・ 5月の「黄金連休」も今日で終わった。1月以来の連続した重要行事が一段落した後での「束の間の休息」と、常日頃出来ない事を処理する「私的事項処理週間」であるが、結局は休息とはならない。息抜きと休息とは異なるのか。
・ 団塊世代はゆっくり、じっくり休養するなどという訓練が土台出来ていない。「仕事、仕事」の連続で何日も会社を休むと「不安」になったものだった。ライバルとの競争、仕事への執着、上昇志向など錯綜し、休んだら何か自分自身にも「後ろめたい気」がしたものだった。
・ ところが私立学校に転じて様相はまるっきり変わってしまった。大体土曜日を休むということはないし、日曜日も半分は予定で埋まっているから、年がら年中仕事という感覚である。特に理事長兼務となると尚更である。「片時も経営のことが頭から離れない。」
・ この4月から勤務頂いている事務長代理は「日曜日が待ち遠しいですね」と言われていたが私にはこの気持が大変よく分かる。唯一の休みとなる日曜日がこれほど有難いと思うことは企業時代や公立高校勤務時代にはなかったことだ。
・ だから5月、8月のお盆、お正月休みと年に3回の連続した休みは「格別なもの」があるのである。この期間はまさに「充電」「静養」「勉強」「趣味」「大工仕事」などと多くの目的があって忙しいのである。疲れるのである。しかし嬉しいのである。
・ 連休で疲れるとは贅沢な話であるが、「精神は開放・解放」されているから、「心地良い疲労感」とでも言うのであろう。実はこれが教員にも大切だと悟ったのが平成19年であった。
・ 「強制的に仕事から離れさせる」ということが重要であると思い、年間のスケジュールを弾力的に編成するようにした。すなわち「年間変形労働時間制の導入」である。5月の連休、次は8月のお盆前後、年末年始の休みを「連続して取得」できるように勤務カレンダーを設定したのである。
・ もちろん年間労働時間は一定であり、休みが多いということではない。このシステムは結構教職員には大人気で受け入れられていると思う。日常は頑張って貰って「次のリフレッシュ休暇まで教職員は頑張るというスタイル」はけじめがあって良いのではないかと思っている。
・ 私はこのように節目節目で「まとまった息抜き期間が学校の教員にはあっても良い」と考えるようになった。最も何時もかつも休息期間であっては困るのだが。教職を生業にしている人々にとって定期的なまとまった息抜き休暇は単なる休養という意味だけではなくて「彼らの仕事の成果に効果的なもの」であると今は考えているのである。
・ 前から言明してきたように「校長日記も今月末で一応の完結」となるとしてきた。3年前の6月1日に某教諭から「ブログでも書いたら如何ですか」と進められ、あれから丸々3年である。「我ながら書きに書いた」ものだと思う。
・ 4月30日のブログは「徹底するという事」というタイトルで一文をしたためた。この「校長日記も木村流の徹底するという行為の一面」であるかも知れない。「良い加減なことでお茶を濁す」ということが出来ない。「やるなら徹底してやる」ということである。
・ ほぼ毎日A4版2枚に書き溜めた校長日記は3年間で987日に及び、ページ数は1974ページになる。膨大な数になった。「私の人生の後半を彩る生きた証言」となるだろう。さて今後どうするかということであるが、一応計画通り「休筆宣言」としたい。
・ そのタイミングは6月20日までとしたい。それは6月19日に「堺市の校外多目的グランド」である「浪速ふくろうスタジアム」の完成披露式とパーティを計画していり、それまでは「実況中継」したいのである。
・ その後についてはどうするか今から考えて行こうと思っている。多くの人が「楽しみにしている」「浪速の格好の宣伝媒体」「学校の生生しい実情が良く分かる」等々、「継続して欲しい」との声が多く寄せられているが、何事も「休憩の時間」は必要である。
・ 一応再開のタイミングは年明けの1月からと考えているが未だ決めているわけではない。スタイルも考えてみたい。また「1月には新武道館が完成」するのでその実況中継も記録に残しておきたいのであるが・・。
・ すなわち7月から12月までの半年を休筆とするのである。ただこの間どうするかについては私に一つの考えがありこれはまだここでは書けない。8月から10月の間に散発で「発信したい手の内」があるのであるが、やはり公共の電波を使うものだから「木村流簡単料理のレシピ」など書くわけにも行かない。あくまでどこかに「教育的視点」がなければと思っているのである。それで今考えているのである。
・ 今政治家を中心に「ツイッター」というものが流行っているらしい。「つぶやき、ささやき」という感じの「独り言」みたいなものを「時々刻々発信」するらしいが私のブログは「硬派、真正面、直球、時にビーンボール、」流が「売り」なのでにこのツイッターというものが合致するのであろうか。
・ 鳩山総理が沖縄を訪問した。今朝の新聞各紙は総理に対して「徹底的に厳しい」扱いであった。古今東西このような一国のトップに手厳しい内容の記事はなかったのではないか。「日本国民にとって悲しいこと」である。
・ 詳細については新聞やテレビで報道されているからここでは論評しないがそれにしてもあの総理の着ていた「黄色のかりゆしウエア」に私は強い「違和感」を感じた。皆さんはどのように感じられたのであろうか。
・ 総理就任後8ヶ月にもなってようやく沖縄に行き、国内最大の普天間問題に対して「見当違い」の対応してきたにもかかわらず、あの服はまさしくこの総理の「能天気な側面」を映し出していた。
・ せめてもの罪滅ぼしに地元伝統服を着て登場したら「少しは反発も和らぐ」と思っていたならまったく逆効果だろう。周辺のSPはすべて黒服ばかりで総理だけ黄色のかりゆしだから余計に「浮いていた」存在となっていた。
・ あれは周辺の勧めかあるいは総理の考えか分からないが私は総理のアイデアかファッションデザイナーの幸夫人の勧めではないかと思う。しかしそれくらいこの人は「優しい面」と「頑固な一面」を有していることをあの服は証明して見せたのである。
・ 「いや、どうしてもかりゆしにする。用意して。その方が沖縄県民の気にいられる筈である。」と言い張ったに違いない。しかし訪問はまったく「大失敗」で今回の訪問で印象に残る総理の言葉は「認識が甘かった」である。「この期に及んでそれはないだろう」と沖縄県民にもならず国民すべてが感じたのではないか。
・ 何時か石原慎太郎都知事が「トップが軽蔑されるようになったら終わり」とどこかに書いていたがその通りで前総理の麻生太郎氏も漢字が読めない、発言が軽く、ぶれるでマスコミはじめ国民から「失笑」を買って敗退した。遂に鳩山総理もその域に入ってしまった感がする。
・ 団塊世代はゆっくり、じっくり休養するなどという訓練が土台出来ていない。「仕事、仕事」の連続で何日も会社を休むと「不安」になったものだった。ライバルとの競争、仕事への執着、上昇志向など錯綜し、休んだら何か自分自身にも「後ろめたい気」がしたものだった。
・ ところが私立学校に転じて様相はまるっきり変わってしまった。大体土曜日を休むということはないし、日曜日も半分は予定で埋まっているから、年がら年中仕事という感覚である。特に理事長兼務となると尚更である。「片時も経営のことが頭から離れない。」
・ この4月から勤務頂いている事務長代理は「日曜日が待ち遠しいですね」と言われていたが私にはこの気持が大変よく分かる。唯一の休みとなる日曜日がこれほど有難いと思うことは企業時代や公立高校勤務時代にはなかったことだ。
・ だから5月、8月のお盆、お正月休みと年に3回の連続した休みは「格別なもの」があるのである。この期間はまさに「充電」「静養」「勉強」「趣味」「大工仕事」などと多くの目的があって忙しいのである。疲れるのである。しかし嬉しいのである。
・ 連休で疲れるとは贅沢な話であるが、「精神は開放・解放」されているから、「心地良い疲労感」とでも言うのであろう。実はこれが教員にも大切だと悟ったのが平成19年であった。
・ 「強制的に仕事から離れさせる」ということが重要であると思い、年間のスケジュールを弾力的に編成するようにした。すなわち「年間変形労働時間制の導入」である。5月の連休、次は8月のお盆前後、年末年始の休みを「連続して取得」できるように勤務カレンダーを設定したのである。
・ もちろん年間労働時間は一定であり、休みが多いということではない。このシステムは結構教職員には大人気で受け入れられていると思う。日常は頑張って貰って「次のリフレッシュ休暇まで教職員は頑張るというスタイル」はけじめがあって良いのではないかと思っている。
・ 私はこのように節目節目で「まとまった息抜き期間が学校の教員にはあっても良い」と考えるようになった。最も何時もかつも休息期間であっては困るのだが。教職を生業にしている人々にとって定期的なまとまった息抜き休暇は単なる休養という意味だけではなくて「彼らの仕事の成果に効果的なもの」であると今は考えているのである。
・ 前から言明してきたように「校長日記も今月末で一応の完結」となるとしてきた。3年前の6月1日に某教諭から「ブログでも書いたら如何ですか」と進められ、あれから丸々3年である。「我ながら書きに書いた」ものだと思う。
・ 4月30日のブログは「徹底するという事」というタイトルで一文をしたためた。この「校長日記も木村流の徹底するという行為の一面」であるかも知れない。「良い加減なことでお茶を濁す」ということが出来ない。「やるなら徹底してやる」ということである。
・ ほぼ毎日A4版2枚に書き溜めた校長日記は3年間で987日に及び、ページ数は1974ページになる。膨大な数になった。「私の人生の後半を彩る生きた証言」となるだろう。さて今後どうするかということであるが、一応計画通り「休筆宣言」としたい。
・ そのタイミングは6月20日までとしたい。それは6月19日に「堺市の校外多目的グランド」である「浪速ふくろうスタジアム」の完成披露式とパーティを計画していり、それまでは「実況中継」したいのである。
・ その後についてはどうするか今から考えて行こうと思っている。多くの人が「楽しみにしている」「浪速の格好の宣伝媒体」「学校の生生しい実情が良く分かる」等々、「継続して欲しい」との声が多く寄せられているが、何事も「休憩の時間」は必要である。
・ 一応再開のタイミングは年明けの1月からと考えているが未だ決めているわけではない。スタイルも考えてみたい。また「1月には新武道館が完成」するのでその実況中継も記録に残しておきたいのであるが・・。
・ すなわち7月から12月までの半年を休筆とするのである。ただこの間どうするかについては私に一つの考えがありこれはまだここでは書けない。8月から10月の間に散発で「発信したい手の内」があるのであるが、やはり公共の電波を使うものだから「木村流簡単料理のレシピ」など書くわけにも行かない。あくまでどこかに「教育的視点」がなければと思っているのである。それで今考えているのである。
・ 今政治家を中心に「ツイッター」というものが流行っているらしい。「つぶやき、ささやき」という感じの「独り言」みたいなものを「時々刻々発信」するらしいが私のブログは「硬派、真正面、直球、時にビーンボール、」流が「売り」なのでにこのツイッターというものが合致するのであろうか。
・ 鳩山総理が沖縄を訪問した。今朝の新聞各紙は総理に対して「徹底的に厳しい」扱いであった。古今東西このような一国のトップに手厳しい内容の記事はなかったのではないか。「日本国民にとって悲しいこと」である。
・ 詳細については新聞やテレビで報道されているからここでは論評しないがそれにしてもあの総理の着ていた「黄色のかりゆしウエア」に私は強い「違和感」を感じた。皆さんはどのように感じられたのであろうか。
・ 総理就任後8ヶ月にもなってようやく沖縄に行き、国内最大の普天間問題に対して「見当違い」の対応してきたにもかかわらず、あの服はまさしくこの総理の「能天気な側面」を映し出していた。
・ せめてもの罪滅ぼしに地元伝統服を着て登場したら「少しは反発も和らぐ」と思っていたならまったく逆効果だろう。周辺のSPはすべて黒服ばかりで総理だけ黄色のかりゆしだから余計に「浮いていた」存在となっていた。
・ あれは周辺の勧めかあるいは総理の考えか分からないが私は総理のアイデアかファッションデザイナーの幸夫人の勧めではないかと思う。しかしそれくらいこの人は「優しい面」と「頑固な一面」を有していることをあの服は証明して見せたのである。
・ 「いや、どうしてもかりゆしにする。用意して。その方が沖縄県民の気にいられる筈である。」と言い張ったに違いない。しかし訪問はまったく「大失敗」で今回の訪問で印象に残る総理の言葉は「認識が甘かった」である。「この期に及んでそれはないだろう」と沖縄県民にもならず国民すべてが感じたのではないか。
・ 何時か石原慎太郎都知事が「トップが軽蔑されるようになったら終わり」とどこかに書いていたがその通りで前総理の麻生太郎氏も漢字が読めない、発言が軽く、ぶれるでマスコミはじめ国民から「失笑」を買って敗退した。遂に鳩山総理もその域に入ってしまった感がする。