2008年9月12日金曜日

9月12日(金)資料の作り方

・ 企業社員で、それも「総合職の社員」において最も大切なことは「書類・文書の作り方」だ。「報告書」「企画書」「起案書」「提案書」等々様々であるがいずれの場合も極めて重要である。勿論「私信」もそのうちに入る。「同じことは教員にも当てはまる」のではないか。
・ 「出来よう」によっては「出世に大きく影響」する。「あいつは中々考えている。」「面白い提案だ」「いいことを言う」などと評価が固まれば、サラリーマンにとっては「出世の糸口」だ。「なんだ、このレポートは誰が書いたのか」「何を言いたいんだ、この資料は!」などと上司に言われようでもすれば、失地回復に相当のエネルギーが必要となる。
・ 極端に言えば中身は無くとも上手く書くのに越したことはない。「センス」だ。「書いたもので勝負の世界」であり、そういう意味では小説家やエッセイストと変わりはしない。自分の考え、意思、問題意識を伝えるには「書いたもの」が最も効果的だ。「一遍の文章で人や組織は変わる」ものだ。
・ この資料で何を言いたいのか。聞いてくれる人、読んでくれる人の心に「ズーンと響くような資料や形つくり」に手を抜いてはならない。組織人として極めて重要な視点だ。大体教員は試験問題は上手く作るが、概して資料作りは下手だ。ここは私企業と言っても良い私立学校である。「教員も資料つくりが重要」なことは言うまでもない。今やただ教えておれば良いという時代ではない。特に私学だ。全員が一騎当千でなければならない。
・ 書いたものでないと「まず残らない」し、残らないと「歴史にはならない」。後で「ああ、言った」とか「そうではなかった」とか混乱の元だ。会話でも意思は伝えることができるが、「会話録」を作っていないと後後大きな問題となる可能性が出てくる。
・ だから国や地方の自治体など行政や議会も「会話録」は公文書として確実に残される。本校でも時に「会話録」は取ることがある。それは微妙な問題で校長が教員から「ヒヤリングする場合」にあらかじめ了解を得て会話録をテープに取ることは常にある。テレビでは府教委に盗聴マイクが仕掛けられていたという。明日、私の部屋もチェックしよう。
・ 橋下知事みたいに「隠し撮り」はしない。大体「覆面記録」は陰湿ではないか。私は堂々と理解を得てテープレコーダーに記録する。そして場合によっては「テープ起こし」して文書に残すが法的には「肉声の入ったテープ」が証拠書類となる。
・ 話を元にもどそう。教員はもう少し「レポート類の書き方」を訓練しなければならない。特に私には目に付く。管理職もそうだが、経験の無さからくる無知なことと訓練不足、それが結果として「センスの無さ」に結びついている。
・ 「書くことは考え方の整理」であり、時に今まで気づかなかったことに気づいたりする。書くためには「他を勉強」しなければならない。「数枚のレポートに書いた人の全てが現れる」ものだ。
・ 教員採用においては本校では「2000字の論文提出」をお願いしている。この2000字にその方の全てが現れるものだ。「ベースとなる教養、蓄積、ボキャブラリーの豊かさ、表現力、物事の見方、考え方」が完全に出る。
・ 「本校ホームページの木村智彦の言葉」を題材に「教育論や教育観」などをまとめてもらっているのだが、例えば校長日記のどの部分に影響されたかなどでもその先生の性格などが一発で私には分かる。
・ 分掌部長、類長クラスでも下手だ。しかしさすがに教職だけあって「一度注意すれば」2回目は見事に変わる。これも教員の面白いところだ。進路指導部長は最初全くダメであったが最近は殆ど手直しが無くなった。最初は元の原稿がなくなるくらい変更した。
・ 中学の教務部長は最近厳しく指導した。まず全国学力調査のまとめの仕方と「習熟度授業の諮問答申資料」だ。机を叩いて指導したが時間を置いて2回目は私が感心するくらい立派な資料であった。納得せざるを得ない説得力のある『立派なまとめ方』であった。
・ 英語科のI教諭には他校との比較表を作ってもらったが2回目でパスした。彼は「要領が良い」。しかしこれは「特技だから気にする必要はない。」数学科のO教諭は最近「晴れ舞台」があって資料から発表まで直接指導しようやく形ができた。個性はあって良い。評判が良かった。
・ 一昨日はこれまた大きな声で指導した。まずけしからんのは資料が途中で抜けていたり、日付けがないような資料を持って忙しい私の時間を無駄に取らせることだ。資料の日付けと文責者の名前のない資料は「誕生日も無い無国籍資料」で読む気になどなれない。『とんでもない話』だ。
・ 事務室でも事務長は才がある。中々上手い。しかし「べた書きする癖」があるから自分には分かっても「初めて見る人間にはよく分からない」ところがある。銀行出身だからワザと分からないように書いているのかも知れない。
・ ところが同じ事務のM主査は極めて優秀なのだが決して資料作りは上手いとは言えない。これなど会計計算ばかりでレポートをまとめると言う訓練をしていなからだ。今徹底的に私は彼を鍛えている。
・ 入試広報室の面々は概して上手い。これは「訓練の成果」だろう。特にO教諭は「理事長の考えを想像しながら作ってくる」ところが巧妙だが、これは重要なことで、広報みたいに外部に発信する資料は勝手に個人の思いで出されては困るからだ。この先生は「いわゆるセンスがある」のだ。
・ 2学期制のチーム報告のときは「ひやひや」したがチーム長が数日かけて手直ししたのだろう。最後の形は「立派」であった。もし駄目なものを私の目の前に見せたら「資料が吹っ飛んでいただろう」。「1年もかけてこの程度か?!」と。
・ 校長日記、校長公式メッセージなど「いい加減に書いているのではない」。書いたものに責任を持ち、私の考えを広く内外に伝えることが「学校長の説明責任」である。教職員の心の臓にガーンと届くブログを心して書いている。早速昨日のブログで「関西大學との連携」の問い合わせに入試広報室の電話が鳴りっ放しと聞く。
・ 資料の書き方・作り方は極めて本校では重要な評価アイテムと心得よ。「真剣勝負」と考えねばならない。簡単な話だ。「5W1H」「起承転結」「論理を補足する客観的な証拠等」。要は求められたものになっているかどうかだ。検討違いは逆にマイナスとなる。「心してかかるべき」である。