2009年5月29日金曜日

5月29日(金)理事会・評議員会

・ 本日は「理事会・評議員会」である。特に5月は「決算理事会」とも言われ、「20年度の「学校会計諸表」が審議承認される重要な理事会である。学校会計基準では年度終了から「2ヶ月以内」に行い理事会を行い、その議事録とともに「監督官庁即ち大阪府橋下知事に提出」しなければならない。
・ 2ヶ月以内というところが「ミソ」で極力「年度替わり直ぐにやれ」ということだろう。前年度の会計が確定しなければ翌年度の方針も「ママならない」だろうということである。これは「法律」だから破ると大変なことになる。「何か粉飾決算でももくろんでいるのではないか」と疑われかねない。
・ とにかく「公益法人」の不祥事というか犯罪が多い。最近では例の「漢字検定協会」理事長親子の「背任容疑」だ。新聞報道だけしか知らないからいい加減なことは言えないが報道されていることが事実なら「無茶苦茶」である。
・ 自分や「親族の経営するペーパーカンパニー」をスルーさせて「資金移動」をしたり、「法人のお金を自分のお金と勘違い」して流用するなどは「古典的な手法」で誰でも容易にわかりそうなものだが「創業者理事長親子」の「暴走」を誰も止められなかったのだ。
・ 特に「オーナー」というか「創業者」が理事長の場合、「家業」みたいに「錯覚」してしまうのは「人間の弱さと悲しさ」だ。この理事長も「塗炭の苦しみの中から這い上がって」今日の巨大な漢検を作り上げたのだろう。「自分のもの」と錯覚するのは「人間としての弱さと品格」である。
・ 株に流用する、骨董品買い入れに5000万円、カーレースへの資金流用、6億円もするような豪邸の買い入れ、とにかく「尋常」ではない。「感覚が麻痺」していくのだろう。周辺に誰も止める人材はいなかったのか?
・ ところがそれは居ないのだ。居ないようにすべて理事長親子が遠ざけるのだ。理事は十名以上居ても「名誉職」みたいなもので「社会的に立派な人」ばかり集めているが、そういう人は大体「業務内容や会計」には「うとい」人が多くて、理事長親子の言うがままだ。
・ それでは「理事の職責」は果たせない。又欠席が多く、「委任状」ですべて「お任せ」である。それが「理事長親子の狙い」でもあったと思うが。理事や評議員になるということは公益法人の場合、「大きな責任」となる。
・ まず「出席すること」、次は極力「勉強する」ことだ。一つでも二つでも知識を仕入れ、分からないこと、理解できないことは「質問したり、説明を求めたり」することが必要だ。「感想」でも良いのだ。それが「チェック機能」である。「理事長は評議員に意見を求める」ことも法律に書いていることである。評議員は何でも良いから意見を述べることが責任なのである。
・ 理事会も一流ホテルで「しゃんしゃん理事会」であったという。要は「理事会を総理する責任がある理事長の説明責任」が果たされていなかったのだと思う。公益法人の会計基準は「資金収支」と「消費収支」、それに「貸借対照表」の三つで全てが分かる。
・ 資金収支は「資金の使い途と調達先を明らかにする」ものであり消費収支は「年度の消費収入と消費支出の内容を明らかにして両者の均衡状態を表示」するものである。企業で言う「損益計算書」に類似したものであると考えてよい。
・ 「貸借対照表」は年度末の資産、負債を明らかにして「正味の財産の状態」つまり「財政状態」の表示である。恐らく漢検の場合、「大金持ち」だから皆さん、「目くらまし」にあったのではないか。「お金はたっぷりありますから」安心してくださいと。
・ どうも文科省の指導もあったみたいだが「金がないようにないように」隠すことが行き過ぎて「背任行為」に繋がっていったのだと思う。「検定料を下げるべき」であった。公益法人は私企業ではないのだから「お金が有り余ってはいけない」のだ。学校会計も基本的に同じことである。

・ 本校の場合を考えてみよう。まず私は「創業者でもなければこの学校法人のオーナーでもない。」この学園は「木村家の家業」ではない。言ってみれば「雇われマダム」である。「サラリーマン社長」と言っても良い。
・ 従って「自分のもの」という感覚は全く無い。確かに「危機に陥っていた学校を救ったという気概」はあるが、それは「私の仕事」であって「責任を果たした」という気持ちだけである。
・ 従って関係する会社もないし、ペーパーカンパニーも無い。制服販売会社もアルバム制作会社もスポーツ文具店も私とは「赤の他人」で私が来る前から何十年も取引のある会社だ。もし私が別の会社を持ってきたら「何かあると疑ったら良い」。
・ 私のした仕事への対価は「役員報」と「退職時の退職金」だけである。もし退職する時に財政的に可能であれば「役員功労金」だろう。判り易く言えば「プロ野球選手の年俸」であり、前年度の成績による「年俸決定」的考え方である。4名居る管理職へも「年俸制」で同じ考え方だ。すべて「理事会規則」に添っての話だ。恣意的であってはならない。「契約」の考え方だ。この方が余程すっきりしている。
・ 理事会・評議員会には徹底した「内容の開示」を行っており、「すっぽんぽん」である。隠すことは何もない。又お金がないから「隠すものもないのだ。」会計や経理についても事務室にはすべて開示している。
・ 本校では「複数チェック」体制、即ち複眼作業としており「1人の事務職員がお金を扱う」ようにはさせていない。必ず「2名一組」だ。理事長が何処にお金を幾ら使っているか、事務職員は誰もが知っており「透明」である。
・ 例えば理事長の会計は秘書が行い事務長補佐と給与担当職員がチェックする。そして事務長となっていく。すべて彼らはお見通しだ。「秘密に処理する」ことなど不可能である。又「実印、銀行印」は絶対に他人に任さず「私が捺印」する。「当たり前」のことである。

・ 非常に中味の濃い理事会と評議員会は手前味噌であるが見事に終了した。重要な議案であった「新武道館建設」は本日の理事会・評議委員会で「承認」された。これで又加速度が付くだろう。22年度の「学則改定」も承認された。これが結構討議を呼んだのであるが、「来年度の土曜日の使い方」という「戦略的方針」が出席者から高く評価されたのである。
・ 6月9日の「関西大学との特別連携の契約調印」も最終的に確認された。新たに関西大学から理事を招聘したのだが、この理事の出席で「本校理事会の議論の内容がまた進化した」と感じた。まとめにおいて「神社庁を代表」して神社庁顧問、道明寺天満宮宮司から「心温まるお褒めの言葉」を頂いた。
・ 私は「勝って兜の緒を締めよ」「油断大敵」「今後とも細心の注意で学校改革を進める」「徹底した透明性と説明責任」を述べ「今後ともご指導ご支援」をお願いしたいと頭を下げた。今までは良かったが来年の入学者数など誰も分かりはしない。来年はどうだろうかと「心配性」だから不安にもなるが、「しっかりとやるべきことをする」だけしか方法はない。
・ これで私の2年目が会計的には公式に終了したことになり、3年目に突入した。私にとって今日は「企業で言う株主総会」みたいなもので「全権委任」を得て「たった一人の学内理事」として新年度に入ることになったと言える。頑張らねばならない。