2009年4月30日木曜日

4月30日(木)遠足

・ 日本語は本当に「雅味」ある言葉である。私は「遠足」という言葉に「懐かしいもの」を感じる。「言葉の響き」が何とも言えないではないか。自分の育って来た「原点」というか、「出発点」を思い出すのだ。考えれば「人生も遠足みたいなもの」だが。
・ 私にとって遠足といえば母が作ってくれた「特製弁当」をすぐ思い出す。昭和も30年代の初めのころは今ほど物の豊富な時代ではなかったが、それでも母は私の好物をそろえて朝早くから「遠足の弁当」を作ってくれた。遠足で何処に誰と行ったかなど覚えていないがこの遠足弁当だけは今でも記憶にある。
・ とにかく平生とは異なるご馳走で、「好物のハムと卵焼き」は必ず入っており、「大きなおにぎりにのりをぐるり」と巻いただけのものであったが、これが旨かったのである。おやつの果物は「バナナ」と決まっていた。当時のバナナは今ほど安価なものではなかったのではないか。バナナに誇らしく感じたものだった。
・ 日本人であれば誰しもこのような「遠足」に「言いようもない郷愁」を感じるのではないか。これを感じる人は「良い思い出を有した幸せな日本人として育った人」と私は思っている。だから生徒が「コンビニで買って来た弁当」などを広げたりしていると可哀想になってくる。
・ 味わいのある言葉「遠足」であるが英語では何と表現するのだろうか。「ハイキング」「ピクニック」くらいだろうが、少し「遠足」とは異なる感じがする。やはり遠足の語感のほうが良い。
・ 「遠足の起源」は明治45年頃というから歴史は古い。しかし本格的になってきたのは戦後で学校に定着したとものの本にはある。昭和の43年に学習指導要領に正式に「特別活動」として認知されている。
・ したがって遠足は「林間学校」「臨海学校」などと同じく有用な教育効果のある活動ということで日本では私立公立問わず小中高と学校行事に入れている。高校生にとって「まだ遠足か」という声もあろうが、やはり遠足はそれなりの効果を私は認めている。
・ 特に春の遠足は高校に入学して1ヵ月後に行うものでこれくらいからクラス単位の雰囲気がまとまってくるのに大いに役立つと考えている。高校3年生には秋の遠足はない。当たり前だ。受験が近いのに遠足でもなかろう。
・ 明治の頃には「花見や遊山」などの娯楽的要素や、「隊伍を整える」という「隊列運動」みたいな趣旨もあったのだろうが今は「歩いて」いく遠足ではない。観光バスや電車で行く、まあ「日帰り旅行」みたいなものであるが、それでも意義はあるとの考えだ。
・ 自然を愛でる、歴史的建造物を観察する、などいろいろあるが「集団訓練としての趣」もまだ残っている。しかし段々と薄れてきているのは間違いないだろう。だからといって校長が「遠足やーめた!」というには勇気がいるだろう。私は止める気はない。
・ 実は授業の合間にこういう行事を入れることは「熟成期間」としての意義もあるかもと私は考えている。担任の教師にとっても常日頃の「教室とは異なる生徒の顔や態度に接する機会」となり、意味は有ると思っている。
・ そういうわけで今年も春の遠足である。浪速中学校は奈良県だ。春の一日を「柳生街道」「春日大社」「若草山」の「徒歩コース」だ。付き添う教員も大変なのである。事前に資料を作って準備する。事故があってはならないから常に目を光らせている。
・ もちろん事前に教員は「下見」をしなければならない。実際自分で歩いて食事をする場所や休憩場所などあらかじめ確認しておかないと万が一の時に「トラブル」になるからだ。学校が責任を追及されることになる。
・ 中学校の資料の注意書きには持参してきてはけないものとして「現金、おやつ、ゲーム、ヘッドフォン、カメラ」と書いている。写真は所属の専門家がついてくるしとにかく「紛失」などしたら大変だから持参品は厳しく管理している。
・ 高校1年生は同じく奈良であるが範囲が広くなる。「奈良公園、興福寺、猿沢池、春日大社、二月堂、東大寺大仏殿、国立博物館」と盛り沢山である。見所が多いし、近いあら大阪にとって奈良は便利だからかとにかくこの地は定番だ。
・ 高校2年生は京都である。「宇治平等院、天ヶ瀬吊り橋、大吉山展望台」、オプションで「源氏物語ミュージアム」がコースに入っている。1年生も2年生も科コースで時差集合としておりそうしないと混雑して大変なことになる。
・ 高校3年生は「もう大人」であまり遠足にも熱が入らないのではないか。分かるような気がする。行くところがもうなくなったのか今年は「天王寺集合」で「上町台地散策」という。まあ良いだろう。
・ 現地で解散の場合責任者は留守番の教頭、あるいは副校長に「無事解散」の報告をしてその日は終わる。今年も無事に終わった。この日は教員は学校に戻る必要はなくて「宅着」といって現地から自宅へ帰ることを許可している。それが大体のシステムなのである。
・ そして束の間の休息「5月の連休」となって教員は4月以来の繁忙から一時期解放されて「ホット一息」の時間が取れるのだ。本校は「5月1日が創立記念日」で学校は休業、生徒にとっては2日は8月末と振り替えの休業として教員には「有給取得奨励日」とし「連休」とした。最も「多聞」で頑張ってくれている教員はいるが。

・ 遠足は近い場所だからまったく問題はないが、今頭にあるのは「5月末の高校2年生の海外修学旅行」のことである。「豚インフルエンザ」の動向によっては「勇気ある決断」が必要な場合もあるだろう。すでに9人の保護者から問い合わせがあった。
・ 私は今「固唾を呑んで」、冷静に動向を見守っている。「オーストラリア」に感染者が大勢出て死亡者でも発生すると情勢は厳しくなるだろう。すでに27日の校務運営委員会でも議論し、今は「事態の様子見」というところである。無事この騒動が治まってくれることを願うばかりだ。
・ 連休明けにでも「新型インフルエンザの情報を整理」して次のステップに向けて議論しなければなるまい。他校の動向も見ながら、「旅行会社」を呼んで7日頃にはある程度の考えを出さねばなるまい。果たしてどういうことになるのか。頭が痛いが仕方がない。「生徒を危険な目に合わせない、守る」ことが私の考えの基軸だ。私は「冷静」である。