・ 「新聞の投書欄」も興味深いものがある。私は必ず目を通す。様々なジャンル、年代の方が社会の世相や事件などに「物申す」のであるが、新聞社はそれをどのように選択して掲載するのか難しいらしい。
・ その昔公立高校で「進学目標の数値化」をやろうとした時に組合と大きな騒動になり、朝日新聞が特集記事を組み「賛否の紙上討論」みたいなものをやった。賛成派の筑波大学の教受と反対派は例の内橋克人という経済評論家だ。この人に私は「時代錯誤のノルマ主義」まで言われた。
・ この時には投書が大量に来て、朝日はそれを載せてくれたが「多くの投書は肯定派」が多かったらしくて、その時の記者は「不本意」という感じで、それを私に伝えてくれたのを今でも覚えている。朝日新聞社はこの事件をその後「教育改革の本」にまで掲載した。
・ 今朝の投書で面白かったのは大学4年生で経済学部の学生が、「就職活動で大変だった」「勉強になどならない」「何のための大学か」などと自分の体験での苦労を投書していたのだが、現役の大学生だけに「その文章に静かな迫力」を感じたのである。
・ 完全に一昨年までの「大量採用時代」は終焉し、「雇用不安」の中で大学生の「就活」は厳しい。私の時代など「就職活動」の「活動という言葉」さえなかったような気がする。4年生になれば就職先を決めてそこに「面接に行く」といった感じで、今のように5社とか6社とか試験に行くとか、「内定を貰った、貰った」などという言葉も無かったような気がする。
・ 「貰った」などの表現は切ない。もっと「堂々として」という気がするのだ。「私を採用して良かったですよ。お買い得です」などと言わせてやりたい。本当に今の学生に申し訳ないような気がするが今から40年前頃とは全然様相が異なる。
・ 大学進学率も今の50%近い数値ではなくて25%くらい?、やはり当時は「大学進学」は一種の「エリート」的扱いであったように思う。高校進学者比率も現在のような「97%というほぼ全員高校進学」ではなくて「中学後就職」は普通だった。子どもの数は「団塊」と言われる世代だから「多かった」が大学数も今よりは少なく当然のことながら大学は名実共に「狭き門」であった。
・ 我々の世代の国立大学は「一期校」「二期校」という厳然とした区分があり、まず東大を頂点とする旧7帝大を中心とした「国立一期校が第一グループ」であった。エリート養成機関であったと言える。
・ 私立大学の数は極めて少なく「東京六大学」と言う言葉はあったが関西でいう「関関同立」などの言葉は私は後年になって知ったほどであった。完全に「国立大学優位の時代」であった。
・ 国立一期校を失敗したら国立二期校に行くかというとそうでもなく「併願の私学」に進んでいたような気がする。私の場合は同志社だった。人気の私学は全く今と同じで「都市圏のブランド私学」であった。従って当時の国立一期校の学生は就職に苦労するというようなことは無かった感じだ。
・ どの会社か官公庁かを選択するのかで頭を使うが就職したい会社を決めたら「就職する方法」は沢山あって、まず「企業からの指定大学」みたいなものがあり、先輩のコネやら色々とあって、国立1期校の学生には狭き門ではなくて「比較的緩やかな門」だったような気がする。
・ この時代は「高度経済成長の時代」でだれもが企業に就職するか、中央の役人を狙い、「教師になろう」というのは極めて少なかった。後年揶揄されて「デモシカ教師」といわれたものだ。教師にデモなるか、教師シカなれないという意味である。今は「超難関職業」となった。
・ 今、私はこのようにして年を重ね、若い頃に何処に就職するかを思い出してみると見ると「時代の移り変わり」を痛感する。大学で学んだ若者が「就職先が無い」「就職活動に神経をすり減らす」などはどう考えてもおかしい。しかし現実の姿は「過酷そのもの」なのである。
・ 私は現在の大学と大学生を見た時に「この国の現実の姿の全てが映し出されている」ような気がしてならない。いまこそ大きな意味で「大学改革」「大学を巡る周辺の改革」が必要であると強く思う。この職業に付いて以来「ヅーッ」と思っていたのである。「本音と建前」という言葉があるが、「思いと現実」と言った方が良いかもしれない。
・ 確かに今まで「大学改革」はなされてきている。「国立大学が法人化」され、「大学院大学」の設置などかなり踏み込んだ改革と思うが、結局「大学設置基準の緩和」は「大学の数」を増やし続ける結果となっただけではないのか。これでは大阪の「タクシーの数の増加」と同じであり、「大学の半数は定員割れ」の状態である。「タクシー運転手残酷物語」ならぬ「大学残酷物語」だ。
・ 1998年には「4年制大学の数は604校、それが今は2008年で765校」である。子どもの数は「18才人口で言えば162万人から124万人」だ。流れる川の水量は減少しているのに「ダムの数」は増えているのだから「水が一杯」になるわけが無い。「自然の法則」である。
・ 大学と言うダムでせき止められた水は今度は「企業と言う入れ物」に殺到することになるが、こちらの方も一層の厳しい状態になっている。しかし考えて見ればこの傾向は90年代のバブル崩壊以降、実は傾向的には「労働力の多様化」のために「新卒の門」は狭められてきたのだ。
・ 高齢者が元気を出すようにと「定年が延長」され、「高齢者雇用促進法」が整備され、「外国人労働力」が認知され、「パート、派遣労働」など「何でもあり」の状態になってきた。企業は少数の「幹部候補生」だけが継続的に採用できれば「後は何とかなる」と腹をくくれる「仕組み」ができてきたのである。
・ 以下 今後に続く。(大学とその周辺の当世的事情について今後定期的に独断と偏見の意見、感想などを述べて参りたい。)
以下その2に続く。