・ 2月21日のブログで私は西宮教組の活動について言及した。そのブログの末尾に2月7日付けの大阪日日新聞の記事について論評を加えている。その記事とは大阪府守口市の現役教師が「国旗国歌の現状報告」で「国旗掲揚強制反対集会」を開いたとの内容であった。
・ この反対集会を中心で実施したのは、2008年3月、門真市立第三中学校の卒業式で生徒がたった一人しか国家斉唱をしなかった学校で勤務し、反対闘争を繰り広げて、度重なる府教委の「呼び出しに応じない」川口精吾という教諭を新聞は実名入りで報道されていた。実名は初めてのケースである。
・ そして昨日の産経新聞にはその後の展開が詳細記事にされている。「校長と教諭8人が処分」と大きな見出しである。「門真第3中の不起立」の見出しもある。学校名を見出しに使って異例の5段の詳細記事である。ただ「生徒への指導は確認できず」とも書いている。
・ しかしおかしいではないか。卒業生160人の中で159人が国歌斉唱時に「起立」しなかったことが生徒の自主的行動というのは無理がある。何らかの「教諭の指導」があったと見るのが自然ではないか。
・ 調査した市教委の聞き取り事情聴取に対して「担任と副担任の8人の教諭」は「自分は起立しないからと生徒には伝えた」が強要はしていないと主張しているそうな。「ふざけた話」だ。それが間違った指導だ。まだ子どもだ。「先生が立たないなら僕も私も立たない」となるだろう。
・ 処分内容は校長と50歳代の男性教諭が「文書訓告」、20歳代から50歳までの男女7名を「口頭厳重注意」処分としている。この文書訓告の教諭は市教委の呼び出しに応じなかったことも処分対象に含められて一段重い「文書訓告」となったと記事にはある。この人は恐らく前述の川口と言う教諭だろう。卑怯な男だ。呼び出しに応じず、「強制反対集会」を主催するなどして、処分前に「正当化」を図ったのだろうが。
・ 校長は「教員に対する指導不徹底とほぼ全員の卒業生が着席のままと言う異常な事態を招いた管理責任」を問われたものだが、「処分が軽すぎる」。卒業式当日、来賓や保護者の目の前で自分が執行する卒業式をこのような形で「蹂躙」された校長は自らも責任を取らねばならない。
・ 大体、こういう事態は想定されていたのではないか。私はそのように思う。これらの教員は確信犯的所業ではあるが、「思い込んでいる純真さ」みたいなものはまだ残している。「校長先生、式次第から国歌斉唱は外してください。私たちは起立しません」などの申し出は事前に校長にあった筈だ。そうでなければおかしい。
・ もしそうであれば、まだ「事前の調整」は出来た筈だ。問題が明るみに出たのは「保護者の不快感」からの通報であり、第一に門真第3中学の在校生や卒業生、近隣の住民など多くの関係者にどのような影響を与えるものなのかをこの学校の校長と8名の教諭は考えねばならない。
・ もしかしたら校長も反対だったのかも知れない。それは十分にありえる話である。それは校長になる前には先頭にたって「国旗国歌反対と叫んでいた校長は結構多い」のである。校長と教員が結果的にぐるになってこのような事態を招いたとすればこれは由々しき問題である。「意識的不作為校長」となる。真実は分からない。
・ 市教委の聞き取りに「起立斉唱が方針ということは知っていたが、自分の内心に従って着席した」と話していると言う。だが待てよと言いたい。「内心の自由」を持ち出すなら外見は方針通りに行い、それこそ「内心で国旗掲揚反対、国歌斉唱反対」とつぶやいておれば良いのだ。「159人もの生徒を道連れ」にしてはいけない。
・ 自国の国旗に対して先生から偏った考えを伝えられ、「言われるがままに行動させられて」担任や副担任が処分され大きな新聞報道がなされたことを目にした卒業生や在校生はどのように思いを心に刻んだのであろうか。私はそこを心配しているのだ。
・ 処分権限は府教委にあり、「生徒に対する不起立指導は確認できなかったものの、学校現場に与えた影響は大きい」と今回の処分となった。それは生徒への聞き取りなど出来ないからだ。証拠が取れないからというのではなくて今回は「大目に見た」ということだろう。
・ 処分は「大阪府では初めてのこと」である。「東京都はすぐ処分する」のであるが大阪は今まで長い間、処分は避けてきた。あくまで「校長の指導でよろしく」と言ってきたのだが今回の処分は「1歩踏み込んだ」ということで私は評価している。
・ 今後の展開を想像すると処分された8人の教諭が「次にどう出るか」であるが、根性があれば「訴訟」に発展する。東京都は訴訟合戦で「上級審」までまだ争っている。そして「来年の卒業式がどうなるか」であろう。ここまでやったのだから来年も同じような行動をとるかどうかは分からない。だから「根性があれば」と書いている。
・ 早速5日当日の産経夕刊に続報が出ている。見出しは「処分受けても不起立貫く」とある。この教諭は「君が代強制の先には国のため命を投げ出す子どもを育てるという目的がある。」「日本人は他の民族よりも優秀と教え込むことにつながる」「ずっと卒業式では不起立をしてきた。今後も貫こうと思う」と宣言したらしい。
・ 「無茶苦茶な論理展開」で「今後とも不起立を貫く」そうだ。上記の発言を見ると良い。「すべて自分のことだけ」で周辺のことなど何も考えていない。「こういうのは先生ではない」。将来ある子どもたちと接触させるべきではない。
・ 恐らくこの確信犯8名は「4月教員人事」で一定のルールの中で「バラバラに異動」させられるのではないか。私はそのように思う。北の果てから南の果てまで淡々と「通常のローテーション」として異動されるかも知れない。
・ 過日広島で行われた「日教組の教研大会はバリケードに囲まれて」無事に終わったが、相変わらず「国旗国歌反対、子どもを戦場に送るな」のお題目であるが、このような先生が「普通の先生」と言えるか。明らかに「イデオロギー偏重であり、政治闘争」そのものではないか。
・ そういった教員団体への参加率が少なくなったとは言え、まだ「28%台の組織率」になっているということに私は戦慄を覚える。数値は小さくとも彼らの活動の影響は「日和見主義的教員」へ大きく被さっている。門真第3中学で担任副担任8名の教諭が打ちそろって「殉教者的」に行動したと思えば「恐ろしい」ことだ。
・ 日教組の副委員長はあるところで「日教組って、非合法組織ではないのですか」と真顔で聞かれたというが、しかし聞いた人は素晴らしい。一部には間違いなく非合法組織であると言われたら反論できないのではないか。
・ 「学習指導要領という法律」に定められた卒業式の国旗掲揚国歌の斉唱を無視し、まだ判断もできないような生徒を道連れにしてこのような行動を起こす公立中学校がこの大阪の中心部の学校にあるという現実を府民市民は知らねばならない。反対でも良いから生徒を道連れにするな。
・ このように学校にはまだ「社会の常識が通らない陰の部分が色濃く残っている」ということである。学校を正常化しなければならない。加えて言いたいのは国旗国歌問題だけに反対するのではなくて、このような勢力の教員は大体「何でも反対」で「仕事もしない教員」が多いというのが私の観察結果である。
・ 私は右翼でもなければ国粋主義者でもない。「思想信条は自由」だ。国旗国歌反対でも良い。ただ学校の現場で、生徒の目の前で「一般的な社会常識から逸脱」したことだけはやらないでくれと言っているだけである。子どもは勉強して大人になったら自分の頭で判断する。教師としてやるべきことを優先して欲しいと言うだけなのである。
・ 「本校ではこのような教員はいない」。内心では色々あるのだろうが内心に留めてくれているところは高く評価している。若し卒業式でこのようなことをすれば私は許さない。体を張って阻止し会場の外へ引きずり出し、「解雇」する。恐らく訴訟合戦になるだろうが受けて立ち「一歩も引かない覚悟」は出来ている。