・ 少し歴史を振り返ってみたい。昨年の4月12日に千早赤阪村にある村立の多聞小学校を購入し大改造をして校外学習合宿施設「多聞尚学館」を開設した。実はその翌日からと言っても良い位に「次のプロジェクト」を始動させ始めていたのである。
・ 本命はあくまで「耐震強度に不安のない新校舎建設」である。又その場所は今の場所しか考えられないのである。従って今建っている校舎の脇から作っていくためには「種地」を作らなければどうしようもなかったのである。
・ それが現在工事を進めている「武道館」である。武道館は来年1月には完成するが現在の運動場が15%程度削減される。身を切られるように辛い決断であったが仕方が無かったのである。プールを潰してまで武道館の位置を決めたのは「種地を作る」為、そういう経緯からである。
・ 工事期間中の運動場の代替地はどこかにないかということが直接的な理由でもあったが、それよりも本質的には「生徒数が増え運動場が狭く」、てニッチもサッチも行かなくなっていたのである。特に「中学校が悲惨」であった。
・ 中学校のサッカーや野球などはグランドの隅で「チョコチョコ」という感じで私は「もう限界」と感じ始めていたのである。「本格的なグランドが要る」と。加えて他の私立高校を調査してみると有力な私学は学校以外に「校外グランド」を有していることも分かったのである。
・ 以上のような思いから私は「校外グランド」を捜し求めたのである。本格的には昨年の6月頃だった。知人や本校の支援者なんどに声をかけて「物件紹介」をして貰った。道明寺天満宮宮司は本校理事長職務代理であるが共に貝塚方面の「みかん畑」を候補地として見に行ったこともある。
・ 又泉南の社会保険庁保有の福祉施設や河南町にあるグランド、又千早赤阪村の土地も行政の紹介で大雨の中を数人で見に行ったことも今では懐かしい思い出である。そして遂に現在の堺市南区に「格好の物件」を見つけたのである。
・ その日は今でも忘れていないが平成21年11月6日であった。きっかけは出入りの不動産会社の社長に探すよう頼んでいたのが結局は決め手になった。情報を得て私はこの日多聞尚学館に行くついでに物件を観察した。そして「一目で気に入った」のである。
・ 私は現地から事務室の担当に「買い、買い、買うぞ」と叫んだのである。早速11月12日出入りの不動産会社の社長さんを呼んで「購入の意思」を伝えたのである。しかし先方が売ってくれるかどうかも分からないし、既に先約があるかも知れないという不安はあった。
・ 前述したように私は昨年の6月頃から本格的に物件を探し始め、「売りに出ている物件」があるという噂を入手すれば大体その日の内に行動した。条件はただ一つ「住吉区の本校から車で1時間以内」ということと「野球場は両翼で90メートルの広さ」が取れることであった。
・ 今まででも野球、サッカー、ラグビーは正規の大きさではなくて教員や生徒に「肩身の狭い」「切ない」思いをさせてきたからである。それに有力な私学は校外にグラウンドを有していた。私は、何時かは「それらに負けない十分な広さのあるグラウンドを」と思い続けてきたのである。
・ そのためには他の私立高校のグランドを見学に行ったりした。そこで大いに勉強した。 とにかく「浪速高校は部活動の盛んな学校」であり、部活動の盛んな学校は良い学校の証明とまで私は思っている。「文武両立の学校作りにはグランドは命」なのである。
・ この堺の土地であれば正規のサッカーやラグビー用も取れる。大体12000㎡、4000坪は必要であったのである。加えてバスで1時間以内で4000坪のまとまった「形の良い土地」などはそう簡単に手に入るはずは無いのであるがそれが「運よくあった」のである。
・ しかし「地主さんが土地を売ってくれるのかどうか、そしてその価格は」などとアンノウンなことばかりで幾ら私だけが「欲しい、欲しい」と言っても意味はなかった。それでこの話しはごく一部の関係者だけの「極秘事項」として進めたのである。「プロジェクトX」と呼称したのである。
・ その後紆余曲折もあり、先方担当の不動産の会社と当方の不動産会社との話のやり取りに、気があせるばかりであった。ただこの辺の事情はもはや関係ない。ただ私は他の私立高校や大学などが「競合相手」になることを恐れたのである。とにかく「早く手を打ちたい」とそればかりを考えていた。
・ 昨年の12月6日私は事務長、事務長補佐、委託の本校設備担当、不動産会社社長を引き連れて地主さんのご自宅を訪問して「誠心誠意売却をお願いした」のである。この日は忘れられない記念日となった。俵真智流に言えば「12月6日は忘れられないグランド記念日」となる。
・ そして12月25日クリスマスの日に目出度く「契約が成立」し、午後事務室の職員が銀行に走って「頭金を振り込んだ」のである。まとめて書けば以上の如くであるが勿論日々情勢は変化し毎日、毎日「やきもき」して打ち合わせをしていたのである。
・ これで本校は「校外グラウンド」を有することとなった。12月26日地主さんと売買契約を交わし、堺市から「国土利用計画法に規定」に基づく土地売買等の契約に関して「行政不勧告の内容通知を竹内市長名の公文書」で受け取った。これで初めてオープンに出来ることとなった。
・ もったいぶった言い方でブログの読者には申し訳なかったが何しろ「正々堂々」、法令違反の無いように進めていたから仕方が無かったのである。そして生徒や保護者には本年1月8日の「新春拝賀始業式」に正式にオープンにしたのである。
・ 実は「新武道館の建設」が決定されこちらの方も始動し始めた時だったから「本当に資金は大丈夫か」「自分の進めている方向は間違っていないのか」等々常に振り返りながらであったが、私の背中を押したのは「私が浪速にいる間に未来の設計図」を描いておいてやりたいという思いだけであった。
・ 作る以上は「立派なもの」を作ってやりたい。素晴らしい施設を持てば学校は活性化し生徒も保護者も教職員も喜んでくれる。「誇りを持って」くれる。そのことは浪速の基盤を磐石にすることだと信じて疑わなかったのである。
・ 法人理事にはまず11月中旬に理事長職務代理を現地にお連れした。一目で「これは買い」と言って頂いた。二人の感覚は同じなのである。二人でこの土地の隅から隅を歩いて確かめたのである。理事会・評議員会においても「満場一致で賛同を得て承認」された。
・ しかし私は本当に運が良い。当に「神様の思し召し」だと思えるくらい願いが叶う。「私は幸せ者」である。教員の一人が「学校改革の証」として「浪速教育のトライアングル」と名づけてくれたのである。
・ このようにして学校改革の成果が具体的に物件で出てくれば教職員も苦労が報われたとなって又頑張ってくれるだろうと思う。これで「新校舎建設の準備はすべて整った」ことになる。
・ 「多聞尚学館、新武道館、校外グラウンド」と一つづつ進め投資をしてきた。すべては「生徒と教員の為」である。次は「武道館」である。そしてその後は本命「新校舎」である。何としても私の代で「21世紀に生き残る浪速の礎」を完成させてやりたい。それが「私の責任」であると思っているのである。
・ 本命はあくまで「耐震強度に不安のない新校舎建設」である。又その場所は今の場所しか考えられないのである。従って今建っている校舎の脇から作っていくためには「種地」を作らなければどうしようもなかったのである。
・ それが現在工事を進めている「武道館」である。武道館は来年1月には完成するが現在の運動場が15%程度削減される。身を切られるように辛い決断であったが仕方が無かったのである。プールを潰してまで武道館の位置を決めたのは「種地を作る」為、そういう経緯からである。
・ 工事期間中の運動場の代替地はどこかにないかということが直接的な理由でもあったが、それよりも本質的には「生徒数が増え運動場が狭く」、てニッチもサッチも行かなくなっていたのである。特に「中学校が悲惨」であった。
・ 中学校のサッカーや野球などはグランドの隅で「チョコチョコ」という感じで私は「もう限界」と感じ始めていたのである。「本格的なグランドが要る」と。加えて他の私立高校を調査してみると有力な私学は学校以外に「校外グランド」を有していることも分かったのである。
・ 以上のような思いから私は「校外グランド」を捜し求めたのである。本格的には昨年の6月頃だった。知人や本校の支援者なんどに声をかけて「物件紹介」をして貰った。道明寺天満宮宮司は本校理事長職務代理であるが共に貝塚方面の「みかん畑」を候補地として見に行ったこともある。
・ 又泉南の社会保険庁保有の福祉施設や河南町にあるグランド、又千早赤阪村の土地も行政の紹介で大雨の中を数人で見に行ったことも今では懐かしい思い出である。そして遂に現在の堺市南区に「格好の物件」を見つけたのである。
・ その日は今でも忘れていないが平成21年11月6日であった。きっかけは出入りの不動産会社の社長に探すよう頼んでいたのが結局は決め手になった。情報を得て私はこの日多聞尚学館に行くついでに物件を観察した。そして「一目で気に入った」のである。
・ 私は現地から事務室の担当に「買い、買い、買うぞ」と叫んだのである。早速11月12日出入りの不動産会社の社長さんを呼んで「購入の意思」を伝えたのである。しかし先方が売ってくれるかどうかも分からないし、既に先約があるかも知れないという不安はあった。
・ 前述したように私は昨年の6月頃から本格的に物件を探し始め、「売りに出ている物件」があるという噂を入手すれば大体その日の内に行動した。条件はただ一つ「住吉区の本校から車で1時間以内」ということと「野球場は両翼で90メートルの広さ」が取れることであった。
・ 今まででも野球、サッカー、ラグビーは正規の大きさではなくて教員や生徒に「肩身の狭い」「切ない」思いをさせてきたからである。それに有力な私学は校外にグラウンドを有していた。私は、何時かは「それらに負けない十分な広さのあるグラウンドを」と思い続けてきたのである。
・ そのためには他の私立高校のグランドを見学に行ったりした。そこで大いに勉強した。 とにかく「浪速高校は部活動の盛んな学校」であり、部活動の盛んな学校は良い学校の証明とまで私は思っている。「文武両立の学校作りにはグランドは命」なのである。
・ この堺の土地であれば正規のサッカーやラグビー用も取れる。大体12000㎡、4000坪は必要であったのである。加えてバスで1時間以内で4000坪のまとまった「形の良い土地」などはそう簡単に手に入るはずは無いのであるがそれが「運よくあった」のである。
・ しかし「地主さんが土地を売ってくれるのかどうか、そしてその価格は」などとアンノウンなことばかりで幾ら私だけが「欲しい、欲しい」と言っても意味はなかった。それでこの話しはごく一部の関係者だけの「極秘事項」として進めたのである。「プロジェクトX」と呼称したのである。
・ その後紆余曲折もあり、先方担当の不動産の会社と当方の不動産会社との話のやり取りに、気があせるばかりであった。ただこの辺の事情はもはや関係ない。ただ私は他の私立高校や大学などが「競合相手」になることを恐れたのである。とにかく「早く手を打ちたい」とそればかりを考えていた。
・ 昨年の12月6日私は事務長、事務長補佐、委託の本校設備担当、不動産会社社長を引き連れて地主さんのご自宅を訪問して「誠心誠意売却をお願いした」のである。この日は忘れられない記念日となった。俵真智流に言えば「12月6日は忘れられないグランド記念日」となる。
・ そして12月25日クリスマスの日に目出度く「契約が成立」し、午後事務室の職員が銀行に走って「頭金を振り込んだ」のである。まとめて書けば以上の如くであるが勿論日々情勢は変化し毎日、毎日「やきもき」して打ち合わせをしていたのである。
・ これで本校は「校外グラウンド」を有することとなった。12月26日地主さんと売買契約を交わし、堺市から「国土利用計画法に規定」に基づく土地売買等の契約に関して「行政不勧告の内容通知を竹内市長名の公文書」で受け取った。これで初めてオープンに出来ることとなった。
・ もったいぶった言い方でブログの読者には申し訳なかったが何しろ「正々堂々」、法令違反の無いように進めていたから仕方が無かったのである。そして生徒や保護者には本年1月8日の「新春拝賀始業式」に正式にオープンにしたのである。
・ 実は「新武道館の建設」が決定されこちらの方も始動し始めた時だったから「本当に資金は大丈夫か」「自分の進めている方向は間違っていないのか」等々常に振り返りながらであったが、私の背中を押したのは「私が浪速にいる間に未来の設計図」を描いておいてやりたいという思いだけであった。
・ 作る以上は「立派なもの」を作ってやりたい。素晴らしい施設を持てば学校は活性化し生徒も保護者も教職員も喜んでくれる。「誇りを持って」くれる。そのことは浪速の基盤を磐石にすることだと信じて疑わなかったのである。
・ 法人理事にはまず11月中旬に理事長職務代理を現地にお連れした。一目で「これは買い」と言って頂いた。二人の感覚は同じなのである。二人でこの土地の隅から隅を歩いて確かめたのである。理事会・評議員会においても「満場一致で賛同を得て承認」された。
・ しかし私は本当に運が良い。当に「神様の思し召し」だと思えるくらい願いが叶う。「私は幸せ者」である。教員の一人が「学校改革の証」として「浪速教育のトライアングル」と名づけてくれたのである。
・ このようにして学校改革の成果が具体的に物件で出てくれば教職員も苦労が報われたとなって又頑張ってくれるだろうと思う。これで「新校舎建設の準備はすべて整った」ことになる。
・ 「多聞尚学館、新武道館、校外グラウンド」と一つづつ進め投資をしてきた。すべては「生徒と教員の為」である。次は「武道館」である。そしてその後は本命「新校舎」である。何としても私の代で「21世紀に生き残る浪速の礎」を完成させてやりたい。それが「私の責任」であると思っているのである。