2008年10月31日金曜日

10月31日(金)合格裏基準

・ 神奈川県の県立高校が騒がれている。平塚市の県立神田高校は生徒数が347人であるが今年の入学試験で選考基準となっていない「茶髪」や「眉そり」などをチェックし該当する受験生を不合格にしていたことが28日に明るみに出たという。内部からの「チクリ」である。
・ 朝日は「茶髪・眉そり・長いつめ・・・裏基準」、「合格圏でも不合格」の見出しだ。県教委が発表し過去3年間で不合格生徒は22名いると言う。「校長の指示」で行われ、対象項目は以上のもの以外に「スカートが短い、服装がだらしない、胸ボタンを外している、化粧をしている、態度が悪い、軍手で志願書を渡した」とかあるらしい。
・ しかし面白いな。願書を軍手で渡したと言うから、余程出したくなかったか、手に怪我をしていたからだろう。「公立は選考基準を公表」しておりまず「中学校の調査書、面接(あるところとないところ)、学力検査」で点数の上位者から合格を決めることになっており、「身なりとか態度は基準には含まれていない」。
「内部通報」があって県教委が過去5年間の入試に関係した教員ら33人から事情を聴いて判明したらしいがこれは05年当時の校長の発案とされており教員でも異議はなかったと言う。ところが校長が変われば「チクル」奴は出てくるもので、この校長が始めたものかどうか記事では分からないが「可哀想」と言うしかない。
・ とにかく私は「チクる」奴は大嫌いだ。大体「日本人は昔から卑怯者を毛嫌いする」。意見があれば組織内で堂々と議論すれば良いのであって、その上でどうしようもないとなれば告発すれば良い。ところが学校はそうはいなかい。とにかく「覆面でチクる」奴ばかりだ。だから今回も県教委は33人の人間と面談して事実を探る。
・ 理由について校長は「合格後の生徒指導が大変だったから」と説明したらしいが気持ちは分かる。この校長、ちゃんと「先生方の苦労」を分かっているのだ。この高校3学年で347人だから9クラスと計算でき、1学年3クラスの小規模校だ。それに「中退者が年間100人を超えると言う学校」だから「推して知るべし」である。「3クラスで始まった学年は1年後には2クラス」になるという計算だ。
・ 又この学校来年で廃校となり「他の学校と統合」予定と言うことでこの校長は統合に向けて「少しでも良い学校にしておきたい」と思ったらしい。「分かる、分かる。」県教委は不合格の22名の救済措置を考えるとのことだが3年前のことだし、また今年分もすでに半年経過している。「転入可」としても果たして何人来てくれるのか。
・ 可哀想にこの校長はクビとなり配置転換らしい。教育センターみたいなところに行くとのことであるが「内心ホットしていないか」。ひょっとしたらこの学校から抜け出すための作戦だったかも知れない。「やっと抜け出せた」と。
・ 面白いのは電話やメールが120件以上殺到しており、約半数が「当たり前だ。校長を支持する」と言うものらしい。今日の新聞で校長の解任が報道されたから「県教委はおかしい。」「校長が正しい」と更に抗議が殺到するかも知れない。
・ 常識的に考えてもみよ。化粧したり、茶髪にしたり、そりを入れたりする中学3年生が高校の願書提出に来るか。「これは異常」と考えなければならない。企業の入社試験の願書を軍手で差し出すような人間をまず採用はしまい。
・ 「あんた、今日は高校への願書提出の日やろ、ちゃんとして行きなさい」と親は言うのが普通だ。しかし世の中は複雑で必ずしもそういう親ばかりではない。本校も昨年の入学式に二人の女生徒が髪を染めてきた。親も同伴だった。親御さんが言うことを聴かないのだ。「これは地毛です。」と言って。この時はほとほと困った。
・ そういうわけで来年の入試から「面接」を入れることにしたのである。正式に「入試説明会」にて説明責任は果たしている。しかし本校でも「入試の態度が悪かったら不合格」となるかと言えば簡単にはならないだろう。
・ ただ「条件付合格」となるかも知れない。今日以降「校則を守ってください」。それが守れないようであれば合格を辞退してください。「入学料はお返し致します」となる。去年の例はそうだった。そうすると親も子どもも仕方なく納得する。
・ しかし年間100人も中途退学するような学校だ。「教員の心労は容易に想像」できる。生指導上の問題で学校の教員は「走り回っている」のが現実だ。教員には本来業務である「教科指導」で勝負させてやりたいが現実にはそうも行かないのが実態である。
・ 学校は確かに学力だけではない。「日常生活規範」も教えていく必要があるという意見もあるが、考えてみよ。もう15歳の半分大人であるといえば又物議をかもすかも知れないが、小学校中学校の義務教育で学校も家庭も「どうなっているの?」という高校側の声は大きい。「親の顔が観たい」と思っていても口には出せないのだ。
・ それをすべて高校に丸投げしているのが実態である。一つには「高校だけは出ておきなさい」という親の気持ちが社会の通念としてある。「学校が嫌い」という生徒に無理やり高校に入れることが果たしてその子にとって良いのかという議論もあろう。
・ 茶髪にして「いなせな職人の道」を歩ませるのも一つの考えだ。高校卒がそれほど大きな意味は持たなくなった時代である。「職人の親方は厳しい」。直ぐ拳固が出て物が飛んでくる。学校の先生がやれば「体罰、体罰」とくるが親方がやれば「修行の道」となるのだ。
・ 私は生徒指導を諦めていない。だから教員の相当の時間とエネルギーを使って生徒指導を進めているが、「限界」は心得ている。それは残った生徒への影響があるからだ。だから臨界点に近づくと「進路変更やむなし」と判断する。退学許可は「校長のみに出来る専権」である。
・ この前も某教諭がある保護者に「生指上のこと」を言ったら「うちの子だけではないでしょう!」と言ったという。「よその子は関係ないって。自分の子どものことを考えなさいって言うように」教頭に言ったところである。
「辞めてもらっては辛いが学校の方針にそぐわないのであれば私の答えは明確である。」時間は限られているからマジョリティに資源を使わねばならない。少数の分らない懲りないものの為に大切な教員のエネルギーを消耗させるわけには行かないのだ。