・ 本校は堺市南区に「校外グラウンド」を有することとし、昨年の12月26日地主さんと「売買契約」を交わした。そして今日堺市から「国土利用計画法に規定」に基づく土地売買等の契約に関して「行政不勧告の内容通知を竹内市長名の公文書」で受け取った。実はこれが「プロジェクトX」の中身である。
・ もったいぶった言い方でブログの読者には申し訳なかったが何しろ「正々堂々、法令違反の無いよう」に進めていたから仕方が無かったのである。生徒や保護者には「新春拝賀始業式」の日に内々伝えたことではあったがまだ体外的にオープンにすることは避けてきたのである。ようやく正式に発表することが出来る。嬉しい。
・ 実は「新武道館の建設」が決定された前後から私は例によって一人で「物件探し」に入っていた。理由は簡単であり現在の校内グラウンドでは「手狭」になってきたからである。しかし性格的にはこういうプロジェクトが好きなこともある。「買い物好き」なのである。
・ 今まででも野球、サッカー、ラグビーは正規の大きさではなくて教員や生徒に「肩身の狭い」「切ない」思いをさせてきたからである。それに有力な私学は校外にグラウンドを有していた。それで私は、「何時かはきっと十分な広さのあるグラウンドを」と思い続けてきたのである。ようやく願いが叶うこととなったのである。
・ 生徒数が増え、特に中学校の生徒数が「うなぎ上り」とは行かないまでも今までのような「高校生の陰に隠れて」というわけには行かないのも動機の一つであった。着任以来私は中学と高校の分離独立を進めてきた。
・ 浪速中学校は確かに生徒数も少なく中身も課題であったが、この3年で「様変わり」となった。倍々で生徒数のみならず中身も大きく成長してきた。こうなれば「完全な一人前」である。中学は浪速高校に専願で進学してくれる「家の子、郎党」であり、「子飼いの生徒」なのである。着任以来私は「中学校への支援」を惜しまず行ってきた。そういう中で新武道館の建設を決定したが、このために現状のグラウンドが更に10%程度削減されることとなった。
・ 元々本校の校内グラウンドは市内にある学校としては「狭いほうでもなく広いほうでもない」感じであったが、やはり「狭い」と言う方が正しかろう。前述したように野球もサッカーもラグビーも「正規の寸法が取れない状態」であった。それに新武道館や新校舎の建設期間中のこともある。
・ とにかく「浪速高校は部活動の盛んな学校」であり、放課後グラウンドを使うのは並大抵の苦労ではなくて「取り合い」といった状態であった。中学生などはグラウンドを使える頻度など少なく道路や建物の影でボース投げをしているような状態であったのである。
・ 私は昨年の10月頃から本格的に物件を探し始めた。「売りに出ている物件」があるという噂を入手すれば大体その日の内に行動した。千早赤阪村の総務課長や村長に直接頼んだりもした。条件はただ一つ「住吉区の本校からバス、車で1時間以内」ということと「野球場は両翼で90メートルの広さ」が取れることであった。こうすれば正規のサッカーやラグビー用も取れる。大体12000㎡、4000坪は必要であったのである。
・ 「極めて難しい条件」であった。バスで1時間以内で4000坪のまとまった「形の良い土地」などはそう簡単に手に入るはずは無いのであるがそれが「運よくあった」のである。きっかけは出入りの不動産会社の社長に探すよう頼んでいたのが結局は決め手になった。11月6日、情報を得て私はこの日多聞尚学館に行くついでに物件を観察した。「一目で気に入った」のである。
・ 私は現地から事務室の担当に「買い、買い、買うぞ」と叫んだのである。早速11月12日出入りの不動産会社の社長さんを呼んで「購入の意思」を伝えたのである。しかし先方が売ってくれるかどうかも分からないし、既に先約があるかも知れないという不安はあった。
・ その後紆余曲折もあり、先方担当の不動産の会社と当方の不動産会社との話のやり取りに、気があせるばかりであった。ただこの辺の事情はもはや関係ない。ただ私は他の私立高校や大学などが「競合相手」になることを恐れたのである。とにかく「早く手を打ちたい」とそればかりを考えていた。
・ 昨年の12月6日私は事務長、事務長補佐、委託の本校設備担当、不動産会社社長を引き連れて地主さんのご自宅を訪問して「誠心誠意売却をお願いした」。私は「勝負服の着物姿」で行ったのである。そしてこの日は忘れられない記念日となった。俵真智流に言えば「12月6日は忘れられないグランド記念日」となる。
・ そして12月25日クリスマスの日に目出度く「契約が成立」し、午後事務室の職員が銀行に走って「頭金を振り込んだ」のである。そして堺市に報告し「申請の受理」を待っていたのである。まとめて書けば以上の如くであるが勿論日々情勢は変化し毎日、毎日打ち合わせをしていたのであるが。
・ まず11月中旬に理事長職務代理を現地にお連れした。一目で「これは買い」と言って頂いた。二人の感覚は同じなのである。二人でこの土地の隅から隅を歩いて確かめたのである。そして12月16日の「理事会・評議員会で詳細経緯を説明し、議論し満場一致で正式に購入が決定」したのである。まさにここまでは「とんとん拍子」と言えるかも知れない。
・ 場所は堺市南区豊田という地区であるがこれだけでは全く分からないが「堺カントリークラブ」の真横にある。「現況はすでにグラウンド」になっておりアマチュアのリトルリーグなどのチームが使っていたものだという。
・ とにかく「学校から35分で行けて」少しの整備をすればすぐ使えるグラウンドの形態となっているのである。後は体裁を整えばすぐには使える。ただ野球場、ラグビー場、サッカー場アメフト部などの多目的運動場となるからこれから段取りを「防球ネット」、クラブハウスなどを作れば事は足りるのである。
・ しかし私は本当に運が良い。当に「神様の思し召し」だと思えるくらい願いが叶う。「私は幸せ者」である。教員の一人が「学校改革の証」として「浪速教育のトライアングル」として良い資料を作ってくれた。
・ このようにして学校改革の成果が具体的に物件で出てくれば教職員も苦労が報われたとなって又頑張ってくれるだろうと思う。これで「新校舎建設の準備はすべて整った」ことになる。
・ 「多聞尚学館、新武道館、校外グラウンド」と一つづつ進め投資をし、進める。すべては「生徒と教員の為」である。後は本命「新校舎」を何としても私の代で完成させ「21世紀に生き残る浪速の礎」を完成させてやりたい。それが「私の責任」である。
・ もったいぶった言い方でブログの読者には申し訳なかったが何しろ「正々堂々、法令違反の無いよう」に進めていたから仕方が無かったのである。生徒や保護者には「新春拝賀始業式」の日に内々伝えたことではあったがまだ体外的にオープンにすることは避けてきたのである。ようやく正式に発表することが出来る。嬉しい。
・ 実は「新武道館の建設」が決定された前後から私は例によって一人で「物件探し」に入っていた。理由は簡単であり現在の校内グラウンドでは「手狭」になってきたからである。しかし性格的にはこういうプロジェクトが好きなこともある。「買い物好き」なのである。
・ 今まででも野球、サッカー、ラグビーは正規の大きさではなくて教員や生徒に「肩身の狭い」「切ない」思いをさせてきたからである。それに有力な私学は校外にグラウンドを有していた。それで私は、「何時かはきっと十分な広さのあるグラウンドを」と思い続けてきたのである。ようやく願いが叶うこととなったのである。
・ 生徒数が増え、特に中学校の生徒数が「うなぎ上り」とは行かないまでも今までのような「高校生の陰に隠れて」というわけには行かないのも動機の一つであった。着任以来私は中学と高校の分離独立を進めてきた。
・ 浪速中学校は確かに生徒数も少なく中身も課題であったが、この3年で「様変わり」となった。倍々で生徒数のみならず中身も大きく成長してきた。こうなれば「完全な一人前」である。中学は浪速高校に専願で進学してくれる「家の子、郎党」であり、「子飼いの生徒」なのである。着任以来私は「中学校への支援」を惜しまず行ってきた。そういう中で新武道館の建設を決定したが、このために現状のグラウンドが更に10%程度削減されることとなった。
・ 元々本校の校内グラウンドは市内にある学校としては「狭いほうでもなく広いほうでもない」感じであったが、やはり「狭い」と言う方が正しかろう。前述したように野球もサッカーもラグビーも「正規の寸法が取れない状態」であった。それに新武道館や新校舎の建設期間中のこともある。
・ とにかく「浪速高校は部活動の盛んな学校」であり、放課後グラウンドを使うのは並大抵の苦労ではなくて「取り合い」といった状態であった。中学生などはグラウンドを使える頻度など少なく道路や建物の影でボース投げをしているような状態であったのである。
・ 私は昨年の10月頃から本格的に物件を探し始めた。「売りに出ている物件」があるという噂を入手すれば大体その日の内に行動した。千早赤阪村の総務課長や村長に直接頼んだりもした。条件はただ一つ「住吉区の本校からバス、車で1時間以内」ということと「野球場は両翼で90メートルの広さ」が取れることであった。こうすれば正規のサッカーやラグビー用も取れる。大体12000㎡、4000坪は必要であったのである。
・ 「極めて難しい条件」であった。バスで1時間以内で4000坪のまとまった「形の良い土地」などはそう簡単に手に入るはずは無いのであるがそれが「運よくあった」のである。きっかけは出入りの不動産会社の社長に探すよう頼んでいたのが結局は決め手になった。11月6日、情報を得て私はこの日多聞尚学館に行くついでに物件を観察した。「一目で気に入った」のである。
・ 私は現地から事務室の担当に「買い、買い、買うぞ」と叫んだのである。早速11月12日出入りの不動産会社の社長さんを呼んで「購入の意思」を伝えたのである。しかし先方が売ってくれるかどうかも分からないし、既に先約があるかも知れないという不安はあった。
・ その後紆余曲折もあり、先方担当の不動産の会社と当方の不動産会社との話のやり取りに、気があせるばかりであった。ただこの辺の事情はもはや関係ない。ただ私は他の私立高校や大学などが「競合相手」になることを恐れたのである。とにかく「早く手を打ちたい」とそればかりを考えていた。
・ 昨年の12月6日私は事務長、事務長補佐、委託の本校設備担当、不動産会社社長を引き連れて地主さんのご自宅を訪問して「誠心誠意売却をお願いした」。私は「勝負服の着物姿」で行ったのである。そしてこの日は忘れられない記念日となった。俵真智流に言えば「12月6日は忘れられないグランド記念日」となる。
・ そして12月25日クリスマスの日に目出度く「契約が成立」し、午後事務室の職員が銀行に走って「頭金を振り込んだ」のである。そして堺市に報告し「申請の受理」を待っていたのである。まとめて書けば以上の如くであるが勿論日々情勢は変化し毎日、毎日打ち合わせをしていたのであるが。
・ まず11月中旬に理事長職務代理を現地にお連れした。一目で「これは買い」と言って頂いた。二人の感覚は同じなのである。二人でこの土地の隅から隅を歩いて確かめたのである。そして12月16日の「理事会・評議員会で詳細経緯を説明し、議論し満場一致で正式に購入が決定」したのである。まさにここまでは「とんとん拍子」と言えるかも知れない。
・ 場所は堺市南区豊田という地区であるがこれだけでは全く分からないが「堺カントリークラブ」の真横にある。「現況はすでにグラウンド」になっておりアマチュアのリトルリーグなどのチームが使っていたものだという。
・ とにかく「学校から35分で行けて」少しの整備をすればすぐ使えるグラウンドの形態となっているのである。後は体裁を整えばすぐには使える。ただ野球場、ラグビー場、サッカー場アメフト部などの多目的運動場となるからこれから段取りを「防球ネット」、クラブハウスなどを作れば事は足りるのである。
・ しかし私は本当に運が良い。当に「神様の思し召し」だと思えるくらい願いが叶う。「私は幸せ者」である。教員の一人が「学校改革の証」として「浪速教育のトライアングル」として良い資料を作ってくれた。
・ このようにして学校改革の成果が具体的に物件で出てくれば教職員も苦労が報われたとなって又頑張ってくれるだろうと思う。これで「新校舎建設の準備はすべて整った」ことになる。
・ 「多聞尚学館、新武道館、校外グラウンド」と一つづつ進め投資をし、進める。すべては「生徒と教員の為」である。後は本命「新校舎」を何としても私の代で完成させ「21世紀に生き残る浪速の礎」を完成させてやりたい。それが「私の責任」である。