2008年10月24日金曜日

10月24日(金)中学校の遠足

・ 生憎の雨の中の「遠足」であると思ったが運よく出発時点では上がってくれた。我々の世代には遠足というのが分かり易いが今は「校外学習」という。同じように「運動会」とはあまり言わない。「体育祭」だ。時々テレビで評論家やコメンテーターと称する人々が「父兄、父兄」というがこれなどは最近の学校内部のことが分かっていない人たちだ。「保護者」と言わねばならない。
・ その理由はお分かりだろうが「父兄」だけではなくて「夫弟」「母兄」も「母妹」もあるだろう。「人権意識」からこのように「現場の言葉は進化」していく。もっと「手短かに喋れ」も良くない。手短かいう言葉が良くないのだ。
・ ジェンダーフリーと言う人々が「男らしさ」「女らしさ」という表現にも口を挟み始め今や学校現場では「禁句」になってきている。かように学校現場は私など「言葉使いの荒い人間」には神経を使う。
・ しかしそれは「揚げ足取り」に繋がりやすい。大切なことは根本的な人間性であって言葉使いにそう目くじらをたてる必要はないというと「人権感覚が薄い」とくるのがその筋の人々の常套言葉であり、手段であるから、波風を立てるのもと考え、今はちゃんとした人権言葉を使っている。
・ さて遠足であるが場所は市立の信太山野外活動センターというところだ。昨年までは貝塚の方だったが、他校とかち合って仕方なくこちらになったという。向こうのほうが大きいらしい。
・ 本校は面白いやり方で「学年縦割りの班編成」としており、全中学生が参加だから結構な人数になる。今の3年生は最後の男子中学のクラスで1クラスだから人数も少ないし、女生徒もいないから幾分華やかさに欠けるがその分団結は強くまとまっている。私はこの5月には修学旅行で屋久島にも同行したので、その分この学年への思いは深い。
・ 9時前に学校前をバスで出発。9時40分には到着した。大きく4つの屋根つきのバンガローというのか調理場、炊事場、かまどが設えられているものでそれように設計されている便利なものである。
・ これとは別に食事をする場所もあり吾妻や風の屋根だけの下で皆と並んで食べるものでこの二つの建物がセットで4つあり結構広い。同じようなものが隣にもあり少し離れているが今日はそこには府内の養護学校の生徒さんが来ていた。
・ 料理はこのようなときの定番メニュー「カレーライス」である。薪で火を起こし、飯盒でご飯を炊くのだがご飯は電気炊飯器で作るものと思い込んでいる生徒には十分に良い体験になる。
・ しかし面白いもので食材はすべて何処かの会社が用意して班単位にビニール袋にいれて持ってきてくれるのだ。生徒はニンジンとジャガイモの皮をむき、たまねぎを切り刻んで鍋にいれる。ちゃんとお肉も野菜もルーも見事に小分けして用意されている。
・ 白米も人数分袋に入っておりそれを洗って飯盒に入れる。問題はかまどの火の付け方であるが縦割りにしているから3年生が経験もあり「仕切る場面」が見られる。見ていても良い感じだ。
・ どうもこういうときは男子生徒が良く働く。女生徒は勿論良くやるのだが何か包丁や皮剥きピーラーの使い方が今ひとつである。まあしかしそれは家庭での教育の経験の差があるのかも知れない。
・ 11時過ぎには火が入り、12時には出来上がった。水を入れすぎて、しゃばしゃばな味噌汁みたいなカレーとか様々であったが4班とも生徒は「おいしい、おいしい」と言ってふうふう食べていた。
・ 面白かったのはある男子生徒がトイレの近くでもじもじしており、私を遠くで見つけ、走り来て「校長先生、おしっこどこでするの?」と聞くのだ。「エーなんだって!」と現場におもむくと、ほら昔風のコンクリートで出来た溝があるだけの細長い小便用が初めてらしく、どこにして良いのか分からなかったらしい。「可愛い」もんだ。
・ 食べるのも早い。12時30分には大体食べ終え、片付けに入る前に「記念写真」となった。私は前列中央で「ピース」サインで納まる。学校は明日の「第一回高校入試説明会」の準備やら何やらで気になることもあり、車を呼んで学校に向かう。
・ タクシーは右に自衛隊信太山駐屯地を見ながら左に和泉霊園というのがあった。突き当たりは鶴田池西の交差点であるが良く見ると右の土地は昨年売却した「和泉の土地」ではないか。
・ 「懐かしい」気がした。土地はまだ売却した当時の様相であった。長年保持してきた1000坪の土地を私は「着任半年で売却し財務体質を強化」したのだがまだ印象は強いだけに「複雑な思い」がした。売却金は定期預金に入れている。
・ 車は鳳に抜け堺市外、そして大和川を渡る。1時30分には学校に到着。近い。生徒たちの到着は4時過ぎになるのか。いずれにしても初めての遠足付き添いであったが勉強になった。
・ 来年は一クラスが卒業して3クラスが最低でも入ってくるから「300人近い大部隊」になる。今から来年の場所ややり方を工夫しておかねばならない。しかし嬉しい悲鳴であり6年間高い授業料を払ってくれる中学生は本当に有り難いし、それだけに「徹底的に面倒をみなければならない。」
・ 私は中学生が可愛い。さて来週の28日は本校は始まって以来の「中学校の運動会」で参加してくれる保護者の数が350人を超えるといって担当の先生は走り回っている。「浪速中学が元気」になってきた。嬉しい限りだ。
・ しかしそれにしても「中学の先生も挨拶が出来ない先生」がいる。滅多に顔を合わすことのない理事長・校長が中学校の行事に参加しているのだ。顔を合わした時に「挨拶」は絶対だろう。それが「職業を持つ大人の常識」と言うものだ。
・ この辺はさすがに「年の功」で、英語のN教諭などは走り寄って言葉はなしでニコッと挨拶だ。S教諭、K教諭、S教諭などはさすがベテランだから立派だが、酷いのもいる。私はしっかりと診ている。
・ 暇があって行っているのではない。行く理由は「生徒の様子と教師の様子」を観に言っているのだ。学校などとは違う「本当の姿」がこういう「非定常な場所と業務」で現れるものだ。挨拶の出来ない教師など評価はしないし専任採用などあり得ない。「教師は立派な社会人でなければならない。」「社会勤労者の常識を持たないとやってはいけない。」「常識とはちゃんとした挨拶が出来ることだ。」
・ 特に「一昨年昨年今年と採用した若い専任が碌な挨拶が出来ない」ことに危機感を有している。「勤務管理が労働基準法準準拠に移行したということは完全な組織人としての常識を求める」と言うことだ。
・ 「今までの単なる私立学校ではない」。ここは「民間の組織」であり、ある面「民間会社」である。「教育と言うサービスを提供する民間教育組織」である。「雇用者は誰か?誰から給与を戴いているのか?そういう人にどのように接すべきか」、これが分からない人の評価は当然低くなる。考え方を一新しないと本校では使い物にならない。