2008年10月3日金曜日

10月3日(金)安全はお金次第か

・ 「お客さん、あの個室ビデオ店の放火事件の犯人は私の家のすぐそば50メートルの所なんですよ」「へー!」「もう大変でしたよ。マスコミが何十人も来て、誰も居ないのに写真撮ったりビデオ撮ったりしてましてね」「フーン、そんなに近くなんだ」「東大阪の加納です。」「加納なの!昔の知り合いもいますよ。」」「エー、とにかく参りましたよ。女房なんか聞かれるのがイヤだとか言って外に昨日は一回も出なかったと言ってました。」今朝乗ったタクシーの運転手さんとの会話である。
・ 私が今住んでいるところはこの個室店から歩いて2分、まさに至近の距離にあり、今朝車に乗った場所が事件の現場に近かったから、突然に運転手さんは以上のような会話を私に仕掛けてきたのだろうと思う。
・ 「大変だったでしょう」「イヤ、朝は5時に起きるが確かに救急車のサイレンの音はかすかに聞こえていたが遠くに感じたね。」「テレビのスイッチを入れても映像はまだ映ってなかったよ」「そうですか」「テレビでは今難波の繁華街で駅から100メートルの雑居ビルで火災があり死傷者が出ている模様ですくらいしか言ってなかったな」「そうでしたか」「悲劇ですね」「あれは殺人事件ですね」。
「悲惨な事件」が起きた。一昨日は通勤途上の方向の道のちょっと外れた場所なので歩いて立ち寄ってみたが現場はビニールシートに囲まれて警察とマスコミが大勢集まって固まっていた。私が時々使う「餃子の王将」の真裏のビルで細長いビルである。しかしあの「雑居ビル」という言い方は余り感心しない。失礼な言い方だと前から思っていた。
・ 捕まった犯人と亡くなられた15人の犠牲者の物語が今後当分続くであろうが、「全く酷い話」である。しかし私は今回の事件から何か「哀れな切ない思い」を感じてならない。亡くなった人が哀れでならない。
・ 大の大人が「一夜の宿」で、それも一泊1,500円の宿泊費で、1メートルX2メートルの小さな部屋でソファの上でうずくまるように二酸化炭素中毒で亡くなられたのだ。「人の運命はまさに無常」だ。
・ 犯人の素性は明らかになりつつあるが、リストラされ、仕事を失う。妻子は離れ、お決まりのように酒とギャンブルに走り、借財は増える。親からの遺産である家も手放し、借金の督促から逃げるように転々と宿泊先を変える。そしてたった3日前に知り合ったという人間に紹介されこの店に初めて来たのだという。
・ 「生きていくのが嫌になった」と言いながら自分だけは逃げ出し、放心状態で警察に「持っていたティシュと新聞紙に自分が火を付けました」と言ったとある。その時の姿は上は白い肌着で下はトランクスというからズボンと上着は部屋に置いて逃げたのであろう。朝方3時頃、肌寒い中をほぼ裸の男で足ははだしのままで立ちすくむ46歳のおっさんの姿を想像するとこれも腹立たしいのを通り越して「惨めさと哀れさ」を感じる。
・ 運転手さんは「死にたいんなら、自分だけで死ねば良いんですよ」と、ここは声量が上がっていた。多くの犠牲者は市内か近隣の人ばかりで「下積みの俳優稼業」「ようやく手にした介護ヘルパーの仕事」などの悲しい物語が友人たちによって語られている。
・ 私は犠牲者の中に東京町田市にお住まいの二人に特に感じるものがあった。おひとりは61歳とある。どうして東京の人が難波の雑居ビルの個室ビデオ店に宿泊したのだろうかと思いが行くのだ。他の犠牲者の多くは20台、30台、が主体で61歳というのはこの人だけだ。
・ 警視庁がご遺族の家に行ったときに家人は「そっとしておいてください」と一切お顔を出さされなかったという。還暦を過ぎ一生懸命働いてきた61才の男性が何故1500円の宿泊場所に泊まったのであろうか。これは会社の出張だったのか、あるいは個人の費用だったのか、思えば「悲しい切ない」ものがある。
・ 完全に「格差社会」を実感した。「NHKのクローズアップ現代」では「市場があるからこの種の安宿代わり」が出現するとも報じていた。その通りだと思う。消防法違反とならないギリギリの設計建物であり、より安全な場所を求めるなら段階としては「カプセルホテル」「ビジネスホテル」「シティホテル」となる。最も一番の安宿は道端や公園を使い、ダンボール箱で寝ることだ。
・ 「安全をお金で買う時代」を痛感する。今から20年以上前にニューヨークに住んでいたがその時に言われた言葉だ。日本人は「安全は無料、ただと思っているが、安全はお金なんだ」と。辛い話であるが実感として分かる。
・ 「国がおかしな感じ」になってきた。いままで感じたことがないような気がするものだ。企業出身だから嗅覚には自信があるのだが「何だかおかしい」。「自分を守れ」と私は教職員に伝えている。
・ アメリカのリーマンブラザーズの破綻、原油高、地価の下落、マンション売れ残り、自動車が売れなくなった、住宅が売れなくなった、給料は下がり続づける。今や4人に1人とも言われる「年収200万円以下のワーキングプア」の比率は直ぐに3人に1人になるだろうと一部のエコノミストは言っている。
・ 昨日の職員会議で私は資料を使って本校の経営状態と先行き見通しについて力説した。「学校を守らねばならない」そのためには「教職員にも理解と協力」を得なければならない。今この時の厳しい数年を乗り越えれば将来が見えてくる。そのための今は胸突き八丁の時だ。
・ 教職員も格差社会の波に現実には洗われているのが実態だ。近隣の私立学校は今後当分は専任採用を手控えると言うが、私は違う。この10月には「3人も期中で専任教諭を採用」した。新婚の一人の若い教員の給与号俸を前歴換算措置として1号俸アップした。
・ 新勤務管理の移行に伴い過去の決別清算として会計処理を今進めているところだ。全ての教職員の理解と協力を得て「新経営計画の完遂」が私の責任である。私学助成削減など経営は厳しいが私は「頑張った教員、意識の高い教員には処遇の配慮は惜しまぬ積りだ。」お金はそのように使うものだ。
・ 浪速の教職員を個室ビデオ店に宿泊させるようなことだけはさせたくない。個人も自らを守って欲しい。「競馬やパチンコ」に明け暮れているという教職員はいないと思うが、そのこと自体は個人の自由であるが、しかしそのことで街金融に走り、「家庭と生活が乱れているようでは碌な授業は出来ない」だろう。それでは学校の先生とは言えない。
・ 2年後には「人材評価育成システム」が本番化し、評価が「給与処遇」に跳ね返ってくる。成績優秀者と普通の評価では年収差で100万円以上となる。「損して得取れ」と言う言葉があるが、損はしなくて良いから「組織人、教員としての一般常識」だけはなくしてはならない。