・ 今日は「クリスマスイブ」というのに「ゆっくり、ゆったり」とはいかない。年の瀬の「カウントダウン」が始まった感じで走り回っている。例年と違って今年は大きなイベントが二つもあった。
・ 私は片時もゆっくりとはせず、常に「テーマというかプロジェクト」を追い続け、その分、年度末には「関係先」が増えてくる。今年は「4月の多聞尚学館の開館と6月の関西大学との連携調印」があったことである。今年はこの二つのプロジェクトを中心に推移したような気がする。
・ 「プロジェクトX」のメンバーが7時45分頃に部屋に入ってくる。大体私が6時40分過ぎには執務室に入るのを知ってるから、「朝、私を捕まえる」のが大分一般的となってきた。昨日の23日に「大きな動き」がったのである。
・ 別に難しい打ち合わせをするのではない。プロジェクト進捗の要点の報告を受けて、判断し「新たな作戦指示を出す」のが私の仕事である。細かいところは管理職が「こなして」呉れているから、「最後の方針決定」である。このシステムが機能してきた。だから「意思決定が極めてスピーディ」になってきている。大変結構である。
・ 朝会の後、「多聞尚学館」に激励に赴く。2クラスが冬期講習を2泊3日でやってくれている。「数学と古典」であった。「極めて真剣」に取り組んでくれており私は大変気分が良かった。部屋に入ると一瞬の雰囲気で私は分かるのである。
・ 多聞はこの後週末26日から28日まで2泊3日、歳が明けて1月4日から6日までで「冬期講習」が入っている。特に正月明けは120名を超える大人数である。正月明けくらいは「ゆっくり」したいだろうがそれでは差がつかない。「人がやっていないときに勉強するという気概」が必要である。
・ 多聞に行く前に「千早赤阪村の松本村長に年末のご挨拶」に赴いた。本当に今年は多聞の売却という一大事を見事にやって頂き「感謝、感謝」あるのみである。大いに盛り上がり来年もお互い宜しくということになった。
・ 富田林、河内長野市との合併が頓挫し「村単独」で生きていくわけだから色々と協力をして欲しいとお願いされた。本校も微力ではあるが、出来るだけお力になりたいと思う。大阪府に「たった一つの村」があっても良いではないか、というのが私の考えである。
・ 学校に戻り年末のご挨拶を受けたりする。その後「関西大学の理事長先生」を訪問して年末のご挨拶をした。今年はわざわざ理事長と学長先生が学校に来ていただき連携調印式と生徒への講話をしていただき誠に有難いことであった。理事長先生には歓待していただき、昨今の「関西大学連携浪速中学校の入試説明会の状況」などをご報告申し上げた。
・ 最近いささか「気が焦っている」のは一つ仕事を抱えているからである。それは「さる教育雑誌社から論文の投稿を依頼」されており、それが「公立高校の授業無償化」について何か書いて欲しいというものである。
・ 書くのは簡単なことだか「公立高校の授業無償化が私立高校へどのような影響を及ぼすのか」触れなければ私が書く意味はない。微妙な問題ゆえに「どこまで書くか」「批判的に書くか、抑えて書くか、歓迎と書くか」「大阪府の勧めている就学推進校との兼ね合い」とかまだ頭で整理できていない。
・ ブログなどは書きたいように書けば良いのであるが「しっかりした教育図書」であれば、いい加減なことは書けない。私は教育評論家ではなくて「一学校を預かっている身」に過ぎず、普遍的に書くと「出過ぎ」かも知れないし、あれやこれと考えると慎重になるのである。書いたことには責任が伴うからだ。
・ 関西大学に赴く車の中で「学年通信」というものを読む。「移動の時に資料に目を通す」作業は、気分も落ち着いて、時間の有効利用にもなり、これは私のスタイルである。本校には良い点が多くあるが、その中に「学年通信」というものがある。
・ 学期末に学年主任が生徒・保護者宛に「通信文」を出すのである。「手作り」である。それに類、コース長なども発行することもある。それぞれの人間性が出ており私は書いた内容もさりながら、どのようなことに視点が言っているのか興味があるのである。
・ 忙しい中で「ご苦労さま」という感じだが保護者には大変喜ばれるのではないか。例えば今回は「冬休みの宿題」など情報提供しているし「3学期の予定」なども事前にお知らせしているからだ。
・ 便利な世の中になったもので「パソコン一台」あれば簡単に出来てしまう。画像などの貼り付けなど「お茶の子さいさい」で先生方はしてしまう。言い換えれば「パソコンが自在に操れないと」教師の仕事は大変だということである。
・ もちろん出来ないからと言って「給料が減ることはない」が、それでも役職者や分掌の仕事に支障を来たしてしまうことに成りかねない。私などはワードで文章を作るだけだが先生方の中には素晴らしい能力をお持ちの先生が多い。
・ どう贔屓目に見ても本校は「ITの達人」が多いと思う。これは「私の誇り」である。一定のレベル以上の先生の数は10名以上はおられると思う。この10名というのはハードもソフトも扱える上級者という意味で文章がただ作成出来るというわけではない。
・ 学校の「公式サイトの設計製作」なども一人で出来る先生もいるし、「成績処理システム」なども教員の手による自作品である。サーバーの取替えなども簡単な話で第一「校内イントラネットシステム」も自前の作品である。
・ いまや「アウトソーシング」の時代であるがこれには「後々引きずる」という仕組みがある。例えば外部のソフト会社にホームページの作成をお願いしても「管理費」がその後永遠に要求されるということにもなり兼ねない。
・ 従って「自力でやる」ということは極めて合理的なことなのである。前述した学年・コース長はすべてを自分で行っているからそこには「自分の匂い」を醸し出すことが出来る。このことは極めて重要なことである。
・ 「自分の言葉」で「自分の言い回し」で学年通信を書くことが生徒に人間の言葉として伝わる。これが複数の人間の合作であればそこには政党の機関紙みたいな無味乾燥なものになりかねない。私はこれらの先生の手になる学年・クラス通信を高く評価する。
・ 今回の学年通信においてKクラスは「KIファイターズ」と題してオーストラリアからの留学生特集を組んでいた。英文が入っていたりして大変面白い内容であった。2年生の学年主任は「浪速Ⅲ類新聞」と表し、新聞形式で「冬休みの課題」を徹底して記述している。
・ 高校1年のⅡ類は学年通信「万有引力」という題であるが今話題のNHKドラマ「坂の上の雲」を取り上げ正岡子規を詳細に論じていたのである。3年生の通信は来年度の干支にちなんで「寅歳の慣用句」をあげて説明していた。
・ 私は片時もゆっくりとはせず、常に「テーマというかプロジェクト」を追い続け、その分、年度末には「関係先」が増えてくる。今年は「4月の多聞尚学館の開館と6月の関西大学との連携調印」があったことである。今年はこの二つのプロジェクトを中心に推移したような気がする。
・ 「プロジェクトX」のメンバーが7時45分頃に部屋に入ってくる。大体私が6時40分過ぎには執務室に入るのを知ってるから、「朝、私を捕まえる」のが大分一般的となってきた。昨日の23日に「大きな動き」がったのである。
・ 別に難しい打ち合わせをするのではない。プロジェクト進捗の要点の報告を受けて、判断し「新たな作戦指示を出す」のが私の仕事である。細かいところは管理職が「こなして」呉れているから、「最後の方針決定」である。このシステムが機能してきた。だから「意思決定が極めてスピーディ」になってきている。大変結構である。
・ 朝会の後、「多聞尚学館」に激励に赴く。2クラスが冬期講習を2泊3日でやってくれている。「数学と古典」であった。「極めて真剣」に取り組んでくれており私は大変気分が良かった。部屋に入ると一瞬の雰囲気で私は分かるのである。
・ 多聞はこの後週末26日から28日まで2泊3日、歳が明けて1月4日から6日までで「冬期講習」が入っている。特に正月明けは120名を超える大人数である。正月明けくらいは「ゆっくり」したいだろうがそれでは差がつかない。「人がやっていないときに勉強するという気概」が必要である。
・ 多聞に行く前に「千早赤阪村の松本村長に年末のご挨拶」に赴いた。本当に今年は多聞の売却という一大事を見事にやって頂き「感謝、感謝」あるのみである。大いに盛り上がり来年もお互い宜しくということになった。
・ 富田林、河内長野市との合併が頓挫し「村単独」で生きていくわけだから色々と協力をして欲しいとお願いされた。本校も微力ではあるが、出来るだけお力になりたいと思う。大阪府に「たった一つの村」があっても良いではないか、というのが私の考えである。
・ 学校に戻り年末のご挨拶を受けたりする。その後「関西大学の理事長先生」を訪問して年末のご挨拶をした。今年はわざわざ理事長と学長先生が学校に来ていただき連携調印式と生徒への講話をしていただき誠に有難いことであった。理事長先生には歓待していただき、昨今の「関西大学連携浪速中学校の入試説明会の状況」などをご報告申し上げた。
・ 最近いささか「気が焦っている」のは一つ仕事を抱えているからである。それは「さる教育雑誌社から論文の投稿を依頼」されており、それが「公立高校の授業無償化」について何か書いて欲しいというものである。
・ 書くのは簡単なことだか「公立高校の授業無償化が私立高校へどのような影響を及ぼすのか」触れなければ私が書く意味はない。微妙な問題ゆえに「どこまで書くか」「批判的に書くか、抑えて書くか、歓迎と書くか」「大阪府の勧めている就学推進校との兼ね合い」とかまだ頭で整理できていない。
・ ブログなどは書きたいように書けば良いのであるが「しっかりした教育図書」であれば、いい加減なことは書けない。私は教育評論家ではなくて「一学校を預かっている身」に過ぎず、普遍的に書くと「出過ぎ」かも知れないし、あれやこれと考えると慎重になるのである。書いたことには責任が伴うからだ。
・ 関西大学に赴く車の中で「学年通信」というものを読む。「移動の時に資料に目を通す」作業は、気分も落ち着いて、時間の有効利用にもなり、これは私のスタイルである。本校には良い点が多くあるが、その中に「学年通信」というものがある。
・ 学期末に学年主任が生徒・保護者宛に「通信文」を出すのである。「手作り」である。それに類、コース長なども発行することもある。それぞれの人間性が出ており私は書いた内容もさりながら、どのようなことに視点が言っているのか興味があるのである。
・ 忙しい中で「ご苦労さま」という感じだが保護者には大変喜ばれるのではないか。例えば今回は「冬休みの宿題」など情報提供しているし「3学期の予定」なども事前にお知らせしているからだ。
・ 便利な世の中になったもので「パソコン一台」あれば簡単に出来てしまう。画像などの貼り付けなど「お茶の子さいさい」で先生方はしてしまう。言い換えれば「パソコンが自在に操れないと」教師の仕事は大変だということである。
・ もちろん出来ないからと言って「給料が減ることはない」が、それでも役職者や分掌の仕事に支障を来たしてしまうことに成りかねない。私などはワードで文章を作るだけだが先生方の中には素晴らしい能力をお持ちの先生が多い。
・ どう贔屓目に見ても本校は「ITの達人」が多いと思う。これは「私の誇り」である。一定のレベル以上の先生の数は10名以上はおられると思う。この10名というのはハードもソフトも扱える上級者という意味で文章がただ作成出来るというわけではない。
・ 学校の「公式サイトの設計製作」なども一人で出来る先生もいるし、「成績処理システム」なども教員の手による自作品である。サーバーの取替えなども簡単な話で第一「校内イントラネットシステム」も自前の作品である。
・ いまや「アウトソーシング」の時代であるがこれには「後々引きずる」という仕組みがある。例えば外部のソフト会社にホームページの作成をお願いしても「管理費」がその後永遠に要求されるということにもなり兼ねない。
・ 従って「自力でやる」ということは極めて合理的なことなのである。前述した学年・コース長はすべてを自分で行っているからそこには「自分の匂い」を醸し出すことが出来る。このことは極めて重要なことである。
・ 「自分の言葉」で「自分の言い回し」で学年通信を書くことが生徒に人間の言葉として伝わる。これが複数の人間の合作であればそこには政党の機関紙みたいな無味乾燥なものになりかねない。私はこれらの先生の手になる学年・クラス通信を高く評価する。
・ 今回の学年通信においてKクラスは「KIファイターズ」と題してオーストラリアからの留学生特集を組んでいた。英文が入っていたりして大変面白い内容であった。2年生の学年主任は「浪速Ⅲ類新聞」と表し、新聞形式で「冬休みの課題」を徹底して記述している。
・ 高校1年のⅡ類は学年通信「万有引力」という題であるが今話題のNHKドラマ「坂の上の雲」を取り上げ正岡子規を詳細に論じていたのである。3年生の通信は来年度の干支にちなんで「寅歳の慣用句」をあげて説明していた。