・ 昨日から学校は「期末試験」に入った。放課後は生徒も帰り「校内は静か」である。こういう「雰囲気」は悪くない。幾分だが校内は「緊張感」が漂っておりやはり「教師と言う生態」の良い面だろうと思う。
・ 生態とは以下のようなものだ。すなわち「自分の作った試験問題」をどのように生徒がチャレンジしてどれだけ「点を取ってくれるか」「どれだけ自分の授業を理解しているか」確認できる、まさに「教師冥利」に尽きる瞬間だと思うだろうから試験期間は一種独特の雰囲気が漂うのである。
・ 生徒とは生徒で日頃勉強していないが試験ともなると「落第」しないように幾分かは自宅で本を開くのである。だから何時もはうるさい業間も静かだ。次の問題の教科書など開いて最後のチェックしているのである。
・ 又教員にとって試験期間は言ってみれば午後から授業がないから、「ほっと」一息できる時でもある。従って時間有休を取る教員も比較的多い。まあ「けじめ」さえあれば試験期間はそれでも構わないかと思っている。
・ 昔は試験期間中はどちらかというと「休みみたいな」感じであったというが「トンでもない話」である。「採点には慎重の上にも慎重さ」が求められる。採点ミスや集計ミスなどは「教師として失格」である。公立高校では懲戒ものである。
・ ところで昨日のブログで私は「教員採用募集」のことについて書いた。相当突っ込んで書いたつもりである。私には「来年度の専任教諭の採用という大仕事」が待っている。年が明けたら本格的に検討に入らねばならない。
・ 「常勤講師と非常勤講師の採用権限は副校長に権限委譲」している。だからこの3年間これについては「一切ないも言わない」できた。信頼している筆頭副校長だから、まったく異議はない。実際質的に相当高いレベルの講師を採用してくれていると思う。
・ しかし専任に採用するかどうかは「経営者の仕事」で単なる管理職の仕事ではない。勿論管理職の「意見具申」はあるが最後は「学校法人の重要な業務」なのである。ここが分かっていない常勤講師がいるそうだ。「自分は副校長の評価が高いから専任になれる」と言ってはばからない人間がいると聞いた。完全な「錯覚」である。
・ 1年契約の講師の先生と65歳まで雇用継続する専任教諭とは根本的にレベルが異なる。「ウーン」とうなるようなレベルの常勤講師の先生も「1年経てば」契約完了となるのであって、それほど理事長が「やきもき」する話ではない。
・ 1年や2年、問題と感じられる常勤講師の先生でも「学校に大きな影響を与える」ような問題ある先生はいない。だからそれほど「神経質」になる必要はないのだ。しかし専任教諭となればそうは行かない。
・ 「運命共同体」であり同じ船に乗る仲間である。重要な継続的な仕事を任せることになる。「いい加減」では船が沈まないとしても「船長」としては困るのである。「余分な神経」を使いたくないのだ。
・ 専任教諭の中で私が余計な神経を使う人はまだいる。だいぶ少なくなったがまだ正直いるのである。私は浪速の将来のために「ポテンシャルの高い人を専任教諭」として迎えたい。「安心して任せられる人」を私の目で、私の責任で採用しなければならないのである。
・ 午後、少し時間があったので「常勤講師の先生と面談」を行った。専任教諭とは日常茶飯事でやっていることである。6名だったか。「満を持して」面談というほど力の入ったものではない。今後定期的に面談するのかと聞かれても「はい」とは答えられない。
・ 正直今までは専任教諭への対応に時間と神経が取られて常勤講師にまで時間と言うか「気が回らなかった」と言うことである。それくらい専任教諭に対応しなければならないことが多かったのである。従って常勤講師の先生は副校長で良かったのである。
・ 今ようやく余裕が出来たからというのと「常勤講師の先生が複数年の勤務」になってきたからである。2年前から大量の常勤講師の先生が本校に登場した。「早期退職優遇制度」でお辞めになった専任教諭の補充と生徒数の急激な増加で「ばたばた」と大量に採用してきたのである。
・ そういう背景から22年度には2年目や3年目の先生が相対的に多くなってきたからである。私立高校は大体3年を目途に「専任か雇い止めか」という不文律みたいなものがあって4年目に常勤講師の身分で入ることは少ないのである。
・ すなわち3年を目途に判断しなければならないのである。こうすることは先生方のためにも成る事である。専任になれる可能性もないのに4年以上採用継続することは「労働基準法精神」からも褒められたことではないのである。
・ 「勘の良い先生」となると「ああ、この学校ではどうも私は専任になれそうもない。だったら1年で辞め、他の学校に移る」と言って辞めて行った40台初めの先生が昨年は居た。自信がお有りなのだと思った。
・ 「面談」は大変興味深いものがあった。最初の私の質問は「昨日のブログ第3回目の教員採用」についてどう思うかという質問から入って行った。「ブログの読みきり」については厳しくわざと聞いてみた。全員読まれていたがもし読まれていなかったらこの質問はさぞ困ったことだったろう。
・ 2行おきに斜め読みしている人としっかりと「このブログは自分に言っていることだ」と受け止めて呼んでいる常勤講師と様々であった。「貴方の長所と欠点を上げてみてください」とも聞いた。「仕事が楽しいですか」とも聞いた。
・ 家族構成や日常生活パターンなどについても差し支えない範囲で聞いてみた。「職歴」についても分かってはいたがご本人のお言葉で聞いてみた。短い時間ではあるが63年も生きてきて企業経験もある。大体想像していたとおりの「お人柄」であった。
・ この「人柄」というのが重要なのである。「人柄が良い」というのが教師だろうと教師でなかろうと大切な人間のファクターなのである。「人間としての品格」といって良い。私はこのことを重要視する。「人間の香り」といっても良い。
・ そのうちに私が求めるというか考えている「素晴らしい教師」とはどういう教師かということについて言及してみたい。これは「木村流の素晴らしい教師像」であって自然科学,人文科学や教育評論家という人が定義する素晴らしい教師像ではない。私が自ら定義した「私が求める人物像を追い求めるだけ」である。
・ 生態とは以下のようなものだ。すなわち「自分の作った試験問題」をどのように生徒がチャレンジしてどれだけ「点を取ってくれるか」「どれだけ自分の授業を理解しているか」確認できる、まさに「教師冥利」に尽きる瞬間だと思うだろうから試験期間は一種独特の雰囲気が漂うのである。
・ 生徒とは生徒で日頃勉強していないが試験ともなると「落第」しないように幾分かは自宅で本を開くのである。だから何時もはうるさい業間も静かだ。次の問題の教科書など開いて最後のチェックしているのである。
・ 又教員にとって試験期間は言ってみれば午後から授業がないから、「ほっと」一息できる時でもある。従って時間有休を取る教員も比較的多い。まあ「けじめ」さえあれば試験期間はそれでも構わないかと思っている。
・ 昔は試験期間中はどちらかというと「休みみたいな」感じであったというが「トンでもない話」である。「採点には慎重の上にも慎重さ」が求められる。採点ミスや集計ミスなどは「教師として失格」である。公立高校では懲戒ものである。
・ ところで昨日のブログで私は「教員採用募集」のことについて書いた。相当突っ込んで書いたつもりである。私には「来年度の専任教諭の採用という大仕事」が待っている。年が明けたら本格的に検討に入らねばならない。
・ 「常勤講師と非常勤講師の採用権限は副校長に権限委譲」している。だからこの3年間これについては「一切ないも言わない」できた。信頼している筆頭副校長だから、まったく異議はない。実際質的に相当高いレベルの講師を採用してくれていると思う。
・ しかし専任に採用するかどうかは「経営者の仕事」で単なる管理職の仕事ではない。勿論管理職の「意見具申」はあるが最後は「学校法人の重要な業務」なのである。ここが分かっていない常勤講師がいるそうだ。「自分は副校長の評価が高いから専任になれる」と言ってはばからない人間がいると聞いた。完全な「錯覚」である。
・ 1年契約の講師の先生と65歳まで雇用継続する専任教諭とは根本的にレベルが異なる。「ウーン」とうなるようなレベルの常勤講師の先生も「1年経てば」契約完了となるのであって、それほど理事長が「やきもき」する話ではない。
・ 1年や2年、問題と感じられる常勤講師の先生でも「学校に大きな影響を与える」ような問題ある先生はいない。だからそれほど「神経質」になる必要はないのだ。しかし専任教諭となればそうは行かない。
・ 「運命共同体」であり同じ船に乗る仲間である。重要な継続的な仕事を任せることになる。「いい加減」では船が沈まないとしても「船長」としては困るのである。「余分な神経」を使いたくないのだ。
・ 専任教諭の中で私が余計な神経を使う人はまだいる。だいぶ少なくなったがまだ正直いるのである。私は浪速の将来のために「ポテンシャルの高い人を専任教諭」として迎えたい。「安心して任せられる人」を私の目で、私の責任で採用しなければならないのである。
・ 午後、少し時間があったので「常勤講師の先生と面談」を行った。専任教諭とは日常茶飯事でやっていることである。6名だったか。「満を持して」面談というほど力の入ったものではない。今後定期的に面談するのかと聞かれても「はい」とは答えられない。
・ 正直今までは専任教諭への対応に時間と神経が取られて常勤講師にまで時間と言うか「気が回らなかった」と言うことである。それくらい専任教諭に対応しなければならないことが多かったのである。従って常勤講師の先生は副校長で良かったのである。
・ 今ようやく余裕が出来たからというのと「常勤講師の先生が複数年の勤務」になってきたからである。2年前から大量の常勤講師の先生が本校に登場した。「早期退職優遇制度」でお辞めになった専任教諭の補充と生徒数の急激な増加で「ばたばた」と大量に採用してきたのである。
・ そういう背景から22年度には2年目や3年目の先生が相対的に多くなってきたからである。私立高校は大体3年を目途に「専任か雇い止めか」という不文律みたいなものがあって4年目に常勤講師の身分で入ることは少ないのである。
・ すなわち3年を目途に判断しなければならないのである。こうすることは先生方のためにも成る事である。専任になれる可能性もないのに4年以上採用継続することは「労働基準法精神」からも褒められたことではないのである。
・ 「勘の良い先生」となると「ああ、この学校ではどうも私は専任になれそうもない。だったら1年で辞め、他の学校に移る」と言って辞めて行った40台初めの先生が昨年は居た。自信がお有りなのだと思った。
・ 「面談」は大変興味深いものがあった。最初の私の質問は「昨日のブログ第3回目の教員採用」についてどう思うかという質問から入って行った。「ブログの読みきり」については厳しくわざと聞いてみた。全員読まれていたがもし読まれていなかったらこの質問はさぞ困ったことだったろう。
・ 2行おきに斜め読みしている人としっかりと「このブログは自分に言っていることだ」と受け止めて呼んでいる常勤講師と様々であった。「貴方の長所と欠点を上げてみてください」とも聞いた。「仕事が楽しいですか」とも聞いた。
・ 家族構成や日常生活パターンなどについても差し支えない範囲で聞いてみた。「職歴」についても分かってはいたがご本人のお言葉で聞いてみた。短い時間ではあるが63年も生きてきて企業経験もある。大体想像していたとおりの「お人柄」であった。
・ この「人柄」というのが重要なのである。「人柄が良い」というのが教師だろうと教師でなかろうと大切な人間のファクターなのである。「人間としての品格」といって良い。私はこのことを重要視する。「人間の香り」といっても良い。
・ そのうちに私が求めるというか考えている「素晴らしい教師」とはどういう教師かということについて言及してみたい。これは「木村流の素晴らしい教師像」であって自然科学,人文科学や教育評論家という人が定義する素晴らしい教師像ではない。私が自ら定義した「私が求める人物像を追い求めるだけ」である。