教室手配
1.公立小中5年後1117校削減
・ 2008年1月11日の読売は文科省発表の記事をわざわざ解説付きでのせている。それによれば現在の「公立小中学校の数32570校が5年後には1117校減少」するという些か驚きの数値だが、これは「少子化のペースに学校の統廃合が追いついていない」からだ。
・ 例えば「公立小の児童数はピークの1981年から2006年までに40.2%減少」したが「学校数は9.4%減っただけ」で、その結果、何が学校に起きているかと言えば、複式学級を抱える5学級以下の学校が3105校もあるという。いわゆる6年生と5年生が同じクラスで授業をうけるようなことをいう。
・ 国の標準は小学校の場合、12ないし18クラスでこれに達している学校はほぼ半数というから由々しき事態で、小規模校は子どもの目が行き届くかもしれないが、人間関係や学力問題などマイナス面を指摘する声もある。
・ 財政難の自治体には空いた小学校は土地が格好の財産処分の対象となるなどと、喜んでばかりもおれず、さりとて統廃合する校舎の耐震補強も金のかかることで、このような事情が統廃合の進まない原因と書いている。
・ それにしても高校サイドは驚く。こういう数値から具体的に「少子化を実感」する。今日で浪速中学校の募集の山場が過ぎるのだが、高校に比べ、読みにくい。部屋と受付の事務室を行ったり来たりだ。やきもきする。管理職朝会で中学校の副校長が「今日は雨のせいもあるのかな」と言ったら、入試担当教頭は「雨で願書を持って来ないなんてないよ。」と笑いが出た。
2.浪速高校の生徒数推移
・私の世代は「一クラス50人学級」だったのかなー。少し古い人になると「55人学級」を知っている先生も本校にはいる。「もう机と机の間隔がこんなに狭くて・・・」と説明してくれる。その後「45人学級」、そして現在の「40人学級」だ。組合は35人学級だ、30人にしろ、などと言っているが、適正規模がどの辺りか、論理的に説明された資料は見たことがない。少なければ良いと言うものでもなかろう。個人的には40人っていうのは良い数値ではないかと思っているのだが・・・・。35人かなあ?
・浪速の歴史で学年当たり生徒数が多かったのは「昭和42年、クラス数は16クラス、学年889名、一クラス当たり56名」であるから、「すごい数値だ」。今と全く部屋の大きさは同じだから詰め込めば56名は入る。
・少なかったのは「昭和60年で何とクラス数は9クラス、総勢335人」まで落ち込んだ。これは別に少子化ではなくて、組合教員と非組合員の組織する「教師会」との闘争、適切な手を打てなかった学校が生徒保護者に嫌われ一挙に人気を無くしたときだ。大阪府内で浪速組合が名をはせた時代で、当時大きな話題になったと聞く。組合結成が昭和54年頃だと思うからデータ数値を見ると昭和55年以降間違いなく生徒数が低迷している。
・ さすがにこれではいけないと闘争も下火になった頃から徐々に盛り返していくが、それでもピークは「平成2年の666人」から、今度はまともに「少子化の影響」でじわじわ下がり始め、遂には「平成18年度の卒業生が8クラスで243名」と極限でもう「ふらふらの浪速」に陥る。歴史に残る底である。男子校にこだわりタイミングを失したが、ようやく平成17年4月の入学式で女生徒の顔を見る「共学校」となった。これで「息を吹き返す」。
・ 共学初年度は「ご祝儀相場」で志望者は増える。ところがこれは「3年しか持たないというのが通り相場」で、「3年の間に上昇気流を固めないと又低下傾向」になる。確かに共学後3年目の平成19年度入学者数は右肩下がりに転じた。私はこの数値を「大変な危機感」で眺めた。
・ 肝心の生徒をほったらかしにしてイデオロギー的組合活動に走った一部教員、戦略的対応を取らなかった学校マネージメントの「行き着く果てを絵に描いたような生徒数の推移」だ。我々はこの事例からしっかりと学習しなければならない。
・ いずれにしても「今年の生徒募集状況は21世紀の浪速の将来を予測」する。何がなんとしてももう一度上昇気流に乗せねばならない。「私も入試広報室も必死」なのである。
3.教室を見て回る
・本日でほぼ20年度入学者数が、あくまでシミュレーション数値であるが、読めるところまできた。一安心してよかろう。この数値をベースに今から「教室手配」を考えねばならない。「昔は55人学級だったのだから良いではないか」と言おうものなら大変なことになる。「16クラス数のあった時代もあるのだから、教室数はOKだろう」と簡単にはいかないのだ。
・分割教室にしたり教室を他に流用したりで少ししか余裕教室がない。今年3月に卒業するクラス数は中学で1クラス、高校で12クラスだから合計13クラスはある。しかし今度の入学者クラス数は中学も高校も大幅に増えるかもしれない。思い出してみると、1年前、着任後の最初の仕事は「クラスの統廃合」であったが、これを実施しておいたお蔭でなんとかなる。このことも先見の明で「大当たり」であった。
・今年は乗り切れても、少し気は早いが、来年21年のことも考えておかねばならない。副校長と図面を持って校舎をあちこち回りながら「ここは仕切りをとって教室に戻そう」などと歩いた。「嬉しい悲鳴」である。