2010年5月27日木曜日

5月27日(木)ウイルソン株から縄文杉



























































































・ 「ウイルソン株から縄文杉」までは急峻な山道であることは昨日のブログに書いた。トロッコ道を終えて2,5キロの距離を高度は1300メートルまで上るのだから厳しいことは間違いない。
・ 地元山岳会が足場に「木製の踏み板」を設置はしてくれているが、それでも歩きにくいのである。とにかく「石ころが多い」から歩き難いのである。手すりなどはないから「脚と膝のバランス」で上っていかねばならない。
・ しかし生徒たちは「駆ける」ように登っていく。足腰がばねのようで「若い」ということはこういうことなのである。ホテルに帰っても全く疲れた様子は見せない。頼もしい限りである。
・ 山道は「上り道優先」で上から降りてくる人は狭い道を空けて道を譲ることになっている。私は何時も降りてくる人に聞くのである。「後何分で縄文杉ですか?」と。それを聞くことで「目標が更新」され又「力が湧いてくる」のである。最後の頃は3分おきに聞いていた。
・ 第一目標だった、今や朽ち果てたとは言わないが単なる切り株になってしまった「ウイルソン株」は3年前に「無念の撤退」を宣言した因縁の地点であった。周囲が13.8メートルもあり「今から400年前に伐採された最も古い切り株」といわれている。ガイドさんの話によればその昔秀吉が薩摩藩に命じて京都の方広寺の建設に当たって銘木の供出を命じられたからとの説明があった。
・ 大正3年にこれを見つけた「ウイルソンというアメリカ人植物学者」が、全世界にその存在を知らしめたのでその人の名前を付けたのだそうである。さぞかしウイルソン氏はこのような杉の巨木跡を見て驚いたことだろう。
・ ウイルソン株からは巨木が連続して現れる。まず「翁杉」「大王杉」そして「夫婦杉」となる。樹齢は2000年、3000年を超えておりいずれにしても根元付近は圧倒的な太さである。
・ 「縄文杉は突然現れる」という感じである。急に多くの人々が下りて来られるし、その顔に満足感が満ち溢れているから「ぼつぼつ」だなと思うのである。そして勾配が急だけに見上げると急に縄文杉の人工の展望台とその後ろに「圧倒的な存在感で縄文杉は出現」する。
・ 言いようもない「威容感」と同時に「神々しさ」をも私は感じた。時刻は正午前だから何故か縄文杉の周辺は「もやが立ち込めていて」、雰囲気が神々しいのである。まず私はこのことを感じたのである。最後はまさに小走りという感じで真正面に立った。「これが縄文杉か、ウーン、縄文杉か」という感慨にとらわれたのである。
・ その存在は会いに来る旅人に決して「媚びることはなくしかし決して裏切ることの無い雰囲気」を醸し出していたのである。展望台で「仰ぎ見る」という感じである。樹木保護のためだろう、傍には近寄れない。「ちょっとでも触ってみたかった」がそれは不可能なことであった。
・ 私は素直に感激し感動した。しゃべってばかりいた生徒諸君もじっと「見入っていた」。恐らく彼、彼女たちも「何かを感じた」のではないだろうか。生徒たちはこの日観た縄文杉を脳裏に焼きつけこれから先に人生で一度や二度は思い出すことがあるだろう。「それで良い」と私は思う。
・ 樹齢は様々に言われているが4000年も昔この樹が生まれまさに「太古の歴史」を彩る日本南端の「雨の島屋久島」の標高1300メートルに聳え立つ縄文杉の目の前に立ったというだけでも価値はある。
・ 中には人生でもう一度くる機会はない人の方が多いかも知れない。それだけに学校の修学旅行の意味はあるのである。「良い修学旅行の企画」だと今更ながら思いを深くしたのである。これだけは継続しなければならない。最初誰が考えたのか分からないが素晴しい。
・ 6時30分に登りはじめて縄文杉にたどり着いたのが11時であったから4時間半の行程であった。しかし後から続く登山客のために長居は出来ないのである。記念写真を撮ってそれぞれの班単位で下山する。
「観ただけで十分」で「後ろ髪を引かれる」「立ち去りがたい」ということはない。きつい山道を苦労して登り目的の縄文杉を見ただけで十分なのである。生徒たちは驚くことにあの坂道を走るように下がっていく。
・ しかし我々の世代には上るよりも下がるほうに気をつけなければならないし、特に下りは「膝に来る」。それでも体重のベクトルは下向きなので体全体としてはとても楽なのである。
・ 私はとても幸せな気持ちで黙々と1人で山道を下っていった。縄文杉近くの適当な場所で昼食を済ませ一同荒川登山口に戻る。途中は「木漏れ日の凱旋道路」といっても良い。「屋久鹿」や「屋久猿」にも多く遭遇した。屋久島には人間2万人、鹿2万匹、猿2万匹というくらい多いらしい。
・ ホテルに帰って入浴、昨日は「大風呂に生徒と共に入った」。そして良く眠った。そして今朝は元気一杯であった。さすがに瞬発力は落ちたが「回復力」はまだまだ健在である。これなら後10年は行ける。
・ 6時30分朝食、生徒とバスで「もののけ姫」の舞台となったという「千尋の滝」を観光し、その後は物産館で「木工細工」である。屋久杉の小さな切れ端を使って生徒たちは携帯のストラップを削りだしていくのである。
・ 私は生徒たちに短い挨拶をして一足早く屋久島空港に向かった。生徒たちは昼食に「レンガ亭」というところで「焼肉」を食べ、その後安房港から高速船で鹿児島港に向かって「維新記念館」を見学して鹿児島空港から伊丹に飛ぶこととなっている。
・ 便利な世の中になっており、生徒たちの大きな荷物はホテルチェックアウト時に「宅配便」でそれぞれのご家庭に送る手はずとなっていた。バスに乗るときは全員手ぶらなのである。
・ ホテルではお土産が良く売れたと言っていた。後は鹿児島で最後にお土産を買って修学旅行は終わりとなる。皆満足した顔つきをしていた。「知覧特効記念館、種子島、屋久島縄文杉コースの3泊4日の修学旅行」はこのようにして完成を告げようとしているのである。
・ 私のほうはと言えば屋久島空港においてちょっとしたトラブルで、伊丹直行便が機材問題でキャンセルとなり急遽鹿児島空港に飛び、2時間ほど待って伊丹行きに乗り継いだのである。JALは気を使って現金で1000円呉れて「昼食代」だという。理由は迷惑をかけ、丁度「お昼時分」にかかったからだという。
・ 折角だから屋久島空港で定価1000円の「屋久島うどん」を食べた。島には屋久島うどんの看板がいたるところにあったから「どのようなうどん?」なのか興味があったのだが、要は「飛び魚のから揚げ」がついているだけのことであった。しかしJALもこのようなことをしていては「経営再建」もおぼつかないのではないか。