2009年12月8日火曜日

12月8日(火)常勤講師先生との面談


・ 昨日から学校は「期末試験」に入った。放課後は生徒も帰り「校内は静か」である。こういう「雰囲気」は悪くない。幾分だが校内は「緊張感」が漂っておりやはり「教師と言う生態」の良い面だろうと思う。
・ 生態とは以下のようなものだ。すなわち「自分の作った試験問題」をどのように生徒がチャレンジしてどれだけ「点を取ってくれるか」「どれだけ自分の授業を理解しているか」確認できる、まさに「教師冥利」に尽きる瞬間だと思うだろうから試験期間は一種独特の雰囲気が漂うのである。
・ 生徒とは生徒で日頃勉強していないが試験ともなると「落第」しないように幾分かは自宅で本を開くのである。だから何時もはうるさい業間も静かだ。次の問題の教科書など開いて最後のチェックしているのである。
・ 又教員にとって試験期間は言ってみれば午後から授業がないから、「ほっと」一息できる時でもある。従って時間有休を取る教員も比較的多い。まあ「けじめ」さえあれば試験期間はそれでも構わないかと思っている。
・ 昔は試験期間中はどちらかというと「休みみたいな」感じであったというが「トンでもない話」である。「採点には慎重の上にも慎重さ」が求められる。採点ミスや集計ミスなどは「教師として失格」である。公立高校では懲戒ものである。

・ ところで昨日のブログで私は「教員採用募集」のことについて書いた。相当突っ込んで書いたつもりである。私には「来年度の専任教諭の採用という大仕事」が待っている。年が明けたら本格的に検討に入らねばならない。
・ 「常勤講師と非常勤講師の採用権限は副校長に権限委譲」している。だからこの3年間これについては「一切ないも言わない」できた。信頼している筆頭副校長だから、まったく異議はない。実際質的に相当高いレベルの講師を採用してくれていると思う。
・ しかし専任に採用するかどうかは「経営者の仕事」で単なる管理職の仕事ではない。勿論管理職の「意見具申」はあるが最後は「学校法人の重要な業務」なのである。ここが分かっていない常勤講師がいるそうだ。「自分は副校長の評価が高いから専任になれる」と言ってはばからない人間がいると聞いた。完全な「錯覚」である。
・ 1年契約の講師の先生と65歳まで雇用継続する専任教諭とは根本的にレベルが異なる。「ウーン」とうなるようなレベルの常勤講師の先生も「1年経てば」契約完了となるのであって、それほど理事長が「やきもき」する話ではない。
・ 1年や2年、問題と感じられる常勤講師の先生でも「学校に大きな影響を与える」ような問題ある先生はいない。だからそれほど「神経質」になる必要はないのだ。しかし専任教諭となればそうは行かない。
・ 「運命共同体」であり同じ船に乗る仲間である。重要な継続的な仕事を任せることになる。「いい加減」では船が沈まないとしても「船長」としては困るのである。「余分な神経」を使いたくないのだ。
・ 専任教諭の中で私が余計な神経を使う人はまだいる。だいぶ少なくなったがまだ正直いるのである。私は浪速の将来のために「ポテンシャルの高い人を専任教諭」として迎えたい。「安心して任せられる人」を私の目で、私の責任で採用しなければならないのである。

・ 午後、少し時間があったので「常勤講師の先生と面談」を行った。専任教諭とは日常茶飯事でやっていることである。6名だったか。「満を持して」面談というほど力の入ったものではない。今後定期的に面談するのかと聞かれても「はい」とは答えられない。
・ 正直今までは専任教諭への対応に時間と神経が取られて常勤講師にまで時間と言うか「気が回らなかった」と言うことである。それくらい専任教諭に対応しなければならないことが多かったのである。従って常勤講師の先生は副校長で良かったのである。
・ 今ようやく余裕が出来たからというのと「常勤講師の先生が複数年の勤務」になってきたからである。2年前から大量の常勤講師の先生が本校に登場した。「早期退職優遇制度」でお辞めになった専任教諭の補充と生徒数の急激な増加で「ばたばた」と大量に採用してきたのである。
・ そういう背景から22年度には2年目や3年目の先生が相対的に多くなってきたからである。私立高校は大体3年を目途に「専任か雇い止めか」という不文律みたいなものがあって4年目に常勤講師の身分で入ることは少ないのである。
・ すなわち3年を目途に判断しなければならないのである。こうすることは先生方のためにも成る事である。専任になれる可能性もないのに4年以上採用継続することは「労働基準法精神」からも褒められたことではないのである。
・ 「勘の良い先生」となると「ああ、この学校ではどうも私は専任になれそうもない。だったら1年で辞め、他の学校に移る」と言って辞めて行った40台初めの先生が昨年は居た。自信がお有りなのだと思った。

・ 「面談」は大変興味深いものがあった。最初の私の質問は「昨日のブログ第3回目の教員採用」についてどう思うかという質問から入って行った。「ブログの読みきり」については厳しくわざと聞いてみた。全員読まれていたがもし読まれていなかったらこの質問はさぞ困ったことだったろう。
・ 2行おきに斜め読みしている人としっかりと「このブログは自分に言っていることだ」と受け止めて呼んでいる常勤講師と様々であった。「貴方の長所と欠点を上げてみてください」とも聞いた。「仕事が楽しいですか」とも聞いた。
・ 家族構成や日常生活パターンなどについても差し支えない範囲で聞いてみた。「職歴」についても分かってはいたがご本人のお言葉で聞いてみた。短い時間ではあるが63年も生きてきて企業経験もある。大体想像していたとおりの「お人柄」であった。
・ この「人柄」というのが重要なのである。「人柄が良い」というのが教師だろうと教師でなかろうと大切な人間のファクターなのである。「人間としての品格」といって良い。私はこのことを重要視する。「人間の香り」といっても良い。
・ そのうちに私が求めるというか考えている「素晴らしい教師」とはどういう教師かということについて言及してみたい。これは「木村流の素晴らしい教師像」であって自然科学,人文科学や教育評論家という人が定義する素晴らしい教師像ではない。私が自ら定義した「私が求める人物像を追い求めるだけ」である。

2009年12月7日月曜日

12月7日(月)第3回目の教員採用募集


・ 「第3回目の教員採用募集」に入っている。今回は国語、英語、家庭科の常勤講師と音楽の非常勤講師である。採用人事センターの副校長が「何とか良い教員を確保したい」と頑張ってくれている。
・ 「どうして何回もやるの?」「一回で済まされないの?」と聞く人は「私立学校の教員採用システム」が分かっていない人である。それほど簡単ではない。言ってみれば「学校は教師で決まる」とする命題通りとすれば「必然、人の採用は慎重にならざるを得ない」。
・ それに「就職活動」をしている人からすれば「一生の問題」であり、「果たしてこの学校は私の人生をかけて大丈夫だろうか?」と思うのは当然である。学校単位に「風土」「処遇」など違っており個人との「肌合い」は重要なファクターとなる。
・ 最も最近は「転職」が一般的になってきている風潮があるから「肌合いの合わない学校に無理して勤める」必要は無い。もっと自分に適した職場を探して動けばよいと考えるのは当然である。
・ しかしこのことは採用する方からも言えることであり、「どうも本校の風土に合わない」「我々の要求するレベルと少し違う」「職場の年齢構成が違い過ぎる」「協調性はどうか」「研究熱心か」「個人の教育観を強調し過ぎる」等々が「許容限界」を超えておれば辞めて貰ったほうが良いとの考えもある。
・ 例えば大阪府のように2000名を超える採用規模と違って精々年度10名程度で私学の中には1,2名と言ったところもある。本校は発展途上の学校で毎年毎年採用数は大きく、専任比率も小さいから「専任教諭になれるチャンス」は大きい筈である。
・ 私学が公立と異なる最大のポイントは「転勤」がないということである。このことは大きな意味があり。生涯にわたって「一つの職場」で勤務でき、生活設計は極めてやり易い。北の能勢の方から南の岬の方まで転勤で学校が変わることはない。
・ 又「腰を据えて」仕事が出来るから教職員間の関係も「ファミリー的」となり「やり易い」ことは事実である。しかしこういった私学の良さが「私学の欠点」となりうることも事実なのである。すなわち「利点は欠点に繋がる」ということである。「赤信号を皆で渡る」ということが起き易いのだ。
・ 学校の教員は恐らく知らないというか考えたことはないと思うが「転勤」というのは「人材育成の大きなキー」なのである。「職場が変わる」ということは「一からの出直し」である。基本的なことは変わらないが職場の風土、人間関係、顧客、上司などすべて変わる。それらに一つ一つ対応していくことは「その人間の幅を広げる」ことである。
・ 職人さんの世界、家業の世界では「その道一筋」であるが教員も含めて勤労者は転勤はあるのだが私学の教員はその転勤が無い。従って余程の自己管理が出来る人でなければ「嗚呼、これで良い。この学校は全て分かった」と錯覚して「進歩」がなくなるのである。私はこの点を恐れているのである。
・ 従って我々は人材採用には「時間と労力」をかけているのである。基本的には「ポテンシャルの高さ」を重要視している。見た目「良いか悪いか」などはいい加減なもので、印象から入るととんでもない失敗をする。
・ 大体「授業の技量」などは年月と共に伸長するもので、逆に言えば年月とともに伸長するだろうという「位置エネルギーの高さ」を探しているということである。このことを「ポテンシャル」という。
・ もう一つ私学の採用の難しさは「公立採用試験」との兼ね合いである。未だ「公立優位」的な風潮はあって10月終わりから11月にかけて各都道府県が最終の「教員採用試験の合格発表」を行う。
・ これより前から私学は採用活動に入る。すなわち端的に言えば「公立試験がある前に良い人材を確保する。そして公立試験を落ちた人から優秀な人を人を拾い出す」と言うことである。
・ 勿論「転勤のある公立は厭だ」「自分は私学で育ってきた」などと「私学教員専願希望者」は少なくないのだが、やはり「故郷の公立で頑張りたい」と思っている人は多いのである。
・ 前にも書いたが今年本校から3名の非常勤講師が公立の採用試験に合格して来年3月末で本校を離れることになる。本校で「生活の糧」をお渡しして非常勤講師として「受験勉強の時間」を取ってあげて、「教員経験を付与」させてあげて送り出すことになっているのである。
・ 「至れり尽くせり」であるが最後には「バイバイ」だから「切ないな」と私が言ってはならない。喜んで「良かったね。公立で頑張ってね」と言って送り出してあげるのである。公立サイドからはもっと喜んで貰い礼を言ってほしいくらいである。
・ そうかと思えば本校で3人の常勤講師の先生がそれぞれの生まれ故郷の公立試験を受けたが3人とも不合格となった。常勤と言うことで忙しく勉強をする暇が無かったのだろうか。これも私としては残念である。「複雑な気持ち」なのである。公立試験に受からない先生を本校は採用するのかってね・・。
・ そうかと思えば今年の例なのだが「昨年公立に合格して赴任」したのは良いが「あのような学校に何年も居ると思えば辛い」と「さっさと公立に見切り」をつけて本校の採用試験に合格された若い教員も居るのである。
・ そして私立の抱える最後の大きな問題は「来年度のクラス数」である。今の段階で来年の3月23日の「公立後期試験の合格発表」まで何名の生徒が来てくれるかさっぱり分からない中で先生を確保するのだから「大変なこと」は分かってくれるだろう。
・ 従って今の段階では「多めに採用」しておくのである。又私学の採用活動がこれから「本格的」に成ってくると「二股も三股」もかけて試験を渡り歩き、一番条件と自分にあったところに「最後の最後」で決める人がいるからいくらこちらが「合格通知」を出し仮契約を交わしても平気で断ってくるケースがあるのが又しんどいのだ。
・ 「母が倒れましたので採用をご辞退いたします」「父の転勤で他府県に転居しますので」とか言っているが「そうではあるまい」。本校との婚約解消なのである。
・ 私は副校長に言っているのである。「それで良い」。その人の人生であり、就職と言う最大の重要な事であり、文句をあれこれ言っても始まらないと。そういうわけで前述したように第3回目の募集に入ったのである。
・ しかしこれでは終わらないだろうと思う。年明け1月の終わり頃に第4回目の募集に入る可能性はまだある。変動要因がまだあるからである。しかし私は思うのである。今居る常勤講師の先生もまだ顔見ぬ新しい先生も「私学の良さ」を知らねばならない。
・ 特に本校は日本文化の原点である神社神道の精神を有する学校であり、大きな特徴を有し、家業としての「オーナー系学校」ではない。一族が支配する学校ではない。私は何時も専任教諭に言っている。この学校は「先生方の学校」であると。
・ これほど「働き甲斐」があって自由で何でもできる私立高校はそう多くは無いよって。自分で言うのもおかしいが理事長校長も大変優しい思いやりのある人間だと思って呉れたら嬉しいが、こればかりは自分で言っても意味はない。「サボリ人間には厳しい」が一般社会とはそういうもので、「学校だけが甘い」のではないか。職場はディズニーランドではないのだ。「プロの仕事場」である。

2009年12月5日土曜日

12月5日(土)高校2年保護者集会
















・ 今日は高校2年生の「保護者集会」であった。主たる目的は来年3月1日に出発する「国内修学旅行」のついての詳細説明会であった。今年の5月に本校としては初めてのオーストラリア「海外修学旅行」を計画していたが「新型インフルエンザ」のために中止のやむなきに至ったものを「国内旅行に変更」して新企画としたものである。
・ 合わせて丁度良い機会だから「家計急変世帯の臨時減免措置」と「高校就学支援推進校」の件についても詳細ご説明したのである。今朝の新聞に出ている。又昨日のブログにも詳細触れているがこういう機会を利用して「徹底する」ことが重要である。
・ 特に「お金がらみ」のものは保護者へ「徹底した説明責任」を果たしておくことが「私の信条」であり、本日も詳細な資料を出してご説明したのである。強調したことは「保護者と学校の距離を縮める」ことが必要で、現在考えている「新しいシステム化」についても少し触れたのである。
・ メインの修学旅行に関して言えば、前回海外を中止にした時の「学習効果」から「キャンセルした場合の対応や保険制度」について勉強したのでこれも合わせてご説明した。
・ 3月と言えばまだ肌寒く「新型インフルエンザ」に襲われて「想定外の事態」が起きるかも知れず、この事前説明である。又現地で怪我など起きた場合のこともしっかりと知っておかねばならない。
・ 結果分かったことは「出発前に旅行を中止した場合のキャンセル料を補填する保険はない」ということだった。出発後については「学校旅行総合保険の救援者費用」と「学校条項の学校緊急対応費用」は出るらしい等々である。
・ ただし旅行中に発病した病気が原因で旅行行程中に医師の治療を受けその後に予定していた旅行がまったく不可能になった場合に限るとか「条件が様々」にあって「素人には分かりにくいから今日は「旅行会社にも参加して貰った」のである。
・ 旅行先は3箇所で「北海道、東京、沖縄方面」である。北海道は「スキー・スノボー講習」が目玉で札幌や小樽観光も入っている。総勢250名を超える大舞台である。ホテルは「新富良野プリンス」だから一流である。
・ 東京はこれまた名所「目白押し」でお台場のフジテレビ、鳩バスの東京観光巡り、サンセットクルーズ、東京ディズニーランドに横浜観光まで「おまけ」についている。総勢208名とこれも人気である。ホテルは「ヒルトン東京ベイ」だからこれは都会的で「イカス」だろう。
・ 沖縄方面は「石垣島、西表島」と通常はいけないところで「秘境が堪能」できる。沖縄では「ひめゆりの塔」も行くが今問題となっている沖縄米軍基地「普天間」には行かない。総勢172名でホテルは通常の高校生用宿泊場所からワンランクアップした。しかし西表島の「ニラカナイ」とはどんなホテルだろうか。行ったことがないから分からない。
・ 旅行費用については旅行会社も相当頑張ってくれた。これで「保護者からのお預かり金」の中でキャンセル料、国内旅行費等を差っぴいても幾分か「お返しできる」見通しがたった。しかし3月のことだから、またまた新型インフルにやられて中止となった場合はしんどいことになるのでまだ先のことは分からない。 とにかく「保護者のお金は一円でも無駄には出来ない」。
・ 現実に今でも一クラス「学級閉鎖」となっており、それが集中した場合は今度は学年閉鎖とはしないがクラス閉鎖はありうる話でとにかく新型に罹るなら「今のうち」と冗談交じりに言っている人も居る。
・ それにしても本校の保護者はご熱心で今日も大勢の参加を頂いた。まず「体育館で全体会合」を行いその後三箇所に分散してそれぞれの旅行先単位で詳細旅程の説明となった。資料の準備や会場設営など「教員が総出で対応」してくれているから、スムースに行ったのである。
・ 質問などもなく「完全にご理解を頂いた」。本校の保護者は皆さん大変立派なお方ばかりだ。大変今日の会合は良かったと思う。それは保護者が「就学支援システム」について詳細理解されたからでお顔には満足なご様子を見て取れた。「12万円の助成でも24万円でも完全無償化」でも「保護者の家庭負担の軽減」になるのだから「機嫌よくなる」のは当たり前といえば当たり前であるが。
・ 神様にお願いして何とかこの「高校2年生の修学旅行を成功させてやりたい」と思う。しかし今回修学旅行で「学校保険」のことを勉強したが難しいし素人には分かりにくいが、それでは世の中は通らないからやはりしっかりと「事務の中にプロを育てなければならない」と思ったのである。
・ 昨日は「私立高校生就学支援推進校」の名乗りを上げたり、今日は保護者集会と色々と気を使う仕事がある。ここに書けないものもあって年末と言うのに加速状態みたいで何かと気忙しい。
・ 明日は明日で仕事があり、これで3週連続日曜日も仕事である。年賀状など書く暇もない。来週は最後の「高校入試説明会」や「12月理事会」の準備の仕事もある。特に理事会は「学則変更」提案があり用意万端整えなければならない。
・ 又来週の月曜日は実質的な今年最後の「職員会議」があり、極めて重要な「人事制度上の改定の事前アナウンス」を予定している。これはどうしても「今年度中」にしておかねばならないものである。
・ 徐々に年末を迎えて気ぜわしくなってきた。「緊張感」も徐々に高まってきている。しかしここで落ちついて対応しなければならない。とにかく「有終の美」を飾りたいから頑張っているのである。
・ しかし本当に「来年度入学生は何名となるのであろうか」。ここが問題である。しかしじたばたしても仕方がない。教職員皆がそれぞれの持ち場で頑張ってくれているのだ。結果は自ずと付いてくるだろう。そう思って「今を全力」でやるしかないのだ。

2009年12月4日金曜日

12月4日(金)事業仕分けならぬ授業料仕分け







・ 「事業仕分け」と言う言葉が今年の「流行語大賞」に選ばれたというが、あれは観ていて「スカッ」とするものであった。自民党や評論家と称する人たちは「パーフォーマンス」とか色々と批判しているが最初から100点はない。
・ 少なくとも「我々の税金」がどのように予算化されているのか概要と言うか匂いと言うか雰囲気と言うか、それだけでも分かっただけでも大進歩である。国民は今までどのように税金が使われ、予算化されてきたか知らされていなかったからである。
・ 蓮舫議員など格好良かったとネットでは大評判である。美人で、とにかくあの人は「頭がいかにも良さそう」である。切り口と口調が「必殺仕切り人」としては最適であった。次の選挙も絶対大丈夫だろう。

・ 「公立高校の授業料無償化の政府方針」にのっとり今大阪府の私学・大学課は「大変な作業」をされているのだろうと思う。巨大な府教委の組織に比べて組織としては小さいがやっておられる仕事は大変重要なものである。
・ しかし非常によくやっておられると思う。本校は小さな一私学の分際であるが本当に私学課が進めてくれている「公私間格差の解消努力」に感謝、感謝である。頭の下がる思いである。
・ 大体この部署は「行政の本格的キャリアパス」の場所で歴代財政課長と私学課長は府の特別職に上がっていく大阪府長最高幹部養成機関だと思う。歴代の副知事の多くは大体このポジションを経験されているのではないか。
・ この私学課が民主党政権「事業仕分けチーム」のように今後「授業料仕分け作業」を行い「徹底して」調査査定していくのだろう。来年度は各校に「私学課の巡検というか監査」が綿密に行われると思う。

・ 本校は昨日私学課の指導を受けて「私立高校生就学支援推進校(仮称)の指定」を受けるべく昨日来作業を進め「意向調査票」を府に送付した。現在の経済状態の厳しさを受けて年収が350万円以下(ただし詳細は未定であるが)の世帯について「基準授業料以上の差額を本校が負担」するというものだ。
・ この学校法人の負担も「給付型奨学金」として「後で返してね」と言うものは駄目である。言い換えれば「(学)大阪國學院特別奨学金制度」を創設することである。そうすれば「国と府と本校の3者のコンソーシャム」で実質無償化がなされるという考え方なのである。
・ 現在の大阪府内の「私立高校の授業料等の中間値(全平均値ではない)は55万円」と大阪府は提示した。この55万円の根拠などもうどうでも良い。行政が定めた数値である。
・ 55万円以上のところは「国の24万円に加えて府が31万円」に「差額分」を負担し家庭経済困窮の世帯で私立高校に通う生徒の授業料等を実質無償化するというシステムである。
・ 従ってここでポイントなるのが「授業料等の仕分け」なのである。ここで大切なことは「授業料」と「授業料等」とは異なるもので、どうも私の考え方が少し異なっていたみたいだ。上記の就学支援推進校の指定は「授業料等」であり、個別の「等」について「申請前に私学課に相談」に行ってご指導を受けたのである。事務長を行かせて良かったと思っている。
・ すなわち「授業料の定義」がポイントなのである。基本的には保護者負担を軽減するという観点から出発しているから、原則として当該私立高校に在籍することによって保護者が学校法人に対して負担する全ての「納付金」をいうが必ずしもそれが全てではないから今回「仕分けの意味」があるのである。
・ 実は学校単位で「授業料等の中身」は違っており、本校でも従来から「空調使用量」として「年額5400円」頂いていたが私学課の判断はこれは授業料等に入ると判断している。空調費が授業料かという疑問は当然ある。これは電力会社に支払うコストであると考えていたのだ。
・ 又「部活動支援や激励金報奨金」や「学習合宿のための担当教員の手当て教材費」などについても授業料等に入ると判断された。これらの名目は「教育活動特別充実費」として9月の理事会で決まったものである。
・ 本校では全員ではなくて「支援していただけるご家庭のみ」としているが多くの学校は「施設整備費」と言う名目で全ての生徒から徴収しているがこれは授業料等に入る定義である。本校の場合は強制ではないから「等」に入らないのである。
・ すなわち原則「全ての生徒から一律に徴収し、精算行為が行われていないもの」は授業料等だと定義されることが今回明確になった。従ってこの考え方からすれば、「学年費や修学旅行積立金、PTA会費などは授業料等には入らない」のである。
・ 重要なことは理事会手続きを経て「学則」に明確に記載することであり、「コンプライアンス精神」の徹底が求められているのである。まさしく「授業料等の仕分け」に他ならない。
・ 見た目、授業料等の等の一部を隠しておいて推進校の指定を受け府の助成金を受けるとそれは「詐欺行為」となる。又同じように年収が350万円以下ということを正しく説明しなければこれまた「公金横領」となりかねない。
・ 事業仕分けと同じで「透明性を高める」ことが重要である。又本校では従来から「募集要項」などにも正確に記載してきたが今後は大きな公費が私学に助成されることになるからくれぐれも「ミス」のないように進めることが求められている。又「制服代」なども正確に記載していかねばならない。

・ 結局11月30日に「中髙連発表のデータ」の本校の授業料等は今回訂正しなければならない。すなわち「本校の授業料等の数値は591400円」でこれに入学金200000円であるから合計791400円である。前回発表から11400円高い数値となっている。
・ この数値は「全私学95校の全平均値が784000円であるから7400円だけ高い」ことになる。順位など関係ないがあえて言えば「全95校で本校は39位」である。しかし差異の金額はこの中間付近になると数千円の単位でしかない。
・ 本校の教育内容からすれば私は「良い位置」(?)であると思っている。しかし本校は79万円だから85万円とか90万円の授業料等の学校が「うらやましい気」もする。それだけ頂ければ随分と楽になる。「そういう学校に早くなりたい」ものだ。
・ 夕方5時に第一回目の推進校に名乗りを上げた学校が「私学課のホームページ」にアップされた。全96校のうち本校を含めて72校の名前が出ている。後2回ほど意向調査があるはずだから残りの学校はどうするのだろう。
・ 「府の助成など不要!」といって推進校に名乗りをあげない学校などあるのだろうか。大変興味がある。助成を受けるなら「早くしろって!」言いたいところだ。そのほうが美しい。

2009年12月3日木曜日

12月3日(木)またまた国旗騒動







・ 確か11月の終わり頃に大阪日日が最初に報じたと思うが、その後11月26日に朝日新聞が大きく報じ昨日は産経と読売が報じている。内容は府議会に「国旗掲揚条例案」を提示したというものである。
・ この条例案は府議会最大会派の自民党が目指しているもので、我々からすれば「ごくごく当たり前」のことだと思っているが例に拠って教職員団体は反対の意向だから「法律で縛り」を考えたということだろう。
・ 現在の自民党府議団の幹事長は私も大変お世話になり良く存じ上げている立派な先生だが、この問題に関しては前から「感度が高い先生」なので、最初この話が出てきた時は「ハ、ハー、先生やってるな」と思ったものだった。
・ 当然朝日の論調は批判的で「何故 今なの?」と書いており、ある府立高校の社会科の教師のコメントとして「強制されることが問題」「国旗を掲揚すれば愛国心が養えると考えるのは短絡的」との記事にし、府髙教組合の書記長談話として「外国にルーツを持つ生徒もいる。内心の自由に踏み込むべきではない」と批判している。
・ 全く「紋きり型」で何時もの反論の調子で全く進歩が無い人たちだ。誰も国旗を掲揚したら国を愛する心が養えると思ってはいないし、内心の自由を侵すものではない。もっと「気楽に考えたら」どうかと思う。現実に我々が住み生活している国は日本であり、国民の税金で運営されている学校だからそれなりの「敬意」を表したらどうかと言うことである。
・ 日本人がアメリカに行き戦争に敗れた国だからと言って「星条旗を無視」したらどうなる。とにかく日の丸は「子どもを戦場にやる」為のシンボルではない。大地に脚を立てている「国の身分証明書」みたいなものであると考えたらどうだろう。国連本部には世界の全ての国の国旗がひらめいているのだ。
・ 本校でもそうだが京都や広島の公立高校では常に国旗が掲揚されているし、「どの国でも国旗は正常に掲げられ国民が敬意を表している。当たり前だ」との自民党の言い分は分かる。橋下知事も単純明快にこの問題に以下のように答えている。
・ 「施設や学校の管理者がやるだけの話。生徒に日の丸を持って来いというわけじゃない。国旗である以上根拠があれば掲げるのは何も問題は無い」と言っている。これを受けての「条例案」である。
・ しかし各会派の対応はばらばらで自民の中にも「非常にナーバスな問題」とか、民主党は「時間をかけて議論すべき」とか、公明党は「条例で定めるのはやりすぎ」とか共産党は当然「極めて唐突な話で反対」と、この提案はまず「廃案」となる運命は目に見えている。
・ 記事には自民党執行部は昨日の2日に各会派に条例案を提示したが15日の府議会最終日までに「採決に至るかどうか微妙」と書いているが私に言わせれば「絶望」であり、まず駄目なことは分かっている。
・ まあ自民党も政権を取って代わられ野党に転じ、「民主党との対立軸」を明確にしたいという思いから「フラッグ」を立てたいということで、まず今回は「ジャブを放った」ということではないか。
・ しかし「悲しい話」だ。明日の日本を切り開いていく子供たちのために大きな国費や地方税が投入されている「公立学校で学校に国旗を掲揚するという行為」がこれほどまで「軽く扱われている現実」に驚くのである。
・ 橋下知事は「施設や学校の管理者がやれば良いだけの話」と言ったとあるがまさにその通りで「校長がやれば済む話」で私に言わせれば、「それが出来ない校長とその学校風土が問題」なのであって、今の校務運営の責任者は校長とする学校教育法28条の法の精神からすれば「何時でも出来る話」なのである。別に難しい話ではない。

・ そうこうしていたら面白い記事が出ていた。私は11月18日のブログで「学校の先生が国を滅ぼす」という最近発刊された書物について論じたが、大阪府教委は全校長宛に「国旗国歌の現状を問うメール」を11月25日に出したと産経が報じている。
・ 私はこの記事を読んで「失笑」した。どうもこの本を読んだ読者から府教委に問い合わせが多く寄せられていたから「現在はそのようなことは無い」との証明書つくりに再調査しようとしているものだろう。
・ しかしこの答えは見えている。「調査をしたがそのような学校は既に無い。遠い昔の話である。」くらいが答えとして出てくるのではないか。この本に書かれているのは平成10年から13年くらいの間の出来事で学校現場はこの問題で「最も荒れていた時期」である。
・ あれ以来「府教委は指導も強化」し今は落ち着いているのだと思う。しかし問題は「そのあり方」だろう。前のブログにも書いたが「壇上正面の掲揚と舞台上三脚の格納とは根本的に異なる」。大切なことは国旗に対する「敬意の姿勢」ではないか。
・ 「教育委員会がうるさいから国旗は三脚に入れて壇上に置くが、生徒の皆さん、あの旗のために多くの人が戦争で死んで行ったのよ」などと生徒に教えたら「お仕舞い」であり、私はそのことを心配しているのである。
・ 加えて私は高等学校よりも義務教育の学校を心配している。発達途上の子供たちに国旗や君が代を教えていかないと高校に来て「急に教えても遅い」のである。今や大阪の義務教育において少なくとも卒業式の国旗掲揚と国歌の斉唱がどうなっているのか実態を知りたいと思う。
・ 学習指導要領にあるかないかの話では無かろう。高校ばかりが議論になっているが公立小中学校における指導も極めて大切である。

・ ある教員が朝私の部屋に来て「先生、ブログの本を入手しました。アマゾンだったらすぐ入手出来ました」と言ってきた。そして「すさまじいですね。公立の高校は。」というので私は言ってやったのだ。
・ 「浪速は少なくともこの点の問題だけ無かったので本当に嬉しかったし助かった」と。この先生は最近では私の信頼が厚い先生で大変良くやってくれており、かっては組合の分会長までやった人がこのような本を読むことが「浪速の時代の変わり目」を感じるのである。

2009年12月2日水曜日

12月2日(水)授業評価と授業参観







・ 「授業見学」というのか「授業公開」というのか「授業視察」というのか言い方は色々あるが「授業参観」がどうも良さそうである。参加して観察するのだ。要は自分の授業を他の教員に観てもらって「意見を聞く」ということが大切である。
・ 「唯我独尊」を避けるためである。毎日同じ事をやっていると「人間の悲しさ、弱さ」で「自分の授業が一番良い」と思うような「自惚れ」はいないと思うが「これでよい、仕方ない」と思うようになるのは「人間の常」である。
・ 自惚れ人間はいないと書いたが、「教師と言う職業」を選択した教師といわれる人間の特徴は「プライドが高い」とは世の一般的な見方である。プライドは悪いことではないが自信過剰は困る。大学卒業後すぐ「先生、先生」と呼ばれ生涯先生と呼ばれる人たちである。
・ 社会はいまだ「学校の先生」に対して「尊敬のまなざし」を失ってはいない。これは「世界共通の概念」だと思う。厳しいことを言っているが私もその例外ではない。それくらい「学校の先生の社会的地位はまだ高い」のである。
・ 従って相対的に「教師の処遇」は一般の勤労者に比べて高い。そして声高に「もっと下げろ」と言う声もまだ少ない。私は「教師の処遇に手を付けるのは最後の最後だろう」と思う。それは社会全体が「教育の重要性」を深く認識しているからだ。
・ 時々飲酒運転、わいせつ行為とか万引きとか「教員の不祥事」が新聞などで大きく報道されるがこれらは確かに比率としては伸びてはいるが全体から見ればごくごく少ない数値で圧倒的に多い先生方は「一生懸命」頑張っている「真面目な先生」である。
・ ただこの「一生懸命」が時に「魔物」で、自分はこれほど一生懸命頑張っているのだから「問題は無いと錯覚」することである。従ってこの錯覚を是正する「強制的手段」を持たねばならない。
・ 「自発的に気づく」などはこれこそ「言うは易く行うは難し」である。強制的啓発は外部の力を借りて「謙虚に自らを振り返る」ことである。強制的啓発の手段にまず「生徒からの授業評価」がある。
・ 肝心の生徒は「自分の授業をどのように観てくれているのだろう」と思うのは教師として「素朴なそれでいて原点の気持ち」であろう。このように思わない先生は先生とは呼べない。当たり前だ。生産者が消費者の声を聞くのと同じことである。
・ 本校は昨年から「生徒の授業評価」を始めた。今年も既に行った。現在詳細分析を教務指導教諭の手で成されている。これらはネットで一部を公開する積もりである。勿論保護者にはもう少し詳しいものをお伝えする。「授業料に含まれている我々の責務」だと私は考えているのだ。
・ もう一つはベテラン教諭による「授業参観」である。先には国語科の常勤講師の先生方の授業観察をして貰った。このことは既にブログに書いている。今回「英語と数学について実施」した。
・ その結果が上がってきた。今朝詳細報告を受けたのである。大変興味深いレポートであった。二つの意味があるのだ。当然若いそれも20歳台の先生であり、経験不足はゆがめない。それを「ベテランがどのように観察するか」ということに私は大変興味があった。
・ 次に観察するベテラン教諭が「どのような視点」で若い先生方の授業を評価しているかと言うことも大変関心があった。ベテランと言われる教諭が「今日的若い先生の授業」を観て「内心」がどのようなものになるかと言うことである。
・ ベテランはベテランの「味わい」がある。当然授業は目の前の生徒を見ながら「変幻自在」に進めていく技量は有しているはずであって、それが無ければベテランの意味はない。単なる「おっさん教員」でしかない。
・ 又ベテランになると技量はあるが、徐々に技量を見せる場面に疎くなると言うかその緊迫感から離れていくような気がしてならない面も私は感じるのである。「気力」がなえてくることもあろうし、「マンネリ」に陥ることもあろう。
・ 私は大きな理由として「教えると言う行為以外への関心」が加齢と共に大きくなってくるからだと思っている。「家庭での問題、家族の問題、自分の趣味の問題、政治信条の問題、組合活動、部活動への傾斜」などなど教員を取り巻く「誘惑の環境」は年とともに大きくなってくる。
・ 政治信条や組合活動はあって当然であるが、こればかりに気を取られていたら「技量を上げる時間が取られる」のは当然である。だって人間は誰でも24時間しか持ち時間はないからだ。
・ 私が心配しているのは「クラブ活動」である。正直驚いている。「なんで学校の先生はクラブ活動にあそこまでのめり込むのか」という疑問である。公立4年間、私立3年間校長をやってきたがこの思いは消えることはない。
・ 体育科の先生がご自分のご専門の競技を部活動を通じて指導するのは「至極ごもっとも」なのであるが、国語や数学や英語の先生が部活に走り回っている姿を見ると「微妙な複雑な感じ」になる。「貴方は英語の先生で採用したのであって相撲部の指導で採用したのではない」と言いたい時もあるのである。
・ だからこの学校に来て以来私は「授業第一」と言い続けてきた。授業、講習、補講を後回しにして部活動を優先させる行動は「決して許さない」と。保護者から頂いている「授業料は授業の対価」であって部活動指導の対価ではないと頭を整理しているからだ。
・ 話を戻そう。ベテランの教諭による「授業参観の講評」は私と副校長が大体想像していたイメージと一致していたが、英語科では我々の一押し講師が実は別の講師であったりとこのベテラン教諭は講評するなど私には大変参考になったりした。
・ 外部からの刺激として「生徒による授業評価」「ベテラン教諭の授業参観と講評」は積極的に捉えなければならない。そして次は「研究授業と公開授業」だろう。これについては「今後どうするか今検討中」である。
・ 「授業の質を高める」、学校の形が出来た今、最も我々が注力しなければならないことである。このことは間違いなく「多聞尚学館」での指導内容へと繋がる話である。本校の戦術は「授業と多聞での特別講習の組み合わせ」しかない。ここを完成させていきたい。
・ 浪速に入れば「偏差値を10は上げてくれる」ということを我々の約束としなければならない。「学校は授業」である。この授業がしっかりしていないと幾ら放課後講習や週末スペシャルを行っても効果は無かろう。
・ 教師一人ひとりが自分の「授業の質」を上げるように「謙虚」に取り組んで欲しいのだ。部活動だけでは私立高校は生きてはいけない。桐蔭、清風、桃山などを見よ。進学も部活も両翼を張って幅が広い。負けてはならない。我々にも出来る筈である。

2009年12月1日火曜日

12月1日(火)12月1日師走入り







・ 早いものでもう12月である。私の感想は「信じられないくらいの速さ」と言って良い。「アッ」と言う間だった。浪速に来ることが決まったのが平成18年12月だったから「丸々3年」が過ぎようとしている。まさに「邯鄲の夢」と言うべしか。
・ 今日は月度最初の日と言うことで「一斉参拝」の日である。新型インフルも今は落ち着いていて、今日は正規の中庭で全校生徒を集めて行った。重要な学校行事であり、進行は「神道科」が勤める。
・ 私は主任教諭に「神道に関する話」を生徒にするように念を押し、私は「校長講話」として色々なことをしゃべったが特に「薬物に手を出してはならない」を強調して話した。

・ 今日は府会、市会の議員が本校と多聞尚学館をご視察に見えられた。実は前から一度お願いしていたのであるが丁度3人の先生のタイミングが揃ったのが今日と言うわけである。
・ 府会の「中野まさし先生、市会の髙野伸男先生、多賀谷正俊先生」は地元住吉区選出や住吉大社の関係で常日頃から大変お世話になっている議員である。現在詳細設計中の「新武道館」ではご指導を頂いたり又先の空手道全国優勝の祝賀会にもご出席頂いた。
・ まず校内をご視察頂いた後、ミニバスで千早赤阪村に出向き紅葉の金剛山山麓にある我々自慢の「多聞尚学館」に赴いて頂いた。地元のためにお役に立つのなら「何時でもお使いください」と言うことである。3人の先生方は「素晴らしい施設」と大変喜んで頂いたのである。

・ この5日(土)に「高校2年生の保護者集会」を計画しており、その資料準備が忙しくなってくる。目的は来年3月に計画している「修学旅行」の詳細説明である。今年5月が新型インフルで中止になったものの再挑戦だから「準備万端」を整えなければならない。
・ 私はこのタイミングで「授業料の臨時減免措置」「来年度以降の高校授業料助成措置」「大阪府全私立高校の授業料一覧」などの資料を提示して保護者への「説明責任」を果たそうとしている。本校は熱心な保護者が多いから参加者も随分多いと聞いている。

・ ところで昨日の朝刊各紙においては「表現の自由」に関するものとして重要な最高裁判決が出たことを解説付きで記事にしていた。その判決に対して朝日新聞の論調は際立っていて「批判的論調」となっている。
・ 「共産党の政党ビラ」を配布するために東京葛飾のマンションに立ち入り「住居侵入罪」に問われた被告の上告審判決が最高裁であった。判決は「表現の自由の行使のためとは言っても管理組合の意思に反して立ち入ることは管理権を侵害する」というもので罰金5万円を言い渡したという。「刑事罰」が下されたのだ。この意味は大きい。
・ 「至極当たり前の判決」だと思うがこの東京のお坊さんは判決に「言論弾圧」と怒りのこぶしを上げているという。しかし「マンションの入り口にちらし、パンフレット等広告の類は固く禁じます」との張り紙をしており、マンションはすべて「私有地」である。
・ その中に入り込んであまつさえ三階から七階までの廊下に立ち入って個別の部屋に政党ビラを投げ込んだことは「管理組合の意思に反するものだったことは明らか」で「法的侵害の程度が極めて軽微とは言えない」と最高裁は判断したのである。
・ 加えて「表現の自由を制限するかどうかに」についても判断を示しており、それによれば「表現の自由が無制限に保障されるものではなくて公共の福祉の為には必要かつ合理的な制限を受ける」と憲法に反しないとの判断である。
・ しかしだ。考えても見よ。「他人の敷地に勝手に入って個別の部屋のポストに政党ビラを配る行為が何処に表現の自由と関係あるのか」。下手をしたらアメリカあたりでは「正当防衛」で射殺されかねない危険な行為である。
・ 他紙の記事では「政党ビラを貰った家庭の心情を考えれば云々」とあったがその通りで「読みたくも無いビラを土足で踏み込んで渡された」感じだったろうと思う。「配布物」をめぐる最近の判決は2004年の立川市の防衛庁官舎での反戦ビラ訴訟、2006年の社会保険庁職員による共産党機関紙配布訴訟、2007年の葛飾政党ビラ配布訴訟事件など「有罪判決」が固定化しつつある。
・ 誰だって「私生活の平穏を侵害されたくはない」筈であり、「外部者には許可無くマンション内には立ち入って欲しくない」という住民感情を尊重したいと言う社会全体の意識の高まりもある。
・ 東京最高裁の4人の裁判官全員が一致した意見であったという。この住職は住民に通報されて「逮捕」され23日間の「身柄拘束」の後に「起訴」されたとあるが、このことに対しても朝日は「やりすぎ」との論調であるが「犯罪」と認識した上での法に照らし合わせた判決であり、それをとやかく言っても仕方が無かろう。
・ 私のマンションでも本当にいかがわしいビラから不動産広告まで「山のようなチラシやビラ」が毎日くる。それらの中から本当の手紙を探す作業だけでも大変である。一方的なビラ配りなどは望まない者にとっては本当に迷惑千万な話である。
・ さすがに学校の内部に入ってきてビラを配る人は居ないが、勤務時間中のビラ配りはそれが「組合機関紙」であろうと決して許されない。又組合機関紙を職員会議に配布するのは許されていない。それは職員会議は校長の職務推進の補助機関だから政党や組合機関紙のビラなど関連性が全く無いからである。
・ 「堅苦しい世の中になった」と嘆いても仕方がない。社会のマナーは世につれて変化していくものである。「隣近所丸見え」という時代は去って「核家族」が小さくまとまって「他人に迷惑を掛けず、他人から迷惑も受けたくない」という時代なのである。段々と「大目に見る」良き時代は過ぎ去っていく。これも時代の流れで仕方がなかろう。