2009年4月12日日曜日

4月12日(日)多聞尚学館開館式

・ 「わが生涯最良の日」と何時も良い時があると「口癖」のように言うのだが、僕の場合、それが多すぎる。一つの仕事をやり遂げた時に何時もそのように感じるのであるが、もう目標は次に向かっており、又数ヶ月先に「わが生涯で最良の日」と言うのは間違いない。しかし今日は「特別な日」となった。「特別な我が最良の日」であった。
・ スポーツ選手が良い記録を出した時など「自分を褒めてあげたい」とか言う時がある。こういう言い方は「仕事師人間」「プロ仕事人」と自負している僕には向いていなし、どちらかというと嫌いであるが、今日は瞬間でも些かそのような気になった。年を取ったせいかも知れない。後何回このような仕事ができるだろうか。
・ お金の無い時から、今や「無借金」で「校外学習合宿施設」を手に入れたのだから私の気分は高揚する。千早赤阪村と言う「太平記の世界」、日本の歴史の中で天皇親政「建武の中興」の「日本史の大舞台」にもなったこの地に、このような「資産」を得ることが出来たのだ。
・ 知っている人はまさか「2年で」でと思ってくれるに違いない。「まさか」という言葉があるがそのまさかで本校は格好の物件を手に入れた。「千早赤阪村村長様始めご関係の皆様のお蔭」である。今日ご出席頂いた方々と「深いご縁」を頂き、「何か血縁を結んだ」感じが僕にはした。
・ 生徒も教職員も大変喜んでくれ、もうこれで京都や琵琶湖周辺の宿泊場所を探し回る必要もなくなった。行きたい時に行ける場所があるだけでも「幸せな気分」になるではないか。最後の打ち上げで誰かがそのように言っていた。「分かる、分かる。」もう年間の週末は全て埋まっており、この14日には中学1年生が「入学オリエンテーション」を多聞でやるそうだ。
・ 昨年の10月16日に初めて物件に触れて「丁度半年」である。まだ校庭にある桜の巨木が花を誇っている今日、ご関係の皆様をお迎えしてこのように「盛大に開館式を挙行」できたのは本当に嬉しいなどの単純な表現では表すことは出来ない。誰もこの2年間の「僕の気持ち」など理解は出来まい。それで結構である。ただ「多聞尚学館が教職員の目の前にあるという事実」だけで十分だ。
・ この多聞は最初から最後まで私が千早赤阪村と交渉した。「誰にも任せなかった」。ただ改造工事については事務長補佐と、出入りの建設業者の専門家を当方サイドのポジションに立たせ、3人でチームを組んだ。この二人が「私の思いを具現化」していってくれた。多聞はこの3人での合作であると言える。
・ この補佐は重要な村当局との会談にも同席させ、先方の窓口である総務課長ともコミニュケーションを取らせるように配慮した。事務長補佐と何回二人で千早赤阪村に行ったことであろうか。「影の功労者はこの事務長補佐」だ。式典に先立ち地元の「建水分神社」のご斎行で「四方払いお清めの神事」をして頂いた。「雅楽部」のみやびな音色が晴れ渡った千早の空にこだましていった。
・ 式典における冒頭の私の挨拶は「今日に至る経緯を校長日記を振り返る形」でお話しした。とにかく12月以降多聞のことばかり書いている。松本村長も「阿吽の呼吸」で素晴らしいスピーチをして頂いた。その後初代館長の副校長先生が「多聞で何をやるか」を説明され、次にご来賓として府議の鈴木先生、塾代表として㈱イングの青木社長からご祝辞を頂いた。
・ こういう時には必ずと言っても「その人の歴史」が語られる。来賓お二人のスピーチには私個人のことが何回も言及された。確かにその時々だけではなくて「過去の蓄積」が今日ある姿だと考えれば話は分かる。「スピーディに行動力と熱意で物事を先取りして実現する男」というようなお話だったように聞こえた。恥ずかしい限りだ。そしてまとめが名誉理事長の謝辞で「大阪府神社庁の本校に対する姿勢」をお見せしたのである。
・ 「今日で浪速は完全に変わった感じ」がする。「変わった証明がこの多聞尚学館」である。教職員全員の力で購入することが出来た。このことだけは間違いない。本校では私が着任以来折に触れて全教職員に「財布の中身」を開示している。借金が幾ら、定期預金が幾ら、手元現金が幾らと公開してきた。教員は全てを知っている。これで一応の「新生浪速の草創期」は終わったと思う。明日からは次の段階である。「ステップが一段上がった」のである。
・ 第一部は以上のような式典、第二部はアトラクション、第三部は午餐パーティの組み合わせであったが「今日のハイライトは第二部」だったと思う。誰もがそのように思ったことであろう。「剣道部と空手部の演技というか模範試合というか演舞」というか言葉が無いくらい素晴らしかった。
・ 顧問の先生と生徒の呼吸がぴったりとあい「師弟関係の美しさ」も感じた。「迫力」あるまさに「文武両道」を地で行く「浪速の真骨頂」をお見せすることができた。そして最後が「ブラスバンド部」だ。圧倒的に女生徒が多く「華やかであるが品がある演奏」は経った2年でここまで伸びるかという感動の演奏だった。
・ そして多聞尚学館のイメージソングとして「青葉茂れる桜井の」の「扁額の除幕式」があり、揮毫は泉州にお住まいの「書道家前田芳陽先生の幅2メートルもある大作」である。気品に溢れ女性の筆とは思えない勢いのある字体である。村長も副村長も感心されていた。
・ そしてブラスバンド部の伴奏で司会の勧めもあり、私が「青葉茂れる」を6コーラスすべてを前に出て、恥を承知で歌ったのである。会場のご年配のお方も合唱してくれ、私は思わず5番の歌詞「行けよ正行ふるさとへ、老いたる母の待ちまさん」のところでは感極まってしまった。
・ とにかく極めて多くのお方が参加していただいて総勢180名である。その中に前にブログにて紹介した瀬戸様という妙齢のご婦人のお姿があった。「毎日1000円ずつ机の引き出し貯金をして1年分365枚をご寄附頂いたお方」である。なんと今日はあれから「100日」と言って1000円札100枚を頂いた。こちらは汗が出るやら感激するやらであった。
・ 第3部は「大ホールでのパーティ」だ。冒頭道明寺天満宮の南坊城宮司よりご挨拶を頂き、次は地元の区長様の音頭で「乾杯」である。堺ロイヤルホテルの料理は量も味も大変良く支店長は私の反応を気にされていたが「最高」と言って上げたら大層喜んでおられた。確かに旨かったと思う。地元の方々も美味しそうに召し上がっておられた。
・ お客様には「引き出もの」をご用意し、お送りした後全教職員で「打ち上げ」をした。教職員は本当によくやってくれた。お客様が大変喜んでお帰りになられたのは接待に当たった「教職員の誠意」があったからである。「良い学校」になった。私はボランティアで今日お手伝いに来てくれた教職員に深く感謝の気持ちを表した。中でも司会に当たってくれた入試広報室のT副室長と支えたメンバーの功績は極めて大である。