・ 例年そうだが11月も終わりになってくると忙しくなってくる感じである。実際は何時もと変わらないのだが気分的にそのように感じるのかも知れない。今日は「職員会議の日」であったが後は12月の2回で終わりとなる。今日は「重要な話」をまとめてした。教員は分かってくれたと思う。私は何も隠さない。「すべてあからさま」にする。これが「木村流」だ。
・ 日本文化は「締めくくり」を大事にする文化があり、年度末、期末などはスタート時以上に重要視する。学校も同じで期末試験なども重要だし、第一学校最大かつ重要行事は年度末の「卒業式」である。「年末」にかけて「あわただしくなってくる」のだろう。
・ その「卒業アルバムに載せる写真」を撮る予定に昨日はなっていたそうで、すっかり失念していた。朝出入りの写真館から電話があって知ったところであった。「散髪」に行っていなかったが「まあ、良いか」、幾ら「やつして」も代わり映えはしないと思ってそのままにした。
・ 都合3ヶ所で撮影された。しかしモニターに映った頭はますます白く、薄くなっている。もう「白髪のおじいさん」である。浪速に来てすっかり白くなった。一時期「染める」ことも考えたが生徒に「髪染めは駄目」ときつく言っている手前、私も止めているのである。
・ 中学校の音楽講師の先生をお呼びして来年度から「常勤講師」として本校専属となるように依頼した。「二つ返事でご快諾」を頂いた。26歳新進気鋭の音楽の指導者を得た。この先生なら高校を含めた「本校音楽教育の構築」をしっかりとやってくれるだろう。
・ この先生がいうには、1昨日の「国語科某常勤講師」のブログに痛く感銘を受けたと言っておられた。「あのような優秀な先生・・・」と思っていたらちゃんと校長先生は見ておられるのだと思ったというのである。「当たり前」である。それが校長の仕事である。
・ 来年度のカリキュラムも見直しが完了した。後は「理事会で討議決定し学則に記載」し大阪府の申請がある。又「教科書の手配」もやらねばならない。「コーラス部(合唱団)」でもそのうちに作って何かやってくれるだろう。しかしそれにしても彼が私に提出したレポート「浪速中学校・高等学校における音楽教育の課題と提言」は大変面白かった。
・ 私は教員に「レポートの提出」を求める。その「レポートにその教員の全て」が現れると思っているからである。知識、教養、見識、洞察力など全てが現れる。同時に「まとめる」という行為はその先生の頭の整理にも繋がる話である。「口で報告してハイ、それまでよ」とはいかない。
・ 新任1年間の研修レポート、先進校視察レポート、多聞合宿レポート、入試広報学校説明会レポート、成績会議レポートなどなどが定例的なものである。そして時々、単発的に「分析と提言レポート」を求めるのである。
・ それらのレポートに対して時に「一つ二つ指示」を出すこともある。それが重要で「そうですか、そうですか」とレポートを受け取るだけでは彼等とて報告のし甲斐も無かろうということで私は報告書にじっと目を通すのである。そして「何らかのアクションを取る」ことにしている。
・ そうすることでレポートの提出者も「私のレポートが生きた」と思ってくれるに違いないからである。短い職員会議で「深く考えもせず、思いつきで意見など言う」ことを毛嫌いするのは今まで見てきた限り「碌な意見が出てこない」からである。
・ 従って個人パソコンを貸与し、イントラネットシステムで「掲示板」に張り出すようになってからと言うものは職員会議で「突然降って沸いたような意見」は出なくなった。事前にそれらを見て一応考えているからだろうと思う。
・ 従って「職員会議の時間」が大変短くなった。その分私は「学校経営の領域や大阪府の指導や動きなど教育行政全般」についても説明する時間がとれるようになったのである。今日の職員会議もそうであった。全ては「校内情報管理システムの構築が成せる業」であったのである。
・ 従って「教員からのレポート」というのは新たな意義を生み出しているのである。それは「前向きな提案」などが主体になり、「済んだことをグチャグチャ」言わなくて済むからである。レポートは「教員からの校長へのPRの方法」であり、校長からすれば「その教員の考えのレベルを知る格好の機会」なのである。
・ そして私の方法は年に数回ある監事による業務監査に直接教員が資料をまとめ説明するというシステムを導入し、「理事会」に出て貰って直接報告するということも初めて久しい。今日の監事によるb監査も二人の教員から説明して貰った。理事や評議員もこういう直接「教員の声に触れる」ことを大変喜んでくれている。
・ 最近のレポートでは順不動であるが:
*音楽教育の課題と提言 音楽講師 W先生
*内部生多聞尚学館11月合宿報告書 国語科 S先生
*第2回関大パイロット接続推薦内定者セミナー実施報告書 社会科 I先生
*TOEICブリッジ実施報告書 英語科K先生
*世田谷学園、國學院久我山中髙を訪問して 数学科 O.N先生
*本校に来て半年を過ぎてみて 中学国語 K先生
*宿泊を伴う教育活動における旅行保険等についての説明会 国語科S先生
*平成21年10月度スクールカウンセリング報告書 カウンセラーM先生
*等々数えたらきりがない。
・ 私は今でも「勉強が大好き」である。良く「本も読む」。24時間学校のことを考えている感じである。常に「向上心」を忘れたことはない。それは「職業人」として当たり前だと思っているからである。若い頃と違って「爆発的」とは言わないがそれでも人間は幾つになっても「進歩」するものだと思っているから「努力」をしている。
・ まして「教職と言う職業」を選択した学校の先生だ。世間や社会の人とは違う。将来を担う若者を教えるという「崇高な行為が教師の仕事」である。死ぬまで勉強の連続だろう。レポートを書くことによって「頭を鍛え」「考えを整理」して欲しいと思うのだ。
・ 朝来て、夕方時間が来れば帰ると言う繰り返しで校長に提言することなど何も無くて、ただ漫然と「見た目、教師の仕事の振り」をしているような教員は本校にはいないと思うがこの3年間レポート一枚も出さない教員も居る。「少しは何か書いたらどうか?」と思うこともあるのだ。
・ 日本文化は「締めくくり」を大事にする文化があり、年度末、期末などはスタート時以上に重要視する。学校も同じで期末試験なども重要だし、第一学校最大かつ重要行事は年度末の「卒業式」である。「年末」にかけて「あわただしくなってくる」のだろう。
・ その「卒業アルバムに載せる写真」を撮る予定に昨日はなっていたそうで、すっかり失念していた。朝出入りの写真館から電話があって知ったところであった。「散髪」に行っていなかったが「まあ、良いか」、幾ら「やつして」も代わり映えはしないと思ってそのままにした。
・ 都合3ヶ所で撮影された。しかしモニターに映った頭はますます白く、薄くなっている。もう「白髪のおじいさん」である。浪速に来てすっかり白くなった。一時期「染める」ことも考えたが生徒に「髪染めは駄目」ときつく言っている手前、私も止めているのである。
・ 中学校の音楽講師の先生をお呼びして来年度から「常勤講師」として本校専属となるように依頼した。「二つ返事でご快諾」を頂いた。26歳新進気鋭の音楽の指導者を得た。この先生なら高校を含めた「本校音楽教育の構築」をしっかりとやってくれるだろう。
・ この先生がいうには、1昨日の「国語科某常勤講師」のブログに痛く感銘を受けたと言っておられた。「あのような優秀な先生・・・」と思っていたらちゃんと校長先生は見ておられるのだと思ったというのである。「当たり前」である。それが校長の仕事である。
・ 来年度のカリキュラムも見直しが完了した。後は「理事会で討議決定し学則に記載」し大阪府の申請がある。又「教科書の手配」もやらねばならない。「コーラス部(合唱団)」でもそのうちに作って何かやってくれるだろう。しかしそれにしても彼が私に提出したレポート「浪速中学校・高等学校における音楽教育の課題と提言」は大変面白かった。
・ 私は教員に「レポートの提出」を求める。その「レポートにその教員の全て」が現れると思っているからである。知識、教養、見識、洞察力など全てが現れる。同時に「まとめる」という行為はその先生の頭の整理にも繋がる話である。「口で報告してハイ、それまでよ」とはいかない。
・ 新任1年間の研修レポート、先進校視察レポート、多聞合宿レポート、入試広報学校説明会レポート、成績会議レポートなどなどが定例的なものである。そして時々、単発的に「分析と提言レポート」を求めるのである。
・ それらのレポートに対して時に「一つ二つ指示」を出すこともある。それが重要で「そうですか、そうですか」とレポートを受け取るだけでは彼等とて報告のし甲斐も無かろうということで私は報告書にじっと目を通すのである。そして「何らかのアクションを取る」ことにしている。
・ そうすることでレポートの提出者も「私のレポートが生きた」と思ってくれるに違いないからである。短い職員会議で「深く考えもせず、思いつきで意見など言う」ことを毛嫌いするのは今まで見てきた限り「碌な意見が出てこない」からである。
・ 従って個人パソコンを貸与し、イントラネットシステムで「掲示板」に張り出すようになってからと言うものは職員会議で「突然降って沸いたような意見」は出なくなった。事前にそれらを見て一応考えているからだろうと思う。
・ 従って「職員会議の時間」が大変短くなった。その分私は「学校経営の領域や大阪府の指導や動きなど教育行政全般」についても説明する時間がとれるようになったのである。今日の職員会議もそうであった。全ては「校内情報管理システムの構築が成せる業」であったのである。
・ 従って「教員からのレポート」というのは新たな意義を生み出しているのである。それは「前向きな提案」などが主体になり、「済んだことをグチャグチャ」言わなくて済むからである。レポートは「教員からの校長へのPRの方法」であり、校長からすれば「その教員の考えのレベルを知る格好の機会」なのである。
・ そして私の方法は年に数回ある監事による業務監査に直接教員が資料をまとめ説明するというシステムを導入し、「理事会」に出て貰って直接報告するということも初めて久しい。今日の監事によるb監査も二人の教員から説明して貰った。理事や評議員もこういう直接「教員の声に触れる」ことを大変喜んでくれている。
・ 最近のレポートでは順不動であるが:
*音楽教育の課題と提言 音楽講師 W先生
*内部生多聞尚学館11月合宿報告書 国語科 S先生
*第2回関大パイロット接続推薦内定者セミナー実施報告書 社会科 I先生
*TOEICブリッジ実施報告書 英語科K先生
*世田谷学園、國學院久我山中髙を訪問して 数学科 O.N先生
*本校に来て半年を過ぎてみて 中学国語 K先生
*宿泊を伴う教育活動における旅行保険等についての説明会 国語科S先生
*平成21年10月度スクールカウンセリング報告書 カウンセラーM先生
*等々数えたらきりがない。
・ 私は今でも「勉強が大好き」である。良く「本も読む」。24時間学校のことを考えている感じである。常に「向上心」を忘れたことはない。それは「職業人」として当たり前だと思っているからである。若い頃と違って「爆発的」とは言わないがそれでも人間は幾つになっても「進歩」するものだと思っているから「努力」をしている。
・ まして「教職と言う職業」を選択した学校の先生だ。世間や社会の人とは違う。将来を担う若者を教えるという「崇高な行為が教師の仕事」である。死ぬまで勉強の連続だろう。レポートを書くことによって「頭を鍛え」「考えを整理」して欲しいと思うのだ。
・ 朝来て、夕方時間が来れば帰ると言う繰り返しで校長に提言することなど何も無くて、ただ漫然と「見た目、教師の仕事の振り」をしているような教員は本校にはいないと思うがこの3年間レポート一枚も出さない教員も居る。「少しは何か書いたらどうか?」と思うこともあるのだ。