田、のっぺりした顔だが「なかなかやる」という感じで私はファンになった。
・ 「ライバル物語」とかいうが浅田とキム・ヨナほど格好のライバルというのも近頃では珍しいのではないか。年が19才で同じ、身長も体重もほぼ同じ、「違うのは日本人と韓国人」というだけだ。今日の両国は「熱狂」であったと思う。
・ 私はこの二人を前からテレビで追いかけていたが「絶対に目をあわそうとしない」し、擦れ違っただけでテレビ画面から「ぱちぱち」と火花が散っているのが見えるのだ。今やお互いに「国家を背中にしょっている」感じで尚更面白いのである。
・ 号外の写真を見てみると「やったぞ」という気迫があふれているではないか。「決めたトリプルアクセル2発」との見出しであった。浅田は感情を前面に出してくる。今朝の産経は1面に昨日の練習での浅田の顔を出しているがこちらのほうも顔は「やってやる」という感じで私は注目したのである。
・ 案の定、銀メダルであった。キムとの差は23点の大差(?)で敗れたが「実力はキムの方が勝っていた」と私は思う。キムは「鉄面皮」のようで浅田みたいに感情を表に出さないが表彰台では涙を流していた。人間的な面を見せてこれも良い印象を持った。
・ しかし浅田は良くやった。期待されて「大勝負に臨み」優勝こそ逃したがこの銀メダルは立派である。金を狙いに狙って銀にこそなったがそこには「勝負にかけた女の意地」みたいなものが感じられて、私は嬉しくなった。浅田もキムも大人の女だな。
・ 夕方のテレビで浅田は涙を流し「悔しい」といっていたが悔しいだろう。しかしそれをばねにして4年後に金を取れと言いたい。その為には「日本を離れたほうが良いのでは」と思う。
・ マスコミを中心に帰国後は「ちやほや」され、最早「アスリートと言うよりタレント」になってしまう。高橋尚子もそうだった。2006年トリノの荒川静香は金を取った後本当にタレントになってしまった。
・ 高橋大輔選手などは最初から最後まで「故障から見事に復帰」とか「復活涙物語」とかでもう物語の主役になりつつある。織田信成選手などは靴の紐が切れて「ワーワー」泣いていたが、余り見たくはなかったな。
・ 「朝ズバッ」のみのもんたを始め、日本は報道番組というかテレビやマスコミがスポーツ選手を駄目にしていないか。ボクシングの亀田事件などもそうだった。朝青龍を引退に追いやったのもマスコミだ。
・ そう思っていたら朝日に面白い記事を見つけた。本当に「東京都の石原慎太郎知事は面白い」。久しぶりに「一発ぶっ放した」感じだ。朝日だけが記事にして他紙は一切ない。朝日らしい。こういうところは見逃さない。見出しは「銅を取って狂喜 こんな馬鹿な国はない」というものである。
・ 25日知事は報道陣に「銅メダルを取って狂喜する、こんな馬鹿な国は無いよ」とバンクーバー五輪の日本選手の活躍に対する国内の反応について述べたとある。同日あった東京マラソンの関連式典の挨拶でも五輪に触れ「国家という重いものを背負わない人間が早く走れるわけが無い、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけが無い」とも述べたとある。
・ 銅メダル云々には笑ってしまった。フィギアスケート男子の高橋大輔選手のことを言っているのか。銅メダルは彼とスピードスケート男子500の加藤条治選手しかいないから。恐らく高橋選手のことを念頭においているのだろう。
・ しかし私には石原知事の言うことも分かるのである。銅メダルなど意味はないとは言わないが、大騒ぎするほどのことでないだろう。3位ではないか。「金、1位、優勝が絶対的」である。これに肉薄した銀、2位、準優勝までが意味あるのではないか。
・ 2位が意味あるのは次は金だからである。3位と2位は「雲泥の差」があるのである。浅田がもし「銅メダル」などだったら日本列島を暗くしただろう。銀だからこそ次への展望で国民は元気になるのである。
・ 「何事も二番手までに付けておかないといけない」というのが私の考えだ。私学間競争でもそうである。3番手や4位入賞とか6位入賞とか全く嬉しくない。本校は二番手に付けているか。それが問題だ。何を基準にして二番手とか三番手とかいうか。それは「総合力」である。スポーツと違って難しいのがこの点である。
・ しかしそれにしても世の中の男子は「草食系男子」といわれ、女性は「戦国武将好き」で「ホルモン焼肉大好き女性」が増えているという。日本も完全に「根性ある女性の時代」が来ているのか。面白い世の中になってきた。

2月26日(金)その1:卒業式前夜
















・ 民主党の目玉政策である「高校実質無償化のための法案」が25日の衆議院本会議で審議入りとなった。私は「政治と金」の問題で自民党が本会議出席をボイコットしている事態を心配していた。もし年度内に間に合わないような事態になれば反乱が起きたよと言いたい。
・ 自民党も3日間のボイコットで会議に戻ったが与野党でこのような「高校授業料無償化の議論を議員諸侯に深めて貰いたい」のである。このテーマは単に授業料を無償にする、軽減するとは違って「今日的高校生の実態を直視する絶好の機会」と思うからだ。
・ 学力、日常生活、家庭、高校の教員、公立と私立、あらゆる教育問題がこの問題には凝縮されている。この高校問題をえぐることはそのまま「小中の義務教育の抱える問題」に直結する話なのである。
・ 又高校問題はそのまま「大学問題」になる。「分数の出来ない大学生」「遊びほうけている大学生」一方では「就職難にあえぐ大学生」。高校はこれらの義務教育と大学教育に「サンドイッチ」された極めて難しいポジションなのである。
・ 26日の各紙は高校無償化の審議入りを軽く記事にしていたが産経は扱いが大きく、「朝鮮学級の無償化」について報道している。どうも首相は「無償化除外を示唆」しているという。2010年度予算では無償化関連予算は3933億円に上っており国民の税金であり納得できる使い方を期待致したい。
・ これに対して「朝鮮高級学校にも差別なき無償化を」と朝鮮学校の幹部らが産経を除くマスコミ各社を招待して気勢を上げていたと記事にはある。講堂に金正日総書記の肖像画を掲げて同胞教育を推し進める朝鮮学校が「無償化に相応しいキャリクラムなのかどうか」と官房長官はコメントしている。
・ 一方読売の見出しは「公私の格差を問題視」として「やむを得ず私立に通うことになった場合の負担がまだ重い」として公立との格差を指摘する声が自民党から出ていると言う。「私立への拡充」を求めるとしているが、これは大歓迎である。

・ 昨日の午後は中高連で総会があり、大阪府私学課の幹部より「高校就学セーフティネットと私学助成」について纏まった報告があり、橋下知事の「当初予算記者会見」骨子なども配布されて府の進める私学助成と「来年度以降の方針」なども概略説明があったと今朝報告を受けた。
・ 一言で言えば「保護者負担の公正化ではなくて私学経営側の協力を得ての公私間格差」であり、私学側とすれば「言いたいことはある」が「千里の道も一歩から」とすれば画期的なことであり私としては大いに評価したいし、感謝申し上げたい。
・ 特に今後の助成の視点が「頑張っている私立への支援」と言われているそうだが「その線で間違いない」ことであり、従来のような「護送船団方式」による「弱者救済の視点」では結局は「生徒の為にはなっていない」ということである。
・ 今までの「保護行政」から脱却して「メリハリをつけた競争論理」を幾分なりとも持ち込まないと私学と言えども今後の存在価値はあるまい。延命策は不用である。その意味から私は「橋下知事の方針に全面的に賛成」する。

・ 久しぶりに高校3年生が登校してきた。ホームルームで「卒業アルバム」を配ったり、進路結果を調査したりしてその後は明日の「卒業式の予行」である。大筋の確認をする必要がある。特に今年から全生徒の氏名を読み上げるからその時間配分などもポイントであった。

・ その後同じ講堂で「高校2年生の修学旅行」の最終準備と「結団式」となった。最終準備と言っても荷物を航空会社差し回しの宅配便トラックに載せるだけである。今や高校の修学旅行ともなれば大きな荷物を「えっちら、えっちら」運ばずに宅配業者が集荷し生徒の到着までにホテルに届けてくれているという寸法なのである。便利な世の中になったものだ。
・ 期末試験は終わり、来週は修学旅行だから生徒は「嬉しいだけ」でどの顔も喜びに満ち溢れていた。良い顔ばかりであった。結団式では私は「良い思い出になるよう」等々激励と注意事項を述べたのである。

・ その後私は「大阪府神社庁」に出張した。今日は重要な行事があって「平成21年度神宮大麻暦頒布終了奉告祭」というものである。来賓としての出席である。長たらしい名前であるが一言で言えば神宮大麻とは「伊勢神宮のご神札」である。大麻とは紛らわしいが薬物の大麻ではない。
・ 大麻とは、古くは「おおぬさ」と読み、祈りがこめられるお神札の大切な部分(麻串・ぬさくし)に由来する歴史のある言葉であり、昔から、「お伊勢さん」「お祓(はら)いさん」とも呼ばれていた。
・ 「天照皇大神宮」の神号に神さまの印と大神宮司の印が押され、清浄を第一に数々のお祭りを経て伊勢の神宮で奉製され、毎年暮に全国の氏神さまを通じて各家庭に配られる神宮大麻は、氏神さまや他の崇敬する神社のお神札と共に神棚にお祀りするもので戦前戦後では大体「どの家庭でも見られた日本文化の一光景」であったと思う。
・ 神宮大麻の起源は、平安時代末期にまでさかのぼり、御師(おんし)・大夫(たゆう)と言われる人々が全国の「崇敬者」に、「御祓大麻(おはらいおおぬさ)」「御祓いさん」などの名称で頒布していたお神札に求めることができ、江戸後期の安永年間には、全国世帯の約九割が大麻を受けていたという記録もある。
・ その後数度の変遷を経て、現在神宮大麻は、昭和21年に設立された「神社本庁が神宮司庁」から全面委託を受け、全国約八万の神社の神職・総代等によって各家庭に頒布されている。今日はそれの終了式なのである。

2010年2月25日木曜日

2月25日(木)労働組合組織率







・ 少し古くなるが昨年12月11日の大阪日日に一つの記事が載った。「労組組織率34年ぶりに上昇」というものである。厚生労働省の発表であるが「推定組織率」である。対「前年比0.4ポイント増の18.5%」である。1976年以降減少を続けてきたが34年ぶりに上昇したというのである。
・ これは雇用労働者に占める労働組合員の割合であるがあくまで推定である。だれが組合員かそうでないかは個人情報に属するものであからさまにはオープンにはしない。本校でも誰が組合員でそうでないかは日常口にするものではない。ただ公立学校でもそうであったが管理者が「分かろうと努力すれば分かるもの」である。
・ 例えば「組合費が給与天引き」であれば管理者が見ることの出来る各人別の給与支払い明細を見れば「一発」で分かる。本校では給与天引きとなっていないから分からないが私は理事長、校長として着任時に誰が組合員か確認した。
・ 最も組合費は「半ば強制的に支払わされて」、思想も実態も非組合員という人は大勢いると聞いたことがある。特に新採用などの教員では組合に入らないと「ニッチもさっちも」行かないように日常がなっていくというわけらしい。真偽のほどは知らない。
・ しかしこの記事、まるで誤解しそうで労組組織率が上昇したのは「分母が小さくなった」からであり、組合員が増えたわけではない。経済不況で派遣などの非正規労働者が大量に失業した影響で分母となる「雇用労働者が昨年から110万人減少して5455万人となった」のが主要因とか。
・ 一方分子の組合員数は13000人の増で増えてはいるがパート労働者が主体である。組合数は269組合減少し、これは倒産や企業統廃合が主たる要因と記事にはある。確かに「パート労働者の組織化が進んだといってもわずかで契約や派遣で組合に入っている人はほとんどいない。喜ぶ数値には程遠い」とある大手組合の書記長はコメントしている。

・ それでは「教職員団体の組織率」は一体どうなんだ?ということであるが、こちらの方は文部科学省の発表がある。「日教組の組織率が昨年10月1日時点で27.1%と過去最低を更新」し加入者が28万人を切ったと1月の日経記事にある。
・ 数多くある「教職員団体全体では42.3%」でこちらのほうも34年連続で低下となっている。雇用労働者の組合組織率は増えているが教職員団体は減少の一途と言って良い。果たしてこれは一体どういうことか。
・ 調査によると大学と高専を除く「公立学校の常勤教職員約103万人」のうち、教職員団体に加入しているのは436000人と言う。この内「日教組は2008年度に比べ、約6000人減少の279000人で全日本教職員組合(全教)が約3000人減の62000人で組織率は6.0%」らしい。
・ 後は全日本教職員連盟(全日教連)が約22000人で組織率2.1%であった。面白いのは「新規採用者の加入率」であるが日教組は20.6%で全教は1.3%、全日教連は1.1%であったと記事にはある。
・ これは深刻な数値で新採用の教員の内日教組は100人採用で21名が組合に入ると言うから低い数値ではない。全教と全日教連は100人の採用で一人か二人しか組合員にならないのだから組織率はどんどん下がっていくだけである。
・ 本校の組合はたしか「大阪私学教職員連盟(大私教)の下部組織だから全教系の組合」であるが新聞記事の記載のように新しく採用された先生の加入はいったいどうなのでると心配にも成るのである。
・ 私が権限を有して以来「多くの先生を専任教諭に採用」してきたが今のところ新採用教員で組合に加入したというのは聞いたことがない。共産党の友好団体である大私教組合が嫌なのか、組合費を払う余裕がないのか、思想信条的にその意思がないのかどうか私には分からない。

・ しかし日教組もおかしなことをする。「民主党の北海道選出の衆議院議員の小林千代美氏」に「北海道教職員組合(北教祖)が総額1600万円の違法な選挙資金を出していた」との疑いで札幌地検は北教祖を家宅捜査したことは大々的に報じられている。
・ 政治資金規正法違反容疑や公職選挙法違反容疑で北教祖も事実と認定する動きと成っているが「とんでもない話」で「教育公務員の政治的中立性」など「どこ吹く風」の「無茶苦茶」である。しかしこれが今日の日教組の実態の一つなのである。
・ 2月19日の産経の記事はこれらの資金提供の原資が「教員手当」だと報じていた。公立学校では「主任、主事クラス」に「主任手当」と称するものが大体月額5000円弱支給されるがそれを「原資」としているというのである。
・ これはあり得る話で大阪府でもついこの前まではあったのである。元来その役職にあるものが個人として受け取るべきものを組合が拠出させてプールしそれを資金とするのである。北教祖は平成19年度末までの30年間に集めた資金が55億円と言うから異常である。
・ 「組合員が自主的に寄付した」と言い張ってもそのような理屈は通るまい。これには複線があって北教祖は道教育委員会に返還を申し出たがすでに拠出した公金であり、贈与となるから受け取れないとか何とか「漫画みたいなやり取り」が実際の教育委員会と組合との構図なのである。

・ 本校では私が着任以来「主任手当」を支払うようにしてきた。最初は公立と同じ月額5000円からスタートして今は「主任手当てで月額15000円」、教科長や委員会委員長クラスで10000円、担任手当で5000円支給している。分掌の主任では年間18万円の支給だから「悪くはあるまい」。
・ これらを原資として組合活動費に回っていたらそれは絶対に許すことは出来ない。即刻支給を取りやめるだけの話である。公立学校も私立学校も「多い、少ない」は別として「手当て」というものは「その任にある人への労働付加価値分」である。堂々と受け取ってそれに相応しい仕事をすることが重要である。

2010年2月24日水曜日

2月24日(水)バンクーバーオリンピック
















・ 「バンクーバーオリンピックの女子フィギアショートプログラム」を「ライブ」で見た。丁度昼休みでゆっくりと見られたのでる。しかし冬季オリンピックは夏に比べて私にとっては「今ひとつ」であるがこの女子フィギアだけは前評判もあり、是非ライブで見たかったのである。
・ 浅田真央さんと韓国のキム・ヨナさんの「一騎打ち」みたいな感じで「火花がぱちぱち」というのに惹かれたのである。結果はキムのリードであった。私は専門でもないし採点の知識もないが見た感じではいささか「キムのスケートのほうが大きかった」と感じた。
・ 浅田は「華麗」でキムは「妖艶」と夕刊には表現されていた。言い換えれば「華奢」で一方は「豪快」か。私流に言えば「醤油顔」の浅田と「ソース顔」のキム、「たくわんの浅田」と「キムチのヨナ」という感じである。
・ この間この二人は同年齢、ほぼ同じ身長、ただ日本と韓国という因縁の関係で、いやがおうにも盛り上がる。全てに似ている「宿命のライバル」の演技は確かに見ていて面白かった。後半戦のフリーに期待したい。
・ 「浅田の素晴しい演技」を見てその次が自分の出番であるがキムは「平気のへっちゃら」という感じで「007」のテーマミュージックに乗せて「ピストルを撃つ真似」をしていたがあの銃口は浅田に向かっていたのは間違いない。

・ 「高校2年生の修学旅行の最終プログラムの確定と生徒用の小冊子が完成」して担当教員が持参してくれた。あわせて私の予定も最終決定された。出発日の3月1日は忙しくなる。まず新大阪に行って新幹線で「東京」に向かう200名を見送る。10時17分発ののぞみ118号である。
・ その後新大阪から「JR特急はるかで関西空港」に向かって「北海道」行きを見送る。飛行機はANA新千歳行きの1715便で13時20分離陸である。可哀想なのは沖縄「石垣西表島組で神戸空港からの出発」となっている。
・ どうしてもフライトがこれしかなかったものであり、神戸空港での集合だから無事に集まってくれるか心配だがまあこれだけ準備作業をしたら大丈夫だと思う。11時25分神戸空港離陸であるNU307便である。
・ 管理職同行は北海道には高校教頭とした。東京は新幹線で2時間30分だからいざとなればすぐ行けるので管理職の付き添いはない。石垣には一日遅れで「私が参加」することとした。私が修学旅行に付き添うのは初めてのことである
・ 今回は海外修学旅行が「新型インフル」で中止になった再企画だから私としては生徒に楽しんで貰いたいと念願するばかりである。従って中味は相当練って考えてくれており生徒用の小冊子も大変よく出来ている。
・ 校長の見送りは公立高校のときも一度も欠かさなかったが、校長が修学旅行を見送るのはどうも「普通のスタイル」らしい。元来は校長は同行するのが本筋で同行しないなら見送るらしい。
・ 高校では多くの学校はそのようなスタイルである。70%くらいが同行、30%くらい学校での待機ではないか。義務教育では付き添いは必須の形である。現地で何があるか分からないから管理職自ら引率するのである。
・ 26日に高校2年生の期末試験が終わった後「結団式」がある。そこで最後の注意となる。私も出席する積りである。当日は3年生が登校してきて「卒業式の予行」もある。午後は神社庁へ出張だ。

・ 今日は失敗した。かねてより「関西大学」から高槻市に完成した「高槻ミューズキャンパス体育・厚生棟の竣工式」にお招きを受けており当方も出席としていたが全く「失念」して行かなかったのである。大学の方から問い合わせがあってそれで初めて気づいた。
・ 大変ご迷惑をかけた。元来私の予定は秘書役をお願いしている事務の女性が「私専用の手帳に動静を書いて管理」してくれているのだが、これを私が知らせず自分だけにしていたからこういうことになった。
・ 私は自分で言うのもおかしいが大変「几帳面」でスケジュール管理は出来ていたと思っていたが今回は失敗した。理由にはならないが何しろ一日回ってくる書類や決済文書、教員からの報告資料など「半端ではないくらい多い」から余程管理をしっかりしておかないと資料などすぐに見失ってしまうのである。案内状など特にそうである。

・ 有名な「奈良学園の新校舎」を見学させてもらうように「新校舎建設チーム」に指示していたが先方からお許しを頂いて本日数名のチーム員が出張してくれた。場所は「法隆寺」であり学校車で1時間くらいのところにある。
・ 午後学校に戻ってきて簡単に報告を聞いたが「垂涎」の建物であったらしい。キャンパスが広いのでゆったりとレイアウトされており、「羨ましかった」と言っていた。教室の大きさや特別教室の配置など参考になったという。
・ 今後とも「他校の新しい校舎は貪欲に見学」しなければならない。見学とは読んで字のごとく「見て学ぶ」ことであり、他校の良い点は「パクリ」で良い。予算などは今の段階ではどうでも良いことである。

・ 入試広報室長が入ってきて「来年度の中学入試のやり方」について相談に来た。まず試験科目についてであるが今年と同じく「国・算・理・社の4科目」とすることを了承した。社会を外して3科目受験もあるが他の先進中学とあわせて今年と同じにしたのである。
・ 「試験日」については1次Bと2次試験については「どの日に設定するか」もう一度検討するよう指示した。今年は中学受験で相当勉強した。他の私立中学も相当変化球を投げてきている。塾のご意見などもお聞きして設定するように言ったのである。

・ 27日の高校卒業式の「式次第」が最終完成した。学年主任が頑張ってくれた。挿入、演奏する音楽について最終調整を行った。「雅楽部の演奏とブラスバンド部の生演奏」も当然入る。特に「国歌」についてはCDも流し生徒の肉声を合わせることにもした。本校の卒業式は私の感性で「音楽と共にある形」にしている。
・ 「卒業式の式辞」はほぼ完成しているのだが「どうもまだ長い、長すぎる」。あれもこれもと思うからついつい長くなってしまう。明日どこを削るか決めたいと思う。今年は「全生徒の名前を読み上げる」からそれだけで30分はかかってしまう。長いのは良くない。
・ 千早赤阪村の松本村長に電話して「正式に多聞尚学館の名誉館長」をお願いした。勿論無給であるが、今後とも千早赤阪村とは仲良くやっていきたいし、微力ながら我々も千早赤阪村を応援して参りたい。良い考えだと思うのである。どうして早く気が付かなかったのだろう。

2010年2月23日火曜日

2月23日(火)就業規則と職員代表











・ 「就業規則の変更の義務」が生じている。「労働基準法第89条、90条、92条」には「就業規則の作成・届出・変更」について明確に規定している。すでにこのブログでも記述しているが「平成22年の改正労働基準法」を受けて時間外労働時間が月間60時間を超え場合は割増賃金を50%とするように規則を変更しなければならない。
・ その他有給休暇の取り扱いで「時間単位」の認定など労働条件が大きく変わる事態が私立学校に起きているのである。常時10人以上の労働者を使用する事業場では「労働者の過半数で組織する労働組合がある場合はその労働組合と過半数で組織する労働組合がない場合は労働者を代表する者」の「意見書」を添えて所轄の労働基準監督署に届けなければならない。
・ ちなみに就業規則に記載すべき事項は「必ず記載しなければならない事項(絶対的必要記載事項)」と「定めをする場合」に記載すべき事項、使用者が任意に記載し得る「任意記載事項」がある。今回のものは「絶対的必要記載事項」である。すなわち、労働時間関係、賃金関係、退職関係の三つがそれに相当するがまさしくその部分である。

・ ところで「本校には労働組合分会」はあるが正直言っていまや誰が組合員なのかも把握できないような状態で組合教員の氏名も経営側が把握できないような事態である。又構成員も教職員の過半数を占めているとは理解していない。
・ 従って従来から就業規則の改定については「職員代表」を教職員から選んで貰って、代表としてその人に意見書をまとめて貰う様に私は行ってきたのである。出来ればこの職員代表は「組合員」であれば組合の意向も同時に反映できて「好都合」と考えたのである。これは私の「労働組合への尊厳の気持ち」である。
・ ところが現在の職員代表の方がこの4月から「管理職に登用」されることが内定された。今回の案件を含めて3月末までは今の職員代表で行けるがその後を考えた時には「新たな職員代表を選出する必要」がある。管理職ではまずい。
・ 就業規則の改定に伴う意見人と労働組合の団体交渉などの組合役員とは厳密に言えば全く異なるものであるが、少なくとも「労働組合の資格要件」を間接的に壊すものではいけないと考え現在の職員代表にその旨伝達したところ、その人も「次の人にバトンタッチしたい」ということになった。
・ 経営側が職員代表の人選に口を出すことは厳に慎まなければならないが、幸い「最適な後継者が人選できた」みたいで、この人が推薦した教員が次の職員代表に立候補する段取りとなったらしい。
・ 「出来レース」などとくちさがない連中は言うかも知れないから、私は複数の立候補もありうるべしと事務長と現職員代表に「立候補受付」の段取りをアドバイスしたのである。
・ その結果は所定の受付期間が過ぎても他の立候補者が出ず、一人の立候補者の「信任投票」と成ったのである。勿論私は「無記名投票」とするようにアドバイスした。過日その結果が職員会議で発表されたが、有効投票総数に対して92%の「信任率」であり、私としては今後労働条件改善を進めていく「パートナーとして大歓迎の意」をその席上において申し述べたのである。

・ 一時期、私のことを「組合嫌い」「組合つぶしの木村」とか何とか、陰口があると聞いたことはあるが、全くそのような「時代錯誤の考え」を有するほど私は愚かではない。労働組合の意義など分かっているし長い企業時代も管理職になる前、私は連合参加の「鉄鋼労連の組合員」であった。労働組合の恩恵にあずかってきた一人である。
・ ただ労働組合の威光を借りて「傍若無人」に振る舞い、なんら勉強せず「労働組合の趣旨から逸脱して政治的イデオロギー的活動」などを学校の勤務時間内や生徒の目に触れるところで行うことは断固として「許さない」というだけである。
・ 私は「見て見ぬふりをする」ことはしない。あくまで「法令順守」「法廷での判決基準」などをベースに「学校内の治安」を守るのが私の仕事と思ってやっているのである。本校は私立学校であり教育公務員ではないが、「公費支援を受けている学校」として「公教育」を担っているから経営者として法令知識は絶対的に重要である。
・ 一民間企業準拠として特に重要な3法「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」は言うに及ばず「労働安全衛生法」「労働者災害保険法」「男女雇用機会均等法」「育児介護休業法」「高齢者雇用安定法」「パートタイム労働法」などが主体である。特に「教育小六法」は大変便利であり、私の「座右の書」である。
・ これらから法律根拠を指し示し、従業員(教職員)に「今出来ることと出来ないこと」「将来ビジョン」を明確に指し示すことが経営者の責任である。この3年間私はただこのことに「全神経を注いでやってきた」つもりである。
・ その結果が「今の浪速の姿」に繋がっているのである。少なくとも「来た道」が間違っていたら現在の浪速の状況にはなっていない。間違いなくそれは「私の存在とリーダーシップ」からもたらされたものである。
・ 何時も名誉理事長や理事長職務代理が言っておられるのであるが「ぎりぎりのタイミング」で「神様や浪速の諸先輩が木村を呼んだ」と。しかし私は声を大にして「現在の浪速を勝ち得た大きな力は教職員にある」と言いたいのである。
・ 細かいことは色々とあったが労働組合も休眠状態とし、「ここは一つ木村に乗ってみよう」と判断し協力してくれたのであろう。教職員の協力でほとんどの「新しい企画が日の目を見た」のである。「結実」したのである。
・ ただ一つ「朝読書持ち時間減要望事件」を除いては。あれを認めたらその後の学校改革や教育改革、新武道館や堺の校外グラウンド、新校舎建設などあり得なかっただろう。積み重ねた改革の努力が「一瞬にして崩壊」したと思う。あそこは私にとって「勝負の時」だったのである。
・それも分別を期待したいベテラン教員が「雁首揃えて」言ってきたときにはさすがに「切れた」のである。それまで如何に私が学校の現状を説明してきたことか。それが全く分かっていなかったのである。私は腰を抜かすほど「驚いた」のである。これはまだまだ時間がかかると。「個人を責めているのではなく、状況を責めている」。
・ 人は私のことを「しつこい」というかも知れないが「あっさり」して「そうか、そうか、それで良い」などのさも大物ぶった物言いで船を沈没させる訳にはいかない。「危険性を徹底的に排除」するのが「トップの責任」である。
・ どの企業でも組織でもトップほど「しつこい人間、こだわり人間、執着人間である」というのが私の観察である。22年度から3年間、平成25年までの3年間が「21世紀の浪速を決める3年間」となろう。私は危険分子は排除して戦うつもりである。そして「新校舎建設の絵を描きたい」のである。

2010年2月22日月曜日

2月22日(月)専任教諭採用内示







・ 高校3年生の「卒業アルバム」が完成して一冊を担当の先生が持ってきてくれた。これは私にとっては「本校で3冊目のアルバム」である。冒頭写真が載るのであるが毎年毎年背景を変えて上半身の姿を出入りの写真館さんが撮ってくれるものである。3年前と比較してみたが「頭が相当白く」なっている。漢詩にある「白頭を掻けば更に短く」という感じだ。

・ 管理職朝会で最終的な確認をして午前中に「人事の内示」を行った。そして午後からの「校務運営委員会でオープン」にしたのである。この4月1日に本校の専任教諭に採用したい先生を一人づつ部屋にお呼びして、まず私の方から「ご意向を確認した」のである。
・ 偉そうに「専任にしてやる」などとは絶対に言わない。それほど愚かではない。「この4月1日付けで先生を専任教諭として採用したいのですが、お受け頂けますか」と言う「切り出し」である。
・ 常勤講師の先生方の中には「故郷に帰って公立学校の採用試験を受けたい」とか「実家から通いたいので出来れば自宅に近い私立学校を諦めずに探したい」とか、「どうしても自分の専門である教科を教えたいから」とか、人それぞれに様々な理由があるのである。
・ そのようなご意向のある先生を専任に採用して1年や、2年で「バイバイ」となったら、他の常勤講師の先生方に申し訳ないではないかと私は考えるのである。ただこのような時代だから先行き何があるかも分からず、それほど「神経質になる必要はない」という意見もあるだろう。
・ とにかく本日「8名の常勤講師の先生を専任教諭に採用することを内定」した。今後は「理事会面接」など手順が残っているが、素晴しい先生を採用できそうで「嬉しい日」となったのである。
・ しかし正直言って「悩みに悩んだ」ことは間違いない。今年は「粒が揃っている」のである。専任採用人事については人事担当の「副校長の意見具申」を受けて最終的には「理事長の専管事項」として決定するのが本学校法人のやり方である。
・ 基本的には65歳の定年まで採用するわけだから「学校法人としても若い先生方へ大きな責任を有する」ことになる。人生を誤らせるわけにはいかない。又逆に言えば私立学校ゆえに「教員こそ財産」と考えれば学校としても「いい加減な採用人事は出来ない」ということである。
・ 今年は例年よりも多く採用することとした。「常勤講師の8名をいれて合計9名」の先生であるが、内1名は「現在公立高校の正教諭」を務めておられる。どうしても私のところで仕事をしたいとその公立高校を1年で「スパッ」と退職して本校に奉職してくれるという25歳の理科の先生である。
・ 国立大学を卒業し、「難関の公務員試験」を受かって、そこを1年で退職してまで本校に来たいというその心意気を買ったのであるが、是非「縦横無尽の活躍を期待」したいものである。2年前も和歌山の公立採用試験を合格したがそこを蹴って本校に来たいと望んだ先生も直ぐ専任に採用した経緯がある。まあ言葉は悪いが「ばくち」みたいなものだ。理事長面談は2回もしたがそれ以外は全く知らないのだから。
・ 他の8名は現在本校で勤務いただいている常勤講師の先生の中から選ばせて頂いた。採用に当たってまず能力人物は当然として「各教科のバランス」を考えたのである。「国語、英語、社会、情報、数学、体育、理科で各1名」の先生である。それで7名である。
・ 後1名は国語とした。現在国語科の専任教諭は多くはいないのに年度末で一人は管理職昇進、一人は非常勤講師となることが既に決まっており、国語科の体制では「入試問題の作成」など支障が出てはならないので国語だけは2名としたのである。
・ 「男女別で言えば男性が5名、女性が4名」で結果としてバランスが取れている。最高齢は37歳、最年少は25歳が3名である。他はこの範囲にあるが大体30歳前後が多い。
・ 本校での勤務年数で言えば1名を除いて大体2年の常勤講師経験であるが一人は非常勤が1年あり3年勤務という人もいる。副校長が常々言われているが「2年や3年で専任に採用される学校など日本全国、そんなにはありませんよ」ではないが、私としては今の専任比率は低いと考えているから今回は例年の倍増としたのである。
・ 残念ながら今回採用できなかった常勤講師の先生方が駄目というのでない。「総合的な判断」でこのような結果になった訳で、「人事は結果のみが全てを語る」というように過程やプロセスを論じても「せん無い」のである。
・ 既に来年度の「常勤講師契約」を交わしているから、どうか22年度も従来どおり頑張って頂きたいと思っている。既に連絡しているように22年度採用の常勤講師から「退職金は支払わない」としており、現在勤務いただいている常勤講師の先生には「移行措置」として22年度までの退職金は支払うが23年度以降は支払わないこととしている。
・ すでに何回も職員会議で説明してきたが「1年契約の期間雇用」に退職金を支払うことは現在の本校の体力や社会の趨勢には馴染まないとの判断であり、22年度の常勤講師の先生は1年後大きな判断をする時期が来るものと考えて良いのではないだろうか。
・ 年度末までにご結婚で2名、公立採用で1名など現在の常勤講師の名から「9名の先生が退職」される。その代わりに新たに「17名もの常勤講師が4月には着任」される。この結果、「専任教諭が53名、常勤講師が41名、非常勤講師が16名の110名の教師集団」となる。まだまだ専任比率が低い。
・ 前提となるクラス数は「3月24日の公立高校合格発表」まで分からないが新入学生は「高校クラス数で13クラス、中学は確定で3クラスであり、全学年で50クラス」という大部隊、大舞台となる。養護教諭は以上とは別に2名の採用が決まっており、家庭科も常勤講師の2名体制である。
・ 浪速の目指してるのは一言で言えば「少数精鋭の仕事師教師集団」であることである。教師が多いから良い学校ではない。良い先生がいることがまず良い学校の条件である。私は今日の内示でも「君に21世紀の浪速を託したい。立派な先生となって頑張って欲しい。」と申し上げたのである。
・ これで身分が安定する。あらゆる面で教師という仕事に専念出来る筈である。「生徒のためにこの道一直線で頑張って欲しい。」「そして教師という素晴しい仕事を通じて自己実現を図って欲しい」と申し上げたのである。男性も女性も目を充血したり、涙を浮かべて「頑張る」と言ってくれた。
・ 今日内示した9名の若獅子は平成22年度同期として連帯感を深め、「明るく、楽しく、仲良く」頑張って欲しいのである。専任に採用されなかった先生方も「来年のチャンスを狙って」頑張って欲しい。「期中採用」も考えている。
・そしてこの1年を振り返ってみることである。1年目は評判が良いが2年目はさっぱりとか、礼儀マナーがなっていないとか、髪型、服装が悪いとか、学校方針を全く理解出来ず、クラブばっかり優先させているとか、様々な話が私の耳に入ってくる。
・本日内示を受けた先生も「教師馬鹿」といわれないようにしなければならない。そのためには「陰日なたなく、謙虚に誠実」に、普段から「自己を鍛える余程の努力」が必要である。 「 気配り心配り」が出来なくては良い教師にはなれないだろう。「社会人として」「組織人として」普通のことが普通に出来るということではないか。まず「社会常識が判断できる人間」でなければ教師を続けられるようなことにはならないだろう。何時かは挫折する。そういう例を嫌と言うほど私は見てきた。

2010年2月21日日曜日

2月21日(日)堺市の校外グラウンドとゴルフ場







・ 昨日のブログで「新武道館お茶室」のことについて書いた。これでお茶室問題は「すっきり」した。後は堺市の「校外グラウンド」である。こちらのほうもいささか「やっかい」な問題があってほぼ毎日私は現場に脚を運んでいるのである。
・ やっかいな問題と言っても「もめている」と言うことではなくて「今後の対応」としてである。全般的には堺に求めた校外グラウンドは「順調すぎるくらい順調」に行っており、一重に関係者のおかげである。
・ あれだけ広い土地となると「開発行為」とか「市街化調整区域」だから建築物は駄目とか法的な規制が山ほどあって「本当に行政の壁」は高くて大変なのであるが、堺市当局のご懇篤なるアドバイスなどを得て今まで順調に来ているのである。
・ ただ一点将来起こりうる可能性として私が心配しているのは「野球部員が打ったボールがネットを飛び越えて」、周辺にご迷惑をかけないかどうかただそれだけなのである。ところがどうもその心配が出てきたのである。
・ 何回も書いて来たがこの校外グラウンド周辺には「民家は全くなくて」、ゴルフ場があるだけなのである。後はボールの行く方向とは全く逆の向きに「牛小屋」があるだけである。それも遠めにしか見えない。
・ 問題はこのゴルフ場である。隣地がゴルフ場でまさしく「ライト方向には全面パノラマのようにゴルフ場が広がる」のである。ホームベースからライトは90メートルである。現状は高さ1メートルのフェンスで仕切られている。
・ グラウンドの位置の高さとゴルフコースの海抜位置とは20メートルは違うくらい本校のグラウンドは高台にあり、又右翼から眼下には何とコースのスタート地点があるのである。ここに選手の打ったボールが「ぽんぽん」飛び出したら大変なことになる。
・ 私は担当の事務長補佐にゴルフ場の支配人にご挨拶に行かせたところ、やはり先方も同じような心配をされており、加えて「うちのお客さんには色々な人がいますからね」まで言われたそうである。
・ 我々は当然「防球ネット」については専門家の意見を入れて設計しているのであるが、私はそれでも「心配」になって来たのである。スタートラインで待っているおじさんの頭にボールが「コチン」と当たったらどうしようかと。
・ ゴルフ場行き帰りの「白いベンツのボンネットやルーフ」に当たってへこんだらどうしようかと心配し、対策を考えるのが私の仕事である。私は間髪入れずに「防球ネットの高さ位置の入れ替え」を指示したのである。
・ ポール高さは14メートルと20メートルの2種類あって高い20メートルのほうを「ライト側」に集中してネットを越えないように位置変更を考えたのである。既に基礎管などは手配しており土質の問題から200万円程度余分の費用がかかるが「やむなし」と判断した。
・ そして本年4月からこの校外グランド担当となるI先生と野球部員3人を呼んで実際に「ホームベース」から硬式ボールを打たせてみたのである。この実験はI先生のアイデアであったが本当に「やって良かった」と思う。
・ 昨日は風が強くライト方面に「ビュウビュウ」吹く絶好の実験日となった。元々「浜風」というらしいのだが「泉大津」方面から吹き上げるように風が舞い上がり、ボールを浮かして運んでいくのである。
・ 15球打たせたが良い当たりで防球ネットの3メートルまで軽く届き、特に良い当たりは10メートル程度であった。これでは「14メートルポール」では外へ飛び出だしていく可能性が出てくる。
・ 実際問題、土手を転がり落ちたボールはころころと転がってコースの芝生の上に軽く行くのである。傾斜面を転がって簡単にゴルフ場に行くのである。この実験の効果は大変大きかったのである。
・ 実験に立ちあった誰もが「20メートルポール」の必要性を痛感したのである。私は指示の正しかったことが証明されて一安心したのである。しかしこれだけはまだ安心できない。
・ 選手の打ったボールが外へ飛び出し器物損壊や人的被害を出した場合の「保険」について検討するよう昨日改めて指示を出したのである。これは重要なことである。日本も徐々に欧米のようになっており、即「損害賠償」の時代になってきている。
・ 「どうもすいません、生徒のやったことですから、なんとか許してください」は通用しない時代である。最適な保険があるのではないか。工事は突貫で行われており、今は「土地の表面均しの最終段階」で3月中旬からはポールが立って行くことになる。58本のポールだから出来たら「壮観」だと思う。
・ 4月に入ればグラウンドとして「使用することは可能」であるが、「トイレ」も無いようではどうしようもないし「更衣室」も必要である。この1、2週間のうちに図面を作って「どのような部室兼道具入れ」などを作るか考えねばならない。
・ 決めていることはタイル張りの立派な建物は作らないと言うことである。あくまで市街化調整区域内にある「付属物」としての建物で私は「プレハブの小屋程度」のものと考えている。行政の指導もそうであった。
・ 私が住金時代に鋼材を入れていた「ナガワのスーパーハウス」みたいなもので、それも「中古品」で良い。「贅沢」なことなどとんでもないと担当には厳命しているのである。「安い中古品を探せ」と。
・ しかし楽しみになってきた。「武道館」といい、この「校外グラウンド」と言い、わずか3年で実現できるとは夢にも思わなかった。既に「多聞尚学館」は活躍中であり、平成22年度もこれらの「教育ツール」を使って「文武両道の学校作り」を邁進していきたい。
・ 今週月曜からから高校2年生は1週間早い「期末試験」が始まる。「新型インフルエンザ」で延びに延びた修学旅行が3月1日に「北海道、東京、石垣島と3方面」に分かれてそれぞれ200人の部隊が出発するためそのようにしたのである。私は石垣島、西表島方面のグループに参加する予定である。

2010年2月20日土曜日

2月20日(土)武道館のお茶室
















・ 新武道館の和室「大広間」の使用主体は「教職員の雅楽団と生徒の雅楽クラブで形が付く」が、私はこれだけではまだ足りないと考えている。「巷間」言われていることであるが、何かの「箱物」を作った当座は興味関心があって「賑わう」が、少し経てば「誰も行かない」「閑古鳥が鳴いている」などという光景は日常茶飯事である。
・ 私はこれを「忌み嫌う」。高い投資である。回収しなければならない。無理やりでも「使って貰う」ことを考えるのである。「多聞尚学館」もそうだった。最初から「使うように、使わざるを得ないように仕組みを作る」のが私の責任である。
・ この私の方針を受けて初代の館長である副校長と教務部が「年間使用計画」を立てて「強制力」を発揮してくれたから「多聞尚学館は生きた」のである。キーワードは「週末スペシャル」であった。
・ 今朝の朝会でも副校長が言うには「某中学校でも本校の多聞が評判」になっており関心があるとの事であった。このブログでも「多聞、多聞・・・」と書きまくってきたが開館1年を待たずして今や大阪でも本校の「多聞尚学館週末スペシャル」は名を馳せてきたのである。私はこうなることを念願してきた。
・ 次なるテーマは「新武道館」である。使用頻度に関して言えばまず「武道場」は問題はない。使うなと言っても部員は毎日毎日、年がら年中使うだろう、それに「新学習指導要領」から中学の女生徒も武道が必修となっている。
・ 「空手道場、柔道場」「剣道場」「弓道場」の武道4部は高校生にはもったいないくらいの武道場が完成する。今から「生徒の喜ぶ顔が見える」ようである。神社神道の学校であるから今後とも「武道を奨励」していきたい。
・ それで今私の頭にあるのは大広間に作る「お茶室」である。前述した「雅楽部の歌舞練場」だけでは満足できないので「お茶室」を作ることにしたのである。まだ学校には「茶道部」はないのにどうしてもお茶室は欲しかったのである。
・ 私は再来年には「茶道部を作る」ことは既に決めている。共学校や女子校で茶道部の無い学校の方が珍しいのではないか。すなわち「新武道館」が完成した暁には大々的に宣伝して生徒の茶道部員を集めるのである。
・ 実は「茶の湯と惟神の道」とは極めて密接な関係性がある「日本文化の中心をなす」ものある。神社新報1月25日号には裏千家前家元で今は「千玄室大宗匠」と皇學館大學前理事長で鎮西大社諏訪神社の名誉宮司である上杉千郷先生との素晴らしい対談が紙面全て使っての記事がある。
・ これを読めば「神社神道と茶道の関係」がすべて分かるのである。私はつくづくと「お茶室」を作るようにして良かったと思うのである。だから剣道、弓道、空手道、雅楽、茶道の集約された「浪速武道館は本校教育の精神性のへそ」なのである。良い物を作らねばならない。
・ 又私は本校の教職員が仕事の後や休憩に一こまに、この茶室に集まって「一服のお茶」を喫したら「良い仕事が出来る」のではないかと思うのである。まさに「喫茶去」である。
・ この話を職務代理にお話したら「大賛成」と言って頂いた。宮司は別に茶道を学ばなくとも「お呼ばれ」でお席にお招きしたら良いと言われていた。多忙で追われまくっている先生に「素晴らしいお茶人が季節のお菓子と一服の抹茶を点ててお呼び」したら先生方も「ホット一息」ゆとりが生まれて「頑張ろう」と気分転換になるのではないか。私は良いことを思いついたと今「ほくそ笑んで」いるのである。
・ 大体理事長職務代理は私に言わせれば「大変立派なお茶人」であり、「数寄者」である。お母上は有名な表千家のお師匠であり、「ご社中」の勢いもある。大阪で知らない人はいないくらいである。一度お道具も拝見させていただいたが、それこそ「お宝」ばかりであった。
・ そのような訳で茶室の設計監修は理事長職務代理にお願いしているが、着々と進んでおり職務代理は大学教授で数寄者である有名な生形貴重先生にもご相談されているとのことであった。生形先生は関大の高槻新校舎の茶室設計もなされた茶室にはご造詣の深い先生である。
・ 生形先生から頂いたお手紙には何と日本で茶室設計の第一人者である京都工芸繊維大学の名誉教授で京都伝統建築技術協会の理事長である中村昌生先生にまでお話が上がっておりいまや本校の茶室は「斯界のトップレベルの達人での話し」にまで上がっているのである。ちょっと私はびっくりしているのである。「思わぬ大きな展開」にいささかおののいていると言う感じか。
・ 中村先生の「茶室の集成」は大変立派な書物で有名である。日本全国ちょっとしたお茶室で先生の息のかかっていないものはないのではないだろうかという具合である。最近では「静岡市の駿府公園の茶室 雲海・静月庵」が広間の茶室として有名である。本校の新武道館のイメージと大変良く似合っているのである。
・ 「静月庵」では本格の茶事をもとより、「大寄せの茶会」や又「句会」「邦楽」なども多目的に利用しうるもので私が新武道館で狙っている「外部開放」にヒントを与えてくれる。
・ さて「お茶室名」であるがこれは理事長職務代理にも検討をお願いしている。和室全体を「○○庵」とするのだが是非良いお名前をお考え頂きたい。昨日のお話では「洗心庵」が候補の一つとして上がってきているとのことであったが、まだ時間はたっぷりあるのでもっともっと考えて下さいと申し上げたのである。
・ 手前2室が雅楽部の練習場、奥2室が茶道練習場で「合計4室の48畳の大広間」は広縁に繋がって「飛び石」と砂と石との「石庭」となっており「障子、ふすま」に囲まれた「和の空間」は生徒・教職員に「本校教育方針の精神性」を深く漂わせるものとなるだろう。
・ その新武道館は4月、遂に工事が始まることになる。楽しみで、楽しみで仕方がない。昨日某銀行の支店長を呼んで「資金繰り」の相談をした。手元資金とあわせて全く問題はない。しかしそれにしても私は「新しもの好き」であることは間違いない。

2010年2月19日金曜日

2月19日(金)次のビッグイベントは卒業式




・ 朝会で事務長から「理事長は本当に元気ですね」と言われた。自分でも思うが元気者であることは間違いない。ただ昔に比べると「体力が落ちている」ことも間違いないのだ。体の方は「節々が痛むが大したことではない。」快調であるがまだいささか「鼻水」が多い。
・ 昨日の「生駒山登山」で今週の大きな行事は終了した。「体力勝負」の週であった。二つの登山に挟まれていたが「17日には高校1.5次入試」があって昨年に比べて大幅な受験者数増があったのである。これも全コースに門戸を開いた結果である。
・ 昨日我々が山に登っている時に「合格発表」を行い、専願者の入学手続きが無事済んだと夕方電車の中で難波に向かう途中に教頭先生から電話があった。それで今朝の朝会では事務長から「全ての専願合格者の入学金納付が完了」したと報告があったのである。
・ 本校には「特待生制度」というのがあって併願合格者で入学金、授業料免除の成績基準に達した受験生にその旨を連絡し「併願から専願に転科できる機会」を与えるようにしている。
・ 結果的に複数名が併願から専願に回り専願合格者が増えたのである。これで「一切合財の高校入試業務が完了」した。後は公立高校の合格者発表日の3月23日(火)まで我々の手を離れることになる。今後のことは人智を超えたところにある。
・ 高校教務部、入試広報室そして全教職員「ご苦労様でした」。これでゆっくり出来ると思いきや、しかしそう簡単に学校は暇にならず「次のビッグイベントの卒業式」が近づいて来ているのである。「高校は2月27日(土)、中学は3月13日(土)」である。
・ なんのかんの言っても学校において「最大最重要な行事は卒業式」であり、3年間学んだ生徒たちの旅立ちを祝い今後の健闘を祝すと言う意味からも「学校は誠意を尽くして卒業式を挙行」する。
・ 卒業式のセンターは「学年主任」である。3年間学年を維持し発展させてきた学年主任の晴れ舞台という見方も出来る。卒業判定会議でほっと一息入れて卒業式が山場となる。当然学年主任に加えて担任の先生のポジションも重要である。

・ 今年の最大の変更点は「生徒の名前を全員読み上げる」としたことであった。本校では前から名列の一番と最終順番だけを読み上げ「以上総代」と言っていただけであったが前から「何とか全生徒の名前を読みあげて欲しい」と保護者から強力な依頼があったのである。
・ 「請願」に近いかも知れない。代表者のみ読み上げて残りの生徒は教室に戻って担任から読み上げていたのだが「やはり式場において」という保護者のお気持ちは分かるので思い切って「ご要望に応える」こととしたのである。
・ しかし450名を超える生徒の名前を読み上げるのだから、「卒業式の総計時間を短縮する工夫も必要」である。例年体育館は冷え切って凍えるようなものだから、祝辞を合理化することとした。
・ まず財団法人大阪国学院理事長であり大阪府神社庁庁長のご挨拶はカットすることでご了解を頂き、PTA会長、同窓会長にも「祝辞」を述べる時間を短くして頂く様お願いしたのである。
・ 今年は「千早赤阪村の松本村長先生」がご臨席いただけるという嬉しいニュースがあるのだが「金城花を添える」だけで、ご祝辞はご遠慮させて頂いた。ただし生徒保護者には丁寧にご紹介申し上げるつもりである。
・ 卒業式で最重要なものは「校長の式辞」であり、大学などでは新聞記事になったりする位重要なものであるが、それ以外は言ってみれば「お祝いの言葉」で「本日はおめでとうございます」で済む話なのである。
・ ところが中には「校長式辞」の向こうを張って「教訓めいた」話を長々としゃべるお方もいたりするから何時も私は注意を喚起申し上げているのである。大体来賓のご挨拶が生徒の記憶に残るかと言ったら甚だ心もとないのである。
・ 中学校の卒業式は今年から新館のピロティから体育館(講堂)に変わる。これは「画期的」なことである。全ては生徒数が増えて「一人前の卒業式」となるのである。私は極めて嬉しい。中学校の先生方も同じお気持ちだとうと思う。
・ 従って在校生も全員出席できるスペースが取れるしさぞかしゆったりとした立派な卒業式が出来ると思う。面白いことに中学校の卒業式はPTA会長とか同窓会長とかの挨拶がないのである。どうしてか理由は知らない。
・ 私は今「校長式辞の中身」を頭の中で「推敲」しているところである。パソコンで打ち出すためにまず頭の中で焦点を定めつつあるのである。私にと言って校長としては「8回目の式辞」になる。大きな数値である。一部のオーナー系私立高校の校長を除けば普通は8回もやらない。
・ 名誉な事だと思い、確かに何かを生徒に伝えるべく準備に入っている。前の学校でも教員から「式辞良かったですよ」と言われた時には嬉しかったものだ。とにかく「斎戒沐浴」して文章を練らねばならない。最も私の場合幾ら作っておいてもその場で変わっていくのだが・・・。
・ 着るものは「礼装の黒紋付にするかモーニングにするか」まだ決めかねている。昨年は着物にした。それは理事長職務代理から「神社神道の学校」だから「古式床しく、紋付羽織袴もありますね」とアドバイスされたからなのである。
・ 丁度持っていたから着物にしたのだが実は式が終わった後、校長は飛び回る仕事があって着替えるのに難儀するのである。洋服みたいにその辺に脱ぎ捨てるということが出来ないため「ウーン、どうしようか」と思案中なのである。もっとも中学校にはモーニングで良いと思っている。
・ 明治大正昭和の戦争前までは日本の学校の卒業式の校長は大体が「紋付羽織袴」であった。モーニングなどまだ時代的には新しいものである。まあ着るものなどはどうでも良いから「しっかりとした式辞」を今年も生徒に語らねばならない。気を引き締めているのである。
・ このようなことを考えていたら理事長職務代理が学校に見えられ、様々な打ち合わせであったのだが、お帰りになる前に昨日のブログその2の「弁当」で「ゆで卵2個は多い」と言われてしまった。普通2個くらいは食べると思うがなー。
・ 「悪玉コレステロール」そのものだと言われるのである。職務代理は決して「卵の黄身」はお食べにならないという。あんなに安くて栄養価の高いものを食べないなんて信じられない。しかし取り合えずアドバイスもあり今度からゆで卵は1個にしようと思ったのである。

2010年2月18日木曜日

2月18日(木)生駒山登山その2






















・ しかし本校の生徒は「良い生徒」ばかりである。枚岡駅から難波までの近鉄電車の中で据わっている生徒は皆「賢そう」で「」がある。隣の席の副校長先生は「先生、本当に良い生徒ばかりですね」としみじみと言われる。
・ まったくその通りだと思う。仕事柄電車の中などで他校の制服を着た高校生を見かけ、観察するが「贔屓目」ではなくていわゆる「本校の生徒は良い生徒」だと実感するのである。勿論いささかやんちゃな男子や、「ウーン」と思わないでもない女子生徒が居ないわけではないがそれでも基本的には「良い子」という感じがする。
・ 今日もずっと生徒の後を付いてきた最後尾の教員が、「通り道に空のペットボトル一本落ちていませんでした」と喜んで言われていた。勿論今日の生徒は私服であったが、高校生は「姿かたち」だけでは判断できないのである。
・ 自衛隊の穿くような「迷彩服のズボン」を穿いた生徒が教員から「学校では目立たないに今日は目立つな、山の中に入ってみろ」と言ったらその生徒は本当に林の中に入って言ったのである。
・ 「分からん、見えんようになった、お前、防衛大学に行け」と先生が叫んでいたがその生徒は林の中で「ポーズ」を取って「乗っている」のである。面白い光景であった。そうかと思えば女生徒に取り囲まれている人気抜群の常勤講師の先生がいたのである。
・ 余りにも声援があるので「そんなにあの先生良いの?」と私が聞くと「教え方は上手いし、優しいし、面白いし、それでいて言うときは言われる」と120%の回答が帰って来たのである。「少し出来すぎ?」という感じだったが、「生徒が一番教員を観察」していることは間違いない。これは言える。

・ 最近のブログで「高校3年生の授業料の滞納や未納がない」と書いたが、この辺にも家庭の教育というか「保護者の姿勢」みたいなものが感じられるのである。家庭が几帳面でしっかりとしていたら生徒は良いか、良くなる。「家庭教育は学校教育以上に重要」であることは間違いない。
・ それだけに私は「責任を痛感」するのだ。いい加減な教育展開であったら積極的に授業料を払おうかという気にはならないだろう。「教員に厳しい」といくら言われても私は教員のために学校を経営しているのではない。「すべて生徒と保護者のため」である。
・ 授業料を払ってくれている保護者の期待に応えて頑張っておるのであり、教職員にはその中から私が「給与を支払っている」のである。この3年間、この真に持って基本的な、原則的な、「普遍の真理」を「否というほど教員は理解」したのではないか。
・ 着任当初、私はこの私立学校の教員は何か「誤解」されているのではないかと私は思ったものだった。「学校は自分たちのもの」であり、「自分たちで好きなようにやる」ことがまかり通っており、「規則やルール」」などはあっても全く意味を成さず「知って得する権利」とかの資料が堂々と職員室で新任教員に回って来たりしていた。「やらねばならない義務と責任」とかの文言は全く関係ない状態であった。
・ それが3年で徐々に変わって来たと思う。本当に変わったのかと聞かれれば自信は無いが、旧世代や抵抗勢力、守旧派と称される人々は「退職金を上積み」して退場してもらった。そして大学新卒か間もない若い先生の多い集団になりつつあるのである。
・ 本校に奉職してくれている若い先生方は概して「秀」である。人事担当の副校長が自信を持ってそのように断定される。それは今大阪府はもとより日本全国で本校ほど「専任教諭になれる確率の高い」私立学校はないからだと強調される。
・ 私も全くそのように思う。30名以上の常勤講師の先生が現実に居るわけだからこの先生方は専任教諭になれる確率は高いだろうと思う。そして副校長先生はこの4月に入って来られる常勤講師の先生方も「立派なキャリア」ですよと顔をほころばせて言われるのである。競争は当然厳しい。
・ 「良い学校とは良い教員がいる」ところである。「良い校長とは良い教員を育てる、集めることが仕事である」と言っても間違いはない。現在の浪速は良い教員集団になりつつあることは間違いない。この点では私は手綱を緩めることはしない。
・ それにしてもこういう行事において「お母さんが子どもに持たせる弁当を見ることで全てが分かる」ような気がする。私は生徒の弁当を見るたびに「生徒を預かっている責任」を感じるのである。お母さんの愛情120%の弁当なのである。

・ 今朝も早く起きて私は弁当を作った。心に余裕があると「作ろうかな」と思うのである。金剛山の時の弁当も自分で作ったが「山だからあれで十分」とか「もう少し何とか」と様々な感想を頂いたのである。
・ それで今朝は少し「凝った弁当」にチャレンジしたのである。おにぎりは3種とし「おかか、梅干、たらこ」の中身である。それに「青のり、たらこほぐし、ふりかけ磯ごま」を表面に振りかけたのである。
・ おにぎりには白子のりで帯状に巻いて「のりの風味」を期待した。前回は動物蛋白が無かったので今日は脂分の少ない「鶏肉をしょうゆとお砂糖で炒めた」ものを入れた。そして例によって「ゆで卵」2個である。
・ 卵は溶いて卵焼きにする時間がなくなったから手っ取り早くゆで卵にしたのであるが「半熟」であった。それに沢庵3切れと秘書のお姉さんから頂いた「ラッキョウ数個」である。ラッキョウは疲れた体に良いと思ったのである。青のりは国産で香りと口解けが大変良かった。
・ 焼き海苔はお徳用パック30枚入り、おにぎりお餅用で白子のり製である。四万十川のり入りふりかけ磯ごまは「観心寺ご住職」にこの節分で頂いたものである。たらこほぐしはニッスイ製の瓶詰めで、珍味である。梅干はご存知、紀州南高梅ものである。私は生徒の弁当と見比べながら「決して負けていない」と自信を持ったのである。