・ 「 3月」である。寒さも和らぎ、爽やかな心地良い朔日で、又今日は日曜日である。昨日「高校卒業式」が無事に終わったのでホッとした格別な感じの「ゆったりとした日曜日」となった。3月14日に中学の卒業式があるがまた良い雰囲気の式にしてやりたいと思う。私は昨夜のブログの最後に以下のように書いた。
・ “ちょっと前までは「学校は行事消化型社会」と批判めいて表現したがこの世界に転出して7年が終わり8年目になるとこの行事消化が幾分「快感」になってきている。多くの人は言ってはくれないが私も「学校の人間」に成ったのだろうか。そしてそれは決して「悪いくはないな」と思うようになってきている自分に気付く。
民間企業の企業戦士から今学校に転じて8年、色々なことがあったが、成長していく生徒を毎日見ることの出来る「幸せをしみじみ」と感じているのだ。何時も「卒業式」になるとこのように感じる。それくらい卒業式は「感動」する“
・ 大学の1年後輩にあたる大手企業の役員で大阪支社長にある人と、しばらく前に食事を共にする機会があったのだが、その人が私に以下のように言った。「最初にお会いしたときに、木村さんの顔は教育者の顔だと感じました。住金から府立の校長、そして今私立の校長、すべてなるべくしてなっているのですよ。“定め”ですよ。」と何か予言者みたいに言われたことが忘れられない。少し「嬉しく」感じたからだろうか。
・ 政治経済議論が続き、その人は、「日夜ひしひしと厳しくなっていく社会」を感じると言う。まさに生き残りをかけて戦っている企業の専務取締役が言うだけに迫力がある。特に「橋下改革を大いに批判」していたのも面白い。
・ 同じ世代であるだけに今の「社会の有り様」に「憤慨し、最後の責任感」を示しながら頑張っているのだ。ただこの世代の特徴として私が今身を置いている「教育界への尊厳と期待」だけは失っていないことが言葉の節々に表れる。
・ 「大転換」「大変換」どちらでも良いが、二人は今の時代に「現役世代」で働いていることに対してお互い「気の高ぶり」を感じているのだ。今の「歴史の転換期」に生きていることに「些かの興奮」を感じるのもそういうこの世代の性格なのかもしれない。
・ 私は転身して教育界で校長の職位に、彼はそのまま企業社会で専務取締役の職位にあるが、根は同根の感じであるが、彼から「先生」などと言われると「くすぐったい気」はまだ強い。照れるのだ。
・ しかしお互いが望むらくは後20年若く、40歳台であったら「もっと別のやり方」もあったと話したが同時に「もう十分だ」という気の方も大きい。それくらい「団塊の世代(前後1年を含めて)」は人生60年実に「様々な局面を体験」してきたのである。
・ もっと若ければ「上手く出来た」と思うのだが、若いときには「見えないものも」あって、人間と言うのは上手く出来ていると思う。年を取って少しでも世の中が見えてくるときには現役の年月はもう残り少ない。
・ 「 高度経済成長の時代」に大学を卒業し、企業に就職した。工学部であったから、当時の若者がそうであったように「製造業への就職」を迷うことなく選択し、「エンジニア(技術者)」としての誇りを胸に頑張った。
・ 昭和48年の第一次オイルショック、昭和51年の第二次オイルショックも「働き盛り」として乗り切り、「役職」も「給与」も全く不満なく充実した順風満帆の若き時代であった。残業時間がどうだとか、有給取得がどうだとか考えたこともない。皆そうだった。皆よく働いた。
・ 35歳で海外勤務の機会も与えられニューヨークに移り住んだ。アメリカが元気を失っていた時代で、「技術協力支援」で全米の鉄鋼業を飛行機で飛び回った。「疲れ」など感じる暇さえなかった。この時の経験がその後の私の人生に大きな影響を与えた。
・ 帰国後、「管理職」になって勤務先や業務そのものが変わってくると微妙に「風向きの違い」なども感じるようにはなって行ったが、それでも「サラリーマン人生を謳歌」し、当時の出張で新幹線でグリーン車に乗れ、飛行機出張ではビジネスクラスに席を与えられた時には言いようもない「喜びと矜持みたいな」ものを感じたものだった。
・ 企業であるから景気の起伏はあるものでサインカーブみたいに「良いときもあれば悪い時もある」と思っていたが、時代は歴史の転換点、行き着くところの「バブル経済の時代」に突入することになる。ベテラン管理職で部長職が目の前に時であった。
・ 「バブル経済」時代の企業人は本当に「わが世の春」を謳歌し私自身も「このような時代が永遠に続くような錯覚」に陥っていた。「向かうところ敵なし」という元禄花見踊り以上の「浮いた時代」に生き,給料はうなぎのぼりで私の賞与を見た国家公務員の父が「あきれて嘆息」したのを今でも覚えている。
・ そしてバブルは崩壊し、時代は頂点から長い長い下り阪に移る。「バブル経済の崩壊」である。しかし「本当に長いトンネル」であった。鉄鋼業も「厳しい冬の時代」を経験する。「本当に地獄のような辛い時代」であった。
・ 役職が「部長」となっていた。「経営責任」があるだけに今までとは違った組織人としての苦しみの時代を経験することとなる。製鉄所人員合理化策を責任者として策定した。「大リストラ策」である。
・ 私の企業人生で良かった時代は一般の管理職までで部長職を6年ほど務めたが特に後半は「厳しい思い出」しかなかったような気がする。そして私は人事部の推薦で企業人生から「会社の人事異動(自分はそのように思っている)」で「大阪府初の民間人校長としてきれいさっぱりサラーリーマンの足を洗い変身」することになった。
・ あれから8年経過した。企業の実態はどうか?見た目健康体に戻った感じはしていたがそれが今回の金融危機で又もや「脆弱さ」を露呈した。結局のところ今回の問題は間違いなく世界は「またまた緩やかなバブル」に「酔っていたのではないか」と思っている。
・ 日本は先のバブルであれほど痛い目にあいながら、とどのつまり政治も経済も「体質改善・構造改革」はなされていなかったのだ。「錯角」の中に生きていたといえる。結局のところ、社会構造は第二次世界大戦後、全く変わっていなかったのだ。市場経済、消費経済、金融緩和、規制緩和など「行き着くところ」まで来たと言うことか。
・ 世界が大きな「転換点」にあることだけは間違いない。そしてこの仕組みの大転換が「日本の教育界にどのような影響」を与えてくるのか、そこが大きな問題である。「旧基準の教育スタンダードの変革」がそのようなものになるのか我々に突きつけられた課題は大きいし重たい。是非とも「この先を見てみたい」と念願しているがそれまで時間があるかどうかだ。