今日は高知市内周辺の札所を数多く打たねばならない。昨日の市内タウンホテルでの宿泊でいささか元気になる。土佐は幕末維新、明治自由民権の流れの中で偉人を多く輩出し、名所が多い。しかし革新の原動力であったが100年経って今はどうか。難しいことは言うまい。ただ、もう恐らく来ることはないだろう土佐を歩き廻ってこの肌で土佐を知りたい。体感体得である。
① ホテルなので朝食はない。5時30分起床。朝風呂。久しぶりにカードで支払う。
7350円。6時40分出発。はりまや橋を経由して31番竹林寺を目指す。朝の高知市内、結構車の往来多い。月曜日だからかな?8時竹林寺到着。五台山と山号を持つ。よさこい節のかんざし買った坊さん、純信が居た寺と聞く。標高140メートルくらいの山の頂点にある。結構きつい坂。有名な植物学者牧野富太郎博士顕彰植物公園の前だ。
② 武市半平太の生家の標識を見ながら南下、この辺は武市姓が多い。歩いて居ると玄関の表札で良くわかるのだ。濱口雄幸生家記念碑というのもあった。城山三郎が小説「男子の本懐」を書き、雄幸の句として「風車、風の吹くまでの昼寝かな」と書いていたのを思い出す。僕の大好きな句である。天の呉れたこの自由の時、僕も風が吹くまでの小休止と考えればよいか。僕の風は何時吹くか。
③ 11時32番八葉山禅師峰寺に到着。太平洋に面したお寺である。海上安全に霊験あらたかと聞く。ここから桂浜が見える。写真を一枚。「補陀落渡海の海」と聞く。観音菩薩信仰である。
④ 33番雪蹊寺に向かう。ここで又ご接待に預かる。おばあさん、自転車に乗って、僕を追い越し、先の方で自転車を止め、「少ないけどこれ、接待と」、100円硬貨をくれた。聞けば84歳「体に痛いところがないんよ。」と元気一杯。道を教えて呉れたりして、又自転車に乗ってさわやかに去って行った。すごいなー。84歳だよ。考えてみると、今まで全て接待をして頂いた方は全て女の人、それもかなりのご年輩だ。最後はやはり女性が仏様になるのか。80歳を越えるとなれそうだ。吉兆屋の女将もそうだった。初めてお金を頂いた。この100円は大切にしよう。
⑤ 34番種間寺は高知競馬春うららで有名になった春野町にある。のどかな田園風景にあるフラットな道路と同じ高さで存在する。予約しておいた春野運動公園付属のスポーツパレス春野に投宿。学生スポーツ合宿専門の宿泊所であるが、これが結構良いのだ、広くて風呂も大きくて、サウナもあり、12時まで風呂に入れて、(民宿は大体9時まで)脱衣所はエアコンが利いており、(民宿では風呂上がりは汗だくだく)料理も良く、たまたま他が満杯であったからここにしたのであるが、当たりであった。
⑥ 本日だけで4つの札所を打った。三十四番、三十五番、それに「三十五番医王山清滝寺」、「三十六番独鈷山青龍寺」である。いずれも素晴らしいお寺さんであった。ところで僕の納経のスタイルはこのようなものである。勘違いもあるかも知れないが、マニュアル通りと思ってやっている。まず本堂、それから大師堂、許されておれば先に「鐘楼」をつく。勿論先に手水を使い清める。ろうそくの灯明と線香3本をあげ、納札を箱に入れる。お札には願意を書く所があり、色々と考えて書く。お賽銭を入れた後、お経を読む。お経を読む順番はこれもマニュアル通りであるが、開経偈、普禮真言、懺悔文と続く。その後発菩提心真言、三昧耶戒真言、般若心経と続く。これがメインである。そしてお寺のご本尊によるが13仏真言を唱え、続いて光明真言となる。最後に「南無大師遍照金剛」と御宝号を三回唱え終わる。すべて声に出してやる。恥ずかしくはない。結構時間がかかる。大師堂は御宝号と舎利禮文、回向文を静かに唱える。
大師堂で黙って、しばらく立ったまま、頭を垂れて静かにしているとほっとするのだ。本当は本堂と同じ手順でやった方が良いのだがまあ手抜きだな。そして納経所に行き、納経帳とお軸に朱印を頂く。併せて800円かかる。その後デジカメで写真を撮ったりする。お寺に到着後から出発まで少なくとも30分はかかる。汗が吹き出る流れ作業だ。ようやく慣れて来て最近は一息入れる時間が5分くらいある。近頃は段取りが身についてきて落ち着いて来たが当初は本当に大変だった。忘れ物をして慌てて取りに帰ったり、経文帳などは汗と雨で、もはや表紙はぼろぼろである。輪袈裟はしばらくしてお参りの時にだけするようにした。汗で汚れるのだ。さんや袋と財布は体から離さない。この中にはろうそく、線香、念珠、ライター、経本、地図、携帯電話、ペンなど入れている。しかし正直言ってさんや袋は使いにくい。
⑦ 34番種間寺での納経時、団体も去り周辺には誰もいなくなる。納経所の恐らく僧侶(?)かなりのご年輩、何か親しみを感じ、会話が弾む。「お客さん、へー歩き?」「そうです」「大変だな」「イヤー、大変です。疲れ切っています。」「えー、そんなに見えないよ。元気そのものですよ」「そんなことはありません。くたくたです。」「いやー、そんなには見えないよ。元気そのものです。」そしてどちらからともなく「わっはっっは、わっはっは」と笑い声が当たりに響く。「わっはっは」僕も本当に良く笑った。誰から観ても僕は元気に見えるのだな。パワーが顔から、首から、体からやはり出ているのか。もうそれで良いわ。それにしても面白いと思わないか。何も関係ない知らない方がやはり僕を観て「元気」と感じる。そんなに僕は元気にパワー溢れるように見えるのか、そう言えばPTAの方にも良くそのように言われた。一生懸命なんだ。その瞬間に手を抜くなんて僕にはない。とにかく全力投入なんだ。その気概があればこその体にみなぎるパワーが溢れて来るのだ。人は意識して気力を隠そうとする。目立たないようにする。結果も目立たない。僕は違った。「やると思えば何処までやるさ」王将の一節です。目標を高く掲げ、絶対に実現する。これが僕の生き方でした。これを認めた瞬間が「わっはっは」でした。
⑧ 種間寺において一句。
「洪笑し やがて悲しき 遍路かな」
「洪笑し 涙をぬぐう 遍路かな」
「洪笑し やがて下向く 遍路かな」
「大笑い 目じりをぬぐう遍路かな」