2007年11月9日金曜日

11月9日(金)「チーム木村」

「チーム木村:本校の管理職
1.本年4月に校長を兼務し、「校務運営の新体制がスタート」したが、「今日までの順調な立ち上がり」は一重に理事長・校長を支えてくれた「4人の管理職」のおかげであり、心から感謝している。今、思い出しても切なく、10ヶ月前、たった一人で着任してきて、「周囲に誰一人知り合いは居ない状態」はさすがの私も心細い気がしたものだ。(ということにしておこう)
2.おまけに着任時の部屋は正規の「理事長室」とは異なり、入試事務室が理事長室を「高校入試相談会」に使うと言って占有しており、仮執務室として中学生の入っている遠く離れた新館の2階の「集会室」をあてがわれ、だだっ広い部屋に一人据わったときには「先行きに憂慮」したものだ。失礼極まりない話だ。こういうところにも専横な雰囲気、何も考えない浪速の風土が出ている。今年はちゃんと別のところに設えているのだから、やろうと思えば出来るのにだ。「こんなところで、上手くいくのかな。浪速に来たのは失敗だったかな」等々思ったものだ。(ということにしておこう)
3.加えて最大の懸案は理事長として「人事案件」について早急に結論を出さねばならないことであった。その時の「高校教頭」は前年度から本年度末で退職されることが決まっており、この後任をどうするか、「やいの、やいの」のと校長から催促がくる。加えて「中学教頭」も3年を経過したので「生徒との触れ合いのある平教諭に戻りたい」と言っているらしいと、後刻判明する。
4.前年12月の理事会ですでに決定していたことであるが、4月には「校長兼務」が決まっており、前述した中学、高校の教頭は「新校長の人事」だと言って何も決めていないのは正しい判断だが、着任して間もない理事長、誰一人教職員を知らない校長予定者として私は途方にくれた。(ということにしておこう。)
5.更に追い討ちをかけてきたのは、当然留任してくれるとばかり思っていた「教務関係、常勤、非常勤講師手配」を主に扱っていた校務運営の中心「副校長が突然退職」したいと言ってきたことだ。押し引きがあったが結局慰留(?)は通じなかった。残った管理職は定年を2年を残した校長と事務長だけ、「3人の実務を扱う管理職が目の前から消えていったのだ。」
6.とにかく早く「管理職を3人作らなければならない。」やめる3人の管理職は来年度の校内分掌人事を決めるため、引継ぎのために「早く、早く」とせかすが、決めようにも決められない。当たり前だ。「誰も知らないのだから。」勿論彼等からの「推薦」はあったが、これから先の「浪速改革」を考えれば誰でも良いというわけにも行かず、お仕着せ人事では心許ない。「自分が見て決める」を押し通した。
7.方法は「全員と面談」することにした。この面談を通じて、浪速の教職員のアウトラインを掴めば道は開けるだろう。早速1月10日から1月30日まで全教職員と面談し、感触を掴んでいった。この面談は極めて多くのものを私にもたらしてくれた。学校の現状に対する問題意識、自分の考えを持っているか、どのようなご性格か、出身高校、出身大学は何処か、ご専門は何か、ご家庭状況、等々専任教職員のプロフィールが完全に頭に入った。これらのデータはその後に随分と役立つことになる。
8.こういう時に長い企業経験、世界で幾多の修羅場を潜り抜けてきた経験が役立つ。短い時間だが5分も話をすれば「人物は大体分かる。」その時に掴んだ印象は11月の今になっても大筋のところ、外れていない。「新理事長・校長予定者をどのような態度で迎えたか?事前に渡していた面談用紙の記載状況はどうか?」私の「人を見る目」には自信がある
9.中には新参者に「一発かましたれ!」ごとき経営最高責任者に対し、尊大不遜極まりない態度をとる教員もいたり、面談用紙には自分の名前しか書かない白けた教員もいたり、とにかく「浪速教員百態が面白く興味が尽きなかった。」その時の面談結果ファイルは今でも手元にある。まあ,どの世界でも共通することであるが、「最初の人と人との対面は気をつけたほうが良い。」これは教職員にアドバイスしておきたい。立派だったのは「組合教員」であった。彼らが指摘した問題点は私が有するものと同じで、自分にとって大きな自信と安心に繋がった。彼らは見方は偏ったところがあるが一応考えているのだ。
10.結果を言えばこの面談の中から管理職候補を絞り込んでいった。紆余曲折はあったが、「結果が現在の管理職」だ。「副校長兼高校教頭」は62才、正統派の先発型直球投手で先の熱中症事件の時はテレビ出演や新聞報道で有名になった先生、ご専門は国立大学卒の理科の化学修士。信頼する名実ともに「NO.2」だ。「副校長・中学教頭」は60才、軟投型の打たせて取るタイプ、丁寧で良く考えている、国立大学卒の理科は物理がご専門。管理職でもっともおしゃれでスマート。未だに高校時代と体重が変わらないという。「入試広報担当教頭」は初めて私が創設した職位で最初の当て嵌め、54才、先発でもなければ抑えでもない地味な「中継ぎ」タイプだが、その方面では名のある神道系大学卒業で本格的神職、入試広報にかけてはプロ、データがすべて頭に入っている。そして「事務長先生」、61才、府庁出身でこれも関西のブランド私大の法学部卒であり、本庁の課長をしていた関係で人脈は広い。言ってみれば「フロント」である。以上が「チーム木村のメンバー」、前安部内閣のような「お友達内閣」ではなくて「仕事師内閣」と自負している。何時まで続くか分からないが次の内閣改造まではこのメンバーで行く。
11.「自分の目に狂いはなかった。」4人の管理職は期待にたがわず頑張ってくれている。仕事の能力云々よりもこれは木村流の表現であるのだが、「人間としての品格」が管理職には必要だ。そういう意味からもこの4人は立派である。毎日9時から30分以内で「管理職朝会」を実施し、少なくとも同一世代のこの5人が現在の浪速を動かしている。久方振りに本日は5人で夕食を共にする。しかし気に食わないことが一つある。管理職4名、飲と食が細いことだ。「4人束にかかってきても私のパワーには敵わない」。それは食べないからではないか?