2010年8月12日木曜日

8月12日遍路行 五日目

五日目 8月12日(土)   お接待と一人の若者




 もう一晩ここ徳島市内に泊まれば本当に何十年ぶりに本場阿波踊りを目の前で見られた。しかも土曜日である。しかしその誘惑を断ち切り、今日も歩く事にした。まず車で昨日打った井戸寺山門に行き、ここから歩き始めた。ホテルからでも良いではないかという思いもあったが、後で後悔することになってもと考えた。札所間は全て徒歩で遍路するという初期の命題を崩したくなかったからである。ここで自分で決めたルールを破れば今後の歩きががたがたになる様な気がした。木村流の拘りである。ホテルに重いザックを置いたまま散歩風に朝の徳島市内を井戸寺から目抜き通りのホテルまで歩く。結構面白かった。そしてホテルで最終準備をし、小松島市の18番恩山寺に向かう。恩山寺、名前が良い。

① ホテルを出て30分も歩くと先方50メートルくらいのところを、お遍路姿でよろよろ歩く後ろ姿をみる。本当に左右に体が振れよろよろしているのだ。歩き遍路で昨夜は野宿でもしたのかと想像し、関心を持つ。すぐに追いつき並んで歩く。僕はこういうお節介なところがある。特に若者が大好きだ。岡山の大学4年生、始めての遍路旅、「就職活動はどうしているの?」「今は活動休止中です。」「ふーん」小柄だが日に焼けた顔は真っ黒。両親から「応援するから野宿だけはしないで」と言われ民宿に泊まっているとのこと。しっかりした家庭の子であると見た。


② 昨夜は偶然私と同じワシントン、「結構贅沢しているな」と思ったが、実はインターネットで自分のホームページに遍路旅を乗せるため、回線の整ったタウンホテルにしたとの事。確かに父親から貰ったというノートパソコンが入ったリュックは重たそうだ。


③ 今日一日、同業二人プラス1名の同行3人になりそう。ちゃんと受け答えはするがどうも覇気がない、何事もしみじみしない。服装もズボンはジーパンだった。飲み物を飲んでばっかりで滂沱の如く汗を流す、何事もゆっくり、ゆっくり。大学では福祉工学科で理系、振る舞いには下品さはないが、とにかく頼りなさそうな感じの若者。皆に宣言して来ているから8月一杯は歩き遍路に徹すると、とにかく「行くしかないんです。背水です。」と言葉は知っている。


④ 初めて本格的な「お接待」を受けた。接待ではない、お接待と言う。接待というと企業の担当と客先という湿った感じがするがこの接待ではない。遍路社会、特に四国に残る文化の一つである。年の頃は80歳前後の腰の曲がったお婆さんが立ち止まって私にトマトを一つ呉れたのだ。買い物からの帰りであろうがビニール袋の中にはキュウリとか入っており、その中から一つ取り出してくれた。「一つしかないけど、ごくろうさん、大変やね」といった意味の言葉を方言で言ってくれた。10メートル先に父親風の僕、その後にふらふらしながら付いてくる若い息子、まさに清張「砂の器」の世界に見えたのだろう。二人に一つのトマト、恐らく自分が食べようと買っていたものだろうが、これがお接待かと不思議な感動を覚えた。僕は素直に感謝の気持ちになった。若者に「頂いたから食べろよ」と言うと、「僕、トマトは駄目なんです。」と。しっかり僕が食べた。勿論冷えてはいないが旨いトマトであった。これが「お接待」かと僕はしみじみと心が優しく落ち着いてくる感じを有したのである。


⑤ ここで遡って、13番大日寺で初顔合わせしたもう1人の若者の事。この若者はフリーター。2回目を回っており、「善根宿を使ってお金ゼロで回ります。」口数は少ないがしっかりとした顔立ち、受け答えもしっかりしており、この若者とはその後、所々の札所でとにかく顔を合わせることになった。写真のシャッターを押してくれたり、遍路の事を色々と教えて呉れる。お数珠を首にかけていたら、「絶対してはいけません。真言では絶対です。」当方慌てて外す。「その辺で昼食でもしないか、色々と教えてくれたし、ご馳走させて」と言っても「まだお参りが未だですから」と断る。本堂前で座り、徹底して納経するらしい。僕は30分と決めているのだが彼は1時間は必要とするらしい。またお寺さんには鐘突き堂、すなわち鐘堂があるがこの鐘の突き方もルールがあって参拝の後で突くのは厳禁だとこの若者に教えられた。「戻り鐘は決して突いてはならない」のだそうだ。


⑥ 今日以降、この二人の若者と付かず離れずの遍路旅が続くが、それぞれ特徴がある学生とフリーター。ただ将来の事を考えた時、人生の先輩としてはいささか気になるのだ。自分が22歳前後は目を輝かして何かを掴もうと掴もう頑張っていたと思うが、現代の若者のこのような生き方を見ていると難しい時代になったなとつくづく感じる。


⑦ http://www5e.biglobe.ne.jp/~XxXx/ が大学生のホームページ、就職活動を放り投げて、こういうことをちかちかやっている学生をどう理解したら良いのだろうか。しかしそれにしてもこの若者は歩くのが遅く、一緒には歩けない。「早いか?」と聞くと「早い!」というので、やむなく先に行くことにした。遍路は自分のペースで歩かないとつぶれるのだ。休息のローソンでアイスクリームをプレゼントし、ザックの中のパソコンを見せて貰った。旧型の富士通ノートブックでいかにも重たそう。加えて付属を付けているので遍路旅にパソコンを背負って歩いているようなもので、「軽量化の工夫はあるよ、夜民宿で説明する」と言い残して、先に進んだ。この時点では名前も知らず、記載以上の事は存知上げない。


⑧ 18番恩山寺16.8キロを打つ。引き続いて19番立江寺を目指す。一人旅。14時立江寺到着、結句この日も昼食の機会を失い、立江寺門前で牛乳とアンパンを購入、空腹を満たす。牛乳は数日ぶりである。本日の歩き距離20.8キロ、蒸し暑く、土曜日でもあり、次の札所まで更に13キロあることを考えれば限界、ここで宿を探すことにした。



⑨ 宿「鮒の里」、大工さんの経営する民宿、ご主人も奥さんも良い方で良い宿舎にあたったと喜ぶ、夕食も良かった。なにより心配りが素晴らしい。気に入った。ホームページも開設しているとのこと。「鮒の里」「同行2人」で検索してよと言う。とにかく世話焼きのご主人だ。HPの書き込みに「世話が少しうるさい。」と書かれたらしく苦笑いしていた。


後からくる大学生の事が気になり、入浴後自転車を借り、迎えに出向く。私の到着後2時間遅れで倒れ込むように、とにかく彼も投宿できた。疲れ切っていた。22,23の若者が何でこんなに弱いのだろう、素直に感じる疑問です。こちらは還暦のおじさんなのになーと思った。


⑩ 彼は食事も遅い、ゆっくりゆっくりと食べる。お酒は当然飲まない。食事後私の部屋でパソコン教室、この時もオレンジジュースの缶を持ってくる。目を光らせて聞いていたが、知識も少ない。限られた知識の中で行動するだけで「更に極めよう、勉強しよう」という自らの意志による向上心はとても希薄だ。他力でそのような状況になれば興味を持ち、勉強しようとするが、自力、自ら進んでは動こうとはしないのだな。学生は余程のお宅族でもなければそうかも知れない。色々なタイプがあってよいが、若者の味方としては少し残念である。