2009年3月7日土曜日

3月7日(土)その2:「報連相」第2弾

1. 2007年10月12日のブログの再掲をする。テーマは「ほうれん草:報・連・相」である。
「再掲」 報・連・相ということ
・ 「報連相」という言葉は「報告・連絡・相談」を略した言い方で今や組織人としてこの言葉を知らない人はいないと思う。もはや「常識」の言葉と言って良い。これを欠くと組織は円滑に動いていかない。ところが「学校文化」においてはこの常識が少し希薄であると言われており、私もそのように感じている。
・ 要は「コミニュケーションの問題」なのである。「生徒生活指導部でかくかくしかじか決めましたので宜しく、担当分野を見知っておいて下さいというのが連絡」「出張に行ってきました。見聞したことはかくかくしかじかですというのが報告」「困ったことが起きました。どうしましょうが相談」、この3つをかき分けて動くのが賢いやり方である。「組織で生きて行くうえでの知恵」といっても良い。
この夏の事例
・ この夏ある教員が「大学が行う研修会に出席したい」と管理職からまた聞き、嬉しくて職務免除で研修費を全額法人持ちで許可した。
・ 教員は有給休暇で行っても良いということだったが、話を聞いてそういうわけにも行かず、「評価できうる話」として前向きに対応したのである。ところがこの教員、2学期は始まっても「報告がない」のだ。思い余って副校長に質す。
・ せっかく安くはない受講料を出してもらったのだ。「こうでした」くらいの報告があってよい。府立の教員の研修は「事前承認願い(相談)」「研修計画(報告)」「研修実績(報告)」と3段階にわたって文書報告が厳しい。その教員を呼び、質すと時間がかかるが言っている意味は分かるのだ。典型的な例である。
電子メールの活用と懸念
  ・ 10月からは誰もが簡単に必要な人に電子メールで情報を送れる。これで体制が整った。上手く活用していって欲しいと思う。ところがだ。良いこともあれば悪い面もある。人間の悲しさであるが、「便利だ」「簡単だ」「コピーしなくて済む」等と言って今度はメール配信ばかりで済ませる「無精者」が得てして出てくるのが人間の常だ。人間って弱いものだね。
・ 「フェイス to フェイス」の「報連相」が必要な場面があるのは当然で、その判断は「個人の感性の問題」である。電子メールにおける理事長・校長メッセージは「公式なメッセージ」であり、「校長の職務命令」の機能を有していると理解しておかねばならない。電子メールの内容も当然「職務命令」の性格を有する。業務報告、相談、連絡は「唯我独尊」を戒めるためのツールと心得、やはり人間集団の組織の一人として「顔を見ながら議論する、報告する大切さ」はIT化時代になっても不変である。
・ ただ今度からは「私は聞いていない」とか「知らなかった」とかは言えなくなる。だって全員に必要な情報は同時に送っているのだから。それは「見ていない人の責任」とうことになろう。その人が恥をかくだけだ。
・ 「職員会議の質的変換」も私の狙いにはある。旧態依然とした職員会議の内容は校内イントラネットで間違いなく変わっていく。職員会議に上程する議題などは変わるはずだ。だって皆もはや「知っている事実」であり、殊更同じことを繰り返す必要はない。
・ ツールとしてネットを使い、人間として「顔を見ながら話」をする、このコンビネーションが重要だ。今後以下のような場面がないようししなければならない。「えー、あれはちゃんとメールで報告してましたよ。」というやつだ。しかしあるだろうな。

2.そして丁度1年半経ってどうなったか?
 ・ 「大分改善はされた」。これは事実である。しかしまだ抜けている面がある。と言うより「そういう人がいる」と言った方が良いかもしれない。「結局は人による」のだ。勿論、各分野に管理職がいるから、その管理職を飛びぬけて直接直訴まがいの理事長校長報告は「上手いやり方」とは言えない。
・ 従って形はまず管理職に報告後私のところに来るか、一緒に来るかであろう。それを判断すれば良い。いずれにしても私は直接教員の顔を見ながら話しをお聞きしたいのだ。それは「生の声」を聞くことで「容易に本質に迫れるような気がする」からだ。
・ 「ハハーン、この先生はこのような考え方の先生だったのだ」「なるほど、それは気が付かなかった」等々「私にとっても大変勉強」になるのである。少なくとも分掌の部長はそのように心がけて欲しいと思う。
・ 本校における報連相の優秀者(順位ではない)管理職は除く
生指部長(管理職兼務)、教務部長、進路指導部長、理数科長、保健体育部長、神道科主任教諭、入試広報副室長、広報情報委員長、広報情報T教諭、事務長補佐、3学年主任、Ⅱ類長、体育科教科長(金剛山と陸上競技大会の件があったから)前中学教務部長、中学生指担当生指副部長、英語科科長、1学年主任 以上17名
 ・ 私はいつ誰が部屋に来たかすべて手帳につけているから間違いない。ただ以上のメンバーも仕方なく「答申」のために来るのも含まれているから少しづつ中身は異なる。確かに業務上校長の最終判断を得ない業務の多い、生指部長や教務部長が多いのは当然である。
・ 私の日常は校務運営委員会のメンバーによる定例会議以外には以上の17名くらいの人間としたあまり突っ込んだ話しをしていないのが分かる。全体で100人規模の教員数だから「これが多いのか、少ないのか」良く判断できない。
・ 例えば今日は新しいコース長とそれとは別に理数科長、Ⅱ類長、英語科長の3名が相談というか説得というか部屋に来てくれた。極めて「タイミングの良い議論」が出来た。今日の2グループの教諭からの説明で「来年度以降の本校の指針」について「腹が固まった。」私の考えが整理され「覚悟が決まった」ということである。「こういう先生方からの話は大歓迎」だし、第一前向きな提案というか現状分析と方向への示唆だ。今日来てくれた先生方、有難う。良い週末が迎えられる。
3. 21年度はどうする?
 ・ とにかく私と教職員の距離を更に縮めるために私も努力しなければならない。21年度は薄かった「担任の先生から直接お話を聞く機会」を多く持ちたいと思う。

3月7日(土)その1:ビジネスランチ

・ アメリカのオバマ大統領誕生で外国の首脳として先月「ホワイトハウス一番乗り」を果たした麻生首相、政府自民党をはじめメディア、政治評論家の感触は「米国の日本重視の表れ」と誇らしげであったのは遂この前だ。
・ 麻生総理など顔が紅潮してホワイトハウスで大統領を並んで椅子に座っていたときのテレビ映像など「ゴチゴチ」で、「英語を使おう、英語を使おう」としていたが、ある米国の雑誌などは「米国政府関係者側はミスターアソウは何を言っているのか分からなかった」と正直に書いているらしい。
・ ただ間違いなく総理が着ている洋服だけはオバマ大統領に負けてはいなかった。「高級品」である。それにしても総理の「あのコートと白っぽいマフラー」はどうにかならないか。私はあれを着ておられるシーンを見るたびに「シカゴマフィアのスタイル」を連想するのだ。まあそんなことはどうでも良いが。気障過ぎる。
・ さてホワイトハウス入りした「2番目の外国首脳」であるがイギリスのブラウン首相だ。ブラウン首相と麻生首相とで対応に差があるのか、誰でも気になるところであるが、結果が出た。
・ 「ブラウン首相は昼食を招待」され、共にしながら約1時間会談し、そのまま記者団を招き入れて更に20分間事実上の「記者会見」を行ったと今朝の読売が報じている。また翌日には史上5番目という米国議会での演説の機会も与えられた。
・ 麻生総理は遠く十数時間もかけて太平洋を飛んでいったのに「食事は与えられず、記者会見もなかった。」時間は1時間20分だったから偶然か意図的か知らないが同じだった。
・ さあ、これで日本は厚遇されたのかどうか、判断は分かれるところだ。確かに一番にホワイトハウスに招き入れられるとうのは名誉だろう。しかし遠来の客に「飯も食わさないで帰す」ことが果たしてどうかということだ。
・ アメリカで暮らしたことのない人には感覚的にはピンと来ないだろうが、米国人にとって「ランチ」というのは極めて重要なアイテムで「ビジネスランチ」という言葉もある。米国では「昼飯を共にする」というのは「より具体的な話、より親しい仲間」という証明で「同じものを食べながら話す」のがスタイルである。
・ 「ゴックン」で財務大臣を辞めた中川さんではないが「昼食時に軽く一杯」は普通のことであり、アメリカのビジネスマンは「ドライマティーニ、ツイスト、オンザロック」を取るのが「カッコよい」スタイルとされている。ツイストというのは小さなレモンの切れ端がついており、これをひねってレモン汁を入れるからそのように表現されている。
・ 日本は夕食に呼ばれたりすると「最高のもてなし」とするが、それは世界共通で「晩餐会」と言う言葉はそのためにある。しかしそれらは「元首クラス」と恋人同士くらいで、一般人は「大体は昼食」が多い。
・ 日本でも「お昼時」と言う言葉があるくらい、人様の家を訪問して長引き、昼食時になったら「お昼でも」と言って「昼食を出すのが昔からの日本文化」だ。だから逆に「昼時分には訪問を遠慮」するのが日本文化でもある。
・ 大体お昼は「軽く、あるもので済ませる」と言う言葉も通常語となっているが、そこへ少し「改まったお昼」が出ると人間は嬉しいものだ。ほっとして話も弾む筈。とにかく昼飯を私はビジネスの道具として利用とは言わないが大切にしているのだ。それに昼食は夜に比べて「安く済む」。
・ 私はこの「昼食スタイルが好き」でお客さんとか外部のお方とは極力、夜の飯は一緒にしないよういしている。夜は内輪の教職員とだけに限っている。変な誤解を招かないためと大体教職員はお昼に時間が取れないからだ。
・ 前の学校で初めて4月最初の校務運営委員会のメンバーを囲んで「キックオフの昼食会」を実施したことがある。その時は皆一様に驚き、「これは何だ。なんか魂胆があるのか」と言う顔つきであった。実際「これくらいの昼食で買収されませんからね」と言った教員もいたのを思い出す。どうしようもない。
・ 教員が学校で「校長主催の昼食会」があるなど今まではなかったからびっくりしたものらしいが、本校でも私は実施している。それは「同じ弁当」でもつつきながら「頑張っていこうね」という私のささやかな気持ちなのだ。
・ 本校のお客様にはお昼時分になったら「昼食をおもてなし」することをきつく事務には言っている。しょっちゅう出入りする制服屋さんとか写真館などはお客様ではない。千早赤阪村の区長さんとか生徒がお世話になっている大学の先生とかだ。
・ 大体お弁当には「幕の内」か「うな重」が多い。勿論申し訳ないがお相手によって「クラス」が少しだけ異なる。これは当たり前だと思っているのだ。若い予備校の先生と老練の大学の先生とではいささか異なるようにしている。
・ お相手する当方もお相手によってご相伴するメンバーを替えている。私は極力出ないようにしている。相手が緊張してはいけないからだ。大体管理職が当たってくれているが大学法人の幹部となると、そうも行かず、私がご相伴に預かるというわけだ。
勿論、昼食はお出しするがお相手は不要でご来客だけで食事をしていただくこともある。
・ とにかく昼食が大切である。「多聞尚学館の学習合宿での昼食」がどのようなものになるのか今気にしている。朝,昼、晩と「お惣菜」を外部の弁当会社から宅配して貰うのだが「果たしてどのようなもの」になるのか。
・ 頭をコキ使う生徒は恐らくお腹が空くと思うし、「脳に栄養」を与えないと頭の中に何にも残らないのと違うか。進路指導部長にお試しで作ってもらい「試食せよ」と今朝指示したところだ。
・ そしたら理事長職務代理からお電話があった。昨夜のブログで多聞での値段の安い使い捨て箸のことを書いたが「危険」と言われる。あれは中国産で薬品で消毒していて「リスク」があるとのアドバイスだ。早速事務長補佐とチェックしてみたら、確かに「薬品の臭い」がした。失敗した。

2009年3月6日金曜日

3月6日(金)門真市立第3中学校長と8人の教諭処分

・ 2月21日のブログで私は西宮教組の活動について言及した。そのブログの末尾に2月7日付けの大阪日日新聞の記事について論評を加えている。その記事とは大阪府守口市の現役教師が「国旗国歌の現状報告」で「国旗掲揚強制反対集会」を開いたとの内容であった。
・ この反対集会を中心で実施したのは、2008年3月、門真市立第三中学校の卒業式で生徒がたった一人しか国家斉唱をしなかった学校で勤務し、反対闘争を繰り広げて、度重なる府教委の「呼び出しに応じない」川口精吾という教諭を新聞は実名入りで報道されていた。実名は初めてのケースである。
・ そして昨日の産経新聞にはその後の展開が詳細記事にされている。「校長と教諭8人が処分」と大きな見出しである。「門真第3中の不起立」の見出しもある。学校名を見出しに使って異例の5段の詳細記事である。ただ「生徒への指導は確認できず」とも書いている。
・ しかしおかしいではないか。卒業生160人の中で159人が国歌斉唱時に「起立」しなかったことが生徒の自主的行動というのは無理がある。何らかの「教諭の指導」があったと見るのが自然ではないか。
・ 調査した市教委の聞き取り事情聴取に対して「担任と副担任の8人の教諭」は「自分は起立しないからと生徒には伝えた」が強要はしていないと主張しているそうな。「ふざけた話」だ。それが間違った指導だ。まだ子どもだ。「先生が立たないなら僕も私も立たない」となるだろう。
・ 処分内容は校長と50歳代の男性教諭が「文書訓告」、20歳代から50歳までの男女7名を「口頭厳重注意」処分としている。この文書訓告の教諭は市教委の呼び出しに応じなかったことも処分対象に含められて一段重い「文書訓告」となったと記事にはある。この人は恐らく前述の川口と言う教諭だろう。卑怯な男だ。呼び出しに応じず、「強制反対集会」を主催するなどして、処分前に「正当化」を図ったのだろうが。
・ 校長は「教員に対する指導不徹底とほぼ全員の卒業生が着席のままと言う異常な事態を招いた管理責任」を問われたものだが、「処分が軽すぎる」。卒業式当日、来賓や保護者の目の前で自分が執行する卒業式をこのような形で「蹂躙」された校長は自らも責任を取らねばならない。
・ 大体、こういう事態は想定されていたのではないか。私はそのように思う。これらの教員は確信犯的所業ではあるが、「思い込んでいる純真さ」みたいなものはまだ残している。「校長先生、式次第から国歌斉唱は外してください。私たちは起立しません」などの申し出は事前に校長にあった筈だ。そうでなければおかしい。
・ もしそうであれば、まだ「事前の調整」は出来た筈だ。問題が明るみに出たのは「保護者の不快感」からの通報であり、第一に門真第3中学の在校生や卒業生、近隣の住民など多くの関係者にどのような影響を与えるものなのかをこの学校の校長と8名の教諭は考えねばならない。
・ もしかしたら校長も反対だったのかも知れない。それは十分にありえる話である。それは校長になる前には先頭にたって「国旗国歌反対と叫んでいた校長は結構多い」のである。校長と教員が結果的にぐるになってこのような事態を招いたとすればこれは由々しき問題である。「意識的不作為校長」となる。真実は分からない。
・ 市教委の聞き取りに「起立斉唱が方針ということは知っていたが、自分の内心に従って着席した」と話していると言う。だが待てよと言いたい。「内心の自由」を持ち出すなら外見は方針通りに行い、それこそ「内心で国旗掲揚反対、国歌斉唱反対」とつぶやいておれば良いのだ。「159人もの生徒を道連れ」にしてはいけない。
・ 自国の国旗に対して先生から偏った考えを伝えられ、「言われるがままに行動させられて」担任や副担任が処分され大きな新聞報道がなされたことを目にした卒業生や在校生はどのように思いを心に刻んだのであろうか。私はそこを心配しているのだ。
・ 処分権限は府教委にあり、「生徒に対する不起立指導は確認できなかったものの、学校現場に与えた影響は大きい」と今回の処分となった。それは生徒への聞き取りなど出来ないからだ。証拠が取れないからというのではなくて今回は「大目に見た」ということだろう。
・ 処分は「大阪府では初めてのこと」である。「東京都はすぐ処分する」のであるが大阪は今まで長い間、処分は避けてきた。あくまで「校長の指導でよろしく」と言ってきたのだが今回の処分は「1歩踏み込んだ」ということで私は評価している。
・ 今後の展開を想像すると処分された8人の教諭が「次にどう出るか」であるが、根性があれば「訴訟」に発展する。東京都は訴訟合戦で「上級審」までまだ争っている。そして「来年の卒業式がどうなるか」であろう。ここまでやったのだから来年も同じような行動をとるかどうかは分からない。だから「根性があれば」と書いている。
・ 早速5日当日の産経夕刊に続報が出ている。見出しは「処分受けても不起立貫く」とある。この教諭は「君が代強制の先には国のため命を投げ出す子どもを育てるという目的がある。」「日本人は他の民族よりも優秀と教え込むことにつながる」「ずっと卒業式では不起立をしてきた。今後も貫こうと思う」と宣言したらしい。
・ 「無茶苦茶な論理展開」で「今後とも不起立を貫く」そうだ。上記の発言を見ると良い。「すべて自分のことだけ」で周辺のことなど何も考えていない。「こういうのは先生ではない」。将来ある子どもたちと接触させるべきではない。
・ 恐らくこの確信犯8名は「4月教員人事」で一定のルールの中で「バラバラに異動」させられるのではないか。私はそのように思う。北の果てから南の果てまで淡々と「通常のローテーション」として異動されるかも知れない。
・ 過日広島で行われた「日教組の教研大会はバリケードに囲まれて」無事に終わったが、相変わらず「国旗国歌反対、子どもを戦場に送るな」のお題目であるが、このような先生が「普通の先生」と言えるか。明らかに「イデオロギー偏重であり、政治闘争」そのものではないか。
・ そういった教員団体への参加率が少なくなったとは言え、まだ「28%台の組織率」になっているということに私は戦慄を覚える。数値は小さくとも彼らの活動の影響は「日和見主義的教員」へ大きく被さっている。門真第3中学で担任副担任8名の教諭が打ちそろって「殉教者的」に行動したと思えば「恐ろしい」ことだ。
・ 日教組の副委員長はあるところで「日教組って、非合法組織ではないのですか」と真顔で聞かれたというが、しかし聞いた人は素晴らしい。一部には間違いなく非合法組織であると言われたら反論できないのではないか。
・ 「学習指導要領という法律」に定められた卒業式の国旗掲揚国歌の斉唱を無視し、まだ判断もできないような生徒を道連れにしてこのような行動を起こす公立中学校がこの大阪の中心部の学校にあるという現実を府民市民は知らねばならない。反対でも良いから生徒を道連れにするな。
・ このように学校にはまだ「社会の常識が通らない陰の部分が色濃く残っている」ということである。学校を正常化しなければならない。加えて言いたいのは国旗国歌問題だけに反対するのではなくて、このような勢力の教員は大体「何でも反対」で「仕事もしない教員」が多いというのが私の観察結果である。
・ 私は右翼でもなければ国粋主義者でもない。「思想信条は自由」だ。国旗国歌反対でも良い。ただ学校の現場で、生徒の目の前で「一般的な社会常識から逸脱」したことだけはやらないでくれと言っているだけである。子どもは勉強して大人になったら自分の頭で判断する。教師としてやるべきことを優先して欲しいと言うだけなのである。
・ 「本校ではこのような教員はいない」。内心では色々あるのだろうが内心に留めてくれているところは高く評価している。若し卒業式でこのようなことをすれば私は許さない。体を張って阻止し会場の外へ引きずり出し、「解雇」する。恐らく訴訟合戦になるだろうが受けて立ち「一歩も引かない覚悟」は出来ている。

2009年3月5日木曜日

3月5日(木)金剛山登山生徒アンケート

・ 「学年末考査中」である。生徒は頑張って向かってくれている。「試験準備でしっかりと学力が付く」。これは間違いない。「真剣さ」が違うからだ。だから「高校における定期的な考査は極めて重要」である。40点以下は「赤点」となり、これも生徒には学習への大きなエネルギーと成る。生徒は「落第(原級留置)」を極端に恐れているからだ。
・ 試験が終わったら昔は「試験休み」と言うものがあったが、もうそのような学校は公立でもなかろう。特に私学では有り得ないと考えた方が良い。勿論生徒は休みたいだろうがそうだからと言って教員がその気になってはならない。
・ 自宅で学習時間をしっかりと確保している生徒はごく一部と考えた方が良い。やはり学校が「強制力を持って追い込む」ことが重要だ。「力を付ける」ということはそういうことでなされる。「ゆっくりとした本人のペースで」というのは「嘘」か、ごくごく少ない「元々基礎学力の出来て居る生徒」での話だ。
・ 教務部が試験後の「特別授業」について「新しい試み」を実験的にやってくれることになっている。これは素晴らしい。英国数で選択性にして50分授業、50分の解説と「100分授業の一回完結タイプの特別授業」だ。これには期待しているところが多い。そして終了式前には外部模擬試験のスタディレポートと模擬本番が待っている。
・ 中学生には「全国学力調査に向けての特別授業」とした。「同様な問題を解かせそれの解説」をじっくりとすることが大切である。色々と考えはあろうが「実践」が重要だ。とにかく中学の教員は「底力」を示さなければならない。「授業の嫌いな教員が中学に多い」などと言われてはならない。「授業、授業、授業だ」。
・ 大体「子どもに負担だとか」「子どもが疲れている」とか色々言うが疲れているのは教員で負担を感じているのは教員の方ではないか。子どもは元気だし強い。生徒のせいにして教員が「楽をしよう」としているとは言わないが、「教職員が協議」をして物事を決めようとすると、ついついそのように後退する結論になるのは何ゆえか。そこが分からない。

・ 中学生を対象にして行った2月19日の「金剛山登山のアンケート結果」がまとまった。報告によると中々良い反応であったことが分かる。「嬉しい」限りだ。
・ 質問は大きく三つに分けQ1は耐寒金剛山登山で印象に残ったことを三つ以上書いてください、Q2は炊き出しについて感想と要望を書いてください、Q3は改良点があればそれはどのような点ですかとしている。
・ 膨大な結果なので全てはかけないが多かったものが、景色が良かった、皆と協力して登ることが出来た、豚汁がおいしかった、達成感が何とも言えず良かった、雪が降っていてきれいだった、足が痛かった、帰りが辛かった、である。
・ その他校長先生からストラップを貰って嬉しかった、バスが面白かった、多聞尚学館が魅力、知らない先生が沢山いた、頂上のお弁当が何時もより美味しかったなどがある。知らない先生が多いと言うのは高校3年生の先生をガードとして参加したからである。
・ 炊き出しについてはとても美味しかった、野菜が美味しかった、身体が温まって良かったなどが代表的である。中にはごぼうが大きかった、ジュースもつけて欲しい、うどんもつけて欲しい、PTAの人たちが優しかった、白いご飯も欲しい、などがあった。
・ 改良点では、このままで結構です、逆ルートにした方が良い、昼食の外で食べるにはしんどかった、班に分けて上った方が良い、カレーが食べたい、ストラップの紐を長くして欲しい、などもあった。
・ とにかく第一回目の「耐寒行事金剛山登山」は教職員の知恵と工夫で「見事に成功」したと言える。中でも「PTA奉仕の豚汁のサービス」が大きな効果を上げているのが分かる。準備段階で色々と意見の相違もあったに聞いているが「終わり良ければ全て良し」だ。PTA参加者に感謝申し上げたい。
・ 明日は中学生全員が「社会見学会」で北の「天満天神繁昌亭」での落語だ。早い時間での「貸切」で昼食は「名誉理事長の大阪天満宮」の会館を借用と言う。このようにして中学生には外部との触れ合いが重要であると考えているから積極的に中学生を応援してやりたい。

・ ベースキャンプ地として生徒も「多聞が良かった、体育館が良かった」等の感想を寄せている。あれくらいの大きさだと暖房装置を入れれば十分暖かくなるのも分かった。「真冬でも十分使える。」当たり前だ。ついこの前までは小学生が使っていたのだからね。
・ 「多聞尚学館の改装」が山場を迎えている。生徒が「学習合宿」した時の風呂掃除とご飯を炊いてくれる人の募集をかけた。「おかず」は仕出し屋から取るが主食のご飯は温かい方が良いと思うのでその面倒をみていただけるお方だ。
・ 便利なもので「千早赤阪村シルバー人材センター」は仕事によって1時間800円から1000円まで単価が決まっており、後は一日単位で単価も定められている。面白いのはみかんの産地だからみかん取り1時間1000円と言うのもあった。用紙には「高校生用のご飯炊き」と言うのはなかった。交渉しなければならない。
・ 茶碗は落としても割れない、見た目もきれいなものを「道具屋筋」で汁椀セットで150人分発注した。箸は安い使い捨てだ。とにかく衛生面を考え、又人手が要らないように考えて手配している。
・ 「 炊飯器が5升炊き2個、3升炊き3個、湯沸しポット5リッター入り5個」あればお米とお湯は可能だ。元PTA会長の計算では高校生一人一食1合として4日分を格納する「おひつ」を今手配してくれているらしい。
・ 3段ベッドのマットは購入するが「敷き布団、掛け布団はセットでレンタル」だ。このほうが清潔である。初日と二日目以降で一日単価が違うがそんなに高いものではない。4泊5日で650円くらいである。一旦布団やさんが持ち帰り「殺菌などして整備」されるから気持ちが良い。便利な世の中になったもので、すべて布団屋さんがやってくれる。
・ 栄えある第一回目の進路指導部主催の「春季セミナー」の生徒説明に入ったみたいだ。ある生徒は「最終日はバーベキューパーティを」と言ったらしいが困ったものだ。「地獄の勉強特訓だと言っておけ」と私はその先生に言った。
・ 進路の部長と副部長が「お試し宿泊」をしてくれるといっていた。「心意気が立派」である。出張扱いとしなければならない。今この2人が「突進力」を持って頑張ってくれている。「高く評価」致したい。

2009年3月4日水曜日

3月4日(水)橋下流

・ 昨夜は「喪に服する」ことがあってブログのアップはしませんでした。

・ 「橋下知事の手法」がほぼ「見える」ようになって来ている。府民でも大分多くの方が分かってきたのではないか。多くの人々とお話しする機会が多いのだが大体、府行政の「ウォッチャー」や橋下改革の影響を受けている人たちはほぼ間違いなく「橋下流」を看破してきている。
・ 知事のやり方は「まず、ドカーンと花火を打ち上げ」、周辺や府民の受け止めやマスコミの論調を見ながら「落としどころ」を探りながら「着地点を探る」と言うことである。
・ 私はこの手法を批判しているのではない。これは明らかに「為政者」が普通に取る手法の一つで政界でも良くある方法である。「観測気球をぶち上げる」という言葉もある。これは「トップの手法」で役人などが持ち出す方法ではない。
・ 一般的に行政の役人は「完全に固まった案」しか「表ざた」にしない。それは「言いだしっぺの責任」を問われることへの警戒感もあるのだが、彼らは手法としては「稟議方式の積み上げ手法」である。
・ ちなみに役人は「パブリックコメント」なる手法で幅広く府民の意見を求めるがこれは実態としては「ちゃんと、府民の声も拾いましたよ」というポーズに過ぎない。又良く「審議会に答申を願う」というがこれなども「格好」だけですでに結論は出ているのを「お墨付き」を貰うだけでしかないと思っていたら良い。審議会で事務局原案がひっくり返ったなど余り聞かない。
・ 知事は違う。「自分の思ったことをバーンと」打ち上げて「反応を伺う」スタイルだ。どちらかと言うと「民間流」というか「政治手法」に近い。この方法は極めて「効率が良い」からだ。それは「問題提起」が一瞬にして成されるからである。
・ 「大衆迎合的手法」とまでは言わないが「知事が吼えた」瞬間に、その問題は大きな府の問題と化けるのだ。そして反対意見でも言おうものなら「抵抗勢力だ。知事は可哀想」となり、一夜にして「世論」が形成されることもある。
・ 典型的なものは府庁のベイエリアWTCへの移転に現れている。「関西州だ。城を移す。これで意識が変わる」と打上げ、極めて短時間でこの「府庁移転問題を行政テーマ」にした。まあ「見事」である。この問題は意見の積み上げなどで出てくる話ではないからだ。私でもそうするだろう。
・ こういう打ち上げに対する一般的反応は「びっくり仰天」「聞いていなかった」「何でや」「議会無視」とかであるがそこには論理的なものは何もなく、ただこのような大きな「問題の形成段階に参画」していなかったことからくる「遺憾、悔しさ、やるせなさ、せつなさ、やっかみ」などでしかない。
・ 抵抗勢力がこういう場合に使う言葉は「拙速」と言うのだがそれに対して知事は「タイミング、タイミング」とシャーシャーとしている。この時点で勝負はすでに知事の勝ちで「拙速というのは反論の構成には成り立たない代物」である。逆に遅れたことでの「恥をさらしている」だけの話しではないか。
・ 私も辟易したものだった。学校改革の過程で「何でそんなに急ぐのですか」「もっとゆっくりじっくりと」と言う意見が少数の声だったがあったことは事実だ。そういうことを言う人間に共通しているのはまず「勉強していない」「問題意識がない」「既得権益への我執が強い」等々の性癖のある人で「大きく、将来を見据える」ことの苦手な人が多かったように思える。
・ 特に私の場合は「書きに書いて」紙にまとめ、「喋りに喋って」説明したから「説明責任」は十分成している。ここはポイントでこの点がなかったら「みーちゃん、はーちゃんのファン」でもいない限り多数の理解と賛成は難しいだろう。
・ 知事はあと少しここの部分を補強しなければならないと思う。もっとも府議会の議論なども表と裏があり、府議会議員も本音と建前があるから見た目で判断することは気をつけなければならない。選挙区の府民向けということもある。
・ 早速知事は「新たな花火」を昨日打ち上げた。今朝の産経一社であるが「公私教育を一元管理」「知事が府教委再編構想」との見出しだ。これなど典型的な花火だがこれは「天空で開かない花火」に終わるだろう。
・ 「大阪の教育力の充実には公立だけでなく、私立が大切な役割を担っている」「公私教育をトータルでコントロールしていくことを考えたい」と述べる一方、「現行制度上では困難な面があり、今後の検討課題と考えている。どうしても教育委員会の独立性ということで引っ掛かってしまう」と述べたらしい。一応分かっているのだ。
・ しかしこれは間違っている。こういうところが知事の弱点だ。これは府庁移転の話とは違う。「根源的な話」で一地方の行政場所を大阪城の真ん前に持ってくるか大阪湾の前にもってくるかと言うような「小さな」話とは違う。
・ 公立学校と私立学校を混ぜて「一元コントロール(知事の使った言葉)」するなどは今の法体系とその趣旨から完全に逸脱した「暴言であり、世迷言」である。コントロールするとは何事か!
・ 知事は法律家であるにも関わらず教育法令に疎い。まず知事は「教育基本法、学校教育法、私立学校法、地方公務員法、教育公務員特例法、地方教育行政法の六つ」くらいは早急に読まねばならない。私でも読んでいるのだ。
・ 確かに「業務委任」と言う方法はあるがそれはスポーツとか社会教育とか限られた範囲であり、早速文部科学省は「初等中等教育に関する委任は法の趣旨から脱却している」との見解を示している。
・ その昔橋下知事は「教育委員会に命令する」と言って「教育委員会の独立性」を侵害するものだといって大きく批判された。「クソ教育委員会」と言うのはまだ許されるが教育委員会の独立を侵すような考えは許されない。
・ まして「私学をコントロール」されては堪らない。私学は土地から校舎、採用している教職員、その給料など一切単独で私立学校法で定める「学校法人が寄附行為に拠って経営」しており知事部局や教育委員会とは独立しているものだ。助成金を出しているから「口を出す」というのは間違っている。公立私立の切磋琢磨が重要だ。
・ まして私学には「建学の精神」という公立学校にない「背骨」があり、公立学校と一緒の桶に入れられてこん棒でかき混ぜられるのは「とんでもない話である」。絶対に許されない話である。「冗談じゃない」と言ったところだ。
・ 私学助成を削減し、公私比率の見直しを言い、超エリート校を作ると言い、塾の先生を教室に入れ、徹底的に私学をいたぶり、今度は「拡大教育員会の傘下に入れ」では「小さな親切、大きなお世話」と言いたい。知事の応援団ゆえに苦言を呈したいのだ。

2009年3月2日月曜日

3月2日(月)卒業アルバムの電子化

・ 「卒業式」と言えば「卒業アルバム」である。あの「分厚いハードカバーの本」である。これについて私は前から「新提案」をしてきた。しかし「既存の流通体系を破壊」することにつながることにもなり、又他のやるべき仕事を優先してきたから「後回し」になっただけのことである。
・ 即ち卒業アルバム改革の「トリガーに指」はかかったままであったのである。「機会を伺っていた」ともいえる。前の学校でも仕掛けたが結局「単価の改定」と言う不本意な決着で終わった。
・ 直近では多聞尚学館の買収時の村長との共同記者会見や地元説明会の写真は写真屋さんに頼んで「CD」とDVD」にしてもらった。そのお陰でこれらは極めて評判が良く活用頻度が高い。来客があるときはまず他の学校紹介DVDとともにそれを御覧頂くようにしているのだ。
・ 「アルバム写真の静止画」よりは「音声の入った動画」のほうが良いに決まっている。今回の卒業アルバムは少し手違いがあってまだ生徒には手渡していない。3月中旬に生徒に宅配する手順になっている。これが「契機となって私は決断」した。
・ 新1年生から一部ビデオで追い「3年間の静止画と動画を編集してDVD-R化」するのだ。要は「電子アルバム」である。今朝、一番に新一年生の学年主任に内定している先生を呼んで通達した。この先生、顔を紅潮して「それは良い。面白いですね。」と大賛成だ。
・ 法人朝会でも事務長補佐に指示した。DVDに切り替えるのでその方向にて「支援する」ように言った。出入りの写真館にはすでに28日の土曜日の卒業式が終わった段階で方針を伝えている。これは現在の体制の一新にもなるので「出来るかどうか」検討して欲しいとお願いしたのだ。
・ やるとなれば編集のための高機能のパソコンやソフトが要るだろうし、DVD原版を何百枚も焼くための設備も必要かも知れない。しかし街にはこのような会社はごまんとあり、全く問題はない。むしろ映画「おくりびと」ではないが「映像や編集のセンス」ではないか。
・ 大体このような重たいアルバムを卒業式当日に配布するセンスもおかしいと私は言っている。卒業式当日、この日は友達同士街に出て「打上げ」もあるだろうし、第一持ち運びには「重た過ぎる」。
・ それにこのアルバム写真集は大きさが特殊で普通の本棚などには納まらない。だから私の部屋でも棚に「べた置き」となる。正直言って一度見れば普通は見る機会もない。棚に置きっぱなしという運命である。
・ 加えて今やほとんどすべての生徒が「カメラつき携帯電話」を保持しており、暇さえあれば仲良しグループで写真をパチリパチリとって携帯電話の「マイクロメモリーに何百枚も好きな写真を内蔵」させており、あのようなアルバムの写真を見る機会はないと生徒は私の問いに答えていた。
・ 昔のアルバムは生徒の住所などが入っていたがこれも「個人情報保護」でただ氏名と何も言わない写真だけの羅列だ。生徒も、何十年後にこれを見てこの学校で「何を学んだか」などはその人だけの心の奥底だけだ。
・ 「 校歌も詞だけで曲はないから忘れてしまう」だろう。DVDなら本校の校歌が入っており一斉参拝の時の雅学部の演奏も将来耳にすることも出来るだろう。浪速祭で盛り上がった生徒の歓声も入っておればそれだけ懐かしく「臨場感」がある筈だ。伊勢修養学舎の「禊の舟歌」なども一生の懐かしい思い出になる筈だ。
・ アルバムの製作は3年間の長丁場となる。契約した写真館がまず入学式から始まって伊勢修養学舎、修学旅行、浪速祭などの学校行事を追いかけていくのだ。そして外注して製本になる。
・ 写真館のプロの技師が3年間追いかけた写真だからそれは「見事な写真」であるが、それらを編集して写真アルバムの形で保存するのはもう時代の限界と私は思う。少なくとも本校ではそのようにしたい。
・ 今や世の中には「カメラつき携帯電話、小型のデジタルカメラ、高機能の一眼レフデジタルカメラ、デジタルビデオ映像機」が合理的な値段で入手可能な時代となった。全ての人が「カメラマン」になれる時代である。
・ 入学式で校長の式辞のさわりの部分や担任の先生のホームルームの声などが入っていても良いではないか。生徒の打つ拍手が入っている一斉参拝や正門前を走ってくる生徒の群像写真などがあったほうが写実的だしリアルである。
・ それを2時間程度のDVD-Rにして「豪華なケース」に入れてそれを「電子卒業アルバム」として渡してやるのだ。新刊の映画DVDでも4000円前後で入手可能である。今、卒業アルバムかかっている経費は高いか安いかと見るのは難しいが私はDVD化はコスト増なくして可能と考えている。
・ 学校というのはひとたび新しいことをするにしても成果は3年後となる。後2年間、あのような分厚いアルバムを見なければならないと思ったら「ウーン」と思う。出来れば今の1年生2年生のものも「CD-Rで良いからデジタル編集」にして欲しいくらいだ。
・ フォーメイションはどうなるのか。「新しい映像ソフト会社」を使ってやったほうが手っ取り早いが長年にわたって「貢献してくれた写真館」のこともある。出来れば今の会社をヘッドにその下にプロの映像編集会社を付けたらどうか。必要ないかもしれないし。
・ しかし「動画の撮影」はそれなりの機材とノウハウが必要なのかも知れない。静かに座って証明やフラッシュを照らして撮る静止画と動き回る動画を追いかけるのでは大いに違ってくるのかも知れない。早急に体制を整備して新一年生から「静止画と動画のミックスしたDVD-R」で卒業アルバムをまとめる方針に変わりはない。
・ そういうわけで広報情報委員長のO先生に電話して学年主任、事務長補佐、写真館を支援するよう頼んだのである。「もうそういう時代ですね」と彼は言っていた。私は言ったのだ。「もう遅いくらいだ」と。
・ そうこうしていたら広報情報委員会のT先生が入って来て「実は私、電子アルバムの研究していまして・・・」と言う。渡されたCDを観てみたがハワイ旅行のアルバムなのだが一人ひとりの顔が大きく、又個人、団体、関係する文書、カレンダーなどが整理されてアップされており「見易いこと、この上なし」だ。「CD-R一枚に物凄い量の写真と文書が保存」されている。まさに「電子アルバム」である。デジタル時代の産物だ。

2009年3月1日日曜日

3月1日(日)ゆったりとした日曜日

・ 「 3月」である。寒さも和らぎ、爽やかな心地良い朔日で、又今日は日曜日である。昨日「高校卒業式」が無事に終わったのでホッとした格別な感じの「ゆったりとした日曜日」となった。3月14日に中学の卒業式があるがまた良い雰囲気の式にしてやりたいと思う。私は昨夜のブログの最後に以下のように書いた。
・ “ちょっと前までは「学校は行事消化型社会」と批判めいて表現したがこの世界に転出して7年が終わり8年目になるとこの行事消化が幾分「快感」になってきている。多くの人は言ってはくれないが私も「学校の人間」に成ったのだろうか。そしてそれは決して「悪いくはないな」と思うようになってきている自分に気付く。
民間企業の企業戦士から今学校に転じて8年、色々なことがあったが、成長していく生徒を毎日見ることの出来る「幸せをしみじみ」と感じているのだ。何時も「卒業式」になるとこのように感じる。それくらい卒業式は「感動」する“
・ 大学の1年後輩にあたる大手企業の役員で大阪支社長にある人と、しばらく前に食事を共にする機会があったのだが、その人が私に以下のように言った。「最初にお会いしたときに、木村さんの顔は教育者の顔だと感じました。住金から府立の校長、そして今私立の校長、すべてなるべくしてなっているのですよ。“定め”ですよ。」と何か予言者みたいに言われたことが忘れられない。少し「嬉しく」感じたからだろうか。
・ 政治経済議論が続き、その人は、「日夜ひしひしと厳しくなっていく社会」を感じると言う。まさに生き残りをかけて戦っている企業の専務取締役が言うだけに迫力がある。特に「橋下改革を大いに批判」していたのも面白い。
・ 同じ世代であるだけに今の「社会の有り様」に「憤慨し、最後の責任感」を示しながら頑張っているのだ。ただこの世代の特徴として私が今身を置いている「教育界への尊厳と期待」だけは失っていないことが言葉の節々に表れる。
・ 「大転換」「大変換」どちらでも良いが、二人は今の時代に「現役世代」で働いていることに対してお互い「気の高ぶり」を感じているのだ。今の「歴史の転換期」に生きていることに「些かの興奮」を感じるのもそういうこの世代の性格なのかもしれない。
・ 私は転身して教育界で校長の職位に、彼はそのまま企業社会で専務取締役の職位にあるが、根は同根の感じであるが、彼から「先生」などと言われると「くすぐったい気」はまだ強い。照れるのだ。
・ しかしお互いが望むらくは後20年若く、40歳台であったら「もっと別のやり方」もあったと話したが同時に「もう十分だ」という気の方も大きい。それくらい「団塊の世代(前後1年を含めて)」は人生60年実に「様々な局面を体験」してきたのである。
・ もっと若ければ「上手く出来た」と思うのだが、若いときには「見えないものも」あって、人間と言うのは上手く出来ていると思う。年を取って少しでも世の中が見えてくるときには現役の年月はもう残り少ない。
・ 「 高度経済成長の時代」に大学を卒業し、企業に就職した。工学部であったから、当時の若者がそうであったように「製造業への就職」を迷うことなく選択し、「エンジニア(技術者)」としての誇りを胸に頑張った。
・ 昭和48年の第一次オイルショック、昭和51年の第二次オイルショックも「働き盛り」として乗り切り、「役職」も「給与」も全く不満なく充実した順風満帆の若き時代であった。残業時間がどうだとか、有給取得がどうだとか考えたこともない。皆そうだった。皆よく働いた。
・ 35歳で海外勤務の機会も与えられニューヨークに移り住んだ。アメリカが元気を失っていた時代で、「技術協力支援」で全米の鉄鋼業を飛行機で飛び回った。「疲れ」など感じる暇さえなかった。この時の経験がその後の私の人生に大きな影響を与えた。
・ 帰国後、「管理職」になって勤務先や業務そのものが変わってくると微妙に「風向きの違い」なども感じるようにはなって行ったが、それでも「サラリーマン人生を謳歌」し、当時の出張で新幹線でグリーン車に乗れ、飛行機出張ではビジネスクラスに席を与えられた時には言いようもない「喜びと矜持みたいな」ものを感じたものだった。
・ 企業であるから景気の起伏はあるものでサインカーブみたいに「良いときもあれば悪い時もある」と思っていたが、時代は歴史の転換点、行き着くところの「バブル経済の時代」に突入することになる。ベテラン管理職で部長職が目の前に時であった。
・ 「バブル経済」時代の企業人は本当に「わが世の春」を謳歌し私自身も「このような時代が永遠に続くような錯覚」に陥っていた。「向かうところ敵なし」という元禄花見踊り以上の「浮いた時代」に生き,給料はうなぎのぼりで私の賞与を見た国家公務員の父が「あきれて嘆息」したのを今でも覚えている。
・ そしてバブルは崩壊し、時代は頂点から長い長い下り阪に移る。「バブル経済の崩壊」である。しかし「本当に長いトンネル」であった。鉄鋼業も「厳しい冬の時代」を経験する。「本当に地獄のような辛い時代」であった。
・ 役職が「部長」となっていた。「経営責任」があるだけに今までとは違った組織人としての苦しみの時代を経験することとなる。製鉄所人員合理化策を責任者として策定した。「大リストラ策」である。
・ 私の企業人生で良かった時代は一般の管理職までで部長職を6年ほど務めたが特に後半は「厳しい思い出」しかなかったような気がする。そして私は人事部の推薦で企業人生から「会社の人事異動(自分はそのように思っている)」で「大阪府初の民間人校長としてきれいさっぱりサラーリーマンの足を洗い変身」することになった。
・ あれから8年経過した。企業の実態はどうか?見た目健康体に戻った感じはしていたがそれが今回の金融危機で又もや「脆弱さ」を露呈した。結局のところ今回の問題は間違いなく世界は「またまた緩やかなバブル」に「酔っていたのではないか」と思っている。
・ 日本は先のバブルであれほど痛い目にあいながら、とどのつまり政治も経済も「体質改善・構造改革」はなされていなかったのだ。「錯角」の中に生きていたといえる。結局のところ、社会構造は第二次世界大戦後、全く変わっていなかったのだ。市場経済、消費経済、金融緩和、規制緩和など「行き着くところ」まで来たと言うことか。
・ 世界が大きな「転換点」にあることだけは間違いない。そしてこの仕組みの大転換が「日本の教育界にどのような影響」を与えてくるのか、そこが大きな問題である。「旧基準の教育スタンダードの変革」がそのようなものになるのか我々に突きつけられた課題は大きいし重たい。是非とも「この先を見てみたい」と念願しているがそれまで時間があるかどうかだ。