2008年2月29日金曜日

2月29日(金)業務留め書き

1.名誉理事長、理事長職務代理
・ 一昨日、16時に両先生が久しぶりに来校。当日朝、急遽決まったものだ。大変お忙しいご両氏であるが時間を作って「学校に来て頂く」というのが嬉しい。近況の経営状況をご報告した。「大変喜んで頂き、ご満足のご様子であった。」後は「進学実績」を如何にして上げるかだ。ようやくこのような話が可能となった。
・ そして大阪府神社庁長のお立場で名誉理事長でもある、大阪天満宮宮司は大阪府神社庁が「今後5年間にわたって,毎年○○百万円を浪速に支援する」と私に正式な表明があった。驚いたのは言うまでもない。「これを伝えに来られた」のだ。
・ 「感謝・感激以外言うべき言葉も無く、ただただありがとうございます」と頭を下げた。名誉理事長、理事長職務代理(同庁顧問)からは「学校が頑張っておられるので、ささやかなお礼あり、支援です。有効にお使いください」とのお言葉があった。木村起用は「期待した5倍以上の成果を上げて頂き、何時も使われるお言葉、木村さんを招聘したのは、これは神慮でした。」とまで言われた。これ以上の言葉は無く、恐縮するばかりだ。
・ 使用先は現在のところ「進学対応特別ファンド」として有効に活用したいと考えている。教職員も大変喜んでくれるだろう。会議後、心斎橋のレストランにてイタリアンをご馳走になる。郷ひろみさんがオーナーの超高級レストランだった。機会を見つけ、教職員を連れて行こうと思うが、高価そうだ。
・ 席上様々な話題で盛り上がった。「今年の天神祭りには橋下知事を馬に乗せる話が出ている」とか「タイ国において天神祭りの計画がタイ政府関係者の肝いりで進んでいる」とか、楽しい一夜になった。最近転居したが良い気分で心斎橋筋を歩いて帰れるところが又良かった。
2.イントラネットトラブル
 ・某教員が悪気は無いのだが校内イントラネット上の共用データを削除してしまい、小さな(?)混乱が起きた。たまたまシステム作業中で「データがバックアップされてない」という。
 ・起きたものは仕方がないが今後もありうる話だ。「個人を責めるな、状況を責めよ」で広報情報委員長を呼び再発防止策を指示した。原因は個人メールの蓄蔵があふれ出て「容量オーバーの警告」を受けたものだが、生半可な知識で「サーバー上の共用データを削除」すれば「軽くなる」と思って勝手に削除したもので、このセンスもどうかと思うが、しょげている先生を見ると何も言えない。
 ・しかし笑えない話で「明日は我が身だ。」今後このようなことが起こり得ると考えておいた方が良い。大切なことは、そのときの「リスク管理」だ。
3.卒業式予行
 ・久しぶりに3年生が登校してきて「予行」だ。ちょっと様子を見に行った。「仰げば尊し・・」と歌の練習をしていた。良い雰囲気だった。もう3年生は大人の雰囲気を漂わせている。
 ・私は断続的に体育館を往復し、「式辞の手直し」だ。ついつい長くなってくるが、これでは駄目だ。短く、そしてパンチある式辞を生徒に贈りたいのだがあれもこれもと思うとついつい長くなる。生徒は校長の式辞など覚えてなどいないのだが私の思いは強い。まだ時間は明日朝まである。
4.入学式シミレーション
 ・朝会で報告があった。昨日、副校長、教務部長、生指部長と体育館を事前チェックしたそうだ。とても「新入生とその保護者、会場に入りきりません」というのだ。「なるほど」と合点した。
 ・議論の末、結局4月8日は始業式、中学校の入学式、高校の入学式と三つのパートに分けて実施することにした。お神輿の練りは中止、体育館2階にも保護者は入って頂く、来賓は壇上に上げ会場一杯席を広げるようなことで再調整することとした。
 ・昨年まで、始業式と入学式は別々の日で実施していたが、授業日数を稼ぐため今年から同一日としたのだが、入学生が増えることに伴い、どのように絵を描いても生徒、来賓、教職員、保護者の参列は会場内に入りきらないというのだ。かなり私は粘ったが「無理」というので諦め、上記のように3分割した。
.興国高校へ出張した教員が入る
 ・「校内食堂のやり方」を勉強に2名の教職員が出張してくれた。親切に応対してくれたそうだ。副校長自らご挨拶に出てくれたという。良く存知あげている先生で「ありがたい」と思う。
・ 色々検討してきたが「興国方式」を踏襲することで結論とした。「食堂を改造する。」極力立派なものにしてやりたいが、それほど長い間使うものでもないし、難しいところだ。
6.現在の食堂経営者がご挨拶に入る
 ・本当に長い間「ありがとうございました」「心から感謝いたします」と御礼を申し述べた。来月末で円満撤退されることになった。大きな収益にはならず、ご苦労をおかけしたと思えば申し訳けない。
 ・「感謝状と記念品」を贈るよう手配を事務長に指示。
7.副校長と断続的に
 ・「担任、委員会、入試広報室、分掌他残っている来年度体制の人事」について最終調整。
 ・来週月曜日の校務運営委員会で原案提出、午後開示とする予定とした。勿論「戻り」の数値によってはクラス数が変わるので担任については変更もあり得ることが前提だが。

2008年2月28日木曜日

2月28日(木)担任論

学校文化の変質 共同互助会の崩壊と当事者至上主義の増長 その2「担任論」
1. 担任とは
・ 学校の共同互助会の機能が崩壊し始め、当事者至上主義が増長してくると学校現場に様々な問題が現れてくると昨日のブログに書いた。この特徴的なものは「担任という職位」に対してだ。
・ 教師には「持ち時間」という特殊な義務観念があることは以前の「公式メッセージに論考」としてかなり詳細に論述したが「担任になると持ち時間は1時間減される」。しかし問題はこの1時間減と担任の仕事との両天秤が問題なのである。
・ 40人のクラス全員がある程度の生徒像で揃った場合には教師は教科指導でも生活指導でもやり易い。「共通語でものが言える」からである。ところが、「この私、この僕」と生徒の個性が前面に出てくるようになると単純に「共通語で教える」というだけではすまなくなる。
・ 「髪を染めてはいけません」「ズボンをあげなさい」「スカートが短すぎます」「遅刻はいけません」」「早く教室に入りなさい」「最近元気が無いね、どうしたの」等々様々な局面で生徒に声を出すことが多くなってきているのが現実の学校現場の状況だ。生徒1人1人に言うことを変えねばならない。
・ 更に担任に覆い被さってくるのが「モンスターといわれる保護者」だ。本校の保護者の中にモンスターがいるかいないかはどちらでも良いが、こういうのに一度にらまれると担任は大変である。「うちの子の面倒を見るのは担任の先生の仕事でしょ!」と突っ込んで来られると、担任は弱い。大体教師は「保護者に弱い」のだ。
・ そういう生徒に対応するのが「担任の仕事」であるとされているから、共同互助会が機能しなくなると担任は1人で「多くの問題を抱え込むことになる」一方学校文化的には教師の当事者主義が強くなっているから、「あの生徒の担任は誰?」と担任はますます追い込まれ「早く何とかせねば」となる。誰も助けてくれない孤独と悲哀の中で担任は右往左往となるのだ。
2.逃げる担任
 ・結果として何が「起きるか」といえば「孤独と悲哀」から逃走を図る教師が出てくることに繋がる。「担任こそ、教師の華」、「是非担任をさせてください」という教師は概して「良い教師」であると言って間違いない。私の公立時代の経験でもそのように言える。
・ 「生徒と触れあい」「生徒との成長こそ教師の喜び」という教師は案外多い。こういう教師はどちらかといえば学校の共同互助性を余り高く評価しなくて「自分でやる」という教師が多い。「まどろっこしいことは嫌なのである」。担任当事者至上主義を絵に描いたように実践する。気をつけなければならないのは唯我独尊だ。
・ところが「担任から逃げる教師」が多くなってきているのも現実の姿である。特に課題を抱える学校では「担任は辛い、しんどい仕事」として「出来ればやりたくない」と考えるのである。持ち時間の1時間減などでは「割りに合わない」考えている人たちである。
 ・学校とは結構上手く仕組みを作っている面もあり、「担任、非担任」は個人の自由にはさせないようにしている。これを許せば「担任のなり手がいない」ようなことが出てくるからである。一応「個人の希望は聞く」とはしてはいるが、3年サイクルで卒業生を送り出した後、1年間は非担任で充電をしてその翌年から新1年生の担任というのが代表的なモデルだ。その他多くのモデルがある。進学校では3年生の担任は非常にノウハウが要るから誰彼でも勤まるというものでもない。
 ・ところが本校でも管理職の説得にも応じない「逃げる先生」も存在したらしい。昨年以前のことだ。「10年連続担任です。」という先生もいればここずっと担任をしていない教員もいるのが現実の姿である。私の着任以降、そのようなことは無くなった。「逃げ得」は許さないということだ。
 ・大体専任教諭というのに、常勤講師を担任にして自分は「副担」と称して後ろに控え、指導するなど聞こえは良いが「要は担任をしたくないだけの話だ。」公立高校でも高校で副担を置いているところなど極めて少ない。余程の課題校か困難校だ。「浪速高校で副担などおく必要はない」。今年からやめた。
 ・ところがだ。世の中は上手く行かない。やむを得ず「担任にならされた」教員も「やるしかない」と考えては呉れるのだが、「当事者と考えるエネルギーは小さく」て「多くのことを見逃す」ことになりかねない。1年経って見えてきたのである。「この人はどうも担任に向かないな」と言う点だ。「生徒に申し訳がないと思うような担任がいる」とすれば大きな問題である。
・学校とは面白くて「やらねば、やらないですむ社会」である。言い換えよう。あった。今もある。今後はなくなる。即ち今日教えた英語の力がどれだけ生徒に伝わったか、誰もチェックなどしなし、見ている人もいない。生徒も何も言わない。生産現場みたいに今日は是だけ出来ましたなどの工場長への報告みたいなものは一切ない。
・教室は教科の先生と40人の生徒だけで作る空間であり、担任は自分の専門教科を教えたら、放課後前の終礼で「生徒の様子を見たり、連絡物を渡したり」で終わりとなる。共同互助会の崩壊はそういうクラスを「結果として放任」していることになる。教室で「何が起きているか」担任さえ分からないような事態が出現するのだ。
・担任の資質で「クラス運営」が大きく左右される。そのことは大きくクラス40名の生徒に影響を与える。一人の遅刻の常習者の放置は残り39名の生徒の授業に迷惑を与えている。一人の騒々しい生徒の放置はやる気のある生徒の集中力を妨げる。この1人の生徒に担任は立ち向かっていかねばならなくなってきているのが今日の担任を大きく疲弊させているのだろう。
3.来年度の担任
 ・本校の来年度の体制について、学年主任、科類長、分掌長は内定した。後は「担任」だがこれについて副校長は苦労している。学年主任、科類長とのバランス、経験、男女の比率、専任と常勤講師との割合など多くのマターがあるからだ。
 ・来年度は常勤講師の先生にも担任になって頂かなければならない。本校勤務の長い専任教諭でも「本当に担任が出来るのか」などと原点に戻って評価を見直すことも必要だ。
 ・入試広報室の有力メンバーが入院している。長引きそうだから、新たな人材を投入することも必要だが「適任者」がいるのかいないのか、いるのだが「担任当てはめが優先」される。来年度中学が1クラス、高校で3クラス増で考えているものだから、教師の手配に副校長は走り回っている。
 ・副校長案にまだまだ「OK」を私は出さない。それくらい「担任という職位を重要視」しているからだ。はっきり言って「担任が出来ないような教員」には舞台を降りて貰わねばならない。担任を遂行できないような教師を抱え込んでいるほど本校には余裕がない。

2008年2月27日水曜日

2月27日(水)学校文化の変質

互助会と当事者主義の崩壊と分離
1. 学校社会の互助会的機能
・ 恐らく私の造語になるかも知れないが学校社会は互助会的な雰囲気があった筈である。筈と言ったのは「昔はそれくらい互助会的な雰囲気が強かった」ということである。勿論今でもその香りは相当あるが、それでも昔に比べれば弱くなってきていると私は思う。
・ 互助会とは「先生同士がお互いに助け合って物事に当たる」という姿勢のことである。戦後新しい教育を「民主的教育」と謳い、戦前教育の反省もあり、「皆で案を出し、皆で挙手をして多数決で決めていくというスタイル」のベースが互助会的な形を醸成していった。
・ 当然互助会には「管理職という存在は不要」であるし、あっても希薄になる。「教員が教員の手で決めていく」のだからそこには「管理職を頂点とする組織」という概念はなく、巷間言われているように「学校は鍋蓋社会で教員はフラット、校長は蓋のつまみ」であると見事に表現されているくらいだ。
・ 戦後、長い間学校社会の「教職員組合の組織率」は90%以上という極めて高い組合員構成でこの互助会的組織に組合の主張は見事なまでに合致して一体化していくことになる。現在公立学校の校長先生はその大半が昔組合の闘士という話は珍しいものではない。
・ 言いたいのは今この「互助会が学校社会で崩れつつある」ということである。それは又組合の組織率の低下を裏付けている。逆に組合の加入率の低下が互助会的雰囲気を変えていったということも出来るであろう。
・ 「互助会の崩壊は新たな問題を学校に生み出す」ことになった。それを言及しなければならないので長々とこの話を書いている。
2.当事者主義の一人歩き
 ・一方学校風土には「当事者主義」という概念も強い。「今一番、学校にとって、教育にとって、生徒にとって大切なものは何か」がまず学校の教師が考えることであり、幾分私はこの点に疑問をもたない訳ではないが、一応信じるものとして、この「現状最適主義」が当事者主義を増長させてきたと考える。
 ・典型的なことは「担任至上主義的」なところなのである。あの生徒のことはあの担任しか分からないだろう、あの担任の言うことに間違いはないのだろうということを当事者主義と定義している。
・従って担任の意見は学年の意見となり、最後は学校の意見となってくる。伝統ある学校での学年主任は担任至上主義の取りまとめ役だから、存在感は大きくなって当然であり、時に学校長や教頭は「学年主任に伺いを立てる」といったようなことは見慣れた光景として学校社会にあったのである。「学年主任花形論」の所以である。
3.互助会と当事者主義の分離解体
 ・学校が最高の馬力を出して疾走するのは「互助会と当事者主義が車の両輪」あるいは「車体としての互助会がしっかりと機能して、その上に当事者主義が乗っかかる」時である。互助会機能が崩れたら逆に当事者主義は危険に陥る。
 ・学校文化の互助会機能はまず「組合の教研集会」「職場の飲み会」「職員会議」「ミーティング」「各種委員会」「研修会や宿泊研修会」「修学旅行や運動会などの後の打上げ懇親会」等々特別な連帯作業で醸成され、お互いが刺激を受け、センスを磨いていったのであるが、「昨今の教員は肝心のこれらの行事に参加しなくなった」。
 ・理由は様々であるが「自分の時間を大切にしたい」「プライベートに踏み込まれたくない」「仕事は仕事、個人は個人」と概念が強くはびこり、機能的な会議以外は誰も出席しないようになり、本校の例であるが学校で「最も重要な職員会議」にも「俺は出ない」といったことがまかり通るようになって来るのである。
 ・3年生の学年団は卒業式後、宿泊の旅行会などは大きな学校文化であったが、今や参加者が少なくなって実行されていない。永年勤続者を囲むパーティも年々参加者は少なくなり、問題は「好きか、嫌いかが大きな判断基準」となってきているのである。昔では考えられないようなことが教員社会で起きつつあるのである。
 ・更に言えば「ある教師が自分の担任以外の生徒でも厳しく指導」しようものなら「何故私のクラスの生徒にそのようにするのですか」と来ることになる。だから当事者たる担任に全てを任せて「口は出さない当事者主義」がますますはびこることになる。共同互助会の崩壊である。
 ・もう一つの理由が「生徒の質的変化」である。「生徒はすべて良い子」という前提条件が今日では崩れ始めている。教師から観れば「同じ生徒」が同じでなくなってきた。生徒も「この私、この僕」を前面に出してくるから教師の側に立つとマニュアルは一つでは済まなくなってきているのである。生徒の側の共同性が崩れてくると、いとも簡単に教員の互助会は崩れてきたのである。悪い意味で生徒も教員も「個人主義」が学校の互助会的なもの」を壊したのである。
 ・互助会が崩壊すると当事者主義はいとも簡単に馬脚を現す。全員が見守り、いざという時には助け合うといった学校の互助会が崩れると当事者の言い分がすべて通るというか、チェック機能がなくなり、「すべて当事者のお任せ」となる。ここが今日学校が抱える大きな問題となっていると私は考えているのである。
4.当事者主義は個人先生の力量がそのまま出る
 ・互助機能の崩壊はことに当たる教員の個人的力量に結果が大きく左右される。出来る人は「ああ、邪魔者がいなくなった。1人で思い通りに進められるわ」と言って喜ぶかもしれないが、問題は今まで皆の力を借りて、自分がやったように錯覚していた教員と、共同体的互助会の背に乗って「さぼってばかりいた教員」である。
 ・実は今日の学校改革の問題はこれら「教員資質論」が主体である。互助会がしっかりしていた時代は「教員の資質問題」などは話題にも上がらなかった。ところが今日では「教員免許法まで改正し更新するとか、させない」とか、「人事評価で処遇に差をつける考課制度」が登場したり、「要は駄目教師は教壇に立たせない」と過激なばかりの論調が目立つようになったのは、この「共同互助会の崩壊と当事者主義の増長が背景」にあると私は考えるのである。(今後この論考は続く)

2008年2月26日火曜日

2月26日(火)KY空気の読める人

1.卒業式の校長式辞原案作成
・ 大体私は「何時も頭のどこかで何かを考えている」ような気がする。食事をしている時でも電車の中でも、敢えて言えば寝ている時でもそのように感じる時がある。自宅に帰って陶芸のろくろを回しているときとか、良い映画を鑑賞している時とか、スポーツの観戦に熱中している時とかに、一瞬全てを忘れて没頭することはあるにしても頭のどこかで24時間考えるようになっているように回路が自然に出来ているのかも知れない。
・ だからと言って特段良い考えとかが浮かぶのでなくて、「下手な考え、休むに似たり」で、結局元のままだったり、返って悪い結果を招くようなこともある。そのような訳で「今年の卒業式の式辞」について、ここ1ヶ月の間、「何をしゃべるか」考えたものを文書にした。文章に打ち出したら後は一直線、簡単だ。15分もあれば文書に出来る。後は卒業式の前日まで手直しがあるだけだ。大きく変わることは無い。
・ 私にとって「本校初めての卒業式」、何と言っても「学校における最大最重要の行事」である。1年ブランクがあったがこれで通算5回目の式辞である。毎年少しづつ変えてはいるが「贈る言葉」がそうそう変わるのもおかしい話で、その学年や、最近の社会状況等を考えながら「思いを伝える努力」をする。
・ 神聖にして神妙なものである。斎戒沐浴してつくるような価値あるものと考えている。その昔は「奉書」というもので墨汁を滲ませ、縦書きにして書く慣わしで、今でもこだわる校長先生はそのようにされている。そしてその式辞は何年も学校に残しておくという。私の場合はワープロだ。もうそれで良いと思っている。
・ 校長が何を生徒に訴えるかを「当てる」人はすごい。しかし浪速の教職員なら当てなければならない。ちょっと考えれば絶対に当たるはずだ。職員会議での発言、一斉参拝、朝礼、校長講和、保護向けの話など頭に入れている人は「分かる筈だ。」こういう感覚は組織においては重要だ。今日流に言えば「KY空気の読める人」ということになるのか?
・ 例え当たらなくとも考えることが大切だ。それで校長との距離が近くなる。賛同するとか、反対とかそういうことではない。組織の管理者が何を考え、何を思い、何を伝えようとしているのか、関心を持つことが大切と言っている。
2.空気の読める人
 ・事務室のある職員に次のように言われたことがある。「校長ブログは考えに考えて出されていますね。私は内容もさることながら、出し方とその順番に大変興味があります。」と言ってくれた。この人は勘の良い空気の読める人である。
 ・別に考えに考えて書いているわけではないが、「順番」は結構気にする。社会の出来事にコメントする場合でも「旬な時」はあり、タイミングを外したら訴える力は減殺される。マッチングするとブログの文章も勢いを増す。
 ・当然私も空気を読みながら「ブログ」を書いている。これが大切だ。不特定多数の人、それは社会の人々か、本校の教職員か特定の個人を頭においたものか、区分して、タイミングを図りながら出している。
・私のブログの向け先は圧倒的に「教職員向け」だ。次に保護者向け、そして塾関係者、公立中学校関係者、社会一般の方々と続く。生徒など念頭にはない。しかし生徒からもどうもよく読まれているらしいが。主に教職員に伝えている私のブログの狙いは、「学校の状況を見ながら、そして空気を読みながら教職員に校長の思いを伝えている積りだ」。
 ・昨日のブログは中学校生徒のアンケート結果をまとめた物であるが、頭の中には2月23日以降あったもので、それを昨日、五ッ木の模試と合わせて書いたものだ。良いことと若干耳に痛いことをドッキングして書いて配慮したのだ。
 ・あれは中学校向けだと単純に思う人は空気の読めない人である。「全ての教職員に校長のメッセージを発信している」と考えることの出来る人はすごい。「その通りだ。」「生徒は教師を良く観察しているよ。それは大筋間違ってはいないよ。立ち振る舞いはしっかりしてね」等々を全教職員に私は発信している。
 ・2月20日のブログは「遅刻考」を書いたが数日後早速生指部長が立派なデータを持参して説明に来てくれた。「データの不備」について危惧したら「そんなことはない。ちゃんとある。」と言いたかったのかもしれないが、私がデータを見たのは初めてだった。すかさず用意する生指部長は空気の読める人なのである。
 ・「アクセス数については企業秘密」であるが、昨年スタートした6月からに比べ格段に伸びている。宮崎県の東国原知事のアクセス数は一日10000件というが、役職、規模を考えれば不足は言えないと思っている。毎日あれだけの人が目を通してくれているだけでも有り難いと考えている。
3.ブログ
 ・以上のような訳で何時も考えているから、ブログの内容には事欠かない。それに書く事は嫌いではないから、「すぐ出来る」。苦にならないのだ。少し長すぎるのが良くない。分かっているのだが、夜、時間があるからついつい長く書いてしまう。
・まず教職員向け、教育に関するテーマが原則、(時々逸脱するが、これも空気を読んで偶には息抜きを考えた結果です)、個人名を出さない、生徒の事には触れない、人権感覚等配慮しながら発信している積りです。
 ・理事長、校長なんだから、ブログではなくて「直接メッセージで訴えたら良いのでは?」という声もあろうが、それは「しっかりとやっています。やり過ぎるくらいしています。」これ以上「校長メッセージが次から次と出てくると、教職員も大変だと思ってブログで些かトーンを下げているのです」。表の理事長・校長メッセージは「職務命令」だと考えることも出来るからです。メッセージは強制力を持ちますが「ブログはあくまでブログ」、覚え書きであり、日記です。
・ それに大切なことは学校からの「説明責任」も兼ねています。「透明性を高めて公開することが公的存在では重要なこと」になってきました。「学校は社会の公器であり、重要な装置」です。一般社会に発信することが重要です。私はそれを公式メッセージとブログで実施しているつもりです。
・ 政治家、芸能人、とにかくブログばやりですが中にはどうかなと思うものもあります。衆議院議員の杉村太三先生のブログなど「もう少し何とか?」と思ったりします。昨年の6月1日に始まり、何とか1年間はやり抜くことを決心しています。

2008年2月25日月曜日

2月25日(月)中学校生徒アンケート結果から

浪速中学校生徒アンケート
1. 学力レベル
・ 第3回五ッ木標準テスト(1月実施分)の成績が出揃った。1年生66名、「なんと素晴らしい成績であることか」。「大変良く頑張ってくれている。」共学にして1年目、間違いなく「全体の学力レベルが上がっている」。
・ 申し訳ないが2年生、3年生に比べ開きがある。層も厚い。「偏差値60以上も極めて多い」。「6年後が大変楽しみ」だ。相当な大学進学実績を上げてくれるだろう。今年は3クラス105名と又多くの入学者がある。入試成績で見る限り、これまたレベルが上がっている。「嬉しい」。中学を継続して良かった。
・ 五ッ木模試で言えば教科の課題は「社会」と「国語」だ。教師に発破をかけなければならない。大体漢字ばっかり教えていてどうする。「国語の工夫をしなければならない」。早速国語の先生に電話をして激を飛ばしたところだ。
2.生徒アンケートから
 ・中学1年生と2年生に「生活アンケート」を行い集約したものが回ってきた。「面白い」「笑ってしまった」。実に生徒は「教師というものを良く観察している。」「生徒の見方と校長の見方が一致している」部分は少なくない。勿論まだ幼くて皮相なところがあるが、これはこれで良い。書いていることがすべて正しいとも思っていないから、書かれた先生方も気にしないで頑張って頂きたい。でも少しは気にしてくださいね。
・ 差し支えない部分から1年生を対象にアンケートを観て見ると:
① 朝、自分でおきている生徒28名、いいえ38名。「母親に起こされているのだ。」
② きちんと朝食は  はい57名 いいえ 9名 「食べては来ているのだ。」
③ 弁当は毎日持参? はい31名 時々 35名 「コンビニで購入」
④ 学校は楽しいか  はい45名 普通 18名 楽しくない 3名
  3名の内訳 気の合う友達がいない、先生と会わない、学校は楽しむところではない
⑤ 放課後は    クラブ38名、塾3名、家13名、居残り12名 遊ぶ0名
⑥ 家での自由時間 ゲーム19名、テレビ28名、携帯電話14名、勉強15名
          読書10名、漫画9名、家族9名、その他7名
⑦ 何故浪速中学へ 公立嫌い18名、親から16名、部活動盛ん12名、塾11名
          勉強をガンバリ3名、体験授業2名
⑧ 入学して1年  満足36名、特になし22名、他の私立へ1名、公立へ4名
⑨ クラスでいじめは いいえ61名、はい5名 先生に言いましたか はい4名
⑩ 校則は守ってますか はい16名、守ろうとしている25名、時々破る25名
この1年で友達や先生言われて「嬉しかった言葉」は
頑張ってるな、良く出来たな、もうちょっとだな、一緒に頑張ろう、うまくなったね、信頼してるよ、何時も元気だな、真面目に取り組んでるね、ありがとな、面白いね、きれいにノートかいてるな、成績があがったね、賢いね、明るいね、背が伸びたな、特に無い。
反対に嫌いだった言葉は?
 弱いなー、容姿について言われた、反抗期やな、信用できん、無視された、もっと注意深く行動しなさい、からかいの言葉、お前はいらんわ、バカ、調子にのるな、頭悪いな、もう少し頑張れよ、おもろないな、特に無い。
⑬ 貴方の「理想の人物像」は?
 たくさんありましたが中に「校長先生」というものもありました。その他はあえて省略します。
 まだまだ続きます。これからが「面白い」のです。
K先生の良いところ
 実は優しい、几帳面、授業が分かり易い、面白い、勉強をきちんと教えてくれる、真面目、何時も熱心、厳しい、色々な話をしてくれる、きちんと叱ってくれる、チャンスをくれる、生徒を大事にしている、ユーモアがある、礼儀を大切にする、元気、物識り、頑張ったら褒めてくれる、ノリが良い、雑談が面白い
K先生に変えて欲しいところは
 厳しすぎる、香水の香りが強い、テストの問題数の減少、良く分からない、変な話をする、親父ギャグが寒い、きれいな字を書いて欲しい、勘違いで怒られる、ペナルティ、授業が難しい、雑談が長い、怖い、にやける、頑固、機嫌や感情が授業に影響、良くキレる、落ち着きがない、宿題を減らして欲しい、感情の変化が激しい
T先生の良いところ
 優しい、面白い、運動神経が良い、楽しく授業をしてくれる、真面目。何時も元気、授業が分かり易い、かっこよい、最後まで再テストをしてくれる、生徒のことを理解使用と努力、色々な質問に答えてくれる、出来るまで取り組んでくれる、絵が面白い、英語が得意なところ、話し易い、ピシッと発言、字がきれい、すぐに怒らない、フレンドリィ、熱心、声が大きい、生徒のことを心配してくれる
T先生に変えて欲しいところは
 時々無視、優しくパンチして欲しい、再テストをもっと簡単に、殴るところ、懇談で意図の分からない質問をする、怖い、懇談でもっと優しくして欲しい、すぐにしばく、チョークを投げる、宿題を減らして欲しい、ネクタイをちゃんとして欲しい、もうちょっと面白く、独り言、宿題を減らせ、朝テストの範囲を毎回告知せよ、絵が下手、練習問題を増やせ、朝テストが厳しい、いっぱいしゃべる
浪速中学のよいところはどこですか
 全て先生が熱心、少人数、みんな仲良し、先生や先輩が優しい、校庭が近い、行事が多い、規律が良い、先生の目が行き届いている、生徒を大事にしてくれる、歴史がある、神社がある、部活動が盛ん、広い、楽しい、いじめがない、クラブが多い、学校が明るい、きれいになった、人工芝の中庭、グラウンドが広い、土曜日も授業をしてくれる、制服が可愛い、スポーツで有名、常に何かに取り組んでいる、勉強とクラブの両立、エアコンがついている、神社神道を大切にしている。
変えて欲しいところは何処ですか
 グラウンドをもっと広くして欲しい、校舎教室をきれいにしてほしい、土曜日を休みにして欲しい、一斉参拝を短く、全面人工芝に、中高一貫にして欲しい、食堂を使いたい、遊び具を設置して欲しい、2足制にして欲しい、校則が厳しい、テニスコートを自由に使わせて欲しい、
中学や高校の先輩たちをみて思うことは
 優しい、かっこいい、すごい、部活の先輩に憧れる、スカートが短い、香水くさい、服装がだらしない、化粧が濃い、校則違反の人が多い、きちんとしている人としていない人との差が激しい、悪いことばかりしている、もうちょっときっちりして欲しい、尊敬できる人と出来ない人がいる、高校の生活指導甘いのでは・、一斉参拝や全校朝礼の時くらいきちんとすれば、何アレッ?
21その他何か思うことがあれば書いてください
 自転車通学時のヘルメットがどうしても嫌なんです、運動部の活動場所が高校優先で全然中学にはない、もう少し掃除をちゃんとして欲しい、学校がメチャ楽しい!!

2008年2月24日日曜日

2月24日(日)神道科の教育再編

國學院大學と皇學館大學
・ 本校は「敬神崇祖の道を学ぶ」ことを建学の精神として設立された学校である。神道の教学「浄明正直」をそのまま校訓としている学校であり、開学以来既に80猶予年が経ち数多の卒業生が斯界で活躍している大阪を代表する私学の一つとして自負している。
・ 別に神職養成学校ではないし、法人名が大阪国学院となっているから「東京の國學院大學グループですか」と良く間違われるが「全く資本関係も人的関係もない」。ただ名誉理事長と理事長職務代理は確かに國學院大學で学ばれた大阪を代表する神社の宮司職にあり、日本の神職界の重鎮でもある。
・ 又本校には皇學館大學卒の教諭が2名で宗教の免許を持つ。一方国学院大学卒の教諭も2名おり、こちらはいずれも国語の教諭だ。宗教の免許は有しない。この世界では院友(国学院卒)館友(皇學館卒)という言葉があり、ライバル関係が強いというがこの二つのグループは本校ではそうでもなく仲は良さそうである。
神道科の教育
・ およそ我が国の私立学校において「宗教教育」をここまで形あるもので実施している学校は無いと思うし、中でも「神社神道を基盤にしている学校」はあるまい。我々はこれを「誇り」にしなければならない。
・ 上町にある私立清風学園の平岡理事長は私と会うたびに「神社神道の学校であることをもっともっと前面に。日本文化の原点ですよ。」とおっしゃる。わが意を得たりである。ちなみに清風学園は高野山真言宗が基盤である。
・ 神社神道の浄、明、正、直を青少年の心に育成するというか「人の道」を週に1単位、中学生1年から高校3年生までしっかりと教えている。「神道科の授業」を通して敬神崇祖の心を養い、「人間としての生きる道」「21世紀にしっかりと生き抜いていくことのできる生徒」を育成することを目的としているのだ。
道徳教育
・ ゆとり教育の見直しに話題が集中しているが、実は「新学習指導要領にはもう一つの焦点」があり、それが「道徳教育」だ。動いたのは安部内閣の教育再生会議、2次、3次報告と「徳育教育の教科化」を盛り込んだが中教審は最後まで慎重の姿勢に終始した。与党公明党の気持ちを慮ってのことであろう。
・ 自己肯定が出来ず、自分に自信がない、公共心や規範意識が薄く、「私、僕」が常に思考の中心、携帯電話によるネット社会へ巻き込まれ、陰湿ないじめや校内外の暴力窃盗事件、人間関係つくりからの逃避、義務教育における「道徳教育の限界」をさられけだしているにも関わらず我が国の教育は有効な手を打ち出せないでいるのが現状だ。
・ 「教育は知・徳・体の三本セットで初めて教育」といえる。学力は学校教育の最も大切な部分だが徳育を忘れたら学校は単なる進学塾になる。いまこそ「徳育教育が重要」だ。私は特段「教科化」にはこだわっていない。教科化には「免許、検定教科書、評価」が要るが、私立学校だ。我々の出来るようにやれば良いのであってここが公立とは違う。形も大切だが「早く実を取る」考え方も必要だ。
・ 「浪速版徳育教育」をどう進めるのか、ようやく考えがまとまりそうだ。考えてみれば「やっとこさ、ここまで来た。」ということである。「学校改革」を激しいまでに進めてきたが、今までは器、形の部分であり、今後は「中身の改革」である。これは慎重に、慎重にしなければならない。「教育の中味の議論」だからである。実施するのは「教育を司る教員である。」教員にその気になって貰わねばならない。真打登場を期待したい。
現在の教科書
・ 中学校の「道徳の時間」で使用している教科書は1学年が「自分を見つめる」、2年で「自分を考える」、3年生で「自分をのばす」だ。「新学習指導要領完全準拠」で暁出版の「検定済教科書」、横山利弘関西学院大学教授、前の文部省教科調査官だった先生他の監修で「多くの現役の中学校教諭が編集に参加した立派なもの」である。これに本校の教諭がプリントを使ったりして「神道の教え」などを加味すればそれで十分だ。大体中学生は素直で従順で可愛い、悪いことなどしない。それよりも隣のお兄ちゃん、お姉ちゃん(本校の高校生)の影響を受けないかそれが心配だ。
・ 課題を感じるのは高校生である。19年度、1年間じっくりみてきてつくづくそのように思う。「高校生の徳育教育」をもう一度考え直さなければならないと思う。元々「神道科は学校設定科目」であり、教科書は本校が独自に編集したものである。昭和39年、浪速学院(当時の呼称)創立40周年記念事業の一環として当時の國學院大學教授の岩本徳一先生の監修で「神道への理解」の表題で4月30日に第1版が出ている。
・ この書物はなかなか立派な本である。しかし私も読んでみたがどうも高校生には若干難しく感じる。出来た当時からそのような声があったようである。そこで名前を「神道読本」と変えて、まず「巻の二(古めかしい言い方!)」を昭和63年に財団法人大阪国学院が発行した。
・ 内容は高校生に分かりやすいように編集しなおされており、続いて巻の一巻の三が完成し「3部作が出揃った」のである。この時の編集委員に現在の本校の担当教頭の名前がある。
・ その後3部作は扱いにくいということでもあったのか平成17年に「神道読本」として一冊にまとめられて今日に至っている。これが現在本校高校生が使っている神道科教科書である。感覚としては神道の歴史、教学に特化し過ぎている気がするのだ。
新しい視点
・神社神道の大略は「社会科の授業」でも出来る。実際そのようにしているのである。本年度のセンター試験日本史ではまさしく神社神道に関する設問があったくらいである。大切なことは「神社神道の精神」を教えながら「人の道」を教えることが目的である。
・日常をどう生きるのか、どのように考え、評価するのか。過去の事例はどうなのか、「日本文化と人間」「社会のあるべき姿と自分」「常識とは」等々「神道の教えに絡ませて授業の展開」をすればもっともっと「生徒の目は輝く滋養のある」ものにならないだろうか。
・ 「生徒生活指導が重要課題」といっている割には「起きた後の処分」が主体で、「起きる前のことが余りにも少ない」と感じる。神道科の授業に日常生活を絡ませることで現在の神道科の教育をもっと高めることが出来ると私は考える。3年間で3単位というのは相当な時間である。工夫することで本校の目玉の一つを更に高めることが出来る。
・ 「進学の浪速」と同じくらい「生指の浪速」を標榜したい。今後ますますこのことは重要な学校課題になる。今後道徳教育、徳育教育が議論となってくることは間違いない。本校は「神道科の課程を応用して先行」しておきたい。
新教材の開発に向けて
・ 「全面的に改定というか作り変える」ことを決心した。すでに担当教頭と神道科の主任教諭には伝えた。今から準備に入り、21年度入学生から適用する「浪速版新神道課程学習指導要領」だ。
・ 良いものは残し、今日的に不足している部分は付け加え、「総合的な神道課程のシラバスを整備」するということだ。「単元によっては現役の神社宮司から講義を頂く」ことも考えたい。又伊勢修養学舎以外に「神社奉仕を課程にも入れるべき」と考える。今「勤労奉仕」が議論になってきている。
・ 「名誉理事長、理事長職代理には監修」として入って頂く。すでにお願いして大賛成と言って頂いた。大阪府神社界からも教学に優れたお方を編集委員に入って頂きたい。既に人選を依頼している。
・ 生指部門からも編集顧問として意見を述べて貰う考えだ。若い発想で今度採用した女性の国学院卒の先生にも入って貰えばよい。「総力をあげて素晴らしい教科書を作って欲しい」。執筆料ははずむつもりだ。
神道関係行事の見直しについて
・ 1年間、私はじっくりと神道科の学校行事を見てきた。改める点も整理している。「伊勢修養学舎」は素晴らしいものであった。新たに「新春拝賀始業式」というのも行事化した。学校独自の「絵馬」も作った。相当「形は揃って来た」筈だ。集大成が「教育の中身」である。そのための教科書つくりだ。
・ 「女生徒への神道教育のノウハウがまだ蓄積されていない」。独断専行を避けるために外部の力を借りねばならない。女生徒への教育は難しい面があるが、それは男子校であった本校が経験不足だからである。心配する必要はない。良い女生徒ばかりだ。
・ 「しなやかで品格があって優しくて強い浪速生を育成」するために20年度の1年間、しっかりと頑張ってやりきっていきたい。神道科のM教諭なら主坦としてやってくれるだろう。夢は膨らむ。

2008年2月23日土曜日

2月23日(土)自動車通勤

自動車通勤
  ガソリン価格がこうも上がると「自動車通勤の人たち」のことを考えてしまう。
・ 丁度1年前の今頃、「自動車通勤に関わる新制度の導入」を提案した。元来自動車通勤は通勤途上における教職員の安全を確保する観点から原則は認めがたい。「大阪府も教職員の自動車通勤は原則禁止」である。幾ら「貰い事故」といえども交通事故を起こした先生が生徒に交通事故は気を付けよう」といっても締まらない話だから。
・ それに自動車通勤は公立でも私立でも「駐車場の確保に大きな問題が過去発生」していた。手っ取り早く言えば公立の場合、「公共の学校の敷地内に個人が勝手に駐車することは、特定の教員のみ府の敷地を無料で使う」ことになり、それは許されるのか、また校内で生徒と接触事故を起こしたりしたことが現実に大きな問題となったりした経緯がある。
・ 本校では私の着任する前、現在の中庭に教職員が堂々と駐車しており、さすがにこれはまずいと考え、前管理職が是正措置をとったという。しかし校内には駐車はしていないが自動車通勤をしている先生は結構いたのである。
・ まず「通勤費」はどうなっているのか調査したら、案の定、「電車、バス等の公共の乗り物を使うとして通勤定期券の請求をして受給しているが実際は自分の裁量で自動車を使い個人で近隣の駐車場を借りていることが判明した。」
・ これは明らかに「通勤費の不正受給」である。大阪府はこれで「大量の処分者」を出した。一時期大騒ぎになった経緯がある。まさしく疑いも無き違反行為である。公共交通機関を使うと申請し、受給された公金を異なる目的に使用しているのであり、「是正措置」を急ぐ必要があった。
・ 勿論当時は自動車通勤だけに焦点を当てていたのではなく、話は「諸手当類の総合的見直し改革」の過程でこの話が出てきたものだが、教職員からは「今の自動車通勤はどうなるのだろう。禁止になるのかな。今住んでいるところは不便で出来れば車を使いたいな」といった声が私の耳にも入ってきた。
・ 思い悩んだが「一定の条件下で自動車通勤も認めるほうがトータルとして学校改革に寄与する」と考え平成19年4月1日から「自動車通勤に関する規定」を設け実施に移した。
・ この規定は通勤手当の非課税限度額を基準とした金額であり、「国ならびに地方公務員の自動車等を利用した場合の手当ての額に準拠」した。ミニマムは2キロ以上3キロ未満とし最大60キロまで保障した。きめ細かく規定した。
・ 勿論留意事項を付言している。例えば自動車通勤途上の交通事故は原則として「公務災害とは認めない」。ただし労働災害保険は適用される場合があるとか、当然「飲酒運転」に対する厳しい罰則とか。「申請書、誓約書、通勤経路届けの三点セット」で本人を守る手筈も付け、晴れて自動車通勤を認めたのである。
・ 現在自動車通勤の教職員は14名、バイク通勤は8名いる。今日まで大きな事故に遭遇したとは聞かない。安全運転で往復してくれているのだろうと安心している。気をつけなければならないのは土曜日など、直接家に帰らず、天王寺やナンバに寄って、そこで交通事故を起こした時だ。これは問題となる。
・ 自動車通勤は確かに快適かも知れない。行き帰り、個室で好きなようにタバコが吸えて、音楽を楽しみながら帰ることが出来るリラックスさは分からないでもないが、重要なポイントは次の点だ。
・ 即ち、圧倒的に多い教職員は家のドアを1歩出た瞬間から、そこは「外部の世界」で、そこを境に内と外を峻別している。着る服装も靴も言葉使いも全てそうだ。昔の武士は「1歩外に出れば7人の敵あり」と言って緊張感を持って身を処していた。
・ ところが自動車通勤は家から学校に着くまで車の中を含めてずーっと自分の個人空間、言ってみれば自宅の居間の延長で、それが学校近くの駐車場まで続く。「従って何か風呂上りみたいな服装で学校に通勤する教員がいるとすればそれは好ましいことではない。」
・ 社会人はちゃんとネクタイをして靴を履き、かばんを持って仕事に出かけるというのが明治以来の日本の勤労者の姿だ。自動車通勤はこれとは異質のスタイルになる可能性が高い。「だらしなくなることを私は恐れる」。
・ 最近の「ガソリン高騰」で自動車通勤は少ししんどくなってきているのではないかと思うのだが、まだ誰からも悲鳴を聞いていない。自動車通勤を認めた以上、これ以上ガソリン代が上がればなんとかしてやらねばならないだろう。大阪府の動きを見ながら「是正すべき時には是正」しなければならないが、そうした場合、我慢して公共の乗り物で通勤してくれている先生方への配慮も必要だ。
2.出張時の自己の自動車の利用
・通勤に認めれば当然、「出張時にも自分の車でという話」は出てくる。特に要望が多いのは「部活動」に関してである。休みの日、自宅から会場まで自分の車で行きたい、用具を載せなければならないとか言って、これまた要望が強かった。
・ 特に「生徒を乗せて長距離に出かける場合」は余程慎重にしなければならない。「原則は禁止」である。それでもある先生は合宿先で「救急車がいない場合にどうする」とか言ってきたが、今日、日本全国タクシーがない町はあるまい。タクシーを使え、大体知らない町でどこに救急病院があるのか分からないだろうなどと、論破しながら理解を求めていった。
・ また学校車を使って出張しているにも関わらず、精算は公共の乗りものの費用を弁償するとか、言ってみれば「でたらめ」がまかり通っていたこともあったが、一つ一つ解決していった。
  当時の資料を開いて見ると平成19年2月19日から25日頃は事務長と二人で通勤費の件で打ち合わせをしている。あの頃が懐かしい。

2008年2月22日金曜日

2月22日(金)初芝学園問題

1.大阪初芝学園問題
 ・昨日の読売の朝刊には5段扱いで結構大きく取り上げていた。その内容は「初芝学園へうどん店など外食チェーンの“グルメ杵屋”からの出向は違法として」大阪労働局が是正指導に入ったと報じているものである。初芝学園の全教員361名のうち96人は「グルメ杵屋の社員」で、そこから学校に「出向して教えている」という形が「違法な人材派遣」に当たるとしてグルメ杵屋と学園を「職業安定法違反で是正指導」したというもの。
 ・初芝学園の教員採用形態は「学園が1年間は常勤講師として採用」、勤務態度が良ければ2年目以降は「グルメ杵屋の正社員として採用」され、「学園に5年間は出向する形で教員職を務める」そして「7年目以降は出向期間を更新して学園での教職を続けるか、自主退職するかの選択」があるとしている。
 ・学園側は「少子化の中で学園経営が困難となった場合はグルメ杵屋の社員ならば雇用の場が保障される」と説明しているが、労働組合は「学園の意に沿わないなどの理由で出向が打ち切られたら教員の仕事が奪われる」として反発していたものらしい。
 ・しかしながら労働局は実際にグルメ杵屋に戻った例もなく、学園と杵屋には資本関係はなく、給与は100%学園が支払っていることなどから、「実態は出向ではなく、労働者供給事業に当たると判断」したものらしい。
・ しかし「これはひどい話だ。」とても出来る話ではない。教員は「教員というアイデンティティこそが唯一の誇り」であり、良いも悪いもそこから出発している。社会も大昔から「教職という職位に高い尊敬の念」を与えてきており、だからこそ教員は頑張れるのである。
・ 国家試験をとり、さあ「教員になれる」と張り切って応募したら「貴方はうどん屋の社員です。5年間はうどん屋から学園に出向してもらいます。」では可哀想を通りすぎた残酷な話だ。私ならとても出来ないし、そのような発想はしない。
・ 最も初芝学園が経営難で教員の給料の60%くらいしか財政的に支払えず、残りの40%は親会社の「グルメ杵屋が支払って」いたとすれば、まったく別次元の話である。「グルメ杵屋は社会から教育に理解のある素晴らしい会社」との賞賛を受けよう。前理事長はまさに晩節を飾る立志伝中の人物で後世名が残ることになった。
・「出向ということ」を杵屋も学園側も知らなかったのか、この点が不思議である。その場合は教員の身分はグルメ杵屋の所属社員にして100%教員としての給料を支払い、60%は学園から杵屋に「戻し入れる」必要がある。これを出向先からの「戻入」と呼び、金額を「出向差額」という。これが「通常企業の出向の形態」だ。
・ ところが実態は初芝学園は「グルメ杵屋の子会社ではない」し、企業法人とは違い「公益法人」である。資本や株券を持ち合うなどの関係ではなく、単なる理事長が同一人物だけという形であり、労働局の指導は当然だと思う。「元来あってはならない話」だと私は思うが、良くは分からない。どうして今まで問題にならなかったのか。
・ しかし、昨年秋以来、不適切な会計処理、理事会運営などが発覚し、私学所管の大阪府私学課の指導処分を受け、本年1月10日付けで理事長職を辞任されたが、ここに来てこのような報道が出てくることは、私学経営にあるものとして「心せねばならない。」
・ 初芝学園は1937年の創立で堺を拠点に大阪、和歌山、で8つの小、中、高、幼稚園を経営しており、91年、今から17年前、経営難で苦しんでいるところに、頼まれ、前理事長は負債支払いの個人約束をして経営再建に乗り出し、無報酬の中で、「路頭に迷ったかも知れない教職員の生活の安定を結果として確立したお方」である。
・ 個人的にも大変良く存知あげており尊敬する人生の大先輩である。今回の一連の結果は残念で仕方がない。もし私がお傍にお仕えしていたら、決してこのようなことにはしなかった。理由にはならないが専任の理事長ではなく、専務理事や内部理事の責任も大きく問われるべきであると考える。
・ 近隣の私立学校であり、長い間競合してきた親しみのある学校だ。早く学園内部が人心共に安定し、「ライバル校」としてお互いに切磋琢磨して参りたい。そして本校の教職員には「出向などどこにもさせないから、安心して教員としての仕事に邁進」するよう伝えたい。
2.スト教職員を処分へ
 ・北海道と札幌市の教職員の14000人近くが処分される動きがあると朝日新聞は本日の朝刊で報じている。他紙は記事にしていない。こういうのに朝日は敏感だ。北海道と札幌市の両教育委員会は教員団体が1月30日に実施した「時限ストは違法行為」として「処分」をするというもの。もっとも処分と言っても大半が戒告で減給や停職には至らないとしているが行政処分だから重大な話だ。
・ 公立学校の教職員でつくる北海道教職員組合(北教祖)が「査定昇給制度の導入反対」を掲げてストとしたが、その参加者は全教職員の1/3の1万4000人に上ったという。明らかに公立学校の教職員の争議行為は地方公務員法で禁じられており、それを分からないはずは無く、「確信犯」として違法行為に走ったものであろう。
・ 処分は覚悟で「如何に行政は教職員を分断するような愚かな政策を学校現場に導入するのか、我々は絶対反対だ。」と気勢を上げてのことだと思うが、今や「教職員の人事評価システムは国家公務員や大学も含めて多くの学校が導入している。社会の要請というか、世の流れ」である。反対しても仕方がなかろう。反対の姿勢だけは示しておこうというのも返って世の反発を招くことにならないか。そこが心配だ。
 ・処分はあたり前で「法律違反の報い」は受けなければならない。しかし未だにこのような組織がある事態が驚きだ。肝心なことは2/3の教職員はストに参加していないということだ。心では査定昇給制度に反対でも覚悟を決めている教員も多いということではないか。大阪府でも査定導入制度が実施されたから4年経つがストなど聞いたことがない。少し情勢認識が甘いのではないかと感じる。

2008年2月21日木曜日

2月21日(木)学校ネット社会の到来

ある新聞記事
・ 最近一つの記事に触れ、しばらく考えていたのであるが、まだ考えが整理できていない。記事の内容は次のようなものである。“同級生の少女(16)の裸の画像をインターネットの掲示板に張り付けたとして横浜の県立高校の1年の男子生徒(16)が「児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で逮捕」されたという。男子生徒は容疑を認めているという。”
・ 関わったのは同級生の男子生徒3人で交友関係にあった同級生の少女を呼び出し、3人が撮影した裸の画像の1枚がネットに掲載されたもので、3人は逮捕後、同法違反の「非行事実」で「家裁送致」されたとある。
・ この記事にはポイントが二つある。同級生の男女4人の事件(?)であるということ、逮捕された容疑が児童買春・ポルノ禁止法に違反したとしている点である。記事に詳しいことが書いていないのでよく分からないのであるが、関心は「事件の背景」である。
・ 同じ高校の同級生の友達4人がふざけて、女友達の裸の写真を撮り、ネットに出したものか、男3人が嫌がる少女を抑えつけ写真を撮ったものを流したものなのか。これら4人の学校生活はどのようなものであったのか?ネットの写真を神奈川県警少年捜査課はどうして知ることになったのか。誰かからのチクリがあったのか。忙しい警察がネット上に流れている何万枚もの女性の裸写真のうちからどうしてこの写真を知ることが出来たのか等々分からないことばかりだ。
・ 最初この記事を見たときには「これは女生徒へのいじめ事件」ではないのかと思った。仲良しグループが崩壊し、愛憎やるかたなし、突如としていじめに発展するケースは多い。しかしポルノ禁止法違反容疑の非行事実と書いてあるから、想定すると4人が共同謀議で裏ビデオまがいの裸写真を、それもかなり、かなりきわどい写真をネットに流して「愉快犯的」に楽しんだものか、色々と考えるのだが・・・?
多様化する高校生の非行
・ 上記新聞記事のような学校内外を舞台にしておきる高校生のあるまじき行為、分かり易く言えば「非行」はどんどんエスカレートしていく。「質的に変わったものがどんどん生まれている」と言った方が良いかも知れない。
・ はっきり言って「非行」と「犯罪」の境界がもう分からなくなってきている。援助交際、出会い系サイト、薬物使用等々事態は危険域を超えている。では昔の非行というより「良くない行為」は減少しているかと言えばそうでもない。まず「喫煙」「喧嘩殴り合い」「カンニング」「万引き」これらは今でも「良くない行為」のトップ4の地位を保っている。我々の時代からこれらは変わっていない。更に最近は通学途上の電車内マナーや路上でのごみのポイ捨てなども加わってきた。
・ ここ10年上記に加えて「いじめ」が大きく登場し、最近は「ネットを使ったいじめ行為」が幅を利かせている。いじめについては「言ってみれば昔からあった話」で教師の対応マニュアルは出来ているのだが、問題はネットを使ったいじめなどについては、ノウハウも出来ておらず、右往左往することになる。
・ 前述した神奈川県の県立高校の校長先生や生指部長、担任などはこの事件を初めて知った時にはさぞ驚いたことであろう。どのように受け止めたのか、詳しく知りたいくらいだ。
・ この学校の校長先生はせいぜい「全く信じられない事件で、本校の3人の男子生徒が逮捕されて大変ショックを受けています。インターネットのことは我々も良く分からず、今後調査をして対応していきます。他の生徒への動揺を抑えることと、早速保護者集会を開いて説明して参ります」くらいのコメントを出したのではないか。
3.携帯ネット社会の到来
 ・いまやほとんどの高校生が携帯電話を保持する。行き渡った速度は我々の想像をはるかに超えた。小学生も今や安全のためと言って携帯を持たされている時代だ。当然広い意味でのネット社会に生徒の携帯電話を介して学校現場も取り込まれてきたと認識する必要がある。
・ この「学校ネット社会」にはますます「この私、この僕の自我」がすべてに優先されていく。虫が好かない者とは付き合わなくて良いし、親しい友人とも「今日は会いたくない気分」とか言って、「メール会話」で済むからだ。様々なサイトで彼らは友達を作り、情報を得ることが出来る
・ 顔を見ながら唾を飛ばしてする口論や時によっては掴み掛かったりする喧嘩などアナログの時代は過ぎ去り、冷たい、顔の見えないデジタルの社会が子ども社会にも出現した。成りすましたり、嘘を書き込んだり、チェーンメールでまわしたり、言葉だけではなくて写真をつけたり、その写真も簡単に加工や合成が可能で、陰湿極まりない顔の見えない攻撃が可能な時代になった。「いじめの質的変化である。
・ こういった別世界の出来事を教師は把握しようがない。正直言って昨年本校でもあったネットいじめ事件は本校の教員を驚愕せしめたが、これを発見したのは実は他の事件から細い糸を手繰って行って発見したものである。ネットに流れた現物画像写真を見つけ出したのは「パソコンの達人教師」の一人であった。普通の教員は発見しようにもどうしようもない。パソコンなど触ったことのない教師にはどだい無理な話なのである。
・ 従って「生徒の保有する携帯ホームページの開設は禁止する」としたのだが、果たしてそれが今後とも有効な手になるのか。いずれにしても学校は生徒の質的変化で必然的に変化していくだろう。当然、教師に求められる特技や手腕も変わってくる可能性がある。
・ 「さあ、今日も頑張っていこう」と両手をたたきながら、明るく、「生徒性善説」に立って、かけ声だけの教師では今後の学校社会での出来事に敏感につぶさに対応できなくなるのではないだろうか。悲しい話である。
・ 「従来からの良い先生」が「自信を無くさないようにするため」我々は何を準備し、やるべきか考えなければならない。ネットデジタル社会は教師と生徒の関係を対等の立場(間違っているが)から、「平行の立場」にしつつある。それはもはや昔の教える側と学ぶ側の関係、いつくしむ側と慕う側の関係を完全に打ち壊す。「教師と生徒の関係の変化がデジタル社会の宿命」となるのか。

2月20日(水)遅刻考

遅刻考:
・ ご他聞にもれず本校でも生徒の遅刻は多い。前の公立高校では大きな問題行動を起こすような生徒はまったくと言って良いほどいなかったが、とにかく遅刻の数が多く、生活指導部の日常の仕事の大半は「遅刻指導」であった。
・ この現象は大なり小なり学校というものが、この世に存在し始めてからあるもので、「生徒と教師とのいたちごっこ」みたいなところがある。余り厳しく管理して兵庫県の高校であったような門で首を挟まれるような事件でも発生すると学校の対応の責任が厳しく問われる。
・ しかしながらどうも「遅刻指導だけは教師が堂々と胸を張って指導できる分野」に見える。どの先生も自信を持って声を出している。「門からこちらは学校だぞ。家とは違うぞ」と思いながら、門を入った瞬間から教師は生徒に対して「良い生徒像」を求めるのだ。教科指導となると胸を張るというところまで行かない先生も当然あるだろうが。
・ ところが胸を張って指導すると言っても、実態はこれが又難しいのである。「朝の立ち番」というのがある。これは大体生徒生活指導部の教師が行い、遅刻者や制服等の乱れ、時に頭髪、化粧などチェックをするのだが、教師は相当なエネルギーを消費している。
・ しかしながらチェックを受けた生徒は、速やかに授業担当者や担任にも連絡が行き、指導を受けるのであるが「ただそれで一件落着」となるだけのことである。生徒も「ひゃー、面倒くさいが、しょうがない」くらいでただ「手続きの済む時間の通り過ぎていくのを待つだけの話」である。教師が望むような「良い生徒像」などのイメージは無く、生徒にとっては門の内外など全く関係ない話である。
・ 「遅刻は大体、学年進行で増えていく」。3年生ともなれば「遅刻の常習者」を恥じるようなそぶりさえみせなくなるつわものの生徒も出てくる。1年生はさすがに少ないが、5月の連休明け位から増え始め、夏休み後の2学期の始まる9月から急激に増加する。
・ とにかく1時間目の授業は何か落ち着かない、人の出入りのある騒々しい感じで、これでは真面目に早くから来ている生徒の迷惑になるという考えも今日的生徒にはなさそうだ。何ゆえか。「遅刻が人様の迷惑になっているという概念」は全くと言ってよいほど持ち合わせていない。あるのは「私だけ」なのである。
・ 遅刻の原因は様々であるが,「共通しているのは生徒が学校に間に合わない生活スタイルを有しており」、それを「積極的に改めようとしないから」である。夜遅くまでテレビを見る(余りいない?)、ゲームに興じる、友達と携帯メールでお話、朝起きての髪の手入れ、なんとなく「だらだら」といったもので、中にはアルバイトでへとへとというのもあろう。
・ 勉強しすぎたとか、深夜まで本を読んでいたと言うのは余り聞かない。今日も生指部長に生徒の書いた遅刻理由書を見せてもらったがなんと「電車に乗り遅れました」としか書いていないのだ。ここに個々の生徒が有する遅刻という行為への考え(?)、思いを私は感じる。
・ 遅刻者の多くは学校の規則で遅刻は良くないことだと頭では分かっている。親からも「早く起きなさい、遅刻しますよ。」と小学校の頃から言われ続けて来ているのだ。でも生活習慣は改めない。
・ 即ちここにあるのは「個人としての私」しか居ないわけで、「ええやん、誰にも迷惑をかけているわけではなし」といって心では開き直っているのだとしか思えない。ところがアルバイト先で遅刻を2ないし3回使用ものなら「すぐ、首」になるからバイト先には一生懸命向かう。
・ 朝の立ち番に対応している教師でも生徒からすれば「ただの、そういうことをする先生」でしかない。「自分は指導を受け、大変な教えを受けてる尊敬する先生とは思わず、「普通の、そういうことをする先生」なのである。
・ 逆に立ち番の先生が「おはよう、何でや、遅れるぞー、授業始まるぞー」など挨拶も含め声などやさしくかけても生徒からは殆ど挨拶は返ってこない。たまに見知っている先生や好みの教師がいたりすると「オッハー」など返したりするがそれも稀である。
・ 生徒生活指導部の教師には通常一目置いており、保健体育の先生や、運動部の顧問先生がなっていたりするので「運動部に属する生徒は遅刻はしないし、」「先生を畏敬で見ているから大体礼儀正しい」のだが、問題は何処にも属さない「この私、この俺、この僕の生徒たち」である。
・ 今年から「生徒生活指導部の体制を強化」した。来年は更に強化しようと考えている。今日短い時間だったが生指部長と方針のすり合わせをした。前にも書いたがこの先生は中々の企画能力があり、新しいことをしてくれるのだが、この2月から正門入ったところで「遅刻者に教室入室証」を書かせるようにしたという。
・ 今までは遅れたら職員室に行かせて書かせていたらしいのだが、要領の良い生徒はするりと逃げて教室にそのまま入り込むらしい。それをすぐ書かせるようにしたら遅刻者が半減したとデータを見せてもらった。
・ これなど典型的な今日的生徒だ。「えー、ここで書くの、それなら明日から5分早く、家出よか」となったというのである。「この私」の生徒は自分が損するのはいやだから、そういう行為には慎重となるのである。バイト先を遅刻しないのと同じ論理である。
・ 大体8時40分に授業が始まるのに40分から正門で遅刻カウントするのはおかしいではないかということになって本日8時35分と決めた。副校長と教務部長と相談して授業時間50分のうち「何分の遅延を欠時とするのか」「幾らの欠時で欠課とするのか」早急に決めるよう生指部長に指示した。
ペナルティを与えねば膠着状態は打破できない。それに統計データがないと分からない。去年、5年目、10年前の生徒に比べ今の生徒のどうなんだと聞いてもデータがない。是ではいけない。学校社会は余りにもデータと言うものに鈍感である。
・ データを揃えることは「弱者をあぶりだす」ものであるという間違った考えが一部の教師グループにあったことが未だに尾を引いているのだが、この間違った考えを正さなければならない。
・ 学校は弱者のためにだけあるのではなくて、殆どの普通の生徒集団の為であり、全てのマトリックスから統計データで効果的、公平的に対応しなければならない。遅刻者のためにどれくらい教師のエネルギーがそがれ、真面目な生徒の授業が侵害されているかと思えば私は許せなくなるのである。
・ 遅刻は完全にはなくならないと思う。しかしそれを学校という団体生活の場ではいけないことだと教えていかねばならない。継続する教師の指導を絶やしてはならない。諦めてはいけない。「根気よく教師が教師であり続ける限り遅刻指導は続けなければならない」と私は思う。

2008年2月19日火曜日

2月19日(火)私学振興大会

1.私学振興大会
・ 昨日大阪国際会議場で私学保護者連合会主催、私学中高連共催の「大阪私学振興大会」が実施された。この大会は何時も「大阪府知事が出席するのが慣わし」だが、「橋下知事は公務多忙で欠席」した。「1年前から決まっている予定で、今頃公務多忙は無いだろう」。「出たくなかった」と正直に言えば良いのに。
・ 案の定、今朝の各紙はこのことについて報道している。昨日の記者会見で知事は「私学助成は聖域ではない」と述べたとある。年間600億円の私学助成の幾分かがカットされる公算がますます強くなってきた。私の予想した通りだ。
・ 20年度予算は暫定でスタートし、府内の各市への補助金なども保留し、市長会から猛反発を受けていることもテレビ報道では詳しくあったが、どうもこの知事、思いつきで色々しゃべり、引くに退けなくなってきている。もう少し勉強して欲しい。
・ 現在大阪府では「高校生の40%が私立」に通う。「大阪の高校生1人あたりの公費支出は公立84万円、私立38万円でその差は46万円」にもなる。これは大きな保護者負担になっているということをこの人はご存知あるまい。私学の保護者はすべてお金持ちとでも思っていたら、とんでもない話だ。
・ 私学の保護者は立派な納税者である。公立と私立の適正な競争により、質の高い教育を受けさせ、大阪の、日本の未来を担う青少年を育成していくことが知事の仕事だ。この著しい公費支出格差をまず解消してからの話ではないか。しかし情勢は厳しいと考えた方が良い。
.AO入試を廃止する動きが・・・
 ・案外目立たない内容であるが、大学の中でAO入試を廃止するところが出始めた。まず国立大学法人九州大学が名乗りをあげた。予想どおりである。一般入試で入学した学生に比べ「AO入試の学生は入学後の成績が低い」ことが理由としている。あたり前だ。
 ・もともとAOは論文や人物重視で入学許可を出すシステムであり、2000年に九大と東北大などが始めたものだが、最初の方だけで、その後は年々成績が振るわなくなり、今回の「勇気ある決断」に至ったのではないかと見る。
・ 08年度の入試で言えば、AO入試をした国公立大学は59にものぼり、全体の38%であるが今回の九大の方針は「大学入試の大きな一石」となろう。勉強の出来ない大学生、基礎基本の出来ていない大学生、何のために大学に行っているのか分からないような大学生が目立ちすぎる。
・ 高校現場でも一般入試を目指す生徒の学力は一般的に高く、時に自分の学業成績を見ながら「先生、どこか、私で行ける、AOの所か推薦の大学、無いですか?」では大学に入ってもしんどいだろう。
 ・この前のブログにおいても少し触れたが「センター試験を参考とする」動きもある。少子化の中で今までのように「個性とか人物重視」とかで簡単に大学に行ける時代は終わりつつあるのかな。生徒、学生はひたむきに勉強し、勉強させなきゃ。そのことが「生きる力」になると信じて疑わない。「人生80年のうち、ただひたすら勉強できる時は案外短い。その時が高校生の時」ではないか。
3.公立トップ校の卓越教師と電話で
 ・久しぶりに2校の公立高校の教諭と電話で会話。1人は社会、1人は数学だ。二人とも「一心不乱」「脇目も振らず」「ただこの途一筋」「いかにして生徒に学力をつけるか」「教師として何をなすべきか」、こればかり考えている、言ってみれば大阪府の公立高校の財産教諭だ。
 ・「年、なんぼになった?」1人は「56です。」もう1人は「58です。」「定年になったらどないすんねん?」1人は「もう決まっています。」もう1人は「まだ何も考えてません。バレーが出来るなら何処へでも行きます。」
.3年生学年団
 ・3学年主任の先生が今、頑張っておられる。私より一つ下の年令であるが「立派な先生」である。まさに尊敬する。大人というのか、鷹揚にして迫らずというのか、「信頼できる人」とはこういう先生のことではないか。勿論内面には激しいところもお持ちだと思うが、それを表に出さない。私など見習わなければならない。
 ・最近、運営委員会や職員会議でのご発言が目立つ。最近では「総合コースのスポーツ大会」に力を入れられていた。そして今は「卒業式の準備」だ。先生は教職員に対し式にはちゃんと席に据わって生徒を送って欲しいと、この前の職会でも言われていた。
 ・大体教員は入学式や卒業式には担任団以外、席に座ろうとはしない。壁に沿って立っている人が多い。公立高校でもそのような面があり、どうしてだろうと何時も思う。
 ・今日、3月1日の卒業式が終わったあと学年団で「打ち上げの懇親会」をやりたいと言ってこられた。「大賛成」と言い、理事長から「慰労金一封」を出すことを申し上げた。主任を中心に3年間の思い出話に花を咲かせて欲しい。
 ・昔は3年生の担任団は卒業生を送り出した後、一泊の旅行会をするのが、学校文化であった。前任の公立校では今でもそのようにしている。本校ではもう数年そのような宿泊を伴う旅行はなされていないと聞く。そうであるなら、尚更「学年主任を中心にしてこの会が盛り上がることを期待」致したい。

2008年2月18日月曜日

2月18日(月)総合的学習の時間

1.新学習指導要領「総合的学習の時間」
・ 本件、今までブログで何回も触れてはきているが、ようやく本決まりの形が出てきた。15日の朝刊はまさにこれ一色の感がしたが、しばらくその後の状況を静観していた。少しづつ新学習指導要領に関わることがマスコミ報道に出始めてきている。
・ でも大体扱いは小さい。花火みたいにパーッと出るが後は段々と小さくなる。そして又何時か教育問題が出ると扱いは大きくなるのが何時ものパターンだ。一般的に国民も学習指導要領となると「うんツ、関係ないわ」という顔をする向きもある。中には教育評論家と称する先生方も内容を知らなくてテレビであれこれ教育問題をコメントしたりするからお笑いだ。教師の中でも案外知らないというか、勉強しようとはしない人もある。
・ 新聞記事には今日まで随分と世話になってきていた身だから言えるのだが、「新聞社で教育を司るのは勿論教育関係の記者」であるのだが、大体所属は「花形の社会部」に属する。言い換えれば社会部の一部門であるということである。記者も3年未満でどちらかと言うと若い記者にローテーションされていく。政治経済記者みたいに「この道一筋」という記者は余りいない。
・ 新聞社で教育部門が独立した組織・部というのは余り聞いたことが無い。従って毒入りギョーザ事件などや社会問題や政治経済の大きな内容があるときには教育の記事は時に吹っ飛ばされることもあることは知っておかねばならない。「教育の持つ重要さと軽さの扱いを持つ宿命」みたいなものだ。
・ 今回の改正で何と言っても目玉は「総合的学習の時間」だ。新指導要領では時間数が削られ主要科目に置き換われる運命となった。しかしこれは大体、初めから分かりきった話で「理念先行型の失敗」の典型な例である。大阪府の橋下知事流に言えば「机上の空論」であったことは間違いない。
・ 高校課程では「教科力向上」のために、一つの学校隠語ではあるが「置き換えて読む」とし、源氏物語の英語版を教材に選択して、一応は「日本文学と国際性」などの名目で授業をしているが、内実は「英語の授業」となっていたりするのである。
・ 新学習指導要領の問題は今後小中学校を主体に出てくるだろうが、本筋を外さないことが大切だ。導入当初、現場の教師は「総合的学習」に反対していたが、今でもベネッセの調査によれば小学校教員のうち、「無くすに賛成」は68%にもなり、「増やすべき」は0.8%という。
・ 教師に賛同を得られない教科の行き着く末はこういうものだとの見本みたいだ。私も講演などで時に「子どもを町に散策させて、桶屋さんが桶を作るところを見せ、職人の世界と我々の生活のテーマを無理やり総合的学習時間だと理論つけてもなー?」と、気に入ったフレーズで良く使ったものだ。
・ 早速今朝の読売は「学校は変わるか・・新学習指導要領」の特別記事で「街の探求の名目で近所を散歩している」と揶揄されるところがあった。これには笑ってしまった。同じようなことを感じる人はいるのだなーと。ところで文科省は「けしからんというか厚顔無恥というか」。PISAの順位低落で危機感を持った文科省は総合的学習とPISA型の応用力向上を結びつけそうな動きが出てきた。
・ 「又ゾロ、教師にとって何をして良いか、わからなくなってしまう危険性がないだろうか」。心配になってくる。今、日本からフィンランド訪問が急増しているというが、意味も無く出張しても効果は期待できない。とにかくしっかりと教科を教えることだ。すべてはここから始まる。
中学校で言えば新学習指導要領の規定する時間数は略3045時間、うち総合的学習の時間数が190時間となった。とにかく420時間と英語強化が特に目に付く。次に数学、国語、理科が385時間だ。
浪速中学校は20年度カリキュラムで言えば3745時間だから指導要領に比べ700時間も多い。700時間と言うのは700コマ数で年間35週で1単位であるから何と20単位も多い。内訳は国語、数学が各660時間(385時間)、理科が420時間(385)である。英語については450時間としているが、「英語が少ないではないか?」との質問に答えよう。
・ 総合的学習の時間は逆に210時間と指導要領より20時間増やしているが、これは全て英語教育で「総合TT」と称するものはでネイティブスピーカーとの連繋授業とし、「総合英語」の組み合わせで実に210時間、従って英語で言えば総計660時間となる。これはすごいぞテーマは「国際理解と地球環境」だ。これ以上はない格好のテーマである。考える力と読む力、それに英語力もつく
・ 徹底的に「鍛える」。鉄は熱い内に鍛える。そして「習熟度別授業」だ。言葉は「発展別」でも「理解度別」でも「スピードコースとじっくりコース」とか、どうでもよいが「生徒の力を伸ばす」ことが目的で、遅れている子は「分からせてあげる」、出来る子は「もっと、もっと上に引き上げる」ことをやる。私のいう総合的学習の時間とはこのような「英語の授業」を言う。
2.雅楽部フランス演奏中止
 ・かねてから本校雅樂部がフランスのトッール市のある有力団体から招かれ古城ボールギャール城にて日本の書道展、絵画展、など文化交流への行事参加を依頼されていたが、もともとの予定、8月の夏休みが4月中旬になったと日本側の主催責任者から緊急連絡。
 ・残念だが今回は見送り。4月中旬は行事が立て込んでおり、学校はとても出せる状況にはない。次回のチャンスを待ちたい。新1年生の修学旅行は本校初めて海外に出す予定としており、基本的に海外案件は無理しても出してやりたいが、4月はどうしようもない。
3.高校入試1.5次合格発表
 ・本日10時、1.5次合格者掲示。あれほど一次で志願者が集まったのに「何故ですか?」という質問には「可能性がある以上門戸を広げておくことは学校の責務」と考えているから。
・ 今回は理数科とⅠ類である。入試成績を見るとなるほど粒が揃っている。彼らが来るかどうかは公立発表までは分からない。これで一切の入試業務が終わった。3月24日の公立発表まで静かに待つ。
4.校務運営委員会 新1年生の転科転コースの議論
 ・まだ見ぬ生徒であるが、準備は今からしておく必要がある。入学時には科・類を決めて入学して貰うが、1年生時の実力試験で2年進級時に適性を考え、振り分けるものだ。良い議論になった。最近校務運営委員会の議論が中々良いものになってきた。大変結構だ。
5.近隣38校授業料比較
 ・平成15年からの近隣38校の中学、高校の授業料比較が出揃った。近隣というのは北摂の高校と比較しても意味がないと考えたからだ。入試広報室がまとめたものだが、大変興味あるデータである。1学期中に21年度入学生についてどうするか決めようと思う。少しは「値上げをお願いいたしたい気持ち」はあるが「果たして・・・」。
6.ベルリン映画祭「母ベえ」、受賞を逃す
 ・鳴り物入りの宣伝で大いに盛り上げようと図った、山田洋次監督作品、吉永小百合主演の映画「母べえ」は結局受賞を逃した。それはそれで良いとして、何と無名の熊阪監督の「パーク アンド ラブホテル」という見たことも聞いたこともない作品が新人作品賞の栄誉に輝いたという。
 ・確か、この前も奈良の無名女性監督の映画が他の国際映画祭で受賞されるなど、巨匠と言われる監督や大きな制作費をかけた映画から、無名の作家のそれも今日的なテーマを真正面に据えた映画が評価される時代になって来たか。大きな時代の流れを感じる。
・ 映画好きのOさんも「母ベえ」を観に行かれたが、頂いた感想文からは胸を突いてくるようなものは感じられなかった。戦時中の特高警察が出てくるような暗い世相の中で、母の強さ、優しさを出した主題は今の時代にどうなんだろう。山田流の反戦平和主義が欧州では受け入れられなかったということではないか。
・ それに比べ「北辰斜めにさすところ」の神山征二郎監督作品は良かった。同じ戦中戦後の物語だが、こちらは「教育の持つ素晴らしさ」が伝わってきた。「母ベエ」を観たOさんは「これは一つの恋愛映画です。」と面白い見方をしているところが興味あったが、山田監督、どうもまだ「フーテンの寅さんの残像」を引きずっているみたいで、残念な気がする。私は観に行かないと決めた。

2008年2月14日木曜日

2月14日(木)机上の空論

橋下知事「机上の空論
新知事の発言が揺れている。着任して2週間、選挙中に発言した言葉が「後退」ととられても仕方がないくらい、ぶれている。これではいけない。今日は教育政策について「机上の空論」だったと自ら反省していると各紙は報道している。
昨日、知事は府内の高校や養護学校など視察にでかけた。これは大変良いことで、評価するが自ら今まで述べてきた「公立高校の学区撤廃」や「35人学級などの見直し」なども「現場を知らず、頭で考えた空論」と自ら「反省します」と言ったというのだ。
ただ方針は変えず、様子をみるということだとも述べてはいるが、「議論の巻き起こりは良いこと」とシャーシャーしている。これは頂けない。
府債発行は認めない、収入の範囲内で予算を組むと大上段に振りかぶったのは良いが、とどのつまりは「元の鞘」でこのような状態ではこの先思いやられる。若さゆえの未熟さもあるのだと思うが「石原慎太郎」を少しは見習ったらどうか。
私もそのようなところがあるのだが、橋下知事も優しい、正直なところがある。石原都知事は「人を、特に役人を信用しない」面が強烈だ。改革には一旦自ら踏み出した線は一歩も退いてはいけない。退くなら「その案は廃止」すべきものだ。橋下知事には頑張って欲しい。府民は突き進む橋下さんを支持したのであって、「物分りの良い人物」に投票したのではない。
関経連との関係も「微妙」だ。会長下妻博は住金の会長で「元の私の上司」である。浪速にお世話になるときも直筆の長い、達筆な封書を頂き、「激励と諭し」をしてくれた。住金の人間なら誰でも知っていることだが、「下妻会長はざっくばらんな男気のある人物で、面倒見も良く、勇気ある立派な経営者」であることは間違いない。「小学校の芝生の問題でさやあて」があったと聞くが、そんなことはどうでも良い。知事にとっても財界との距離は大切だ。なんと言っても70才近い人生の達人と38才の若さあふれる新進気鋭だ。仲良くやって欲しいと思う。
ところで橋下さん、「私学助成のカット」も机上の空論となることを期待しています。
2.私大補助金最大50%
 ・最近私大を巡る話題が新聞紙上を時々飾る。余り良い話ではない。文部科学省は「定員割れを放置する私立大などに対する補助金の最大カット率を現在の15%から4年後には50%に引き上げることを決めたとある。
この話は前からあり、今回具体的スケジュールが明らかになった。定員割れの学部の募集停止や定員減、統合などに取り組む大学に対しては「特別支援経費」を倍増させて後押しするという。市町村合併みたいな話だ。
要は少子化時代に合致した定員の見直しなどへの改善を促すものだが、「大学全入時代」を迎え、07年度で言えば大学の4割、短大の6割が定員を割れており、今回の助成額の削減はさらなる経営効率化を促す仕組みを求める狙いと言える。
今回の話は私立大学の話だが私立高等学校にもそのうち、具体的なものが来るだろう。都道府県知事の所管を受けている私学も「勝ち組,負け組」が明確になってきた。定員を割れる私立高校は背筋が寒くなる話だ。本校もしっかりとやるべきことをしなければならない。教職員と一体になって頑張って参りたい。
3.気概を失った母親と日教組
 ・2月11日産経の囲み記事、曽野綾子の「透明な歳月の光」に標題のようなコラムがあった。思わず笑ってしまった。JTが輸入した中国製ギョーザの中毒事件に絡んでの話だが母親のほうには「自分の手で家族のためにギョーザを作れ」というものだ。
 ・面白いのは日教組に対してであり、本ブログでも何回も触れたが日教組教研集会の会場貸し出しを拒否された事件にからんで、「日教組がどうしてそんなに高価な会場費の要る高級ホテルに集まるのか。メンバーの中には地方の地主もいるだろう。そういう人の私有地を借りてリースのトイレを用意し、営利主義見え見えのホテルなど当てにせず、昼食は愛妻弁当持参、大地に腰を下ろして教育を語ることは可能だろう。そういう気概が教育の基本的情熱のはずだ
 ・さすがの私も曽野先生のようには書けない。しかし皮肉っぽくて揶揄した感じはあるが、面白い。しかし先生、2000人も入れる森など無いし、愛妻弁当などの言い方は、今日的感覚で言えば、ジェンダー派と称される人々から批判されないとも限りませんよ。半分は女性教員がいますから「愛夫弁当」も書かねばなりません。又愛妻も愛夫もいない独身の先生もいらっしゃいます。このような先生にはどうするのでしょうか。
4.ガクナビビデオ生徒に見せる
 ・今日は一斉参拝の日で校長講和の最後に12日に放映されたフジテレビ系ガクナビのビデオがあるから見逃した人は昼休みに見においでと言ったら早速2名ずつ三組の生徒が校長室に入ってきた。自分の顔が出る場面になると「キャーッ」という感じだ。男子生徒は「厭だなー」という感じだったが顔は笑っていた。
5.女生徒からチョコレートを
 ・驚いたなー。初めてだ。女生徒からバレンタインデイのチョコレートを頂くなんて。それも一人や二人ではないのだ。数は言うまい。

2008年2月13日水曜日

2月13日(水)引越し

引越し
・ 6年間住んだ天王寺を離れることにした。関東から大阪に移転したのは6年前、「大阪府初の民間人校長のお話」を受けて急遽大阪に出てきたのであるが、丁度その時は仕事でブラジルのクリチバというところに海外勤務していた。あの三浦和がサッカー留学したところだ。国際メールで住金の人事とやり取りしたのが懐かしい。
・ 平成13年12月25日、サンパウロから長い時間をかけて、空を飛び、雪降る寒い成田に降り立ち、そのまま乗り継いで関空に移動した。翌日、橋下知事とまではいかないが、多くの報道陣やカメラの居並ぶ前で「記者会見」をしたのがついこの前のような気がする。
・ その時にしゃべった言葉は今でも覚えている。赴任先の高等学校は有名な進学校で伝統校なのだが、定員割れするなど、評判がいま一つで、「一部名門企業の株価が低迷している。この学校の株価を引き上げるために人生最後のご奉公をして参りたい」と。
・ まず住む場所を決めなければならない。勤めていた会社の管理職寮が八尾の山本球場の隣にあり、会社は「ずっと居ても良いよ。」と言ってくれたが、企業人から学校長になる以上、「企業の匂い」を消したかった。「サラリーマン生活、バイバイ」である。そこに1ヶ月ほど居り、一生懸命探したマンションが今の天王寺のマンションである。
・ それから今日まで、ずーっと天王寺だ。駅そばで便利さはこの上ない。昔からとにかく駅のそばが好きだ。駅からバス、電車の乗換えなどは経験したことがない。天王寺は大阪の臍のような位置でどこに行くのも便利さはこの上ない。JR、御堂筋線、谷町線、近鉄、阪堺線、どこへでも簡単に行ける。
・ 学校へは天王寺駅まで歩いて3分、環状線の鶴橋まで電車で11分、そこから歩いて10分、何時も7時15分頃には学校に到着していた。校務員さんの次に早かった。雨の日も風の日も休まず通勤し「学校改革」に一心不乱に努めた。
・ 「やりがい」もあり、「充実感」もあったが、それでも内心ストレスはあったのだろうか、学校が休みの日は嬉しくて、「ほっと」して大阪中をバイクを駆って走り回ったものだ。趣味は「映画」と「骨董」だから休みの日はとにかく天王寺、ミナミ界隈を荒らしたものだ。
・ ウォーキングが好きで、阿倍野筋、我孫子筋、谷町筋、上町筋、目を瞑っても歩ける感じだ。平成18年3月、思いもかけない事件に遭遇し、4年間勤めた勤務先を退職した。「無念さはあったが、頃は良し!」と思う気持ちが心の中にあったのかもしれない。「スパッ」と辞めた。実績も残せたし悔いはなかった。
・ 関東に帰り、趣味の焼き物三昧で生きるか、大阪でもう一度教育関係の仕事に就くか、色々「充電しながら」考えていたが、「お誘いの数も多く」、どうするか悩んでいたところに「浪速からのお誘い」を受け、「ピピッ」と来るものがあり、「これもご縁」と、急転直下、浪速にお世話になることを決めた。18年の年末年始は荷物を持って帰ったり、又持ってきたり、東名高速を往復し、大変だった。そのときも拠点は天王寺であった。
・ とにかく1年、「1年は脇目も振らず頑張る」ことを誓い、そのようにした。私学は土曜日も出勤日であり、まさしくその通りであった。土、日と連休などはない。最初半年は土曜日が休みでないのが体にこたえた。考えてみればおよそ30年週休二日に体が慣れ親しんでいたのだ。
・ 企業勤務以来土曜日は大体「ゴルフの日」であったのだが、クラブは仕舞い込んで6年になる。土曜日は半日勤務どころではなく、通常勤務に近い。特に入試関係は土曜日が稼ぎ時で休みはない。しかし体は慣れるものだ。その分、今は日曜日が本当に有難く感じる。
・ 食事は自分で作る。料理は嫌いな方ではない。大体近鉄デパ地下でお惣菜を買える幸せはやったもので分からないだろう。あそこは食材も新鮮で値段も手頃だ。天王寺駅のステーションプラザも私の縄張りだ。近辺のお買い物カードは随分と増えた。溜まると500円のお買い物券を呉れるのだがこれが嬉しい。主婦の気持ちが分かるようになった。
・ 今浪速高校で1年経ってようやく心の余裕が出てきた。1年遅れたが「天王寺を終えよう」と決心したのである。私にとって「1年遅れの新しい出発」である。新築1年目で最初の住人が私であった。大家さんにも大変お世話になったマンションで、日当たりは良く、洗濯物もすぐ乾き、いうことはなかったが、6年も住むと荷物も増え、狭くて両手を伸ばせば左右の壁に当たるほどになった。荷物や洋服のハンドルに困難をきたすようになった。
・ 名誉理事長や理事長職務代理から「ボツボツ、本格的に腰を据えて、落ち着いた住居を」とのお勧めもあり、「転居を決心」した。「住めば都」も、最近微妙に環境が変わってくる。周辺に得たいの知れない人も出没し始めた。
・ 学校出入りの不動産業者に物件を探すように依頼したら、彼らはお手の物、「ヘーイ、お任せ下さい」で探してきた。条件は天王寺区外、駅のそば、ただそれだけだ。そのようにして「本日引越し」となった。思い出の天王寺、がらんとした部屋を見ると感無量なものがある。
・ 荷物を整理していると「愛着のあるものが汚く見える。」ことに気がついた。古いものは捨てて行きたいが、目の前にすると「どうも捨てられない」のだ。フライパンを数えたら大小6個あった。卵焼き専用を入れると7個だ。鍋は10個もある。アルミ、銅、鉄、合金製、大きさ、形、深さなど、一つ一つに思い出がある。
・ 私にとって「天王寺時代」は決して忘れることは無いだろう。「ウンッ、そんなことは無いって、直ぐ忘れるって」。そうかも知れないが、ここで「色々なことがあった。」今度の場所で又新たな個人史が始まっていく。
・ しかし引越しって疲れる。新しい部屋は何かごみの山のような気がする。どこに何があるか分からないし、お店もどこに行けば買えるのか、まださっぱりわからない。パソコンもまだ繋いでいないから携帯用パソコンにPUSカードを差し込んで、寒くて震えながら、このブログを書いている。「明日から又新しい大阪」が始まる。

2008年2月12日火曜日

2月12日(火)合否発表のトラブル

 今から書くことは本来であれば「理事長・校長公式メッセージ」に記載するべきかもしれないが取りあえず、ブログにて「説明責任」を果たし、「混乱を招いたお詫び」を申し上げたい。
1.高校入試合格発表方法のトラブル
・ 進取的な取り組みにチャレンジしている本校は「本年度の入試合格の発表を本校の公式サイト「学校ホームページ」上にて実施する」ことを一旦は決めていた。今やIT時代であり、その方が受験生も結果を早く知ることが出来るし、本校の方も省力化になると考えたからである。世の中はスピードが要望されている。
・ 現在、大学の合格発表は受験生の数が多いこともあって、「ネット合格発表」が主流になってきているのだが、結論を言えば「高校の場合、いまだ尚早」ということになったのである。勿論完全に諦めたわけではない。
・ 経緯は以下の通りである。1月31日のホームページに「本年度の合格者一覧を2月11日にホームページに掲載します。」とアップした。しかしまずここでミスがあった。2月11日と言い切るには問題があったのである。
・ 元来、高校の合格発表は「校内掲示はせず」、11日の夕刻16時に、まず「中学校とご本人宛に郵便で合否通知を発送する」ことが本校の長いやり方であった。従って「中学校やご本人には12日の午前中に届く」ように設定したシステムであったのである。
・ ところが、本校の考えをサイトにアップした数日後から、中学校サイドから「ネットの合格発表は少し?・・・。」という声が上がって来たのである。理由は「中学校単位で言えば複数名受験しているのが普通であり、受験番号だから、個人名は特定できないと考えるのは間違っており、前後の番号から、あの人は合格、あの人は不合格と瞬時に分かるのはまずい」というのである。
・ 中学校サイドから指摘を受け、「なるほど」と、本年は従来通りにしようと私は朝令暮改をした。1週間後の2月6日「ホームページに掲載する旨の表示を削除」したのであるが、ここで又2度目のミスを本校は侵した。単なる削除だから既にホームページを見た人は「当然あるものと思い込んでおり」、その方々は11日にホームページをみることになる。
・ 当然である。中止決定後、なるべく早く「都合により11日のホームページ上の合格発表は中止致しましたのでご注意ください」とでも書けば良かったものを単なる「削除」したものだから後述する「混乱」が起きたのである。
・ その後、「変更通知」はなんと11日当日の朝8時に担当者がすることになるのである。三度目の失敗である。当初予告した当日の朝8時にアップしても見る人は少ないだろう。余りにも「遅いタイミング」であった。受験生のご家庭ではパソコンに向かい浪速のホームページを見ようかという時に中止連絡をしても遅いのはあたり前である。
2.学校ホームページのアクセス数急増
 ・2月11日は2年生対象の「センター試験模擬テスト」の日で、一部教師は学校に来ていたのであるが、なんと「職員室の電話が鳴り始める」ことになる。「ホームページ見ているのですが何処に合格者発表はあるのですか?」というものだ。
・ ネットのアクセス数は2月11日で言えば通常の倍もある。正直に書けば6476件あり、これは通常3000から3300であるから尋常でないことが良く分かる。昨年「熱中症事故」が発生した時は3000程度であったから、今回の数の多さは良く分かる。以上がことの顛末である。
・ 保護者のお声は厳しいというのではなくて、不審という感じであったらしいが、やはり今回のことはまずい。橋下知事ではないが「公約違反」だ。正直に謝罪しなければならない。
・ HP担当は「先生、このせいで校長日記のブログもアクセス数が新記録です」というがそれは筋違いというものだ。それはたまたまだ。
3.お詫び
・ すべて「学校長の責任であり、保護者と受験生に深くお詫び申し上げます。」
反省するに、やはり校内議論が少なく、準備不足が上げられます。中学校サイドのご意見を事前に良く聞くべきだったとの反省もあります。
 ・ 今回「ネット社会の恐ろしさ」を規模は小さくとも感じたように思います。タイミングと変更の場合には「どのようにしてそれを周知するか」という問題ですね。何時も、何時も同じ人が連続してホームページを見ているとは限りません。「その後の事態の変化をどのようにお知らせするか」、難しいところです。
・ 尚、来年以降どうするかについては、今後仕切りなおして考えていきたいと思っています。現在大阪府の私学でネットで合格発表をしている学校は我々の知る限りでは一校のみで公立はもとより私学ではまだ一般的になってきていませんが、そうなるのは時間の問題だとも感じます。
・ 今後とも我々はタイムリィーに必要な情報を早く正しく保護者府民の方に本校ホームページを通して流して行きたいと考えています。「更新は毎日」が広報・情報委員会の合言葉です。学校によっては数ヶ月も更新されていないところがありますが、本校は毎日、何らかのメッセージをお伝えするべきと考え、実施中です。「学校の透明性を高める」「説明責任を果たす」、このことが目的です。
4.めざましテレビ「ガクナビ」コーナー
・ 2月12日(火)フジテレビで全国放映された。私は見る機会を失っていたが担当のM教諭がビデオを持参してくれた。今日は「一斉参拝」の部だ。素晴らしい。画像がきれいだし、何と言っても極めて「好意的に編集」されている。生徒の笑顔が良い。これは間違いなく他でも使える
・ 今度は22日(金)空手部で、その後ボクシング部、雅楽部と続くが日程はまだ決まっていない。朝6時過ぎだから、見られるお方は是非見て欲しい。すべて終わったところでDVDに落として学校PRなどに使う積もりだ。

2008年2月10日日曜日

2月10日(日)私学助成金削減

1.大阪府私学助成金削減を検討
 ・ 気分良く受験生を迎えていた昨日の新聞記事に「ムカッ」とくる内容が産経のトップを飾っている。「大阪府600億円、聖域にメス」と見出しには。要は新知事の意向を受けて財政改革を進める府は府内私立の幼小中高901校の助成金をカットしようと、遂に俎上に載せたとスクープしている。
・ 府内全域で「32万人の生徒児童に約600億円助成」されているが、これに手をつけるというもので、現在の一人当たり37万円の交付金が削減されたら大変な事態になろう。中高連はコメントを出し「仮に10%削減されたら経営が立ち行かなくなるところも出てくる」としている。
・ 2月6日の高校納付金ブログに書いたことが記事になって出てきた。間違いなく「私学、冬の時代」がやってきた気がする。助成金がカットされてもやっていける「筋肉質の学校つくり」「生徒の集まる学校つくり」を全員が一致協力して進めなければならない。一刻の有余も無い。
・ 新知事は間違いなく「私学助成に踏み込んでくる。」府の公務員の給料をカットし、府の関与する団体への補助金をカットし、「さあ次は私学だ。」と来られたら反論のしようもあるまい。
・ 個人的な感想だが大阪には少し私学の数が多いと感じる。平成12年から府立高校は恐るべき速さで彼らのいう「再編整備」、分かり易く言えば「統廃合」を実施してきた。多くの公立高校がなくなったのだ。当然次は「私学の順番」だろう。
・ 府も一律カットとはせず、私学間で「メリハリ」をつけるのではないか。大切なことは公金が入って、それが適切に教育事業としてなされているという「評価」だ。経営努力も学校改革もせず、漫然としている私立に厳しい現実が待っているかもしれない。
・ 補助金がカットされ、血のにじむ努力をし、それでも難しくなったら「授業料アップのお願い」をせざるを得ないが、その前にもう一段の「教職員の給与見直し」は当然あり得る。「本格的に私学淘汰の時代が来た」。このことは「私学教員の優劣評価の時代が来た」と言うことだ。
2.国旗国歌をめぐり再雇用拒否事件
・前のブログにも書いたがやはりこの時期になると決まってこの種の話が出てくる。「うんざり」と言う感じだ。まず2月8日各紙はかなりの扱いで記事にしている。話と言うのはこうだ。
・東京都立高校の卒業式などで国旗に向かって起立し,国歌を斉唱しなかったことを理由に定年後の再雇用を拒否されたのは違法だとして元教職員が都に損害賠償を求めた訴訟の判決が7日に東京地裁であり、原告側の言い分を認め一人当たり210万円の損害賠償を命じたというもの。理由は「少し都教委はやりすぎ」というところか。
 ・一方、起立斉唱を命じた「校長の職務命令は思想信条良心の自由を保障した憲法には違反しない」と裁判所は判断している。「もういい加減にして欲しい」という思いだ。
3.朝日の社説「都教委は目を覚ませ
 ・さっそく朝日は9日の社説で「かなり強烈に都教委を批判」している。もともと朝日新聞の意見はこの種のものには極めて敏感で、同時に批判的で社説には「都教委の強制ぶりを戒めたもので評価したい」とある。
・しかし同時に社説には次のような文言がある。「国歌斉唱で起立しなかったことは、他の教員や来賓には不快かもしれないが、積極的に式典を妨害するものではない・・・」云々とある。
・ 「その通り、ある特定の教員が起立しないのは不快そのもので、厳粛であるべき式典を破壊している行為」だと私は考える。考えても見よ。「先生ですぞ。教師といわれる人たちですよ。」こういう社会の尊敬を受け、給与など優遇されている職業にある人たちですよ。
・ 妨害とはこの種のような行為をいうのであって、スピーカーを使ったり、ビラをまいたりするのは違法行為で妨害を超えていると私は考えます。朝日新聞の主張には同意できない。「そこまでしなくても良いのではないか」と言うのであろうが、これは完全に法令違反で、何回も何回も校長の依頼、職務命令を無視したことへの処罰は当然あり得る。組織の論理とはそういうものだ。そうでなければ組織は成立しない。
4.今度は産経の社説「徹底指導を妨げる判決だ
 ・当然のことながら産経も社説に載せる。「問題の多い判決である。」まったく朝日と論調が正反対だ。子どもたちが国旗と国歌に対して敬意を払う心とマナーを育むための数少ない機会を無にするような職務命令違反は重大で再雇用拒否はありえるものとは書いていないがそうあっても仕方がないというふうに受け取れる。今後教員の抵抗姿勢を生み出しかねない不安もあるとしている。
 ・私は思う。大体学習指導要領で定められた教員の指導義務を自ら破ることと再雇用を申請する神経が私には分からない。産経は「校長や教委は今回の判決にこだわらず、自信をもって指導に当たって欲しい」と閉めている。産経の主張する通りだと思う。
5.石原都知事の論考
 ・2月4日産経朝刊の「日本よ」にまさしく都知事は含蓄ある論説をのせている。「人間は誰しも他者との関わり無くして生きられはしない。民族とか国籍といった事柄はその原理の演繹の先にある。それらへの帰属をいくら拒否しようとしても我々は折節に社会的存在としての人間にからむその公理から免れ得ない。・・・・」
 ・まったくその通りで卒業式の国旗掲揚、国歌の斉唱が「生徒を戦場にやるな」「思想信条の自由だ」と主張する教師が「生徒や来賓、他の多くの教職員の目の前で起立をしない行為」をどのように日本人、あるいは日本と言う国家の中で正当化されようというのか未だに私には分からないのだ。
 ・反対は反対で良いから、それは「内心に留めておく」ことが何故出来ないのか。満座で起立しない行為が「内心の自由」と考えるのはおかしいのでないか。公務員として法律に従うのはあたり前の話だ。好きなことをしていて「再雇用も頼むよ」というのは余りにも社会の一般常識として如何なものか。「内心の自由はあくまで内心に留めるべき」と私は考えるけどなー。
・ 東京都では述べ400人の教職員を戒告や減給、停職の懲戒処分にした。再雇用を拒否された教員は約40人と言う。ほんの一握りの教員であって他の99%の教員は内心の自由に留め、生徒の卒業式のために自らを規定しているのである。それが理性ある大人の姿というものであろう。
6.合否判定管理職会議
7.校務運営委員会合否判定会議
 ・多くの意見が出て大変良い会議であった。高校教頭の提案した原案が決定された。
8.職員会議合否判定周知
9.発送業務  
・発送は明日の夕方郵便にて、入試広報の担当の教頭が責任を持って対応
・次は2月16日の理数科SS、Ⅰ類の1.5次試験に向けて作業が始まる。

2008年2月9日土曜日

2月9日(土)入試当日

  • 1.入学試験当日の朝
    ・ 天気予報どおり。10時過ぎには霙混じりの雪になり正午にはボタン雪の様相となった。少し積もった。朝早い生徒は7時40分頃には学校に来ている。受験生にそれほどの緊張感は見られない。顔は明るく素直だ。大学受験とはかなり様相が異なる。大阪、京都、兵庫の3府県で私立高校の入学試験が一斉に始まり約13万人が受験を受けた。大阪は7万2000人、そのうち2100人以上が本校に来てくれたことになる。
    ・ 8時10分、職員室で朝礼、校長より訓示「緊張感を持って宜しくお願いします」と。その後教務部長から2,3の留意点を述べ解散、全員持ち場に散っていく。この段階ではまだ雪とはならない。
    ・ 2121名の志願者であったが、最終的に4名の欠席者という。私からすれば4名とは多いと思うのだが、教職員は見方が異なる。例年に比べて圧倒的に少ないと言う。例年と言っても1200人くらいだから4名の欠は確かに少ないのかもしれない。遅刻者も全くいなく定刻には全員揃った。
    ・ しかし一人の受験生は天王寺行きの快速に乗ったため、又天王寺から我孫子まで引き返し、受験票を忘れた生徒が5名、いずれも中学校と連絡を取りながらの対応で結果はOKであったが、受験票をやっぱり忘れる子もいるのです。中学校の先生もこの雪の中、無事着いたか、気にかかるのであろう。
    2.受験と言う言葉
     ・入学試験は間違いなく人生の大きな節目だ。高校受験、大学受験、入社試験、結婚と人生には大きなポイントとなる点がある。近年は中学受験、小学校受験なども加わり「受験時代」は終わることがなく、拡大する一方だ。幼稚園の場合は「お受験」というらしい。
    ・ このような受験の世界は何時ごろ日本に発生したのであろうか。結論から言えば「明治30年代の後半」というのが物の本にある一般的な回答らしい。明治40年は日露講和条約の2年後、義務教育が4ヵ年から6ヵ年になった年である。
    ・ 第五高等学校を卒業し、東京帝国大学に入学するために上京した学生が主人公の、漱石の小説「三四郎」が朝日新聞に連載されたのが明治41年。当時は9月が新学期であった。これも受験での上京であった。
    ・ 当時第一から第七まであった旧制の高等学校はまさしく「難関受験」であったが、言葉は「遊学」が使われていた。群を抜いての人気校は東京の一高で試験倍率は4倍を超えている。「受験」の言葉や「受験雑誌」が一般的になってきたのは明治40年以後のことという。明治40年、有名な当時のベストセラー「最近受験界」の雑誌が登場する。最近と言うのが面白い。
    ・ このように日本の受験の歴史は相当古く、中国の科挙などはもっと古いわけで「受験と言うのは人類共通の宿命」なのかも知れない。我々の時代は「灰色の青春」とか言われていたが、最近の生徒をみているとそんなに深刻には捉えていないようにも感じる。あっけらかんとしている。「まあとにかく本校の受験生、頑張れ」
    3.昼食弁当
     ・今日は特別の日として事務室がお弁当を用意してくれている。忙しいし、各人、時間のあるときに慌しく済ませる必要があるからだ。教職員用105個、お手伝いの本校生徒用113個、値段は書くまい。幾分生徒用は安いと聞いた。同じもので良いのにと思う。差をつける理由は分からない。昔からそうらしい。例年決まった仕出し屋さんからの手配というが、味はまあまあであるが量が幾分少ないのではないか。
     ・今日は重労働。もう少しカロリーがあっても良いかなと感じた。試験は「最後の科目社会が終わるのが14時時55分」。その後採点が始まる。本校では「今日中に採点を済ませる」と言う。これは完全に公立と異なる。公立は3日間かけて採点を行う。極力勤務時間内に作業を終えさせて疲労が蓄積しないようにという配慮だが・・・・・・。
     ・夜は9時、10時頃までかかるので簡単な食事を用意するという。今度は幕の内から「お寿司」にメニューが変わると言う。仕出し弁当会社が別のところらしい。
    4.試験終了
     ・予定通り何事も無く無事試験終了。門前にはお父さんの運転する迎えの車が行列。来る時はばらばらだが帰るときは集中するから洪水みたいに正門から出てくる。それらの様子を見ていると「嬉しさがこみ上げてくる。
     ・雪で脚を滑らさないように教員や校務員さんが箒で雪かきだ。時間差で正門から出し、混雑しないように配慮している。こういうところは本校独特の優しいところではないか。
     ・2,3の生徒に聞く。「出来ましたか?」「ウーン、微妙」。「どことの併願?」「専願です」。「どことの併願?」「佐野です」。「問題はどうだった?」「数学が難しかった」「社会が難しかった」等々
     ・終了後副校長から「詳細報告」を受ける。小さなトラブルはあったが大事にならずに済んだとのこと。「良かった。ホッと一安心」である。
    5.採点作業
     ・教室の片付けを終え「採点作業」に入る。場所は図書室。常勤講師以上の先生方で対応するのだが「やっても、やっても終わらない」感じだと。確かに慎重に進めなければならないものだし、この数だからそのように感じるのも無理は無い。
     ・しかし「これはまずい。」と思う。今日は集約するだけにして明日朝から採点に入る方法を考えるべきではないのかと思った。一日合否発表を遅らすこととの得失を他校も参考にしながら考える必要がある。来年度のテーマだ。
     ・18時過ぎ弁当が届く。お寿司の味は大変良かった。学校の近くにあるお寿司屋さんで長いお付き合いという。包装紙には「門口に人押し寄せて幸をつり舟」と書いてあった。本校みたいだ。気に入った。
    ・ 採点は順調、女性教諭はなるべく早く終わるよう副校長に指示、雪で足元も危ないのでタクシー券も出しなさいと。遅くなる者にもタクシー券を出すよう事務長先生に言う。私が採点するわけではないが「気を使うことが私の仕事」。
    6.採点終了
     ・数学の採点終了が最も早い。次に英語だ。例年に比べて英語は早い。時間を要しているのは社会と理科だ。
    ・ 女性教員は余りおそくなると問題であり、9時45分に終わらせ帰宅の段取りとした。後は申し訳ないが男性教員にお願いせざるを得ない。中途半端で終わらせるわけには行かない。
    ・ 11時00分最後のインプットが終了。ここで中締め。「慰労の挨拶」をする。しかしその後は教務部だけで全体のデータ処理をすることになる。あと1時間くらいあろうが副校長に任せて私は終了。「皆頑張ってくれました」。しかし明日は通常通りの出勤で合否判定会議がある。
    長い一日だったが「充実した一日であった。」

2008年2月8日金曜日

2月8日(金)入試前日

受験日前日
1.試験会場準備
・ 今日は2限で授業は終了させ、生徒には私物を自宅に持ち帰らせ、早々と追い出す感じで準備に入る。勿論一部生徒の協力を得るのだが、どことなく皆余裕のある顔をしている。長いすを入れたり、各机に受験番号シートを張ったり各部屋の責任者が部屋の中をチェックしたりしてくれた。見ていて感じが良い。
・ 信じられないのだが昨年は午後になると特段用事の無い先生は帰宅していたそうで、学年主任や科コース長が会場を見廻る慣例だそうだが、掃除が行き届いてないところは学年主任などが手を入れたという。今年からそういう光景はなくなった。
・ 教務部長は指折りのパソコンの使い手で会場、監督表など私にはカラー版で渡してくれた。万全の準備だ。彼の案内で主だった会場を視察に廻った。昨年の今頃は校長兼務ではなかったから本校のシステムをよく知っているとは言いがたかったのである。
・ 「放送要領」も準備され盛んに中学の教務主任が試放送していた。声は良かった。ところがその資料を良く見ると「8時40分に建学の精神について学校長からのお話があります」というのがある。
2.校長先生のお話
・ 「ナヌッ、校長の話?」「ちょっと待ってよ」、8時45分から始まる試験の5分前に何の校長の話か。慌てて前校長先生に問い合わせた。こういうことらしい。随分と前、20年くらい前に神社神道の学校であるということを知らず受験をし、合格したあと、「そんなことは知らなかった。うちの子はお寺の子です。学校行事の神道的なものは困ります」くらいな、小さな揉め事があって以来、この放送をしてきたという。
・ 経緯は分かったが、今日、数万部作成してもう後数部しか残っていない「学校案内」には明確に記している。「学校公式サイトホームページ」には更に詳しく建学の精神など記している。年何回もある「塾説明会」でもお話している。浪速高校は神社神道の精神を建学の礎に持つことはいまや大阪では周知の事実であろう。
・ こういうと前校長先生は1.5次とか2次とか、他府県から受験にくる生徒もいるといわれるのだが、本当に必要なことであろうか。大体「私学はいずれも宗教系がある割合で主体」である。
・ 仏教系では真言宗、浄土宗、浄土真宗東本願寺派、クリスチャン系、金光教系、PL系、とにかく本校だけではない。それに「本校は文部科学省の学習指導要領にのっとった普通の高校」で特段変わったことをする学校ではない。神道系の学校行事はあるが別に「神職養成学校ではない。」
・ 貴重な試験開始5分前から、1分間も校長が建学の精神を話す必要はあるのか、緊張している受験生が1分間の校長の話など頭に入る訳がない。どうも「ちゃんと説明しましたよ。」みたいな「免罪符を得るための儀礼だな、これは」。このようなことは意味はないのではないか。私はそう思う。
・ 大いに疑問はあるが本年はもう間に合わない。来年どうするか教員の意見も聞きながら決めればよいか。しかし校長がするべきではない。大体入学許可も出していない不特定多数の受験生に学校長が公式なメッセージを出すべきではない。
・ 「入学式」ではちゃんと本校の沿革と教育方針をしゃべるから、明日は副校長でということにした。合格通知から入学式まで時間はあり、「神社神道の学校は厭だ」と思われるのであれば辞退のチャンスはある。そういうお方は早めにご遠慮願った方が良い。
3.改正教育基本法における「宗教教育
 ・まず私立学校の教職員は昨年改正された「新教育基本法」をチェックしなければならない。詳細は別途理事長・校長公式メッセージに論考を張らねばならないが、「極めて大きな政治的妥協で修正というか変更」がなされたのである。
 ・第2章教育の実施に関する基本」第15条がそれである。「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。国および地方公共団体が設置する学校は特定の宗教に為の宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」とある。
 ・一方改正前の旧法は第9条で「宗教に関する寛容の態度、及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。国および地方公共団体が設置する学校は特定の宗教に為の宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」である。
 ・クイズ「どこが異なるか1分で見つけよ」ではないが、たった一文「宗教に関する一般的な教養」が新法で付け加わっただけなのである。しかし結構この一文の意味は大きくて「宗教についての一般的な教養は学校教育の現場で尊重しなければならないのである」
 ・法案作成の段階では自民党を中心に大きな主張の「宗教的情操の涵養」の文言が削られた経緯がある。実はここが改正教育基本法の宗教教育のポイントであったのだが、最後の最後で自公連立政権は強硬な反対をする公明党に譲った形で決着がついたのである。
 ・しかし個人的に言えば今日的生徒を直視したとき、今もっとも必要な教育はまさにこの「宗教的情操の涵養」であり、「愛国心」の議論とともに「時は今、日本文化の原点、神社神道の浄明正直の精神をバックボーンに持つ浪速教育の時代の到来」と私は思っているのである。
 ・「今を生きる」しっかりと今を生きる、この精神が「神社神道精神の根本」であり、我々は本校を選択してくれたくれた生徒に「今をしっかりと生きる、浄く、明るく、正しく、直く、生きる」ことを教えていかねばならない。そのために「神道科の授業だけではなくて様々な学校行事を通じて」伝えていかねばならないのである。

2008年2月7日木曜日

2月7日(木)寄附行為

1.寄附行為の意味
・ 「寄附行為」という一風変わった名前は当初分かりにくかった。寄附行為とは会社でいう「定款」に相当するもので、こういう名前になったのは学校法人の「財団性に由来」する。私立学校を設置する学校法人は民法根拠の財団性にプラスして「私立学校設置者に相応しい修正を加えたもの」であると言える。
・ 言い換えれば学校法人とは「私立学校設置を目的として私立学校法の定めるところにより設立される法人」をいい、原則として私立学校は学校法人のみ設置可能である。盲学校、聾学校、養護学校、幼稚園は学校法人以外でも設置可能としている。
・ 法人には公益を目的とした公益法人、営利を目的とした営利法人、そのどちらでもない中間法人とあり、勿論学校法人は公益法人である。公益社団法人と公益財団法人は民法の適用を受け、宗教法人は宗教法人法、社会福祉法人は社会福祉法が根拠法であり、前術したように「私立学校は私立学校法を根拠として、まず「寄附行為」の根本規則」があるのである。
・ 前述したように寄附行為の言葉は元々は民法の財団規定から来た言葉で、「寄附された財産を運用するための規則」と理解すれば分かり易い。従って「寄附行為は国の憲法にも比すべき学校法人の根本規則」であると書いている書物もある。
・ 私立学校設立の根源はまず所轄庁により「寄附行為が認可」されなければならない。認可されて「設立の登記」を行い、ようやく「学校法人が成立」するのである。そのようにして学校法人大阪国学院は設置されたのである。
2.寄附行為の効力
 ・ 本校でも内部で多くの規則、例えば就業規則他を定めているが寄附行為に違反している規定はまったくその効力を有しないほど「最重要・最高位の法的規定」でこの「変更には所轄庁の認可を必要」とする。
・ 即ち学校法人の運営には寄附行為に基づいてなされなければならない。まず「管理機関の規定」が最重要である。法人を管理する規定である。まず「理事の選任が必要で最低5名以上」と私立学校法は規定している。そして理事の中から法人を代表しその「業務を総理する理事長の選任」となる。
・ 私の場合で言えば昨年の12月22日の理事会でまず理事に選任され、その後に理事会において理事長に選任されるという手続きであった。次に重要な職位は「監事」で財産の状況や業務監査をする常置しなければならない機関である。法的に2名以上となっている。
・ 次に「評議員会」がある。いわば理事会の「お目付け役」みたいなもので、重要な財産の処分などはあらかじめ「評議員会の意見を聞く」ことが求められている。理事の定数の2倍超えで組織される。
・ 昨年大阪府でも近隣の某私学で理事長が理事会や評議員会を無視して土地の購入や裏金による政治献金など大きな社会問題となったが、新聞報道には「寄附行為の違反」として所管庁(大阪府知事)から指導処分がなされたことは記憶に新しい。
3.本校での寄附行為の改訂
 ・昨年来、学校改革を進めるに当たって機動的・機能的な理事会、監事、評議員会を目指して「学校法人大阪国学院寄附行為の改正」を行った。初めての本格的な改正であった。大阪府の指導を受けながらようやく平成19年11月12日、1昨日まで府知事であった「齋藤房江知事の認可」を頂いたのである。
・ 理事数は11名から7名に、監事が3名から2名へ、評議員は49名から33名へと「スリム化」した。理事と監事は改選しすでに新体制でスタートしているが、今回「評議員の改選」をすべく本日「大阪府神社庁で各支部長」にご参集頂き、学校経営の状況を説明し、新評議員の推薦をお願いした。
・ 2月末までに24名の評議員を推薦頂き、3月の予算理事会にて正式決定の運びとなる。任期は4月1日から3年間である。立派なお方が神社庁からご推薦されることを期待している。
4.府内私立高等学校志願者数最終発表
 ・今朝の各紙、「出願状況」を大きく報道している。先の中間発表と大体同じ数値だ。産経は「浪速」の名前を載せてくれている。専願、併願合わせて7万815人(対昨年比962人増)で「平均競争率は3.17倍、専願率は22.81%と過去最低と成った」。
 ・専願率は平成3年の37.7%をピークに低下の傾向は変わらず、「昨年の公立の学区再編で公立の選択の幅が拡大し不景気の影響もあるのか、私学を敬遠する傾向があるのか」と私立中高連は分析している。
・ 一方で専願者だけで外部募集人員を超える学校は8校から10校に拡大しており、学校別で倍率の高い順は追い追手門学院6.9倍、大阪高校6.57倍、浪速高校5.81倍、男子校は興国の4.16倍、女子高では四天王寺野3.96倍とある。
・ 完全に「人気格差が広がっている傾向も浮き彫り」になったと記事にはある。入試は2月9日に府下一斉に行われる。本校でも準備万端整ったが天気予報では芳しくないと実務責任者の教務部長は心配している。
・ 何しろ「2121名もの生徒」が集まる。明日から机の並び替えや受験番号別会場の整備など総出で準備に入ることにある。手が足りないから連絡係で生徒のアルバイトも手配した。なんと100名だ。何とか無事に試験が終了することを祈るばかりである。

2008年2月6日水曜日

2月6日(水)高校納付金

1. 高校納付金
・ 「私立学校納付金は入学金と授業料」とからなっているが、浪速高校の授業料レベルは他の私学に比べてどのような位置にあるのか、大変興味あるところである。入試広報はさすがにこれらのデータを持っている。瞬時に揃えてくれた。
・ 単に授業料だけでは比較できない。入学金は抑えながら授業料は少し高いというところもあるし、逆に入学金は少し高くても授業料は少し抑えるところもある。いずれにしても納付金をみれば、どうも「学校の評価」みたいな、言い換えれば「企業の株価」みたいに感じるのは私だけであろうか。
・ 進学実績の高い、人気の学校は株価は高い、いや納付金は高いし、生徒数の少ない低迷(?)している学校は納付金は一般的に少ないように見える。人気はないが、納付金を高くしなければ経営がやっていけないところは、頑張って幾分高く設定しているようにも見えるところもある。いずれにしても「納付金の数値をみれば学校のおかれている状況」が分かるような気がする。
・ 「 私学は授業料が高い」とは人口に膾炙されている言葉であるが、そのこと自体に間違いはない。しかしそれは国公立高校と比べて国や都道府県の私学助成が圧倒的に少ないわけで、保護者からの納付金と公的助成金で経営が成り立っているのだから、ご理解を頂かなければならない。
・ 「浪速のポジションはどうか」。答えは大阪の私学共学校56校の中で31番目、入学金200000円、授業料522000円の合計722000円である。56校の分布を見るとどうも上位グループ、中位グループ、下位グループの3つに分かれそうだ。「本校は中の中」といったところか。
・ トップは千里国際学園で120万円で断トツだが、ここは帰国子女や外国人教育学校だから別格として、トップグループは上から同志社香里924000円、金蘭千里896000円、関大一高860000円、大阪桐蔭820000円、手塚山泉が丘815600円、それに大手前、清風南海がともに810000円で続く。
・ 各学校「横にらみで一生懸命、どうするか考えている」ものだから、学校間にそれほど大きな差異はないのだが、下位グループで言えば安いほうから金光藤蔭658000円、清華660000円、清明学院660000円、商大堺668000円などとなる。
・ 同志社香里と金光藤蔭が仮に共に生徒数1000名とすれば収入は2億6千600万円も開きがあり、尋常の差ではない。高くすれば「生徒保護者からから敬遠されないか」安くすれば「安かろう、悪かろう」と思われないだろうか、私学経営者の心配は尽きない。
・ 本校でも値上げの話は過去理事会側からあったと言うが、嘘か誠か知らないけれど、「我々は弱者の味方だ。授業料値上げ反対」と組合分会が猛反対したことがあると聞いた。もしその時私が居たら「絶対にそのようなことは言わせない。」経営のことは何も分からず、自分たちの給料は社会一般よりも高いところにもってきて、更に上げることばかり主張しながら、納付金は上げるなと。ふざけた話だ。
・ 大体巷間言われている組合の組織率の高い私立学校はすべて本校よりも納付金が高いではないか。これをどう説明するのか。弱者の味方を言うなら、本校で一人居るが自分の給料や手当てを返還して困っている人を助けよ。それが筋というものだ。
・ 今から来年度どうするかじっくり考える。大体これは「経営マターで従業員がとやかくいうことではない。私が私の責任で決める。」。校舎の補修費、女生徒受け入れ拡大のための諸準備、女性教職員が増えることに伴う更衣室増強、生徒の運動設備などお金は1円でも多く必要だ。
・ 必要なものは実施するが無駄はしない。必要な資金は集める。勿論組合のいう「公的私学助成の増大は根気よく行政にお願い」していくつもりだ。しかし公的助成が今後増えると考えたら間違う。公的助成が少なくともやっていける「筋肉質の学校」を作っていかねばならない。      
2.民主党が高校無償化案を提出
・ 民主党が今国会に提出を予定している「高校の授業料無償化案」の骨子が作日あきらかになったと今朝の読売が報じている。読売だけだった。高校、高専に「国が示す授業料の標準額の範囲内で授業料を支給する」というものだ。
・ 私学には親の年収500万円以下の家庭に標準額の2倍を支給するというものだ。現在「標準額は全国平均で118800円」(大阪府は全国一高くて148000円)で費用は年間4324億円としている。
・ おかしいではないか。私学の保護者は公立の保護者と同じく、所得税を支払い、住民税や消費税も同じように支払っている。私学に通わせる保護者が裕福という前提で民主党は考えているが、これは今日間違っている。然らば、「公立に通わせたらよいではないか」、こんなことを言う人は何も学校のことがわかっていない人たちだ。
・ 果たしてこのような民主党の案が通るのか否か、分からないけれど功罪をよく考えねばならない。自民党との協議などを注意して見守っていかねばならない。簡単にいくはずが無い。
3.大阪府財政非常事態宣言
 ・ 全国最年少、橋下新知事が登庁し新知事による府政が今日から始まる。職員に対する就任挨拶を聞いたが「破産会社の従業員と厳に認識してください」と言っていた。これはこれで立派である。とにかく初心貫徹、公約とおり進めて欲しい。応援はする。
・ ただ財政非常事態宣言でもなんでも良いが「私学助成」についてはまず「公立学校と公平に考えて欲しい」。この人に感じている「危険な匂い」がますます強くなってくるのが気になる。橋下さんの発想の原点が、何でも「北野高校、北野高校、早稲田、早稲田、ラグビー、ラグビー」に限られていることだ。
・ 特別秘書も北野、早稲田、ラグビー部の後輩だ。仲間を連れて行くものではないというのが私のスタイル。本校にもたった一人で赴任した。ただ自分ひとりを頼りに、長ドスを手に討ち入るのは唐獅子牡丹の高倉健さんだったが、「誰一人知らない中に一人で入って仕事をするのが格好良いと思うがなー」。そのほうが内実がよく見え、大きな発想が出来るものだ。
・ 選挙期間中は「学区の撤廃」を叫んでいたが、まだ新学区制になって2年目だ。まだ早かろう。今日の新聞にはなんと早速、府の幹部に「自分の母校、北野高校を中高一貫校にすべし」と言っていると報道にはある。ますます危険な匂いを感じる。北野だけではないだろう。大阪には200校以上の公私の高等学校がある。「まず勉強せよ」と言いたいね。貴方は今や北野の単なるOBではなくて大阪府の知事なんだ。
・ 公立中高一貫校に私は反対はしない。東京はじめ他府県がやりつつある。ただ北野、茨木は今のままでよい。大手前と天王寺は理数科がある。北と南でバランスは良い。然らば、どこか。今度は東西だ。高津と四条畷を中高一貫校にすべし。これが私の意見である。

2008年2月5日火曜日

2月5日(火)イントラネット試行

1.日教祖への会場貸し出し拒否問題:その2
・ あれで収まるかと思ったら、じくじくと長引いている。今日は「日経の社説」にまで大きく出ている。昨4日で教研集会は終了した。全体集会は出来なかったが分科会は大きな混乱はなかったという。
・ 日教組は閉会に際して改めて「ホテル側の対応を強く非難する声明」を出した。今後は来年の開催地の選定に入ることになろうが、果たして「来年はどの会場でどのような結末になるのであろうか」社説記事で注目したのは次の文言が入っていることだ。「・・確かに日教組の主義主張に批判は少なくないが・・・・」というものだ。
・ 大手新聞がこのように書くのも珍しいのではないか。今回の騒動で概して新聞報道は司法命令を無視したホテル側に厳しい意見が注がれているが、プリンスホテルは「頑として応じず、使用を拒否」した。
・ 大手の名門プリンスホテルがここまでして貸し出し拒否を貫いた根性もすごい。右翼団体の押しかけは警察とタイアップすれば何とかなるのが今までの例で、過去大きな混乱は無かった。それでもプリンスは受け入れ拒否したのは日教組の主義主張に反対するからこそではないかとうがった見方をしてしまう。
2.神奈川県教育委員会
 ・出てきました、出てきました。この季節になると定例行事みたいに卒業式、入学式の国歌斉唱時の「起立問題」が新聞報道に現れます。神奈川県教委は昨日起立しなかった教職員名について「収集を継続する方針」を固めたとある。
 ・県の第三者機関が「思想信条に該当する個人情報で氏名収集は不適と答申」したが、県教委は「収集は客観的事実で内面に関わる個人情報ではない」とし、加えて「職務上の行政情報に過ぎない」とまで言い切っている。
 ・「教職員の異動がある中で起立するよう継続して指導するには誰が起立し、しないかの情報は不可欠」との県教委の姿勢と、現在氏名を報告された16人の教職員が「思想信条に関係する個人情報の取り扱いを禁じた県の個人情報保護条例に違反」と不服を申し出ている最中の出来事だ。
 ・生徒保護者来賓、他の教職員全ての人が見ている前で「国歌斉唱時に起立しないで据わったまま」いることの確認が何故個人情報取り扱いの違反になるのか、私にはよく分からない。
3.兵庫教育大学大学院から受講生のレポート 届く
 ・1月24日出講時の受講生のレポートが教授より届く。先生のお手紙には「私の授業では伝えきれない学校経営のかんどころいついて木村先生の経験に裏打ちされたお考えを、熱意あふれるお話で伝えていただくことで、院生諸君もかなりの学びがあったようです。」と書いてある。
・ 院生の皆様のレポートからも熱く思いが伝わってくる。「一期一会」であり、一生懸命に話したことがこのように受け止められると嬉しい。院生の皆さん、誇りを持って今後とも頑張ってください。日本の教育再生のためです。
4.校内IT武装化 イントラネットの施行スタート
 ・昨日から「IT武装化第二弾がスタート」した。2月、3月は並行本番とし、4月から本格的に移行する。早速4件の出張申請を「電子承認」した。「校長印が画像」でありそれを実際にドラッグして押すのだ。見た感じは帳票も実物大であり、違和感はない。
 ・「教職員は使いこなしてほしい」。社会一般、どこだってやっているものだ。難しく考える必要はない。「慣れの問題」もある。人間はこういう場合の悲しさで「逆に面倒くさい、紙に書いて、印鑑を押す方が早いではないか」と感じるものだ。
 ・しかしここで「待てよ」と考えて欲しい。ペーパーレスとなり、持ち運ぶ人手も時間も少なくなる。又これらの集計・保存も一瞬だ。大阪府のものより使い易い。それを言えるのは両方経験出来る私だけだ。
 ・あくまで「申請主義」「発生源入力」の時代だ。事務室にとっては大きな事務の合理化になる。「希望としては現有勢力から1名減」でやっていけるはずだ。教員は持ち時間を16時間から18時間にして頑張ってくれている。少数精鋭、そのためのIT武装化でもある。

2008年2月4日月曜日

2月4日(月)その2:本校の水道代

1.中学校新入生弟1回招集日
・ 今年から4月入学式を待たず、新入生を学校に招集し、少し早いが「春季課題」を出して「助走」させることにしたと中学の教務部長。私からは「良い考えじゃないか。」
・ 先週2日(土)14時から体操服、体育館シューズの購入申し込み時に「今後の日程」も合わせて説明したとのこと。今年から3クラスになるため、どのような生徒なのか早く教員が把握するのは大変良いことで、賢い感じの生徒ばかりだったとのこと。楽しみだ。
2.浪速中学校「転入学試験
・ 他の私学、あるいは公立から「浪速中学2年生に転入したいというお声」がちらほら来ていると教頭。これも浪速人気のなせることかと一人でほくそ笑む。
・ 願書受付は2月29日から3月6日まで。試験日は3月18日で合格発表は19日である。ひょっとしたら数名の転入者があるかもしれない。
3.高校1.5次募集
 ・高校の1.5次募集について議論があった。「これだけ志願者が多いのだから、もう1.5次はしなくても良いのでは」という意見について分からないでもないが、訳あって機会を失っていた中学生に最後の機会を設定するのは当然のことであると私は考える。
 ・従って「理数科SSと普通科Ⅰ類について2月16日(土)に入試」を行うことを、本日の校務運営委員会で確認した。
4.卒業保留生徒の取り扱い
 ・3学年主任より先の「卒業判定会議で卒業認定保留条件付き」となっていた生徒4名について条件解除の報告がなされた。校務運営委員会で確認し、これで総勢卒業認定者理数科で104名、普通科で304名、合計「408名の卒業が正式決定」された。おめでとう。良かったね。
5.水道使用状況 事務長補佐より報告
 ・19年4月以来、「前年度に比べて水道使用量が跳ね上がり」、「水漏れ」など徹底して調べて来たがようやく要因が分かってきた。すべて事務室が調査してくれたものだ。大体本校では月間平均1200㎥の使用量で最も高い数値は8月で1500㎥を超える。18年、19年と大体同じ数値だ。最も低いのは12月、1月で700台になる。これは休みの影響などである。
・ 水道代は月度70万円くらいであるから大体生徒一人当たり450円/月だ。この数値が高いか低いか良く分からない。しかし去年に比べて明らかに増加しており、これは生徒数の増、家庭科教室のリフレッシュ、女子トイレの増設等のためであるとふんでいる。
・ 経営者としては水道、電気、ガス、電話代等経費の無駄は抑えねばならないし、「必要なものはしっかりとやる」としてけじめをつけている。この冬休みにⅢ類(総合コース)の完全共学化に伴い女子トイレを増設するので「水道代」はまた上がることになろうが、これは致し方ない。しかし「漏れの放置」「電気の付けっぱなし」は許されないし、大体「地球温暖化防止」に逆行する。生徒も教職員も自覚しなければならない。
6.ラグビー部の顧問先生 入る
 ・昨日の観戦お礼に入る。「頑張るように激励」ただ一点、「あのユニフォームはダメだ。まったく子どもっぽくて迫力が無い。大体浪速カラー古代臙脂色がどこにも入っていないではないか。ジュニアチームのジャージだ。変えた方が良い。」と言ったが・・・。
7.教科主任 内示
 ・4月以降の各教科の主任を本日内定した。国英数社理体の6教科主任だ。芸術と神道は各一人しか専任教諭はいないし、あえて発令する必要はないと考えている。
 ・内定者には次のように「ミッション」を伝えた。
  *シラバスに関する事項  *校内考査の問題作成、管理に関する事項
  *常勤・非常勤講師への指導・調整に関する事項  *持ち時間調整に関する事項
  *教科指導に関する事項  *校長特命事項
  要は「教科内の教師、皆が協力し合って教科内に関する事項を司る」ものである。ただし本年より「校長発令人事」となるので「職位に関する職務手当て」を小額ながら支払うことになる。 素晴らしい先生方だ。頑張っていただけると思う。これで「学年主任、科類長、分掌長、教科長と決定」した。すごい体制だ。良い仕事ができそうで、嬉しい。
8.理事長職務代理 来られる
 ・2月7日に重要な会議が神社庁にて行われるが、その調整に事前打ち合わせ。要は「学校法人大阪国学院評議員の改選期」に当たり、次の体制についての話。理事長職務代理は来校前に大阪天満宮にて基本方針を決めて来られた。
 ・理事長は全く神社界の人材など存じあげないので全面的に理事長職務代理に調整をお願いしている。

2月4日(月)その1:生徒からの感想文

映画「北辰斜めにさすところ」生徒からの感想文
1.感想文
・ 朝一番に野球部とコーチの二人が部屋に入る。昨日のお礼と「感想文」を持参してだ。感想文の提出は私からは何も言わなかったが、ちゃんと考えていてくれたのだと思うと嬉しい、「立派だ。」
・ 部員は1,2年生で66名、付き添い教員が2名で「総勢68名」、小さい映画館だから立ち見もあったという。生徒からの感想文をまず読む。読み始めたらとまらないのだ。一挙に66人分読んだ。恥ずかしながら涙がにじむ。年をとると涙もろくなる。
・ 全ての生徒が、本当に全ての生徒がこの映画から「何かを掴んでくれた」ことがはっきり分かる感想文だ。そこが「感激」。誤字はあり上手くはかけていないものはあるけれども間違いなく個々の生徒は、野球部員は自分なりに何かを掴んでくれた。
・ 野球部の指導者に私は言った。「一編の映画は時にどのような指導者をも超える」と。「大切な生徒を預かっている責任感を忘れず、今後とも事に当たれ」と。まだ見ていない先生は早くしないと終わってしまうよと。
・ 1限終了後主将以下部員の代表が校長室に礼に来る。皆「良い顔」をしている。「感動する経験を持つと人間の顔は良くなる典型的な例」だ。つくづくと「観させて良かった」と思った。
・ 生徒からの感想文を載せよう。全て載せるわけにはいかないので代表的なもの。一切手を加えず、そのままの文章である。「本校生徒のレベルの高さ」を見ることができたことも校長としては嬉しい。
2.生徒からの感想文① 2年生内野手
・ 今回見た「北辰斜めにさすところ」という映画には現在の自分たちに欠けている“真っすぐな心”が描かれていたと感じました。「時代が変わった」といえばそれまでですが、僕は人として彼らの行き方を学ばなければならないと思いました。彼らは何事にも真っすぐでした。上下関係に対しても学問に対してもスポーツに対しても時には恋に対しても彼らは全てにおいて自分の気持ちを真っすぐにぶつけていました。僕が印象に残っているのは両校創設100周年目の対抗戦を知らせる手紙を受け取った時の彼らの顔です。数十年も前に起こった出来事をあたかも昨日のことのように思い出し、喜ぶ姿を見て、自分の立場に置き換えてみると、どうだろうと思いました。劇中では「北辰斜めにさすところ」という歌がたびたび登場しました。彼らには年老いた後でも自然に口から歌詞がこぼれ落ちるよう程、彼らの心の深い所に歌が刻み込まれているのです。それはなぜか、理由は一つだと思います。それはそれこそが、人生を真っすぐに生きた証だからです。真っすぐに全身全霊をかけて生きてきたからこそ成し得た賜物だと思います。映画の中で上田さんが自分の孫に昔のことを語る場面があります。あれはまさに映画自身が自分に語りかけてくるように思える程、今の僕には考えさせられる内容でした。もし自分が年老いた時に彼らのように自分自身を語ることが出来るかと言われたら、少し戸惑います。それは今すべきことに僕自身が真っすぐに生きていないからです。この間から野球部で不祥事が続いているのも、このことを裏付ける理由だと思います。僕は今回、この映画を通じて、たくさんのことを感じ取ることが出来ました。これで得た知識を勉強や部活動といった学校生活も含め、これからの人生に役立てて生きたいと思います。僕たちのためにこのような場を作っていただき、本当にありがとうございました。
3.生徒からの感想文② 2年生内野手
 ・この映画を見て、何ごとにも真っすぐ生きる人の姿を見た。僕達は毎日あたり前にやっている野球がやりたくても出来なかったり、戦争で死んでしまったりする人もいる。草野さんは酔って郵便ポストを壊した時も仲間を思い自分一人で責任を負って留年したり,戦争に行ったときも自分はいいから行けと言ったり、もし僕がああいう立場に立った時に同じような行動をとれるだろうか。本当に仲間を信じて毎日を送っていたんだろうなと思った。僕たちも互いに信頼しあえる仲になっていきたい。おじいさんになっても集まって語り合えるああいう仲をきづいていきたい。昔の人は本当に何ごとに関しても真っすぐそれることなく生きていたんだなと思う。妻とまだ生まれてもいない子どもを置いて戦争に行くのはどんな気持ちなのであろうか。もし自分に置き変えれば考えただけで背筋がゾッとする。それに比べて僕達はどうだろうか。ゲームや携帯などの無い時代。ある方が便利だけれど本当に良いことなのだろうかと考えさせられた。新しい物だけを求めている今のこの時代、古きよきものを残しつつ新しいものを求めていくことが大切だと思った。僕達は本当に前だけを見て生きているのであろうか。毎日あたり前のように学校へ行き、おなかいっぱい飯を食べ、好きなスポーツをしている。好きな野球も毎日することができる。昔はやりたくとも出来なかった人もいた。僕達は何事に関しても精一杯やりとげられているだろうか。まだ外国にはやりたくてもできない人が数多くいると思う。この北辰斜めにさすところを見てもう一度自分を見つめなおして、勉強やスポーツ、何をするにしても精一杯自分の出来る事は何なのかということを考えながら日日日常をおくってきたいと思った。年をとっても子ども、孫から尊敬されるような人間になりたいと強く思った。友達を信頼し支え合ってこれから生活をおくりたい。最後にこの映画は本当に真っすぐ生きることの大切さを教えてくれた。内容が少し難しかったので又機会があればもう一度見たいと思った。今できることは何なのか。この言葉を頭のすみに置いてこれからの人生につなげていきたい。
4.生徒の感想文③ 1年生捕手
 ・この映画を見て自分が率直に思ったことは野球は世代を越えて愛されてるという事と青春時代の仲間は一生の友になるんだなーと思いました。しかし戦争などのせいで早くに死んだ人もたくさん居てその中には何人も野球人が犠牲になったというのも知りました。国のために自分のやりたい事を精一杯できなかった事を思うと今自分が好きなことをやっているのだからもっと一生懸命やらなダメやなと感じました。それからOBの一人一人の熱意を見た時に、とてもカッコよくも思えました。何歳になってもそれだけ熱くなる物があるのは,若い時に好きな事に必死になれるからかなーと思いました。その中で「バカの天才になれ」という言葉が、この映画を見て心に残った言葉でした。この作品を見て自分がしたい事ができてる事自体に感謝し、仲間と力を合わせて全力前進する大切さや素晴らしさを学びました。
5.生徒の感想文④ 1年生内野手
 ・僕はこの映画を見て思ったことは野球がこんなにもすばらしいスポーツで、野球を通じて学ぶものの大きさ。そして仲間との間に生まれる深い深い絆があるということです。仲間と共にすごした日々が年をとるにつれて良い思い出になるということを教えてくれた映画でした。そしてそれと同時に戦争の恐しさ、大変さ、そして戦争中の仲間の死の辛さなどたくさんのことを学べた映画でした。でも僕にはまだまだ難しい映画だなーとも思いました。だから何年後か先にもう一度みなおして、またその時はもっとたくさんのことを学べるようにしたいと思います。またこんなにもすばらしい映画に連れて行ってくださった先生方と校長先生にはとても感謝しています。そして最後にこの映画でもあったと思う、自分の学校への誇を僕自身も持ちつつ、もっともっと野球を通じて大人の階段を1歩ずつ昇って行きたいと思っています。またこんなにめぐまれた環境の中、野球をできることに心からありがとうという気持ちを持って日々練習しようと改めて思いました。今日は本当にありがとうございました。

2008年2月3日日曜日

2月3日(日)節分会

目覚めると外は「」であった。今日は「節分会」。積もるほどではないが幾分横なぐりに霙混じりである。寒い日になりそうだ。何時もの喫茶店でモーニングを食しながら新聞数紙に目を通す。今日は午後からラグビーの応援に出かける約束だ。午前中は特段予定もなく、この天気ではウォーキングということにもならず、部屋に戻り、久し振りに本をめくったりする。
1.竹内洋先生
・ 1942年新潟県生まれ、京都大学教育学部卒業、社会学者で現在関西大学文学部教授、元日本社会学会会長。この先生の著述は面白い。大変勉強になる。今、順次先生の著書を読み込んでいるが、中々時間がとれない。
・ 今日のような悪天候でもない限り、すぐ外へ飛び出していくから、本には中々手が届かなった。昔は本の虫でよく読んだものだ。それに年とともに頑固になっていくみたいで本を読む順番も決まっており、こうと決めたら特定の人の著作ばかり読むという感じだ。竹内先生の後はもう一度「田辺聖子」と決めている。今、無性に彼女の本を読みたい気がする。今日の本は「大衆モダニズムの夢の跡・・・彷徨する教養と大学」から「いじめ問題」について竹内先生の論考を考えながら、実際の現場での出来事を比較する。言ってみれば「比較教育学」だ。
2.教育問題のアプローチ
 ・先生は教育問題のアプローチには二つのやり方があると言われる。一つは「問題対処型」、即ち何か問題があったら、とことん調べて対策をとるというスタイル。これは本校といわずほとんどの教師というか学校のやり方だ。学校は毎日動いており、これはこれで否定できなくて、時間をかけてじっくり対処というわけにはいかないこともある。
 ・竹内先生は時に「どうしてこのようなことが起きるのか」という「再考的」立場に立つことが重要と言う。社会学者であり、当然の視点である。「我々はこのような人の論点を時に勉強しなければならない」。「最も教師の弱い部分」であると私は見ている。
 ・例えば「いじめ問題」について前者は「いじめが起きた。なくするにはどうしよう」という立場になるし、後者は「いじめが何ゆえ教育問題になったか」からスタートしていく。どういうわけか私はこのようなアプローチが好きだ。
 ・先生は次のようなところから論考を進める。“ついこの前までは「年下の者をいじめてはいけない」というように「いじめるという動詞」が使われることはあっても「いじめという名詞」は使われていなかった”というのだ。確かに私の母も「妹をいじめてはいけない」と良く叱られたものだし、「いじめ智彦」とは言われなかった。
 ・そこで先生は「いじめの歴史」を整理する。それによるといじめという名詞が登場するのは1981年11月という。朝日新聞の「今、学校で」のシリーズ中で「いじめの関係」という見出しで使われたのが初めてと書いている。
・ しかしいじめはまだそれほど頻繁に報道されていたわけではなく、1985年1月に水戸市立笠原中学校の生徒Mさんが学校内の「いじめを苦に自殺した事件報道から一挙に社会問題化」した。
・ この事件は臨教審でも取り上げられ、同年3月文部省は各都道府県教育委員会にいじめ調査を依頼通知した。「児童生徒のいじめ問題に関する指導の充実について」とあるから政府公文書にいじめが名詞で登場したことになる。
・ 1980年代半ばは「校内暴力」の対策が進み減少したときにあたり、校内暴力の厳しい取り締まりは逸脱行動を陰湿化するから客観的にいじめが増えるということもあるが、先生の教育に携わる人々の「問題探しのまなざしがいじめを格好の対象とした」という論考はさすがに社会学者らしいではないか。
・ いじめ撲滅キャンペーンの発端になった前述のMさんの遺書には「いじめ」の字はなかったという。この事件の2年後の1987年に文部省はいじめは三分の一に激減したと調査結果を発表した。人々の問題探しの視点は「不登校」に移ったという。
・ ところが1994年11月に愛知県西尾市の中学生O君の「いじめによる自殺」事件から一挙に再びいじめは社会問題として浮上し、「いじめは減っているのではない。水面下で陰湿に繁殖しているという問題捜しのきっかけになった」と先生は分析する。
・ 文部省は10年ぶりにいじめの調査をしたら、「いじめ件数が急増」しているということが報告されたのである。この調査はほとんど意味をなさない。「いじめは主観的な概念」であり、文部省の定義は「自分より弱いものに対して一方的に身体的、心理的な攻撃を加え、相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの」である。実はこの「定義が問題」となるのである。
・ 「本校でも今年、正直に白状すれば「いじめ事件」はあった」。無いといったら嘘になる。文部省のいじめの定義が如何に学校現場の把握するいじめと乖離しているか、今後竹内先生の論考と本校での実例をベースにいじめ問題の本質に迫り、実践的な対応を取っていく参考としたい。(字数の関係でいじめ問題に関しては本日はこれで終わり)
2.ラグビー応援
 ・東花園、12時50分キックオフ。相手は全国区レベルの強豪大阪工大付属。
 ・残念ながら「完敗」、点差は書かない。地力の違いだ。仕方がない。しかしベスト8だ。ブロックでは準優勝。試合後生徒には「今後この敗戦から学び、又頑張れと激励」。
 ・しかし「強いところは徹底的に強い。少しも手を抜かないというか、油断をしない。完膚なきまでに叩き付ける。」私は自分で言うのもなんだが、優しいところがあり、時に油断をするが、今日の試合を見て大変勉強になった。
.巻き寿司
 ・元々「巻き寿司」は三大好物の一つで、帰りに近鉄で1本買う。今日ははずんで1001円の「特選巻き」だ。しかし大変な人出である。何本も買ってる人もいる。日曜日だし、「家族のために家で作れば良いのに」と言えば主婦を敵に回すか?単身とか一人身は買うしかないが、「今日くらい家で作れよ」と言いたいね。

2008年2月2日土曜日

2月2日(土)日教組教研集会会場貸し出し拒否事件

1.日教組教研集会会場貸し出し拒否事件
・ 本日の朝刊各紙、扱いはそれぞれ特徴があるが「ある教育関係事件」について報道している。中国製餃子中毒事件が主体の配置だからで見逃すような小さな記事であるが、朝日は社会面に8段もの大きな記事にしたうえに、加えて社説にまで載せ「怒り心頭」といった感じだ。産経は「サラツ」という感じで、このような事件の場合、各紙の取り扱いを比較するのは面白い。
・ 事件というのは「日本教職員組合(日教組)」が年に一度日本全国の組合教員の代表を集めてやる「教育研究集会」の会場を東京のグランドプリンス新高輪というホテルが「受け入れ拒否」としたものだ。
・ 一度は受け入れることを承知したホテル側は急遽、契約解除を通告したため、日教組は裁判所に仮処分の訴えを起こし、地裁、高裁の「命令」まで出たが、これに反してまでホテル側は頑として拒否を貫いた。
・ このため全体会議が出来なくなり、「昭和26年以来初めて教研集会が中止」になったという。NHKテレビでも昨夜報道していたが、日教組の委員長が悲憤慷慨していた。しかしこの大会は何時もそうで、言ってみれば「年中行事」なのである。一度は断り、日教組は訴える、そして裁判所の命令を受け入れるというのがお決まりのパターンなのであるが今回ばかりは違ったため「ニュースになった。」
・ ホテル側の説明する理由は明らかになっていないが記事では「右翼の街宣車が100台以上もくるような集会にはホテル客の安全を考えたらとても貸せない」というものだ。私も一度見たことがあるがそれはすごい。100数十台もの黒や彩の激しい街宣車が日の丸を振りたて「日本の教育を駄目にした、日教組の赤化した教員、亡国の輩、労働者というような似非教員と日教組を壊滅せよ」とか、とにかく「ガーガー」大型のスピーカーで会場を取り囲んでがなりたてるのだ。
・ 日教組は集会の自由を侵すものだとして損害賠償の訴訟に出ると記事はあるが、是非どこかで決着が付けられないか。戦後60年不倶戴天の敵とばかりに日教組を攻め立てる団体と、そこまで言われる教員組合、一時期は「泣く子も黙る日教組」といわれた組織である。このような記事が恒例となって出るようでは子どものためにも良くない。
.映画「北辰斜めにさすところ」その2
 ・どうしてもこの映画を「野球部の生徒に見せたい」。監督と部長を午後呼び、明日引率して「観に行ったらどうだ。良い映画だぞ。」と言った。ただし半額は校長のポケットから応援すると。本年度、野球部はいろいろあった。この映画を観てすべて洗い流せと。
 ・旧制高等学校の野球部を軸にして「教育の大切さ」「友情」「気概」「反戦」「大切なものを守る」等々、多感な高校生には強く訴えるものがあると思っているからだ。先生方も実は校長のブログを見て「明日行こう」と思っていました。「生徒を連れて行きます」と言ってくれた。嬉しい。

2008年2月1日金曜日

2月1日(金)「戻り」

1.戻り
・ 大体高校の志願者数が固まってきた。あと少しの増減はあろうが、とにかく久しぶりの大人数だ。しかしこれで万々歳とはいかない。次の心配があるのである。
・ それが「戻り」といわれる概念だ。まず受験は本校の場合2月9日(土)に行われて日曜返上で採点を行い、合否通知は11日に発送される。合格通知を受け取った生徒は「万歳」であろうが、実はこれから本校も生徒も「厳しい次のステージ」が始まる。
・ 「本校専願」で合格通知を得た者は「この世の春」で入学式までゆっくりだが、併願受験者は3月の公立受験に向けて勉強一筋、そして3月末、本年で言えば「3月24日(月)公立高校の合格発表」まで「私学は何もすることがない、というか出来ない」のである。
・ 併願で公立に受かった者はまず間違いなく「公立高校に進学する」。運悪く公立を失敗した生徒は受験し、合格した私立の学校に入学手続きをする、これをスラングで「戻り」という。
・ その比率を「戻り率」という。私学関係者の心配の種はまず、「専願の数」「併願の数」そして「併願からの戻り」である。本校は昨年極めて高い戻り率であった。「果たして今年の戻りは幾らくらいか?」誰に聞いても分からないし、答えてくれない。だれも予想できないのだ。
・ いくら統計数値を駆使しても役にたたない。過去のデータを自分なりにシミュレーションしてある年の戻りを予測したが実際の数値は全く異なっている。要は様々な要素が複雑にからんで統計処理が出来ない母集団なのである。「気まぐれ数値」なのである。これを予測する数式を発見したら「すごいぞ。」大金持ち間違いない。全国の私学に売れる。
・ まず公立の学区再編の影響があるし、私学は全府1学区、それに近隣の府県がある。和歌山、奈良、兵庫、京都などへダブルで併願しているケースもあったりでとにかく「戻りは浮き草みたいなもの」だ。従って「専願で満杯」にするのが私学関係者の願いなのである。
・ 本校の戻り率は平成15年がそこで一ケタ台、そこから共学にして、徐々に徐々に上がり始めたがそれでも低い数値が昨年跳ね上がった。昨年の数値は異常だという人もいたりして、まったく今年は読めない。
・ 「従ってクラス数がまだ決められない。」従って常勤講師や非常勤講師の手配も正確には決められない。それは時間数が決められないからだ。「3月24日の夕方までに併願者が入学手続きに来て初めて生徒数が分かる」のだ。その後入学式までの2週間で学校はすべての準備をしなければならない。「切ないくらい私学は大変なのである。」
2.テレビ取材
 ・今日から二日間、フジテレビの「めざましテレビ」の企画で「ガクナビコーナー」に本校が取り上げられることになり、今日から東京のディレクターとカメラ2台が校内に入った。今日は2月1日で「一斉参拝」の日であり、3年生はいないが1,2年生で全員学院神社のまえで総ぞろいしたところから撮影が始まった。
 ・部活動や授業など様々な場面が撮影される。どのような編集になるのかさっぱり分からないがまあPRになるのであれば仕方ないか。事務長に「豪華な昼食をご用意するようお願いした。」
.教育再生会議最終報告
 ・前安部内閣の目玉であった「教育再生会議」の最終報告会が昨日行われ、今朝の各紙が報道している。扱いは極めて小さい。安部内閣が倒れた後、何処かに熱意が吹っ飛んでいった感じであるが、私は「安部内閣はこと、教育に関しては良い仕事」をしたと思って評価している。
・ 何と言っても「教育基本法を改正し、教育3法の変えた。教員免許更新制度など画期的な施策だし、副校長や主幹などの中間管理職の職位も可能としたり、大学の9月入学の促進整備なども具体化された。」
・ ただ「徳育の教科化」は評価に馴染まないといって公明党などが大反対したり、生徒数に応じて予算配分が定まる「教育バウチャー制度」などは先送りというか「お倉行き」となったが、概して今までの答申に比べて「目立った成果」はある。
・ 福田政権発足後はあまり熱意も感じられなかったが今朝の新聞では月内にも「教育再生を継続する新組織を作る」という。気持ちは分からないでもない。前内閣の置き土産では自分の成果にもなるまい。「新しい酒は新しい皮袋に」ではあるまいが、早く国家としての教育戦略を纏め上げて欲しい。
・ 大阪府では橋下新知事が早速「学区制撤廃」と叫んでいる。時の為政者は必ず「教育改革を口にする」ものであるが、こと実現性については今回の教育再生会議のプロセスを見ていても難しいことがよく分かる。
4.卒業式式次第他の確認
 ・総務主任、3学年主任、他と「卒業式」の進め方等打ち合わせ。共学最初の卒業生で私にとっても最初の卒業生となる。「立派な卒業式」としてやりたい。形もそうだが「心のこもったもの」にしてあげたい。
 ・今年から証書を入れるものは黒色の筒から見開きのノート型にした。スマートになる。同窓会のご寄付による。「有難うございました。」
5.来年度の入試に関して
 ・今年の試験もまだ終わっていないが、来年度の入試に関して、副校長、教頭、教務、生指の部長が入る。要は来年度入試から「面接」を取り入れたいというものだ。元々行事検討チームが提案していたもので、青山研修所以来、継続議論になっていたが、「やはり、やるべし」で担当部長クラスと入試広報の意見が合致したらしい。
 ・生指部長は近隣の高等学校を良く調べており、殆どの学校が実施していること、又本校も10数年前には実施していたこと、目的はどちらかというと今日的生徒の生活指導面の本校の方針などを説明して理解していただく狙いもあるようだ。
 ・グループ面接で数組に分かれればそれほど時間的にも教員の負担にもならないと言う。校務運営委員会で議論することを了解した。面白いテーマであり、こういう「前向きな提案」が教員サイドから出るようになってきた。「嬉しい限りだ。」
 ・私の懸念は逆に面接官や面接のやり方で本校が厭になるなどの逆効果になったら困るわけで、それに対しては「面接官のマニュアルなど整備します。」と教務主任が言ってくれた。正式に決まれば「学校案内に“面接あり”」と記載される。
 ・「学校は教務と生指が車の両輪」みたいなところがあり、言ってみれば総務省と法務省だ。勿論エンジンは校長だ。こうして二人の部長の呼吸が合い、前向きな提案が出てくると「この学校は大丈夫」と確信する。二人ともかなりかなりレベルの高い、優秀な教員だ。どうして今までこのように力を発揮しなかったのだろう。この1年、二人ともよくやってくれただけにそのように思う。結局エンジンによって両輪は回る。エンジンが悪く故障ばかりしていたりすれば車は走らない。しかしエンジンをいくらふかしても車輪がなければ車は走れない。パンクして走らない両輪も困る。この二人はパンクしていなかった。それをこの1年で確認出来たのが嬉しい。