1.報・連・相ということ
・ 「報連相」という言葉は「報告・連絡・相談」を略した言い方で今や組織人としてこの言葉を知らない人はいないと思う。もはや「常識の言葉」と言って良い。これを欠くと組織は円滑に動いていかない。ところが「学校文化」においてはこの常識が少し希薄であると言われており、私もそのように強く感じている。
・ 要は「コミニュケーションの問題」なのである。「生徒生活指導部でかくかくしかじか決めましたので宜しく、担当分野を見知っておいて下さいというのが連絡」「出張に行ってきました。見聞したことはかくかくしかじかですというのが報告」「困ったことが起きました。どうしましょうが相談」、この3つをかき分けて動くのが「賢いやり方」である。「組織で生きて行くうえでの知恵」といっても良い。
2.この夏の事例
・ この夏ある教員が「某研修会に出席したい」と管理職からまた聞き、嬉しくて職務免除で研修費を全額法人持ちで許可した。「承認研修」である。 もう一つは「命令研修」で某セミナーに出席してもらった。
・ところがこれらの教員、2学期は始まっても「報告がない」のだ。思い余って副校長に質した。
・翌日すぐとは言わないが、せめて1、2週間以内位に 「こう、こう、こうでした」くらいの立ち話報告があってよい。こちらは「どうだったんだろう?」と気にして待っているのだ。府立の教員の研修は「事前承認願い(相談)」「研修計画(報告)」「研修実績(報告)」と3段階にわたって文書報告が厳しい。別に悪気はないのだろうが、組織の一員と言う概念がもともと希薄で、自分は専門店の社長くらいに思っているのだろうから、組織の長たる校長への報告、連絡、相談などは基本的に考えが及ばない。要は「組織人の行動規範」が身に付いていないのだ。典型的な例である。
・昨日の研修会でその辺のところを少し言及したら早速、夏のECC英会話セミナー、河合全統模試の分析結果が出てきた。「今までこれらのデータはどうしていたのだろう。まったく不思議だ」。毎日管理職の朝会をしているが、このような話は副校長からも出てこない。彼らにも考えが及ばないのだろう。大変良いのは体育のY教諭、神道科のM教諭、理数科のO教諭、生徒生活指導部長のK教諭、それに各学年主任((定期考査の成績報告だけだが)だ。 ピカ一はなんと言ってもM教諭、指示に対する仕事が速いし、私は彼から「ほうれん草」をたくさん食べさせられている。若いが立派だ。
・私は「浪速という組織の長」としてすべてに目配りして教職員のこれらの「ビヘイビア」即ち、「物事の捉え方」「課題設定能力」「課題解決のための仕事の進め方」「そして、その結果」を厳然と観察している。今後の「教職員能力評価システムの根幹部分」だからである。
3.電子メールの活用と懸念
・10月からは誰もが簡単に必要な人に電子メールで情報を送れる。これで体制が整った。上手く活用していって欲しいと思う。ところがだ。良いこともあれば悪い面もある。人間の悲しさであるが、「便利だ」「簡単だ」「コピーしなくて済む」等と言って今度はメール配信ばかりで済ませる「無精者」が得てして出てくるのが人間の常だ。人間って弱いものだね。
・ 「フェイス to フェイス」の報連相が必要な場面があるのは当然で、その判断は「個人の感性の問題」である。電子メールにおける理事長・校長メッセージは「公式なメッセージ」であり、「校長の職務命令」の機能を有していると理解しておかねばならない。電子メールの内容も当然「職務命令」の性格を有する。業務報告、連絡、相談、は「唯我独尊」を戒めるためのツールと心得、やはり人間集団の組織の一人として「顔を見ながら議論する、報告する大切さ」はIT化時代になっても不変である。
・ ただ今度からは「私は聞いていない」とか「知らなかった」とかは言えなくなる。だって全員に必要な情報は同時に送っているのだから。それは「見ていない人の責任」とうことになろう。その人が恥をかくだけだ。
・ 「職員会議の質的変換」も私の狙いにはある。旧態依然とした職員会議の内容は校内イントラネットで間違いなく変わっていく。職員会議に上程する議題などは変わるはずだ。だって皆もはや「知っている事実」であり、殊更同じことを繰り返す必要はない。
・ 「ツールとしてネットを使い、人間として顔を見ながら話をする、このコンビネーション」が重要だ。今後以下のような場面がないようししなければならない。「えー、あれはちゃんとメールで報告してましたよ。」というやつだ。しかしあるだろうなー。誰がやりそうか、大体想像が付く。