2007年7月23日月曜日

7月23日(月)浪速第一の行事「伊勢修養学舎」

浪速第一の行事と位置づける・・・伊勢修養学舎
1.宇治山田駅16時28分発の上本町行き近鉄特急に乗る。第1班を13時に神宮会館前で見送り、14時40分新たに到着した第2班の開講式で挨拶、その後校長の一こま50分授業「浪速生への期待」を済ませ、伊勢市を後にする。「伊勢神宮」にこもりきり、浸りきった3日間であった。
2.今後この「伊勢修養学舎」を本校第一の学校行事と位置づける。修学旅行とか体育祭とか文化祭とかの行事と比べべくもない。問題にならないくらい大切な行事であることを自らの完全体験で確信した。今回で54回になるがこの行事を残してくれた54年間の先達に心から感謝する。勿論今日風に変えても良い部分はあるが問題はその精神である。まさに不易と流行のテーマである。決してこの行事はなくさない。むしろレベルアップさせていくことを決意した。
3.生徒には難業苦行で難しい部分もあったかも知れないが将来彼らが職を持ち、家庭を保ち、人生を生き抜いていく中で「必ず思い起こす体験」になることは間違いない。このことこそが重要である。北海道や沖縄に飛行機で飛び、海や野原での体験学習も意味ないことではないが、この「お伊勢参り」で感じる日本文化の原点、古事記、日本書紀に記述される歴史観から今日を体系的に捉えることのできる神社神道、伊勢神道の教えの中から現代人が忘れてはならない「浄明正直」の精神が実は本校の校訓そのままであり、この精神の踏襲こそ、本校教育の道であるという確信を得たことが自分には大きすぎる成果であった。
4.浪速を選択してくれた生徒は「運が良い。なぜならこのような立派な学校行事を有している学校」だからである。今後保護者にもその意義を伝えて参りたい。今回評価すべき他の点は教職員が見事に対応してくれていることをこの目で確認できたからである。間違いなく公立の教員には出来ない業である。この半年間、じっくりと観察してきたが私学と公立の教員の幅の差を今回完全に認識した。いずれこのテーマは論文にしなければならない。
5.思えば昨年の今頃はアメリカから帰国し、思い立って「四国88ヶ所巡拝・・魂の旅」の準備をしていた。その自分が仏教とはまったく別次元の神道系の学校の責任者になり、伊勢の内宮、外宮、他すべてのお社に3日間参拝し、五十鈴川で禊を連日行い得たことで自分自身の研修がなされたと考えている。生徒の行事だけではなくて実は自分自身の最出発のための行事であったのだ。「神も仏も有難きかな」である。
6.実に満ち足りた気持ちの電車の2時間であった。前任校に赴任する前一時期居住していた住友金属の管理職寮がある山本駅を過ぎ、多くの生徒を数えた八尾駅を抜け電車は4年間通った鶴橋駅に停車。降りることなく終点上本町に到着。高安も山本も八尾も鶴橋もすべて素通りの駅になった。完全に住友金属からも府立高校旧5学区およびそのトップ高の地理的関係からも決別した瞬間であった伊勢からの戻りの道筋は実は自分にとって新たな出発の産道であったのだ