2008年1月13日日曜日
1月13日(日)映画「椿三十郎」
1.午前中資料つくり
・ 癖でどうしても早く目が覚める。もっとも夜が早いから、どうしてもそうなるのであるが、5時30分には起きている。日曜の朝は散歩がてら、「四天王寺の庚申さんの骨董市」を覗く。その後8時を廻れば阿倍野筋の喫茶店でモーニングと新聞数紙に目を通す。
・ その後は昼まで、部屋にて資料作りだ。せかされてやっているのではなくて「何もやることがないからただやっているだけ」のことです。学校ホームページの公式メッセージ、「論考:学校改革」を頭から打っていく。次々と文章が出てくる。しかし11時30分にはもう飽きが来て身支度をして家を出る。外へ出るのが結局好きです。
2.映画「椿三十郎」
・ アポロビルの地下で「軽い」昼食と言いたいところだが、僕の場合、人に言わせれば、それほど軽くもないらしい。今日は中程度か。メインは「かつ丼」を食しました。旨かったです。
・ 12時30分始まりのアポロシネマスクリーン8「椿三十郎」を観る。「良かった。」「お勧めです。」超娯楽大作時代劇といったところです。東宝角川映画ですからセットなどにもお金をかけています。誰に勧めているかって?一人いらっしゃるのです。僕のブログを読んで興味を持ち、観てくれる人が、一人おられるのです。「眉山」もそうだったし、最近では「象の背中」でした。従ってブログに映画のことを書くときは余程慎重にしなければなりません。裏切ることになりますから。「Oさん」と仮にしておきましょう。
・ Oさん、実はこの映画「リメイク作品」です。貴方が生まれる前の1962年、昭和37年ですね。あの有名な黒澤明監督の名作中の名作です。当時の私は高校2年生、今でも覚えていますよ。勿論細部は忘れていますが「最後の三船敏郎と仲代達也の決闘シーン」は映画史に残る名場面と言われています。高校生の僕だけではなくて当時の日本人にこの映画は強烈な印象を与えたと思います。
・ 昨年末に封切られ、まだ上映中ですが、余りにも前作が良かったので「行く気にもなれず・・・。」と思っていましたが、批評も悪くなく、なにより監督があの「森田芳光」さんで、この人の作品ならと言う気持ちと、前述した「余裕の気持ち」が意を決しさせたのですね。とにかく映画は監督です。
・ 期待に見事に応えてくれた「椿三十郎」でした。主演は「織田裕二」、副は「豊川悦司」他主演クラスが脇を固めています。藤田まこと、中村玉緒に劇中「三悪人に風間杜夫、西岡徳馬、小林稔司」、特にこの3人の悪党ぶりも見所です。
・ 少し心配した織田裕二ですが「頑張っていました。」です。監督がブログに書いていますね。「今の俳優でこれをやれるのは、彼しかいなかった」と。今回は劇場で見ている人からも大きな笑いがたびたび出るくらいコメディタッチな味もあり、そのキャラにはあの明るさを持つ織田裕二だったんですね。私なら豊川悦司が三船敏郎に近いような気がしたのですが、映画を観て監督の意図が良く分かりました。
・ しかしやはり「映画は筋、脚本」なのでしょうか。今見ても面白い。黒澤映画と全く同じ脚本で寸分も変えなかったと監督は書いていますから、それほど素晴らしいシナリオだったのでしょう。映像も綺麗でこの監督のカメラワークが素晴らしい。映画冒頭のシーンから映像と構成に魅入られます。黒澤物は100分弱で、これは120分を超えるものですが、決して長く感じられない。しかし不思議ですね、Oさん、脚本は同じで上映時間は長いのですから。結局、「間」とか1シーンの永撮りなのでしょうね。
・ 筋は書けません。しかし十分現代に通じます。悪が実は善で、善が実は悪だったり、組織に縛られない自由な人間は何時の世にも居て、又逆に組織にしか生きられず、組織に縛りついて生きているもの、自己保身にきゅうきゅうとして潔くない人間、人間の潔さの大切さ、「人間の持つべき大切なもの」を今でもこの映画は伝えてくれます。食品偽装のトップや高級料亭の経営者、某私学の理事長など潔くない態度に社会は厳しい。「潔さは人間の品格」だと思いますよ。
・ 勧善懲悪ものですが、せりふが短くて分かり易い。大切なことです。学校でもだらだらしゃべって何を言っているのか、言いたいのか分からない人が時々いますが、しゃべる言葉は短い方が良い。これは私の反省点です。「9人の若侍」、腕もなければ、知恵もない。未熟でどうしようもありませんが、若者だけが持つ「理想と行動力」を黒澤監督は賞賛しているのですね。黒澤椿三十郎は結局若者を温かく応援します。
・ 最後の決闘シーンはOさんの為に何も書きません。それは「観てのお楽しみ」、素晴らしい。完全に森田監督は黒澤映画を意識していますね。Oさん、早く行った方が良いですよ。こういう映画はDVDではいけません。最もOさんのご家庭に100インチくらいの液晶か大きなプラズマテレビがあれば別ですけど。
3.「母べえ」予告編
・今年の年賀状を見たとき、思わず「吉永小百合さんから年賀状が来た」のかと最初は目を疑いましたが、何のことはない、JPの宣伝でした。山田洋次監督、吉永小百合主演の話題の映画「母べえ」の予告編がありました。
・ しかしねー。山田監督だから良いものになるんでしょうが、はっきり言って吉永さんは演技力はない。生活感が全く彼女すべてから出てこない。「北の零年」も落胆しました。そのへんのところはご本人も認めているらしいですが。
・ 私は観に行くことはないと思います。Oさん、今度は貴方が観にいって感想を私に教えてくださいよ。たまにはね。
2008年1月12日土曜日
1月12日(土)生徒数推移
1.公立小中5年後1117校削減
・ 2008年1月11日の読売は文科省発表の記事をわざわざ解説付きでのせている。それによれば現在の「公立小中学校の数32570校が5年後には1117校減少」するという些か驚きの数値だが、これは「少子化のペースに学校の統廃合が追いついていない」からだ。
・ 例えば「公立小の児童数はピークの1981年から2006年までに40.2%減少」したが「学校数は9.4%減っただけ」で、その結果、何が学校に起きているかと言えば、複式学級を抱える5学級以下の学校が3105校もあるという。いわゆる6年生と5年生が同じクラスで授業をうけるようなことをいう。
・ 国の標準は小学校の場合、12ないし18クラスでこれに達している学校はほぼ半数というから由々しき事態で、小規模校は子どもの目が行き届くかもしれないが、人間関係や学力問題などマイナス面を指摘する声もある。
・ 財政難の自治体には空いた小学校は土地が格好の財産処分の対象となるなどと、喜んでばかりもおれず、さりとて統廃合する校舎の耐震補強も金のかかることで、このような事情が統廃合の進まない原因と書いている。
・ それにしても高校サイドは驚く。こういう数値から具体的に「少子化を実感」する。今日で浪速中学校の募集の山場が過ぎるのだが、高校に比べ、読みにくい。部屋と受付の事務室を行ったり来たりだ。やきもきする。管理職朝会で中学校の副校長が「今日は雨のせいもあるのかな」と言ったら、入試担当教頭は「雨で願書を持って来ないなんてないよ。」と笑いが出た。
2.浪速高校の生徒数推移
・私の世代は「一クラス50人学級」だったのかなー。少し古い人になると「55人学級」を知っている先生も本校にはいる。「もう机と机の間隔がこんなに狭くて・・・」と説明してくれる。その後「45人学級」、そして現在の「40人学級」だ。組合は35人学級だ、30人にしろ、などと言っているが、適正規模がどの辺りか、論理的に説明された資料は見たことがない。少なければ良いと言うものでもなかろう。個人的には40人っていうのは良い数値ではないかと思っているのだが・・・・。35人かなあ?
・浪速の歴史で学年当たり生徒数が多かったのは「昭和42年、クラス数は16クラス、学年889名、一クラス当たり56名」であるから、「すごい数値だ」。今と全く部屋の大きさは同じだから詰め込めば56名は入る。
・少なかったのは「昭和60年で何とクラス数は9クラス、総勢335人」まで落ち込んだ。これは別に少子化ではなくて、組合教員と非組合員の組織する「教師会」との闘争、適切な手を打てなかった学校が生徒保護者に嫌われ一挙に人気を無くしたときだ。大阪府内で浪速組合が名をはせた時代で、当時大きな話題になったと聞く。組合結成が昭和54年頃だと思うからデータ数値を見ると昭和55年以降間違いなく生徒数が低迷している。
・ さすがにこれではいけないと闘争も下火になった頃から徐々に盛り返していくが、それでもピークは「平成2年の666人」から、今度はまともに「少子化の影響」でじわじわ下がり始め、遂には「平成18年度の卒業生が8クラスで243名」と極限でもう「ふらふらの浪速」に陥る。歴史に残る底である。男子校にこだわりタイミングを失したが、ようやく平成17年4月の入学式で女生徒の顔を見る「共学校」となった。これで「息を吹き返す」。
・ 共学初年度は「ご祝儀相場」で志望者は増える。ところがこれは「3年しか持たないというのが通り相場」で、「3年の間に上昇気流を固めないと又低下傾向」になる。確かに共学後3年目の平成19年度入学者数は右肩下がりに転じた。私はこの数値を「大変な危機感」で眺めた。
・ 肝心の生徒をほったらかしにしてイデオロギー的組合活動に走った一部教員、戦略的対応を取らなかった学校マネージメントの「行き着く果てを絵に描いたような生徒数の推移」だ。我々はこの事例からしっかりと学習しなければならない。
・ いずれにしても「今年の生徒募集状況は21世紀の浪速の将来を予測」する。何がなんとしてももう一度上昇気流に乗せねばならない。「私も入試広報室も必死」なのである。
3.教室を見て回る
・本日でほぼ20年度入学者数が、あくまでシミュレーション数値であるが、読めるところまできた。一安心してよかろう。この数値をベースに今から「教室手配」を考えねばならない。「昔は55人学級だったのだから良いではないか」と言おうものなら大変なことになる。「16クラス数のあった時代もあるのだから、教室数はOKだろう」と簡単にはいかないのだ。
・分割教室にしたり教室を他に流用したりで少ししか余裕教室がない。今年3月に卒業するクラス数は中学で1クラス、高校で12クラスだから合計13クラスはある。しかし今度の入学者クラス数は中学も高校も大幅に増えるかもしれない。思い出してみると、1年前、着任後の最初の仕事は「クラスの統廃合」であったが、これを実施しておいたお蔭でなんとかなる。このことも先見の明で「大当たり」であった。
・今年は乗り切れても、少し気は早いが、来年21年のことも考えておかねばならない。副校長と図面を持って校舎をあちこち回りながら「ここは仕切りをとって教室に戻そう」などと歩いた。「嬉しい悲鳴」である。
2008年1月11日金曜日
1月11日(金)留め書き
静かな一日である。午後から雨になり、徐々に冷えてくるのが分かる。昨年の今頃は電気のエアコンではどうにも寒く、ガスストーブを校務員さん頼んで出して貰ったのだが、それは何時だったろうか?しかしガスストーブのせい(?)で理事長就任お祝いに戴いた大きなシクラメンの鉢をすぐ枯らしてしまったので、今年はガスストーブを敬遠している。私の執務室は日当たりのない部屋でこれから寒さとの戦いが始まる。暖房をつければ暑く、消せばすぐ寒くなる。加齢とともに温度変化には鈍感になるというが私の場合は逆だ。暑いのは苦痛だし、寒いのは苦難だ。段々と人間が贅沢になってきているのかな。省みなければならない。
1.来客多し
・今日も年始のお客様が多く、見えられる。ゼネコン、書籍会社、旅行会社、建築設計会社、スポーツ用品会社のトップの方々だ。
・特に某旅行会社の幹部の方々とのお話は大変面白いというか興味がある。それは彼らは年始挨拶周りですべての学校を廻っており、多くの情報が得られるからだ。彼らは私立学校情報に極めて敏感で「各校の志願者数」をどうも知っているみたいだ。勿論情報を明らかにすることはないが、言葉のふしふしから状況が良くわかる。
・一言で言えば「勝ち組」「負け組」がますますはっきりしてきているのではないか。どこがどうかは分からないが、志願者が増えているところと大きく減少しているところと格差が広がっている感じだ。
・どうも彼らが言うのは伸びている学校は「学校の意思が明確になっており、それが外部に発信されている」というような意味のことを言われていたな。とにかく浪速は「負け組み」ではないし、絶対ならない。「大阪屈指の私学」にしてみせるし、現実そのようになってきている。
2.管理職朝会
・大きな懸案事項もなく、最近の話題は志願者状況の分析と今後の対応方針の確認、及び授業料滞納者への対応がメインとなる。3年生はもう少しで卒業式なので未納は本当に辛い。
・私の考えはこうだ。「教員が一生懸命頑張ってきて、それが対価で反映されないというのは彼らのした仕事の価値が認められていないということだ。」教員に申し訳ないと私は考える。困っているが連絡が取れないのでは仕方がない。
3.入試広報室
・今日も忙しく電話応対やデータ整理に追われている。しかしどことなしに顔色や動きにはゆとりがある。彼らの顔色が青ざめ、焦りが出ていたら理事長の私もこのように悠長にブログなど書いてはおられなかっただろう。
・理事長としての私の欲は際限がないが、ぼつぼつ「これでよし」と評価しなければならないだろう。明日で大体、全体の数が判明することになる。「入試広報室はよくやった」。あとはデータの整理に間違いのないように言うつもりだ。
4.卒業式の段取り 副校長と担当教諭 入る
・初めてのミーティング。「大筋の進行脚本作りの方針」を確認した。盛り上げてやりたい。
・各保護者への案内状が今までは卒業判定会議の前に校長名で出状されていたが、副校長が「これはおかしい。」と言う。
5.雅楽部と神楽舞
・新春拝賀始業式で雅楽を演奏し、神楽舞を舞ってくれた生徒を校長室に呼び、ねぎらいと今後の激励を行う。文化系クラブの中で「雅楽部を本校の看板クラブの一つ」にすることを表明した。そのための支援は惜しまない。ブラバンと雅楽、これで二つになった。
2008年1月10日木曜日
1月10日(木)留め書き
・ 折角作った絵馬のかける方法と場所を考え、校務員さんに「作ってね」と頼んでいたのだが「変なものは作れない、折角立派な絵馬だから・・・・。?」というのだ。そうこうしているうちに担当が格好の市販品を見つけてきた。「今日日は何でも売っているなー。逆に売っていないものはない感じだ。」
・ アルミ製で永久ものだし、見た感じも良い。「決めた。」各学年に1台として計3台の「絵馬かけ」を早速手配。生徒一人に対して1年に1枚配り、学年が進行するたびに更新だ。1セットの絵馬かけに1学年分が掛けられるもので、これで一連の絵馬シリーズは終了。
2.中学校入学願書受付開始
・ 浪速中学校の入学願書の受付が始まった。「1月19日に一次A,20日に一次B」と入学試験が行われる。「出足、好調」である。
・ 保護者の中にはどこでお聞きになったのか、「絵馬」はどうしたら手に入るのでしょうと聞かれると事務室の者が言う。事務長と相談して本校と全く関係ない外部のお方で希望者には1枚100円でお分けすることにした。(コストは145円くらいですが。)
3.高校教育相談会
・ 山場を超えた。二日間でほぼ100%の中学校から来校された。本日は大口が1校あり大阪府内はほぼ完了する。後は修正や追加などで電話はまだ入るそうだ。入試広報室の面々は本部に詰めて「データの整理」を進めている。本校にとっては「史上最高の志願者数」になるかも知れない。
・ 後は「16日に和歌山市内の東急インホテル」でこちらから出向いて相談会をする手配になっている。元々は和歌山とは縁遠い関係であったが最近希望者が多くなり、対応している。交通機関が便利になり和歌山と我孫子までは案外近く、和歌山市内の私学の絶対数が相対的に少なく、和歌山に近い大阪府私学との間に、大和川を越えた大阪市内の学校、即ち「浪速高校の存在感」が徐々に高まってきているということだ。嬉しい限りである。
4.3年生
・3年生の授業もあと数日で終了する。後はセンター、一般入試と厳しい時が控えている。「体調に気をつけて頑張って欲しい。」ただそれだけである。総合コースのすでに進路の決まっている生徒は当然顔つきが違っており、「将来の夢」に気も徐々に高揚しているのだろう。3年生は年が明けて、急激に、またどことなしに、「大人びていく。」
・ 特にスポーツ推薦で関西6大学の雄、大阪経済大学に進学する2名の野球部の生徒が校長室に来て、大学の冬季キャンプに参加するといって顔が紅潮している。高知の東部球場というからプロ並みだ。「参加費はただか?」と聞くと「19万円」と平気でいう。これから4年間、大学の費用も含めると相当な費用になろう。この子らも子どもを持つ親の年になって「親のありがたさが分かる」のだろうな。
5.卒業アルバム担当の先生 入る
・下刷りを持参。写真写りは昔から悪い。気に入らないが「元が悪いのだから仕方がない。」と諦める。写真の横につける「言葉」を考えろという。「えー」又頭を使わねばならない。こういうのにはこだわるから。
・私にとって初めて生徒を送り出す「卒業式は3月1日」である。これから新しい企画を具現化していくことになる。頭にはあるがこれからだ。「新校歌のお披露目」もある。
6.事務室の卒業証書作成担当 入る
・昨年までは昔ながらの黒筒で証書も変わらぬ大きさで如何にも持ち運びや保存に使い勝手が悪いものだった。今頃このような物があるのかと最初は驚いたものだ。本年から「A4版サイズでノート型」とし、「浪速カラーのえんじ色の布地製」の立派なものだ。垢抜けてきた。値段は7倍もするが、「決めた。」
7.赤井英和君との2ショット写真 届く
・背格好など良く似てるなー。最も赤井君の方が男前だけれども。プロダクションは写真はいかようにもお使いくださいと言われるが、そういわれてもなー。
・まさか赤井英和さんの母校の校長になって一緒の写真に納まるとは思いもしなかった。最近は演技にも深みが出てきて性格俳優の域にまで近づいていると思う。正直好きな俳優だ。今後とも後輩の為に頑張って欲しい。
・でも面白いねー。赤井君を教えた先生はまだ多く現役の教師で本校にいるのだが、「赤井、赤井、」と言い、赤井君も「先生、先生」と多くの先生の名前を覚えていて手を振る。「彼は本当に浪速高校のお蔭で自分の今日があると感謝している」のが、そばにいても良くわかる。高校時代っていうのは本当に大切な時期だなと思う。
2008年1月9日水曜日
1月9日(水)俳優 赤井英和
・ 今朝から校内は静粛・平穏である。生徒も静かだ。誰しも1月初旬は年末までの最大出力から年末年始の休暇でエンジンを切り、いまだ出力を上げつつある段階なのかも知れない。 生徒までが静かなことが面白い。
2.中学校教育相談会
・ ところがこちらはそうもいかない。午前午後各一回、相談会の部屋を覗く。雰囲気はこちらも静かである。興奮する必要はどこにもない。
・ 「本部」に顔を出して「今現在何名?」と聞くのが楽しみだが、答えるほうも喜ぶ顔である。「もっと増やしてね?」と何時も言うのだが言われるほうは「?」と怪訝な顔をする。当たり前だ。増やすも何も、もう結果の決まっているような選挙の開票速報みたいなもので我々の力を超えたところにあり、最終何名になるのか、結果は神様しか知らないのだ。
3.年始の挨拶受け 続く
・ 今日も多くの関係者が来られる。「挨拶受け」。思い出せば「昔は自分もそうだったなー」との感慨がある。賀詞交換会などへもよく顔を出したものだが、学校社会では全くない。受けるほうも決まっている。制服会社、アルバム会社、修学旅行会社、工事施工会社等であり、完全にお付き合いする人間が変化した。昔の付き合いは「年賀状」だけだ。
4.校内イントラネット準備状況
・ 情報広報委員長 入る。校内イントラネットの進捗状況報告である。「順調」で17日に教職員説明会まで遂にきたと言う。「校内IT武装化の第2弾」である。
・ 内容は出退勤管理、申請書類の電子化、勤務管理、届け出管理、出張申請、電子承認共同予定表、個人別予定表、共有情報欄等本格的なもので、「画期的なこと」であると自負している。事務処理の軽減、申請主義、発生源主義、電子掲示板、書類の電子化と決裁の電子印鑑、ペーパーレス社会の実現、教職員間のコミニュケーション等「学校は変わる」。
・ 苦しい中であったが昨年10月個人別パソコンを配布し、この日に備えた。あれから3ヶ月今や「パソコンが出来ない」という教職員はいなくなった。「やれば出来るのだ。」ソフト開発に相当のコストがかかったが「将来の先行投資」である。
・ これで職員会議も運営委員会も性格が変わっていくだろう。給料の高い教職員全員を集めた職員会議で「どうでも良いような情報をだらだらと説明するような非効率なこと」はやめ、「本当に議論しなければならないようなことに集中」すべきである。
・ 事務室の人間も教員も「仕事のやり方を変えなければならない。」そうしなければ一向に仕事は減らないし、増えるばっかりである。2月3月と従来システムと並行して走り、4月から本番だ。これで私も毎日多くの書類に印鑑を押さなくて済む。電子決済だから、従来のように朱肉と書類の間を右手に印鑑を持っていちいち振り子みたいに手を動かす必要はなくなる。
5.俳優 赤井英和氏母校訪問
・テレビ局の取材でご母堂と共に本校を訪問。ボクシング部の場所の借用依頼がテレビ局からあって許可していたのを完全に忘れており、突然、O教諭と校長室に入ってこられ、「校長先生、この前は失礼しました。赤井です。」と。しかし礼儀の出来た人間で「どの世界でも大成するものは違うな」というのが正直な感想。これで赤井氏とは2回目で1回目はナンバスイスホテルの入口で、その時は相当酩酊していたが、それでもちゃんと挨拶の出来る男だなと感じたのを今でも覚えている。
・それにしてもこの男「女性の人気」がすごい。入試広報室の女性職員はとても若いのだが、もう「うっとりして、色紙を持って傍にボーッとたたずんでいる状態」で、当方がアレンジして赤井君に2ショットをお願いしたのだが、その時の目は潤んでいたな。副校長に言わせれば職員室の女性教員のほぼ全員がファン(本当?)らしく、中には「絶対、赤井さん」という先生もいるらしい。
・私も今日は赤井君と良く話をしたが、彼は「優しい雰囲気が全身から滲み出て、姿勢も決して偉ぶらないし、とにかくノリが良い。」そういうところが女性にもてる点かも知れないと感じた。優しくてノリの良い男が持てる条件ではないか。そういえば吉本の芸人の中でも優しそうな感じの男が良く持てる。陣内なんかもそうだろう。自分なんかにはほど遠い話だ。悔しいけどこればかりは仕方がない。
・肝心の番組の話をしておこう。テレビ朝日1月20日午後2時から3時30分までのOAで「母のぬくもり、そして母~吉永小百合と5人の母」に赤井さんのお母さんが登場となる。1月26日から山田洋次監督吉永小百合主演の映画「母べぇ」が全国ロードショーされるがその関連で「日本のお母さん愛情物語」を人間味溢れるエピソードを中心に紹介されるという。
・果たして赤井さんと母上がどのような会話をしたのかは、これは秘密です。今ここで明らかには出来ません。でも「とても良かった。」と恩師のO教諭は言う。最後に赤井君は後輩のボクシング部の部員に指導をしてくれました。皆さん、是非見てやってください。
1月8日(火)新春拝賀始業式
・ 「理事長・校長公式メッセージを参照」して頂きたい。企画をしてつくづくと「良かった」と思っている。生徒もご来賓も感激の面持ちであった。特に「舞」が良かった。剣を手に持ち、粛々ときりりと舞う様は朱色のはかまと白の上着が良く周囲に映えて、雅楽の音も殊の外美しい音色であった。冬場の空気が乾燥しているときには特にそうなのかも知れない。
・ 生徒が1年の「事始め」に皆で揃って学院神社にお参りすることに意義がある。これで新たな歴史がスタートする。日ごろ余り評価などを口にすることのない教務部長が「良かったですね」と言っていたのがこの行事の良さを物語っている。絵馬代、お年玉代、舞台新作代、神職へのお支払い等々費用はかかったが「投資効果はこれ以上」と見た。
・ 本日は特別に「学院神社拝詞」と「浪速生活の綱領」を揮毫し,軸装、額装にして寄贈頂いた泉大津在住の書家、前田芳陽先生もお招きし、ご参列頂いたが感動の面持ちであられた。
・ 言いたいことは「何事も一歩踏み出すこと」である。踏み出さないで「あれこれ、つべこべ」言わないことだ。本日やって駄目だったら来年は「変えれば良いだけの話」であって、難しく考えなくとも良かろう。「新しいことをやってみる勇気」が重要だ。
・ しかし当然用意周到なる準備が必要で今日は神道科のM教諭、雅楽部のY教諭、事務室のK,M主査、そして校務員のN,Kさんの力によるところが大だ。私は口と金を出すだけで彼らが具体化の道筋をつけてくれている。「有難う!」
2.公立中学校教育相談会
・ 実は今日から大変重要な公立中学校との「教育相談会」が始まっている。同時並行で進んでいる。中学校から担任の先生、進路担当の先生、場合によっては教頭や校長先生も本校を訪問されて、入試について本校受験希望の個別の生徒の教育相談、分かり易く言えば「進路相談」が行われる。
・ 新館の大きな部屋を区切ってブースにした間仕切りの中で本校の担当教諭がお相手をする。別室には「本部」が設けられ、次々とデータの入力をしていく。本校はITに強い先生が多いのも嬉しい。
・ 夕方5時前でもまだ多くの中学校の先生方が控え室で待機されている。我々にとっては多ければ多いほど嬉しいわけだが、まだ今日の段階では「仮押さえ」に近く、あくまで「入学選抜試験」による。相談の中身はその中学生の人生がかかっており一時も気が抜けない。
・ 校長は時々様子を見に行くくらいで余り顔を出さないほうが良い。担当教頭に「弁当でも用意させようか」と聞くも「要りません、終わったら早く帰りたい」と。担当する教員も気を遣って相当「くたくた」になっているのだ。それくらい「例年に比べて数が多い」。この状態が数日間続く。
・ 中学校の先生もお疲れのご様子だ、それはそうだろう。一人の先生が私学数校を担当し、今日は朝から夕方まで私立高校めぐりだ。なんとか希望の高校に入れてやりたいというお気持ちが伝わってくる。このようにして「15の春は泣かさない」ように中学生の進路が決まっていく。
2008年1月7日月曜日
1月7日(月)2008始動
1.変形労働制の導入
・ 本校は昨年4月以来「変形労働制」を導入している。正確に言えば4,5月と試行をしながら本格的には6月から完全実施としたのである。これは恐らく学校においては公立私立を問わず初めてのことで「画期的なこと」と自負している。
・ 従来公私を問わず、学校における教職員の勤務はいわゆる「残業」という概念、即ち所定勤務時間を超えても社会通念で言う「残業代」を支払うシステムとはなっていなかったのである。すべては国家公務員、地方公務員の国家国民、府下府民へのサービスという概念が私立学校にも及んでいることと、児童生徒を相手の教育という営為において残業という概念がなじまなかったのだと思う。その代わり「調整額or 調整手当て」として大体4%程度が給与額に上乗せされる形になっている。
・ 特に職員会議、宿泊を伴う業務(典型的例は修学旅行)、天変地異などの「4つの事例」は教職員にとって「当然業務上あるべきもの」として捉えられており、勤務時間超えの代償などの概念はないようにしてきたのである。確かに北海道の修学旅行先で夕方5時になったから「仕事はおしまい」と生徒をほったらかすことは出来ないだろう。
・ しかし私立学校は民間企業であり、公務員ではなく、すべての範例が公立学校の教員のシステムから来るというものでもあるまい。大体私立学校教員には労働三権が認められており、労働基準法と労働組合法の適用を受ける。「残業代は支払うべきもの」と私は割り切った。
・ ただし年間を通じて繁忙、休暇をバランスよく配置し、まず教職員の健康安全、そして平準化した勤務時間制を導入し、休める時は休むシステムを導入したのである。それでも突発で勤務時間が定時を超えるときは「時間外手当」を支払うようにした。勿論出張先でも生徒付添いの場合は原則として生徒就寝時間までは勤務時間として手当てを支払っている。
・ まだ1年もたっていないが、今のところ「特段の問題はなく」、教職員にも受け入れられている。この変形労働制システムの大きなアドバンテージは夏の長期休業中に10日間ほどのリフレッシュ休暇と年末年始に特別休暇を入れたことだ。
・ 従って公務員教員は4日が仕事初めであろうが本校は「本日7日が仕事初め」である。今日全員が揃い、校務運営委員会、職員会議と実施し、明日の3学期の始業式を迎えることにした。「理事長・校長メッセージ連20-01」を作成し、「年頭挨拶と本年度の課題」を時間をかけ、心を込めて説明した。
・ 昨年は職員の初出が始業式の日で「ばたばたした状態」を覚えておりこれではいけないと強く感じた。もう時代は変わり、教職員が始業式当日まで休み、更に加えて、始業式に式だけで生徒を帰すような学校は徐々に社会に受け入れられなくなるだろう。当たり前だと思う。ただ本校では明日の始業式を「新春拝賀始業式」として学院神社に正式参拝する新たな行事を組み入れたので授業とはしない。即ち「神社神道の学校らしく始業式のレベルを高める」ことにしたのである。
・ 先生方、年末年始をどのように過ごされたのか分からないが、皆さん、今日はさわやかな感じで1名の欠席もなくお顔を揃えている。「サアー、2008年の始動だ。頑張っていこう。」仕事があるということは嬉しいことなんです。
2.年賀状
・本年も多くのお方からご丁寧に年賀状を戴いた。その数は個人分で600枚を超え、学校宛で250枚近くになろう。困るのは出さなかった人から戴いたり、その逆で、当方は出したのに、来なかったりで結構、年賀状の出し受けには気を遣うものだ。
・ 本年は本校の教職員には元日に届くように一枚も出さなかった。昨年はそういう立場でもなかったからであるが、当然のことながら昨年は一枚も来なかった。本年はある程度「来るだろう」と想像して50枚くらい予備を用意していた。
・ ところがそれを超える年賀状を教職員から頂き、急遽、ミオ9階の三省堂に買いに走った。追加で30枚買った。年賀状は昨日の5日まで毎日少しずつ来るのだ。今日7日、学校から帰ってみると更に8枚来ていた。おそらく、新生JPがテレビコマーシャルで流しているような「年明け年賀を楽しもう」と、正月中に書いているのだと思うが、遅れて戴く当方は、これはこれで困る。毎日郵便受けに気を使い、書いてはポストに走ることになる。「年賀状は元来元旦に届く」ようにするものだ。
・ちゃんと元旦に来るもの、3日にくるもの、4日にくるもの、5日にくるもの、7日にくるもの、それぞれお顔を思い出しながら「ご返状」を差し出したが、出す日にちで個人のご性格や、一言の添え書きに「お人柄」がよく出ている。
・私のように数年ピッチで仕事が変わっていくと、お付き合いする人々も徐々に変化していくもので、人間関係が薄くなっていく人、濃くなっていく人など、人間模様が年賀状には如実に出てくる。こちらはたとえ薄くなっても年に一度の年賀状くらいはと思っているのだが、仕事が変わったとたんに「あの人はもう、関係ないわ」などという訳でもなかろうが、年賀状は来ない。ところが私の年賀状を受け取った後、慌てて書いて、それが1月4日くらいの到着で、「早々と年賀状有難うございました」などと書かれていたりすると、逆にこちらは「出して、申し訳なかったかなー?」と思うのだ。
・ところがこの話は来年まで続くことになる。こういう人に限って来年こそは元日に届くようにと決意されるからややこしくなる。こちらは「もうこの方には止めよう」と出していないから、今度は私が慌てて「書いてポストに走る」ことになる。
・年賀状は「個人の過ぎし1年の近況を知らせる心のこもったプレゼント便り」というが難しいものだ。特に本年はそう感じた。年賀状の受け取りの日付に神経を使わない人はいるが、自分としては「そのような神経がうらやましい」と思う。