・ 「地方の活性化は不可能」。かなり衝撃的であるが久々に興奮を覚えた雑誌記事であった。月刊誌「選択」3月号の巻頭インタビューに早稲田大学特命教授の伊藤滋先生のインタビュー記事がある。
・ “地方とりわけ農村や漁村の衰退が何をしても止まらない”が「もう何をしても止まらない」と悲劇的表現である。秋田や高知は2035年後には「人口が半減」。日本人が東京から名古屋、大阪、瀬戸内を経て福岡に至る太平洋ベルト地帯に居住を求める傾向は今後とも変わらないと先生は言われる。
・ それでは地方はこのまま「安楽死?」。「死にはしない。」「地方の人口半減で高齢化も一段落」するからその後は「低位安定」で維持されるという。良かったー。”有効な地方維持策は?“。「コンビニと携帯電話が行き渡った地方でそこに生きる人の不安は医療と介護」だとおっしゃる。「なるほど」。
・ 80歳代人口が爆発的に増える20年後までにやっておけばなんとかなる。そのためには「国土交通省の地方向け公共投資より農林水産政策」である。「限界集落を都市の金で維持する」ことは欧米では考えられないが日本では可能だと。全国津々浦々にいきわたる「母親のような予算」を「多品種定額予算で配る」方式が良いといわれるのだ。
・ 記事から切り取った部分だけだから分かりにくいが、ざっと以上のように「地方はじたばたしてももうどうしようもない」と言われているのだ。「目が覚める」。政治家や自治体などが「地方の活性化」と叫んでもそれは「アナウンス効果」だけしかないそうだ。考えさせられるよね。
・ 一方26年後の「大阪府は人口が763万人で少子高齢化がより深刻化」するという。10日の産経の記事だ。現在882万人だから30年後の2047年までに120万人が消えていなくなると言う。
・ 特に「大阪市が265万人で半減」すると言う。「大阪万博が開かれた昭和45年と同じ人口規模」らしい。65歳以上のお年寄りが100万人増える一方で15歳以下の年少人口が50万人減るなど完全に少子高齢化だという。
・ 発表した大阪府は「府内のマンションの供給増や地価の下落で府外への人口流出自体は落ち着きつつあるが、少子高齢化による人口減は避けられません」と述べている。出生率も下がると言うからダブルパンチだ。
・ 一方ジャーナリストの立花隆さんは「人口減が直撃」「科学技術が衰退」して「日本はもう危ない」と同じ日に産経に寄稿している。立花氏と言えばあの有名な「田中角栄研究」を書いた人だ。「東大生はバカになったか」も書いた。この本は大変読み応えがあった。「教養論」では第一級の書物だった。
・ 「 知的ジャーナリスト」では第一級の人で私は尊敬している。昭和15年生まれの68歳だ。先生が言うには今日本には研究者と技術者が270万人居て2050年度には政府予測だけでも100万人減少して170万人になるらしい。
・ 「科学技術は衰退し量も質もドンドン低下」して今の維持さえ危ないと警告を発しておられる。「人口減少問題は実は科学技術の衰退」を意味し「国家を危うくする」と言われるのである。背景は80年代に始った日本の教育レベルの衰退、知的水準の低下は今も進行中と先生は言われている。まったく同感である。、大学入試をどんどん楽にする方向にし、受験科目数は減らし、推薦進学などが広まった。大学受験の質が下がれば高校の教育の質も下がる。そこに「理科離れと」と「ゆとり教育」が追い打ちをかけて「大学生の質が著しく低下」した。
・ 先生の批判はまだどんどん受験競争批判が行き過ぎ続く。もう一つ立花氏が強調するのは「やる気がないということです。」と切って捨てている。「チャレンジ精神が極めて希薄に成っている」と強調される。後は省略。まったく同感だ。
・ とにかく「時代の潮目」である。確実に少子高齢化が進んでいる。我々現役世代はそれほど感じないがそれでも私学であるから「生徒募集の成否」は死活の問題である。早稲田の伊藤先生や立花先生などは明晰な頭脳でデータを駆使し論考を進めておられる専門家だからこのような先生の言われることには納得する。
・ 納得して次に「何をするか」が問題であり、ここで「組織や人間の差が付く」のである。大阪府の人口が763万員と120万人減少した時に「浪速高校は一体どうなっているのか」。ちゃんと学校として存在しているのか。
・ 私はもう死んでこの世の中にいないが40年後と言えばまだ今いる若い先生で本校の定年前の先生は多くいらっしゃる。40年後と言うのは一挙に来ないのだから徐々に人口は減少していく。本当に学校が維持される程度の生徒数が確保されるのか、恐らく今から20年後までに早め早めの対応を考え手を打っていかねばならない。
・ それを考えるべき世代の先生方は多く居る。昨日の多聞での理事会で3人の常勤講師の先生が名誉理事長面接を受けた。4月1日付けで「3人の常勤講師の先生を専任教諭として採用」するための最終的手続きである。
・ 私は今朝出張中の一人を除いて二人の若い先生を部屋に呼んで正式に専任教諭として採用することを伝えた。副校長が同席であった。私は言ったのだ。「我々二人はもう残った時間は少ない。先生方はあと40年近く浪速高校に勤務する。どうかこの学校の将来を担って欲しい」と。
・ 「若い世代の君たちこそ浪速の将来の運命を担っている。君たちの人生を輝くものにするため浪速で最後まで責任を全うし自己実現を図れ。」「失敗を恐れるな。恐れるべきは自己の内心に出てくる妥協と今日の気持ちを忘れることだ。」「謙虚になれ、生涯勉強を忘れるな、教師馬鹿になるな。立派な社会人こそ立派な教師である。」
・ 「本校の将来を頼むぞ」と言って私はこれらの先生の手を「グッ」と握って握手したのだ。これで私は着任以来19年度に4人、20年度に4人、21年度に3人と合計11名の専任教諭を作ってきた。いずれも私の責任で採用した。どうか後で「失敗した」とだけ思わせないようにして欲しい。死んでも死に切れないからだ。
・ そして他の常勤講師の先生方にも大いに期待している。本来では専任になれる可能性は格段に高い。自信を持って衆目一致する「素晴らしい教師となるポテンシャルンの高さ」を見せ付けて欲しい。私は可能性を買っているのだ。