・ 一昨日の事だが突然の「ご来客」があった。ご来客と言っても「特別なおもむき」で訪問をされたのである。私や副校長と同年輩の男性お一人とご婦人が3名であった。男性は和歌山の有田から女性のうち、お一人は奈良の橋本であるが他の御2人は埼玉県にお住まいである。わざわざ埼玉からお越しになったのである。
・ 用件は一人の男性を本校の「祖霊社に合祀」して欲しいというものであった。この男性は昭和39年に卒業し、本日同席された男性も同期の卒業生で兄弟のような関係であったという。ご婦人方は合祀を希望される故人のご兄弟であり、兄弟姉妹4人のうち、たった一人の弟であったとお話された。
・ 亡くなられた男性は何時も「母校である浪速高校学校」のことを話されていたとのことで、遺品を整理していたら高校時代の資料をすべて残し、「卒業式の校長先生のお話の資料」まで出てきましたと、涙ながらに女性はご説明された。
・ 女性兄弟はすべて「名前が変わっていき」、弟はこの和歌山の男性を実の兄弟のようにして「付き合って」いたといわれる。その方に相談の結果、浪速には学院神社と祖霊社があるから、そこに祀って貰ったらどうだろうと考えて今日の訪問となったものだ。
・ お話の間中女性の兄弟は涙を流され、余程仲が良かったのであろう。弟の残したものからと言われて「大金」を祖霊社に差し出されたのである。私は急いでネクタイを通常のものから式用に変えて、手配のついた英語科のT教諭に頼んで合祀の斎行をして貰ったのである。
・ この先生は実家が神社で資格を有しておられるから全く問題はない。元来は神道科の先生が御奉仕するのであるが生憎授業中であったからだ。しかしいつ何時このようなことが起きるかも知れないが「気持ちよくご奉仕」してくれる先生を抱えているのは嬉しいことだ。
・ しかし「良い話」ではないか。亡くなられたことは悲しいことであるが、生涯の友人を浪速高校で得て、全ての資料を几帳面に押入れの中のダンボールの中に入れ、母校のことを話しておられたと言う。調べてみたら校長先生は平岩先生と分かったが何方が担任の先生であったのか不明である。
・ お姉さんが言われた。堺の初芝に住み、鶴橋に移って、父の事業の失敗で一家を挙げて埼玉に移住し、「変転極まりない弟の人生」でした。サラリーマンとしてある程度の地位には上りましたが家庭生活は必ずしも幸せなものだったとは言えなかったと思います。
・ しかし弟がこのように高校時代を懐かしみ、たった一人の高校時代の友を親友としてお付き合いさせていただきました。私たち兄弟は既に他家にとつぎ、お墓もママ成りません。「どうか弟の母校の祖霊社に祀ってやって下さい」と泣きながら頼まれたのである。
・ 昨日は終日雨であったが中学1年生が多聞で「入学オリエンテーション」を日帰りでやると言うから朝10時の開校式に「校長講話」をした。行って、しゃべって、帰っても3時間で済む。「近い」。これがとにかく素晴らしい。しかし120名の中学生というのは「実感として多いなー」という感じがした。これが3学年分となると360名になる。それを目指して来年も頑張らねばならない。
・ 私は「中学生を特別に大切にする」。「いじめ防止」「携帯電話の使い方」「しっかりと勉強する」この3点を話した。静かになるまで時間がかかるがいったん静かになると中学生はその状態をキープする。
・ 問題は高校生だ。幾ら注意しても中々静かにならず、先生が「大声」を出したら「瞬間」静かになるが、1分後又「ざわざわ」だ。何であんなに話すことがあるのかと思ってしまう。大体女生徒に多い。
・ 今日は午後河内長野市役所に出かけて「市長と面談」した。言ってみれば「表敬訪問」である。多聞尚学館を入手した千早赤阪村と市町村合併する河内長野市のトップであり、もとは市内の私立学校の教諭だったお人である。
・ 私が買収を急いだ理由の一つに「河内長野との合併の前に千早赤阪村から買いたかった」のである。千早赤阪村でなければならないと思っていた。売却金額は千早赤阪村で有効に利用されなければならないと考えていた。しかし河内長野の行政、市議会当局には「様々な意見もあるだろう」と慮って市長に会い「一連の報告」をしに行くことを決めたのである。
・ 市長は大変立派なお方で話は当然「教育改革」に終始する。市長は間違いなく「教育者」である。公約は「教育立市」である。社会科の先生であったお人で特に「歴史」がご専門であらせられ、今日も先生の著作「幕末太平記」「「啄木・賢治・太宰 じょっぱり」の2冊と幕末太平記の「シナリオ版」を頂いた。
・ 特にシナリオ版は第101回コスモス文学シナリオ部門の新人賞受賞作品で直ぐ読んだが素晴らしい。表紙の見開きに「日々維新」の言葉がある。これで理解できたのである。市長の名詞には大きな文字で「日々維新」とあった。読む楽しみが増えて嬉しい。頂いた「幕末太平記」のことは読後ブログに感想をまとめたいと思う。
・ 長身でハンサム、知的なお方で、「浪速改革」のことも当然ご存知であった。一度多聞尚学館をご視察して欲しい旨お願いした。今回のことは一つの「モデルケース」だと言って頂いたのである。
・ 事務長を東京に出張させた。本当は私が行かねばならないのだが、どうしても「こちらの仕事がまず優先」となる。公立時代にとにかく学校の外に出かけることが好きな校長が居たが基本的に校長は「でんッ」として校長室にいなければならないというのが私のスタンスだ。
・ 事務長の出張目的は「私学助成共済事業団」に「経営報告」をするためである。2年前に危機的状況に陥り、「レッドカード」が切られ、それ以来定期的な経営改善状況の報告が求められている。
・ 結果は「浪速さんみたいな学校の話しを聞くのは久しぶりで、こちらも元気になります。」と言われたそうだ。特に大阪では「極めて厳しい学校が数校ある」との事らしい。経営の改善からすれば「新校舎」を少し「早められたら如何ですか、煽るわけではありませんが」とまで言われたという。
・ 「有難い話」だ。金利が低く、建設資材価格も低い今がチャンスではないかと言われているのだ。しかしそれにしても全国の私学の経営状況の厳しさの中で「浪速の上昇気流」を高く評価してくれているという。校長のブログも読まれているとのことである。嬉しい限りである。