2010年8月15日日曜日

8月15日 遍路行八日目 番外霊場

八日目 8月15日(火)   番外霊場 鯖大師

 山田さんとお別れの日、また1人になる。寂しかった。
徳島最後の札所23番薬王寺から高知県室戸岬、24番最御崎寺(ほつみさきじ)までは75キロの長丁場、古来より「ここでつぶれる歩き遍路」と言われるくらい、道また道が続く。僕は75キロを3日間で歩く計画を立てたが、果たして持ちこたえられるか?孤独な戦いが又始まる。阿波の国は「発心の道場」、土佐は「修行の道場」と言われるが厳しいものになりそうだ。まず室戸岬に行き、そこから四国の南端足摺岬まで歩いて到達しなければならない。気の遠くなるような長い距離である。長い海岸線に16箇所の札所しかない。確かに土佐は修業の道場である。僕の気力と体力がどこまで持つか?勝負の時が来た。

① 宿坊泊まりの良い点はお寺の経営だけに様々な特典がある。朝6時から「勤行」に参加できることなどである。本堂に上がって僧侶と一緒に般若心経を唱えることが出来た。良い雰囲気だった。7時、山田さんとしっかり握手して別れた。今日中に明石に帰るとのこと。昨夜夕食時に「今度は何時?」と書くと「小さい会社だから予定が立たないが、秋には」と紙に書いて呉れた。山田さんは携帯電話をとても大切にする。そう言えば歩きながら携帯に良く触っていたが、あれはバイブが着信を知らせていたのだとこの時初めて気付いた。聾唖者にとって携帯電話の発明ほど素晴らしいプレゼントはなかったのではないかと思えるくらい使いこなしている。



② 薬王寺の周辺を早朝散策していたら若い女性二人に話しかけられた。東京から来たということで数回に分けて遍路歩き旅をしているという。今回はこの薬王寺で終わり本日東京に帰ると言われた。東京人らしいさっぱりした二人組であった。女性と歩く経験も悪くはないなと思ったが、このようなどうもゆったりゆっくりしたタイプでは時間を要し、結果的には同行とならずに良かったかもし知れないと感じたのである。



③ 支払い6000円、宿坊は少し安い。7時40分出発。山田さんと離れて何だか1人では元気が出ない。まったくのひとりぼっちになってしまった。阿波一国を打って少し目標を見失っているような感じである。朝から蒸す。それでも元気を出してぼつぼつ歩を進めることにした。チェックポイントは霊場番外4番「鯖大師」であり、距離20キロ。その後はお盆故、宿がない可能性があり、今日は鯖大師までが限界かと考えた。本当はもう少し先に脚をのばせば明日が楽になるのだが、危険でもある。足の調子次第か。とりあえず「鯖大師」を目指す。今日も本当に暑い。1人だけに制するものがなく安易に自動販売機に立ち寄ることになる。少し気力が失せて来ているのを感じる。初めて左足親指のつま先が痛くなってきた。どうしたのだろう。昨日まではこういうことはなかったのに。


③ 途中ローソンで珍しく讃岐うどん店を併設しているのを見かけ、少し早いが昼食にする。12時ローソン出発。13時過ぎ「鯖大師」に到着。88カ所とは別途に20箇所を「霊場番外」と決め、併せて108という数値になるらしい。除夜の鐘が108などと108と言うのは仏教界では因縁の数値である。人間の煩悩を示しているのか。番外霊場は八十八カ所札所に比べ規模などいささか劣るが中でもここ鯖大師は有名な所らしい。縁起などは略す。宿坊はお盆休みとの事。お寺さんに民宿のことを聞くも要領を得ない。いささか不安になる。




④ 歩き遍路の中には20箇所の番外霊場も対象に加えて踏破する完全遂行の人もいるが今回の僕は八十八箇所だけと決めている。番外霊場は山中にあるとかとても最初の経験では踏破出来そうもないと思ったからである。その代わり八十八箇所の札所間にある番外霊場の場合は極力立ち寄って参拝するように心がけた。この鯖大師は番外霊場第四番札所と正式には言われており正式には八坂山八坂寺と言う。行基が開基したと伝えられている。四国には行基が開基したお寺さんが多い。


④ このまま先に進むか、ここで泊まるか思案したが結論は無理をせず、通りで見つけた民宿に飛び込みで入る。今日はもうこの宿に決めた。国道沿いで急な坂を上って宿に入る。宿の名は本場海鮮料理民宿「XX荘」であったが、大体、こういう名前は、私の経験上要注意である。その予想は見事に当たり、もう何も書くまい。悲惨であった。しかしここを逃したら今日は野宿人になっていたかも知れない。泊めさせて頂くだけでも有難いと思わないといけない。しかし酷いものだった。今まで7日間様々な宿泊場所を経験したが最も思い出に成らない酷い民宿だった。一例を挙げよう。家全体が臭うのだ。風呂には電気がない。2階の部屋だが一階に下りる時には落命を覚悟しなければ成らない。ステップがおかしいのでつまずくのだ。手すりをしっかり握ってゆっくりと、命がけで降りなければならない。今18時20分テレビは阿波踊りで菊水連や悠久連がさわやかに軽快に優雅に色香を振りまきながら踊っているのを中継している。我が身の落差に驚き嘆く。


⑤ 2時前のチェックインだから普通よりは早いが、女将さんは許してくれた。これは有り難いことです。3時過ぎもう一組若いカップルが入ってきた。感じの良い、夫婦か、恋人同志か、良く分からない。どうしてこんなところに?名前に騙されたのではないか。元来は先にチェックインした僕が先に風呂に入るのだが、その男を先に案内している。風呂場でかち合ったので僕は後にすると脱いだ服を又着た。そして女将さんに折角だから「夫婦二人で入って貰ったら」と勧めるも要領を得ない。本当に気がきかないな。美人の奥さんは外で待っているのだ。


⑥ 夕食、海賊料理が出てきた。どんなものが海賊料理か何も書くまい。僕はビールを頼んだ。そうしたら僕の一つ前の席でカップルの女性は同じくビールを頼み、優しそうに男についでやり、二人で乾杯して嬉しそうに一杯目を飲んだ。うらやましい光景であった。加えて、目のやり場に困るのだが女性のお尻が僕の1メートル前にあるのだ。そしてお尻の向こうには気の良さそうな男の顔がある。美男美女である。僕はお尻を観ながらビールを2本飲んだ。おかずはすぐに無くなり、ご飯の時は何もなくて、仕方なく冷めた赤だしのみそ汁をご飯にかけて食べた。切ない夕食であった。


⑦ テレビを観るのに100円をテレビの横の小さな箱に入れれば、一時間見られるというシステムは今時、捜すのに苦労するのではないか。辛い1日であった。少し大げさか?

たった今、小泉総理の靖国参拝を報道していたテレビが、ガチャっと切れた。そうだ、今日は終戦記念日であった。お盆のど真ん中であった。お盆に家を離れて一人他国に居るのも長い人生で初めての経験であった。僕は慌ててパソコンのキーインを止めて、100円硬貨を捜して又投入した。社会の動きに敏感になっている自分に気づくのである。世俗が気になるのである