2009年11月8日日曜日

11月8日(日)宇治橋渡り始め







・ 思い立って「伊勢神宮」に参拝した。目的は完成なった「宇治橋」を渡って「内宮を参拝」するためである。この11月3日に「渡始式」があったのだがこの日は公務があったり、第一にいくら伊勢神宮の「評議員」といっても式次第に参列など出来るはずがない。
・ 「新しく付け替えた宇治橋」をまだ新しい内に是非見たいと思ったのである。「素晴らしい」ものであった。近くに寄っていくと「檜の匂い」が心地よく、木肌の「黄なり」の色と何しろ「造作」が立派で申し分のないものであった。「橋工」という専門の職人集団が足掛け2年も掛けての「」が冴え渡っていたのを目の前にすることが出来た。
・ 11月3日には全国北から南からめでたい三代夫婦61組が礼服で参列されたという。お祭の主役は「渡女(わたりめ)」といって地元伊勢市の82歳になる女性である。この渡女に始まって年間750万人の人々が「お伊勢参り」で宇治橋を渡ることになる。
20年で付け替える橋だが「1億人を超える人々」がこの橋を渡ることになる。
・ 勿論この中に本校の高校生が入っている。今年の夏の「伊勢修養学舎」は工事中のため仮橋であったがこれから20年間本校生徒は21世紀最初のこの大橋を渡ることになるのだ。
・ 今日まで56年間本校は「伊勢修養学舎」を続け、五十鈴川で「」を行ってきた。知らない人は「宗教性が強い」と批判するかもしれないがそんなものは徹底的に「論破」する。本校では入学案内、入学の条件に「神社神道の精神」を「教学の柱」としていることを徹底している。
・ 今後ともこの線は強めることはあっても弱めることはない。大正12年に創立されて以来幾多の困難を乗り越え多くの人材を輩出してきた学校である。私立高校として「建学の精神」を大切にしながら今後とも「神社神道の学校」としての「矜持」を持って頑張って参りたい。
・ 肝心の生徒はこの伊勢修養学舎をどのように「受け止めているのか」証明する格好の資料がある。最近発刊されたPTA広報誌「奈迩和」に生の生徒の声が出ている。それをそのまま転記してみよう。
・ 一年T1組 N君
  僕が伊勢修養学舎で学んだことで印象に残っていることが三つあります。
一つ目は禊です。実際に体験するまでは、禊を甘くみていて、その場しのぎでなんとかなると思っていました。でも、前日のプロの方の指導を頂いて、あまりの真剣さに心を動かされて、きちんと行わなければいけないという思いになれました。その禊の踊りや歌には初めは笑いそうになったけど、皆と真剣に取り組んでいる間に恥ずかしさが消えて、今までの浪速高等学校の先輩達が学んだという歴史の重さを実感することができました。この学習で何かに真剣になることの大切さを学べました。
  二つ目は、校長先生の講話です。校長先生は、現代社会の厳しさや、努力することの大切さなどを僕達に語って頂きました。僕は「個性とは、努力してにじみ出てくるものであり、決して生まれつきに持つものではない。」と言われたことに一番感動しました。校長先生の話はいつも力強くて、心に届くようなすばらしい話をしてくれるので、とても良い校長先生に巡り会えたと思っています。
  三つ目は、自然の風景を見学したことです。普段見ることのできない自然の雄大さと人間のはかなさを感じて、少し切ない気持ちになりました。先生の言った「人間は、自然の力なしでは生きていけない。」という言葉は、本当にそうだと共感することができました。
  この三日間を通して、自分自身が精神的に成長したことを実感できたし、少し大人に近づいたような気がしました。

・ 一年T3組 Tさん
  早朝から参拝するために長い距離を歩いた行きの道は涼しくて、神社の中に入って歩いていくと自然に囲まれて目が覚めた。木の匂いと透き通る空気と、砂利の音が心地良くていつもと違う場所で、あまり体験できないことをさせてもらっているんだと感じた。学校生活は毎日同じことの繰り返しで、同じ物しか見ないから、遠く離れてみて、もう一度今までの生活を振り返るのにいい機会になったと思っている。
  また、神社参拝や着付けの時間に思ったことは、感謝の気持ちを言葉や姿勢で表すということ。食事の時もまず感謝をする。日常は当たり前のことが続くから、慣れ過ぎたり飽きてしまったりするのだと思う。でも、その日常の中の私達の一つ一つの行動が、誰かのおかげであり、そして、誰かが受け取るという方式になっている。そのことを見つめ、その方式とそれを成り立たせてくれる人に感謝すれば、また今までとは変わった世界が見えてくると思う。まずは、私達自身も含めて、誰かのために何かをしている存在を知り、感謝の気持ちを表すことによって、私達は親しくなったりする。
  この合宿で、自然に囲まれ、私はこれからもまた少しずつ進んでいこうと思った。

・ 一年S1組 Mくん
  伊勢修養学舎は最初は正直嫌だった。でも今は違う。今は学校の授業や普段の勉強では決して手に入れることができない大切なことが、この伊勢修養学舎にはたくさん詰まっているのだ。それは社会の常識的なルールやマナーであり、皆で助け合い協力して一つ一つの行事に積極的に取りくむという団体行動の大切さである。
  伊勢修養学舎二日目、朝起きて、今日一日がんばろうと決心したにもかかわらず、朝の集合時間に遅れてしまった。そのとき、僕は自分の決心が足らなかったということに気がついた。そして改めて強く決心をした。そして、その強く決心をした気持ちを忘れずに禊をした。すると、水は思ったよりも冷たいとは感じなかった。そのとき、人は気持ちのもち方によっていくらでも変わることができ、また進歩できるのだということを実感した。水が思ったより冷たく感じなかったのは、あの強い決心ができたからだと思う。もし朝の決心のままで禊をしていたら水がとても冷たく感じただろうし、何も得ることができなかったと思う。人は気持ちしだいで良い方向へとまた悪い方向へも進めるということをこの禊という行事から学んだと思う。そして、悪い方向へ進んでしまった人はこの行事から何も得ることができず、良い方向へと気持ちを切りかえた人だけがこの行事からこれからの人生で必ず役に立つことを得ることができるのだと思った。僕はこの伊勢修養学舎で得たことをこれからの人生にいかして、これからの人生を切り開いていこうと思う。