・ 11月は「関西大学」を訪問する機会が多くあった。9日、19日、25日、今日28日とほぼ1週間に一回の割で訪問したことになる。すべて千里山キャンパスで他のキャンパスにはまだ行くチャンスが無い。
・ 「大学会館」という言わば大学本部に赴くのである。ここには「理事長や前理事長で相談役の先生、それに学長先生や大学法人の幹部」の先生が執務をとっておられる場所なので、当然のことながら今まではここが多いのである。
・ それまでは関大に赴くなど機会がまったくなかったが、「浪速中学校が連携校」となったから当然、機会は増えて当たり前である。しかし最近は「学部単位の多くの有名な教授」に知己を頂くことが多くなった。誠に嬉しいことである。
・ 前回の訪問先は新しい「堺キャンパス」に出来る予定となっている「健康文化学部」の初代学部長にご就任予定の「竹内洋(よう)」先生だった。ようやくアポが取れてご挨拶する機会を得たのだが、本当にお会いできるのを楽しみにしていた先生であった。
・ 随分前から私は竹内先生の著作の「愛読者」である。竹内先生、1942年生まれだから私より4歳年長、新潟県のお生まれで京都大学教育学部ご卒業、同大学の博士課程を修了されてそのまま京大大学院の教授をされた後、関西大学に請われて来ておられる。
・ 竹内先生と言えば「歴史社会学」「社会教育学」のご専門でこの「社会教育学に関する著作」が私には大変勉強になるのである。「丸山眞男の時代」「教養主義の没落」「大学という病」「大衆モダニズム夢の跡」「増補 立身出世主義」「「立志苦学出世」そして最新版が2008年9月発刊の「学問の下流化」である。
・ 私はこれらをすべて読んでいる。そして私の「校長日記に時々引用」させて貰っているのである。書物と読者の関係には「肌合い」と言うものがあるのではないか。幾ら名著と言っても読みにくい本はあるものだが竹内先生の本は「スッ」と体に入ってくる感じなのである。
・ 「軟派な読み物ではなくてどちらかと言えば硬派な切り口」であるが先生のお人柄なのだろう、優しい語り口と言う感じである。お会いして初めて私は先生の「文章の香り」の理由を理解出来たのであった。「文は人なり」というのかどうか知らないが私はそのように思ったのである。
・ 私の文など「厳しい」「直裁的」とか色々言われるが、これは「分かり易さ」ということを心がけているからである。優しく書けることは書けるが、今私は学校と言う舞台で教職員と生徒と保護者を相手に「良い意味で戦っている最中」と思っており、「ホンワカ、ホンワカ」とした文章には必然的になれないのである。
・ 初めてお会いした時に竹内洋先生は私の「ブログ」を読まれたということで「中々しっかりした文章を書かれる」とお褒めにあづかったが、まさか先生が私の駄文など読まれるはずは無いと思っていただけに「驚き、嬉しかった」のでる。
・ 竹内先生は本校のお隣さんである新キャンパスのトップになられる。浅香山だから本当に「目と鼻の近さ」である。私は今後先生にご厚誼を頂いて「生徒への講演」などお願いしたいと申し出てご快諾を頂いたのである。先生はノーネクタイでざっくばらんなお人であった。本当に気分の良い初めての出会いであった。
・ そのように思っていたら27日の読売夕刊に先生の記事が出ていた。先生はよく新聞に登場されるのだが、この日のタイトルは「上から目線 教育指導ままならぬ」という「軽妙洒脱」なもので「当世学生気質」とでも言うのであろか、居肉っぽくユーモアをもって書いておられた。
・ この記事の中に「教師が教員と呼ばれる」ようになって教育界の変質が始まったというご指摘めいたことを書かれていた。昔は小学校の教師は「訓導」で中等学校が「教諭」、専門学校や大学が「教授」と発達段階に応じて名称が変わる「卓抜な職名」だったと指摘されているのだ。これは先生の書物にも書いておられたと思う。
・ 記事には以下のような部分もある。「そういえば何時の頃からか、学生が妙に教師になれなれしくなった。友達のような先生。「かわいい」といわれると脂下がる“バカ教師”も居る。」激しいではないか。私など、足元に及ばない厳しい表現ではないか。
・ そういうわけで本日も又関大に行ったのである。「外国語学部誕生の記念行事」としてシンポジューム講演会があり、その後100周年記念会館ホールで懇親会があるというので「外国語学部長」からご招待を受けたので行って来たというわけである。
・ この学部長先生は「宇佐見太市」先生といわれ過日初めてお会いしたが人目で「エンパシー」「シンパシー」を感じたいわゆる「ナイスガイ」に近い感じの先生である。本日の主催者としてのご挨拶も素晴らしいものであった。
・ 又今日の司会進行とパネルディスカッションのコーヂネイターは先週20日に本校英語科の教員が指導会で教えを受けたこの学部の「竹内理教授・副学長」であったから私は大変親しみを感じた会合であったのである。
・ 今日の講演は「沼田貞昭」氏で元のカナダ特命全権大使を務められ現在は鹿島建設の顧問をされておられる、「バリバリの職業外交官」で、東大からオックスフォード大学に留学そのまま在英大使館勤務などの輝かしいご経歴である。
・ 本日のタイトルも「対外発信と英語―外交の現場から」とあるように私は「外交官の英語」と言うものに大変な興味があってそれで楽しみにしていたのである。ここでのご講演の内容は別途記述しなければならない。それ位「中身の濃い有意義なお話」であった。
・ 私は聞きながら「ああ、失敗した。教員を連れてくれば良かった」と思ったのである。そして引き続いて行われたシンポジウムは新進気鋭の4名の若手の学者先生が「外国語を学ぶ楽しみ」としてご自分のご経験をお話された。「これは生徒に聞かせるべきであった」と思ったのである。
・ 久しぶりに大学の講堂で4時間も講義を聞くなど昔に戻った感じであったが決して時間が長く感じず、あっという間の実りある時を私は関西大学で過ごしたのである。時にはこのような「勉強の時間」「ゆとりの時間」があっても悪くはないと思ったのである。
・ 「大学会館」という言わば大学本部に赴くのである。ここには「理事長や前理事長で相談役の先生、それに学長先生や大学法人の幹部」の先生が執務をとっておられる場所なので、当然のことながら今まではここが多いのである。
・ それまでは関大に赴くなど機会がまったくなかったが、「浪速中学校が連携校」となったから当然、機会は増えて当たり前である。しかし最近は「学部単位の多くの有名な教授」に知己を頂くことが多くなった。誠に嬉しいことである。
・ 前回の訪問先は新しい「堺キャンパス」に出来る予定となっている「健康文化学部」の初代学部長にご就任予定の「竹内洋(よう)」先生だった。ようやくアポが取れてご挨拶する機会を得たのだが、本当にお会いできるのを楽しみにしていた先生であった。
・ 随分前から私は竹内先生の著作の「愛読者」である。竹内先生、1942年生まれだから私より4歳年長、新潟県のお生まれで京都大学教育学部ご卒業、同大学の博士課程を修了されてそのまま京大大学院の教授をされた後、関西大学に請われて来ておられる。
・ 竹内先生と言えば「歴史社会学」「社会教育学」のご専門でこの「社会教育学に関する著作」が私には大変勉強になるのである。「丸山眞男の時代」「教養主義の没落」「大学という病」「大衆モダニズム夢の跡」「増補 立身出世主義」「「立志苦学出世」そして最新版が2008年9月発刊の「学問の下流化」である。
・ 私はこれらをすべて読んでいる。そして私の「校長日記に時々引用」させて貰っているのである。書物と読者の関係には「肌合い」と言うものがあるのではないか。幾ら名著と言っても読みにくい本はあるものだが竹内先生の本は「スッ」と体に入ってくる感じなのである。
・ 「軟派な読み物ではなくてどちらかと言えば硬派な切り口」であるが先生のお人柄なのだろう、優しい語り口と言う感じである。お会いして初めて私は先生の「文章の香り」の理由を理解出来たのであった。「文は人なり」というのかどうか知らないが私はそのように思ったのである。
・ 私の文など「厳しい」「直裁的」とか色々言われるが、これは「分かり易さ」ということを心がけているからである。優しく書けることは書けるが、今私は学校と言う舞台で教職員と生徒と保護者を相手に「良い意味で戦っている最中」と思っており、「ホンワカ、ホンワカ」とした文章には必然的になれないのである。
・ 初めてお会いした時に竹内洋先生は私の「ブログ」を読まれたということで「中々しっかりした文章を書かれる」とお褒めにあづかったが、まさか先生が私の駄文など読まれるはずは無いと思っていただけに「驚き、嬉しかった」のでる。
・ 竹内先生は本校のお隣さんである新キャンパスのトップになられる。浅香山だから本当に「目と鼻の近さ」である。私は今後先生にご厚誼を頂いて「生徒への講演」などお願いしたいと申し出てご快諾を頂いたのである。先生はノーネクタイでざっくばらんなお人であった。本当に気分の良い初めての出会いであった。
・ そのように思っていたら27日の読売夕刊に先生の記事が出ていた。先生はよく新聞に登場されるのだが、この日のタイトルは「上から目線 教育指導ままならぬ」という「軽妙洒脱」なもので「当世学生気質」とでも言うのであろか、居肉っぽくユーモアをもって書いておられた。
・ この記事の中に「教師が教員と呼ばれる」ようになって教育界の変質が始まったというご指摘めいたことを書かれていた。昔は小学校の教師は「訓導」で中等学校が「教諭」、専門学校や大学が「教授」と発達段階に応じて名称が変わる「卓抜な職名」だったと指摘されているのだ。これは先生の書物にも書いておられたと思う。
・ 記事には以下のような部分もある。「そういえば何時の頃からか、学生が妙に教師になれなれしくなった。友達のような先生。「かわいい」といわれると脂下がる“バカ教師”も居る。」激しいではないか。私など、足元に及ばない厳しい表現ではないか。
・ そういうわけで本日も又関大に行ったのである。「外国語学部誕生の記念行事」としてシンポジューム講演会があり、その後100周年記念会館ホールで懇親会があるというので「外国語学部長」からご招待を受けたので行って来たというわけである。
・ この学部長先生は「宇佐見太市」先生といわれ過日初めてお会いしたが人目で「エンパシー」「シンパシー」を感じたいわゆる「ナイスガイ」に近い感じの先生である。本日の主催者としてのご挨拶も素晴らしいものであった。
・ 又今日の司会進行とパネルディスカッションのコーヂネイターは先週20日に本校英語科の教員が指導会で教えを受けたこの学部の「竹内理教授・副学長」であったから私は大変親しみを感じた会合であったのである。
・ 今日の講演は「沼田貞昭」氏で元のカナダ特命全権大使を務められ現在は鹿島建設の顧問をされておられる、「バリバリの職業外交官」で、東大からオックスフォード大学に留学そのまま在英大使館勤務などの輝かしいご経歴である。
・ 本日のタイトルも「対外発信と英語―外交の現場から」とあるように私は「外交官の英語」と言うものに大変な興味があってそれで楽しみにしていたのである。ここでのご講演の内容は別途記述しなければならない。それ位「中身の濃い有意義なお話」であった。
・ 私は聞きながら「ああ、失敗した。教員を連れてくれば良かった」と思ったのである。そして引き続いて行われたシンポジウムは新進気鋭の4名の若手の学者先生が「外国語を学ぶ楽しみ」としてご自分のご経験をお話された。「これは生徒に聞かせるべきであった」と思ったのである。
・ 久しぶりに大学の講堂で4時間も講義を聞くなど昔に戻った感じであったが決して時間が長く感じず、あっという間の実りある時を私は関西大学で過ごしたのである。時にはこのような「勉強の時間」「ゆとりの時間」があっても悪くはないと思ったのである。