2010年1月6日水曜日

1月6日(水)仕事始め







・ 「今日は本校の仕事始め」、要は始業である。朝から年始のご挨拶をお受けしたりして忙しいスタートとなったが、調子は上々である。まず9時から校務運営委員会、そして10時30分から職員会議となった。
・ 私は例年「年頭の所感」を発表する。何時もしゃべっていることと同じような内容であるが、あらたまった席で改まって「トップがその思いを伝える」ことが重要である。全教職員に対して「新しい年」への意識と姿勢を訴え「覚悟を求める」のである。念頭の所感とは、一体どのようなものか一部分を記録に残しておく。

職員会議資料                                       平成22年1月6日
2010年の年頭所感
  本年の学校経営と校務運営の重要な視点
                            (学)大阪国学院理事長
                            浪速中学校高等学校長
                                木村 智彦
 2010年の年頭に当たり私の所感の一端を申し述べ本年の「法人経営と校務運営」に関して教職員のご理解とご協力をお願い致します。

1.更なる意識改革と業務への姿勢について
・ 2007年度に始まった「浪速改革」も4年目を迎えます。過去3年で「学校の形」はほぼ出来てきたと考えています。教職員の頑張りのお陰であり高く評価しお礼申し上げます。しかし内外の情勢を見た時に「今年こそが正念場」と思っており、未来永劫にわたって発展する「浪速の礎」を固めなければなりません。そして平成25年の創立90周年を素晴しい形で迎えましょう。
・ そのためには「更なる教職員の意識と姿勢の持ち方」がまず重要です。「全員がベクトルを合わせ、組織力を」高めねばなりません。意識とは「更に前に進めるという強い気概」であり姿勢とは「陰日なた無く前向きに仕事をする」ということです。
・ 各教職員は「反射神経」を高めて欲しいと思います。「公立高校は授業料が無償化」となり、橋下改革は「超進学重点10校設定」などさらに「公立改革」を推し進め公私入り乱れての「生き残り競争」がますます激しくなってくると想定しています。
・ 長い間の「公私比率の崩壊」が遂になされ、公立高校の授業料無償化は「公立回帰」をもたらし「私学への逆風」はますます強まってくるでしょう。私は今こそ世の流れに敏感に反応し、私学として「俊敏に行動」することが「生き残る秘訣」だと信じて疑いません。
・ 「浪速人気」を不動のものにするのは入試広報室だけの仕事ではなくて本校で働く全員の総合力であり、「自分の強みを生かして学校に貢献」して頂きたいと念願しています。「持てる力の100%発揮」であり、「自己の能力開発と研鑽」が必要となります。
・ キーワードは「徹底的に生徒の面倒を見る」ということだと思います。本校は私立学校であり私学とは公立と違った「付加価値」を生徒・保護者に感じて貰うことが重要だという認識です。それが授業料の意味だと思います。「手抜きは衰亡の始まり」と考えねばなりません。「今居る生徒こそ我々の最大の顧客であり、広告塔」だと考えることが必要です。
・ 腰が引け、逃げの姿勢で、あれこれ出来ない、動こうとしない理屈や体制への不平不満ばかりを言う前に「自分の力で現状を変える」という「前傾姿勢」の方を私は評価したいと思っています。企画力、実践力、行動力、推進力、突破力のある人材を期待しています。
・ 組織に貢献し、組織力で勝負することが厳しい生き残りに勝つための唯一の方策だと信じて疑いません。そのために今年から「人材育成評価システム」の本番がスタートします。評価が目的ではなくて人材を育成することが目的です。そのために限られた経営資源を均等ではなくて公平に配分していくことが組織の腐敗を防止するのです。
2.本年度の大きなテーマ
  あくまで「新経営計画」を予定通り進めることが重要で、軸がふらふらしてはなりません。19年、20年、21年度の「経営計画」は見事に達成する見込みであり、「26年度の新校舎建設完成」を視野に入れながら「努力と辛抱」を合言葉として計画通りに進めます。
 ①「人材育成・評価システム」の本番への道
  今年は評価の初年度であり試行評価を参考にして、「21年度のテーマの実行」にラストスパートをかけて欲しい。3月末には評価の反映がスタートするし、(50%反映)、決して後戻りはない。「全員横並び評価処遇の時代の終焉」であります。
②4月から始まる土曜日の選択講座制の効果発揮  以下13項目があるが省略する。

・ 8日からの「(中学校)教育相談」の準備に入る。明日から来られる中学校もおられる。私学は本格的に「入試シーズン」がやってきた。やることはやったので何も言うことは無い。「人事を尽くして天命を待つ」と簡単には割り切れないが、この段になってじたばたしても仕方がない。
・ 「学校宛の年賀状が山」のように届く。中には個人的なものも含まれており一つ一つ区分けして整理するのである。大変な作業だが仕方が無い。もうパソコンの力がないと返信など出来ない。
・ 某教育雑誌に依頼されていた投稿の原稿は昨日脱稿してメールで送付した。タイトルは「公立高校の授業料無償化と私立高校の経営」とした。珍しく「著述のトーン」に苦労した。批判的に書けば書けるし、抑えて書こうとすればそのようにもなる。今回は「本音と建前」があって少しだけだが難しかった。ブログを書くのとはちと違った。

2010年1月5日火曜日

1月5日(火)謹賀新年







・ 明けましておめでとうございます。今年も頑張りますので宜しく御願い致します。当面5月31日までを目標にブログを書く積りです。それで「丸々3年ほぼ日々更新」して書いたことになり、「一区切り」と思っています。その後のことはそれまでに決めることになるでしょう。 
・ この年末年始、大きな事件はなかったように思いますが、新聞記事で興味があったのは「民主党の小沢幹事長宅へ年始に伺った人間の数が国会議員を中心にして166名」というものがありました。この小沢さんと言うのは昨年暮れにも150名近い国会議員を連れて北京に行っていましたね。
・ 「何と民度の低い社会だろう」と憤慨しても仕方がありません。政治の世界は未だにこういう世界なんだろうと思いますね。芸能の世界などもそうではありませんか。師匠の家に弟子が年始に伺わなかったら師匠からは「お前も偉くなったものだ」と皮肉を言われるのだと思いますよ。
・ 特に小沢さんはこういうことが「お好きな性格」なのだと思います。意識しているのかもしれませんね。私などとはこの点では正反対です。私などは年末年始のゆっくりした時間を「人知れず引き篭もって一人になりたい」ものです。
・ 小沢さんは民主党の新人議員の「生殺与奪」の権利を間違いなく握っているのですから、新人が「偉そうに」言っても「じゃ、自分ひとりで当選して来い」となど言われたら返す言葉は無いのでしょう。まさに「数は力」です。
・ しかしこういう習慣はついこの前くらいまで「歴然」としてあったのです。私の父は大正生まれの国家公務員でしたがまだ私が小学生の頃に毎年正月2日にはネクタイをして上司の家に「お年賀」に行っていた記憶があります。父がまだ30才台の時でした。
・ 一昔前までは公務員もサラリーマンも正月2日にはお世話になっている「上司やお仲人」さんの家にご挨拶に出向いたのが日本の文化でした。今でもふるさとの家長の家に兄弟親族縁者が寄るというのは残っています。
・ 私の時代にはもうそのような習慣は薄れてきていましたが、とにかくお正月の年賀訪問は「古き良き時代」のものであったのです。私は新聞記事やテレビで小沢邸の年始の様子を注意深く観察していましたが「おせち料理」などはあまりなくて瓶詰めの清酒1号瓶がやたらと目立ったテーブルの上でした。
・ 要は「行ったか、行かなかったか」「あいつは来たか、来なかったか」が大切なのであっておいしい御節料理を期待してのことではないのです。それにしても小沢一郎という政治家は「古臭い」政治家で師匠の田中角栄元総理大臣に心酔しているのでしょうがちょっと「違う」感じがしてなりません。
・ 私が大阪に本格的に居を構え、正月2日に自宅を開放して「年賀をお受けする」としたら果たして何名の先生方が来てくれるでしょうか。ちょっと間違うと「行かないとまずいことになる」などの噂で結果的には「無理強い」となることは目に見えていますよね。
・ 木村邸に年賀に行った先生は「改革派」で行かなかったのは「守旧派」などと色分けする不届き者が現れたら大変です。大体受け入れるほうも大変ですよ。お寿司の桶を幾つも用意し、上手い酒を準備しなければなりません。だからこういうことはしないほうが良いのです。元来お正月はファミリー、ご家族と過ごすべきなのです。

・ 新年の年賀、それに代わるものとして「年賀状」がますます人気で数値的には伸びていると言います。すぐ職場で顔を合わすのだから「年賀状など意味はない」というのは少し短兵急な結論ではないでしょうか。
・ 1年の計は元旦にあり、だからまず年始早々自宅を訪問して「ご挨拶」をする代わりに「年賀状で代替」すると言うのはある意味、今日的な社会情勢を反映した必然的な合理的流れであったと考えることも出来ます。最近ではメール年賀状が出てきました。
・ しかし年賀状を観察するだけで「栄枯盛衰」「時の流れ」を感じます。昔の企業時代では範囲も数もすごいものでした。その後公立高校の校長になり、その後今の私立高校勤務があります。今や企業時代の年賀状は少なくなり、公立高校時代のお付き合いも段々と減ってきました。当然現在は私学関係者の数が増えて来ています。そして現在の勤務先においても「年賀状の変遷」を見ると面白いものがあります。
・ 着任した当初は極めて少ないものでしたが今年などは「来ていない教職員はごく僅か」の有様です。加えて一言書き添えている内容に「お人柄」が表れており大変興味があります。「決意や覚悟」などが書き添えているものは受け取って嬉しいですね。そうかと思えば「お義理」で書いたとさも分かるようなものから、まさに「人生も色々、年賀状もいろいろ」です。
・ 今年の年賀状で感慨深かったのは昔の知人からのものでした。1年に一度賀状を交わすだけの関係になっていましたが、もうそれも今年で終わりにしたいと書いてありました。80歳を超え「人生の整理に入る」からと言われるのです。
・ もう一つは本校の先生だというのは分かるのですが、肝心のお名前を書いていないのでどなたなのかさっぱり分からずご返事を出せませんでした。そういうわけで明日学校で書かれている住所からご本人を確認しようと思っています。

・ 明日が本校の「仕事始め」となります。本日私は昨日の4日から始まっている「多聞尚学館」の2泊三日の冬季講習の激励会に出かけました、1年生と2年生の総勢120名です。生徒は正月気分と決別して頑張ってくれていました。それにしても正月早々から頑張ってくれている5名の先生には頭が下がりました。心から感謝しています。
・ このようにして「寅年の平成22年度」は始まりました。「フーテンの寅さん」は愛すべき人物でしたが、浪速がフーテンの寅さんになってはいけません。私は年末年始ゆっくりとじっくりと休ませて貰いましたので、徐々に「ヒートアップ」して今年も「本校のために不退転の決意で頑張る」積りであります。

2009年12月28日月曜日

12月28日(月)2009年仕事納め







・ 今日が本校の「仕事納め」である。私は今日は休ませて貰って北関東の自宅に帰っている。久しぶりだからやることが一杯あって大変だが、気持ちよく家の整理事が出来るのも「極めて順調に推移した1年」だったからである。こういうのを「順風満帆」というのだろう。頑張ってくれた「教職員に感謝」しなければならない。
・ 特に年末になって「プロジェクトX」で忙しなく落ち着かない日々であったがこれも26日の土曜日に「吉報」というか「目の前で大変満足する状況を観察」して、「万々歳」であったがこれなど今年の1年を象徴する出来事であった。
・ 「何のことかさっぱり分からない」とクレームを頂きそうであるが年が明けたらまず最初に「生徒に伝えたい」と思っているので、8日の「新春拝賀始業式」までお待ち頂きたいと思う。分割してプロジェクトX風に校長日記に記述する積りである。
・ 今年の「重大ニュース」は上げれば多くあるが中でも「多聞尚学館の開館」と「関西大学との連携のスタート」がある。外的要因で上げれば何といっても、「公立高校授業料無償化」が来るだろう。
・ 来年度からであるが、この民主党の政策を受けて大阪府は「府独自の政策をオン」させてきた。「私立高校就学支援推進校」制度というものである。年収350万円以下の世帯では府の助成金を上乗せして「私立高校も無償化」を図るというものである。
・ 民主党の公約「高校授業料の無償化」はどうも「大ヒット」であると前に書いた。それは「学校教育と言うものに新たな概念が生まれる」ような「気配」を生み出しているからである。高等学校教育が無償化と言うことは「義務教育的扱い」となってくるということだ。
・ すなわち「お金が無いから高校に行けない」と言うことではなくて高校に行かないのは「他に理由がある」ということになる。例えば「僕はお父さんの跡を継いで家具職人になる」とか「勉強など大っ嫌い」というようなケースだ。
・ 囲碁の最年少名人になった「井山裕太名人」は「高校に行くより囲碁の勉強をしたい」といって、囲碁名人になった。ゴルフの「最年少賞金王石川遼」君も高校でものすごく勉強したとは思えない。彼は最近大学進学はしないと言明した。
・ 今後このようなケースが増えてくるのではないか。「別に高校、大学に行かなくとも生きていける」というような風潮が出始めてきたと感じている。皮肉なものだ。授業料が無償になったら逆に高校など出ていなくとも生きていける。それよりも早くしたいことをしようと考える若者が今後とも増えてくるのではないか。
・ それともう一つの理由は高校、大学に進んでもその先に何があるのという「経済情勢を反映した社会の風潮」がある。誰でも彼でも高校や大学に行かなくとも良いではないか。大切なことは死ぬまでの「キャリア設計」であり、確固たる考えがあればその道に進めばよいという意見にも一定の説得力はある。
・ 今まではパイが膨れて行く世の中だったから「一応高校までは出ておこう」「行けるなら大学卒の資格を得ておこう」とか消極的な進学意識もあったのではないか。しかし世の中は変わってきた。
・ 高校卒も大学卒も「特徴」「特技」「意識」「展望」「志」等が無ければ世の中に出ても「何にも変わらない、何にもならない」状態になってきた。「特権ではなくなってきた」のである。そのように学歴を積み上げても「就職活動に東奔西走」する学生の姿が現実の姿である。

・ 前述のように大阪の私立高校は低所得家庭には国、大阪府、学校法人の3者で「完全授業料無償化」の方針を先ほど府と私立中学校高等学校連盟とが合意に達した。高校で言えば94校すべての学校が名乗りを上げた。
・ これは「公立高校の授業料完全無償化」による「公立回帰現象」に対する「一定の歯止め効果」があるのだろうか。無料なら「私学に行くわ!」と保護者は考えてくれるだろうか。年収が「350万円以下のご家庭の比率」は本校で言えばどれくらいの数値になるのであろうか。
・ しかし私はこの制度に満足はしていない。厳然として「私学と公立の授業料格差は残る」。義務教育で無い高等学校に学ぶ生徒に対して税金から支出される「教育費(公費)は公立私立の別なく公平でなければならない」という意見を主張し続けたいと思うのである。
・ それは「教育費の二重負担」の問題だからである。教育費において「公立学校にも私立高校生の保護者の税金が支出」され、一方私立学校においては保護者個人の負担すなわち、「私費負担」が強いられているという「二重負担」の問題である。
・ 先般、実施された府の世論調査でも「公立私立の学費に差が無ければ公立・私立どちらに進学されますか」の質問に、私立高校と答えた者は52%で公立高校の17%を大きく上回っている。
・ とにかく「公費支出の格差解消」こそ問題であり、教育の機会均等、学校選択の自由が阻害されている元凶なのである。明治以降の「官尊民卑」や「私立学校設立の経緯」などがあって戦後60年今日まで公私間格差が大きいままで来ているのである。
・ 公立だろうと私立だろうと生徒には「学校の特色で自由に選ばせる」のである。「公私間の助成金の格差を撤廃し、均等にして当然学区撤廃」が理想論である。府内何処にでも行けるようにしてやり「全く同じ土俵で」、公私の共存を図ればよい。これが「元来のあるべき姿」だと思う。
・ 年末年始の休暇でお酒を控えながら「公立高校授業料無償化が私立高校にどのような影響を与え私立の我々は何をなすべきか」じっくりと考えをまとめていきたい。この影響は2~3年続いて行くだろう。この「3年で私立高校の優勝劣敗」がはっきりしてくる。何としても浪速は生き残っていかねばならない。「来年も私は全身全霊で浪速のために頑張る。」

2009年12月26日土曜日

12月26日(土)精神疾患にかかる先生







・ 「教職員病休最多8578人」との本日の朝日の朝刊見出しである。産経は「心の病教職員最多5400人」とある。昨日文部科学省は調査結果を発表したが、「16年連続の増加」で、調査を始めた昭和54年度の約8倍になったと言う。
・ 病気休暇の8578人は前年度より509人増えて過去最多であるがこのうち「うつ病」や「精神疾患は5400人」で、こちらのほうも対前年度比で405人増と過去最高という。「精神疾患は病気休職全体の63%」というから異常に高い。
・ 精神疾患による休職は10年前に比べて3.15倍に増えており、全国の教育委員会の聞き取り調査によれば「多忙な業務によるストレス」「教育内容の変化についていけない」「保護者や地域からの要望の多様化」などが背景にあると発表している。
・ 朝日の記事では「教員同士のコミニュケーションが少なく相談相手がいないという訴え」が目立ったとあったが、私に言わせれば「冗談ではない、子供でもあるまいし。相談相手を作れば良いのであって、いる、いないの話しではない」だろうと言いたい。
・ しかし「事の本質」を見逃してはいけない。文科省の調査結果を見ると精神疾患で休職した教職員は「50歳代以上が37%、40歳代が36%と7割以上を占め20代はたったの7%」である。
・ 経験の少ない若い世代の教員が様々な仕事に追いまわされた結果、「心の病」に陥るのは分からないでもないが「酸いも甘いも」味わってきた「経験20年、30年のベテランが精神疾患に罹る」のが私には良く分からない。
・ 「それって本当?」と聞き返したくらいだ。それに勤務時間だって若い世代は遅くまで残って仕事をしているがベテランは「時間休」を頻繁に取って「悠々自適」としておられるというのが私の偽らざる印象である。
・ 学校種別では「小学校が44%、中学校が30%、高校が16%」である。小学校、中学校に多いというのは分かるような気がする。その理由は後述しよう。子供が小さいからとか「モンスターペアレンツ」とかが理由ではないと私は思っている。
・ 一方懲戒、訓告、論旨免職などの処分の状況も文科省は明らかにした。それによると「個人情報の不適切取り扱い」が277名と前年度から59人も増えている。調査項目に設定した05年度以降で最多という。これは本校も気をつけなければならない。
・ 「セクハラを含めたわいせつ行為による処分」は176人で前年度比で12人の増で被害者の内訳は「自校の児童生徒」が49%、「自校の卒業生」が3%、「自校以外の18歳未満」が15%もいたという。「教え子で52%を占める」のだから「許されない行為」である。手っ取り早いとでも言うのか。
・ 処分理由で最も多かったのは交通事故の2502人で28人の増、体罰は376人で5名の増だった。調査対象は全国の「公立の小中高の教職員91万5945人」というから徹底している。
・ 本校は嬉しいことに現在病気休暇中の教職員はゼロで、「精神疾患を患っている先生もゼロ」である。今年の実績で言えば人事上の処分は戒告が1件、厳重注意処分が2件であった。体罰事件は3年前に一件あったがその後は発生していない。「極めて健全な職場である」と言える。
・ 以上は表面に出た数値で実態はもっとひどいと考えておいた方が良いと思う。今朝の各紙には詳細に下記の事件を報道している。「大阪市立中学の教諭が電車内で女子大生の尻を1分間にわたって触り、逮捕」された。
・ 曽根崎署によればその教諭は「ストレスが溜まっていた」と容疑を認めていると書いてある。ストレスが溜まるたびに女子大生のお尻を触られたら堪ったものではない。「ふざけるな」と言いたい。
・ 以上の記事の横にもう一つ信じられないような事件がある。小学校のトイレで「嫌がらせ」のために女性教諭を盗撮したと29歳の男性教諭が懲戒処分にされたとあった。理由は「自分が人間関係で悩んでいるのはこの女性教諭と思い込んでトイレにカメラ」を仕掛けたらしい。過去にも盗撮はあると言うから常習者である。

・ 以上のような実態をどのように分析するかが問題である。精神疾患というとすぐ多忙だとかその職場や組織や保護者や管理職のせいにする向きがあるが、私に言わせれば「とんでもない話」で、教員が忙しくないとは言わないが「病気になるほど忙しいことは全く無い」というのが私の意見である。
・ 本校では「労働基準監督署の指導」を得て現在イントラネットで個々の教職員の勤務状況を把握しており、「時間外労働の実態も把握」している。年間の「有給取得」も他校に比べれば多いほうである。忙しいのが理由になるとは考えられない。
・ それに「教員の年間労働日」は多いとは言えない。夏休み、春休み、冬休み、試験期間と取ろうと思えば機会は多くある。「くたくたんなって働いている」ということは全く無い。少なくとも「蟹工船」ではない。
・ 要は「考えが甘い」のである。精神疾患がこの10年で3.15倍に増えたと言うのはほとんどが40代、50代の教員であり、私の見方はこうだ。要は「学校改革」「教育改革」がこの10年で劇的に叫ばれ進んできたから、それまで状態との「急変についていけていない」のである。
・ 「サボって」いたとは言わないが「平々凡々」と「行事をこなすだけ」であったベテランと言われる年齢層は「改革」というそのものを理解できなったことが背景にあると私は思っている。
・ 「温泉に浸って」いたが突然、厳寒の山中に放り出されたわけだから羅針盤をもともと身につけていない身としては「どう動いて良いのか分からずに」精神に支障をきたしたと私は分析している。
・ 学校の先生は「真面目人間が多い」から余計にそうなる。開き直ればそれはそれで道があるのだが、そこに「人事処遇システム」が出てきたものだから「人から評価されるという行為」に「面食らって」いるのである。
・ 大体、忙しくしている先生は精神疾患などにはなりはしないというのが私の観察である。「自己のアイデンティティ」を確立できず、「チームワークで仕事をする」と言っているのは、実は一人では何も出来ない教員の「詭弁」である。学校には結構こういうタイプが多い。
・ 最近のマスコミや団体などは常套句で「ストレス、ストレス」というがどこに言っても仕事のストレスはある。ストレスが嫌だと言って金剛山の頂上にテントを張って住んでも今度は「孤独のストレス」が来たと言うのだろう。
・ 相談相手がいないと言うが「仕事は元来一人でやるもの」で、団体はすぐ「同僚感、同僚性」などというが同僚に頼ろうとするから何時まで経っても「独り立ち」出来ないのではないか。
・ 上司から厳しく叱られたこともない教員、生徒を人質にした「クラス王国の王様」などでは変化に弱いことは分かっている話である。91万人のうちの5400人を多いと見るかどうかだが私は0.5%程度でありそれほど神経質になる必要は無いのではないか。
・ 問題だというのであれば一体全体「どうせよというのか」逆に問いたいくらいである。99.5%の先生は歯を食いしばって頑張ってくれているのである。私学は民間企業である。民間企業の社員の厳しさや辛さを忘れてはならない。

2009年12月25日金曜日

12月25日(金)府庁訪問







・ 理事長職務代理から校舎天辺の「国旗」が「あれでは小さいから大きなものをプレゼントする」との電話があった。「風が強くて強度のあるものが必要ですよ」と言ったら「二重になっている」と言われた。本当に細かいところに気がつくお人である。

・ 学校は昨日の午後から校内を開放して「校内見学会」を開いている。明日までの3日間である。まだ進路先を決めあぐねている生徒や都合悪く「入試説明会」に来られなかった生徒を対象にしているものだ。来校した中学3年生は昨日だけで前年同日に比べ1.38倍である。
・ 今日も昨年の2倍は来ているという。「一体全体どうしたことか?」どうも今年の中学3年生の動向が良く見えない。間違いなく「公立授業料無償化」の政策で中学校サイドでも進路指導に変化が起きているのかも知れない。このような見学会は昨年もあったと入試広報室は言うが私には記憶に無い。全く読めないのである。年明け8日から「教育相談」が始まる。

・ 今日は金曜日、実質的には今年最後の仕事日なる。28日月曜日は官公庁の「仕事納め」の日だから、今日午前中に府庁の私学・大学課にご挨拶に出向くことを前から決めていた。しかし朝から仕事は続き、アポ無しとなった。
・ 朝一番、「3年生の学年主任と進路指導部長」が入ってきて「関西大学からのパイロット校推薦入学に関する打ち合わせ」を行った。関大は「堺市に新しいキャンパス」を来年4月に開設する。学部名は「人間健康学部」である。
・ 「こころ」「からだ」「くらし」を総合的に捉え、人間の幸福を実現するための健康に関わる諸問題の解決手段を実践的に学ぶ教育と研究の拠点である。この学部は本校から自転車で15分でいけるような近さにある。
・ 学長先生から生徒の推薦依頼を受け、学年主任と進路指導部長がまず公募し具体的な人選に入ることになる。本校は府内南部に住む生徒が多く、この学部を大いに期待していたから志望者が多いだろう。
・ 学校が休みになっての連絡だから、始業式からの周知徹底など「時間との戦い」になる。学年主任や担任団が早速打ち合わせをしていた。立派な良い生徒を送ろうと思う。

・ 「2学期の成績のまとめ」を類・コース長から受ける。まずⅡ類、Ⅲ類、内部進学生、理数科、Ⅰ類のコース長からである。成績優秀者、単位欠点者、登校実績など詳細チェックする。どうもというかやはりというか「女生徒の頑張り」が目立つ。良い傾向ではあるが男子はもっと頑張らねばならない。

・ 10時「府庁私学・大学課」に年末ご挨拶に出向く。お忙しい中を課長はじめご担当の職員の方々がお時間を取って頂き当然「公立高校授業無償化」に話題を絞ってお話をした。
・ 本当に私学課の皆さん、我々私学のことを考え、頑張って頂いている様に頭の下がる思いである。我々は公立とは違う教育の中身で勝負していかないと「公立回帰」は止まらない。私学にとって「正念場の時」を迎えた。結論は「私学として良い教育をする」ことに尽きる。これが今日の結論である。

・ 府庁から戻るタクシーの中で運転手さんが「お客さん、ゴルフしますか」と突然聞いてきたのである。どうも余程「ゴルフが好き」な様子であった。私はもうクラブを握らなくなって8年になる。
・ 昔は「それは、それは良くプレーした」ものだったが、教育界に転じたときに「しないと決めた」のである。別に大きな理由があったわけではないが「自分へのけじめ」として決心したのである。
・ 校長がゴルフをするということは別におかしいことではないが、今まで企業人としてゴルフをしてきたので、それを継続すると「今までの延長線上の自分」だと思い「決別」したのである。もうクラブなどどこかに埃を被っているだろうし、古くて使い物にもならないと思う。
・ 若い、まだ30代前半でゴルフコースの会員権を購入し、本格的にやり始めた。海外駐在のときもゴルフは「日課ならぬ週課」であった。「土日の連ちゃん」も厭わずプレーしたものだった。「腕前」も少しは上達したがシングルにはなれなかった。
・ バブルの前には社用族で多くのプレーの機会を有していたがバブル崩壊後ゴルフ人口は幹部サラリーマンから一般の勤労者や女性へと広がっていったような気がする。タクシーの運転手さんが「唯一のストレス解消方法」といわれていたには少し驚いた。
・ プレー代も先週の平日に奈良のコースで回ったら、昼食が豪華なバイキングで「全て込み込みで7000円」と言われていた。間違っているのではないかと思った。一時期は平日でも安くて25000円はかかったものだった。私にとってもう一回ゴルフをする機会が訪れるか否か。恐らく無いかも知れない。

・ 12時過ぎに学校に戻り教職員から上がってくる「決済業務」をする。そして13時に「プロジェクトX」の打ち合わせとなった。午前中別の場所で「大きな進行」があり、その報告と今度は本校の対応として、関係者集まって確認の打ち合わせとなったのである。
・ 従って今日はクリスマスならぬ「記念すべき日」となったのである。しかしこのプロジェクトは明日の土曜日も仕事がありここ2ヶ月土日潰して皆さん、頑張ってくれている。有難い限りである。
・ 予定通り「新春拝賀式」で内外に「オープン」出来るかもしれない。しかしまだ安心できない部分があるのである。しかし私も明日は出勤するが実質の仕事納めの日に「プロジェクトX」の「日の目」を見たということが素晴らしい。

・ そうこうしていたらOBの「プロ野球オリックスの大引選手」がカレンダーを持参して校長室に来てくれた。本校卒業生で法政大学の主将からドラフトでオリックスに入団し1年目からレギュラーをしめている選手である。「玄人好みの大変素晴らしい選手で私はファン」である。
・ 話が弾んだ。今から野球部の練習を少し見てくれると言う。嬉しい限りである。「実家は住吉区の由緒ある神社」でありお父さんも大変立派なお方である。何時もこのようにストーブリーグに母校に戻ってくれる。心がけの大変立派な男である。
 

2009年12月24日木曜日

12月24日(木)学年通信











・ 今日は「クリスマスイブ」というのに「ゆっくり、ゆったり」とはいかない。年の瀬の「カウントダウン」が始まった感じで走り回っている。例年と違って今年は大きなイベントが二つもあった。
・ 私は片時もゆっくりとはせず、常に「テーマというかプロジェクト」を追い続け、その分、年度末には「関係先」が増えてくる。今年は「4月の多聞尚学館の開館と6月の関西大学との連携調印」があったことである。今年はこの二つのプロジェクトを中心に推移したような気がする。

・ 「プロジェクトX」のメンバーが7時45分頃に部屋に入ってくる。大体私が6時40分過ぎには執務室に入るのを知ってるから、「朝、私を捕まえる」のが大分一般的となってきた。昨日の23日に「大きな動き」がったのである。
・ 別に難しい打ち合わせをするのではない。プロジェクト進捗の要点の報告を受けて、判断し「新たな作戦指示を出す」のが私の仕事である。細かいところは管理職が「こなして」呉れているから、「最後の方針決定」である。このシステムが機能してきた。だから「意思決定が極めてスピーディ」になってきている。大変結構である。

・ 朝会の後、「多聞尚学館」に激励に赴く。2クラスが冬期講習を2泊3日でやってくれている。「数学と古典」であった。「極めて真剣」に取り組んでくれており私は大変気分が良かった。部屋に入ると一瞬の雰囲気で私は分かるのである。
・ 多聞はこの後週末26日から28日まで2泊3日、歳が明けて1月4日から6日までで「冬期講習」が入っている。特に正月明けは120名を超える大人数である。正月明けくらいは「ゆっくり」したいだろうがそれでは差がつかない。「人がやっていないときに勉強するという気概」が必要である。
・ 多聞に行く前に「千早赤阪村の松本村長に年末のご挨拶」に赴いた。本当に今年は多聞の売却という一大事を見事にやって頂き「感謝、感謝」あるのみである。大いに盛り上がり来年もお互い宜しくということになった。
・ 富田林、河内長野市との合併が頓挫し「村単独」で生きていくわけだから色々と協力をして欲しいとお願いされた。本校も微力ではあるが、出来るだけお力になりたいと思う。大阪府に「たった一つの村」があっても良いではないか、というのが私の考えである。

・ 学校に戻り年末のご挨拶を受けたりする。その後「関西大学の理事長先生」を訪問して年末のご挨拶をした。今年はわざわざ理事長と学長先生が学校に来ていただき連携調印式と生徒への講話をしていただき誠に有難いことであった。理事長先生には歓待していただき、昨今の「関西大学連携浪速中学校の入試説明会の状況」などをご報告申し上げた。

・ 最近いささか「気が焦っている」のは一つ仕事を抱えているからである。それは「さる教育雑誌社から論文の投稿を依頼」されており、それが「公立高校の授業無償化」について何か書いて欲しいというものである。
・ 書くのは簡単なことだか「公立高校の授業無償化が私立高校へどのような影響を及ぼすのか」触れなければ私が書く意味はない。微妙な問題ゆえに「どこまで書くか」「批判的に書くか、抑えて書くか、歓迎と書くか」「大阪府の勧めている就学推進校との兼ね合い」とかまだ頭で整理できていない。
・ ブログなどは書きたいように書けば良いのであるが「しっかりした教育図書」であれば、いい加減なことは書けない。私は教育評論家ではなくて「一学校を預かっている身」に過ぎず、普遍的に書くと「出過ぎ」かも知れないし、あれやこれと考えると慎重になるのである。書いたことには責任が伴うからだ。

・ 関西大学に赴く車の中で「学年通信」というものを読む。「移動の時に資料に目を通す」作業は、気分も落ち着いて、時間の有効利用にもなり、これは私のスタイルである。本校には良い点が多くあるが、その中に「学年通信」というものがある。
・ 学期末に学年主任が生徒・保護者宛に「通信文」を出すのである。「手作り」である。それに類、コース長なども発行することもある。それぞれの人間性が出ており私は書いた内容もさりながら、どのようなことに視点が言っているのか興味があるのである。
・ 忙しい中で「ご苦労さま」という感じだが保護者には大変喜ばれるのではないか。例えば今回は「冬休みの宿題」など情報提供しているし「3学期の予定」なども事前にお知らせしているからだ。
・ 便利な世の中になったもので「パソコン一台」あれば簡単に出来てしまう。画像などの貼り付けなど「お茶の子さいさい」で先生方はしてしまう。言い換えれば「パソコンが自在に操れないと」教師の仕事は大変だということである。
・ もちろん出来ないからと言って「給料が減ることはない」が、それでも役職者や分掌の仕事に支障を来たしてしまうことに成りかねない。私などはワードで文章を作るだけだが先生方の中には素晴らしい能力をお持ちの先生が多い。
・ どう贔屓目に見ても本校は「ITの達人」が多いと思う。これは「私の誇り」である。一定のレベル以上の先生の数は10名以上はおられると思う。この10名というのはハードもソフトも扱える上級者という意味で文章がただ作成出来るというわけではない。
・ 学校の「公式サイトの設計製作」なども一人で出来る先生もいるし、「成績処理システム」なども教員の手による自作品である。サーバーの取替えなども簡単な話で第一「校内イントラネットシステム」も自前の作品である。
・ いまや「アウトソーシング」の時代であるがこれには「後々引きずる」という仕組みがある。例えば外部のソフト会社にホームページの作成をお願いしても「管理費」がその後永遠に要求されるということにもなり兼ねない。
・ 従って「自力でやる」ということは極めて合理的なことなのである。前述した学年・コース長はすべてを自分で行っているからそこには「自分の匂い」を醸し出すことが出来る。このことは極めて重要なことである。
・ 「自分の言葉」で「自分の言い回し」で学年通信を書くことが生徒に人間の言葉として伝わる。これが複数の人間の合作であればそこには政党の機関紙みたいな無味乾燥なものになりかねない。私はこれらの先生の手になる学年・クラス通信を高く評価する。
・ 今回の学年通信においてKクラスは「KIファイターズ」と題してオーストラリアからの留学生特集を組んでいた。英文が入っていたりして大変面白い内容であった。2年生の学年主任は「浪速Ⅲ類新聞」と表し、新聞形式で「冬休みの課題」を徹底して記述している。
・ 高校1年のⅡ類は学年通信「万有引力」という題であるが今話題のNHKドラマ「坂の上の雲」を取り上げ正岡子規を詳細に論じていたのである。3年生の通信は来年度の干支にちなんで「寅歳の慣用句」をあげて説明していた。

2009年12月23日水曜日

12月23日(水)その2:あれから3年




・ 平成18年11月中旬くらいから具体的な話となってきた「浪速行き」は本格的に意を決しなければならない時期が来ていた。本当は19年4月からの着任でも良いと考えていたが、「周囲の事情」がそれを許さなくなっていた。話し合いの相手は「M理事長職務代理」だけであり、窓口は一本にしておかないと「外野の声」が入ったりしてややこしくなる。打ち合わせの場所は何時も「大阪天満宮の宮司応接室」であった。「極秘裏」に話は進んでいたのである。
・ そして3年前の12月22日、丁度3年前の昨12月22日の夕方17時過ぎ、私は心斎橋筋船場近くの喫茶店で一本の電話を待っていた。予定より遅れたがM理事長職代理から連絡があり、「先ほど理事会で先生の理事長招聘と来年4月からの校長就任が機関決定されましたが、お受け頂けますか?」という内容である。一旦電話は切られ、再度電話で「今から神社庁会館に来て頂きたい。」というもので、居並ぶ理事に初めて顔を見せご挨拶をした。喫茶店から神社庁までは歩いて10分、寒い日であったことを覚えている。
・ 理事会は11名の全理事のうち、実質的なオーナー的ポジションである大阪府神社庁庁長であるT理事を除いて「全員が退任」、総てを「木村新理事長に今後を委ねる」というもので、そこに今回の理事会の強い意志を感じられ、身の引き締まる思いがしたものだ。この時の「使命感と責任感」は今に続く。
・ 遡ること4日前12月18日、私は大阪府の有名な大手学校法人の、これまた日本政界で大臣を経験された有名な理事長の執務室にアポを取って据わっていた。「私みたいな浅学菲才の身にお声をかけていただいていた折角のお話ですが、他に義理あってお断りせざるを得なくなり、本日はお詫びに参りました。」言ってみれば「就職内定」を戴いていたにも関わらず、それを「内定辞退」に来たのである。
・ 理事長室を辞した後、その脚で直ぐタクシーを拾い大阪府庁に向かった。「友人関係、個人としての立場」から、間に立って「有力私学の校長職」を繋いでくれた恩人とも言える府庁幹部のお方である。私が到着する前に、先ほどの理事長から既に電話があったみたいで事情は察していただいており、「心苦しい面談」であったが、このお方も理事長も「気持ちよく申し出を受け止めてくれ、激励」をしていただいた。これで「退路を断った」「もはや先に進むしかない」と腹を決めたのである。
・ そして3年前の12月23日、すなわち3年前の今日当時の校長先生と初めて「顔合わせ」をしたのである。この日のことは今でも覚えている。この日、昨日の理事長就任を受けて、夕方17時大阪天満宮宮司室で初めて校長先生とお会いした。同席は他に理事長職務代理との3人であった。
・ 私と校長先生と二人で「そこらで一杯飲みましょうか」ということになり、二人は御堂筋線で天王寺に向かい一軒の居酒屋に入ることになる。話は弾み、看板で最後のオーダーを取りに来る22時過ぎまで飲んでいたことになる。でも校長先生の心中は察して余りあると思ったが、自分としてはどうしようもないことであった。「組織は非情が当たり前」で、「組織の意思で決定された」ことなのである。校長理事を含む全理事が「経営責任」を取ったと私は受け止めていた。
・ 校長先生のご対応はご立派であった。この席で二人の間で何が語られたかはもうどうでも良いことである。墓場まで持っていかねばならないことは「男の人生」には、ままあることである。
・ 「抵抗勢力は総てを蹴散らせて進まなければならない」ことは「浪速行きを決意したときから覚悟」していたが、この校長先生との会談で、その決意を新たにした。いずれにしても3月31日までは理事長と現校長との二人三脚で上手く進めなければならいが「学校第一、生徒第一」で進めると決心したのである。
・ 面白い話がある。飲みながら校長先生に「早速教職員に理事長就任挨拶」したいので、その場を作って欲しいと頼んでみたが「先生、もう終業式も終わって、部活動の先生以外、誰も学校に来ませんよ」と。
・ 「そんな、仕事納めは何時ですか?最後の職員会議は何時ですか、普通は28日頃までは仕事でしょう」と問うも、終業式の後は「基本的に教職員は休みで今度全員が揃うのは始業式です」と。「えー、そんな」と私。この話を聞いて、瞬間「噂とおり甘い、緩んだ学校だな。」と思ったのである。
・ しかし、まさか管理職に対して1月9日に一般の教職員と同時に「挨拶を交わす」ような「不恰好な真似」は出来ないので、管理職には1月6日学校に来るように「初めて理事長として指示」した。このときの管理職は現在誰一人残っていない。
・ 後日、聞いたことであるが当然「誰が理事長・校長兼務で来るのか」は全浪速教職員の最大の関心事で、校長交代もすでに噂として流れていたという。秘密を保持するというのはものすごく難しいことなのである。
・ でも「誰が来るか」は誰も予想できなかったみたいであり、12月22日の理事会のあと、校長は喫茶店で待ち構える管理職に電話しておそらく「あの木村だ。」と言われたのだろうと思う。そのようなことを言われていた。
・ これで一挙に私の名前が飛び回ることになる。しかし私は当然この事態を想定しており、事前に当時の事務長を呼び出し、「木村の理事長就任あいさつ文と論文」を封筒に入れて休み明け12月24日クリスマスイブにプレゼントとして全教職員の机の上に配布するよう頼んだのである。
・ 就任挨拶が年内に出来ないなら文書でするしか方法がなかったので、そのようにしたのであるが、その時配布した「あいさつ文」は以下のものである。今読み返してみても「当時の緊張感と使命感」が伝わってきて私は「感無量」になるのである。このようにして3年前の12月22日と23日は過ぎて行ったのである。「あれから3年」丁度3年経った。今日は平成21年12月23日である。

                             平成18年12月23日
教職員の皆様
就 任 ご 挨 拶
                              学校法人 大阪国学院
                               理事長 木村 智彦
拝啓

心せわしい年の暮れ、浪速中学校高等学校の教職員の皆様にはますます御健勝のこととお喜び申し上げます。

さて平成18年12月22日の(学)大阪国学院理事会において理事長に推挙され同日就任いたしました木村智彦と申します。また明年4月1日からは中学校高等学校長の兼務も併せて委嘱されています。どうか宜しくお願い致します。
大阪の別称「浪速」を冠に戴くこの伝統校に勤務できることを大変名誉と考えており、理事長として責任の重大さに身の引き締まる思いであります。私学を取り巻く厳しい環境の中、頑張っておられる先生方と一緒に仕事ができることを大変楽しみに致しております。浅学菲才の身ではありますが、全身全霊で本学院本校発展の為に努力する所存であり、どうかご協力をお願い申し上げます。

学校は年末を迎え公私ともにお忙しいと思い、まず本文にて就任のご挨拶をさせて頂きます。着任は明年1月6日ということになっており、教職員の皆様には1月9日に直接ご挨拶できるようお願い致しております。その席では資料を使いながら本法人の現状について理事長として少し述べさせて頂きます。何分にも急なお話であり、十分に理解できていないところがあるかも知れませんが、その部分はご容赦くださるようお願い申し上げます。
 
皆様方にとりまして来年もまた良いお年であることを祈念申し上げ、取り急ぎ就任のご挨拶とさせて頂きます。
敬具