・ 橋下知事は5日の定例記者会見で正式に「教育非常事態宣言」を出した。先日のブログで、このことについて触れてはいるが、その中身が明らかになりつつある。こういうものから知事の考えが良く分かる。注意深くウヲッチしておかねばならない。知事の意向は必ず「私学にも及んでくる」からである。私学助成削減の動きから我々は学習した筈である。
・ 全国学力テストの成績が2年連続全国平均を下回ったことに知事は危機感を募らせている。「大阪教育日本一」を掲げて当選した知事としては当然だが、「完全に府教委に不信感」を抱き、昨日も「府教委は前回のテストの後、方策を取るといったのに全く改善されなかった」と断言した。
・ 「徹底した学力向上策を推進」するため次から次と自ら発信してる。任期の来た2人のお飾り教育委員は再任せず「百マス計算の影山先生」や「プリント授業の小河先生」など実績のある専門家を入れる。シンクロの井村コーチなどには知事の意向で辞めて貰ったとある。「教育委員の数も増やす」としている。府教委のやってきたことの全面的な修正である。
・ とにかく次から次と新しいことを打ち出している。先の「全国学力テストの市町村への開示要求」も知事の強い意向で府教委は一夜で態度を変えて動こうとしている。これほど「選挙で選ばれた知事は強い」のか。
・ 教育非常事態宣言の具体策として「地域や家庭も責任を持て」とかであるが、注目すべきは「ダメ教師を排除し、教員の頑張りを引き出す」「何でも自由を改める」という項目だ。段々と本丸に迫ってきている。このような項目は教師出身の指導系からの発想にはない。だから大阪の教育は変わらなかった。
・ 「駄目な教員が学校にのさばりすぎている」と知事は言い、「不適格教員」に対して「分限免職」を「厳格に適用」するよう府教委に命令は出来ないから「要請」すると昨日明確に述べている。「担任を拒否したり病欠制度を利用して休みを繰り返したりする先生がいる。こういうダメ教師は去って貰いたい」とまで述べている。
・ ここにある「分限処分」というのは一般には分かりにくい制度で公務員に適用されてる一種の「身分保障制度」であり、公務員ではない私学には適用されない。しかし公立教員でも案外知らない人が多い。この前テレビのバラエティであるコメンテーターが「先生は首には出来ないから・・・」と言っていたが、これは間違っており、「クビに出来るのがこの分限免職」制度だ。
・ 言ってみれば「伝家の宝刀」で知事は府教委に対して「この刀を抜け、抜け」と迫るというのだ。心当たりのある教員には「恐ろしい話」で、これが一般化されてきたら「今までぬくぬくとサボってばかりいた教員」には「首筋が寒く」なるような「村正の名刀」である。
・ 大阪府は数年前この伝家の宝刀を抜いて全国で話題になった。「高校の数学の教師が高校の入試問題を解かせたら何回やっても30点ぐらいしか取れず、勤務態度も悪かったから分限免職」とした事案があった。前の学校の同じ学区の高校のことだったから大変良く覚えている。当時の新聞に大きく報道された。
・ 分限処分とは一般職の公務員で勤務成績が良くないもの、心身の故障、職務に適格性を欠くものなどの場合で「公務の効率性」を保つことを目的とし、その職員の意に反して行われる処分で「身分保障の限界」という意味である。
・ この制度があれば「任命権者は楽だ」と思うかもしれないがそうではなくて、分限処分を行う場合は「公正」でなければならないとされている。だから「伝家の宝刀」なのである。何時もかつも簡単に抜いてはならないと一応「しばり」があるのであって、実際は心身の故障等が主体で「資質に関わる適格性」では余り例がない。だから伝家の宝刀なのであって、知事はそれを抜け抜けと言っているのだ。
・ 「必要な適格性を欠く場合」とは当該教員の簡単に「矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等」に起因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生じる「高度の蓋然性」があると認められる場合に抜くことができるのである。
・ 具体的処分事例は最近では多くあり、多岐にわたっているが、「教育活動に関する能力、勤務態度の問題と校長との対立・反抗的態度」は常に争点となっている。特に「組合活動」に関連して「校長着任拒否闘争の一環として校長に対する暴力的言動、職員朝礼や職員会議への出席妨害、職務命令拒否」などがある。
・ 又「破廉恥行為」として妻子ある中学校教員が女性同僚教員に対して破廉恥な行為を繰り返すとか女性事務員に交際を求めるとか色々ある。整理すればまず「教育活動、勤務態度、組合活動、破廉恥行為、長期欠勤、精神疾患」に分類されている。
・ 問題は「私立学校」である。教員であるから「不埒な教員」は公立にも私立にもいるのは当然であるが、私立には「国家公務員法」や「地方公務員法」「自治体の条例」は及ばない。それでは「処分できないのか」となるのであるが、ところがどっこい「出来る」のである。
・ 私学には「就業規則」がある。これが「唯一絶対の法的根拠」であり、これが明確にされていないと後々大きな問題となる。私は着任してすぐこの問題に取り組み「全面的に再整備」し「教職員に一冊ずつ配布し周知徹底」した。
・ 当時就業規則など見たことがないという教員もいた。「自由気ままな規則などない学校」で、あったのは「知って得する権利」の小冊子くらいであった。「服務は自由出退勤」で、ここでは書けないような話も真実かどうか知らないが、多く耳にしたこともある。受益者負担の講習なども源泉徴収問題はどうしているのだろうと大変気にしていたことを覚えている。
・ それで新しい就業規則の第12条に「解雇の条項」を設け、1.勤務実績 2.心身の故障 3.適格性を欠く 4.人員整理 5.その他と該当条件を明確に定めた。言ってみればこれが「教育公務員の分限処分」に相当する。
・ 分限処分と懲戒処分は異なるものであり、第41条には9項目にわたって「懲戒処分の対象を規定」した。例えば3項には服務違反、6項には刑法事犯や信用失墜行為などがある。そして42条には「戒告から減給、停職、解雇まで正式に明文化」し、昨年6月に「労働基準監督署に届け出て正式に受理」された。
・ 橋下知事の意向は「ダメ教師の排除が学校全体に緊張感をもたらす」というもので全くその通りである。「教員のわがままに付き合っている暇はない」というところだろう。知事が次に打ち出すのは「メリハリのある処遇体系」であり、全く本校がこの1年半先行して行って来たことが、何か筒抜けで「真似をされている」と言っても良いくらいだ。
・ 私は今安定軌道に載ったからと言って「グリップ」を緩めることはしない。まったく誰も知らず、たった一人で乗り込み、着任2週間後から改革に着手してきた。そして「今の浪速」がある。「すべて一切私が為した」ものだ.勿論教職員の理解と協力があればこそであったが、仮に「抵抗勢力があっても成し遂げていた」と確信している。「解雇という荒療治も法廷闘争も覚悟」していたのである。
・「意見は聞くが最後は私が一人で判断する。誰にも文句は言わせない」。たった一人の校内理事で、理事長・校長として「私の責任で私の思うような学校つくり」をしていく。時間的余裕はない。知事もこの思いと全く同じだろう。改革をするということはこういうことだ。前にも書いたが「ゆっくりとかじっくりとかはやらないことを意味」する。ゆっくりと時間を取ったらよい考えが浮かぶか?そうではあるまい。「電光石火」が秘訣だ。