2010年10月14日木曜日

10月14日(木)遍路行 後半戦 十四日目

伊予・讃岐二国打ち十四日目(通算三十五日目)



10月14日(土)  伊予は良伊予(よいよ)最後の札所 三角寺



 今日でいよいよ伊予を終える。伊予は良かった。それでは「阿波、土佐はどうなのか?」と聞かれる。これに対しては、どこもそれぞれ味があり、良かったというのが正直な僕の答えである。トラブルがこれほどない旅も珍しいのではないか。場所や空間に不満はない。菩提の道場、伊予でも多くの勉強をした。菩提の意味、煩悩を断ち切り悟りの境地に達するとは行かないが、発心の阿波、修行の土佐を経て今日で菩提の伊予路が終わる。これで阿波、土佐、伊予の3国を打ったことになった。

① 朝食はおにぎりにして貰って旅館での朝食は抜き。支払いは前の晩、お祭りだからと言って10%増しというのは、あらかじめ聞いていなく、「ムツ!」と来たが、祭りだし、そのまま黙って支払う。昨夜お祭りも見せて貰ったし「マッいいか」って感じだ。朝5時30分起床、5時55分出発。入り口のカウンターに女将の色紙に書いたお手紙つきで弁当があった。こういう技は心憎い。外はまだ暗かった。


② 遍路道は国道11号線、松山自動車道に挟まれた間に位置し、早朝と土曜日と言うこともあり、静かな町並みを抜けていく。田舎の朝の空気は旨く、思い切って息を吸い込めば体に力も湧いてくる。ただ朝食をとる場所が見つからなくて、時間は過ぎていくが、歩けるときに歩く、朝に距離を稼ぐのが歩き遍路のノウハウである。


③ 9時過ぎ伊予三島市、三島公園の入り口でおにぎり、これが旨いのだ。さすがに料理割烹の作るおにぎりはそれなりのものがある。塩加減、握り加減、旨い。3個も入っていた。それに女将が120円、紙に包んで入れてくれている。お茶でも買って下さいと。いい所あるよな。


④ 10時30分65番札所「由霊山三角寺」を打った。良いお寺である。ご本尊は十一面観世音、ご詠歌が印象深い。

          恐ろしや三つの角にも入るならば 心をまろく慈悲を念ぜよ


これが愛媛県伊予最後の札所、しかし特別の感情はない。「ここまで来たか!」「3/4が済んだな!」であろうか。しかし暑いが良好な天気に恵まれてベストのタイミングでの伊予打ち完了であると考えればよい。一つの節目を踏んだ。ブルーの気分は吹っ飛んで行ってしまった。


⑤ 三角寺の次は雲辺寺だ。文字とおり雲の上にあるお寺さんである。遍路道は山中に入り、登って下り、四国中央市(旧川之江市)平山を抜け、下りきったところにある「椿堂」に達する。平山では「ゆらぎ休息所」という立派な遍路休息所が地元の篤志家で寄贈されており、ここでお昼にした。時間は12時30分。メニューは「お芋」、本当の話ふかし芋だ。三角寺の門前の長野商店で買ったものであり、お芋しかなかったのである。喉を詰まらせながらお茶と一緒に久しぶりにお芋を味わった。この休憩所で二人の青年に出会う。二人とも自転車遍路で颯爽と僕を追い抜いて行ったのである。
⑥ 13時30分、椿堂到着。有名な番外霊場であり、ここの住職は歩き遍路の世界では有名な方である。納経をした。しかしご住職は歩きさんからは頂いていないと受け取らないし、かえってコーヒー缶をお接待に頂く。誰も居なく、二人でしばらく教育談義に花が咲く。日本の教育の荒廃に嘆いておられた。「常福寺・椿堂」といい、雛にしては立派な佇まいであった。


       立ち寄りて 椿の寺に休みつつ 祈りをかけて 弥陀にたのめよ


ご詠歌である。


⑦ 道は国道192号線にあたり、ここから徳島方面に向かう。緩い上り道が続く。久しぶりのトンネル「境目トンネル」855メートルを抜けると標識は徳島県となる。おかしな感じになる。午前中は11号線で高松方面、午後は徳島方面である。又この道の古道は古い石の刻み文字に「土佐街道」とある。確かに192号線は徳島・高知と書かれており徳島88キロ、高知86キロとあるのだ。斜めになるが高松も80キロくらいであり、この地、徳島池田の佐野地区は四国のへその中心に位置するのか。
⑧ 15時30分民宿「岡田」に到着。久しぶりの民宿らしい民宿である。名の知れた民宿で雲辺寺を普通通りに打つにはここからというのが通り相場になっており、それも一軒しかないため、すぐに予約で満杯になるという。僕も最初にここを押さえて予定を組んで行ったのである。年長であったせいか、最も広く、良いお部屋に案内してくれた。早い予約はどうも配慮されている様子である。ここのおじいさんがまた良い。

⑨ こまごまと気配りしてくれ圧巻は宿泊者全員で合同夕食会の様相となる。そのように仕向けて来るのである。全国から来ている歩き遍路はこの夕食会で時間とともに身に着けていた鎧を脱ぎかぶとを外して一人の人間に戻さんばかりの夕食会になった。まるでコンパに近くなってきた。

⑩ 今回の遍路行で僕は何を願い、何を望んでいるのであろうか。時々自分でも分からなくなる。しかし何か自分を鍛えているなという感じもあるのである。勿論一日中歩くと言う行為はものすごい運動量ではあるが、そんな肉体的なことよりも体は歩くと言う単調な運動をしながら、心中、脳中、すなわち心と頭がものすごく活動しているのである。繰り返し、様々な位置から脳と心が動いている。このことだけでも僕は今まで経験したことはなかった。時に耐えられないような孤独感、寂寥感に襲われることは身近な遍路の先輩に聞いて分かっていたが、実際経験してその気持ちが分かる。分かったようなことを言うようであるが、まさに人生は「般若心経の教えるところ」という思いが次第に強くなる。

     「さみしければ 空海をこそ頼め 今は人を頼まず」 ある遍路の本より

                「行くも帰るも留まるも お大師様と二人連れなり」 本日三角寺にて僕が発見











2010年10月13日水曜日

10月13日(水)遍路行後半戦 十三日目


伊予・讃岐二国打ち十三日目(通算三十四日目)



10月13日(金) 遍路行   伊予土居町に向かって



 「菩提の道場」と言われる伊予の国、愛媛県も大詰め、あと三角寺を残すのみにになった。今日は打つべき札所も無く、途中下車として今は四国中央市と呼ぶ伊予土居泊まり、旅館の名を「蔦廼家」という。さもそれらしい名前である。今日は13日の金曜日、道中の無事を祈るばかりである。案外ゲンを担ぐ僕であるが、いささか気が弱くなってきているのか、このようなことを気にするのだ。

① 湯に癒された体は幾分、癒され過ぎの感じであったが贅沢は言えない。一言で言えば銭湯、公衆浴場につき、朝風呂はなかった。幾分残念であったが鄙びた温泉宿を味わうことができたのだ。朝食6時45分、支払い8350円。7時10分出発。


② 朝は冷えると予報されていたが、歩いて10分もすればもう汗を感じる。折角持参したロングタオルを寒さしのぎに首に巻いて格好をつけた積りであるが、もう限界と考え1時間後には外してしまった。道は11号沿いに並ぶ旧国道,すなわち遍路道である。JR予讃線と松山自動車道が平行して走る。何も特段変わったところはない。今日の宿は西条市と観音寺市との中間点伊予土居にした。たまたま道路地図帳から選んだだけの話である。


③ しかし歩いていてもどうも気分が乗って来ない。考えて見れば何時も何もないただ歩くだけの日は調子がよくない。気分はブルーである。でも良いこともあった。8時55分、お接待を受ける。80歳近いおばあさんが僕を後ろから呼び、小走りに近寄り、なんと80円を頂いた。50円玉と10円硬貨が3枚。

「イヤー、おばあさんお気持ちだけで良いのです。申し訳ないです。」
「少ないけどお昼の足しにして。」
「それでは頂きます。有難う御座いました。ご恩は一生忘れません。」とかの会話。
 
これからが重要で特定の宗教団体の名前を出して:
「私は○○○○じゃけん、おおっぴらには出来ません。今日は祭りじゃがそれも表立っては行けん。」
「おばあさん、○○○○に入って、良かったですか?」
しばらく沈黙して
『人間じゃけ、辛いこともあるわ。』

④ 9時30分新居浜市に入る。住友の原点、若い頃、20代、30代に本当にここには出張で良く来たものだ。友人もいる。若かりし頃を思い出した。齢59歳まで実に様々なことがあった。徐々に孤独感と寂寥感が覆ってくる。丁度その頃国道11号線の高松市の看板が102キロと出てきた。もうすぐ両親の眠る高松だ。この11号線をそのまま行けば、2日間くらいで着く距離だ。11号線沿いの高台、琴平電鉄岡本駅近くのみかん畑に両親の眠るお墓はある。


⑤ 10時55分、土橋商店街のアーケードの一角で腰を落とし、地図を確認していたら、又、今度は幾分、お若いおばあさんが200円呉れるというのだ。足してお昼ご飯を食べろと言う。先ほどと言い、今回と言い、もう何を言って良いか分からない気持ちになる。ただ有り難いではこの気持ちは表現できない。でも言葉が見つからない。


⑥ 12時前、昼食にしなければならない。特段お腹が空いて食べたいというわけでもないが、食べる時間は脚の休息になるのだ。そうしなければ歩き続けることになる。ご飯が続くので今日はパン食とした。遍路道から11号線に入り、船木地区という部落のデイリーヤマザキで休息、陽は良く当たっているが、入り口横にベンチがあり、そこでいざ食べようとしたら「ドスーン」の音とともに、軽自動車にトラックが追突した。このコンビニに入ろうと停まった車にぶつけたらしい。軽もトラックも僕が食べようとする真ん前に入ってきた。大した事故ではないが、救急車をお店の人が呼んでいる。僕は立ち上がって出発の支度をして、その場を立ち去った。


⑦ 又遍路道に入り、パンをかじりながら歩く。しかし一向に元気が出ない。時に男は女以上に落ち込むことがある。生理はないが言ってみれば今日は男の生理日であるか。このようにして男は心の奥のものを搾り出して体の内部をきれいにしていき、活力を再生産しなければならない。昔は生理も酷くなく又その分生理期間は長かったが、加齢と共に短く、きつくなるのが熟年男の生理の特徴なのかも知れない。振幅が大きく周期は短くなるのだろう。


⑧ 四国中央市に入る。旧土居町。この辺から秋祭りの騒ぎとなってくる。太鼓台と言って相当力を入れている町おこしのお祭りを目にした。太鼓台の豪華さに驚くばかりだった。部落単位にあるという。今日から3日間お祭りは続くという。今日は「かきくらべ」といって別に書道ではなくて「担ぎ比べ」のことらしい。写真をとってくれたおじさんが夜には是非見に来いと誘ってくれる。



⑨ 15時過ぎ宿に到着、「蔦廼家」という。明治の香がしそうな格好良い名前だろう。伊予土居駅前の割烹旅館で結婚式場もある。部屋は和洋混合でベッドであった。快適だし、女将さんが若い。お風呂も一番、洗濯の世話も焼いてくれる。良い旅館で良かった。是非祭り見物をと勧められたので浴衣の上に羽織を背負って出かけたのである。お祭りは迫力があり、思い出に残るものであった。伊予最後の旅館がここ土居町で良かったと思った。13日金曜日、何とか無事に過ぎつつあるどころかこの旅館に当たったのは幸運であった。




10月13日(水9遍路行 後半戦 十三日目

2010年10月12日火曜日

10月12日(火)遍路行後半戦十二日目

伊予・讃岐二国打ち十二日目(通算三十三日目)



10月12日(木) 遍路行後半戦   横峰寺を打つ



 特段深い意味はなかったが、計画段階から60番「横峰寺」に少し興味を有していた。何しろ西日本最高峰・石鎚山の懐にある標高700メートルの山中札所である。どのようなお寺であろうか。物の本の教えに従って僕は先に61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺を打ち、翌朝、麓の伊予小松駅前の旅館から当日、直接攻めることとした。用意万端整えて臨んだのである。

① 6時朝食。支払いは昨夜のうちに済ませ、お代は6000円。この旅館の朝は活気づいている。何しろ宿泊客が多い。お遍路も工事関係者もとにかく様々な人がいる。遍路でも連泊の人がいる。それだけこの旅館の評判が良いという証明である。遍路にはビジネス旅館小松ルートなる地図があり、宿泊客に女将がコピーを呉れて説明してくれた。


② 6時33分迷わず旅館の推奨するルートを選択した。荷物は宿に預けて身軽にしての登山である。軽快である。家康は、「人生は重き荷物を背負いて坂道を行くが如し」とか何とか聞くが、本当に背負う荷物は重いし背中の骨に食い込む。今日はその荷物も物理的にもなく心の不安も無い。心は晴れ晴れとして脚取りは軽く、女将は往復6時間で帰り着けば早いと言われたが果たして僕はどうだろうか。


③ 旅日記には札所についてはあえて書かないと決めていたが、今回は少し触れてみようか。四国霊場60番札所石鉄山横峰寺は石鎚山系の山麓にあり、海抜750メートルの山頂近くに在る。北斜面に位置しているから冬季は陽が当たらず積雪も有り、道路も凍結する。12月中旬から2月一杯は通行禁止で厳しい自然の中に存在するお寺である。確かに何か神々しい札所であった。お遍路道からお寺には裏から入り、下った状態でお寺の全景が目に飛び込んでくる。僕はまずこの開けた光景に感激した。コンパクトで凛としており、存在感があるのだ。大きいだけでは感動しない。小さくとも存在感のあるお寺である。岩屋寺とは又異なる味があって素晴らしかった。
④ 9時20分頂上に着く。礼拝納経。じっくりと山頂の空気を味わう。持参したお茶と茶菓子を楽しむ。このゆとりが嬉しい。10時下山開始。一挙に下る。極めて歩きやすい遍路道である。厳しいどころか僕には優しく見えた。快感を感じる遍路道である。宿到着、12時。往復5時間30分、女将さんよりお褒めの言葉を頂く。「あんたは勘がよいのね!」と。



⑤ 荷物を整理し、又重き荷物を背負って歩き始める。昼食は「今日はラーメン」と決めていた。久しぶりである。国道沿いのお店で食す。結構旨い味であった。隣の席の老夫婦に語りかけられる。昔大阪の西成に住んでいたとか。四国の人は大阪と関係が深い人が多い印象である。今日は横峰寺も打ったし、時間的にも余裕があり、ゆっくりと歩ける。


⑥ 15時、64番「石鉄山前神寺」を打つ。石鎚神社と隣合わせにある札所である。真言宗派には色々あるがここは真言石鎚派の総本山である。開基は役の行者、小角(おずぬ)と言われご本尊は阿弥陀如来様である。これで西条市の札所はすべて終わった。明日は65番「由霊山三角寺」に向かって歩くだけ。この2,3日厳しい行程であったが何とか乗り切れた。さて今日の宿はと考え本を紐解きながら宿は湯之谷温泉と決めた。結果的にこれが実に良い穴場の温泉宿であった。


⑦ 歴史は相当古く、7世紀の斉明天皇が入湯されたと地元では言う。確かな記録では安永年間に自噴する泉水を湯治に利用したとある。いずれにしても相当歴史は古い。硫黄の臭いがきついし、湯の花を見る。石鹸の泡立ちはなく、お湯は飲めると言う。今でも遠くから湯治客がくると言う。地元にも300円で解放され、完全に独り立ちできる天然温泉である。僕はこの湯治場で一夜お世話になることが無性に嬉しく思った。地元のおじいさんと一緒に風呂に入り、方言でお話をする、この雰囲気極めて快感である。早い投宿はすべてに良い。洗濯は終え、お風呂も済ませ、新聞など読める。食事は6時から。遅くなって」もう一度温泉につかったのである。









2010年10月11日月曜日

10月11日(月)遍路行 後半戦十一日目

伊予・讃岐 十一日目(通算三十二日目) 



10月11日(水) 遍路行  荷物に気をつけろ



 昨日の疲れは少し残ってはいるが、歩けないわけではない。今日は計画段階から工夫を加えている。課題は明日の「横峰寺」である。従って今日は体力温存デーである。小松にはここ又今治と同じく4ヶ所も札所が集中している。60番横峰寺を明日に回して先に61,62,63番と打つのである。このように遍路本のアドバイスがあったので僕もそのようにした。

① 湯の浦ハイツの朝食は7時30分から、朝風呂は6時から。僕はゆったりと朝風呂を使った。とにかく朝の風呂は大好きで、今まで何十年も欠かしたことはない。久しぶりに髭も剃った。さっぱりとして気持ちが良い。8時10分ホテル出発。又来ることがあればここに来たい。支払い10005円、昨夜呑んだ飲み物代含みを考えれば安い。


② 道は196号線、国道に沿って歩くだけ。特に変哲もない道である。旧東予市、現西条市に入る。小松は11キロ先、3時間の距離、11時30分頃には小松駅前に着く予定を立てたが予想は見事に当たる。最近は距離だけ間違わなければ時間予測は可能であり、精度も高い。これが遍路実戦経験の成果である。


③ 看板に東予―大阪オレンジフェリーの字が見える。2時、22時一日2回の便がある。2時に乗れば大阪に帰れると思った。快調に足が前に出る。今日の歌は天童よしみだ。彼女が懐メロなどを歌っているのは聞ける。上手い。最近は天童よしみが多い。不思議に今日は歩き遍路に会わないなと思っていたら小松入り口で一人の休息中のお遍路に会う。高知の人で、30代、服装も靴も靴下も白で決め、車輪つきの小車に荷物を載せ、金剛杖を中心に縛り、そこを持って押して歩いているらしい。アイデアである。頭は丸坊主、真っ黒に日焼け、精悍な感じだ。地図などもすぐ取り出せるところにおいて、几帳面なところは僕に似た所がある。野宿で通して打つという。しばらく話をして僕が先に出る。
④ そうかと思えば又、別の歩き遍路に出会う。こちらは何も持っていない。本当に何も持っていないのだ。持ち物と言えば、頭に巻いている日本手ぬぐいだけだ。これは見覚えのある足摺岬金剛福寺のものだとすぐ分かった。どうしてこの人が持っているのだろう。僕はこういう時に好奇心が湧いてくる悪い癖がある。「お荷物はどうされたのですか?」「僕には荷物はありません。ただ歩くだけです。」「・・・?」どういうことなんだろう。理解が出来ない。野宿でもそれなりの荷物はいるし、身なりは宿泊まりには見えない。深く追求してはならない。「頑張ってください。」で分かれる。この人は「逆打ち」である。
⑤ 11時30分小松駅に着く。宿に荷物を預けてと思い、ビジネス旅館『小松』を探す。すぐ分かったが誰もいない。良く見ると小さな張り紙があって近くの伊藤精肉店に来いと書いている。この旅館はお肉屋さんが経営しているのだった。身軽になって63番「密教山吉祥寺」62番「天養山宝珠寺」61番「栴檀山香園寺」を逆打ち。62番の後でお昼。今日は「回転寿司」とした。お客は多かったが何故かおいしくなかった。
⑥ 最後香園寺となるのだがここで少し驚いた。本堂、大師堂が巨大なコンクリート建物の中に入っており、このような札所は今まで一つもなかった。宿坊も巨大で、いかにも経営が優れている感じだが、恐らく他の札所の顰蹙を買っていないかと他事ながら思った。それくらいすごいお寺である。62番、63番など同じ札所と言っても地味で小さく細々と、という感じでその余りにも大きい隔たりに驚いたのである。歴史であり、積み重ねなのであろうか。


⑦ 歩き遍路の間で交わされている話でいささか気になる話がある。「今治、西条は気をつけろ」、「ちょっと目を離すと何でも無くなる」、というものである。本当の話である。話は前後するが岩屋寺からの道中で逆打ち中の歩き遍路に出会った。この人は九州門司の人で2回目の遍路。今回は完全野宿。その理由はお金のこともあるが前回今治の南光坊ですべて盗まれたらしい。ほんの一瞬のことらしい。直接僕はこの話を聞いたから間違いない。食い詰めたものが本州辺りから流れてきて、ギャンブルの町東予はそういう輩が多いというのだ。怖い話である。荷物をほっぽり投げてうろうろする癖のある僕は要注意だ。十分気をつけたのである。
 ⑧ 実は今日、僕の目の前でそのような事件があった。61番香園寺で歩き遍路の人の山谷袋が無くなったらしい。ベンチに置き忘れたらしいが、すぐに戻ったが既になかったという。顔は青ざめ、落胆した様子は気の毒でしばらく一緒に探してあげたが結局見つからなかった。お茶を飲んだ喫茶店なども一緒に行ってあげたが、無かったのである。大きなお金は入れてなかったらしいが、折角打ってきた朱印の納経帳などが入っているという。何よりの財産ではないか。お遍路のものを盗むとは信じられない話で、許せない。宿の夕食時に聞いたが納経帳はやみ市場で結構なお金になるらしい。確かにコストがかかっているが・・。しかし自分が歩きもせず人のお参りした納経帳を手にして嬉しいんだろうか。


⑨ 一番に宿入り。風呂も最初。洗濯も済ませた。旅日記も書けた。夕食はすごい。お肉屋さんが経営と書いたがメニューはお肉主体(当たり前)肉とごぼうの炒め物、旨い。お肉の刺身、牛肉の寄せ鍋、満足、満足。隣には63歳と66歳のお方、元気そのもの。一人は石鎚山を攻めてきた人、明日攻める人、二人の会話についていけないのだ。すごい。男はこうでなくっちゃ。尊敬するな。でも今回石鎚は敬遠、次回廻し、とにかく石鎚山人気はお遍路世界では高い。僕は歩けるが本格的山登りは経験していないし、勉強が必要と考え、敬遠だ。何かあったらこの先動きが取れないから無謀なことは出来ない。それに一日余分に要る。今更計画変更は出来ない。明日は標高700メートル横峰寺、楽しみもある。荷物をこの旅館に預けて山登りを楽しんでくる積りである。


⑩ それにしてもお四国遍路は上手く出来ている。最高の癒しのルートであり、修行の場である。この旅日記を大切に残し、将来機会があれば一人で、来た道と宿を訪ねるのが楽しみだが、夢の又夢と思っておいた方が良いかも知れない。貴重な記録であり、心の投射、ある時期における木村智彦の足跡書である。しかし色々と考えることの多い毎日である。

2010年10月10日日曜日

10月10日(日)遍路行 十日目

後半戦十日目(通算三十一日目)



10月10日(火) 遍路行  デジカメが壊れた中で今治を歩き回る



菊間を出でて、今日は今治、何故か6個所も札所がある。お大師様も意地が悪い。今治偏重ではないかと思ったりもする。鉄鋼業は造船業と極めて関係が深く、住友金属に勤めていた時代、今治の造船会社に何回か出張できたことのある町である。勿論当時はこの町に88箇所のうち6箇所も札所があるなど知る由もなかった。しかしデジカメが壊れたのには参った。


① 余りにも計画が甘すぎだと気付いた。とても処理できる計画でないと星の家の娘さんに言われた。こちらも自信はない。それにトイレの臭いが家全体を覆っており、早く脱出すべきと考え、朝食を断り、4時起床、4時20分旅館を出た。外は真っ暗、でも僕には秘密兵器が。ペンライトと赤の点滅ライトをぶら下げながら歩き始める。夏には不要であったが秋は必要かもと考え、今回求めたものだ。初めての使用である。LEDの照明は良い。とにかく小さく、軽く、明るい。夏、秋通じてこのような早朝歩きは初めてだ。気分は悪くない。


② しばらく歩くと、遠くに工業地帯特有の高い煙突、照明、などが夜空を照らしている。太陽石油の菊間製油所か。こういうのも懐かしい光景だ。歩いて1時間、5時30分過ぎ、向かう方向が明けてくる。空があかね色に染まってくる。美しい。遂に看板「タオルと造船の町・・・今治」の看板が目に入る。今治市だ。面白いではないか、この看板、タオルと造船、何かかけ離れ過ぎているところが面白い。


③ 夜が明けた頃、一台のバイクが僕の側に停まり、おじいさん(?)が降りてくる。僕に「赤マムシドリンク」を飲めというのだ。まだ冷たく先ほどまで冷やしておいたものだろう。仕事の途中か始める前に飲むのか、いずれにしても自分の好きなスタミナドリンクを一本僕に呉れるというのだ。心で涙を流しお礼を言った。おじさんが立ち去った後。ごくごくと一気に飲み干した。旨かった。この赤マムシの味は一生忘れないと思う。叔父さん、有難う。


④ 7時30分、54番「近見山延命寺」を打つ。2時間で10キロを踏破。すごい早さだ。この2時間が今日、自分を助けることになる。写真を撮ろうとしたらなんと液晶部分が故障していて役に立たない。今回のために新たに求めた最新最軽量の機種だが、弱い。何か衝撃が加わったのだろう。困った。どう処置するか。新たな苦を背負い込む。今日は写真が撮れないと分かると元気を無くした。


⑤ 9時30分55番「別宮山南光坊」を打つ。このようなお名前は88ヶ所でただ一つである。それにご本尊が普通と異なり、「南無大通智勝佛」である。良く分からないが遍路は神仏両参りが習慣で南光坊近くの別宮大山祇神社から明治初年の神佛分離令で現在の南光坊になったと物の本にはある。



⑥ さてとにかくデジカメを何とかしなければ、とりあえず、量販家電ショップを訪ね、そこに向かう。時間のロスだが仕方がない。「デオデオ」と言うのが四国では多い。今治デオデオで診断、「これは駄目です。修理です。」と。「エー」と落胆。しかし脚を使えばよい情報もある。6キロほど下に「K-“S電気」があると言う。鹿島のケーズで買ったものだ。これは何とか成るかも知れない。しかし時間は過ぎていく。次第に焦りが出てくる。


⑦ 11時30分56番「金輪山泰山寺」を打つ。12時過ぎ、57番「府頭山栄福寺」を打つ。しかし朝4時に起床してから何も食べていないのでふらふらとなってくる。近くに食べるところはない。しかし何とか泰山寺の納経所でここから最も近い食堂を1軒だけ聞き出し、そこに立ち寄る。しかし火曜日は定休日とあった。時間の無駄かと思ったが、「ええい!ままよ」とドアを開けて入ると叔母さんがおられ、何か作って貰えないかと頼むと、これが良い返事。結論から、肉うどん、小豆と黄な粉のおはぎを2個、豊水梨を1/2個サービスで作ってくれた。親切な人ばかりだ。これでお腹は万全、後を頑張るだけだ。



⑧ 15時山道を分け入り、58番「作礼山仙遊寺」を打つ。立派な大きな札所だ。天智天皇の勅願で創建、作礼山の山号は作礼山という山が本当にあるからである。まさに仙人がいるようなお山の頂上にある。お寺に天然温泉が湧き、宿坊も立派である。多くの遍路のお墓もある。今度来るときは是非ここの宿坊に泊まってみたい。しかし焦りは募る。これから国分寺を打ち、デジカメを直し、宿に入るまでには残った時間が3時間くらいしかない。とにかく国分寺を優先して目指す。


⑨ 16時、59番「金光山国分寺」を打つ。58番から59番は歩きの距離で6.1キロ、そこを僕は1時間で歩いたことになる。運良いことに歩きやすい道ではあったが、通常の1.5倍のスピードで歩いたことになる。競歩みたいな歩きだ。とにかく国分寺を打った。本日予定していたすべて札所は打った。ほっとする間もなく、タクシーを呼んで「K-“S」電気の店まで走らせる。あらかじめ鹿島の「K-“S」に話をしておいたので問題なく新品と交換。常日頃の上得意客の顔がこういうときに利くのだ。待たしておいたタクシーに乗って国分寺山門に戻る。これは僕のこだわりだ。タクシー代は負けては呉れなかったけど運転手さんは僕のこだわりに驚いておられた。時刻は16時30分過ぎ。従ってこの日は撮影した写真が一枚もないのである。参った、参った。

⑩ さあ、宿に向かう。イヤー大変な一日だった。良く歩いた。足も腰もがたがた、限界である。初めての経験である。歩くときに体が左右に振れる。距離は36キロ、しかしあちこち歩き回るのは余計に疲れる。今治の市内をくまなく歩き回ったことになる。チェックイン6時過ぎ。宿は今治で有名な温泉『今治湯の浦ハイツ』。予約からいささか値段は高かったが、その価値はあった。温泉も部屋も素晴らしく、食事は今ひとつでも十分満足できる。生ビール大ジョッキと中ジョッキ、冷酒が1本、くたくたでふらふら、倒れこむように横になる。部屋の電気がついているのは分かっているが、立ち上がって消すことができない。疲労困憊である。明日果たして歩けるであろうか。ただ明日は比較的楽なスケジュールであり、朝はゆっくりとしたい。久しぶりに朝風呂も楽しみたい。この日のことも生涯忘れないだろう、そのような一日となった。












2010年10月9日土曜日

10月9日(土)遍路行 後半戦九日目

後半戦九日目(通算三十日目)



10月9日(月) 遍路行   遂に瀬戸内海に



 道後温泉で少し時間的贅沢をした。今日は松山を抜けて今治に入る。少し気が抜けて中だるみを感じる。有名な松山市内の石手寺を打ったから、幾分空虚な感じにもなっているのだろう。僕の場合は小さな躁と鬱が交互にやってくる。一昨日、昨日と躁が続いたから今日は鬱だな。自分で良く分かる。市内を除けば今日の距離は30キロ、ただ歩くだけで打つ札所はない。遂に瀬戸内海が目に入ってくる日である。

① 松山ユースホステルは悪くはなかった。清潔だし、値段は安いし、言うことはないがどうも僕の波長と少し違う。何が違うのだろうと色々考えた。その結果、分かったことはとにかくごちゃごちゃしている感じなのである。建物全体とマスターがごちゃごちゃしているのだなと感じたのである。敢えて差別化の為に普通と違うようにパーフォーマンスしてホテルを運営しているのである。


② ホテルの入り口には「伊予ユースホステル共和国」と大看板があり、チェックインは入国管理と言い、前払いを請求され、普通の風呂はなく、「岩風呂」と言ってお湯などなく950円も別に請求され、ご飯は白米、玄米、麦の3種類が用意され、飲み物は現金と引き換えで貰えて、浴衣は100円で交換され、夜の10時からミーティングと称して宿泊者の健康管理講座があり、階段の踊り場には漫画や書物が山のように積まれ、どうもホテルのあちこちが普通のホテルではないのである。


③ 責任者は自らを『大統領』と呼び、作務衣など着ている。大統領が作務衣を着るか。サービス産業の責任者とは思えない立ち振る舞いで、悪いわけではないがどうも感じが違うのである。僕はあまり好きでないのだが、客は結構多い。一つには安いからだろうと思うのと、何より道後温泉まで歩いて6分の距離が魅力なんだと思う。こういう様は結構見る。でもやはり普通ではない。奥さんなども何か口数が少なくて、明るくなく、食堂の従業員もぴりぴりして、ただ一人マスターだけが赤ら顔で太っており、相撲取りみたいな感じである。こういうところを見る僕の見方は、やはり厳しいのだと思うが、多くの普通の人はこれが面白くて良いマスターと見えるファンも多いのである。ここが世間の難しいところだ。


④ 朝飯も7時からと余裕がない。歩き遍路に7時の朝食では出発は7時30分になってしまう。ホステルというんだからもう少し柔軟性があって良いと思った。僕はお金だけ払って飯抜きで6時に出発した。今日の予定を考えれば少しでも早いほうが良い。支払いは5300円、前日チェックイン時に支払っている。道後温泉の側が遍路道、昔の遍路も温泉を楽しんだことが、このことだけで良く分かる。遍路道が温泉とかけ離れていたら悲しいではないか。


⑤ 松山の繁華街を抜け、北の方面に向かった。寺町があり、様々な宗派のお寺がある。曹洞宗も良く見る。我が家の宗派だ。浄土宗も多い。「来迎寺」という。有名なロシア人墓地があるお寺で子規の祖父のお墓もある。8時30分52番「龍雲山太山寺」、9時30分53番「須賀山円明寺」を打つ。今日の札打ちはこれで終了した。後は今治に向かって歩くだけ。天気は快晴、汗ばむくらい暑い。道後温泉は良く効く。脚の調子はとても良い。10時頃ローソンで軽食。本格的に歩き始める。和気幼稚園などでは運動会、先にも後ろにも誰もいない。寂しい孤独の一人歩きだ。世の中は休み、歩き遍路も道後で連泊とし、休息日らしいが、僕はそのように出来ない。先に進むだけだ。


⑥ 看板があった。堀江港からフェリーが出ている。呉・松山フェリーと言い、懐かしい呉港阿賀とつながっているのだ。呉は我がふるさと、先に映画で見た「男たちの大和」には阿賀が出てくる。色々と思い出しながら一人で歩く。北条に入る。縦に長い町だ。まだ松山市内で、高浜虚子の碑や早坂暁の故郷、「花遍路の町・北条」などの看板に釣られ「花遍路のお菓子」を銘菓司店で買う。お接待を頂いた。お茶とお菓子3個を別に女将は入れてくれた。1000円の買い物でそこまでして頂くと申し訳ない。続いて昼食。お稲荷さん2個とうどん。お稲荷さんの旨かったこと、天王寺駅に売っているのと比べようもない安さで、一つで大阪の3個分の大きさである。国道沿いのレストランで、広場にて食したのである。

⑦ 道はまだ北上、地図では釣島水道、伊予灘を過ぎている。瀬戸内海と言っているが僕はここ菊間からを瀬戸内と言いたい。道はここから真東に向かい、僕の感覚では大阪天王寺に向いている感じだ。今日の宿は菊間町の「月の家旅館」ここも古い旅館で、16時30分遅い入り。道後温泉から30キロ以上、海の側を歩きに歩き、内海に面した道は少し土佐の外海と違う。道路は海に被るようにあり、下は海である。自動車道路の次に列車の線があり、場所によっては高速や専用道路がその次に来るのが瀬戸内海に面している特徴か。昔からの味のある道の構成であり、海の匂いをまず人間が嗅ぎながら歩くことができるのが瀬戸内海の良さである。


⑧ 道の駅沿いには瓦業の看板が目立つ。そう、ここ菊間は菊間瓦で有名なところであり、2ヶ所立ち止まって製作の過程を教えてもらい、特に鬼瓦の素晴らしさに感動したりした。16時30分旅館「星の家旅館」に到着。菊間駅のそばにある。名前は月の家と格好良いが部屋は今ひとつであった。換気が悪くて部屋は臭い、特に男子トイレの臭いが廊下を通じて部屋に入ってくる。僕は脳の天辺が裂けそうになった。僕は病的に臭いにはとても敏感だけに、この臭いには我慢が出来ない感じだが、それに慣れた人には感じないのだろう。長女が仕切っているのだが、この人が辛い。声は大きく、胸もスイカみたいなものをぶら下げて、前歯の下が3個抜けており、話す度にこの人は何故か、腕まくりをするのだ。頭のてっぺんは少し髪が少なく、どうも僕にはどういう人か良く分からない。それに計3人の客のうち、一人の男は狐みたいな顔をして魚をちゅうちゅう食べているのだ。もう僕は張り裂けそうになってきた。初めて経験する旅館である。


⑨ 食事中の話を参考にし、僕は早く脱出をと考えて翌朝早く出発することにした。気持ちの悪い旅館であったが、それも僕だけの感覚だけなのかも知れない。しかし僕はとにかく臭いには敏感であり、女性でも髪の臭いの強い人、(洗っていない人)には敬遠する。体臭は良い、しかし髪の臭いは嫌だ。神経質すぎるがもうこの年になっては仕方がない。