2008年9月28日日曜日

9月28日(日)その2:教育勅語

・ 昨日の「天皇陛下ご即位二十周年奉祝大阪府民の集い」において「感動というか驚愕に近いものを感じた」のは清興の一つとして府内「南港さくら幼稚園児による教育勅語の暗誦」であった。40~50人のいたけない園児がまさに顔中口だらけのように、思いっきり口をあけて「教育勅語」を暗誦するのである。あの有名な「朕惟うに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に徳を樹ること深厚なり、我が臣民克く忠に克く孝に・・・・・」の文章だ。
・ 私は最初何を言っているのか分からなかったがすぐ、「教育勅語」だと理解した。勅語とは天皇が国民におおせられる公式のお言葉であるが現代の今ではそのような言葉さえ使われなくなった。昔の尋常小学校以上の生徒はこのような難しい漢字を自分のものにしていたのだ。
・ 1890年、明治23年の10月山形有朋内閣の時代に明治天皇が発布し、文部省はただちに謄本を作成し、全国の学校に配布し学校儀式での奉読などを指示した。私の祖父や父の時代は天皇陛下や皇后陛下の「ご真影」とともに「奉安殿」というところにある教育勅語を奉じたことを大変良く覚えていると聞かされたことがある。
・ 時々、祖父はそらんじて孫の僕に言い聞かせていたのである。だから今でもかすかに頭に残って入るのかも知れない。大阪天満宮宮司で本校名誉理事長が後刻の祝賀会の最初のご挨拶で「最初の方は今でも覚えています。・・・・。」と言われていた。75歳におなりであるがまだ頭にあると言われている。
・ 敗戦後の1947年、昭和22年3月31日の「教育基本法の制定」によって、その内容が否定され翌23年には国会において「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すものとなる」とわざわざ「失効確認・排除の決議案」を可決したのである。いわゆる「天皇の人間宣言」である。
・ 私は戦後昭和21年の生まれであるから私が小学校に行く頃には「教育勅語」を教えられた記憶は無いが学校のどこかにあの難しい漢字で書かれた教育勅語と天皇皇后陛下のお写真が学校にあったのをかすかに覚えている。田舎であったからかも知れない。
・ しかしその後60年、「日本の子どもたちの状況はどうなったかという問題提起」の声はますます大きくなってきている。学力低下もしかりだ。しかも様々な意見があるものだから今の政治社会状況では何も具体的なことが決められないのが国の実態である。
・ 「教育が悪い」「道徳を教えるべきだ」「学力低下は何たるさまか」「子どもの日常生活規範は一体どうなんだ」「いじめ、不登校は、子どもに携帯はいるのか」等々テーマは増えるばかりでどれ一つ解決したことは無い。「道徳教育」ひとつ教科化されない。「自由だ」「個性だ」とかなんとか言っている間に日本の教育はどうなって来て、これから何処へ行こうとしているのか。
・ 私は危機感を持ち、本校だけでも出来るように、先行して「浪速生活の綱領」「学院神社拝詞」をまとめた。そして今、道徳観も入れた「新しい神道の教科書」を編修している。新たな歴史教科書採択もすでに視野に入れている。
・ 今更「教育勅語」でもないという意見があろうが、さくら幼稚園児とその保護者は胸を張って暗誦朗読をしていた。ここから何かを掴もう、子どもたちに何かを伝えたいとされているのだ。そこにはただ「理念」を振りかざすだけの「具体論のない輩」とはない「さわやかさと力強さ」を私は感じた。
・ 私は「神社神道の学校という誇りと喜び」を今日ほど感じたことはなかったし、「浪速生活の綱領」をもっともっと大切にしなければならないと思った。「本校の将来を託す若い柔軟な先生方にこのことをしっかりと伝え、お願いしていかねばならない」と今更ながら感じた。
・ 私が遠慮する必要はないのだ。学校の最高経営執行者であり、校務運営の責任者だ。不退転の決意で明日の日本を作る本校の生徒たちを教育していかねばならないと私は再度宣言する。

教育勅語の口語文訳】 
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。   国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。~国民道徳協会訳文による~

教育勅語の十二の徳目
孝行(こうこう)  親に孝養をつくしましょう
友愛(ゆうあい) 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ノ和(ふうふのわ) 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ノ信(ほうゆうのしん) 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜(けんそん) 自分の言動をつつしみましょう
博愛(はくあい) 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学習業(しゅうがくしゅうぎょう) 勉学に励み職業を身につけましょう
智能啓発(ちのうけいはつ) 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就(とくきじょうじゅ) 人格の向上につとめましょう
公益世務(こうえきせいむ) 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法(じゅんぽう) 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇(ぎゆう) 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう