・ 今日は「浪速中学校卒業式」であった。35回目と成る。ただ「雨の卒業式」となった。冒頭私は王維の「謂城の朝雨」(元二の安西に使いするを送る)の「五言絶句」を吟じ「雨の卒業式も悪くない」と生徒たちに伝えたのである。これは大好きな漢詩で高校時代に覚えたものだ。「雨の日の別れに相応しい。」
・ 3月1日が高校の卒業式と時期をずらし今日まで2週間の時間差がある。人数が少ないから会場は新館のピロティ部分を仕切りして部屋を作るのだ。結構こじんまりとした良い会場になる。「手作りの卒業式」と言う感じだ。
・ ただ少し暗い。卒業式はこれで良いが照明を増やしたほうが良いと今日ふと思った。ここは中学校の入試説明会場にも使っているからだ。暗いと気持ちまで暗くなってくる。早急に照明を増やすことにしよう。
・ 卒業生は総勢で33名だ。「男子校として最後の学年」で浪速が最も辛い時に浪速中学に来て呉れた生徒だ。「私はこういうのに弱い」。だからこの学年には「特別に支援とエール」を贈ってきたが、十分なことをしてやれたか内心忸怩たるものもある。
・ それにしても大変仲の良い学年だった。男子校の最後と言うことで「団結力」もあった。喧嘩やいじめなどもまったくなかった。気持ちの良い生徒ばかりで校長の「私とも大変仲が良かった」のである。
・ 初めて修学旅行に付き添った私は今でもあの「大雨の屋久島」のことを覚えている。私にとっても「良い想い出」だ。卒業生代表の答辞でも屋久島のことが語られ、「今でもあの時の校長先生の“撤退”と言う声が忘れられない」と言ってくれた。あれから「団結心が一層強まった」とも述べていた。私には何よりの答辞の言葉だった。少し涙が滲んだ。
・ 私は新しい浪速中学校を今構築しており、その幾ばくかをこの男子校最後の学年に伝えたいと考え、多くの新しいことを中学校で始めた。この子どもたちに「時代の変わり目を共にすごした」と言う思いを持たせてやりたかったからだ。
・ 勉強だけでは想い出とならない。「行事」だ。共に33名がまとまって行動した学校行事こそ中学校には重要であると私は確信している。この学年が在学中になんとか「運動会」をと思ってこれも実施した。そして最後の行事がこの前の「金剛山登山」でしあった。
・ 卒業式で謳う校歌は急遽昨日私が指示して旧制浪速中学校以来の「浪速健男児の歌」を付け加えた。「男子の心意気」を彼らは声高らかに歌ってくれた。これが公式な男子中学校の校歌を歌う最後の機会になろう。「感慨一入」のものがある。そして、「新しい校歌」の2曲で「時代の潮目を」を感じた筈だ。
・ 式辞に私は尊敬する「司馬遼太郎先生」の言葉「21世紀に生きる君たちへ」を贈った。大阪の生んだ歴史家であり、小説家の司馬先生が「21世紀に生きる君たちへ」という本の中で言っておられる言葉を紹介したのだ。その一部から:
“自分には厳しく相手には優しくという自己を確立しなければならない。
21世紀においては特にそのことが重要である。自己中心に落ち入ってはならない。人間は助け合って生きているのである。自然物としての人間は決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため「助け合う」ということが人間にとって大きな「道徳」になっている。「他人の痛みを感じる」ことと言ってもよい。「やさしさ」と言っても良い。これらは「訓練」で身に付くものだとも言われている。そして同時に人間は「頼もしさ」ということも必要だと先生は言われている。「頼もしい人格」を持たねばならない。男女とも頼もしくない人間には魅力を感じないのである。「頼もしい君たちになってほしい」と司馬先生は、21世紀に生きる君たちへ言葉を残されているのです。“
・ そしてまとめの言葉として私は万感の思いをこめて語り掛けたのである。“君たちは「浪速中学校で3年間学んだ生徒たちである」「大切な、大切な将来の日本、大阪を背負う生徒たちである。」体を鍛えてしっかりと勉強して素晴らしい高校生活を送ってください。そして「頼もしい君たち」に育って欲しいと思います。他の高校へ進学する生徒もそこで頑張って浪速中学を卒業した誇りを忘れず頑張ってください。もう一度、高校生活は「自己責任」ということと、「自分を鍛える」ということが大切なことです。鍛えるとは「自己に厳しく他人に優しく、そして頼もしくなる」ことです。学校の「授業を大切」にしながら多くの友達と触れ合い、立派な人間になるための基礎基本を学習することが高校生活の目的であり同時にそこに喜びがありますと私はまとめたのである。
・ 式の後保護者から「記念品の贈呈、謝辞、そして花束の贈呈」が私と担任にあり私が謝辞を述べたがプログラム外で担任のN先生に私はマイクを渡した。突然のことで先生は感極まって涙を流されたがお人柄の滲み出た素晴らしいご挨拶であった。
・ 最後在校生からコーラスで「旅立ちの詩」という歌が歌われ卒業生は拍手を背に会場を後にして最後のホームルーム教室に向かった。式が終わって会場を出てもまだ雨は降り続いており、まさに「浪速の朝雨」だった。
・ 高校卒業式と同じく終了後の11時30分過ぎに中学3年生の学年団が「職員室に集合」し私から慰労の言葉を述べ担任のN先生からご挨拶があった。彼の言葉で結果的に「中高一貫課程の失敗」と言う言葉があった。辛かったと思うが大変良くやってくれたと私は評価したい。
・ 本校はこの後カフェテラスに移動して「茶話会」と言うのがあり、伝統行事である。卒業生、保護者、教員がリラックスしてサンドイッチなどつまみながら最後の懇談だ。何時もは校長は出ないのだが副校長の求めに応じて特別に顔だけ出した。
・ 私は急いで好きな「美空ひばり」が歌う「島崎藤村の惜別の歌」をCDに焼いて持って行った。何も言わず心をこめてここでも又歌を唄ったのである。ところが生徒の一人が前に躍り出て私の横で「踊り出した」のである。それが又面白いのだ。会場は「大歓声に包まれ、大いに盛り上がった」。
・ このようにして男子校最後の浪速中学校35回目の卒業式は無事に、そして中身の濃い素晴らしい卒業式となった。帰りにはなんと「陽が照り始め、生徒たちの行く末の晴れやかさを暗示」しているような明るさになった。私は満足して気分良く自宅に戻ったのである。