2009年12月3日木曜日

12月3日(木)またまた国旗騒動







・ 確か11月の終わり頃に大阪日日が最初に報じたと思うが、その後11月26日に朝日新聞が大きく報じ昨日は産経と読売が報じている。内容は府議会に「国旗掲揚条例案」を提示したというものである。
・ この条例案は府議会最大会派の自民党が目指しているもので、我々からすれば「ごくごく当たり前」のことだと思っているが例に拠って教職員団体は反対の意向だから「法律で縛り」を考えたということだろう。
・ 現在の自民党府議団の幹事長は私も大変お世話になり良く存じ上げている立派な先生だが、この問題に関しては前から「感度が高い先生」なので、最初この話が出てきた時は「ハ、ハー、先生やってるな」と思ったものだった。
・ 当然朝日の論調は批判的で「何故 今なの?」と書いており、ある府立高校の社会科の教師のコメントとして「強制されることが問題」「国旗を掲揚すれば愛国心が養えると考えるのは短絡的」との記事にし、府髙教組合の書記長談話として「外国にルーツを持つ生徒もいる。内心の自由に踏み込むべきではない」と批判している。
・ 全く「紋きり型」で何時もの反論の調子で全く進歩が無い人たちだ。誰も国旗を掲揚したら国を愛する心が養えると思ってはいないし、内心の自由を侵すものではない。もっと「気楽に考えたら」どうかと思う。現実に我々が住み生活している国は日本であり、国民の税金で運営されている学校だからそれなりの「敬意」を表したらどうかと言うことである。
・ 日本人がアメリカに行き戦争に敗れた国だからと言って「星条旗を無視」したらどうなる。とにかく日の丸は「子どもを戦場にやる」為のシンボルではない。大地に脚を立てている「国の身分証明書」みたいなものであると考えたらどうだろう。国連本部には世界の全ての国の国旗がひらめいているのだ。
・ 本校でもそうだが京都や広島の公立高校では常に国旗が掲揚されているし、「どの国でも国旗は正常に掲げられ国民が敬意を表している。当たり前だ」との自民党の言い分は分かる。橋下知事も単純明快にこの問題に以下のように答えている。
・ 「施設や学校の管理者がやるだけの話。生徒に日の丸を持って来いというわけじゃない。国旗である以上根拠があれば掲げるのは何も問題は無い」と言っている。これを受けての「条例案」である。
・ しかし各会派の対応はばらばらで自民の中にも「非常にナーバスな問題」とか、民主党は「時間をかけて議論すべき」とか、公明党は「条例で定めるのはやりすぎ」とか共産党は当然「極めて唐突な話で反対」と、この提案はまず「廃案」となる運命は目に見えている。
・ 記事には自民党執行部は昨日の2日に各会派に条例案を提示したが15日の府議会最終日までに「採決に至るかどうか微妙」と書いているが私に言わせれば「絶望」であり、まず駄目なことは分かっている。
・ まあ自民党も政権を取って代わられ野党に転じ、「民主党との対立軸」を明確にしたいという思いから「フラッグ」を立てたいということで、まず今回は「ジャブを放った」ということではないか。
・ しかし「悲しい話」だ。明日の日本を切り開いていく子供たちのために大きな国費や地方税が投入されている「公立学校で学校に国旗を掲揚するという行為」がこれほどまで「軽く扱われている現実」に驚くのである。
・ 橋下知事は「施設や学校の管理者がやれば良いだけの話」と言ったとあるがまさにその通りで「校長がやれば済む話」で私に言わせれば、「それが出来ない校長とその学校風土が問題」なのであって、今の校務運営の責任者は校長とする学校教育法28条の法の精神からすれば「何時でも出来る話」なのである。別に難しい話ではない。

・ そうこうしていたら面白い記事が出ていた。私は11月18日のブログで「学校の先生が国を滅ぼす」という最近発刊された書物について論じたが、大阪府教委は全校長宛に「国旗国歌の現状を問うメール」を11月25日に出したと産経が報じている。
・ 私はこの記事を読んで「失笑」した。どうもこの本を読んだ読者から府教委に問い合わせが多く寄せられていたから「現在はそのようなことは無い」との証明書つくりに再調査しようとしているものだろう。
・ しかしこの答えは見えている。「調査をしたがそのような学校は既に無い。遠い昔の話である。」くらいが答えとして出てくるのではないか。この本に書かれているのは平成10年から13年くらいの間の出来事で学校現場はこの問題で「最も荒れていた時期」である。
・ あれ以来「府教委は指導も強化」し今は落ち着いているのだと思う。しかし問題は「そのあり方」だろう。前のブログにも書いたが「壇上正面の掲揚と舞台上三脚の格納とは根本的に異なる」。大切なことは国旗に対する「敬意の姿勢」ではないか。
・ 「教育委員会がうるさいから国旗は三脚に入れて壇上に置くが、生徒の皆さん、あの旗のために多くの人が戦争で死んで行ったのよ」などと生徒に教えたら「お仕舞い」であり、私はそのことを心配しているのである。
・ 加えて私は高等学校よりも義務教育の学校を心配している。発達途上の子供たちに国旗や君が代を教えていかないと高校に来て「急に教えても遅い」のである。今や大阪の義務教育において少なくとも卒業式の国旗掲揚と国歌の斉唱がどうなっているのか実態を知りたいと思う。
・ 学習指導要領にあるかないかの話では無かろう。高校ばかりが議論になっているが公立小中学校における指導も極めて大切である。

・ ある教員が朝私の部屋に来て「先生、ブログの本を入手しました。アマゾンだったらすぐ入手出来ました」と言ってきた。そして「すさまじいですね。公立の高校は。」というので私は言ってやったのだ。
・ 「浪速は少なくともこの点の問題だけ無かったので本当に嬉しかったし助かった」と。この先生は最近では私の信頼が厚い先生で大変良くやってくれており、かっては組合の分会長までやった人がこのような本を読むことが「浪速の時代の変わり目」を感じるのである。