・ 明けましておめでとうございます。今年も頑張りますので宜しく御願い致します。当面5月31日までを目標にブログを書く積りです。それで「丸々3年ほぼ日々更新」して書いたことになり、「一区切り」と思っています。その後のことはそれまでに決めることになるでしょう。
・ この年末年始、大きな事件はなかったように思いますが、新聞記事で興味があったのは「民主党の小沢幹事長宅へ年始に伺った人間の数が国会議員を中心にして166名」というものがありました。この小沢さんと言うのは昨年暮れにも150名近い国会議員を連れて北京に行っていましたね。
・ 「何と民度の低い社会だろう」と憤慨しても仕方がありません。政治の世界は未だにこういう世界なんだろうと思いますね。芸能の世界などもそうではありませんか。師匠の家に弟子が年始に伺わなかったら師匠からは「お前も偉くなったものだ」と皮肉を言われるのだと思いますよ。
・ 特に小沢さんはこういうことが「お好きな性格」なのだと思います。意識しているのかもしれませんね。私などとはこの点では正反対です。私などは年末年始のゆっくりした時間を「人知れず引き篭もって一人になりたい」ものです。
・ 小沢さんは民主党の新人議員の「生殺与奪」の権利を間違いなく握っているのですから、新人が「偉そうに」言っても「じゃ、自分ひとりで当選して来い」となど言われたら返す言葉は無いのでしょう。まさに「数は力」です。
・ しかしこういう習慣はついこの前くらいまで「歴然」としてあったのです。私の父は大正生まれの国家公務員でしたがまだ私が小学生の頃に毎年正月2日にはネクタイをして上司の家に「お年賀」に行っていた記憶があります。父がまだ30才台の時でした。
・ 一昔前までは公務員もサラリーマンも正月2日にはお世話になっている「上司やお仲人」さんの家にご挨拶に出向いたのが日本の文化でした。今でもふるさとの家長の家に兄弟親族縁者が寄るというのは残っています。
・ 私の時代にはもうそのような習慣は薄れてきていましたが、とにかくお正月の年賀訪問は「古き良き時代」のものであったのです。私は新聞記事やテレビで小沢邸の年始の様子を注意深く観察していましたが「おせち料理」などはあまりなくて瓶詰めの清酒1号瓶がやたらと目立ったテーブルの上でした。
・ 要は「行ったか、行かなかったか」「あいつは来たか、来なかったか」が大切なのであっておいしい御節料理を期待してのことではないのです。それにしても小沢一郎という政治家は「古臭い」政治家で師匠の田中角栄元総理大臣に心酔しているのでしょうがちょっと「違う」感じがしてなりません。
・ 私が大阪に本格的に居を構え、正月2日に自宅を開放して「年賀をお受けする」としたら果たして何名の先生方が来てくれるでしょうか。ちょっと間違うと「行かないとまずいことになる」などの噂で結果的には「無理強い」となることは目に見えていますよね。
・ 木村邸に年賀に行った先生は「改革派」で行かなかったのは「守旧派」などと色分けする不届き者が現れたら大変です。大体受け入れるほうも大変ですよ。お寿司の桶を幾つも用意し、上手い酒を準備しなければなりません。だからこういうことはしないほうが良いのです。元来お正月はファミリー、ご家族と過ごすべきなのです。
・ 新年の年賀、それに代わるものとして「年賀状」がますます人気で数値的には伸びていると言います。すぐ職場で顔を合わすのだから「年賀状など意味はない」というのは少し短兵急な結論ではないでしょうか。
・ 1年の計は元旦にあり、だからまず年始早々自宅を訪問して「ご挨拶」をする代わりに「年賀状で代替」すると言うのはある意味、今日的な社会情勢を反映した必然的な合理的流れであったと考えることも出来ます。最近ではメール年賀状が出てきました。
・ しかし年賀状を観察するだけで「栄枯盛衰」「時の流れ」を感じます。昔の企業時代では範囲も数もすごいものでした。その後公立高校の校長になり、その後今の私立高校勤務があります。今や企業時代の年賀状は少なくなり、公立高校時代のお付き合いも段々と減ってきました。当然現在は私学関係者の数が増えて来ています。そして現在の勤務先においても「年賀状の変遷」を見ると面白いものがあります。
・ 着任した当初は極めて少ないものでしたが今年などは「来ていない教職員はごく僅か」の有様です。加えて一言書き添えている内容に「お人柄」が表れており大変興味があります。「決意や覚悟」などが書き添えているものは受け取って嬉しいですね。そうかと思えば「お義理」で書いたとさも分かるようなものから、まさに「人生も色々、年賀状もいろいろ」です。
・ 今年の年賀状で感慨深かったのは昔の知人からのものでした。1年に一度賀状を交わすだけの関係になっていましたが、もうそれも今年で終わりにしたいと書いてありました。80歳を超え「人生の整理に入る」からと言われるのです。
・ もう一つは本校の先生だというのは分かるのですが、肝心のお名前を書いていないのでどなたなのかさっぱり分からずご返事を出せませんでした。そういうわけで明日学校で書かれている住所からご本人を確認しようと思っています。
・ 明日が本校の「仕事始め」となります。本日私は昨日の4日から始まっている「多聞尚学館」の2泊三日の冬季講習の激励会に出かけました、1年生と2年生の総勢120名です。生徒は正月気分と決別して頑張ってくれていました。それにしても正月早々から頑張ってくれている5名の先生には頭が下がりました。心から感謝しています。
・ このようにして「寅年の平成22年度」は始まりました。「フーテンの寅さん」は愛すべき人物でしたが、浪速がフーテンの寅さんになってはいけません。私は年末年始ゆっくりとじっくりと休ませて貰いましたので、徐々に「ヒートアップ」して今年も「本校のために不退転の決意で頑張る」積りであります。
・ この年末年始、大きな事件はなかったように思いますが、新聞記事で興味があったのは「民主党の小沢幹事長宅へ年始に伺った人間の数が国会議員を中心にして166名」というものがありました。この小沢さんと言うのは昨年暮れにも150名近い国会議員を連れて北京に行っていましたね。
・ 「何と民度の低い社会だろう」と憤慨しても仕方がありません。政治の世界は未だにこういう世界なんだろうと思いますね。芸能の世界などもそうではありませんか。師匠の家に弟子が年始に伺わなかったら師匠からは「お前も偉くなったものだ」と皮肉を言われるのだと思いますよ。
・ 特に小沢さんはこういうことが「お好きな性格」なのだと思います。意識しているのかもしれませんね。私などとはこの点では正反対です。私などは年末年始のゆっくりした時間を「人知れず引き篭もって一人になりたい」ものです。
・ 小沢さんは民主党の新人議員の「生殺与奪」の権利を間違いなく握っているのですから、新人が「偉そうに」言っても「じゃ、自分ひとりで当選して来い」となど言われたら返す言葉は無いのでしょう。まさに「数は力」です。
・ しかしこういう習慣はついこの前くらいまで「歴然」としてあったのです。私の父は大正生まれの国家公務員でしたがまだ私が小学生の頃に毎年正月2日にはネクタイをして上司の家に「お年賀」に行っていた記憶があります。父がまだ30才台の時でした。
・ 一昔前までは公務員もサラリーマンも正月2日にはお世話になっている「上司やお仲人」さんの家にご挨拶に出向いたのが日本の文化でした。今でもふるさとの家長の家に兄弟親族縁者が寄るというのは残っています。
・ 私の時代にはもうそのような習慣は薄れてきていましたが、とにかくお正月の年賀訪問は「古き良き時代」のものであったのです。私は新聞記事やテレビで小沢邸の年始の様子を注意深く観察していましたが「おせち料理」などはあまりなくて瓶詰めの清酒1号瓶がやたらと目立ったテーブルの上でした。
・ 要は「行ったか、行かなかったか」「あいつは来たか、来なかったか」が大切なのであっておいしい御節料理を期待してのことではないのです。それにしても小沢一郎という政治家は「古臭い」政治家で師匠の田中角栄元総理大臣に心酔しているのでしょうがちょっと「違う」感じがしてなりません。
・ 私が大阪に本格的に居を構え、正月2日に自宅を開放して「年賀をお受けする」としたら果たして何名の先生方が来てくれるでしょうか。ちょっと間違うと「行かないとまずいことになる」などの噂で結果的には「無理強い」となることは目に見えていますよね。
・ 木村邸に年賀に行った先生は「改革派」で行かなかったのは「守旧派」などと色分けする不届き者が現れたら大変です。大体受け入れるほうも大変ですよ。お寿司の桶を幾つも用意し、上手い酒を準備しなければなりません。だからこういうことはしないほうが良いのです。元来お正月はファミリー、ご家族と過ごすべきなのです。
・ 新年の年賀、それに代わるものとして「年賀状」がますます人気で数値的には伸びていると言います。すぐ職場で顔を合わすのだから「年賀状など意味はない」というのは少し短兵急な結論ではないでしょうか。
・ 1年の計は元旦にあり、だからまず年始早々自宅を訪問して「ご挨拶」をする代わりに「年賀状で代替」すると言うのはある意味、今日的な社会情勢を反映した必然的な合理的流れであったと考えることも出来ます。最近ではメール年賀状が出てきました。
・ しかし年賀状を観察するだけで「栄枯盛衰」「時の流れ」を感じます。昔の企業時代では範囲も数もすごいものでした。その後公立高校の校長になり、その後今の私立高校勤務があります。今や企業時代の年賀状は少なくなり、公立高校時代のお付き合いも段々と減ってきました。当然現在は私学関係者の数が増えて来ています。そして現在の勤務先においても「年賀状の変遷」を見ると面白いものがあります。
・ 着任した当初は極めて少ないものでしたが今年などは「来ていない教職員はごく僅か」の有様です。加えて一言書き添えている内容に「お人柄」が表れており大変興味があります。「決意や覚悟」などが書き添えているものは受け取って嬉しいですね。そうかと思えば「お義理」で書いたとさも分かるようなものから、まさに「人生も色々、年賀状もいろいろ」です。
・ 今年の年賀状で感慨深かったのは昔の知人からのものでした。1年に一度賀状を交わすだけの関係になっていましたが、もうそれも今年で終わりにしたいと書いてありました。80歳を超え「人生の整理に入る」からと言われるのです。
・ もう一つは本校の先生だというのは分かるのですが、肝心のお名前を書いていないのでどなたなのかさっぱり分からずご返事を出せませんでした。そういうわけで明日学校で書かれている住所からご本人を確認しようと思っています。
・ 明日が本校の「仕事始め」となります。本日私は昨日の4日から始まっている「多聞尚学館」の2泊三日の冬季講習の激励会に出かけました、1年生と2年生の総勢120名です。生徒は正月気分と決別して頑張ってくれていました。それにしても正月早々から頑張ってくれている5名の先生には頭が下がりました。心から感謝しています。
・ このようにして「寅年の平成22年度」は始まりました。「フーテンの寅さん」は愛すべき人物でしたが、浪速がフーテンの寅さんになってはいけません。私は年末年始ゆっくりとじっくりと休ませて貰いましたので、徐々に「ヒートアップ」して今年も「本校のために不退転の決意で頑張る」積りであります。