2008年10月9日木曜日

10月9日(木)「そうお若くないのですから」

・ 遂この前のことだ。親しい友人から「先生もそうお若くないのですから」と言われてしまった。これには些かショックを受けている。普通「まだまだお若い!」「そんなお年には見えませんよ!」とかが社交辞令だろう。
・ 人間誰しも自覚している時に「念を押されて」本当のことを言われると「ガクッ」と来るものだ。少し落ち込んでいる時に大好きな俳優の緒方拳さんが亡くなったとの訃報が入ってきた。ますます落ち込む。本当に素晴らしい役者さんだった。
・ 享年71歳というから今の世ではまだお若い。私などそれでは後10年しか生きられないではないか。10年と言うとあっという間だ。本校の理事長として新校舎建設まで何が何でも頑張ろうと思っているが、「色々有って」しんどいばかりだ。
・ 筆頭副校長に「先生、校長やれる自信ある?」と半ば冗談、半分本気で振ったら、顔色を変えて「トンでもありません。今が最も重要な時、新校舎を見るまでは先生に頑張ってもらわないと」と生真面目なお顔で答えられた。
・ 北館の補修と正門塀の設計に当たってくれた某設計事務所の社長さんがぶらりと立ち寄ってくれた。この社長さんも木村応援団のお一人だ。お年は80歳をゆうに超えていらっしゃるが、声もお姿も昨年のようなお元気さはない。
・ 今年の春先は体調を崩され、ようやく回復にあるのだが、まだ見た目は大変お疲れのご様子である。私は「社長、お顔の色が良いじゃありませんか」「まだまだですよ」ととにかく元気を差し上げる。お帰りの歩く姿も大変なご様子だった。これにも落ち込む。
・ この社長さんも、「後継者に悩んでおられる」みたいだった。「集団指導体制」でと言われるから、友人としてこれだけは言わねばならないと思い切って言った。「社長、集団指導体制なんて何にもなりません。誰が責任を取るのか分からない集団指導などは会社を潰す元ですよ」と。
・ 社長も分かっているのだ。自分が創業者でここまでの会社に持ってきたとの自負は強いが、「自分が弱ってからようやく後のことに気付く」。そういうものだ。「後のことが気になって仕方がないのだが、後継者に悩んでおられる」中に私からそのように言われて、恐らく帰り道に落ち込んでおられたかもしれない。申し訳ないことをした。
・ トップにとって最も大切なことは「後継者」だ。誰に後事を託すのか、そこが問題だ。名誉理事長、理事長職務代理も私よりはご高齢だ。「ポスト木村の理事長、校長の後継者はどうするのか浪速にとって最大の問題」である。
・ 王監督みたいに私は引き際を大切にしたい。そうかと言って緒方拳さんみたいに現役のまま突然に終わるわけには行かない。緒方さんは役者だから良いが私はサラーリマンだ。まして学校の校長だ。現役で倒れるなど皆に迷惑をかけることになる。
・ 個性豊かな教職員、中にはわがままそのものもおり、これらをまとめてベクトルを併せて率いていくのは「そう楽な仕事」ではない。まず経営センス、法的知識、なにより「胆識」が必要だ。場合によっては「法廷闘争」を辞さない「覚悟」が必要だ。
・ 皆から陰口をごちゃごちゃ言われることを恐れ、誰にも嫌われたくない、誰にも良い子に思われたい、大儀を忘れ自分が損か得かの判断基準だけの人間と付き合い、パソコン一つ使いこなせない人、事務能力が無い人、思想信条が右から左まで180度ふれている人間の「群像劇場が学校」だ。そういうところに集団指導体制など有り得ない。すぐ「ばらばら」になる。「強烈なリーダーシップのあるトップが絶対に要る」。
・ A4版2枚くらいのブログを15分で書けるような「文章作成能力」のある人、入試説明会で来訪者を感嘆せしめる「プレゼンテーション能力」、着るものにもセンスがないとダメだろう。大学関係者に直ぐアポを取って「交渉力のある人間」、戦略と戦術を兼ね備えておれば言うことはない。一言で言えば「発信力」のある人でないと今後の理事長、校長は務まらない。
・ 社会は最早年令構成など気にしなくなっている。しかし本校の校長に例えば40歳代後半、50歳前後の人を外部から連れてきて果たして校長が務まるだろうか。50代後半の「本校の主みたいな教員」を率いていけるだろうか。それを考えると暗澹たる気分にもなるのだ。
・ 理事長と校長は私の後は「分離」することはもう私は決めている。理事長の職位は「神社庁にお返しする」積りだ。後にも先にも「理事長・校長は私一代かぎり」で良い。必然性があったからそのようにしただけで本校は「オーナー学校」ではない。神社庁のしかるべき人が理事長であるべきだと思う。
・ 問題は校長だ。「理事会の経営方針を受けて校務を執行できる人材」でなければならない。一部の勢力と敵対したりくっついたり、自分の損益ばかり気にするような奴はダメだ。それに「勉強する」人でないといけない。
・ 次の体制は「校長のマニフェスト」をはっきりさせる。「公約」が達成できなかったら理事会で「解雇」する。今でも出来るのだが要は過去の理事会はそれをやってこなかったから学校は崩れたのである。「二度と失敗はできない」。他の私学では当たり前のことでそのようにして学校の力を高めているのだ。
・ 「校長は教職員の仲間ではない」。このことが分かっていないのが教員文化だ。しかしそれが難しいことだというのは分からないではない。昨日まで「好きなように言いたい放題言っていた人」がさて「今日から管理職です」と言っても周囲は「唖然とする」場面もあるだろう。
・ 府立高校は管理職になれば職場即ち学校が変わるからまだ助かるが、本校では同じ場所だ。若い頃から「やってきたこと」は皆に知れ渡っている。わがままを言ったことも有ったろうし、教員間でいさかいもあったろう。人的関係も複雑になっていると考えるのが自然だ。
・ そういう中で「今日から私は校長」と言っても「なんであんな奴が」と心で思っている人間はいる。本校の校長になる資格のハードルは高い。成って然るべき人間がなれば上手く納まるがそうでないと昔のようになる。
・ 今日はこの10月1日に採用した新任の専任教諭のお祝いの席だ。指導教官も一緒に楽しい一時を設けた。「若いなー」と思う。平均年齢25歳だ。この先生方が浪速の将来を支えてくれると思えば嬉しい。しかし年の差を考えれば冒頭の「先生もお若くはないんですから」という言葉を悔しいが実感せざるをえない。