2008年1月7日月曜日

1月7日(月)2008始動

2008始動
1.変形労働制の導入
・ 本校は昨年4月以来「変形労働制」を導入している。正確に言えば4,5月と試行をしながら本格的には6月から完全実施としたのである。これは恐らく学校においては公立私立を問わず初めてのことで「画期的なこと」と自負している。
・ 従来公私を問わず、学校における教職員の勤務はいわゆる「残業」という概念、即ち所定勤務時間を超えても社会通念で言う「残業代」を支払うシステムとはなっていなかったのである。すべては国家公務員、地方公務員の国家国民、府下府民へのサービスという概念が私立学校にも及んでいることと、児童生徒を相手の教育という営為において残業という概念がなじまなかったのだと思う。その代わり「調整額or 調整手当て」として大体4%程度が給与額に上乗せされる形になっている。
・ 特に職員会議、宿泊を伴う業務(典型的例は修学旅行)、天変地異などの「4つの事例」は教職員にとって「当然業務上あるべきもの」として捉えられており、勤務時間超えの代償などの概念はないようにしてきたのである。確かに北海道の修学旅行先で夕方5時になったから「仕事はおしまい」と生徒をほったらかすことは出来ないだろう。
・ しかし私立学校は民間企業であり、公務員ではなく、すべての範例が公立学校の教員のシステムから来るというものでもあるまい。大体私立学校教員には労働三権が認められており、労働基準法と労働組合法の適用を受ける。「残業代は支払うべきもの」と私は割り切った。
・ ただし年間を通じて繁忙、休暇をバランスよく配置し、まず教職員の健康安全、そして平準化した勤務時間制を導入し、休める時は休むシステムを導入したのである。それでも突発で勤務時間が定時を超えるときは「時間外手当」を支払うようにした。勿論出張先でも生徒付添いの場合は原則として生徒就寝時間までは勤務時間として手当てを支払っている。
・ まだ1年もたっていないが、今のところ「特段の問題はなく」、教職員にも受け入れられている。この変形労働制システムの大きなアドバンテージは夏の長期休業中に10日間ほどのリフレッシュ休暇と年末年始に特別休暇を入れたことだ。
・ 従って公務員教員は4日が仕事初めであろうが本校は「本日7日が仕事初め」である。今日全員が揃い、校務運営委員会、職員会議と実施し、明日の3学期の始業式を迎えることにした。「理事長・校長メッセージ連20-01」を作成し、「年頭挨拶と本年度の課題」を時間をかけ、心を込めて説明した。
・ 昨年は職員の初出が始業式の日で「ばたばたした状態」を覚えておりこれではいけないと強く感じた。もう時代は変わり、教職員が始業式当日まで休み、更に加えて、始業式に式だけで生徒を帰すような学校は徐々に社会に受け入れられなくなるだろう。当たり前だと思う。ただ本校では明日の始業式を「新春拝賀始業式」として学院神社に正式参拝する新たな行事を組み入れたので授業とはしない。即ち「神社神道の学校らしく始業式のレベルを高める」ことにしたのである。
・ 先生方、年末年始をどのように過ごされたのか分からないが、皆さん、今日はさわやかな感じで1名の欠席もなくお顔を揃えている。「サアー、2008年の始動だ。頑張っていこう。」仕事があるということは嬉しいことなんです。
2.年賀状
 ・本年も多くのお方からご丁寧に年賀状を戴いた。その数は個人分で600枚を超え、学校宛で250枚近くになろう。困るのは出さなかった人から戴いたり、その逆で、当方は出したのに、来なかったりで結構、年賀状の出し受けには気を遣うものだ。
・ 本年は本校の教職員には元日に届くように一枚も出さなかった。昨年はそういう立場でもなかったからであるが、当然のことながら昨年は一枚も来なかった。本年はある程度「来るだろう」と想像して50枚くらい予備を用意していた。
・ ところがそれを超える年賀状を教職員から頂き、急遽、ミオ9階の三省堂に買いに走った。追加で30枚買った。年賀状は昨日の5日まで毎日少しずつ来るのだ。今日7日、学校から帰ってみると更に8枚来ていた。おそらく、新生JPがテレビコマーシャルで流しているような「年明け年賀を楽しもう」と、正月中に書いているのだと思うが、遅れて戴く当方は、これはこれで困る。毎日郵便受けに気を使い、書いてはポストに走ることになる。「年賀状は元来元旦に届く」ようにするものだ。
 ・ちゃんと元旦に来るもの、3日にくるもの、4日にくるもの、5日にくるもの、7日にくるもの、それぞれお顔を思い出しながら「ご返状」を差し出したが、出す日にちで個人のご性格や、一言の添え書きに「お人柄」がよく出ている。
 ・私のように数年ピッチで仕事が変わっていくと、お付き合いする人々も徐々に変化していくもので、人間関係が薄くなっていく人、濃くなっていく人など、人間模様が年賀状には如実に出てくる。こちらはたとえ薄くなっても年に一度の年賀状くらいはと思っているのだが、仕事が変わったとたんに「あの人はもう、関係ないわ」などという訳でもなかろうが、年賀状は来ない。ところが私の年賀状を受け取った後、慌てて書いて、それが1月4日くらいの到着で、「早々と年賀状有難うございました」などと書かれていたりすると、逆にこちらは「出して、申し訳なかったかなー?」と思うのだ。
 ・ところがこの話は来年まで続くことになる。こういう人に限って来年こそは元日に届くようにと決意されるからややこしくなる。こちらは「もうこの方には止めよう」と出していないから、今度は私が慌てて「書いてポストに走る」ことになる。
 ・年賀状は「個人の過ぎし1年の近況を知らせる心のこもったプレゼント便り」というが難しいものだ。特に本年はそう感じた。年賀状の受け取りの日付に神経を使わない人はいるが、自分としては「そのような神経がうらやましい」と思う。