2008年8月27日水曜日

8月27日(水)その1:橋下知事と教育委員

・ 久しぶりに「教育問題に関して橋下知事の登場」だ。昨夜のテレビ、そして今朝の新聞各紙が記事にしている。昨日の「知事と教育委員との公開議論」で知事は「強く教育委員を批判」したとある。「公立校への信頼 大阪は全国最低」「教育委員はまったくビジョンがない」。
・ ある新聞は「府教委に不信感あらわ」「認識が間違っている」とまで言いたい放題だったそうだ。声を荒げたというから相当なものだったのだろう。このようにして知事が府教委を批判すれば公立をやめて私学に来てくれる人が増えるかも知れない。又大阪の公立が良くなったら大阪の私学の脅威だから歓迎すべきことかも知れないがね。(冗談)
・ どうも話しが噛み合わなかったと双方が感じていたみたいだが、噛み合う訳がない。議論する相手が間違っており、「教育委員ではなくて教育長以下の教育委員会事務局」と議論しなければならない。
・ 法律の文言は教育委員長率いる教育委員会が「学校を管理する」。殆ど全てを管理していると考えても良いくらいだ。「地方自治法」と「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)」で明確に規定されている。
・ しかし実態は5名くらいの外部の教育委員で府の教育行政に関して適切かつタイムリーな施策が打たれると思ったら大間違いだ。専従の委員ではなくて言ってみれば申し訳ないが「名誉職」みたいなもので実際は「教育長」が取り仕切っているのに早く知事は気づかねばならない。
・ 組織上は教育委員長が上位職で教育長は下位なのだが、「部下の教育長が上司の教育委員長を探す」のであって、これは全くおかしな話であり、教育長が決めて、即ち事務局が案を作り、それに「お墨付き」を与えるのが教育委員会の仕事と言っても過言ではない。
・ 大阪府においても教員委員は例えば俳優の三林京子さんとかシンクロの井原さんとか「耳目を引く人」に委嘱したり、東京都では将棋連盟会長の会長とか場当たり的で本当の意味で「教育に深い造詣と見識」を有している人を当て嵌めているとは考えられない。要は見た目「色々と狭い自分の経験や思いつきで言ってくれる人」が居れば良くて「核心に触れる」ようなことを言う人は敬遠する。
・ 教育委員長は大体大阪府の場合、大学の名誉教授をもってくるのが相場で現在もそうだ。「骨のある財界人」を当て嵌めたりすると「事務局はやりにくくなって」結局再任はしない。要は事務局を代表する「教育長のやりたいような人事」をする組織で、そのような組織に橋下知事は文句は言っても仕方がなかろう。
・ 今回が3回目の教育委員との懇談会だったが何回やってもダメである。情報はなく、現場も知らない5名程度の外部の教育委員が大阪府小中高の教育行政全般でリードする機能というより「教育委員会事務局の監査機能」に特化したほうが実は上がる。
・ 府教委の前教育長の私学関係者との高級料亭接待事件があったがこの時は「教育長を処分」するので「存在感」を示した。又大体月度一回開かれる教員委員会では「問題教師の処分」を正式決定することが教育委員会の仕事だ。
・ 一方「教育長は知事が任命し、府議会の同意」を得て承認されるもので「独立した行政委員会」で「他が余り関与できない仕組み」である。言えるのは府議会のみである。外部が「あれこれ教育長には言えない独立した強大な権限」を有しているのである。
・ 従って教育行政の全ては「教育長と事務局が握り」、教員委員は「お飾り」と言っても良いと思う。橋下知事が言わねばならないのは事務局に対して「もっともっと新しい企画を上げて委員のご意見を聞こうとしないのか」「君らは教育委員に情報を上げていないではないか」「君らは謙虚に意見を聞こうとしているのか」と事務局を責めなければならない。
・ 一方教育委員に対しては「事務局の働きに関してどうですか」と監査機能を要求するのだ。現在大阪府の教育行政の監査機能はどうなっているのかが問題である。「全国学力調査が最低」だったことを5名の教育委員に言い寄っても解決にはならない。「公立学校の改革とは教育委員会の改革」のことである。
・ ここで橋下知事の人間像が明確になってくる。「習熟度別授業とか土曜日の講習とか何故知事の私だけが発信するのですか」「大阪の教育を良くするための具体論を出してください」ととにかく「具体論と実践論が先に来る」。こういうところはまったく私と似通っている。
・ それに勘が良い。頭が良いのだ。今彼の頭の中には「教育委員会の作り直し」があるのだろう。しかしこれは「国との対決」である。知事のやり方は一つの部局で「声を荒げて」批判し、「改革を宣言」する手法だ。そして落ちつくところに持って行くのだ。伊丹空港は廃止だと叫んだ構図とよく似ている。
・ ここまでは良いが勝負はこれからでこれから先が本当に大変なのである。それは文部科学省が予算も配分も握っており、結局は教育問題の根本解決には「国と地方の権限の調整」となってくる。「土曜日に教員が講習しようにも支払うお金は何処にもない」のだ。全ての財布を国に握られているからである。
・ 教育委員会事務局に外部の人間を入れなければならない。居ても居なくても良いような教育委員に外部の人間を入れることよりも事務局内部に外部、それも民間の人間を入れなければならない。民間人校長などでお茶を濁してはならないのだ。
・ 身内だけで固め教育委員会事務局は完全に硬直化している。まず「行政系」と「指導系」の両派に別れているが、これはもはや完全に「勝負あり」で、数の少ない行政系の完勝となった。それは金と事務局人事を握っているからである。
・ 負けた「指導系」即ち教員系は行政系の言われるままにやるだけで残った権限は「現場の人事権」即ち指導系の教員採用、教頭校長の昇進などの権限だけである。大分県の採用汚職はこういう背景で起こった当然の事件でたまたま表に出たが全国大なり小なりあっておかしくない事件であると私は断言する。
・ 教育系のトップは教育長にはなれない。それは教師出身の狭いキャリアでは資質に問題があると認識されたからである。あんたは頑張ったから教育監(大阪府の呼称)審議監(大分県)とナンバー2の職位を与えられ、くすぐられて2年くらいで定年退職の上がりのポストだ。No2といっても教育長の顔色ばかり伺う腰巾着が現れてもおかしくはない。大阪府もそのようなのがいた。どうしようもない教育監であった。
・ 要は教育委員会と言っても実態は「事務局の改革」、それも結局は「教育長」に人材を得ないと行政の改革は出来ない。こういう巣窟に辿りつかないと橋下知事の言う「大阪の教育を変える」と幾ら叫んでしまってもそれは掛け声だけに終わる。別途記すがこの教育行政に同和行政がからんでいるだけに話しは複雑なのである。