・ ほぼ予定通りに進行した。「素晴らしい計画」であった。最も事前に「試し登山」を行い、昨日は教諭でアルピニストの専門家とも言える教諭が「前日登山調査」をしてくれている。このようにして万全に準備しての本日であったから結果は自ずと分かる。
・ 一人の生徒が小さな捻挫をしたが一人で歩ける程度で他はすべて問題なく登山し下山した。全員が「多聞尚学館の体育館に到着」し保護者有志による「豚汁」のサービスを受けたのである。「具沢山」で本当に「旨い豚汁」であった。
・ 学校前を8時10分過ぎに6台の大型バスに分譲して出発し予定通り金剛山ロープウェイ登山口に10時前に到着。3年生から2年生、1年生と出発する。今日は「高校3年生の学年団もお手伝い」で参加してくれた。
・ これ以上はない「天気に恵まれ雪もなかった」が、購入した「アイゼン」はたとえ今回は用にならなかったけれどもそういうことは問題ではない。晴れ間が見える「無風」の格別の「登山日和」であった。それでも山頂付近では「樹氷」を観察することができた。
・ しかし金剛山登山とは初めての経験であったが「良い山」で霊峰というに相応しい「気品」を感じる山であった。この話の最初の頃は生徒は登山を嫌がっている様子であったが今日の実態はそうではなく「歓声」がこだまする「楽しい思い出の登山」になったのではないか。
・ 昼食はピクニック広場付近で少し早めであったが生徒は「屋外でお弁当」を広げていた。それくらい「暖かい天気」だったのだ。ここに来るまでがいささか急な坂道であるが正直「大したことはない」というのが私の感想だ。
・ 教職員は「理事長は絶対にばてるぞ!」と思っていたらしく一人のベテラン教諭が「付き添い」でエスコートしてくれていたが、確かに足は遅いがしっかりと登っていくし、今足も痛くはない。皆は基本的に私が「健脚」ということを知らない。
・ 中学校の副校長は昨年屋久島での様子を知っているからそのようには思っていないが最近の私を知る先生は確かにそう思うのであろう。腰痛や足のしびれなど大変だった。2年前までには私はその健脚を自慢したが確かにこの2年間弱ってしまった。しかし「昔取った杵柄」とはこういうことを言うのであろうか。平気だった。
・ 昼食を終えて3年生は12時30分に出発し、「葛木神社,転法輪寺」をお参りして山頂付近を終えるが、これからが登山下り道としては良くない。すべて「人工階段状」になっていてこれは「ひざに来る」感じだ。これが下まであるので上りと下りは取り替えた方が良いと思ったが実はこの道を下ったところが「多聞尚学館」なのである。
・ 山を下りたら目の前に「多聞尚学館が眼前に広がる」と言うのは嬉しいものだ。千早神社の横を抜ければ学校でこの辺りが「千早城址」である。私は最後の方で歩いていたのだが尚学館に近づくにつれて生徒の歓声が聞こえる。
・ 先に下りた3年生がグラウンドで三角ベースの野球をして楽しんでいるのだ。その光景はとても良かった。そして「ガーガー」という工事の音である。そう、今「改装の真っ最中」なのである。
・ 「校長先生が帰って来られましたよ!」と保護者の叫ぶ声に迎えられて体育館に到着だ。生徒は暖かくした暖房の体育館で「ふーふう」言いながら「豚肉だらけの豚汁」を汗を流しながら食べていた。旨そうに食べていたな。やはり体は冷えていたのか。
・ なんと「千早地区の区長」さんが出迎えてくれている。とにかくこの区長さんが我々を大歓迎してくれているのだ。時々校庭の雑草など刈ってくれているらしい。来週副区長さんらと本校に来られる。「誠意を持ってご対応」しなければならない。
・ 全生徒を集め、校長から「一言」述べて例の「金剛山登山記念の携帯ストラップ」のプレゼントである「校鳥:スクールバードのふくろう」の説明を加え、記念品を手渡した。。そして「PTA会長からのご挨拶」だ。良いお話をして頂いた。
・ その後私から一人ひとりの保護者に感謝のお礼を述べながらストラップをプレゼントした。「保護者もこのような企画と学校行事への参加」を喜んでいただいている様子であった。実はこれが目的でもあったのだ。
・ 私はその後「工事の進捗チェックだ。」学校から事務長補佐、特別施設担当、それに千早赤阪村の現地業者が勢ぞろいして現場を歩いて指示しなければならない。工事状況を観察して「大変良い学習場所」となるだろうと私は確信した。
・ 応接室、職員室、120名規模の大教室、40人教室が3教室、男女それぞれの三段ベッドの寝室、多目的使用のじゅうたん部屋が男女別、それに浴場、シャワー室、加えて旧幼稚園にこれまた寝室だ。保健室もある。全くいうことはない。素晴らしい「豪華版」だ。生徒や教員が喜ぶ顔が早く見たい。
・ 学習で疲れたら体育館やグラウンドで運動も可能だし春夏秋にはここを拠点に「里山をウォーキング」する息抜きも可能だ。ここは本校の生徒、教職員、PTA、神社庁、同窓会、ご関係の塾関係者など基本的に使用は自由とする。皆で使えば良い。
・ まず進路指導部長と副部長に炊飯と汁物、それにケイタリングの「おかず宅配」について「調査研究」するように指示した。まず彼らは3月末に第一回目の宿泊合宿を計画している。私は丁度この時にぶつけて「理事会・評議員会」を多聞で開催することを決めている。「面白いことになるぞ。」
・ 金剛山登山は出来れば浪速中学校の「耐寒行事」として「根付くことを念願」している。それはすべて「教員の熱意」にかかっていると思う。本日も体育科の教諭が表、裏とリードして頑張ってくれていた。
・ 主担のI先生と補佐役のこれまたI先生、これにH先生やA先生などが裏方で頑張ってくれている。頭の下がる思いだ。彼らの力がないと「学校行事」はうまく行かない。「中学校の運動会」もそうだった。中学校の先生は目を光らせて生徒の動向を注視していた。だから問題なく遂行できたのだろうと思う。
・ 多聞尚学館の本部待機教員と登山組とはトランシーバーで連絡を取り合い、緊急用にタクシーを待たせ、担架を用意し、「事前チェックを徹底」すればこその成果だと思う。「先生方、有難う。」心から感謝と敬意を表したい。
・ 今日は上り下り、大体写真館の社長さんと一緒に歩いたのであるが「間違いなく脚は私の方が強い」ことが分かっただけでも嬉しい。最も私の方が○歳も若いのだから当たり前だ。「理事長先生、後10年頑張ってくださるそうで嬉しいです。私も後10年頑張ります。」と言われた。この前私のブログに書いてあったことを言っている。
・ このやり取りを聞いていた体育科のK先生は「そうそう、あれは話題になりました」と。「新校舎建設までではないのか、後10年というと、その後もやられるのか・・・。」とちょっとした「噂」になったというのだ。
・ 「私は笑ってしまった」。教員はあと5年我慢すれば私は居なくなると思っていたところへ私が「後10年はやる」と書いたものだから「フーッ」と「ため息」でも出たのではないかと、私は想像する。今のところ「後10年やることを歓迎」してくれているのは理事会と写真館の社長さんだけだ。社長を大切にしよう。