・ 4月13日の日経夕刊に「関西大学教授の竹内洋先生」のコラム記事があった。「旅の途中」という囲みなのだが中身は「日本的経営の神話」というものだ。しかし竹内先生の寄稿は何時も「頭の整理」に参考となる。
・ 「派遣切り」とか「正社員のリストラ」とか雇用問題が大きな社会問題と成っているが、その対比として「日本的経営」と言われる「終身雇用や年功序列体系」は昔からあったわけではないと先生は切り出されている。
・ 先生は一つの「データ」を持ち出されて論考を進められる。この辺がとても私は好きなのである。自分の意見ばかり言わないでデータを出してこれを読み解いたり比較したりすることで「論考に厚みを持たせるスタイル」で、どちらかと言えば「理系のスタイル」である。
・ 私は完全に「理系人間」であるが、読み物や書いたり、喋ったりすることが好きな人間である。教員が理系か文系かはここでは本題からそれるから言うまい。理科や数学の先生が「理系人間」と考えて良いのか。これについてもここでは論評しないでおこう。
・ 話しを元に戻して「1937年の戦前のサラリーマンのアンケート調査結果」を先生は持ち出して来られ、その中の質問項目に「サラリーマン最大の恐怖」というのがあると書いておられる。1位は「馘首」、すなわち首になるということであるが、2位は「病気」、3位は「仕事の失敗」と続く。
・ しかも1位の馘首は2位以下を大きく引き離しており、回答者の2人に1人は挙げているという。即ち当時もサラリーマンの大半は「何時解雇されるかも知れない」という大きな不安を抱えていたのであると先生は証明してみせる。
・ 同時に質問で「サラリーマンに必要な社会政策は?」との問いには「失業保険」が1位に来ていると言う。若しサラリーマンが「終身雇用」を信じていたらこのような回答にはならなかった筈だと先生はいわれる。
・ 実際戦前の企業においてはサラリーマンの「解雇は日常茶飯事」であり、又同時に景気がよくなればサラリーマンの方もこれまで勤め挙げてきた「会社に見切り」をつけて簡単に「転職」しているという。こういう「論旨の展開」は本当に面白いし勉強になる。何か日本の話ではなくてアメリカの話しみたいである。
・ 戦前のサラリーマンにとって「永年勤続によって昇給・昇進・昇格し定年まで企業に留まると言うのはかなりかなり稀」だったのである。「終身雇用や年功序列の日本的経営」がある程度定着したのは「戦後の高度経済成長時代になってから」に過ぎないと先生は言われる。
・ 以下からが又面白い。しかし高度経済成長を生きたサラリーマン(かく言う私もこの世代)にとっても終身雇用に当てはまる人はそれほど多いわけではない。1991年度で見ても50歳代前半で同一企業に勤めている人は「高卒で12%、大卒で22%」に過ぎないと。
・ 大企業(1000人以上)で見ても高卒22%、大卒51%であるから戦後の高度成長期を生きてきたサラリーマンでも戦前の作り話と同じで「終身雇用など半分は神話の世界」と竹内先生は言われている。「昔は良かった」とか「昔に戻れ」とかいうがその昔とはついこの前の話であり、わざわざ「日本的経営」などと大上段に振りかざすものではないと先生は皮肉られているのである。
・ 考えてみれば私も55歳で前の会社から「退職金」を頂いた。定年まで5年を残して退職した。人事異動みたいなものであったが、民間人校長になるということは「大阪府の公務員になる」ということで退職せざるを得なかったのであるが、とにかく定年を待たず早期退職をしたのである。その時は「まさか」と思ったものだった。
・ それから4年間公立高校の校長を勤めた。即ち第二の職業として私は「地方公務員」であったのである。そしてそこでも「すずめの涙」ではあったが退職金を頂いた。このために私は今でも「公務員共済」の支給を「しずく」ほど頂いている。今言われているところの「渡り」に近い。即ち「終身雇用ではなかった」のである。
・ 「大きな企業に勤める大卒の半分は早期に退職」しているというデータも分かった。今問題と成っている「高級官僚の早期退職」と「渡り」についても考えてみれば「終身雇用」ではない。「終身雇用とは幻想」であったのかも知れない。
・ そこで「一体教員の世界はどうなんだ」と話しを展開しないと面白くもなんとも無い。単なる「ああ、そうですか」に終わってしまう。そうなのである。「教職こそ唯一の終身雇用の世界」なのである。教員と言うのは基本的に昇進昇格というのはない。同期が偉くなったからと言って「身を引く」様なことは無い。悪いことさえしなければ「定年まで給料が上がり続ける世界」である。
・ 即ち「階級のない社会」なのである。戦後60年「ズゥート」そのような状態で来たのだが、そのことの「不条理」に社会は気付き、「おかしいではないか」と騒ぎ始めたのである。生徒の夏休みを自分の夏休みと勘違いし、サラリーマンは蒸し暑い夏を一生懸命に働いているというのに教員は「たっぷりと休み」、授業がなければ朝ゆっくりと出勤し、授業が終われば早退するといった「甘えた構造」に社会は気付いたのである。
・ 公務員である公立の教員に対して伝家の宝刀「分限免職」を行政は使い始めた。懲戒処分による解雇ではないが「貴方は教師としての資質に欠ける」として「免職処分」をこの2ないし3年で使い始めたのである。大阪府において中学校の問題が解けなかった高校の数学の先生が「クビ」になった時は大騒ぎになったものだ。
・ 「生徒の為に自分の時間を犠牲」にして頑張ってくれている教員と、何かと理屈は言いながら「自分のことを優先」させて考える先生や「教師としての資質に疑問」があるような教員の給与が1円も違わないで誰が真面目にやろうと言うのか。その担保が「評価システム」と言う論理も分からないではない。
・ どうも職業が色々とあるが教職は「終身雇用の形態を保持している」唯一の職業かもしれない。しかしこれも現在大きく変質し始めている。そのように思えてきた。本校でも一昨年大量の早期退職者を出した。それは「早期退職優遇制度を創設して割り増し退職金を上積み」したからなのである。
・ 過去にもそのような事例は多かったのである。公立の学校でも校長の1,2年残した退職は多い。このように考えれば教職の世界でも今ようやく「終身雇用の崩壊」が始ったと考えられる。自然な状態に1歩近づいたのである。しかし「比率の問題」であってやはり圧倒的には「定年まで頑張る先生」は多いのである。
・ 「全国110万人いる教員の圧倒的に多い公立教員の定年は60才」である。本校は65才である。この5年と言うのは大きい。高齢化社会と言わせるな。まだまだ若い。元気で「浪速にとって、生徒にとって為になる先生」は終身雇用とし、65才、いやそれ以上までも働いて貰って良い。条件は「為になる先生」だ。