2008年12月11日木曜日

12月11日(木)中高一貫校

・ 一時期「高大連携」が大きな教育界の話題になってきたが今は声高にそれを叫ぶ人は少ない。新聞記事などにも最近は出て来ない。それは高大連携と名前はカッコ良いが「実質的なもの」が何もなかったからだと思う。私は教育界に転じた時から見抜いていた。素直に何か「おかしい」と感じていたからだ。だから前の学校でも一切高大連携は進めなかった。
・ まあ高校生に「大学への親しみ」みたいなものはある程度期待できてもそれ以上のものは何も生み出さなかった。逆に言えば「学生数確保」に奔走する「大学側の戦略」に引き込まれる危険性もあったかもしれない。
・ 大学で講義を受けても「高校の単位認定に繋がらない」のが致命傷ではなかったか。大学の雰囲気を嗅ぐのであれば「オープンキャンパス」で十分である。又時期を同じくして教育界において「学力不足」問題が大きな社会的問題となり、高等学校で「授業時数の増大」など図ったから「高校側に余裕がなくなった」のも一因かも知れない。
・ 代わってそれよりも手っ取り早く「大学と連携」するほうは効果大という風潮が出てきた。少子化の中で生徒募集に苦労している高校などは「起死回生」の策として「大学のグループ入り」を次々と図っている。「大学の力を借りて」というのである。
・ 大阪府でも北陽,摂陵、初芝、飛翔館など「辛い局面の高校」が関西大学、早稲田大学、立命館大学、近畿大学と合併吸収、合体などの方法で「生き残り」を図ってきている。本校はまったくニュアンスが違うが、関西大学と「特別な関係」を結び生徒の不利益にならないように考えている。
・ 高大連携に比べて今高校教育界に「じわじわ」と迫ってきているのが「中高一貫」である。最近では「小中接続」の流れも出てきた。中高一貫が不気味である。この中高一貫制度は平成11年4月にこれまでの中学校、高等学校に加えて生徒や保護者が選択できるように「中等教育の一層の多様化」の一貫として制度化されたものである。徐々に勢いを増している。
・ 例えば平成19年度は全国280校であったものが本年度は334校と54校も増加し、特に公立の中高一貫教育校は今や43都道府県にあり、そのうちの39都道府県は複数校が設置されている。
・ これらは区分して呼ぶために「3種類」に分けられ、細かく言えば「連携型」「併設型」「中等教育学校」となる。データを読むと連携型は人気がない。これは廃れていくと思う。理由は「存在自体にパワーがない」からだ。
・ 伸びているのは併設型と中等教育学校である。狙いは学力の伸張と個性の伸張であろう。結果として「進学実績」の向上を目的としている。平成20年度の併設型は219校で対前年49校の伸びを示し、中等教育は36校で4校の伸びである。平成20年度334校の公私別は公立が158校、私立が172校、国立が4校の合計334校である。前述したように「公立の伸びが大きい」のである。
・ 報告されているデータでは来年度即ち21年度の公立では17校がスタートする。うち中等学校が7校(群馬、東京2、神奈川2、仙台市、新潟市)で併設型が10校という。場所は(岩手、宮城、東京都2、滋賀2、熊本2、川崎市)と聞いている。
・ 21年度の私学では13校が計画されており、中等教育が1校、併設型が12校と言われている。こうして見ると「猫も杓子も」と言う感じだ。「融通性」を考えたら「併設型」が主流になってきそうな感じだが、ここはもう少し勉強したいと思っている。
・ 現在本校の中学校と高等学校は同じ学校法人が「経営」している学校であるが「中学校と高等学校はまったく別の学校」である。即ち浪速中学校を卒業しても高校選択は全く自由でどこの高校に行っても良い仕組みとなっている。
・ 従って浪速中学校の生徒は浪速高校に入る場合はちゃんとした手続きで受験をして貰うことになっている。今の中学3年生の中にも他校の受験希望者が数名居る模様でそれはそれで全く問題はない。
・ しかし問題意識はそれで良いのかということだ。圧倒的には殆どの生徒が浪速中学から浪速高校に進学するのであるから、6年間同じ学校法人で学ぶ、言ってみれば「家の子郎党、子飼い中の子飼いの生徒」だ。それを浪速高校1年生で外部からの入学者と同じで良いのかという疑問も出てこよう。
・ しかし本校は過去数年間に亘って「中高一貫」で大きな失敗をした。二度とこの過ちは繰り返してはならない。中高一貫が単なる「高校受験の免除」となってはならないのである。私は今慎重に先を読みながら答えを探しているのである。
・ しかし基本的にはいずれ「中高一貫に移行」せざるを得ないと思っている。それは「新たな浪速中学の歴史の始まり」となるであろう。勿論大きな因子は「関西大学との連携」が頭にある。関西大学浪速中学校、浪速高等学校を中高一貫として関西大学に進むルートの確立について研究しているところだ。
・ ここで公立の進める中高一貫に一言意見を言わせて貰いたい。昨日のブログでも橋下知事の公私比率の論理的問題について言及したが、恐らく知事や府教委には「公立中高一貫校」構想が頭にあることは間違いなかろう。
・ この公立中高一貫については「それはないだろう」と言いたい。これは明らかに「行き過ぎ」である。中高一貫制度は「私学の形」に限定しておかないと論理がおかしくなる。
・ 公立の特色つくりの行き過ぎが公立の中高一貫である。同じ税金を使い公平な教育をやることが公立教育のはずであり、税金の使途としても普通の中等教育と中高一貫中等教育とでは意味合いが違う。
・ 特に中学校が問題となる。「中学校は義務教育」という名前を付けている限りその受け皿の公立教育は少なくとも同じ教育、待遇をしなければならないのではないか。最近流行の総合学科とか単位制高校とか明らかに教員の加配など違いが大きく生徒一人当たりの公金投資額は大きく異なっている。
・ 言ってみれば「公立教育の水準の違い」がどんどん異なってきておりこうなるとこれはもう私学である。しかも「助成の公私間格差は5.6倍」もありのままでは「私学教育の行く末」は暗いものになる。「公立が5.6倍の公金を使って、限りなく私学の形に近づけている」と強く感じる。余りにもハンディが大きい。
・ 私は「公立中高一貫の授業料は私学並み」にしなければ理屈はおかしいと言っているのである。もしくは「私立の中高一貫の私学助成は公立並み」に手厚くすべきである。無茶苦茶なことを言っているのではなくて、この辺で「公私の役割、教育の原点」を見つめなおす時期にきていると言っているのである。「闇雲」に公立の中高一貫をやられては私学はたまったものではない。