2010年6月13日日曜日

6月13日(日)大学納付金と今日的大学生の問題











・ 昨日の暑さが嘘のように「今朝は肌寒い日」であった。朝方は雨がぱらぱら来たり、止んだり変な天気であった。しかし今日みたいな日は出かける気のもなれず、家でゆっくりと出来るから、時間をかけて隅から隅まで新聞が読める。至福の時である。
・ 今朝の日経新聞には扱いは小さかったが注目すべき記事あった。他紙にはなかった。それは文部科学省が発表した調査結果である。「2009年度の全国私立大学入学者の初年度納付金は総額で1312146円」ということで2年連続で新記録となったとあった。
・ こういう場合には新記録という表現は使わないだろうに。過去の記録を更新だろう。08年度対比で0.2%上昇したというから私立大学の納付金だけは「デフレ」にはなっていない。「全国595の私立大学から520大学の回答」を得た調査結果だから実態を示していると考えて良い。
・ 「納付金とはまず入学金、授業料、施設整備料等の総計」を言うが「入学金は272169円、授業料は851621円、施設整備料が188356円の合計が131万円」となる。最も高いのは医学部で5014708円、最も安いのが法・商・経学部で1130295円である。
・ しかし「大学に入学して初年度に131万円」が要る。加えて教科書やそれ以外にも費用はかかるし、第一「下宿」などする場合は更に費用がかかってくる。これが4年間続き、大学院なら更に上乗せだからまさに大学進学は「一大事業」であることは間違いない。
・ 「お金持ちの家庭」なら問題はないだろうが「お金持ちだけが大学に行ける」というか「お金持ちしか行けない」となったら「国はお仕舞い」だから「知的財産立国」を目指すなら「大学問題」について本気で議論していかないと、そのうち日本は大変な国になってしまうという危機感が強い。
・ 随分前からこの問題についてはこのブログでも言及してきたが今必要なことは「子ども手当て」などに3兆も4兆円も使うよりは大学支援のほうが優先順位は高いと思う。「上流から下流に向けて」が正しいと私は思う。
・ 民主党政権になっても「大学問題」については全く声を聞かない。「ばら撒きから成長戦略」へと言うが、「成長のためには新技術・新商品・新概念」であり、これらは「アホ」では出来ない。一定程度の「頭脳は必須」だから「大学生の質」こそ問題だと私は強調しているのである。

・ 実は次のデータに私は「震撼」するのである。同じ日経の記事であるが厚生労働省09年度の「国民生活基礎調査から国民の所得状況」を発表したものであるが、ここに出ている数値を見れば本当に驚くのである。
・ 「全世帯の平均所得は547万円5000円」でこの平均額以下に「全世帯の61.5%」が集まっているという。この平均所得のピークは1994年の664万円2000円で、それ以来「低下の一途」である。もう所得の上がる次代は来ないのではないか。
・ 最も多い分布は「200万円以上300万円未満」で全体の13.9%となり、ついで多かったのは「300万円以上400万円未満」で13.3%と記事にはあった。このような所得分布で果たして「子どもを安心して大学に進学させられる」であろうか。
・ このようにして家庭の所得が低下していく中でも大学進学率は徐々に上がっており、ここに「親の愛情」を見て取れる。「無理をしてでも行きたいなら大学進学はさせてやりたい」と親は考えているのである。今や高校は義務教育化し大学進学が分水嶺となっているのである。

「ところがだ。」高い納付金を支払ってせっかく入学した大学生の一部の実態は「寒気がする」くらい問題であるとの社会の声は大きいものがある。そのうち「レベルの低い大学生問題は大きな社会問題」になってくるのではないか。
・ 6月6日の大阪日日の記事である。見出しは「授業は出ても携帯・私語」「学習意欲低く教員苦慮」とあった。これが日本の「最高学府」といわれる大学生の実態だから私は落ち込むのである。
・ このデータは東京大学の研究グループが行った調査からのものである。最も真面目な大学生もいるから全てというわけではないが「データはデータ」であって深刻に受け止める必要がある。私は「さもありなん」と思っている。
・ 授業には一応まじめに出席するが授業でも携帯や私語が多く、「家ではほとんど勉強しない」。少子化の中でも大学定員は拡大しており、「大学全入時代」が到来し、大学に在籍している学生に対して一定の割合で「質の問題を提起」したものだと私は思っている。
・ 授業に出席するのは中教審が近年大学側に強く求めた「成績評価や卒業認定の厳格化」が高い出席率につながっているという見方がある。要は授業さえ出ていれば「教授から単位だけは何とか貰える」となったら「授業に出ることが目的」でそこで「何を学び思索するか」という大学生の本分からは程遠い姿である。
・ 記事を読むのが辛いほど日本の大学生の悲しい実態がそこにはある。調査は今年二月全国の国公私立大学で実際に授業を持っている教員17000人を抽出しそのうち5300人からの回答をベースにしたものである。
・ 「専門分野の理解力」が68%、「国語の読み書き」の50%が、大学生として「不十分」とあったが恐ろしい数値である。学生の8割以上が授業内容を理解するのが教員の平均的な目標とあるが実際には「60%しか授業を理解していない」という。
・ これらのデータから授業にはただ出るだけで理解できないから退屈、仕方がないから携帯をいじり、私語を交わすという今日的大学生の実態は真実であるという認識に立ち入らざるを得ないのである。
・ その伏線はすでにあって平成12年頃から「ゆとり教育」路線が「分数の出来ない大学生」を生んできたことは間違いない。小学校、中学校、高等学校で基礎学力を付けないまま「ファッション感覚」で大学に進学してきた層が目立ち始めたのである。
・ 加えて大学は「少子化という言葉に身震い」して「学生の囲い込み」を始め、「推薦入試「「指定校制度「AO入試」などを次から次と「入試勉強」などしなくても済む方策を考え出してきたものだからこの傾向に拍車をかけたのである。
・ そして今大学は何をしているかというと「入学後の高校授業内容の講習」だけではすまなくなって「入学前教育」に苦心しているという。昨年12月9日の読売は「高校3年生の長~い春」と揶揄した記事があった。大学入学前に「宿題」を課したり塾と組んだりして学生の学力確保に「躍起」だという。
・ これらの動きに塾関係者は「高笑い」らしく、今や塾は大学受験対策ではなくて進学する大学が決まった後に大学の求めに応じて入学前教育に未来の明るさを感じているというから「何をか況や」である。日本は何時からこのような国になったのであろうか。
・ 私が昨日のブログで強調したように多聞尚学館で「生徒を追い込んでいる」のは「学ぶという真髄」を生徒たちに味あわせてやりたいからなのである。「高校時代の学びは人生のうちで最も大切で、効果があり一生残るもの」である。私はこのことを確信しているのである。
・ だからというわけではないが私は教員採用でも「どのような高校を卒業しているか」を参考にしている。日本に5000校の高校とすれば「学び集団として1番から5000番まで高校は完全に輪切り」に出来る。「高校時代にどれだけ学んだかということは教師のポテンシャルにとって重要ファクター」だと考えているからだ。