2010年1月31日日曜日

1月31日(日)教職員雅楽団
















・ 本校の教職員で構成する「雅楽団」の練習が25日に始まった。神社神道の学校として本校に勤務する「教職員の同好会」ではあるが、正直私の「強い思い」もあってお願いしている「正式な職域団体」として位置づけている。今のところ10名でスタートした。
・ 本校の「例祭」などでこの雅楽団がクラブ活動の生徒たちと合同で演奏してくれたらどれだけ生徒や「学院神社の神様」は喜んでいただけるであろうか。又一人の人間として日本古来の和楽器である雅楽の楽器を「奏でる」ことが出来れば「人生の側面を華やいだものに出来る」だろうと考え始めたものである。
・ 「龍笛」は竹で出来た横笛であり、7つの指穴を持って能管、篠笛などの「和楽器の原型先祖」と言われている。その音色は「舞い立ち昇る龍の鳴き声」と言われることから「龍笛」」と名づけられたと物の本に書いてある。
・ 古代から貴族や武将に好まれ、有名な「牛若丸源義経の笛」なども龍笛である。宮本武蔵の恋人「お通さん」が吹くのも龍笛である。「清少納言」も吹いており「枕草子」には「楽器の中では笛がとても良い」などの記述がある。この龍笛がシルクロードを伝わって、ヨーロッパで「フルート」になったといわれている。
・ 私は支援の一環として「龍笛」を一人ひとりにこの月曜日にプレゼントする。最も竹製は高価で手が出ないから「プラスチック製」であるがこれで「我慢」して貰わねばならない。腕が上がったら自分で良いものを求めて欲しい。
・ そのうちに「装束」の用意も考えている。総合指導は大阪では第一人者の先生にお願いし、その先生の下、様々な指導者から「指導をお受けする」ということがあっても一向に構わない。費用は一切法人が支援する。
・ 年度末には「40畳の和室の大広間」が完成し、そこには「雅楽器格納庫」も設置するようにしている。「歌舞練場」である。先生方には1年くらいで「何とかいける」ようになってくれれば有り難いが急ぐ必要はない。個人差もあるだろうし、あくまで「生徒に向き合う教師としての仕事が最優先」であることは言うまでもない。
・ 最初のレッスンで「龍笛」が最初から最後まで「鳴らなかった」先生がいて「次回までに絶対鳴らしてみせる」と息巻いていたらしい。この先生は英語の先生だから「発音の関係」で上手く「舌」が回らなかったのではないかと私は考えている。
・ 他にも「やってみたい」と思われる先生がおれば「大歓迎」である。私個人も関心があるが「とても時間がない」と思って止めることにした。「職域」のこのような文化活動の地域大会、全国大会も多くあり、将来「浪速高校教職員雅楽団」として出場してもらうのが夢である。
・ とにかく浪速教職員雅楽団の皆さんには「頑張って欲しい」と念願するばかりである。「忙中閑あり」である。忙しい毎日の中で「ちょっと一服するゆとり」があっても良いではないか。返ってその方が「本業の方で良い仕事が出来る」と私は思っているのである。

・ 今日は「第30回大阪府高等学校芸術文化祭日本音楽部門のコンクール」があり午後「ドーンセンター」に赴いた。本校の雅楽部が出演した。ただ残念なことに学校の制服着用が義務つけられており、折角の装束を着用できなかったという。
・ 公立の学校に遠慮してというから「それはないだろう」と顧問の先生に言ったのだが仕方がなかった。「姿形から入っていく」というのは大切なことが分かっていないのだ。「雅楽は神にご奉仕するもの」で西洋音楽の個人の楽しみとは少し違うだけに衣装は重要なのである。
・ それにしても「素晴しい演奏」であった。観客席の皆様も珍しいと見えて真剣に聴取されていた。特に「大太鼓」の迫力が全体を盛り上げていた。龍笛、篳篥、笙、小太鼓、鉦と「一応全ての雅楽用の楽器を私は3年で揃えた」ことになる。「よくぞここまで来た」という感じだがプロ級の3年生が卒業するので後が心配である。

・ ところで「神社新報」という神社関係の新聞を読んでいたら興味ある記事があった。「ヨシを守れ」「雅楽関係者が活動」である。分かり易く言えば雅楽器の中で「篳篥(ひちりき)」というのがあるがこれの原材料は「ヨシ」でヨシの中でも唯一絶対のものが高槻市の淀川右岸の「鵜殿」産というか地区のものでなければ駄目だと言う。
・ この地区に高速道路計画が進捗中でこれがなされたらアシは全滅と国土交通大臣に対して請願活動をしていると言う。そのメンバーの呼びかけ人は「東儀俊美日本芸術会員・元宮内庁楽部首席楽長や九邇邦昭神社本庁統理」など全国の雅楽関係者だというのだから本格的である。
・ 雅楽は独特な音色と雰囲気を持つ日本の伝統楽器であるが宮内庁の雅楽は国の重要無形文化財の指定を受けているし、ユネスコの無形文化遺産にも指定されている。「笙(しょう)」「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」の三つを「三管(さんかん)」と言う。
・ どの楽器も主に竹をはじめ植物で作られておりその保護や製作技術の継承にも力が注がれているが、三管の中でも「主旋律」を担当する「篳篥」はその濃厚な音が「地上にこだまする人々の声」とまで称されているらしい。西洋楽器の「オーボエ」に近い構造だという。
・ この楽器の中枢部分である「蘆舌(ろぜつ)」というリード部分が「ヨシ」で、それも高槻市の「鵜殿のヨシ」でないと「使い物にならない」と記事にはあった。ヨシは全国いたるところにあって関東では利根川、関西でも琵琶湖にも多くあるが駄目だという。
・ 興味があって調べてみると鵜殿のヨシ原は平安時代から歴史があり、江戸時代の「楽家録」には「鵜殿のヨシは固くしまっている」と書いているそうだし、明治4年には宮内省が「鵜殿のヨシの刈り取りを願い出た」との記述もある。
・ とにかく素晴らしいものだということは歴史的経緯で分かった。だから「鵜殿のヨシを守れ」となっているのだろうと確信したので本校も「呼びかけ人」に登録されても良いなと思った次第である。

・ 以上でまがりなりにも新武道館の和室の「歌舞練場」の使用主体は雅楽団と生徒の雅楽クラブで形が付く。多く言われていることであるが、何かの「箱物」を作った当座は興味関心があって「賑わう」が少し経てば「誰も行かない」などという光景は日常茶飯事である。
・ 私はこれを「忌み嫌う」。お金を捨てた気がするのだ。無理やりでも「使って貰う」ことを考えるのが私の仕事である。「多聞尚学館」もそうだった。「週末スペシャル」がそうであった。最初から「使うように仕組みを作る」のが私の責任である。教職員雅楽団の狙いの一方はここにあるのである。

2010年1月30日土曜日

1月30日(土)ボーイスカウト大阪第165団











・ 本校は正式に「日本ボーススカウト連盟」から加入を認められて大阪連盟阪南地区に所属し活動することとなった。「名誉」なことである。昨日、「東京本部から取材」の為大阪連盟の役員の方と学校に見えられ、ご挨拶する機会があった。
・ 時間のあった先生方にも同席していただいて「夢を語る懇談会」となった。「学校にクラブ活動としてボーイスカウト活動が誕生」したことは「日本ボーイスカウト連盟本部」でも話題となっているそうであり、そのための取材だと言われる。
・ 機関紙「はんなん」には私の「発団にあたってのあいさつ文」が掲載された。「公式メッセージにアップ」されているのでお目を通して頂ければと思う。今日の取材で全国版公式機関誌の「Scouting」に掲載されることになるのか。
・ 我々は今スタートしたばかりで具体的な活動はこれからであるから、中身はまだない。「注目されるのが恥ずかしい」が「生徒の為になること」であり、一挙に立ち上がっては行かないが「徐々に力をつけていきたい」と私は述べたのである。
・ 団番号は「大阪第165団」である。クラブ活動の一環としたのはその方が「支援をし易い」からである。学校がクラブを支援するのは当然である。元々の発想は本校「教育の目的」に「奉仕の精神を養」ことを入れたことが起点である。
・ その前にまず「浪速生活の綱領」をまとめ、その中に「世のため、人の為に尽くす」を入れている。「人様から感謝される行いをする人間になろう」ということである。まさしく「神社神道の精神を有する本校の真髄部分」である。
・ 「豊かな心、すがすがしい心、人から感謝される喜び」を生徒に感じてもらい、心と体と頭を鍛える、一言で言えば「頼もしい人間」に育って欲しいと念願しているということである。この「頼もしいの言葉」に思いの全てが含まれている。
・ 全く新しい形のもので「地域とは別個に学校内にボーイスカウト団」があるというのは日本全国広しと言えども大学は別にすれば浪速だけではないのか。それだけ「我々には責任」がある。「試行錯誤」となるが「坂の上の雲」であり、勇気を持って取りに行かねばならない。
・ 今年は「第15回日本ジャンボリー」が静岡県の朝霧高原で行われる。「テーマ」は「世界に向かってでっかく羽ばたけ」である。私は本校の生徒に地域への貢献やキャンプなどを通じ「優しいそして勇気のある青少年を育成」するために頑張って行きたいと考えている。
・ 金剛山の麓には「多聞尚学館」があり、この度「堺市に校外グラウンド」を保有することとなった。私は大阪連盟の役員の方々にこれらの施設を「どうそご自由にお使いください」と申し上げたのである。
・ この浪速ボーイスカウト第165団が「地域への貢献」「各種社会的行事やイベントへの応援」などで活躍してくれれば有り難い。昔あった「林間学校」なども生徒の希望者を募って「キャンプ」を張ったらどうかという考えもある。
・ 地区の子どもたちを本校のボーイスカウトメンバーが多聞尚学館に招待して金剛山の「クリーンアップ作戦」とう考えもある。アイデアは色々と浮かび上がってくるのではないか。

・ 又昨日は時間があったので「堺のグラウンドの工事進捗状況」を視察に訪れた。着々と進んでおり周囲の「潅木」や草木の伸びたものを伐採していた。何しろ広いものだから大変であるが「散髪屋」に行ったみたいで「さっぱり」した風景に変わりつつある。
・ 周辺では最も高い位置にあるからとにかく「見晴らし」が素晴らしい。これでバックネット裏に「観覧席」でも完成すれば「眺望は一幅の絵画」になるだろう。生駒山脈、葛城、金剛山と「パノラマ」みたいに広がる。
・ 私は「防球ネット」が完成すれば周辺に「桜の樹木」を植えたいと思った。これが満開になったらさぞ「美しい」と夢想するのである。本当に「良い買い物」をしたと思う。とにかく35分で十分行ける距離にあるから機動的で、今後多聞尚学館とこのグラウンドは頻繁に行く場所になる。楽しみである。
・ 昨日は「グラウンドの正門」になるところの工事をされていた。高台の最も良い位置に門が出来る。右は「堺カントリークラブ」の正門である。ここの名盤(表札)は御影石に彫られた素晴らしいものであるが本校はこのような「贅沢なもの」は出来ない。
・ 今の考えは本校の正門の表札が「関西大学連携浪速中学校」に代わるのにあわせて取り替えるから今のものを「流用」してグラウンドの正門の表札にしたらどうかと担当には言っているのである。

・ 「願書受付もトラブルなく順調に山場を過ぎた」。受付件数は昨日16時で2531件である。今日は土曜日なので休みであるが後残り2月1日と2日でまだ数十件出るだろう。郵便局からの連絡では「検定料を振り込んでくれた保護者は2591件」である。計算では後最大60件は出る筈である。
・ 昨年の2466件は既に大幅に超えている。又「専願受験者が昨年対比で大幅に増えており」、これに浪速中学校からの進学者が付け加えることになるから専願数は「新記録」となるだろう。「嬉しい限り」である。しかしまだ「蓋を開けるまでは分からない」。問題は勿論「戻り」である。私は「心配性」なのである。
・ 受付会場は縮小して後残った2日間は事務で行う。「教室の清掃、レンタル椅子の手配、会場段取り、臨時のトイレ増設」などやることが山ほどある。2500名超えて、中学3年生が2月10日に本校に来る。これだけの大人数は初めてのことである。
・ 採点作業も量が多いが、慎重が上にも慎重に進めなければならない。そのため今年から教務部は新たな方策を考えてくれている。2月11日の「生徒面接試験」とあわせて年度末の大きな山場である「高校入試の足音」が確実に聞こえてきた。

2010年1月29日金曜日

1月29日(金)学校の組織化











・ 日本経済新聞の1月25日朝刊に素晴らしい内容の記事があった。何が素晴らしいかというと勿論書いてある中身であるが、教育現場の捉え方が「素直で且つ正視」しているからである。「正しく現場の実態を捉えている」と言って良い。
・ 見出しは「自ら考える教師育成を」「学校改革で進む組織化」「学級作り関心薄く」とある。早稲田大学の油布佐和子教授の論文であるが一言で言えば、「校長の権限強化や教員評価制度の導入など学校現場の組織化が進む」と「逆にやりがい」を感じる教師が増加していると調査データを使って説明されているのである。
・ 油布教授の研究グループは「教職の専門性と教師文化に関する研究会」で1995年から定期的に全国調査をしたものである。教育改革の始まる以前の95年、改革幕開けの99年、そして現在に焦点を当てて「一連の教育改革が教師の仕事に何をもたらしたか」を明らかにしているのである。
・ 大体世の「教育評論家」と称する人々や昔、教師だった人、昔校長だった人などの意見は私に言わせれば「科学的」ではないことが多い。それは「自分の経験」でしか「ものが言えない」からである。
・ その点大学教授の発表する意見は「大学人らしく」、「データを重視」し、「論考を深めている」から「信頼に足る」のである。教育改革が教師の心情に何をもたらしたかという視点が良い。油布先生は元中学教諭のご経験があり実践的な新進気鋭の社会教育学者でその書物は大変参考になる。
・ 教職員団体は基本的に「学校改革」「教育改革」に反対である。理由は良く分からないが反対なのである。しかしこの論文は逆に学校改革が進み組織化が図られてくると「やりがいがある」と感じる教師の数は増えていると報じているのである。
・ 従来の「鍋蓋組織」を転換して「校長権限の拡大や組織マネージメントの考え方を導入することの優位性が今回の調査で明確に認められた」と先生は断言されている。昔は伝統的に「学校目標はすでに定められています」と言って金科玉条のごとく何年も同じ内容を「実際は何もしないのに」目標として語っていた学校が減少したという。
・ その代わり「校長の学校経営の基本方針」が定められるようになった比率が増加している。従って面白いのは以下の文章であった。“職員会議の内容は管理職が中心となって事前に協議する学校」が大幅に増えて運営方針や経営方針を論じるなどの比率はダウンし今や「行事計画の打ち合わせに重点」が置かれているという。
・ 全く今の本校の状態と同じである。本校では今や職員会議の時間が短くて「時には拍子抜け」するくらいである。これは別に意識してテーマを外し急いで進めているということではない。ネット上に「掲示板」を設け事前にそこに貼り付け、「全員が情報を共有」しまずそれぞれが認識し、「考える時間」を十分取っている。
・ まず何より「校務運営委員会での議論が盛ん」で大筋そこで方向が定められている。それに職員会議では校長方針が極めて明確に「徹底して説明」されてきているからである。職員会議は全員の「ベクトルあわせ」と「意思結集の時間」と変化しているのである。
・ 毎回毎回、時間を取って「グチャグチャ」議論するようなテーマが学校現場にそう有るわけではない。教員社会は意識無意識に「職員会議で誰かの提案」を事前の深い洞察や研究など無くて「思いついたままに意見ではない、単なるしゃべくり」をしていることに気づかないのである。
・ 職員会議で「あれこれ思いついたままに発言すること」が「民主的」と錯覚ししたところがある。だから職員会議では結局何も決まらない。それが「校長提案」だったりするとまず一回や二回の職員会議で決まるはずもないからである。それが「組合員提案」だったりすると「すんなり」決まったりするから不可思議なものである。
・ 教員の仕事は忙しいが「それは忙しい人もいる」ということであって全ての教員が忙しいわけではない。まず専任教諭や正教諭のやることは「若い世代に仕事を振る」「正職ではない講師の先生などに業務を振る」のが実態の姿である。
・ 特に常勤講師などは何とか「認めて貰って正職員になりたい」から「黙々と笑いながら振られた仕事にかかる」のである。「哀れな話」で切ないものだ。ところが学校が組織化されるとベテランと言えども「サボるわけには行かない」し、「評価で給料が下がるのは嫌だから」、ベテランと言う世代も仕事をせざるを得なくなったのである。
・ この新聞記事にも確かに「繁忙感はあるが教師になって良かった」と思う比率が増加し、「やりがいがある」と答えた教師も95%を超えて過去2回の調査時と大きく変わっていると言う。
・ 多忙で慢性的に疲れを感じているが「教師になって良かった、やりがいがある」と答えている理由は一体どこにあるのかと油布教授は論考を進めている。分析の結果、「子どもの人格のあらゆる部分に関われる」とか「生徒に自分の人生経験や人生観を語る」ことではなくて「学力を中心として教える」「学力をつけてやる」というコミットメントがやりがいに繋がっているといわれるのである。
・ 同僚関係も変化し「学校を離れてもインフォーマルに付き合う」ような日常的な交流や同僚と教育観や教育方針について話し合うというものから「互いの授業を見たり指導に意見を述べ合ったりする」「組織構成員としての交流」に変化したと書いてある。
・ 私はこれらの記事を読んで「我が意を得たり」と満足した。まさしく本校の学校改革が進捗するにつれて見えてくる光景がこの論文の教育現場の観察と問題の視点とそっくりなのに驚くと同時に嬉しくなるのである。
・ そして教授は最後に「このように組織に適合的な教師の増加を手放しには歓迎できない」とされ、その理由として「判断や決定を組織の上位に委ね、自ら教育のあり方を構想することの出来ない末端技術者としての教師が増える」書いておられる。「末端技術者的教師」ですぞ。こういう表現は分かり易い。
・ そのために「子どもの実態に向き合っている教師同士が互いに状況を共有し、議論を重ね、社会・時代の変化に敏感でありつつ、広い意味での文化伝達の役割を担うことが必要であり、そのために考え、行動する教師の育成と学校現場での条件整備が求められている」が結言である。
・ 以上の最後の4行は本校の教員は胸に叩き込んで欲しい。私は「考え、行動する教師を育成」するためにこの3年間やってきたようなものだ。私の人生はほぼ先が見えてきている。しかし20代、30代の先生方は「これからの時代を浪速の教育現場で生き抜いていかねばならない。新しい浪速教員文化を創造して欲しい」のである。自ら考えて欲しいのだ。

2010年1月28日木曜日

1月28日(木)高校2年生校長講話
















・ 今日は高校2年生への「校長講話」の日であった。年に一度の「校長の授業」と言っても良い。6限に全員を体育館に集めて床に「べた座りでリラックス」させて話を聞かせるのである。私はくだけた雰囲気が好きだ。
・ 学年主任には体育館は寒いので「マフラー」など暖房用のものは構わないからと言ったのである。後1ヶ月で遅ればせながらの「修学旅行」が待っている。元気で行かせてやりたいのである。
・ まあ校長の話と言っても「頑張れ」というくらいにしか中身はないのだが、それでも「校長の肉声で生徒に語りかける」ことは「意味あること」と思って着任以来続けているのだ。どうせ頭には全ては残らないだろうが、頭のどこかに一言でも響いてくれれば良い。
・ 私は必ず自分で作った「レジュメ」を用意して臨む。校長だからと言って資料なしの口頭のみの講義では今日の生徒に訴えるには無理がある。だから私は資料を作る。本日のタイトルは「今この時を大切に・・・志を持て」とした。A4版2枚である。
・ 2年生に言うことは「3年生を目前にして自覚を持て」という内容であるが、生徒たちは「社会の仕組み」とか「就職」とか「会社とは」とかの話になると幾分「真剣なまなざし」をする。
・ そういうことをしゃべれるのが私の「強み」で学校の先生方は「企業社会のこと」は知らない。数学や英語など教科のことはよく知ってはいても大切なことは「社会に送り出すための基礎基本」であり、学校教育の大きな目的もそこにある。
・ 大体高校2年生がもっとも「弾ける」学年で、これが4月以降3年生になれば途端に「大人になる」から不思議である。将来のことを考え始めるのであろう。ところが高校1年生が今度は2年生になって「自分たちの時代が来た」と弾けるから学校の雰囲気は基本的には変わらない。
・ 新入生は「最初は大人しい」が時間が経過するにつれて「変貌していく」。その変わり目は「夏休み後」である。「ころツ」と変わると行って良いかも知れない。中学生から完全に高校生に切り替わるのである。本当にこのような生徒たちの変化を観察していくのは面白いのである。
・ 今、願書受付に来ている中学生たちの「なんと可愛いことか」。でもこれも後4ヶ月後には「昔の面影、いま何処」となるのである。最近私は「私学の頑張らねばならないことは生徒生活指導にある」と考えるようになってきている。
・ 勿論最大最重要な眼目は「学力」であることは間違いない。ここを外したら「学校の意義」は無いからだ。家でお父さんやお母さんが数学や英語や古典を教えることは出来ない。だから学校があるのであって「生きていく力に学力・知識を基にした判断力」が必要なことは間違いない。
・ 「学校は学力だけではない」ということに考えの重みが移動しつつある。これは特定のグループが言うような「学校は教えるところではない。子どもたちがやるのを支援する」などの「寝言」を補強する意見ではなくて「団体規律」「社会規範」「日常の生活習慣」などを「しっかりと教えて行く」ことが重要な私学の「アッピール」になると考えるようになったのである。
・ 「やんちゃな生徒」を「根気良く」教えていかねばならない。「愛情を持って」厳しくすれば生徒は分かってくれるし、将来そのような先生の指導を「分別が付く年頃」になって「あの先生は正しかったし、良かった」と分かって来る筈である。
・ 元々本校は「生指には厳しい学校」として名をはせていたが、今日若い世代の20代、30代の先生が増えてきて、これらの先生群は「ゆとり教育世代の走り」であり、「個性尊重でもてはやされた世代」でもあった。
・ 私は今世代交代を進めているが「一方では本校の良さの継続」を忘れてはならないと思っている。おかげさまで「生徒生活指導の浪速」の精神は受け継がれてきている。ベテランはその点「上手い」のである。
・ 「キャーッ」とヒステリーを起こして生徒を追い込むことだけが生徒生活指導ではない。「軟投も剛速球」も投げられなければならない。このブログにも何回も書いてきたが「生徒生活指導が出来ない先生」は困る。しかし「失敗はあって良いから失敗から学ぶ」という姿勢が必要である。
・ しかし若い先生は、当たり前であるが人生経験も足りず「教科指導」も「クラス経営」も「分掌業務」も「保護者対応」もとなったら、楽な仕事ではないが「ここをまず乗り越えないと教職としての価値」はない。そんじょそこらの「兄ちゃんや姉ちゃんが先生になっている」と言われかねない。「高度専門職」なのである。
・ 「生徒生活指導部門は最も勉強になる分掌」である。保護者と連携し「生徒の内なるものに迫る」という心理背景への研究は大いに「教師としての人間性を大きく広げる」と思う。時には「泣いて馬しょくを切る」こともあるだろう。
・ 生徒を前にして立てば「本当にやりがいのある仕事」だと感じる筈だ。教職と言う仕事は「麻薬みたいに体を心を痺れさせる」のではないか。そこを感じることが出来れば「教師としての誇り」とあれは「私の教え子」と胸を張って言えるのだと思う。
・ 一斉参拝、朝礼、そして始業式、終業式、入学式、卒業式、そしてこの校長講話が私が生徒の前に立てる機会である。そんなに多くは無いだけに私は「この一瞬を楽しむ」のである。そして「校長としての重大な責任」を改めて再確認し、自分自身に言い聞かせているのである。
・ 今日の講話の最後は例によって「校長の歌の披露」だ。「締め」である。今日の曲目は舟木一夫の「高校3年生」とした。昨日学年主任が探して持ってきてくれたものである。拍手、手拍子、声援ありの盛り上がりの中で私の仕事は終えたのである。

2010年1月27日水曜日

1月27日(水)ネーミング







「ネーミング」というものは難しいものである。会社名や新商品なども良い名前にしないと魅力を発散させ得ないから、失敗すると時には死活の問題となる。流行商品などは確かに良い名前を有している。
・ 大体子どもの名前だってそうである。親は如何に良い名前をつけてやるか腐心するものである。最近ではペットのネーミングを専門に扱う会社もあるとの話を聞いたことがある。
・ 私は本校の名前である「浪速」を大変に気に入っている。「浪速は大阪の古名の一つ」であり、現に「浪速区」というのもあるし、浪速が「」となっている会社などは極めて多い。
・ 平成18年に着任した時に、雰囲気を変えようと、例えば「国際浪速高校」とか「浪速文理高校」とか一瞬「校名の変更」を考えたが結局はやめにした。今は全くそのような考えはない。
・ ところがこの「浪速」を関東の人たちはどうもよく読めない人が多い。ある時は「ろうそく」と呼ばれて「ぶったまげた」ことがあった。昔務めたことのある府立高津高校の「高津(こうづ)」も仁徳天皇ゆかりの「高津宮(こうづぐう)」から来る由緒ある大阪の古名でもある。この高津も「たかつ」と関東の人は読む。川崎市に高津高校というのがあってどうもその影響もあるのかも知れない。
・ 一時期私立高校も「学校名を変えるのが流行った」。今でもその傾向は続いている。飛翔館高校は近大グループに入って近大泉州高校と名が変わった。このような例は枚挙に暇がない。当たり前だが学校法人が変わると学校名も変わる。
・ 昨今では「ネーミングライツ」というのがあって「お好きに名前をお付けください」と契約を交わす例が出てきた。「浪速高校の名前を変えて貰って結構です。ただし1億円ください」というものである。しかし3年ピッチで「ころころ」学校の名前が変わっては受験生に迷惑な話である。

・ 千早赤阪村立の旧多聞小学校を買収した時に私は既に名前は決めていた。すなわち「多聞尚学館」である。まず村や地元への敬意から「多聞の字は残すべき」最初から決めていた。
・ 千早の地で生まれ育ち、あれほど美しい死に方をした日本人は古今東西いなかったと日本外史に書かれている大楠公こと楠正成公の幼名である「多聞丸」の名前を戴いた小学校の名前から一字を引き継ぐのは当然である。このことは「地元の方々に大いに評価」された。
・ 下の「尚学館」の意味は読んで字のごとく学問を「尊ぶ、重んじる、更に、なお」の意味がある「」の字を持ってきた。割合と簡単に決めることが出来たのは、前から「尚志会」とかの名前を知っていたからである。とにかくこの「尚の漢字は奥深い」のである。
「週末スペシャル」も私がネーミングした。副校長が色々と考え案を持参して来たが「分かり易い」ことが最も大切である。どうもスペシャルという語感にいささか抵抗がある向きもあるかも知れないが、今はそうでもない。
・ 当事大阪府は橋下知事が教育改革を進め、東京の中学校で民間人校長となったリクルート社の藤原氏を招聘し、大阪で「夜スペ」という講習を盛んにPRしていた時期でもあって、私はこれに対抗して、それなら「週末スペシャル」と考えていたからである。
・ その「週スペ」も今や本校では「普遍的な言葉」となり、徐々に他校にも知られてきている。「名は体を表す」と週末特別な学習合宿をするという「週スペ」は分かり易いではないか。
・ 本校の「インテンシブコース」は略称で「Kコース」と呼ぶがこれは副校長のネーミングであったと思う。関大のK,木村のK,担当教諭の名前からのKの意味もあると聞いたことがある。
・ この4月から浪速中学校は関西大学と連携して「関西大学連携浪速中学校」とするがこれも色々とやり取りがあって最終的にこの名前になった。「係属校」とか「累系校」とかアイデアは多くあったのである。
・ 4月にあわせて「正門の表札を付け替えねばならない」。今の表札は現在の「改革の門」が完成した平成19年8月に私が書いたものを下地にして表札を作ったが、3年で変わる事となった。
・ ようやく気が充実してきたのと時間的にもボツボツと思い、昨日「浪速高等学校」と「関西大学連携浪速中学校」と繁栄を祈って半切紙に書いた。こういうものは「神経が集中」しないと書けない。出来あがったときに私の顔は真っ赤であった。
・ これを使って「銅版に金文字」のエッチングで表札を作ることになる。3月31日の理事会でお披露目だ。「浪速高校を門柱の右側に、関西大学連携浪速中学校を左の門柱」に付けることとした。

・ さて堺市に今度持つ「校外グラウンド」であるが「この名前をどうするか」現在思案している最中である。野球、サッカー、ラグビ、アメフトなどの「多目的グラウンド」であるから単に「野球場、スタジアム」とはしない。早く決めて門柱を立てねばならない。

・ 「 新武道館」については当初「良い名前」を考えることとしていたが過日の打ち合わせで「浪速武道館」とすることとした。「ごちゃごちゃ」した名前よりもその方が単純で分かり易いと考えたのである。
・ しかし中のそれぞれの種目別の「道場については個別に名前を付ける」こととした。現在思案中である。剣道場は顧問の先生が尚学館を意識して「尚武館」と提案してきた。空手道場はどうするのか、弓道場はどうするのか、面白いこととなった。良いネーミングにしたいものである。
・ 「 和室とお茶室」については理事長職務代理にお願いした。職務代理のご苦労とご功績を考えれば当然である。まず「○○庵」となるのは間違いないが、「現職の宮司」であり「お茶人」だから良いネーミングを考えて頂けるだろう。いずれにしても時間はまだたっぷりあるから落ち着いて考えていけば良いと考えている。

2010年1月26日火曜日

1月26日(火)「私学経営」2月号






















・ 久しぶりに「公式メッセージ」をアップしている。是非お目を通して欲しい。権威ある教育雑誌「私学経営二月号」の「時評」という欄に小論文が記載された。昨年末に急遽依頼されたもので急いで書き上げたものである。タイトルは「公立高校授業料無償化と私立高校の経営」である。
・ この問題は民主党政権の来年度予算との関連、大阪府の進める「私立学校就学支援システム」とも密接に絡んでいるテーマで、何しろ「現在進行形の私学志願者数とも大いに関連」があるから、まさに「旬のテーマ」である。
・ 状況は日々刻々変わっているから、1ヶ月前に書いた内容が「ピント外れ」になっていないか心配したのであるがその懸念はなさそうで安心した。正直書く「論調」が難しかったのである。
・ 批判的に書くか、抑えて書くか、どうにでも成ったのであるが、改めて読んでみると、ある程度私の思いも書かれており「まあ、イッカ」と言ったところである。「2800字という字数制限」があったものだから焦点を絞れなかったのが反省である。
・ 私の文章はこのブログでもそうだが「語彙の選択」に結構気を使う。たとえ1行の文にも思いを伝えたいと「推敲」する。そして「分かり易く」である。「何を書いているのか、何を伝えたいのか」さっぱり分からない文章に時々出くわすが、それでは読者に伝えるには「説得力ある文章」にはならない。
・ 雑誌社からは「浪速の学校改革」をテーマに引き続いて書いて欲しいとせがまれているがこれはもう少し後にしようと思う。昨日原稿料として20000円が振り込まれていた。A4版2枚で2800字程度だったから「一文字7円程度」になる。安すぎるが仕方がない。

・ 「今日は大安」、中学3年生の志願者が願書受付に午後どんどんやってくる。「学校単位に纏まって」来るのである。「極めて礼儀正しい」。恐らく中学校で「指導」されているに違いない。「良い印象」をもたれるように大人を見かけたら高校の先生だから「挨拶しなさい」などと言われているのだ。
・ どの生徒も真剣なまなざしで受験票を受領したら「ほっと」した感じであったが、これから「2月10日の学力試験まで受験勉強」に気が入るのではないか。先の新聞記事で「浪速の倍率が7.8倍」と高かったから「誇りと緊張感」の混ざった複雑な心境だろう。是非頑張って欲しいと思う。
・ 昨日の職員会議で「入試準備」が教務部長から示され「準備作業」方針は確認された。ぎりぎり体育館を試験場にしなくとも全ての教室開放で「試験会場」は間に合う計算となった。体育館は暖房がないし使わずに済んで一安心である。
・ 2550個も椅子が学校には無いためこれはここ最近「外部からリース」している。問題はトイレで、冬場だし試験間隔が15分しかないためトイレに殺到することが予想される。私はこれもリースとなるので数については多い目にするよう事務に指示したのである。
・ 女生徒の数が昨年よりは増え、男女総数でも増えているからである。本日の手続き完了者を含めて「総勢909名」となった。昨日が122名だから相当伸びたが、明日が前半の山場となりそうだと入試広報室は延べていたのである。

・ 午前中、日本総研の主任研究員をお呼びして事務長を交え議論をした。テーマは「退職金」である。この先生は3年前に契約して「人材育成評価システムの制度設計」をともに検討した研究員で頭のシャープなコンサルタントである。もう一度「知恵を拝借」して「退職金制度設計」の検討をして貰おうと思っている。
・ あわせて「若い世代の処遇を手厚くする昇給カーブ」についても検討依頼を行った。本校は加齢とともに給与水準が高くなるが、最も家計の厳しくなる30歳代や40歳代に配慮できないかと言う素朴な発想である。時間をかけて検討を進める。

・ 午後理事長職務代理が執務室へ来られた。「新武道館のお茶室と弓道場」の設計図面を検討して頂き、アドバイスやチェック項目を持参して頂いたのである。職務代理は有数の「お茶人」であり、又弓道のほうも大学時代から相当やられてきており、実践のみならず知識も豊富であられる。
・ 私は全く詳しくないので弓道部の顧問の先生を部屋に呼んで話に参加して貰った。二人の会話を聞いていると「専門用語」が飛び交い、こちらは「チンプンカンプン」であった。
・ 本校の弓道部の指導者は昨年立命館大学の新卒を採用した常勤講師の先生で、高校時代から弓道の世界で名をはせ、「立命館弓道部の主将」まで務めた先生である。関西学生チャンピオンも取った選手だ。
・ 熊本出身で地方の「某銀行に就職」が決まっていたのを「内定辞退」までして貰って本校に指導者として来て貰った先生だから私は大いに将来を期待している。同時に社会科の教員でもあるから「教科指導も腕を高めるよう」会うたびにプッシュしている。
・ 理事長職務代理は「質問に何でも的確に答えていた」と満足げで、どうも気に入られたみたいであった。後で「礼儀正しい」と褒めておられた。お茶室のほうも大阪では有名な宗匠で大学教授を茶室設計にアドバイス頂くと張り切っておられた。最近お元気だ。その後「人事関係」の打ち合わせを行い二人で大筋の方針を固めた。

・今日は断続的に副校長と分掌主任の校内人事相談を行い、一応「原案を二人で作成」している。今後の手順はまず私が「2月1日に管理職人事を校内イントラネットに告示」する段取りで進む。管理職人事だけは私の「専管事項」であるから、まずこれが先である。
・ その後、新体制での管理職が「来年度の分掌人事の主任や主担当者」の議論をして貰う手筈である。今私がまとめているのはその原案となるものである。それが確定され次第、2月6日の土曜日までに決定発表となる。その後すぐに「新1年生の担任団」を決めなければならない。年度末に向けて入試やら人事やら忙しくなってきた。

2010年1月25日月曜日

1月25日(月)願書受付始まる







・ さあ、「高校入試の願書受付」が本日から始まった。午前10時から午後16時までの受け付けで2月2日まで続く。毎年毎年やっている先生方は「ああ、今日は仏滅だから少ないですよ」という。
・ 確かに午前中はたった一人だけで今日の完了者は122名であった。例年より少ない。まだこのようなことを気にしているのが「受験世界」である。そうだとすれば明日は「大安」だから明日は集中することが予想される。明日が楽しみである。
・ 願書受付事務はどういう訳か「事務室の人間」が主体になって受け付け業務をするという。普通なら入試業務を扱う「教務部」だと考えられそうなものだが事務室が主体という。恐らく「入学検定料、すなわち受験料の領収を確認する」という「お金がらみ」だから事務が取り扱うことになったのだと私は思っている。
・ 教員はお金には無茶苦茶関心があるというか極めて敏感な人間であるが、「お金を扱うことは避けるきらい」がある。すなわち「お金を貰うのは大好きであるがお金を稼ぐと言うことには関心がない」のである。
・ 中には私立学校の教員でも「お金は天から降ってくる」と思っているのではないかと思い違うくらい「お金を扱う」ことを忌み嫌う性向がある。例えば「授業料の滞納・未納の徴収」などは「事務の仕事」で教員にさせるべきではないと私に直接言ってきた教員も昔いたが「厳しく私は指導」したのである。
・ 君のクラスの生徒の滞納だから「焦げ付いたら」君のほうで代替弁償してくれるなら話は別である、そうしないと君のみならず他の先生にも給与が支払えないし、ちゃんと支払ってくれている生徒保護者に申し訳が立たないと述べたら黙って帰っていった。私立は「教員も職員もない、皆で学校を守っていかねばやってはいけない」。
・ 私は授業料の未納・滞納は「担任と事務との共同作業」で対応するように改めてから一挙に滞納がほぼなくなってきた。「今年の高校3年生も滞納者はゼロ」となった。これは案外大変なことなのである。

・ さて願書受付であるが志願者は直接「中学校単位で願書を持参」してくる。それには「郵便局で振り込んだ証書」が添付されており、それをまず確認して受け付けるのである。まず専願と併願に分け、それぞれを男子、女子に分けて受け付けるから都合4グループである。
・ ここで最も重要なことは「ナンバリング」をすることである。これが「受験番号」となる。打ち間違ったら大変なことになるから受付担当は神経を使う。一人の生徒に5回打つことになっている。一回抜かしたり、「空うち」などがあったら一つずつずれて後での「照合」が大変なことになる。
・ 「入学志願書」「電算機処理用願書控え」「郵便振替払い込み証明書」「受験票」「合否判定通知用速達封筒」の五つである。受験票の下の学校名のところに「校長印」を押して受験票を切り離し、これだけを生徒に持ち帰えさせるのである。
・ 志願書とは別に中学から個別の「個人報告書」があればそれを受け取り管理しなければならない。とにかく願書受付は結構大変な作業なのである。本校みたいに「2600名近い生徒が殺到する学校」では緊張感が長く続くから授業が既に終了した3学年の学年団が応援する。「ピチッ」と受付順番が決められている。
・ 中学3年生は学校単位で纏まって手続きにくるが終われば学校に戻って中学校が受験番号を記録して帰らせるのであろう。従って本日から大阪府内の公立中学校250校近くは大変なことになる。「受験票をしっかりと持って帰ってきたか、どうか」を中学の先生方はなされるのである。中には「紛失した」などのケースもあるらしい。

・ 土曜日に「多聞尚学館」に激励に行った時に、頑張ってくれていた英語のY教諭は私に「先生、ありがとうございます。理事長が来られて完全に変わりました。2500人の受験生など信じられません。600人台になった時に正直この学校はやばいかな」と思ったと言うのである。経緯を知っている教員には「感慨深い」ものがあるのだろう。
・ その会話を聞いていた昨年専任教諭に採用されたI教諭は「だから私は浪速を選びました」と言ったので、「君を選んだのは私ではないのか」と言ったら「まずいことを言ったな」というような顔をしていた。まあ若者の自信過剰は悪いことではない。

・ これを聞いた私は今日、入試広報室の女性職員に「平成9年以来の受験者数のデータをグラフ」にして貰った。これが添付のグラフである。しかしこの女性職員は類まれなる能力をお持ちだと室長以下室員が賞賛する。
・ 確かに仕事を指示したら「早いし的確である」。聞いてみれば昔、北の方の私立高校の入試広報の仕事をしたことがあるらしい。経験だけではなくて頭脳も良いのだろうと思う。一言私が言えば「飲み込み」が早くてすぐに理解する。ただまだ何か本校の教職員と雰囲気がどこか違うような気がするのである。それが何かはまだ分からない。
・ そのデータであるが見るだけで如何に「今日の浪速の状況のすごさ」が理解できるというものだ。「言葉は要らない」。平成9年から16年まで8年間での平均が733人で、ボトムは「平成16年の670人」であった。
・ それで平成17年に「男女共学に移行」し1100人台に回復というか戻し、それからは「学校改革の進捗」とともに一挙に「平成18年が1501人、平成19年が1420人」となった。しかし私はこの時にある種の「危機感」を有したのである。
・ 共学にして3年目で1163人、1501人と2年連続で伸びては来たが3年目に1420人と下降に転じたからである。これは「赤信号」であった。結果的にここで「踏ん張った」ことが大きい。
・ そして「平成20年一挙に2000人台に突入し2122人、そして昨年が2466人」となった。そして今年である。恐らく最終的には2560人程度に膨れ上がると我々は見ている。そしてその内容が良いのである。
・ まず「女生徒の併願数が順調に増え」、何より「専願者数が回復」に転じた。昨年は専願が減少して心配したのが今年は上昇に転じたのである。世の中に色々なグラフはあるが「このような推移を示すグラフもそう有るものではない」。しかし我ながら恐ろしいくらいなのである。これは一種の「ブーム」にも思える。ブームならこれを「固定化」しなければならない。
・ しかしとにかく我々は成し遂げたのである。今日の校務運営委員会や職員会議で私は「入試広報室のメンバーや全教職員を賞賛」した。「良くやってくれた」と。と同時に心配性の私は「来年は分からない」。一挙に凋落するケースにいとまは無い。
・「そうなってはならない」。だから私は「謙虚に、謙虚に」、そして「目の前の自分の仕事を確実」にやることが重要と強調し、入試事務の失敗など絶対に無い様、きつく念を押したのである。「一隅を照らす仕事」を御願いしたのである。

2010年1月24日日曜日

1月24日(日)多聞幼稚園のこと






















・ ゆっくりとした日曜日となった。仕事始め以来一日も休みは無く「中学入試」多くの教職員には土曜日、日曜日はなかった。今週から「高校の願書受付が始まる」ので又神経を使う日々が続く。そういう意味で今日は多聞行きメンバーを除いて「束の間の休息日」となった筈である。ゆっくりと静養して欲しい。
・ 高校で志願者が2600名となったので受付ルームも教室を改造し、男女別に分けて行う。絶対に「入力ミス」があってはならない。「受験票」と一致するものだから間違いがあっては大変なことになる。
・ ところで今住んでいる住居から「真東に生駒山麓が見え、朝は「陽の昇る光景」が素晴しい。「神々しいばかりの日の出」で私はこの太陽を見て「今日も頑張ろう」という気になる。「朝日に映ゆる」という具合である。
・ 朝日に映ゆるといえば「多聞幼稚園」のことを思い出す。平成20年10月千早赤阪村との買収交渉の過程ではこの旧多聞幼稚園について「含めるか、外すか」悩んだが、当局は「小学校とまとめて購入して欲しい」との意向でもあったので、最終的にはそのように結論を出したのである。
・ その理由は相当「老朽化」しており、床など「ペコペコ」し、今にも抜け落ちそうであったり、建物全体も古くて、当初はこれを打ち壊し「新たに宿舎を建設」することを考えていた。2階は女生徒用、1階は男子生徒用、それに教員用宿舎と浴場のセットで新築しようと考えていたのでる。
・ しかし「投資圧縮」を考えて「行けるところまでここを使おう」と決断し、まず床は全面的に補強したのである。平屋建てなので男子宿舎とし女生徒用は本館の2階の教室を宿泊場所として男女分離も図った。
・ そして中国から「木製の3段ベッドを輸入」した。あらゆる販売店を調べ最も安価であったのである。女生徒用は天井高さ制限や安全のこともあり2段としている。この男子3段ベッドは生徒には好評で、何か「夜行寝台列車」みたいなノスタリジックな雰囲気があるのだろうと私は推察している。
・ 旧多聞幼稚園を廃園とし時の碑」が宿舎前面にあるが「わか楠の 夢見るに峰に 朝日映ゆ」との立派な御影石の碑がある。平成12年に統合で廃園になったものである。楠は楠木正成公の楠をかけていることは間違いない。
・ 昭和34年開園で述べ卒園生は320人強だから当に細々と生き抜いて来た幼稚園である。私たちはこの多聞幼稚園の心を引き継ぎ「夢を追い求めて、実現のための努力」をする必要がある。今朝の日曜日、「昇る朝日」を見ながら私は強くそのように思っているのである。

・ 昨日の土曜日、多聞では「化学の集中講座」が開かれていた。大体基本3科目である「英語・国語・数学が定番メニュー」であるが私は社会や理科も望んでおりこのように間に挟んで実施してくれると大変嬉しい。
・ 理科や社会科は点を取ろうと思えば取れる科目であり生徒には「バランスよく学習」して欲しい。しかし英語や数学に時間を取られ、大体「何時かやる、やるといって時間遅れ」になるのが理科と社会である。
・ 今年の「センター試験では日本史がやはり群を抜いて得点」していた。これは多聞尚学館の成果の一つである。社会科のH先生の大きな成果である。「やれば出来る」ことが完全に証明されたのである。

・ ところで多聞尚学館に行くルートを昨日は変えてみた。すなわち「泉北から堺南区の校外グラウンドを見て河内長野市を抜けて多聞尚学館に至るルート」を学校車のナビを頼りに試みたのである。
・ 堺カントリークラブの横に「細い抜け道」があり中里というところに出るがこの道は狭いし余り推奨できるルートではなかった。時間も余分にかかったのである。一旦「泉が丘」まで戻った方が良いかもしれない。
・ それにしても「堺校外グラウンドは改造工事が始まった」ときであった。一日一日と様相が変わっていき、素晴しい校外グラウンドが完成するだろう。まず隣地との境界を明確にして「フラット」な台地を作らねばならない。
・ 見た目は「たいら」でもでこぼこや勾配が付いておりまずこれを「ならして」、それから「防球ネット」を立てていくことになるのだろう。「楽しみ」である。私は「このグラウンドのネーミング」をどうするか今考えているところである。

・ 「全てが順調」であるだけに私は強く意識して「謙虚に、謙虚に」を自分に言い聞かせている。今年1年の終わりには「新武道館」「校外グラウンド」が完成し昨年の「多聞尚学館」と合わせて「教育トライアングル」が完成する。
・ 何とか今年も生徒が確保できそうな状況となってきた。「この状態が続くことが新校舎建設の絶対的条件」である。「財布の中身」を数えながら進めているからである。「後5年、後5年が勝負の時間」である。「浪速の21世紀を決める重要な5年間」となる。
・ まず「学校のガバナビリティ」である。「マネージメント」である。それは「私が全責任」を持って進める。私の方針を理解し「陰日なた無く仕事をしてくれる教職員集団」になれるかどうかである。少なくともこの3年間それが実現できたからこそ、ここまで来れたのである。
・ まず「管理職人事が重要」である。そして「分掌人事」である。「適材適所」「新たなポジションで自分の幅を広げて貰う」ことを念頭に人事を決めて行きたい。「原則一仕事3年」を目途に当てはめを考えていきたい。
・ 多聞幼稚園の碑「若き楠 夢見る峰に 朝日映ゆ」ではないが、「若き先生方に期待」している。幕末の太陽「坂本龍馬」」の大河ドラマが始まっているが変革の時は若者がリードしていかねばならない。歴史はすべてそうだった。20代,30代の先生が先頭を走って欲しいのだ。
・ 「革命」「革新」「維新」「改新」などは「若者の専売特許」ではないのか。私は「バランスの取れた世代交代」を図っている。「一騎当千の老・壮・若の組み合わせ」である。口だけの人間は本校には要らない。自分の持ち場をしっかりと守り、高めて欲しいのだ。
・ 今の常勤講師の先生がたから将来の浪速にかけてくれそうな先生を「専任教諭」になってもらい益々活躍してもらう積りである。良い先生ばかりだから私と副校長は「苦悩」しているが最後は私が決めるしかない。今年は「どの線でラインを引く」のか悩ましい。一度に多くは選別できないからである。しかし「整理解雇」せざるをえない学校のことを思えば「我々は幸せ」ではないか。

2010年1月22日金曜日

1月22日(金)第2回進路希望調査その2






















・ まず各校別に見て見ると際立った特長がある。男子校、女子校ではますます「学校間格差」が目立ってきた。「集めるところはより集めている」と言える。又驚いたのは「OKさん」である。2年連続でベストテンの上位に入り1500名を楽々超えていた学校が新聞数値であるがなんと1127名と「急降下」である。一体どうなったのであろうか。昨年対比で言えば(以下敬称略)
浪速(2415から2512)、大阪学芸(1964から2477)、
大阪産業大学付属(1713から2206)大阪商業大学堺(1711から1761)
常翔学園(1729から1750)四条畷学園(1562から1619)
  桃山学院(1535から1565)関西大倉(    ~1565)
近畿大学付属(1442から1437)清明学院(1337から1435)
以上が「トップテン」である。
・ 男子校では「興国さん」がダントツでトップである。専願併願総数では1346名であるが、何と専願数値で428名というのは府内私立高校では「ぶっちぎりの数値」である。素晴らしい。大変よく存じ上げているが極めて有能な経営者であるオーナーのご息女の「高笑い」が聞こえるようである。
・ 女子校では「堺女子さん」が何時ものように頑張っておられ、658名を集め、専願がそのうち306名を数える。大阪成蹊女子さん694と大阪国際滝井さん889と人気は相変わらず強いが専願の数では今一歩堺女子さんには及ばない数値が出ている。。
・ 堺女子さんも実務経営責任者は女性の先生で創業者のお嬢さんである。お二人とも以前にある会合でご一緒になり懇談する機会があったが「とにかく若いし頭脳明晰で発想が柔軟、かつ行動派」であることは間違いない。塾関係者の評判がすこぶる良い。だからこういう数値を出せる。「本校も私の次の理事長は女性にしたらどうか」という思いだ。
・ 昨年度大いに話題になったWSさんは今年も苦戦しているみたいだ。210名の募集で専願が60名で併願数値はたった31名と出ていた。KSさんは240名の募集で専願が64名、併願希望が46名である。それぞれ「10%程度の戻り率」として仮に計算すると入学者数は70名を切る数値となる「私なら卒倒する」数値である。
・ 結局分かったことは「大学名を付けても」余り効果はないということだ。近隣のHRさんも本校と同じ400名の募集で専願208、併願451の総計659人だから昨年の535名より増に転じたとは言え、昔のことを知っている入試広報室のメンバーに言わせれば信じられない数値と言う。
・ 今年「女子校から共学校に変わった高校が2校」ある。KGさんと旧YMさんのSYさんであるが、これも大変興味がある。大体「共学に代えた後、数年は人気が出る」と言うのがこの世界の常識である。特にKGさんは「授業料半額」という思い切った手を打った学校である。私はこの学校に大変、関心があったのである。
・ SYさんは募集人員265人に対して専願で145名、併願で454人だから、200名に到達するかどうか。果たしてこの学校の経営者はこの数値をどのように評価されるのであろうか。
・KGさんは内部進学が35人に加えて専願が98名だから合計133人となり募集人員120人を超えた。加えて併願が157人とあるからこれは「一定の水準を超えた」と言える。しかし授業料半額など「蓄積のあるお金持ちの学校」でないと出来ない話で、本校では不可能である。

・ 「学校全体が一枚岩」になり、それを入試広報のメンバーが代表して「学校広報の責務」を負っているという意識を持って頑張ってくれたからこのような数値となった。このことが私には喜びだ。
・ 塾などに赴き、学校内部のことをあれこれ悪口を言ったりするような学校広報マンもいるらしいが、本校はまさに「誠意」を持ってメンバーが広報活動に当たってくれているからこのような結果が出たのである。私はそのように思っている。
・ しかし2500名を超えたと「うぬぼれてはいけない」。「謙虚に、謙虚に」である。そして「誠実に、誠実」だ。失敗すれば一挙に落ちる。大切なことは生徒を集めることではない。選択して「本校に入学してくれた生徒に何を与えるか」と言うことである。
・ 「すべては中学校関係の先生方と塾の先生方のおかげ」である。1年間かけて努力してきたことが生徒保護者に受け入れられたということであるが、これが連続するとは限らない。「頭を低く」して頑張って行きたい。
・ 私は理数科と普通科全てで「2月17日に1.5次募集をする」ことを決定した。これ以上取ってどうするのかと批判を受けそうであるが、時代は大きく変わりつつある。本校を希望する中学3年生の為に「門戸を開いておく」のは当たり前の話だ。
・ 大体本日の数値はまだ「予測数値」で実際の願書受付数ではない。今日の発表で「入り出」がまだある。願書受付は来週始まる。志願者の数値は決まったが、本当の問題はこれからで「実際の出願者数」、そして「併願戻りが幾らになるか」である。
・ 私の予想では専願が伸びた分、「併願戻りは減少」すると踏んでいる。戻り率については「公立定員が3600人」増えていることを考えねばならない。中学3年生の卒業生総数が増えてはいる中で幾分私学に専願で多く回った。
・ しかしまだ70%以上の「中学3年生が公立高校のどこに出願するか」で併願戻りは変動する。我々には本校志願者がどこの公立高校に受験するかがデータとして全く分からないのである。
・ それは3月23日(火)の公立高校合格発表日まで分からない。本校が出した併願合格者のうち、誰が戻ってくれるのかさっぱり分からないと言うのも「辛い話」である。その日まで「私立高の辛抱の日々」が続くのだ。
・ クラス編成や教員手配、教室用意もそれからになる。今朝の新聞記事を見て私の知人やブログの読者、中学校、塾の先生方、関係する会社関係者の皆さん等は「浪速の数値」を追ってくださったに違いない。心配していただいてありがとうございます。今後ともご指導とご支援をお願い致します。

1月22日(金)第2回進路希望調査その1











・ 今朝は何時もと違って10分程度早い出勤であった。昨夜のNHKテレビでは既に「府内私立高校専願数が増加」とのニュースは流れていたが、「個別の詳細内容」が早く知りたくて、早く家を出たのである。幾分「高揚」しているのかも知れない。我ながら少し恥ずかしい気がする。
・ 時刻は6時30分である。まず「大阪日日新聞」を広げる。前にも書いたが、この新聞は「表も文字のフォント」も大きくて、とにかく「読み易い」のだ。自分の学校の数値は「教育相談件数」で既に分かっていたが、「知りたいのは私立全体の傾向と特定の学校の状況」である。これらから「大局的判断」をしなければならない。それが私の仕事である。
・ このブログに名前の挙がった学校からすれば「大きなお世話だ。ほっといてくれ」と言われそうだが「公開された数値」であり、ご迷惑だろうがお許し頂きたい。3年連続である。公金の入っている学校だから、私学と言えども「まな板の鯉」なのである。
・ 老眼鏡レンズを今のメガネの上にひっかけて私は数値を追っていたら、入試広報室長が幾分「興奮した面持ち」で新聞片手に部屋に入って来たのである。彼もまた大阪日日新聞であった。「まだ体が震えています」と言ってはいるが「顔は笑っていた」のである。
・ 待ちに待った「進路希望調査の第2回目発表」である。各紙一斉に「平成22年度入試第2回大阪府進路希望調査」として昨日中学校サイドが発表した内容を記事にしている。
・ 1昨年が1月19日、昨年が21日であった。例年同じようなタイミングである。学校社会とはこういうものなのである。公立、私立ともに生徒の志願先が専願、併願別で数値で出ており、これをみれば「各校の入試状況が一目瞭然」で分かる「恐ろしい内容」なのである。
・ 特に本年は「公立高校の授業料が無償」となり、「公立回帰」がささやかれている中で私立高校の希望者はいったい全体どうなるのか、「社会的関心事」となっていただけに私は言うに及ばず府内の多くの方がこの日を待ち望んでいたのではないか。
・ 特に私の場合、2月号だからもうすぐ発刊される「教育雑誌」に論文を投稿しており、ここに書いたことと本日の発表内容が大きく異なったら「まずいなー」と思っていただけに本日の内容は私の「論文を補強」するようなものになっており「大いに気を良くしたのである。」
・ 大阪府私学課の関係者は「ほっと安堵?」あるいは「してやったり!」と、どのように本日の内容を分析しておられるのであろうか。「公立回帰が少なくとも大阪府では止まった、歩みを遅くした」と言える記事内容であった。
・ 大阪府が他府県に先駆けて導入した「年収制限はあるが私立高校も授業料無償化とする施策」が大いに効いたと考えるのが自然であろう。私学関係者の中には「これで前の状態に戻っただけだ」とコメントする向きもあるやに聞くが、ここは慎重に分析したい。
・ 私学課の施策が「歯止め」になったことは間違いないと私は思うが、それだけではない気もするのだ。どの新聞も「無償化が浸透」「私立専願7年ぶりに上昇」との論調であるが、それだけではなくて公立高校が無償化されたら「どのような事が公立高校の内部に起きるのか?」という問いの答えの一つになっているのかも知れないと考えるのである。

・ 中学3年の卒業見込み者数は74196人で専願志願者は12279人、前年同期比0.86ポイント増で「16.55%」となった。これは「2003年以来の7年ぶりに上昇に転じた数値」となった。
・ 本校も専願数が新聞紙上の数値である263名よりは更に増えて今朝「現在287名」となっている。これに「浪速中学から内部進学」する生徒が専願で加わるから合計で327名程度になり「新記録」となった。
・ 専願総数で327名だから悪くはないが、私はやはり「募集定員400人には届きたい」と思っている。これからの私学は「如何に専願で生徒を集めるか」である。「併願戻り」を期待していては駄目だ。「浮き草みたいな併願戻り」を当てにしていては確固とした学校の戦略は立てられない。
・ 今日の新聞発表の数値で「学校の実力」など図れるものではない。しかし一応「専願数値と併願数値の合計数値は現在の人気度を示すバロメーター」といっても間違いではなかろう。
・ さて今日の新聞数値で言えばおかげさまで「浪速、トップの2517名」であった。しかし「実際は2568名が手元の数値」である。20年度が同じタイミングで2090人、21年度が2415名であったから「併願人気校の地位」を徐々に固めてきていると言って良いのか?
・ 「総合倍率が20年度5.7倍、21年度6.58倍で今年は7.48倍」となった。「私学平均が2.78倍」だから7.48は大きい数値だと言うことが分かる。実力はまだないが、一見「難関校」に列せられるくらいの倍率を示している。「いささか恥ずかしい気もする」が正直この7.48倍は「嬉しい数値」である。
・ 昨年の新聞各紙は揃って「私立髙 専願者11%減」と書き、「大阪府の助成カット影響も」との見出しが躍った。とにもかくにも「昨年の専願率15.69%が16.55%と増」に転じたことは大阪の私学としては「安心安寧の気分」を共有できるはずである。
・ 本校においても教職員は何か嬉しそうであった。本日のご来客の皆さん、新聞を読まれたのであろうか、「すごいですね」と言われた。「いや、入試広報が頑張ってくれました、しかしまだ分からないのですよ」と私は答えるようにしている。一般のお方は併願戻りなどご存じないからである。
・ 本日は「中学校二次試験の日」であったが得点の良い生徒も居て、明日の発表の準備もあった。浪速中学校の入学者予想は総勢120名を超えて125名に膨れ上がりそうである。「嬉しい悲鳴」である。               (その2に続く)

2010年1月21日木曜日

1月21日(木)転科・転コースと特待生制度
















・ 年始最初の職員会議で一つの出張報告があった。近隣の「中高一貫先進校の訪問報告」であった。昨年末に予定していたのだが、色々と予定があって遅れていたのである。私はこのように出張して貰ったら必ず「全員の前で出張報告をして情報を共有」するようにしている。
・ 国語と数学の2名の教員がまとめてくれたものであったが、なかなか「示唆」に富む内容豊富なものであった。こういう中から「一つでも二つでも実行」していかねば折角出張した情報が生かされない。
・ 「行きっ放し、報告しっぱなし」というのは教員社会には多い。そして出来ない理由を他に求めるのである。私は最後に「一つでも何か実現せよ」と厳命した。この教員には色々と言いたいことはあるが、良い点は「自分の考えというか、改革のマインド」を有しているからである。
・ この点は副校長とも共通した長所と捉えているし評価しているのだがどうも「細かい部分」に行き過ぎて「コチョコチョ」している感じがしてならない。この先生の課題は自分のことよりも「他の先生をまとめていけるかどうか」である。「私を捨てる」ことが出来るかどうかだろう。
・ 「後輩の面倒見が良い」「資料の作り方が上手い」など一杯良いところがあるのだから、齢50、もうボツボツ「熟成」には入るお年であろう。期待しているからあえて「辛口の批評」だ。「朝読書事件」で相当反省した筈である。
・ 組合的発想に引きずられて大きな失敗をした。まず「成果を出してから要求せよ」。やってやるから「金を出せ(時間減)」という時代ではない。「持ち時間が経営に直結」していることなど全く頭にないのである。まずやって、成果を見せて胸を張れ。最後の「チャンスを生かせ」と言いたい。

・ 出張報告の中に私が注目した部分があった。それはその学校の方針として「最終進路先は理系文系への別れも含めて3年生で十分」と言うのである。「1年生の成績で判断し2年生になる時点で分けるのは酷」だというのである。
・ 私は思っていたことと波長があって膝を叩いたのである。本校の転科転コースは1年生終了時点で行われる。11月に全1年生の「転科・転コース判定試験」というのを受けさせるのである。
・ 一回のみの厳しい試験で特に「理数科とⅠ類の生徒は厳しい結果」が待っているのである。英国数理社の5科目で1.2学期の中間試験、期末試験合計4回の試験の素点を参考にすることが決められている。同様に少し違う部分はあるがⅡ類の文系コースも理系コースにも「内規」が決められているのである。
・ しかしこれは「果たして生徒の為かどうか」というのが私の素朴な疑問であった。高校1年が終わった段階で「ハイ、貴方は理数科は無理です、理数科から普通科へ行きなさい」「ハイ、貴方は理系は無理です。文系しかありません」というのは本当に「私立高校教育」として正しい指導なのかということである。
・ 実は毎年この時期になると生徒は「緊張し、何とか今のコースに残りたい」と思うのであるが、学校は別に生徒をいじめているのではなくて「その方が生徒の為」と思っての指導なのであるが当事者の生徒から見れば転科・転コースを余儀なくされたら「人生最初の挫折」になるのである。学校で「自己責任」ばかり言うわけにはいかないのではないか。
・ 結構この種の話は耳にするし、中に人目をはばからず泣く女生徒もいるやに聞くのである。中には「おじいちゃんもお父さんも理系で父の経営する工務店で後を将来告がねばならないから、どうしても理系に残りたい」とか、「家が薬局で家の仕事を手伝うから理系に行きたい」とかあるのである。
・ 私学は「個の生徒の為にあるのではないか」と考えれば何とか本人の進路実現に手を貸すのが学校の役目で「人切り以蔵」みたいに生徒の物言わぬ心をバッサバッさと切って「君は楽しいのか」とまで私は進路指導部長や理数科長に攻め寄っているのである。
・ 「転科転コースは生徒の進路実現のためにある」と言う原点に立ち返り再度検討を加える時期に来ていると私は感じている。同じようなことは「特待生制度」にも当て嵌まる。私は着任以来この制度の問題に取り組んで来た。
・ 最初驚いたのは入学試験の成績から授業料免除、入学金免除などの特待生が決められているが成績のトレースを明確にしていないから途中で大幅に学力が低下しても認定をしていることであった。私は大いに「憤慨」したのである。
・ 思い切って制度の見直しを行うべく、保護者へご理解いただきながら実施し、1年単位で逆に成績優秀者は「入学成績特待生」として授業料の減免措置制度を導入したのである。すなわち「入学成績特待生」と「校内成績特待生」の二本立てにしたのである。これは大ヒットであると考えており来年度から中学校にも適用することとした。
・ 特待生制度は本当に悩ましいがこの厳しい経済情勢であり、「あらゆる形で生徒保護者を支援」していかねばならないと思っている。しかし辛いことがあるのも事実である。昨年は浪速中学校でトップの生徒が3年間1号特待で過ごし他の高校に進学していった。
・ その担任は「卒業式で涙」を流していた。3年間無料で本校で学び高校は他校だから切ないことこれ以上のものはない。その保護者は結局学校にご挨拶もなかった。一言お礼の言葉はあって良いだろう。そうかと思えば苦しい経済情勢の中を決して滞納などなく中学を卒業し、浪速高校に進学してくれている家庭もある。
・ このような原資を使うのだから特待生への適用は一般の保護者が納得されるものでなければなるまい。日常生活が乱れたまたま入学試験の成績が良かったからと言って何年間も無料と言うのはどうのように考えても「おかしい話」である。「教員に経営感覚のない証拠」である。
・ とにかく「転科・転コースと特待生制度は根本的に見直す考え」である。公立高校の授業料が無償化される。私立高校も傾向としては負担軽減に繋がる施策と「しっかりとした特待生制度」を検討すべき時期に来ていると私は考えている。
・ なお「スポーツ特待生制度」についてはすでに見直しを進め本年度から適用しようとしている。本校は今までスポーツ特待については実施して来なかったが「能天気なことばかり」言っているわけにはいかなくなった。
・ 本校のチャンピオンクラブ「空手道クラブは昨年日本チャンピオン」になったがその後の大きな試合で2試合ともライバルのK高校に敗退したという。私は頭にきているのである。聞けば全国から選りすぐりの中学生を集めて「打倒浪速」を旗印に「全寮制」で鍛えているという。「ウーン、全寮制か?!」と私は「嘆息」している。次なる作戦を考えねばなるまい。
・ 他の私立高校は着々と「生き残りをかけて手を打っている。本校もこの戦争に勝たねばならない。「進学実績も部活動実績も両方」に頑張らねばならない。履正社高校、大阪桐蔭高校、清風高校、常翔学園、関大北陽、関大一高など、すべて「文武両道を誇って生徒を集めている」のである。本校のみが手をこまねいている訳にはいかないのだ。

2010年1月20日水曜日

1月20日(水)新武道館設計順調
















・ 年が明けて初めての「新武道館」詳細設計の進捗報告を受けた。本校の「新武道館推進チームのメンバー6名と嘱託勤務の設備施設担当と建設会社の南海辰村建設の設計陣」である。「良い打ち合わせ」であった。かなり設計も進み、私の「イメージ通りに進捗」しており「大いに安心」したのである。
・ このチームは中々まとまりが良い。メンバーの「人柄」が元々良いうえに「チーム長の取りまとめ力」があるのだろうと思う。とにかくこのチーム長は「仕事がきっちり、かっちり」としており、「仕事を任せても安心」しておられる。しかしこのことは実はすごいことなのである。
・ 「仕事は一見出来そう」に、「てきぱき」とこなすように見えても「ポカ」を出すような者は結構多くて、こういう教職員には安心して任せられない時がある。そういう時は私の「チェック」が頻繁に必要となり、時間が取られるだけである。
・ 仕事のミスは当然「減点」である。ミスする人としない人が同じ処遇と言うわけには行かない。プロ野球でも何でもプロの仕事とはそういうものである。勿論「減点主義」ではない。ヒットもホームランも評価するがエラーも多いとなると「相殺される」のは当たり前である。
・ さて武道館であるがさぞかし「立派」なものが出来るだろうと再確認した。ハナ肇演ずる「あっと驚く為五郎」というドラマか映画が昔あったが、間違いなく「あっと驚く浪速の武道館」となる。別に世間を驚かす為に作るのではないが、「評判を呼ぶことは間違いない」。
・ メンバーも私の前では「もう少し嬉しそうにしたらどうだ」と言いたい気分もある。まあ、こういうのが「教員の気質」なのだろう。恥ずかしいような、みすぼらしい古い道場を全面的に更新し、空手や雅楽などは初めて「専用の道場」が持てるのである。
・ 概観は「江戸時代の藩校や武道場をイメージした黒と白の色調」とし、それに本校が創立された時代の「大正ロマンの香り」みたいなものを感じさせる「縦格子とアーチ窓のコンビネーション」が何とも言えない。
・ 私は「神社神道の学校」として概観にこだわった。「精神性」と「質実剛健」を感じさせるものをとの私の思いに応えた南海辰村建設さん、「必殺の技」がここに閃いている。誠実な設計屋さんで「教師という職業を生業とするチームのメンバー」に対応するにはこういうタイプのお方が好まれる。偉そうにするタイプは好まれない。それは「学校の先生は誇り高くて」、元々偉そうにする人種だからである。
・ 「中2階」が組み込まれておりそこから道場内部が「観覧できる味な構造」となっており、設計コンペで大いに得点を稼いだ部分である。大きく入り口は2箇所に分かれている。一つは校内から生徒が出入りする内部門である。出来ればここには小さくても「門を作りたい」と思う。「くぐり門」である。
・ この門をくぐった段階で生徒は「心を一新」して武道館に入ると言う「精神性」である。武道館に引き続いて私は即刻、体育館・新館からの「アクセス道路」と「生徒の部室団地」を手がけたいと思っているからだ。
・ 新館の出口から全くその幅で「屋根付のアクセス通路が新武道館の玄関とどのような位置関係になるのか」チームはチェックしなければならない。そしてその右側の墓地側にクラブ室団地が来るのだ。
・ 学校正門の「改革の門」を抜けて校内に入る。右側に新館と体育館を見ながらグラウンドに入り、遠くに見える「武道館のくぐり門」があった方が良い。すぐ玄関というわけには行かないだろう。
・ もう一つの門は言わば「武道館の正門」とも言える物で外部の道路に面している。これが又素晴らしい設計である。「学習院、あるいは旧の警視庁、財務省などのイメージを彷彿とさせる大正ロマン的設計」でここには緊急車両が横付けされる。このアイデアも良かった。
・ 例えば入試広報室の業務やPTA会合などはこの入り口も使用可能である。一階の空手道場は多目的道場であり、柔道場にもなり、女生徒の「モダンダンス練習場」となるくらいの広さである。「パイプ椅子で700名分は収容可能」だからここは大いに助かる筈である。すなわち「講堂の代替」となるのである。早速「中学校は学年集会などで武道館を使う」と言っていた。
・ 私の自慢は「40畳もある和室」である。元々小さな8畳とか6畳とかの分散であったが「大広間」に変更して貰った。昔、新館に「修養室」というものがあったが生徒増で今や教室確保の為に図書室に変わっているが元々の発想はその代替であった。
・ ここでの日常は本校のクラブである「雅学部と教員の団体である浪速教職員雅楽団の練習場」である。「歌舞錬場」と言って良い。その最も奥まった部屋は「広間の茶室」を正規に組み込んであり「1.5間の床と違い棚」が設けられた本格的なものである。しかしまだ「炉の位置」などチェックが必要である。
・ 和室からの「雪見障子」越しには「天竜寺の砂庭」みたいな「つくばい」と「飛び石」が並び「開放感あふれる幅広の廊下」が走っている。この廊下は「刃傷松の廊下」ではなくて「忍耐の廊下」と名づけようか。
・ この和室は豪華絢爛とまでは行かないが「表千家の茶道と雅楽と神楽舞の拠点」と言うことでこの「武道館のへそ」である。ここで「女生徒の礼儀作法教室」なども視野に入っている。そういう時代に成って来ていないか。「復古」である。少なくとも私はそのように思う。「温故知新」と言っても良い。
・ このへその周りに剣道場、空手道場、柔道場、ダンス練習場、と弓道場が配置され「L字型」の配置は「度肝を抜く」設計となっている。教員の指導者には恵まれているので問題は無いのだが茶道の指導者と教員の顧問に苦慮している、人が居ないからである。
・ 茶道の指導者は理事長職務代理に頼めば何とかなるが、顧問先生がいる。「茶道をたしなむ女性の先生」がいらっしゃればその先生にお願いしたいのである。最も茶道部はまだないが・・・。
・ このお茶室は「重要来客の接待場所」にもなるし、和室全体が相手チームの「宿泊場所」として利用できるだろう。極めて重要な空間であり一度理事長職務代理に設計監修して貰いたいと思う。「お茶室開き」は「お家元」に来て頂くと名誉であるが不可能な話ではあるまい。
・ 剣道場も空手道場も弓道場も立派なものが出来る。中でも弓道場は車で言えば「セルシオ」並みの豪華版で恐らく高校弓道界でトップレベルの「公式戦可能な本格的道場」となる。インターハイには出るが今一つ壁が破れない。今後に期待したい。
・ 剣道場が又良い。2階に位置し「天井には斜め勾配の梁が化粧板で巻かれむき出しで「天窓」からは明かりが差し込む」のだ。素晴しいものになる。今までは中央に大きな柱があって1面しかなかったものが「様変わり」する。頑張って欲しい。
・ とにかく各クラブの指導の先生方にお願いしているのである。「器、入れ物は良いが実力は今一つ」とならないように頑張って欲しいと。そのためには「スポーツ特待生制度」も整備することとし、すでに空手と剣道には適用した。素質のある小学生、中学生にこの道場を見せて「囲い込め」と私は檄を飛ばしているのである。
・ 大阪市の建設指導課との協議も順調で3月末には防球ネットを移動し、4月には「プール解体」となるだろう。予定通り行けば12月頃には「武道館の雄姿」が見えるかも知れない。
・ 同時並行で「堺市には校外グラウンド」が完成する。ここでは「野球場、サッカー、ラグビー、アメフトの正規コート」が整備される。こちらも大いに楽しみである。「新武道館」と「堺の校外グラウンド」、それに現在の「体育館」と「人工芝テニスコート3面」の拠点は間違いなく「文武両道の浪速」を作っていく筈である。すべて完成した暁には「本校のグラウンドを芝生化」することは既に内心では決めている。
・ そして我々には「多聞尚学館」がある。こちらは「文武両道の文」である。これらを武器に浪速は厳しい私学としての「生き残り競争に勝っていかなくてはならない」。そして次は本命「新校舎建設」である。
・ 「タヒチ地震」の例もある。理事長職務代理は「新校舎、急いだら」と言われるがその通りかも知れない。今年が終われば今仕掛かっているものは全て完了する。その後はまず既存の古建物の撤去である。「新校舎の種地」を作っておけば後はどうにでもなる。
・ このようにして着実に「夢が現実になっている」のだ。「私に任せておけ」と教員には言っているのである。「先生方にはしっかりと生徒の面倒を見て欲しい」。それが貴方方の仕事であると。今、「目の前にいる生徒をしっかりと教育し、大切にすることが浪速が生き延びる唯一絶対の道」である。しかし「新しいものを造るのは幸せな気持ち」になる。