2009年4月7日火曜日

4月7日(火)健康診断

・ 明日の「始業式」を前にして今日は新入生の「健康診断」である。「X線と心電図」だ。中学校高校の635名である。中学校は8時20分に登校させて心電図から入る。部屋から見ていると中学生は直ぐ分かる。まだ「子ども、子ども」しているからだ。
・ 学院神社の前まで進んで「ピョコッ」と頭を下げて拍手を打っているのが見えるが前まで来なくとも鳥居の外で軽く頭を下げるのが高校生のスタイルだが、まだ素直にそのようにしているのだろう。
・ 今年の中学生はどうも良いみたいだ。今年卒業した中学3年生は一クラスであり、この担任を務めたN先生に引き続いて1年生の担任をお願いしている。この先生が私に次のようなメールを寄越している。
 “私自身、長い教師生活の中で、初めての中学1年生担任・学年主任ということで、責任の重さをひしひしと感じる入学式でありました。しかし、待機中の生徒たちの態度、教室での話を聴く姿勢、提出物(忘れ物の少なさ)、などを見ておりますと、上手く表現できませんが、「今までの中学生とは少し違うなあ」という印象を持ちました。「今後が非常に楽しみな生徒」たちで、ますますやる気が湧いてまいりました。”
・ 高校生は数が多いため、「時差登校」をさせて各類単位に行う。レントゲン車は1台来る。又検査の流れをスムースにするため、男女とも無地のTシャツまたは肌着を指定しており、特に女子にはスポーツブラや金具の無い下着の着用を指導している。
・ 男子校時代はいい加減で裸の男ばかりがそこらじゅうを走り回っていたが共学になって以降、この辺の「生指ノウハウ」も徐々にではあるが積みあがってきており、特に女性教師が増えて大いに助かっている。
・ まさか女生徒の前で男子生徒がパンツ一枚と言うわけにも行かず、もしそういう光景を見たら「民度の低い学校」と言われかねないし、「セクハラ学校」の掛け声などがかからないとも限らない。私はこの辺を厳しく見ているのだ。  
・ 内科検診は3回に分けて「学校医」の手によって成されるが、本校は生徒数が多いため、数回に分けて実施される。昨年学校医を変えて新しい先生にお願いしたのであるがどうしても回数減にはならない。どうして今日の診断と内科検診がドッキングして出来ないのか考えれば腹が立つ。日が合わないというが調整したのか。
・ この医者の世界も友人のドクターに頼んで応援してもらい1回で済ますと言うのは無理みたいだ。背景には「医者不足」があるのか。それに体育科が「体力測定」をドクターの休日である木曜日に入れたものだから今年も4月、5月と月をまたいで行うことになっている。気に入らない。だらだらと内科検診が続くことになる。
・ ところで学校で最も恐れる病気は「肺結核」である。今朝の新聞でマスコミはタレントのはりせんぼんさんの箕輪さんが罹患して入院と報じていたが、タレントの肺結核が珍しいのか、頻繁に報道されているが実は最近でも極めて恐ろしい病気である。
・ 「 学校保健法」でも第三章で「伝染病の予防」は厳しく規定されており、若し一人でも生徒が判明すれば大変なことになるからだ。私は生徒を守らねばならない。従って生徒の健康診断には気を使う。
・ 今年はインフルエンザに罹った生徒も少なくほっと一安心であった。中学で連続して発生した時には「何時学級閉鎖をするか」真剣に考えたものだったが今年は幸運であった。夏は本校の大敵「熱中症」である。2年前これには痛い目にあったからである。
・ それにしても学校保健法と言う法律も大したものだ。昭和33年の法律であるが今日まで見事に規定している。第一章が総則で学校保健安全計画、学校環境衛生、学校環境の安全の規定だ。
・ 第二章が健康診断で「就学時の健康診断」がある。今回のものが相当する。又この章には職員の健康診断の規定や健康相談の項目もある。第三章は前述したように「伝染病の予防規定」である。
・ 16条に「学校医の設置義務」と19条に「保健室の設置」が義務つけられている。しかし私は思うのだ。「昔の人は偉い」と。簡潔に学校の保健健康管理を守るための法令がこのように見事に昭和33年ころに規定されていることは素晴らしいではないか。
・ 重要な役割を担うのが「養護教諭」と「保健主事と言われる教諭」である。特に養護教諭は養護教員免許を持つ学校の正規職員である。養護助教諭というのもあるが臨時的な職位だと思う。
・ 本校くらいの規模になると養護教諭は2名必要であり、今年から1名増強して2名体制とした。これ以外に保健室勤務の職員を有しており、「看護師の資格」を有しておられる方だから「本校の保健室は強力」である。
・ 全てを取り仕切る責任者は保健主事でこの職位の言い方は色々あるが、本校では「保健体育部長」である。普通は保健体育科の教諭が就くことが多い。彼らは「授業」をすることは出来るが養護教諭は授業は出来ない。出来るのは「保健指導」である。
・ 体育科の教諭は言って見れば「学校全国区」であり高校の英語とか数学の先生、中学校の先生とかの「地方区」ではない。学校全体の「行事」には欠かせない全国区である。
・ ところが今年着任した東京女子体育大学のバリバリの新任の女性体育教師を、こともあろうに中学校は「副担任として採用」したと「錯覚」してこき使っているという。この話しを聞きつけた私は早速命令を下した。
・ 定席は体育科、早く女生徒の体育の授業のシラバスを勉強し、体育科の仕組みを身につけないと体育科の先生として役に立たないと関係者を呼んで厳命したのだ。明日の始業式が終わればもう授業なのに「「私、何をどうしたら良いんでしょう」では可哀想ではないか。他の教科の新人先生は教材研究に血眼になっているというのに。
・ 「体育科はまとまりの大変良い教科団」である。まずここで訓練して余裕が出れば中学校の仕事も当然すれば良い。しかし優先順位がある。幾ら教室の掃除や中学校の仕組みが理解でき、上手くなっても「本家本元の体育科の授業」を見事にやってもらわないといけない。そのために採用したのである。すんでのところで私は救助、救済したのである。危ないところであった。

2009年4月6日月曜日

4月6日(月)21年度入学式

・ 快晴である。雲一点ない天気に恵まれ素晴らしい気候になった。何時もより少し早く学校に出かけた。校務員さんはすでに準備を着々としてくれている。神輿が二つ神社前に揃えられている。「本校の宝物」だ。
・ 入学式は卒業式に比べていささか「軽く」扱うのが学校文化だが私は違う考え方を有しており、「私学は入学式を大切にすべき」というスタンスだ。当たり前だと思う。私学は何より「入学者」であり、彼らの歓迎会こそ感謝を込めて行うべきと言う考えである。
・ 例年に比べて二日ほど早く「入学式」とした。昨年は午前中に入学式をして午後始業式としたのだが時程がしんどく、入学式を早めてこのような形にした初めての年度である。他校でも段々と入学式が早くなっている気配もある。当然の流れだろう。
・ 2月28日の卒業式から一ヶ月の間「様々なこと」があった。1年で最も忙しい時だった。入学者の数が確定し教員数が確定し、入学準備となるのだが学校法人としては「来年度予算」を決定するための「理事会・評議員会」なども「てんてこ舞い」と言ってよかろう。それに「多聞の改装」が大詰めだった。
・ 教職員は今恐らく5月の連休を楽しみにして頑張ってくれているのだと思う。5月の連休は年間カレンダーを組むときに少し「連続して休養が取れる」ように配慮している。そうでもしなければ「教員も持たない」と感じるようになってきている自分に気付く。
・ 8時30分生徒登校、ホームルームの後「中庭の学院神社前」に集合、9時から雅楽演奏の中で「神前奉告の儀」がある。本校独特のものだ。私は何時もこの光景を目の当たりにする新入生と新人の教員の「驚きというか」受け止めに思いを馳せる。このような学校は日本全国本校以外にあるまい。保護者も一緒にお参りする。
・ 終了後講堂へ移動だ。今度はブラスバンド部が生演奏で生徒の入ってくるのを歓迎する。昨年は講堂内で在校生が2台の「お神輿」で「ワッショイ、ワッショイ」と入学生を歓迎したものだが今年は神社前にした。とにかく神輿が大きくて出入りに困難をきたすからである。
・ 本校の入学式,卒業式は私は「日本一」と自負している。とにかく「雰囲気」がとても良いのだ。これは本校の「特記すべき事柄」である。国旗は壇上正面に掲げられ中学高校の校旗が並び、会場の周辺には「NANIWA」の幔幕が巡らされて雰囲気はいやがうえにも盛り上がる。
・ 事前段取りなど準備の責任者は新1年生の学年主任だ。初めての大役であるが今日まで見事にこなしている。経験がないからと当初は言っておられたが立派なものだ。この先生はとにかく「謙虚というか控えめ」でそこが良い。
・ 特に保護者の対応は天下一品と私は評価している。姿勢が謙虚、控えめということもあるが一つには「聞き上手」だろうと思っている。この聞き上手というのは素晴らしい資質で私などは見習わなければならない。
・ 今朝も部屋に来て「緊張しています、ゴチゴチです。」と言って来られたので「大丈夫ですよ、先生のそのお人柄が人気を呼びますよ」と私は言ってあげたのだ。散髪して口ひげも綺麗に揃えて一段と男振りが上がっていた。
・ 校長の式辞は卒業式がA4で4枚であったが入学式はA43枚とした。「短くパンチあるもの」にしたのである。本校に入ってくる生徒は「伸びきっていない。」従ってこれを「伸ばす」ことが我々の仕事である。学校は当然強制力を持って「引っ張って」行くが君たちは「この今を大切」に努力しなければならないと、少し厳しくメッセージを伝えたのである。
・ もう一つ大きな本校の入学式の特徴は担任紹介の後で分掌部長など幹部職員を生徒保護者に紹介することだ。公立では担任のみの紹介であったが、これも良いのではないかと思っている。
・ その後「在校生が部活動のユニフォーム」を着て会場前面に躍り出て数名のキャプテンが「歓迎の辞」を述べる。勿論「自治会長」が最初なのだが、この雰囲気がとても良い。私が歓迎の言葉を述べるよりは生徒にはこちらの方が良く耳に入ってくるだろう。
・ 一人の生徒が「自分も公立に失敗して浪速に来たが今ではそれで良かった」と感慨こめて喋っていたのを聞いた時には思わず目頭が熱くなったものだ。「公立なんか、目じゃない。本校のほうが良い、良かった」と早く併願者に思わせてやらねばならない。
・ 生徒が教室に退場した後、80インチのプロジェクターを用意して、まず私から「多聞尚学館の紹介」をした。PRかも知れないが保護者にとっても関心事であることは間違いない。特に目玉は「中学校の復習」を英語と数学でやることを伝えた。本校の新しい企画だ。保護者は真剣にうなずいて聞いてくれていた。誰一人席を立たない。手ごたえを感じながらの多聞尚学館特別寄付金のお願いをした。
・ その後PTA教育後援会から「教育後援会」のお話だ。卒業式は来賓挨拶とかあって時間がかかるが入学式は無いためこのタイミングを利用して「お願い」するのだ。私学であるから保護者の支援がないとやっていけないが本校は恵まれている。「理解のある保護者に恵まれている」だけに我々の責任は大きい。
・ 私はまだ解放されない。理数科とⅠ類の生徒と保護者を別室に集めて、早速の「特別講話」だ。言ったことは「池の側まで連れて行くが、水を飲むか飲まないかは君たちの選択と努力だ。」と。鍛えに鍛えて3年後が楽しみである。
・ 朝写真館のメンバーが部屋に挨拶に来て呉れたが今日も張り切って撮っておられた。新たに「ビデオ映写機」を購入したとかでこれで静止画と動画の「DVD卒業アルバム」が作成されることになる。この分野でも新しい時代の幕開けとなった。
・ 全てが終わった後私から全教職員に「慰労のメール」を送信した。今日の入学式は本当に「品が良くて静かな盛り上がり」を見せ、教職員が「自然体」で運んでくれたのが嬉しい。本当に立派な入学式であった。生徒も保護者も喜んでくれただろう。恐らくご家庭での今夜の夕食は楽しいものになったものと私は確信している。これが「私学のサービス」である。

2009年4月5日日曜日

4月5日(日)新採用常勤講師3日間

前略 4月1日新たに着任された常勤講師の先生方へ>  ご苦労様です。お疲れなど出ませぬように。ゆっくりとマイペースで進めてください。  大いに期待しています。>  さて着任以来たった3日間ですが様々なことを見聞し経験したと思いますがその感想なり所感なり覚悟なりを「精選した言葉」で作成し理事長校長にメール返信してください。字数は500字以内でワード形式とします。期限は明日中とします。以上宜しくお願い致します。>     
(学)大阪国学院 理事長>   浪速中学校・高等学校長 >  木村 智彦
・ 以上は1昨日3日に校内メールで新任の常勤講師に対して打った私のメール内容である。4月1日に着任して新任研修、最初の職員会議、分掌会議、学年会議、職員室に席の入れ替えと矢継ぎ早に様々なスケジュールが組まれており、丁度3日間というのが「最初の印象」を持つのに適当な期間と考え、お願いしたものである。
・ 新人の先生が上手く「着陸」してくれたかという心配と、例え500字と言えども「文は人なり」、「書いた人となりの個性」が出てくるものでそれを知りたかったということがある。加えてこれらの「新人を迎える職場」がどうであったかも確認したかったからである。
・ 結論から言えば総じて18名の新採用の先生方は「想定以上の上手い着陸」をしてくれていることと、受け入れ先の職場が「万全の体制」で「親切に優しく」迎え入れてくれていることが文章に直接表現されており大いに私は「気を良くした」のである。
・ 18名の先生方の500字の印象や覚悟の文は昨日自宅に持ち帰り、本日楽しみにして読んだ。大変面白いと言うか(インタレスティング)、興味を持って目を通したのである。私は人の書いた文章やレポートの類を読むのが「特別に好き」なようである。
・ まず全員が時間通りに「返信」してきた。ところが2名の先生はファイルをワードと指定しているにも関わらず他の拡張子が付いており、同封が開けなかったのともう一つは危険ファイルとして添付が削除されていた。先生方は「ちゃんと理事長に届いたか」送信を確認しなければならない。詰めが甘い人がいる。
・ 一人の先生は所定の書式に付け加えて別のファイルに紙3枚に及ぶ「企画書というか提案書」までつけてくれており、その内容も「中々のもの」で私は感心した。又別の3人の先生は同封の文章に名前もタイトルも付いておらず、これは「レポートの形が出来ておらず」、小論文を出す基礎訓練が出来ていない。 これでは先行き困る。
・ 概して18名のうち、大学卒業して直ぐ本校に着任した、まさに新人先生は「心の不安」が手に取るように分かったが、さすがにベテラン、とは言っても最大で4,5年以内のことだが、それでも「落ち着いて様子を見ている」のが良く分かる。
・ 私はメールで自分の「精選した言葉」で書いて寄こすよう依頼したのだが、全般に文章をまとめるときの「ボキャブラリーの豊かさ」と「表現方法」には個人差を感じた。これははっきり言って今日までの「読書量の差と思考力の差」が出るものだと言わざるを得ない。「蓄積の差」である。直ぐ判る。
・ ところが必ずしも「蓄積の差」が「教師力の差」とならないところが、教師という職業の面白いところで結局は「人間力の差」となってくるのだろう。勿論人間には「運」という「不可解」なものはあるから「棺おけ」に入った段階で人生の集大成となるのだが、今までの蓄積はやはり大きい。そうでなかったら誰も若いときに勉強はするまい。
・ 18名の先生と昨年本校に勤務し始めた30名近い先生とあわせて44名以上の常勤講師の先生の「教師生活が本校からスタート」したと思えば私も責任を感じる。浪速を基点に「素晴らしい教師生活」を送ってもらいたいと念願するばかりである。
・ そのためには「謙虚に努力」することに尽きる。今はこの500字の文章にそれぞれが思いを書いているように「初々しく」「はつらつ」としているが、悲しいことに今日の原点を忘れて「惰性に生きる教師」となってはならない。
・ 仕事の要領を覚えたら右から左に処理する腕にはたけてくるが「そこには教師の原点を忘れた見せ掛けだけの教師」みたいな「素焼き」の陶器そのままの人もいる。しっかりと「本焼き」した決めの細かい水の漏らない先生になって欲しいものだとつくづく思う。
・ 感想文はどれも素晴らしかったが代表として4人の先生が何を感じているかここに記載してみる。
A例 新卒 女性 「3日間の所感と決意表明」
木村校長よりお言葉を頂戴し、ほどよい緊張感と謙虚な余裕を持って新しい春を迎えてから早3日が経ちました。木村校長に関しましては以前より「校長ブログ」等を通して存じておりましたが、お会いして実際にお話を伺うことが出来たこと、またこれからもお話を伺うことが出来るということを大変有難く思っております。
さて、この3日という短い期間の中ではありますが、様々な所感を持ちました。
まず、「生活指導が大事である」という木村校長のお言葉の通り、生徒への指導が徹底されていることに驚き、これほどさわやかに振舞うことが出来る中高生がいるのだなと本当に感心致しました。これも木村校長の「面倒見の良い学校」というお言葉を受けて、先生方が生徒指導に尽力なさった賜物であると思います。
また、多聞尚学館の設立や学内イントラネットの整備等々、設備に関しましては生徒だけではなく教員も気持ち良く勤務することが出来る様に配慮していただき、有難い限りでございます。
新任1年目で右も左も分からない状態ですが、ご期待に沿うことが出来る様にひとつずつ積み重ねていきたいと思っておりますので、ご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

B例 新卒 女性 「3日間で感じたことについて」
研修や職員会議、校務分掌が発表され新学期を迎える準備が整い、緊張と不安を抱えながら各個人に配布していただいたパソコンを前に指定された机に座ると実感が湧いてきました。職員会議では理事長校長先生のお話を聞き、中学校での指導の重要性が分かりました。ご多忙のなか第3職員室まで来てくださり、ありがとうございました。先輩である諸先生方は親切に色々と教えてくださり、生徒たちと対面できる日が楽しみになりました。
教科指導ができることが前提で、そのうえで生徒指導ができると思います。できて当たり前のことを当たり前のようにできるように準備し、日々精進していきたいと思います。生徒たちが小テストや毎日の授業のなかで達成感を味わえることを積み重ね、自分たちの力に自信を持つことができるようにしたいです。できる喜びから勉強の面白さを感じてほしいです。教室の清潔感の維持や挨拶の徹底など学校内の雰囲気を気持ちよくすることも指導していきたいと思います。

C例 新卒 男性 「着任してこれまでに感じたこと」
着任したことを最初に実感したのは、4月1日新任研修での理事長挨拶でした。これまで、インターネットでは校長日記を拝見し、浪速に勤めることへの意気込みを自分なりに高めていました。しかし、理事長の声は想像よりはるかに重く私の心に響きました。そして、これから私は浪速のために力を尽くすのだと強く心の中で誓いました。新卒の私の力は今は小さなものですが、浪速を変えていくことへの気合いで満ちています。
 また、先輩の先生方には教師ゆえの苦労と喜びを教えて頂きました。前向きに努力をし、失敗をしたら必ず次の機会には成功へと導く。常に前進する気持ちが大切だと学びました。そして様々な会議にも出席し、教職員全体で取り組む姿勢を目の当たりにしました。一日も早くその輪の中にしっかりと加わることができるよう努力致します。
 まだ3日しか経っていませんが、私の感覚では一週間は過ぎたように感じています。そして、いよいよ生徒の前に立つ日が近づいています。教師としての誇りをしっかりと持ち、前向きに、謙虚に、力強く精進致します。

D例 非新卒 男性 他の私立高校での経験あり  タイトルなし
4月1日職員会議13時20分開始予定。「何人の先生方が開始時刻を過ぎて入室して来るだろう」「何分遅れで職員会議は始まるだろう」と考えていました。しかし、誰一人として時間を過ぎてから入室されなかった。会議は時間通りに開始された。その光景を目にして「教師集団に緊張感がある」という印象を持ちました。恥ずかしながら、私はこの当たり前の光景を目にして深く感銘を受けてしまったのです。なぜなら、これまで、生徒のいない所での教師のルーズな面を多々目にしてきて、これで良いのかという葛藤を持っていたからです。
 職員会議及び新任研修にて「生徒生活指導」に関するお話がありました。生徒生活指導徹底のためには、指導する側が何よりもまず自身を律しなければならないというのが持論です。そして、それは教師間の刺激となり、集団内により良い緊張感を生むと考えています。
この信念だけは、何があろうと曲げずに職務を遂行するつもりです。教科・部活動・学級指導は当然のこととして、私は「浪速=生徒生活指導」のために、貢献できればと強く考えております。
 まだまだ未熟者ですが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

2009年4月4日土曜日

4月4日(土)脚組まぬ大統領

・ 3月21日の朝日新聞に目の留まった記事があった。ダマスカスからの特派員メモという囲み記事でタイトルは「足組まぬ大統領」というものである。こういう記事を読んで私は意を強くしたし「自分を省みる機会」を得るのだ。
・ 木立に囲まれたダマスカスの山中にある「シリア大統領の迎賓館」。ここではものものしいボディチェックや荷物検査もないそうだ。大統領との会見に訪れた一行を白い建物の入り口で迎えたのは「バシャール・アサド大統領」自身だったという。中東和平のキーパーソンとみなされている世界の指導者である。
・ 落ち着いた部屋でソファに据わって大統領は1時間あまり質問に答えたとあるが、この間スーツのひざのピーンとした折り目は緩むことはなく、「革靴の底が床から離れることはなかった」という。
・ 中東では「靴の裏を見せるのは相手への侮辱」だという。椅子に据わって足を組むと靴の裏が相手に見えかねない。ブッシュ前米国大統領がバクダッドで記者会見中にイラク人記者に靴を投げられたのは記憶に新しい。
・ 私はこの記事を読んで今更ながら「気をつけなければならない」と反省するのだ。企業出身だから上司や来客に接するときの「身だしなみや礼節」については身についていると思っているが「手抜き」になっていないかと我が身を振り返る。
・ もう随分前になるが管理職朝会で某管理職が応接セットの椅子で脚を組み背中を背もたれに寄せて会議に臨んだので厳しく注意したことがある。要は自分は管理職だ、理事長の側近だと勘違いしてそのような態度になったのだと思う。しかしこれはいわゆる「横柄な態度」である。校長と管理職の間はちょぼちょぼであるが理事長と管理職の間は大きい間隔がある。部下がその組織の最高責任者に臨む時の態度ではない。
・ 2年前着任してすぐ私がしたことは「来客の応接場所の選択」であった。それまで本校には応接場所などなかったので「特別会議室兼応接室」を設定した。進路指導の副部長などはお迎えする大学の先生や予備校などの来客者をお迎えするのにこれほど嬉しかったことないと理事長のした仕事で最も良かったと当時言ったのを今でも思い出している。それまでは職員室の片隅などで応対していたのだろう。
・ とにかく「来客者への応接態度」は極めて重要である。この時の印象で学校のイメージなどが悪い方へ固定されたら大変である。勿論電話応対も然りである。私は事務にもきつくこの点は指導しており今までのところ悪い話は聞かない。
・ 我々は店員の応対の悪いスーパーマーケットやデパートでは買い物などしないであろう。分かりやすく言えば相手に対して「靴の裏を見せるような態度」をとってはならないと言うことである。
・ アポイントを事前にとって来られるお客さまには特に礼を失してはならないと自戒する。アポなしで飛び込んでこられるお方には正直困惑するときもあるが、むげに追い返すようなことは出来ない。たとえ数分でもお会いするようにしている。
・ 私はアポを取って来られたお客様の前で脚など組んでいないか反省しなければならない。PTA会長とか身近な人にも砕けた感じで脚を組んでいないか反省するのだ。相手によって変化をつけることは良くないことである。
・ 教職員について考えてみる。しかしこれは全く問題ないというより本校は「立派」だと私は秘かに自慢している。皆さんTPOを心得てしっかりと対応されている。前からこの文化はどうしてなされたのだろうと思ってきたところだ。
・ 基本的に訓練されており又「センスの良い人」が多いのだと思う。それぞれの個性があり、私は何時も廊下などですれ違うたびに上から下まで瞬時に観察する。この辺はやはりベテラン教員が「落ち着いた服装」というかしっくりとしている。
・ しかし問題は身だしなみだけではなくて「応接態度」である。教員の場合は圧倒的に「保護者」に対してである。これには気を付けなければならない。喋る文言に一言一言気をつけなければならない。相手は「わが子可愛さ」で向かってきており、通常以上に感度が上がっている時に「不用意な一言」が思わぬ結果を招く。当然「塾関係者」にたいしても当然である。
・ 身づくろいを正して「誠意を持って」お話しすることだと思う。靴の裏を見せるようなことになってはならない。もう一つは外部のお方だ。特に教育旅行会社の担当者については「注意、注意」だ。
・ 彼らはほとんどすべての学校を訪問して知っている。「ああ、この学校の先生はこの程度か。レベルが低いな」などと決して彼らは口には出さないが心では「値踏み」をしている。このように思われてはならない。これも「誠意を持って対応」することだ。
・ 人間と言うのは悲しいもので、頭では分かっていてもついつい「不本意な行動をする動物」だと思う。丁度金融サミットがロンドンであり、各国首脳で駆け引きや二国間のトップ会談が連日テレビ報道されているが「超大国アメリカのオバマ大統領」は何時も長い脚を組んで映っている。シリアのアサド大統領とはえらい違いだ。
・ そういえば日本でもお客さんの前で「脚を前に投げ出す」のは「お行儀が悪い」と我々は親から厳しく教えられた。「正座」して足の裏を見えなくするのが最も礼儀正しい姿だと我々日本人も教えられてきたことに気付く。
・ 昨日保健体育科主催で「AED講習会」があったのだが進行役の分掌の部長は何時も校内ではジャージーにジャンパーであるが昨日はジャケットにネクタイで臨んでいた。「立派」であった。普段着では外部の講師に失礼だ。
・ 今朝部屋で会ったので「立派でした」と誉めたら「当たり前」と返されたのである。この教員はこの種のことは完全に身に付けている。概して体育科の先生は心得ていると思う。何故だろう。
・ とにかく人に脚の裏を見せてはならない。もって「自戒の言葉」としよう。今日は土曜日、新入生が登校して「6日の入学式」等の説明会等があったのだが、私は「多聞尚学館」に出かけ、4月12日の「パーティ」の設営で業者さんとの現地打ち合わせであった。とにかく「多聞に行くのが楽しい」。千早赤阪村、本当に良いところだ。事務長補佐も何時も「あそこに住みたい」と言う。

2009年4月3日金曜日

4月3日(金)学校の人事

・ 「橋下人事 部長総入れ替え」とある。4月1日の朝刊朝日である。夕方にはABCテレビなどでも大きく取り上げられていた。対して他紙は概して「当然」というような感じで扱いは無く、朝日だけが5段抜きの記事にしていた。
・ 見出しの書き方も「ひな壇から落とす 実行」「課長級から昇任も」ともある。1日橋下知事は大規模な人事異動を発令した。その中で大きなニュースとなったのが「ひな壇部長」と呼ばれる9つの部長ポストを総入れ替えしたのだ。
・ 新聞には異例の人事とあるが企業社会では当たり前の話で「取締役総退陣」など珍しくもなんともない話だ。「こんな異動は過去にない」「公務員の常識では有り得ない」など歎いているから駄目なんだ。何が公務員の常識だ。大切なことは府民にとってどうかということだ。
・ 知事はテレビのコメントで「後悔しないため」と言っていたが「全く同感だ。」知事の思うような改革をやり遂げるには「思うような人材」を知事の考えで投入したいと考えるのは「自明の理」である。
・ 「府の組織の最終責任は僕が負う。だから自分が納得する権限の行使はさせてもらう」と朝日の記事にはあった。当たり前だと思う。定年60才までの数年残した部長は「あと1年やらしてください」とか「今回の人事は知事に意見した人が左遷させられた」とか「意見をいう古参部長がうっとうしかったのだろう」とかピーチクパーチク言っているが「人事は結果が全て」である。
・ 「公務員の常識から見たら異例」と言われる「飛び級昇任」も知事の考えだし、大体行政のことが全く分かっていない外部の民間人をひな壇部長に据えるなど「知事の思いのまま」だ。それで良い。後になってやっぱり「あの時あの人を変えておけば良かったのになー」と臍を噛んでも仕方がなかろう。
・ 私も常勤講師5ヶ月でこの4月専任教諭に採用し一挙に中学の教務部長にした先生がいる。この先生が廊下を歩いていたら「抜擢先生!」と生徒から声がかかったそうだ。これなど「飛び級昇任」である。
・ 大体「人事権や査定権」のない上司の言うことなど部下が聞くか。余程の人格者か誰もが認める素晴らしい芸を有している人間国宝ならいざ知れず、組織というのは「指揮命令系統」が命である。
・ 誰が何と言おうとも最後は組織のトップの方針が組織の方針になるのは国家レベルでも会社レベルでも行政レベルでも同じことだ。「万機公論にて決すべし」というがそれでも「最後はトップが決める」のだ。
・ 「校長に人事権はあるのか」そこが問題である。答えを言おう。「ない」。あるのは「意見具申権」である。これが現在の一般的な解釈とされていると思う。まず公立学校においてはすべて教育委員会の責任で採用異動昇進人事は行われる。
・ 校長は「教員についてあれこれ言う」ことは出来るが「年度末の3月中旬になって「初めて来年度の人事結果」を紙切れ一枚で知ることになるのだ。「蓋を開けて喜んだり、悲しんだり」が何時もの光景である。
・ 校長が昔あの先生とは一緒の学校で勤務し気心を知っているから「是非本校に呼んでください」「この先生は私の言うことを何でも反対して、やりにくくて仕方がないから他校へ出してください」が校長の意見具申であるが実現の度合いは当然低い。全ての校長が望むから教育委員会は収応がつかなくなるからだ。
・ 教員人事は教育委員会にあるのは分かったが、それでは「校内人事」はどうかと聞かれたら「それも難しい」と考えた方が良い。即ち「校内人事権が校長にある学校とない学校」に分かれているのである。
・ 無い学校はどのようにして人事を決めているかと言うと「教員の投票」で決めるのである。校長はまずその結果を受け入れるしか無く、要は教員が決めたことの「追認」でしかない。ここには橋下流など通用しないのだ。まるで生徒が投票でクラス委員を決めるのと全く同じだ。人気のある教員か組合推薦の教員がなるのである。時にサボりの教員を懲らしめのために選ぶ時もあるという。「無茶苦茶」である。
・ 又教員の賛否で決めた校内人事を校長が「私には別の考えがありますから」と言って覆した話など聞いたことがない。それは教職員全体を敵に回すことになるからである。「教職員の意向を無視されたのだから一切の責任は校長にあります」と教員は突きつける。
・ 校長は校長で「うーん、まッ良いか」「教員がこうして欲しいと言っている」のだから「それで良い」となるのが普通だ。そこには「適材適所、人材育成、人心の一新などの発想」はない。
・ 学校社会には「人事のダイナミックさ」などない。極めて「硬直」している。学校改革に人事を生かしていくなどの発想は基本的にないと私は思っている。それは基本的に「個人の能力と意欲の差」を認めていないからである。「全ての教員が同じ」だと前提しているからである。
・ そして人事権は必ずしも教育委員会だけでなく、教職員組合に大きく影響されてるのが現実だ。だから前にブログでも書いたが「西宮市教組」などは「教頭はすべて組合推薦者から」などのたまげるような本当の話が出てくる。「大分県の教員採用汚職の根源」もそこに原因がある。
・ 学校改革は「校長のリーダーシップから」と幾ら声高に叫んでも校内人事権さえないような校長ではパワーは無い。平成14年市内の公立高校の校長で赴任した私は「校内人事権を校長の手に取り戻すのに相当苦労した」が成し遂げた。しかし大変だった。
・ 私立の本校に着任する前には「校内人事権はどこにあるのか」相当心配したが「基本的に校長が握っており」私はホッと一安心したのを今でも思い出す。もしこれが違っていたらその「戦い」だけで相当エネルギーを消耗していた筈だからである。
・ これはその学校の歴史と文化であり、必ずしも組合の力が強いとかは関係ない話だった。それに大きなパワーは理事長兼務と言うことであり「採用の人事権」「給与の決定権」「評価の査定権」など全ての権限を私が有していることも「学校改革をスピーディに成功させた要因」だと思う。
・ 最近時々聞かれることがある。「もし理事長兼務でなかったらここまで行きましたかね」と言われるので逆に「どう思う?」と聞き返すと「全く結果は同じように成ったでしょうね」と答えてくる。私もそのように思う。単なる「手続きの話し」で理事長校長だと「話が早い」だけのことだろう。
・ とにかく私も橋下知事と同じで「後で後悔しないように」人事は思い切ってやることにしている。サラリーマンも人事が全てで飲み屋のサラリーマンの話の大半は人事の話だ。誰をひな壇部長にするかなどは組織の長たる知事の専権事項だ。衆議院議員の首を切る解散権は総理大臣の専権と同じことではないのか。
・ 本校でも私は「人事権を徹底的に行使」する。今までの「教員のわがまま」は聞かない。30年近く勤務しても分掌や学年の長など経験せず高給を取っている教員が山ほどいる。絶対に一度は経験させて「能力と努力を見る」のだ。それが「処遇に跳ね返っていく」ことになる。当たり前の話である。

2009年4月2日木曜日

4月2日(木)父子家庭と母子家庭

・ 昨日は4月1日、希望に燃えて多くの若者が社会に巣立っていった。本校でも新人を迎えた。「大学の入学式」もあった。新聞では「親の同伴」が目立ったとある。「子離れ出来ない親、親離れ出来ない子どもたち」と言うのは簡単だが、そういう見方だけでは表層過ぎないか。
・ このような光景を見ると本当に戦後生まれの僕には「時代の変わり目」を感じる。さすがに入社式に付いて行った親は居ないみたいだったがその内に出てくるかも知れない。少子化で今や唯一の「団結の単位」は「家庭、家族だけ」なのだろう。
・ 子どもを育て、大学に合格させ「勝ち組の喜び」にデジカメを持って大学の正門で写真を取るお母さんの気持ちが分かるから「優しい子ども」は「恥ずかしいから付いて来なくて良いよ」とは言えないのだ。
・ 本校でも経済情勢から浪速中学卒業の後公立の高校に進学していった生徒もいる。おかげさまで本校は「授業料の滞納者はゼロ」であるが母親一人で頑張っておられる家庭、父親一人で頑張っておられる家庭など様々だ。
・ お父さんだけが働きお母さんはじっと家にいるという形は「日本の原型」であったが、最早そういう時代ではない。お母さんも外で働いているという比率は相当高い。基本的にお母さんは自分の化粧品を購入する目的ではなくて「子どもの教育費」のためだろう。
・ 少し古くなるが3月18日の日経夕刊に「父子家庭も経済的苦境に」「思うように働けない」との見出し記事があった。母子家庭ではない父子家庭である。男手一つで子どもを育てる父子家庭は「育児のため」に転職による収入減や景気の後退で生活に苦しむ家庭が増えているという。
・ しかし問題は「母子家庭」に比べて限定的であり、支援制度を求める動きも起きているらしい。「どうして同じひとり親なのに、こんなに違いがあるの?」と三重県の男性が行政の窓口に経済支援の相談に言ったら「そんなものはない」と一刀両断だったらしい。
・ 05年度調査と言うから些か古いが全国の父子家庭は約92000世帯で00年に比べ約5000世帯増えている。母子家庭が749000世帯だから1/8だ。国の経済支援も母子家庭だったら「児童扶養手当」は年収に応じて月額最大4万円支給されるが父子家庭だと年収に関わらず受けられないという。
・ また無利子や低利子で修学資金などを融資する「母子福祉資金貸付金」なども対象外であるとのこと。厚生労働省は「父子家庭は母子家庭よりも収入が多い」と説明している。
・ 06年度の全国母子世帯等調査によれば父子家庭の平均年収は421万円で母子家庭の213万円の約2倍と記事にはある。ただ300万円未満も37.2%に上っており、「父子家庭で今困っていること」の調査によれば「家計」が40%で2位の「家事」27%を大きく超える。
・ 要はお父さん家庭も家事などが問題ではなくて家計だというのである。非正規として働く「シングルファーザー」も目立つようになっており、父子家庭の生活困窮は進んでいるのである。このような記事は目にして現実を知る。今まで頭の中に「父子家庭問題」などなかっただけにこの記事は新鮮であった。
・ そして翌3月19日の大阪日日だ。「母子家庭、厳しい就労環境」「偏見根強く孤立化も」との記事にあう。こちらの統計は全国母子家庭が123万所帯(2003年)で母子家庭になった時の親の年令は32歳と言う。
・ 32歳なら「働けるでしょう」と言われ、理解が得られないとの不満もあるし、「女性の賃金は男性の約半分程度」とある。加えて「母子家庭は近隣の噂や就職で差別や偏見の被害」を受けていると団体の事務局長は憤っている。この局長自身非婚で出産し、この時の差別苦難で現在戦っているという。
・ 母子家庭の母親の就業率は85%と高いが、非就労者の85%の人も就職したいと思っているが育児や家事で働けないと記事にはある。従って全国的に「生活保護費」が「うなぎ登り」で大変なことになっているのである。
・ 中でも「全国最多の大阪市」で生活保護費が増加の一途を辿っているらしい。2月19日に発表された大阪市の2009年度予算案で生活保護費は前年度比2.7%増の2442億円で市税収入の約4割と言う。「税収の4割が生活保護世帯」に回されているのだ。
・ 平松市長は「制度を根本から見直して貰いたい」と強い口調で言っておられるがどうにもならないだろう。批判の背景には1990年には市内で32000世帯であった生活保護世帯が今や90000世帯を突破するまでに増え、市財政を圧迫しているからだ。
・ 景気後退が明確になった昨年12月には保護申請件数が前年同月の30%増で1707件に達しており増加傾向は更に強まる勢いと言う。市はこのまま受給者が増え続ければ最後のセイフティネットも崩壊と危機感を強めているという。
・ 以上のように書けばもう世の中「貧困だらけ」と言う感じになる。特に大阪府大阪市は日本の中で群を抜いて「生活保護世帯」が多く、「ホームレス数」が断トツに多く「貧困の塊」みたいに感じるが、こう書けば私には少し違和感が残る。
・ 確かに貧困は悲劇であり、日本でも「ワーキングプア」「派遣きり」など大きな社会問題となっているが、作家の曽野綾子さんは「日本で貧困など有り得ない」と言われている。3月11日の日経夕刊記事である。
・ 「世界に目を向け、甘え捨てよ」ともある。曽野さんの貧困の定義は「その日、食べるものがない状態」とされている。日本には世界レベルでいうところの貧困などないときっぱりと書いておられるのだ。
・ コンビニに食品が溢れ生活保護が受けられれば職が見つかれば食べられる。そして次の言葉に私は動かされる。地球上には解決不能な貧困と飢餓を抱えた地域が山とある。それに比べて「日本の貧困は解決可能」である。世界の貧しい人々が受け入れている「現世の理」には学ぶべきものがあると曽野先生は説いておられるのだ。
・ 現世の理(ことわり)とはお金がなければ道路は舗装しなくとも良いではないか。住む家があるなら今新築しなくてもよいではないか。「出来る時に出来るだけ」だという。理想ばかり先にたてかなえられないと不満を募らせる日本人よりはインドやアフリカ、南米など「貧しい人たちの生き方に学ぶべきものがある」といわれる。
・ 一部「上場企業の管理職よりも高い給料が教員の給料」である。父子家庭、母子家庭を見よ。こういう家庭からも「高い授業料」を頂いて本校は生徒を受け入れているのだ。 「私学の教職員の給料は保護者から頂いている」ことを忘れてはならない。様々な保護者、ご家庭から授業料の中から我々は給料を得て生活している。そのお返しは「良い教育」を展開することに尽きる。保護者の期待もそこだ。保護者や府民が教員の給料が高いと憤っているわけではない。
・しかし私は教員の給料はまだまだ高いと思っている。ただ今のところこれ以上削減を求めたりはしない。大手の企業が定期昇給をストップするなど実質的に「賃下げ」している中で私は「21年度の定期昇給を実施」することを決めた。
・ 4月以降、今年も「全員が賃上げ」だ。「公立学校、他の私立学校を横睨みしながらの判断」であり、「良い人材確保のために必要」と思っている。本校の教職員のみ「辛い思い」をさせるわけにはいかないからだ。しかし他の私学さんの中には生徒減という「塗炭の苦しみ」の中で教職員の給料が信じられないくらい削減された話に暇は無い。

2009年4月1日水曜日

4月1日(水)21年度始動

・ 4月1日、「新年度のスタート」である。始動はまず「人事発令」であった。「指導教諭」1名と「3人の専任教諭採用」の人事を発令した。尚新人の指導教諭は主担がH指導教諭とし、副主担に各教科長とした。今回の新採用教諭は社会、社会、理科が専門である。浪速の将来を担うホープであり辞令発令後「心を込めて訓示」を行った。頑張ってくれるだろう。
・ その後3人の昨年4月に専任に採用した3人の教諭に対して「試用期間の終了」を終えて名実ともに本校の正規職員として認める旨の口頭辞令を発令し、「初心を忘れず頑張るよう激励」した。
・ 一人はこの間体調を壊して十分な実力を発揮できなかったが「そんなことは問題ではない。今後が重要」と言い、浪速中学校で新たな自分を発見し実力を発揮するよう激励した。やってくれるだろう。「余り最初から理想を繰り広げるな」、「最初は小さく、小さく」進めるのも一つの知恵だとも諭したのである。

・ 引き続いて9時から「新常勤講師先生の新任研修」が始った。本校は私立だから言ってみれば「入社式」みたいなものである。違うのは大学新卒ばかりではなくてすでに学校勤務経験者もおられ、ここが企業と異なる学校社会独特のものである。
・ それでも18名のうち「大学新卒」が9名もあり、今までとは様相が異なる。夕方のテレビでは大阪府庁や有名企業の入社式とトップの訓示が報道されていた。今年の新人は「エコバッグ型」というらしい。
・ その意味は軽くて小さくたためるが広げれば大きくなり、結構使い勝手が良くて「耐久性もある」のだという。総じて「好印象」を与えているみたいだ。確かに不況時には「良い人材」が確保できるのは統計的に確認されておりバブル時には「バブル社員」とかなんとか酷い言われ様だった。
・ 最初に私のほうからの「挨拶」というか「訓示」である。初めてお顔を拝見する。今回は都合27名の先生が全国から集まって来られた。うち18名の先生に「常勤」をお願いしている。全国と言うのは私の場合、卒業した高校のある場所を言う。大学は基本的に大都市圏であり、故郷を知るに最も分かり易いのが出身高校である。その「高校名を知ることで大体のキャリアが分かる」ものだ。幾ら都会の大学を出ても育った故郷の匂いは消せないものである。
・ 常勤、非常勤合わせて最も多い教科は「国語科」である。次に英語科4名、社会科が4名、理科が4名と続く。数学2名に後は養護、音楽、美術、保健体育で各1名という陣容だ。
・ 選抜に当たった副校長は「自信の出来栄え」と言われる。確かに履歴を見ても錚々たるものがある。しかし「最初のトップの挨拶を上着を脱いで聞いているのも居たからなー」。いさかさ驚いたがまだ、「社会のマナーなど知らないのだろう」。これからだ。
・ 常勤講師18名の先生には「個人パソコンを支給」する。今年は12台を新品購入したので後は今年お辞めになった先生のものをリフレッシュしてお渡しすることになる。情報の教諭に言って生年月日順にお渡しするよう言った。中古のパソコンもメーカーに頼んで一切新品状態に復旧しているので問題はない。
・ このパソコンを実際に使って「校内イントラネット」の説明をT教諭が行う。その後教務マニュアル、事務連絡、生活指導マニュアル、人権教育と集中的に「本校のシステムなり思想」を伝達していく。ここまで配慮している学校はそう多くないと私は踏んでいる。

・ 10時管理職朝会、職員室の「不要物の整理」に教頭が陣頭指揮をふるっているらしい。結構なことである。ただ本校は各教科の準備室が不十分なので先生方の参考資料や書物の置き場が潤沢にあるわけではない。新校舎建設までは不便をおかけすることになる。
・ 「 女生徒更衣室」が手狭でもう一部屋必要と体育科の女性教諭からの強い要望があり、「即座に一部屋提供」することを今朝決定した。旧の進路指導室は今の更衣室の側にあり隣は女子手洗いとなっており格好の場所だ。このように即座の判断が出来るのも図書室を改造して4つの教室を増設したからである。

・ 11時新体制での「拡大校務運営委員会」。拡大とは定例メンバーに広報情報委員会、人権推進委員会、PTA担当の主担が加わる。本日は新年度の初回と言うことで会議後「同じ弁当をつつくキックオフ昼食会」とした。
・ 保健体育部長から4月3日の教職員研修会について実施要領の説明があった。今回は「自動体外除細動器(AED)の使い方講習会」であり、外部から専門の講師の先生をお招きしての勉強会である。
・ 教育講演会が1台寄贈して頂いて合計4台本校にはあり、体育館に1台を置く事にした。1校4台と言うのはまあ十分であろう。将来的には「多聞にも一台」置かねばならないだろうとの提案があった。

・ その後「職員会議」が入る。まず私から新任の先生を教職員に説明し、その後新任の先生は自分の席に着く。本校では職員会議の席が決まっている。好き勝手なところへ据われないのだ。理由は何故だか知らないが昔からだという。恐らく仲の良い者同志や教科単位に集まることを避けたためか。
・ 21年度人員は「校長以下総勢133名」である。内管理職が5名、管理補佐職1名、指導教諭1名、教諭が52名、事務職員が6名、常勤教職員43名、非常勤教職員22名、嘱託教職員3名である。20年度当初人員が125名だったから8名の増である。まさに「大部隊」であると言える。
・ 特に生徒数が増え、多聞尚学館が出来たこともあって事務室勤務の常勤職員を1名補強しないといけないのだが今のところ手配が付いていない。若い世代で会計業務にある程度通じており、とにかく「フットワーク」の良いお方をお迎えしたいものだと思っている。
・ 私から「21年度の経営と校務運営の課題」についてA4版4枚の資料を使い、ある程度時間を貰って「視点を説明」する。これは極めて重要なもので「ベクトル調整」であるし「全員の意思結集」である。その後明日の机異動準備作業となる。

・ 拡大校務運営委員会と職員会議で私が「教職員のビヘイビア」で強調したことは*情報の共有*タイミングとスピーディな処理(初動の重要さ)*生徒の面倒を徹底して見る*教職員一人ひとり、物事の一つ一つが広告塔とした点である。
・ 最近起きた事例を挙げて私は説明した。「具体的な話が最も迫力がある」。事例を包み隠さず、実名入りで起きた事例を研究することが最も効果ある方法である。学校内部は言って見れば「身内」であり、身内の中の話しを隠したりすることは逆に「墓穴を広げる」ことであり決してあってはならないと徹底して話したのである。