エピローグ
① お礼参り
お四国の巡拝が終わった。特に最後の4日間は共に歩く同世代の3人の仲間に恵まれ、楽しい数日であった。結願し、「88番大窪寺」からどうするか、その夜の民宿「八十窪」で大きな話題となった。大窪寺の副住職は声こそ抑えておられたが「まったくその必要はない。」との主張であったし、他の札所では「あれは徳島の陰謀、霊山寺の営業戦略」とまで言われるご坊もおられた。
大窪寺から1番霊山寺までは40キロをはるかに超える。二日がかりの距離である。誰もが満願という大仕事を成し得て、一息というところもある。私自身も霊山寺までの歩き二日間は「うーん」という感じもある。しかし他のお遍路がある宿で言った言葉、「1番に繋がって初めてお四国は輪で繋がる」という言葉が重く心にあるのも事実である。又遍路本には「お大師さまは今でも歩き続けておられるのだから、88番で止めるのはおかしい。」というのもあった。一番へのお礼参りを批判するお遍路は「昔はそのような習慣はなかった。」と言い張るし、他の札所は「お礼は同業二人の弘法大師にするのであって、1番にするのではない。」「するなら高野山である。」というのも大きな記憶にある。要は本心として「もう歩きたくない。」というのが心底にあるのだ。議論を取りまとめて僕が「新理論を今から開陳する。」と宣言し提案した。すなわち「ループにする意味は分かるし、意味がある。それに皆、やはり繋げたいという気持ちがあるのではないか。従って88番から10番切幡寺までの26キロを歩く。これでお四国は繋がる。10番から1番まではどのような方法でも良いではないか、いずれにしても1番には明日中に辿り着こう。」、これを受けて並河さんが「それは良い。それで行こう。10番から1番までは4人でタクシーで行こう」となり、決着した。八十窪の女将も「それが普通、皆そうしますよ。」と賛同してくれる。大いに盛り上がった満願の席であり、我々4人以外の満願者も三人おり、彼らも参加した宿の食堂は大いに賑わった。
② 10番切幡寺と1番霊山寺
10月21日(土)、6時30分、4人が揃って宿を出発。幾分リラックスしたもので気分は上々。コースは普通の舗装道路で4人が時に冗談を言いながら歩く。標識がすぐ香川県から徳島県に変わる。言って見れば「逆打ち」のルートであり、道を戸惑うこともあったが、11時30分無事「10番切幡寺」に到着。「重ね打ちの納経」を済ます。これで四国全土が繋がったことになる。あの暑かった8月9日、出発の2日目に打ったこのお寺の懐かしい光景をすべて思い出す。あれから3ヶ月ついにここまで帰って来たと考えれば、88番と同じように感無量なものがある。完全に歩き通して繋げた。このことに些かの誇りはある。勿論誰にも自慢できるようなことではないが・・・。
打ち終えた後、前回僕が昼食をとった「うどんや八幡」に皆を誘う。あの時は本当に暑くて中でどれくらい冷たい水を飲んだことか。今から11番藤井寺に向かって歩く英気を養った「うどん屋」である。ここのうどんはやはり旨かった。
タクシーを呼び、4人が1番に向かう。思ったより近く料金は5400円くらいで、完全に割り勘、時間も1時間はかからない。15時30分到着。1番霊山寺は今日も賑わっており、早速納経とお礼をお大師さまに申し上げた。何時もよりお賽銭は切幡寺と霊山寺では弾んだのは勿論である。祈念のお数珠を頂き、帰って来たノートに記帳する。間違いなく8月8日僕の字で書いた歩き遍路の出発ノートには僕の名前、住所があった。今日の日付を書き入れる。さすがに納経所のご坊もお店の女性も歩き遍路には敬意を示してくれているのが分かる。胸を張れる感じだ。これで一切終わったが特段言うべきことはないが、やはり良いものである。恐らく「いい顔」になっていたのではないか。御杖はお守りとして、最近はお返しせずに持ち帰る人が多いと言い、「御杖入れ」なるものが売られている。これも徳島の陰謀か、どうか分からないが結構存在感はあり、探したが僕の金剛杖はお手製のものであり、寸法に合うものが無い。遂に諦める。知人に作ってもらうことにした。
ここで皆とはお別れ、固い握手をしてばいばいとなった。僕は8月に来た鳴門西から高速バスで大阪難波に帰ることにした。坂東俘虜収容所跡地の傍を抜けて今度は上り車線側まで40分くらいで歩く。急いで帰る必要も無いのだが、何か脚が急ぐ。夜8時過ぎ天王寺に帰参。
③ 高野山参り
10月23日、日曜日である。当初は後日、ゆっくりと行きたいと考えていたが、何時時間が取れるか先のことは分からない。それに実現出来るかどうかも分からない。それにこういうことは早く済ませてきたのが僕の生き方であった。朝、決断し、ゆっくりと斎戒沐浴して仕度を整える。南海電車高野線特急9時発に乗る。ほぼ満員であった。
高野山は良い。本当に良い。昔、住金時代に行ったことはあるが今日は大きな目的がある。好天に恵まれ、紅葉には少し速いが空気は済み、肌に優しい日の光は僕を歓迎してくれている感じである。高野山では弘法大師は今も生き続けておられるとの考えでお食事も三度三度出される。丁度この場面に遭遇した。他のグループの案内ガイドが声を枯らして「皆さんは幸運だ」としゃべっていたが、これも運か。更に運というか、ご縁は続く。なんと昨日大窪寺で別れた二人の女性と奥の院入り口でばったりと遭遇する。共に気づいた我々はお互いが走りよって手を握ってとにかく笑う。ただ笑うだけであった。東京の田中さんは「だって、笑うしかないでしょう。」と言っている。こういうときに適当な言葉はない。笑うことが最も場面に合っているのだと思う。それにしても縁ですね。この女性二人組とは男性のNさんとは前からずっと宿が一緒で1週間共に居たことになる。不思議なご縁でした。
日曜日ということもあり、人は多く、特にお遍路姿のグループが目に付く。僕は普通の私服で来たが。叔母さんたちは白装束である。時代、時代の有名人のお墓を見ながら、奥の院で納経し、お礼を申し上げた。記帳を済ませ、納経帳もお軸の朱印も全て埋まった。もう何もすることはない。本当に全てが終わり、一つの「木村智彦お遍路物語」は完結したことになる。
高野山で何か記念のお品と思って探すが適当なものが無く、結局「お数珠入れ」を求める。数珠屋代佐衛門とかなんとかいうお店であったが、僕の数珠を見て「立派なものを・・。それは先達さんが持つものですよ、とかなんとか言われてしまった。「放っておいてくれ」と言いたいが、このお数珠しばらく使うこともあるまい。将来もう一度お四国に出かけるときのためにこの袋に入れて保管である。そして僕が死んだ時には大切な手作りの金剛杖と一緒にお棺の中に入れてもらおうと思っているのだ。
参考資料
① 宿泊所
歩き遍路の宿泊の定義は幅広い。
・ 完全に野宿で通す人 寝袋などが必要なアイテム
・ 野宿と無料宿泊所を使う人(無料宿泊所とは善根宿,通夜堂、無料のお堂など)
・ 完全に宿を使う人(宿とは民宿、宿坊、ホテル等の有料宿泊所)
・ 宿と野宿と無料宿泊所を使う人
今回の僕の経験でも人によって様々であった。それで良いし、そうでなければならないという理由はいまや見当たらない。時代と共に変遷して来ただろうし、修行者によって異なっていたに違いない。大昔は今日ほど民宿など整備されていなかっただろうし、野宿とか無料宿泊所を使うしか方法がなかったに違いない。大体高野聖の修行僧が宿で風呂に入り、ビールを2本などは有り得ない話である。それにしても空海の道に残る風化した道端の墓石、お地蔵さんなどを見ると旅に出て枯れ野に屍をさらし、遺体に菅笠を覆い、金剛杖を卒塔婆に見立てたお遍路は如何にも多かった気がするのだ。江戸時代も後期になれば、分限者の長者がお供を多く引き連れ、お四国参りに出たときは宿でゆったりと休んだ匂いも遍路道には残っているような気もする。様々なスタイルがあったからこそこのお遍路の文化は現代まで生き残ってきたに違いない。
僕は完全に有料宿泊所を利用したが、結構年配者には多く、概して若者は野宿との組み合わせが多いのは至極最もである。有料宿泊遍路行は結構コストがかかるというのは事実であり、ある人が言っていたが43日間のコストは60万円位かかっているのはうなずける話である。僕が直接目にしたもので、車を改造して後ろに寝室を作っているものもあった。しかしこれは歩き遍路とは言えない。今回歩き遍路に拘っている人はやはり、徹底して拘っており、バスや、車は使おうとしないし、使えばその場所まで戻るくらいだ。僕の結論はどこで寝ようがお遍路はやはり、「1200キロを完全に歩き通すこと」に意義があると言うことである。僕は歩くことこそがお遍路であり、札所で納経することがお遍路ではないなと勝手に思うようになってきた。1200年前からお四国の修行は「歩き」であった訳だから今回も僕は歩きには徹底的に拘った。今これを貫き通してやはり良かったと思っている。複数の知り合った歩き遍路の方は「前回、少し車に乗ったところが気になって、その部分をやり直そうと思って来ました。」と言われていた。その気持ちが大変よく分かる。
② 有料宿泊所の手配について
宿の手配は大切である。僕など風呂に入り、ゆっくりと布団で寝たいと考えている人間には死活の問題である。しかし科学技術の進歩はお遍路の世界にも革命をもたらしている。すなわち携帯電話の力である。今回の遍路行でも全ての人が携帯を所有している。
大体、午前中の脚の進み具合で今日の宿をとる場所が高い確率で予測できる。僕も昼食後携帯電話を掛けっぱなしで、宿の予約を8月の巡拝ではした。このときに上手く予約が取れればラッキーであるが、運悪く一杯で取れない時は慌てる。一日30キロ弱で行程を設計するとしても、その地点が峠や山の中では論外で、宿のあるところはそれなりの町であることが多い。従ってその日は22キロで宿をとるか、逆に辛いのは40キロ歩くと言うこともあった。それでも宿が取れれば良い。問題は宿が取れなかった時のことである。
こういう場合、最高の情報交換場所が民宿である。夕食時の決まり文句は「今日はどこから、昨夜はどこのお宿で、明日はどこまで、明日のお宿は」である。8月には僕は徹底してこれを利用した。それに加えて宿の叔父さん、叔母さんはネットワークがあり、紹介してくれる。しかしこれは注意もので必ずしも良いお宿でない時もある。僕は夕食後地図と参考書で明日の到達点を設計し、夜予約を入れることが多かった。予約が取れれば大いに安心できる。宿の予約も取れないでただ歩くと言うことも経験したが不安であり、大体戻って宿を取るとか、タクシーを使って宿を探すとかナンセンスであり、宿の手配はやはり前倒して行うほうが良い。
しかし問題もある。予想以上に脚が伸びたとか、地図より距離が短かったとかでも、宿の予約を変えることは基本的には望ましいことではなく、あるご年配のご夫婦のお遍路は「もう宿ですべて規制されてしまって・・。」と嘆いておられたが良く分かる。如何に設計が大切かということである。
有料宿泊所も優勝劣敗が顕著になりつつある。本旅日記でも少し触れているが、宿の評価は厳しいものになりつつある。まず食事、僕の場合は「もうトイレ」これに尽きる。飯など別にその晩、まずくとも死ぬわけでもないし、やせるわけでもなかろう。しかしトイレの問題は困る。気持ちを殺ぎ、何もしたくなる麻薬がトイレの臭いであり、設備だ。
風呂が大きくて清潔なことは嬉しい。時に温泉宿やリゾート地のホテルなどを使ったが良かった。疲れが取れる気がしたものだ。ネットで宿の評判は喧伝されており、厳しい時代になったものだ。特に伊予や讃岐は四国との架橋で日帰りコースとなっており、今後とも宿の競争は激しいものになるものと予想される。
宿坊について一言、辛口の評価が概して多いが、僕は評価する。薬王寺、岩本寺、善通寺と3/42の少ない経験であるが「良かった。」と思う。決して高くないし、料理もまずくない、清潔であり、何より、特典がある。朝6時から本堂の中でお寺さんと一緒に勤行でき、情報量も多い。課題は「団体客優先」で個人客には容易に取れないことである。
民宿、ユースホステル、料理旅館、ビジネスホテル、シティホテル、観光旅館、宿坊、
スポーツランド、リゾートホテル、公衆温泉宿、温泉ハイツ、宿付き温泉センター等今回僕が利用した有料宿泊所であったが、それぞれ思い出があって良かった。偶然なったものではなくて、狙ったものである。ここにも様々なものにチャレンジする僕の気質が現れていると、今更ながら思う。考えてみれば60年生きて来て、これほど連続して他人の家に泊まるようなことはなかった。こう考えれば大変なことだったのだと思う。
日 程
平成十八年四国霊場88箇所巡拝計画表 前半の2国打ち
徳島県 阿波 発心の道場 札所 キロ
8月8日(火) 2国打ちの出発
1番 霊山寺
2番 極楽寺
3番 金泉寺
4番 大日寺
5番 地蔵寺
1日目宿:遍路宿「寿」
8月9日(水)
6番 安楽寺
7番 十楽寺
8番 熊谷寺
9番 法輪寺
10番 切幡寺
11番 藤井寺
2日目宿:「吉野旅館」
8月10日(木)
12番 焼山寺
3日目宿:「なべいわ旅館」
8月11日(金)
13番 大日寺
14番 常楽寺
15番 国分寺
16番 観音寺
17番 井戸寺
4日目宿:「ワシントンホテルプラザ」
8月12日(土)
18番 恩山寺
19番 立江寺
5日目宿:宿「鮒の里」
8月13日(日)
20番 鶴林寺
21番 太龍寺
6日目宿:「龍山荘」
8月14日(月)
22番 平等寺
23番 薬王寺
7日目宿:「薬王寺 宿坊」
8月15日(火)
高知県 土佐 修業の道場 札所 キロ
番外霊場 鯖大師
8日目宿:料理民宿「海山荘」
8月16日(水)
9日目宿:民宿「徳増」
8月17日(木) 14k
24番 最御崎寺
25番 津照寺(津寺)
26番 金剛頂寺
10日目宿:金剛頂寺の麓の民宿「うらしま」
8月18日(金)
27番 竹林山神峰寺
11日目宿:民宿「浜吉屋」
8月19日(土)
28番 大日寺
12日目宿:「丸米旅館」
8月20日(日)
29番 国分寺
30番 善楽寺
13日目宿:「オリエントホテル高知」
8月21日(月)
31番 竹林寺
32番 禅師峰寺
33番 雪蹊寺
34番 種間寺
14日目宿:「スポーツパレス春野」
8月22日(火)
35番 清滝寺
36番 青龍寺
15日目宿:「三陽荘」
8月23日(水)
16日目宿:須崎のビジネスホテル「まるとみ」
8月24日(木)
37番 岩本寺
17日目宿:「岩本寺 宿坊」
8月25日(金)
18日目宿:「ネスト・ウエストガーデン土佐」
8月26日(土)
19日目宿:民宿「星空」
8月27日(日)
38番 金剛福寺
20日目宿:民宿「久百百」
8月28日(月)
39番 延光寺 以上で前半の阿波・土佐の二国打ちは終了
平成十八年四国霊場88箇所巡拝計画表 後半伊予・讃岐の2国打ち
愛媛県 伊予 菩提の道場 26の札所 359.7キロ
10月1日(日) 2国打ちの出発
(39番 延光寺)で祈願 25.8 k
40番 観自在寺
一日目宿:門前近くの「山代屋旅館」0895-72-0001
10月2日(月) 20 k
2日目宿:岩松川沿いの「三好旅館」0895-32-2107
10月3日(火) 30 k
41番 龍光寺
2.6 k
42番 仏木寺
10.6k
3日目宿:民宿「とうべや」
10月4日(水)
43番 明石寺
23.6 k
4日目宿:十夜ケ橋「オオズプラザホテル」0893-25-1100
10月5日(木) 23.3 k
5日目宿:内子町旅館「ふじや」
10月6日(金) 15 k
44番 大寶寺
8.4 k
45番 岩屋寺
6日目宿:45番手前民宿「古岩屋荘」0892-41-0431
10月7日(土) 29.0 k
46番 浄瑠璃寺
7日目宿:門前の「長珍屋」089-963-0280
10月8日(日) 0.9 k
47番 八坂寺
4.4 k 48番 西林寺
3.1 k
49番 浄土寺
1.7 k
50番 繁多寺
2.8 k
51番 石手寺
8日目宿:道後温泉「松山ユースホステル」089-933-6366
10月9日(月) 10.7 k
52番 太山寺
2.6 k
53番 円明寺
20.4 k
9日目宿:「月の家旅館」0898-54-2056
10月10日(火) 14k
54番 延命寺
3.4 k
55番 南光坊
3.0 k
56番 泰山寺
3.1 k
57番 栄福寺
2.5 k
58番 仙遊寺
6.1 k
59番 国分寺
10日目宿:今治市「今治湯の浦ハイツ」0898-48-2000
10月11日(水) 20 k まず60番は打戻りにして61番から打つ
61番 香園寺
1.3 k
62番 宝寿寺
9.6 k
63番 吉翔寺
11日目宿:伊予小松駅前ビジネス旅館「小松」0898-72-5881
10月12日(木)朝から横峰寺を目指す 打戻り 20 k
60番 横峰寺
64番 前神寺
12日目宿:「湯之谷温泉旅館部」0897-55-2135
10月13日(金) 28 k
13日目宿:「蔦廼家」0896-74-2025
10月14日(土) 17.2 k
65番 三角寺
香川県 讃岐 涅槃の道場 23札所 152.8 キロ
(65番 三角寺)
19.2 k
14日目宿:民宿「岡田」0883-74-1001
10月15日(日)
66番 雲辺寺
9.4 k
67番 大興寺
68番 神恵院
69番 観音寺
4.7 k
70番 本山寺
15日目宿:「ほ志かわ」旅館
10月16日(月) 11.3 k
71番 弥谷寺
3.5 k
72番 曼荼羅寺
0.6 k
73番 出釈迦寺
2.8 k
74番 甲山寺
3.8 k
75番 善通寺
16日目宿:お大師様ご誕生の「善通寺宿坊」
10月17日(火) 7.7 k
76番 金倉寺
77番 道隆寺
7.2 k
78番 郷照寺
5.9 k
79番 高照院(天皇寺)
6.6 k
80番 国分寺
17日目宿:門前「えびすや旅館」087-874-0567
10月18日(水) 6.5 k
81番 白峰寺
5.0 k
82番 根香寺
11.9 k
83番 一宮寺
18日目宿:門前「天然温泉きらら」087-815-6622
両親のお墓参り 円座町に向かう
10月19日(木) 13.6 k
84番 屋島寺
5.4 k
85番 八栗寺
6.5 k
86番 志度寺
19日目宿:「旅館 栄荘」0878-94-0029
7 .0 k
10月20日(金) 満願 結願を目指して最後の一日
87番 長尾寺
15.1 k
88番 大窪寺
20日目宿:「民宿八十窪」0879-56-2278
10月21日(土) お礼参りで10番切幡寺を経由して1番「霊山寺」に向かって
43.8 k
10月22日(日) 満願 結願を記念して高野山へ